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ノート:オットー・ノイラート

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対訳の完成と今後の予定

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ひとまず対訳を完成させました。今後、次の予定で変更していく予定です:

  • 対訳形式で2週間公開(2007年12月18日まで)(2008年1月10日まで)
  • 原語部分をコメントアウトして2ヶ月間公開(2008年2月18日まで)(2008年3月10日まで)
  • 原語部分を除去

以上、査読・ご指摘・修正などお願いします。--Mizusumashi 2007年12月11日 (火) 13:16 (UTC)--打消線部撤回・下線部追記:2007年12月24日 (月) 11:20 (UTC)[返信]

査読・修正、ありがとうございます。リンクの記法について、少し変更させていただきました。また、お時間があればですが、後半部分も同様に査読・修正していただければ、幸いです。なお、対訳形式でもう少し長く公開したほうがよいかと思い、予定の期間を延長いたしました。--Mizusumashi 2007年12月24日 (月) 11:20 (UTC)[返信]

ありがとうございます。赤リンクについても、問題ないものと思います(このへんはかなり感覚的なものですが)。「科学と言語の哲学」の節も、改めて推敲いたしました。もしお時間があればですが、こちらも、ご確認いただければ幸いです。--Mizusumashi 2008年1月7日 (月) 00:48 (UTC)[返信]

“isomorphism between language and reality as useless metaphysical speculation”

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次の原文は:

First Neurath rejects isomorphism between language and reality as useless metaphysical speculation, which would call for explaining how words and sentences could represent things in the external world.

まず、次のように訳され:

まず、ノイラートは、如何にして言葉と意味は外的世界の事物を表象しうるのかという説明を呼び起こしかねない無益な形状学的考察としての、言語と実在の同形性を否定した。

その後、次のように改変されました:

まず、ノイラートは、言語と実在の同型性を否定した。この同型性は、語と文が外部世界をどの様に表象し得るかという説明につながりかねない、無益な形而上的空想だという理由からである。

この部分は、おそらく「形而上学的存在論・認識論の両面から、言語と実在が相互に独立した位置をしめ、かつ何かしらの形而上学的(パトナムが「魔術的」と非難したような)指示関係が言語と実在の間に成立する」という哲学的構図全体を、無益な形而上学的思弁として退けた、ということで間違いないだろうと思います。

この文の趣旨はそうだとしても、訳文としてみるときに、

  • “as useless metaphysical speculation”が“reality”にかかっているとして訳したほうが良いのか、“isomorphism”にかかっているとして訳したほうが良いのか
  • その“as”はたんに理由を意味しているのか、それとも“reality”や“isomorphism”について、上記の構図のようなものとしての“reality”や“isomorphism”を拒絶したのである、と意味の限定を付加しているか

私には判断に迷います。

英文法的には“as”に限定修飾詞的な意味をないのかもしれませんが(あると思っていたんですが、自信がなくなってきました)、ノイラートがなんらかの意味での“reality”を肯定していなかったというのは考えがたく(因果がどこで働くというのだろう?)、また言語と実在の“isomorphism”を広い意味では肯定しいるだろうと思うので、やはりここは意味の限定的を加えているのだと考えたほうが良いのではないか、というところで判断がつきかねています。

皆様のご指摘・ご教授をいただければ幸いです。--Mizusumashi 2007年12月12日 (水) 12:22 (UTC)[返信]

まず、ノイラートは、言語と実在の同型性を無益な形而上的空想として否定した。そのような想定をしてしまえば、どうすれば語や文が外部世界の事物を表象することができるかを説明しなくてはいけなくなってしまうからである。

ではいかがでしょうか。wouldは非現実の仮定の帰結節、call forは物事が何かを必要としているという意味かと。他の部分はまた時間のあるときに。--tmonzenet 2007年12月12日 (水) 14:30 (UTC)[返信]

