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ノート:オカリナ

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閉管ではない?論

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現在の記事は「オカリナは大方の認識に反し閉管楽器ではない、そもそも管楽器ではない」との記述になっているようですが、倍音列からの考察からでもそういいきれるのでしょうか? 私もオシロ見たわけではないのですが、あの「鼻が詰まったような(失礼)」独特の音色はクラリネットの音色の印象に通じるものがあり、倍音がところどころ欠落していることに拠るような気がするのですが。また、倍音を含まないのが特徴であれば、電気的に合成した正弦波の音色は開管楽器であるフルートのほうに似ていることと相反してしまうように思えます。また、スライドホイッスルはオーバーブロー状態でも機能し、形状は明らかに管状であり、しかも音色がリコーダーよりオカリナに似ています。LR 2006年12月4日 (月) 03:13 (UTC)[返信]

発音原理の節の執筆に多少関わった者ですが、相当前のことなのでどこを自分が書いたのかは覚えていません。また、音の理論についてはド素人なのでトンチンカンなことを言っていたらごめんなさい。ただし、少なくとも2つの資料(小川堅二さんとSuiminさん−「参考文献」参照)が閉管楽器ではないと断定しているのでそれに従いました。また、倍音についてですが、これは言葉回しが多少改善の余地がありますね。音色に倍音が含まれていないのではなく、基本の音が倍音にジャンプしないと言いますか、例えばリコーダーなどで低音を出す時に息が強過ぎるとオクターブ高い音に飛んでしまいますが、オカリナではそれが原理上発生しない、というつもりのはずです。--朝彦 2006年12月6日 (水) 15:15 (UTC)[返信]
オカリナが管楽器ではない、というのは妥当で説得力があります。管長が想定出来ませんから。管楽器、少なくとも開管である金管楽器では管の太さは音量や音色のファクターとして各種モデルが設計できます。これは音程を支配しているのは管容積ではなく管長であることの証拠であり、そういうものが管楽器だ、といえると思います。
但し「閉管楽器」は前提として管楽器である必要があるのか、は疑問です。参考文献4に分類表とリストがありますが、閉管楽器定義2の後半部「基本振動の奇数倍音を生じる楽器」がオカリナに合致するか否かの検証をしていません。これはオシロスコープ見ないと判らないですよ。誰がどう見ても上下の口が開いているクラリネットが閉管に分類され、その原因とされる「円筒管」であるフルートが開管(の、むしろ代表)とされるのは、物理形状よりこの倍音列の要件が分類において決定的であることを示します。実のところ「管」と「開閉」は別のファクターなのに「管」ではないエアリード楽器が少なすぎて用語策定の際に考慮するのを忘れたのではないかとも思えます。なんにせよ「管」でなく倍音列が「閉」である楽器を分類する語がない以上、「管ではない」という理由で「閉管」を否定することは「閉」を同時に否定することになり不安を覚えます。その意味で、オカリナを閉管に分類する人達は外見に惑わされた粗忽者ばかりと断じていいのかが問われるとおもいます。個人的に特定の言説に強い説得力を感じたとしても、ここは原則通り両論併記とするべきではないでしょうか。
また現在の本文にある「音程は本体のトーンホール(穴)の面積の総和により決定され」は原理的に誤りです。これは共鳴空洞の容積が決定します。中途半端な実験をすると却って騙されますが(この主張をした方は引っかかったのでしょう)、同径の指穴を塞ぎ換えてみて音程の変わる組み合わせが一つでも見出せれば反証になり、それは数分も試行錯誤すれば確実に見出せます。LR 2006年12月7日 (木) 01:52 (UTC)[返信]
私はこちらには詳しくありませんので、下手なことを書かぬようこの件に関して書くのは避けることにします。もし必要とお考えでしたら、ご主張の論にそったNPOVな書き換えをお願い致します。またその際、検証可能であるよう、独自研究を記述するのは避け、出典を明示していただくようお願いします。この度はご指摘ありがとうございます。--朝彦 2006年12月7日 (木) 06:43 (UTC)[返信]

オカリナは管楽器ではない?

