ノート:オリンピア (遊技機)
2013-12-10T22:05:40の編集について
[編集]当方にある資料と異なる認識の記述をコメントアウトするとともに、それと矛盾したり出典が見当たらない部分を要出典とさせていただきました。しばらく待って、出典が提示できない場合は、変更案を提示したうえで変更と削除を行いたいと思いますが、ご了解いただけるでしょうか。--Nazox(会話) 2013年12月10日 (火) 13:09 (UTC)
- 出典を明記しました。別の資料がある場合はぜひお願いします。--121.84.136.126 2013年12月12日 (木) 16:08 (UTC)
- 私が指摘申し上げた要出典範囲にご対応いただきましてありがとうございます。いくらかの手直しもあって、ずいぶん改善されてきていると思います。しかし、まだ問題と感じる点がいくつかありますので、引き続いて以下でご指摘いたしますので、ご意見をお聞かせください。なお、議論が混乱しないように、問題点ごとにそれぞれ別の節としいたしますが、なにとぞご了承ください。--Nazox(会話) 2013年12月15日 (日) 04:36 (UTC)
- 一次資料をお持ちのようですので心強い。記事がより改善されることを期待します。--121.87.60.187 2013年12月17日 (火) 02:49 (UTC)
- ご理解くださり、ありがとうございます。私はいくつかの一次資料を持ってはいますが、問題は、それらの多くは当時のカタログや取扱説明書など検証可能性を満たさない性格のものであるということです。従って、私が加筆できることはあまり多くないかもしれませんが、なるべく記事の正確さを向上させられるよう努力してみる所存です。ところで、本記事について改名を提案いたしたいと思います。詳細は新たな節を設けましたので、ご検討いただけますようお願い申し上げます。--Nazox(会話) 2013年12月20日 (金) 14:18 (UTC)
サ社のスロットマシンの生産開始時期について
[編集]今回提示された出典は、「サービスゲームズ社が1950年代中ごろにミルズ社と提携してスロットマシンの生産を行った」とする部分の出典にはならないと考えます。原典には「1950年代に入り(中略)スロットマシンの開発に乗り出す」とありますが、「生産を行った」とは書いてありません。 補足情報として、私の手元にあるミ社のスロットマシンのサービスマニュアルの表紙には、1956年の年号と、「Exclusive Distributor PACIFIC OCEAN AREA」としてService Games」の社名が記載されています。つまり、この時点では、サ社まだメーカーではなくディストリビューターだったことが窺えます。もっとも、この時点でサ社が既に生産を行っていた可能性は、他の状況証拠からもあり得ることだとは思うのですが、それを裏付ける資料は今のところありません。 以上から、いくらかの手直しが必要であると思いますが、いかがでしょうか。--Nazox(会話) 2013年12月15日 (日) 04:36 (UTC)
- 出典元を再読すると「ライセンス生産」ではなく「コピー品の製造を開始」との文言がありますね。出典通りに書き直させていただきました。--121.87.60.187 2013年12月17日 (火) 02:49 (UTC)
風営法の許可取得の時期とタイトー社の争いについて
[編集]今回手直しをされた部分の、「一方、タイトー社史によると~」以下の部分についてですが、出典として提示された「タイトーの歴史(ピンボール~エレメカの時代) 」の内容は、そのソースであると述べられているタイトー社の社史(「遊びづくり40年のあゆみ」1993年刊、非売品)とはいくつか食い違いがあります。そのうちウィキペディアの記述に関係するところでは、オリンピアが風営法の許可を取得したのは、社史では「昭和三十九年」(1964年)となっています。
また、現在記述されている「ミルズ社の権利を持っているセガが後から割り込んできた、という認識があり」という部分の根拠となり得る記述は、toggeterにも社史にもありません。これに関しては、社史に、「コーガンが怒り、日本娯楽物産などの他社に抗議するという一幕もあった」とあります。この「日本娯楽物産」はセガの前身となった企業の一つ(元々はサービスゲームズ社が分裂してできた会社で、後に他の会社と合併してセガ・エンタープライゼスとなり、現在のセガ社につながる)という記述がありますが、これでは現在のように書くことはできないと考えられ、別の表現に書き換える必要があると思いますがいかがでしょうか。--Nazox(会話) 2013年12月15日 (日) 04:36 (UTC)
