ノート:カディマ党
カディマ党への再移動について
[編集]悠卯斗氏からNekokaburiまでメッセージがありました。「カディマ党」項を「カディーマ党」と名義変更した事に付いて、それを元に戻したという通知でした。悠卯斗氏とNekokaburi両者のノート欄に全文ありますが念の為に主要部をここに公開して置きます。--Nekokaburi 2007年1月14日(日) 15:29(UTC)
「こんにちわ、初めまして。悠卯斗と言います。Nekokaburiさんがカディマ党をカディーマ党に移動させているのを見つけ、驚きました。現地語での呼称を元にした記事の移動は難しい問題を孕んでいます。私たち、他の執筆者はそれを確認する術がない、という事です。Nekokaburiさんの主張が正しかったとしても、それまでその名前の記事に加筆されてきた多くの方々は納得できない事があります。Wikipedia:ページ名の変更に、ノートでの周知期間を経てからの移動を推奨されています。ご覧下さいませ。*時間はメッセージ送信時」--悠卯斗 2007年1月14日 (日) 07:36 (UTC)
- Nekokaburiから悠卯斗さんへの返信
悠卯斗さん、ご連絡頂いたNekokaburiです。こちらこそ初めまして。技術上のご指導頂いて感謝します。
さて、「カディマ党をカディーマ党に移動させた件」ですが、なるほど「議論のプロセスを経なかった」のは私の落度。それに関しては素直に認めます。ただ、「驚きました」と言うのは如何にも大袈裟(笑)。私の方が驚いた(笑)。それから「現地語での呼称を元にした記事の移動は難しい問題を孕む」事はその通りでしょう。毛沢東を「もうたくとう」と読むのか「マオ・ツァング・トング」と読むのかでは「内政干渉」の問題にもなるし、シオニズムを英語的に「ザイオニズム」と読むかヘブライ語的に「ツィオヌート」と読むかは「修正の範囲」を超えてしまう。
ただ悠卯斗さんの言う「私や他の執筆者は確認する術がない」というのはおかしいどころか、知的誠実さという観点から言うと極めて傲慢。私Nekokaburiの理解する限りでは、「主体はあくまで読み手」であり「その記事に加筆されてきた」書き手のちんけなプライドは二次的なもの。「確認する術がない」なら、その事に関し研究するまで書くのを控える謙虚さがなぜ持てない。
仮に私が知識の無い古代アッシリア語の事柄を書いたとして、知識の豊富な人や専門家が「親切に」修正改善してくれたら、その行為は「国民の財産としての知識」が増えたと、私なら素直に喜びます。同時に知らない事が解って良かったという知的興奮もあるし、今後それを読むだろう人の為になると考えると嬉しい。
最後に現実問題として「カディマ党」にするのかカディーマ党にするのかは悠卯斗さん、あなたに一存します。好きにしてください。なお、この文と同じものを悠卯斗さんのノート欄と現在「カディマ党」となっている項のノート欄に転載します。--Nekokaburi 2007年1月14日(日) 15:29(UTC)
- 追記:参考までに言うと、現代ヘブライ語の語彙の七割はアクセントが後半部分に付いている。「ー」の部分は、そのアクセントを見事に再現している。--Nekokaburi 2007年1月14日(日) 18:29(UTC)