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個人HPの情報だけを「参考文献」として、オカリナがずいぶん特殊な楽器であるかのような記述になっていましたので、旧来の楽器分類法における問題点も踏まえて、できるだけ中立的かつ検証可能性を満たすよう書き直しました。--Tamie会話2013年7月28日 (日) 00:14 (UTC)[返信]


コメント依頼

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コメント依頼に伴い、利用者‐会話:Kagefumimaru#「オカリナ」に関してにおける議論の場所をこちらに移動します。

(議論の概要)利用者:Kagefumimaruオカリナへの編集に対し、利用者:Tamieが当該会話ページで異議をとなえ、両者の間で議論が開始されましたが、やがて議論の内容が具体性を失っていきました。そのため利用者:Kagefumimaruは当該記事を一旦全面的に編集し、英語版記事の抄訳を示すことで議論を誘導しようとしましたが、利用者:Tamieは議論を経ずに翻訳記事と過去の日本語版記事を統合する編集を開始したため、編集合戦が生じました。その後議論が再開されましたが平行線をたどっています。

以下、利用者‐会話:Kagefumimaru#「オカリナ」に関してより転記。

こんにちは。題記の件、いろいろ編集していただいているのは結構ですが、以前「フルート」「フラウト・トラヴェルソ」に関して書きましたとおり、Kagefumimaruさまは特定の部分だけに着目して編集し、全体の整合性を無視されているように思います。「概要」の部分に「外形だけでなく指穴の数や配置まで比較的自由に変更できるのは、後述の発音原理が関係している。」と書いてあるのですが、先ほどの編集で「発音原理」の部分に書いてあった該当部分が削除されてしまいました。出典も明記した上で書いている部分をなぜ簡単に削除されるのか、当方には理解できかねます。とりあえず前の版に戻させていただきますので、もし当方の記述に明らかな間違いがあるということでしたら、出典などを明記した上で書き換えていただけませんか。--Tamie会話2013年12月16日 (月) 22:58 (UTC)[返信]