- ぜひ書き直しをお願いします。 --121.87.60.187 2013年12月17日 (火) 02:49 (UTC)
オリンピア機誕生に寄与したメーカーについて
[編集]タイトー自身は、オリンピアマシンで7号営業の許可を取り、日本で初めて営業を開始したのは自分であるとの認識でいる(タイトーが申請した7号営業機は誰がどうやって作ったのかが全く不明という重大な疑問点はあるものの)わけですが、現状の記事内容は、あたかもオリンピアはセガが中心になって出来上がったかのように読めてしまう点もまた問題ではないかと思いますがいかがでしょうか。--Nazox(会話) 2013年12月15日 (日) 04:36 (UTC)
- そもそも日遊協の出典ではセガを中心に記述されていたからそうなったまでです。両社の一次資料をお持ちでしたら、両論併記が正しいと思います。--121.87.60.187 2013年12月17日 (火) 02:49 (UTC)
歴史節における海外の製品の情報について
[編集]歴史節における「一方海外では、1964年にバリーが発売した~セガはスロットマシン市場での海外シェアを失った。」の部分は、内容はおそらく正しいことには同意いたしますが、本項目はオリンピアマシンについての記事ですあり、この部分は直接関係しておらず不要な記述であると思いますが、いかがでしょうか。--Nazox(会話) 2013年12月15日 (日) 04:36 (UTC)
- オリンピアマシンをセガのスロットマシンのバリエーションとみなした場合、セガがスロットマシン全般から撤退するに至る背景の記述はあった方が解りやすいのではないですか。しかし確かに不要かもしれません。 --121.87.60.187 2013年12月17日 (火) 02:49 (UTC)
改名提案
[編集]本記事を、「オリンピアゲーム」、または「オリンピア」、または「オリンピア(遊技機)」他、適切な語句に改名することを提案いたします。 【理由】 本記事に加筆、修正を施そうと文章を考えているうちに気づいたのですが、現行の「オリンピアマシン」という語句は、決して間違いではないとは思いますが、文脈によっては現在のパチスロまで包括する広い意味を持つケースもあるので、記述の対象をオリンピア機に限定するために、文中において現行のパチスロを指す可能性を排除する表現をいちいちしなければならないのは非常に煩わしく、また、その可能性を排除しないのであれば記事中に記述すべき内容が広範囲にわたってしまい、収拾がつかなくなる可能性を感じています。本記事で述べたい事柄は、あくまでも1960年代から70年代にかけて稼働していたオリンピア機についての事のはずですので、できる事なら、より正確に記事の対象を表現する名前に改名することを提案する次第です。新しい記事名の候補として、いくつか考えてみました。
- )オリンピアゲーム :タイトーの社史に「オリンピアゲームと名づけられた」との記述があるので。
- )オリンピア :セ社の当時のオリンピア・スターのカタログには、オリンピア機を設置する娯楽場を「オリンピア・センター」と称しているので。
- )オリンピア(遊技機) :既存記事と区別するため。
- )オリンピア(ゲーム) :上に同じ。
注意点として、オリンピアという既存の記事がありますので、特に2番以降を選ぶ場合には、曖昧さ回避の処置は必要かと考えております。さて、これらのうち、どれが適切と思われますでしょうか。もしくは、他のアイディアがあればご提案ください。以上、ご検討いただけますようお願い申し上げます。
- IPユーザーなのであくまで参考意見ですが、用語の正確さよりも一般的な言葉を使った方が良いのではないですか。「1960年代から70年代にかけて稼働していたオリンピア機」は「オリンピアマシン」と呼ぶのが一般的ですし(例えばオリンピア社のHPを参照)、それを「オリンピアマシン」以外の項目名で解説するのはかえって不適切ではないですか。広義のオリンピアマシンの可能性を排除するには、冒頭で一言「ここでは狭義のオリンピアマシンについて解説する」と書くだけで十分なので、それほど煩わしくはないと思いますが。しかし他の閲覧者がどう思うかは解りません。--219.75.215.237 2013年12月21日 (土) 02:21 (UTC)
- ご意見をありがとうございます。「オリンピアマシン」という言葉は、業界では「スロットマシン型の風俗第七号営業の遊技機」という意味の方が強い言葉だったように思います。ご提示いただいた現在のオリンピア社のウェブページに掲載されている画像は、オリンピア機ではなく、海外輸出用のスロットマシンの画像ですが、これを「オリンピアマシン」と呼んでしまっているのも、そのような概念を無神経に拡大流用しているためである可能性を感じます。また、その隣の写真の「オリンピアゲームセンター」のキャプションも、「オリンピアマシンセンター」とはなっていないのは、「オリンピアマシン」という呼称が必ずしも一般的、支配的とは言えないことの傍証となると思います。