「おそらく……ということで間違いない」というのはおそらくなのか間違いないのかどっちだ、というのがとても気になりますが、それはさておき、as は isomorphism にかかります。改変訳は which の前のカンマを見落としていて、
まず、ノイラートは、言語と実在の同型性を無益な形而上的空想だとして退けた。これは、語と文が如何にして外部世界を表象し得るかの説明を求めることにつながろう。
あたりにすべきだったとおもいます (would をどう訳すかは前後の文との関係を含め要検討、非現実の仮定の帰結だとすると非現実の仮定がどこにあるのかで困惑中)。Isomorphism についてどういう態度だった (と記事の著者が考えている) かというのは、前パラグラフのウィトゲンシュタインに関するくだりから明らかで、isomorphism なんぞではなく coinside であると主張していると読むべきでしょう。ここで注意が必要なのは、coinside をどう訳すか、だと思います。私は英文を読んで coinsidence の意味での coinside、共存の意味だと考えました。一致だとは思いません。一致だと考えると isomorphism を拒否して、instead というのが意味をなさなくなると思います。最近流行のくだけた表現の哲学書風に言うと「ノイラートはウィトゲンシュタインの模型説的な同型を拒否したんだけど、同型じゃないとしたら、じゃぁ、どうやって文が世界を表せるわけ、ってなるよね。そこでノイラートがどう言ったかというと、そんなの偶然だよ、といったわけ。偶然といったって、まあ、たまたまいっしょにそこにある、という意味なんだけど、現実や真というのは文集合の整合性検証問題だと考えたんだな。」といったところでしょう (非現実の仮定というのは「同型じゃないとしたら」のことか!)。といってもノイラートの書いたものを読んだことがないので、説得力はありませんが。--Jms
初心者を苛めないでくださいX-)
ご教示ありがとうございました。英語力も哲学知識も、日本語力も未熟でお恥ずかしい限りです。
coincideについては、私も悩みました。私は、「共存」というよりも、「一つのものである」「文(命題)の真偽と実在は、どっちがどっちに(概念的に又時間的に)先行するというものでもない」ということかと、思っています。翻訳時は、coincideは「真理と実在は同時に現れる。同時だ・・・決して分かつことはできない・・・・!」(by 『アカギ』)ということだと理解するとうまく行くなぁと思いつつ、言語(命題)の真偽と実在とは「一つのものである」という意味でも「一致」で良いだろうということで、ひとまず「一致」としました。「共存」と「一つのものである」の両義性をとって、「分けることはできない」とすれば意訳しすぎでしょうか…--Mizusumashi 2007年12月12日 (水) 15:32 (UTC)[返信]
苛めたつもりはありませんが…。「おそらく」の件はまぁ要らぬお節介と受け取っていただければ。
一致。これは次の Either で始まる文をどう考えるかというキーポイントだと思います。Either の文で言っているのは、ある文が既存の検証済文の総体と整合しないなら、その文が間違っているか、または、検証済文のいずれかに修正が必要だ、ということでしょう。で、reality というのはこの検証済文の総体にあると言っているので、検証済文のどれかの修正というのは、新規の文を含めた全文に reality を一致させる、ということになろうかと思います。「一致させる」ものを「一致する」と書くのは問題で、「分けることはできない」すなわち「一体」あたりが適当だと思います。--Jms 2007年12月12日 (水) 15:51 (UTC)[返信]
すみません、「初心者を苛めないでくださいX-)」はジョークのつもりでした…
「一体」という訳語が「一致」よりははるかに優れていると思うので、その点は反映させます。
wouldについては、tmonzenetさんの文案にせよ、Jmsさんの文案にせよ今の訳よりは分かりやすく、要を得ていると思いますが、考えがまとまっていないので、今のところは私は反映を控えさせていただきます(他の方の編集はもちろん歓迎いたします)。--Mizusumashi 2007年12月12日 (水) 16:23 (UTC)[返信]

英文コメントアウト

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皆様のご協力により、だいぶんブラッシュアップされたと思いますので、英文をコメントアウトいたしました。

この後、2ヶ月間くらいコメントアウト状態で公開し、その後コメントアウトを除去しようかと考えていましたが、とくにそうする必要はないと考え直しました。数ヶ月は英文を(コメントアウト状態で)含んだまま公開したほうが良いだろうとの考えに変化はありませんが、その後どうするかは、また時期を見て考えてみたいと思います。--Mizusumashi 2008年1月12日 (土) 09:21 (UTC)[返信]