「外形だけでなく指穴の数や配置まで比較的自由に変更できる」及び「オカリナの場合はヘルムホルツ共振器の持つ特性から、内部の体積に対する開口部の大きさ(開いている指孔の面積の総和)によって決まり、指孔の位置にはほとんど影響されない」といった記述は誤りです。親指の穴の場合を考えてみてください。またノートページのLRさんの発言も合わせてご覧ください。ご理解が頂けたら私の編集を元に戻していただく事を希望します--Kagefumimaru会話2013年12月17日 (火) 09:43 (UTC)[返信]
「比較的自由に」と書いてあるのは間違いではありません。「全く影響されない」とまでは書いておりません。親指穴も例外ではありません。運指表をじっくり眺めていただければおわかりになると思います。明確に誤りだとおっしゃるのであれば、なぜオカリナは多様な形状で作れるのか、説得力ある出典を示していただければ幸いです。
LRさんの発言は、「音程は本体のトーンホール(穴)の面積の総和により決定され」るというのは誤りだと言っているだけです。つまり、穴の面積だけでなく共鳴空洞の容積も影響すると言っているのです。残念ながら日本語のページはありませんが、記事の冒頭にある「Helmholtz resonator」の英文ページをご覧いただくと共振周波数が穴の面積の平方根に正比例し、空洞体積の平方根に反比例することがおわかりになると思います。私が出典として示している文献(脚注1です)にも同様の記述があります。特定のオカリナの空洞体積は一定ですから、そのオカリナから出る音の高さは、開いている穴の面積の総和で決まります。
大雑把な計算で恐縮ですが、例えば同じ大きさの穴が10個あるオカリナを想像してみます。穴を1個だけ開けたときと10個全部開けたときは、穴の面積が10倍変わります。周波数は面積の平方根に比例するのですから、10個開けたときの周波数は1個開けたときの約3.2倍(10の平方根)になり、おおよそ1.5オクターヴの音域があるということになるわけです。もちろん同じ大きさの穴だけでは、まともな音階にはならないわけですが。--Tamie会話2013年12月17日 (火) 10:20 (UTC)[返信]
もう一度LRさんの発言を読んでください。特定のオカリナの共鳴空洞体積は一定ではありません。親指穴に言及したのはその意味でです。--Kagefumimaru会話2013年12月17日 (火) 22:35 (UTC)[返信]
LRさんが「同径の指穴を塞ぎ換えてみて音程の変わる組み合わせが一つでも見出せれば反証になり、それは数分も試行錯誤すれば確実に見出せます。」と言っている部分でしょうか? 何度も申し上げますが、当方は「比較的自由に変更できる」と言っているだけで、「全く位置に影響されない」などとは書いていません。現実のオカリナは、ヘルムホルツが物理的モデルとして考えた共振器のようなほぼ完全な球体ではなく、ひしゃげた特有の形状をしていますから、LRさんが言われるように、位置に全く影響されないわけでありません。現実のオカリナは、こうしたいろいろな要因を考慮した上で指穴の配列や大きさを決めて作られています。しかし多くのオカリナは、ほとんどヘルムホルツ共振器と考えてよいほどの特性を持っているので、同じ径の指穴であれば、どれを開けてもほぼ同じ高さの音が出ます。親指穴も何ら例外ではなく、同じ大きさの他の穴を開けてもほぼ同じ効果が得られます。親指穴は他の穴と位置が全く違うので、上にも書きました通り完全に同じだなどとは申しませんが。
脚注1に抜粋を示した通り、工学の専門書も「オカリナの共振系はヘルムホルツ共振器をなしている」と明確に認めています。このように、私は信頼に足る出典(専門書)を複数挙げた上で記事を書いています。いずれも通俗的な解説書などではなく、大学で教科書あるいは副読本として用いることができるレベルの図書ですから、Wikipedia:検証可能性を十分満たしていると考えています。どうしても納得できないとおっしゃるのであれば、Kagefumimaruさまも個人的発言やネット上の情報などではない、信頼するに足る出典を明記した上で書き換えるようにしてください。LRさんの発言は独自研究に過ぎません。
先日のKagefumimaruさまの編集は、先にも書きましたように全体の整合性が取れていません。記事を編集されるときは一部にのみ着目するのでなく、記事全体をよく読んで整合性を崩すことのないよう、十分ご留意いただくようお願い致します。--Tamie会話2013年12月17日 (火) 23:25 (UTC)[返信]
私はオカリナがヘルムホルツ・レゾネーターとして機能していることや、音高の決定に、指穴の大きさが、その位置よりも重要性が高いことを否定しているわけではありません。しかし指穴の位置はそれなりに重要です。極端な例として、穴の代わりに容器を断絶する空隙を想定してください。空隙によって歌口から断絶された部分は共鳴容積から剥奪され、そこにある指穴は機能しません。程度は異なれど一般的なオカリナでも同様の現象が発生します。その程度を「比較的自由」であると表現するならば私はあえてそれを拒絶しません。しかし「ほとんど影響されない」と書くことはやはり認められません。また空気の粘性から、多数の小さな穴と、少数の大きな穴は、面積が同じでも同等には機能しません。そのため「面積の総和」という表現にも私は反対します。ところで私が親指に言及したのはその位置が他の穴と異なることを理由にしたものではありません。ほぼ同口径の親指穴が左右にあっても、両者にはあまり互換性がないということを申し上げたかったのみです。--Kagefumimaru会話2013年12月18日 (水) 10:11 (UTC)[返信]
何度でも申上げますが、私は「比較的自由」だと言っているだけであり、検証可能性を満たす文献も挙げています。だからといってKagefumimaruさまの主張が間違いだなどと言うつもりは毛頭ありませんが、検証可能性を満たす出典を提示することができないなら、それはあくまであなたの独自研究ですから、Wikipedia上で主張すべきことではありません。Wikipediaは百科事典であって、オカリナに関する技術書などではありませんから、微に入り細に渡って書くことが最良とは思いません。オカリナという楽器に対して思い入れが深く、もっと厳密に書くべきだということなら、Kagefumimaruさまの個人ホームページなど、自由な場で主張なさるべきでしょう。それだけでなく、Kagefumimaruさまは次から次へと議論をすりかえていこうとされていますから、これ以上議論しても、お互いに何も得るところがないと考えます。Wikipediaは「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:独自研究は載せない」の三大方針の下に運営されているということを、もう一度お考えいただければまことに幸いです。--Tamie会話2013年12月18日 (水) 10:57 (UTC)[返信]
私が議論をすり替えた箇所を具体的に指摘してください、私はそれが一貫した主張に基づくものであることを説明します。また私の主張の出典を要する箇所を具体的に挙げてください。私はそれに対して出典を示します。--Kagefumimaru会話2013年12月18日 (水) 11:21 (UTC)[返信]
「私が議論をすり替えた箇所を具体的に指摘してください」→ ご自分の書いた部分をもう一度お読みになってみてはいかがですか。それでおわかりにならないなら指摘しても無駄でしょう。
あなたは私の書いた記事から一部を削除されただけで、まだ何も書いていません。書くときに、私の書いたことが不適切で、あなたの書くことが適切であるということを示す出典を挙げればよいわけです。ここでの議論に出典を示しても意味がないと思いますので。
繰り返しになりますが、わたしはあなたの主張が間違いだなどと言っていません。検証可能性を満たす出典を示した上で、全体の整合性も崩さないよう留意して書いてくださいとお願いしています。そのように書いていただくなら何も申上げることはありません。--Tamie会話2013年12月18日 (水) 11:58 (UTC)[返信]
私は検証可能性を欠いたり、整合性を崩すような編集を行っていないと自負しています。あなたがそれを否定し、私の編集を取り消すのならば、あなたは私の誤っている点を具体的に指摘することが必要です。あなたが対話を拒否するならば、私は自身の行った編集を回復するでしょう--Kagefumimaru会話2013年12月18日 (水) 12:37 (UTC)[返信]
2013年12月16日 (月) 22:58 (UTC)に指摘した通りです。もう一度お読みになってみてください。私はこれ以上議論してもお互いに得るところがないと考えますが、この通り対話を拒否などせず、きちんと回答しています。
「フルート」「フラウト・トラヴェルソ」に関しても、整合性が失われたため、 2012年12月5日 (水) 11:48 (UTC)にお願いしたのです。--Tamie会話2013年12月18日 (水) 13:08 (UTC)[返信]
2013年12月16日 (月) 22:58 (UTC )において、あなたは私が整合性を欠いた編集を行った、と指摘しています。しかし私は「後述の発音原理」に対して「気柱ではなく空洞が共振する」という記述を対応するものとし整合性を確保しました。また「フラウト・トラヴェルソ」の編集において失われた整合性とは何でしょうか。--Kagefumimaru会話2013年12月18日 (水) 13:20 (UTC)[返信]