- また、「オリンピアマシン」という概念自体、知名度は高いとは言えず、「狭義のオリンピアマシン」と言われても、何の意味かわからない人がほとんどではないかと思います。
- 以上から、私はやはり改名が妥当と考えるのです。もしご同意いただけないようであれば、コメント依頼で広く意見を聞いてみたいと思いますが、いかがでしょうか。--Nazox(会話) 2013年12月21日 (土) 04:43 (UTC)
- お任せします。これは余談ですが、論理が丁寧で好感が持てます。--219.75.215.237 2013年12月21日 (土) 08:54 (UTC)
- ご理解くださってありがとうございます。一応コメント依頼には出してみて、そこで何らかのご意見がいただければそれをもとに決め、そうでない場合は「オリンピア」または「オリンピア(ゲーム)」辺りにしようかと思います。この件について、今後何か思われることがありましたら、またご意見をいただけますようお願い申し上げます。--Nazox(会話) 2013年12月23日 (月) 06:18 (UTC)
オリンピア( 遊技機 )に改名しました。--Nazox(会話) 2014年1月28日 (火) 10:38 (UTC)
記事内容を大幅に更新しました
[編集]相当部分を割愛してしまいましたが、一応これまでの議論に沿った編集にしているつもりです。議論が不足している部分があると思われる場合はこちらにてお知らせください。ここからまた記事を磨いていければと思います。--Nazox(会話) 2014年1月28日 (火) 11:51 (UTC)
検証可能性を満たさないので本文に記載できない注釈
[編集]- 概要節中、遊技料金を50円でメダル6枚としている部分は、出典の取材時点のものです。正確な時期はわかりませんが、少なくとも70年代中頃には、遊技料金は100円でメダル10枚に値上がりしています。景品との交換レートについては、不明です。
- 歴史節中、オリンピアは太東貿易が日本で初めて展開したとありますが、当時の太東貿易がスロットマシンを製造していた痕跡は、視野を世界的に広げても見当たらず、中日シネラマ会館で稼働したものは誰がいつどこで作ったものなのかが全く不明です。一方、セガは50年代から米国ミルズ社のスロットマシンのコピーを生産しており、オリンピアを作る技術や環境を持っていました。タイトーの認識が正しいとしたら、おそらくは海外に輸出、あるいは日本国内の米軍基地に設置されていたセガの機械を入手し、改造していたものと推測されます。
- 遊び方節中、「スキーシンボルはいずれの段に出現しても良い」との部分は、ニュー・オリンピア以降は、中リールのみ中段に限定するよう変更されています。これにより、スキーシンボルの入賞の組み合わせは、3*1*3=9通りとなりました。
- 同じく遊び方節中、「リールに描かれているシンボル」の説明は、オリンピア・スター、ニュー・オリンピア、オリンピアマークIIIの3機種に共通しますが、オリンピア・ゴールデンスターには適用されません。オリンピア・ゴールデンスターはフルーツシンボルを採用しており、他3機種のシンボルとは以下のように対応しています。
- スキー = スイカ
- トーチ = 星
- 自転車 = オレンジ
- 馬 術 = プラム
- ヨット = チェリー
- フェンシング = レモン
- もう一つ、遊び方の注釈として、ニューオリンピア以降は、トーチ(星)が並ぶと、以降の7ゲームは、第一リールに自転車(オレンジ)が停止するだけでメダルが10枚払い出されるボーナスゲームとなりました。--Nazox(会話) 2014年2月5日 (水) 13:59 (UTC)
トリビア節をコメントアウトしました。
[編集]出典がないため、トリビア節をコメントアウトしました。なお、「オリンピアには輸出用モデルがある」については、もともとが海外輸出用のスロットマシンをオリンピアに流用したものであるので、順序が逆です。 また、初代オリンピアの筐体が、一部で「ダルマ」と呼ばれていたことは事実ですが、あくまでも俗称であり、また出典がありません。また、スロットマシン全般を指して「オリンピア」と呼ばれる場合も確かにあったようですが、これは、家庭用ゲーム機をすべて「ファミコン」と呼ぶのと同類の、単なる混同であって、特筆すべきことでは無いと思います。--Nazox(会話) 2014年5月23日 (金) 11:37 (UTC)