ノート:オスマン建築
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ビザンティン建築の影響
[編集]「オスマン建築」についてかなり独自のものとの強調をされていますが、少なくとも代表的な建築物であるモスクはほとんど「ビサティン建築」の代表的存在のアヤソフィアそっくりなんですが、本当にビザンティン建築の影響を受けていない、あるいは少ないという表現は適切なのか疑問を感じます。 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%83%93%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E5%BB%BA%E7%AF%89 「少なくとも内装に関しては云々」という記述もありますが、内装はインテリアであって、普通建築とは外観デザインと構造が一体不可分のもので、そちらの方がメインではないでしょうか? したがってアヤソフィアは「ビザンティン建築」の内装を改装しただけであり、その後に作られたアヤソフィア風のモスクも全ておおまかに言えば「ビザンティン建築」の範疇内ということになりませんか?(一市民)
- 結論から言うと、なりません。
- 初期のオスマン建築の解説にもあるように、もともとオスマン建築のモスクは中央に単一のドームが乗るシングル・ドーム形式から出発しているので、真ん中にドームのあるという点(だけ)は、最初からアヤソフィアとの類似性がありました。また、アヤソフィアは、オスマン帝国の第一級の格式を誇るモスクでしたし(なったと言うべきですが)、建築家スィナンもアヤソフィアの修復工事に携わったので、彼の設計したモスクや、彼の追従者が設計した金曜礼拝モスクの一部がアヤソフィアを模倣しているのは事実です。
- が、アヤソフィアがビンザンティン建築を代表する建築物であることに異論はありませんが、アヤソフィアはビザンティン建築の一般的形式ではないし、ましてやアヤソフィアがビザンティン建築のすべてというわけでもありません。教会堂に限って言えば、バシリカ、内接十字型、スクィンチ式、三葉型(トラコンチ)などがビザンティン建築の一般形式ですが、アヤソフィアはこの形式のどれでもありません。ビザンティン建築の項にもありますが、アヤソフィアが建設された時期をビザンティンに含めない考え方もあるほどです。もし、ビザンティン建築のすべての教会堂がアヤソフィアと同じ形式であったのなら、オスマン建築はビザンティン建築の影響を受けたと言えますが、そうではありません。ほかに、例えば住宅で男女の空間を分けることがビザンティンでもあったとか、宮殿のつくりがビザンティンでもキオスクの集合体であったとか、オスマン建築でバシリカ型モスク、三葉型モスクとかいったものがあったとか、いろいろな共通点があれば別ですが、単にアヤソフィアに似ている建物があるからといって、ビザンティン建築の影響を受けたとは言えません。
- ついでに言うと、現在のアヤソフィアの外部は、ミナレットをはじめ、オスマン帝国の時代に様々なものが追加されているので、普通の人が見ると、今現在とオリジナルとでは雰囲気がかなり違うと思われます。オリジナルと、例えばブルー・モスクを比べた場合、似ているかどうかは微妙ではないでしょうか(個人的には今現在でも、ブルー・モスクやイェニ・ジャーミイ、シェフザーデ・ジャーミイなどは、着想はアヤソフィアでしょうが、特に内部空間は違うと思います)。Hiro-o 2007年5月23日 (水) 12:06 (UTC)
そうですか?宗教上必要な部分が異なる(ミナレット等)のは当然のことですが、こと建築ということなると、本質的なことよりも小さな差異を積み上げて大きく論じられているような印象を受けますが?参考までにビザンティン建築の項も貼り付けておきました。 (一市民)
表記の統一
[編集]単語の表記を統一したほうがいいと思います。読み難いです。モスク、ジャーミイ、ジャーミーの混在。アヤソフィアとハギア・ソフィア大聖堂の混在など。--Minamialps 2007年9月15日 (土) 21:57 (UTC)
- 表記をアヤソフィア、ジャーミーですべて統一しました(したつもりです)。交差イーワーン・モスクの表記は建築形式の名称のため、ジャーミーにせず、モスクのままにしています。テンプレもはずしました。Hiro-o 2007年9月16日 (日) 08:45 (UTC)