(インデント戻します)

「概要」の部分に「外形だけでなく指穴の数や配置まで比較的自由に変更できるのは、後述の発音原理が関係している。」と書いてあり、「発音原理」の部分に「音高は、リコーダーやフルートの場合、エッジから音孔(指穴)までの距離よってほぼ定まるのに対し、オカリナの場合はヘルムホルツ共振器の持つ特性から、内部の体積に対する開口部の大きさ(開いている指孔の面積の総和)によって決まり、指孔の位置にはほとんど影響されない[1][3]。このため、オカリナは指穴の位置を比較的自由に配置することができる。」と書いてあったわけですが、この「発音原理」の方の該当部分だけが削除されてしまいました。このため、「概要」との間の整合性が失われたということです。「気柱ではなく空洞が共振する」ということとは関係がありません。

「フラウト・トラヴェルソ」に関しては、「D-dur(ニ長調)、G-dur(ト長調)、A-dur(イ長調)は比較的大きな音量で演奏できるが、それ以外の調ではクロスフィンガリングによって出す弱々しく不安定な半音が多くなるため、演奏は容易ではない。」という部分が削除されてしまったために、そのすぐ後に続く「古典派以降の時代になると、より多くの調に対応できるよう、半音を出すための...」という部分と話がつながらなくなってしまったということです。このため私はあなたが削除した部分の直前に「長調について考えると、」という文を加えて復活させ、あなたの了承をもらったわけです。--Tamie会話2013年12月19日 (木) 04:32 (UTC)[返信]

あなたが挙げた「音高はリコーダーや~」の記述は「気柱ではなく空洞が共振する」と同義です。もしより詳しく説明がなされるべきだということでしたら私はそれに賛成します。しかし「音高は、リコーダーやフルートの場合、エッジから音孔(指穴)までの距離よってほぼ定まる」「開いている指孔の面積の総和」「指孔の位置にはほとんど影響されない」という記述は、私はこれを不正確な表現であると考え、反対します。「フラウト・トラヴェルソ」に関する私の編集は、古典派以前のフルートが派生音をどの程度出せたのかという情報を失わせましたが、記事全体の整合性は保たれています。私は記事が誤っているよりは不完全であるほうがましであると考えます。それから、円滑な議論のために、自身の発言を編集する場合は、書き換えるのではなく、後に追加していく形を取るようにお願いします。--Kagefumimaru会話2013年12月19日 (木) 09:46 (UTC)[返信]
Kagefumimaruさまが結局何をどうすべきだとおっしゃりたいのか、わたしにはどうもよくわかりません。ここでわたし個人に対して賛成だ反対だと言ってみたところで、何も始まらないのではないでしょうか。現在の記事内容にご不満があるなら、どんどん記事を改良していただけばよいのではないかと思うのです。現在のオカリナの記事は確かにほとんど私が書いたものですが、Wikpediaは別に私個人のものではありませんから、より深い知見をお持ちの方が記事をより良いものにしてくださるのなら、それを妨げるようなことをするつもりは一切ありません。ただ、記事を編集されるときは、必ず検証可能性を満たす出典を示していただきたいということと、全体の整合性に常に配慮していただきたいと申上げているだけです。
最後にもうひとつだけ申上げますが、記事を書いている多くの人は、多分みなさんそれなりに苦労していると思います。既に知っていることだけを書いているわけではなく、いろいろ文献なども調べ、何度も文章を練り直したりして書いているのだと思います。小さな記事であっても、読んでくださる人に言いたいことが正しく伝わる文章を書くのは決して容易なことではありません。ですからKagefumimaruさまも、記事はそれなりの努力と苦労の下に書かれているのだということを理解して、たとえあなたが気に入らない、あるいは不正確だと思うようなところがあったとしても、いきなり不整合を生ずるような削除はなさらず、さらに良い記事にするにはどうしたらよいかという視点から十分お考えになった上で編集するようにしていただけたらと思う次第です。--Tamie会話2013年12月19日 (木) 13:38 (UTC)[返信]
「何をどうすべきだとおっしゃりたいのか、わたしにはどうもよくわかりません。」私は最初に書きました「ご理解が頂けたら私の編集を元に戻していただく事を希望します」--Kagefumimaru会話2013年12月19日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
申し訳ありませんが、ご要望には沿いかねます。なぜならあなたの編集された版には不整合がある上、わたしの編集は不適切で、あなたの編集が適切であるということの根拠となる出典が示されていないからです。
あなたご自身が編集なさることに、わたしは一切クレームなどつけておりません。ただ、記事を編集される際には、ぜひ下記の点にご留意いただきたいということをお願いしているだけです。
  • 必ず検証可能性を満たす出典を示していただきたい。
  • 全体の整合性に十分配慮していただきたい。
--Tamie会話2013年12月19日 (木) 22:40 (UTC)[返信]
先にすでに申し上げたように、出典が必要な箇所と整合性が欠けている箇所を具体的に示してください。--Kagefumimaru会話2013年12月20日 (金) 09:29 (UTC)[返信]
既に書きました。同じことを何度も訊かず、読み直してください。--Tamie会話2013年12月20日 (金) 13:52 (UTC)[返信]
すでに書かれたことに対しては全て答えています。--Kagefumimaru会話2013年12月20日 (金) 14:17 (UTC)[返信]

具体的な内容を持った議論が困難であると考えられるので、理解が得られる解決案として英語版の一部を翻訳しオカリナ記事をこれに置き換えました。これは提案であって、この方法が議論の余地のないものとは私は考えていません。問題点があれば指摘願います。--Kagefumimaru会話2013年12月20日 (金) 15:16 (UTC)[返信]

拝見しました。このような良い記事が書けるのに、なぜ他人が書いた記事を一部分だけ削除して不整合を生ずるようなことをされるのか、不思議でなりません。さんざん議論しても言っていることが伝わらないようですから、多分同じ日本語でも違う世界に住んでいる方なんでしょうね。いまのところ内容に特段の問題点があるようには思いませんが...
次の部分は少しことばを変えた方が良いと思います。
  • 空気がリップに当たり、音を発生させる。→ 空気がリップに当たり、振動を発生させる。
  • オカリナ内部の空気が振動する。→ オカリナ内部の空気が共振する。
使われている図の中の「リップ」とされている部分の表現には疑問を感じます。現在のオカリナの振動源となる部分は、ほとんどリコーダーと同様にエアビームを作る狭い流路とエッジを持つ構造だと思いますが、この図に示されているようなエッジの無い滑らかな喉を持ったオカリナも存在するのですか。わたしはこの疑問があったので、英語版の図をあえて使いませんでした。--Tamie会話2013年12月20日 (金) 23:05 (UTC)[返信]
「音を発生させる」「振動する」の箇所は原文ではそれぞれ "sound" "vibrates" とあるところです。"sound"を「振動する」と訳したり"vibrates"を「共振する」と訳すことは適切ではありません。図は単に断面を表したもので、リップなどの構造を示したものではありません。

そして私が全文を英語版の翻訳に置き換え、過去の日本語版の記述をすべて破棄したのは、検証可能性と整合性ある記事を保つためです。過去の日本語版の記事を英語版の翻訳文に混ぜ合わせることは良い結果を産みません。もし記述を加えるのであれば翻訳文を原文に逆らって変更するべきではありません。それは整合性を破壊します。それよりもまず英語版のより完全な翻訳を作成し、それを検証することが必要なことだと私は考えています--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 05:21 (UTC)[返信]

対話を拒否するなどと言ったことはありません。しかし、いったいいつまで対話せよ、いつまで記事を編集するなとおっしゃるのでしょうか。Wikipediaはわたし個人のものではないのと同様に、あなた個人のものでもありません。
英語版を翻訳してすむなら、始めからわたしもそうしていました。もちろん英語版など無視してよいなどという不遜なことを申すつもりは決してありませんが、私は日本人ですから、日本において得られる情報を主体として書いており、権威ある学術書も提示しています。検証可能性と整合性ある記事を保つために、いったん白紙に戻す必要など全くありません。英語版をより完全に翻訳する作業はあなたのサンドボックス上で揉んでいただき、既にある記事とどのようにしたら整合性を保って記事の質を上げられるかを考えていただきたいと思います。現状ではあなたの記事は、旧版に及びません。
あなたは私の書いた記事をいきなり削除しましたが、読んでいただければわかる通り、わたしは基本的にあなたの書かれた内容を勝手に削除などしておりません。あなただけでなく、これまで書いてこられた方々全ての記述を、できる限り活かして、できるだけ記事を良いものにしようと努力してきました。みな少しでも記事を良いものにするために貢献したいと願っているのです。お互いあまりピリピリせず、より良い記事にするために協力していきませんか。
--Tamie会話2013年12月21日 (土) 06:03 (UTC)[返信]
ところで、あなたは参考文献として何語だかわからないようなものまで挙げておられますが、あなたはほんとうにこれらをお読みになっているのですか? 間違いなく記事の通りの内容が書かれていることを確認されていますか? わたしは自分の挙げた文献を全て所有しているので、内容を確認した上で書いているのですが、単に英語版に書いてあるからというだけでは、検証可能性を満たしていると言えないと思うのですが...--Tamie会話2013年12月21日 (土) 06:27 (UTC)[返信]
私は過去の日本語版の記述が不正確であると考え、そこから一部の記述を除去しました。それに対してあなたは反論し、私は説明をしましたが、あなたは納得されませんでした。そのため私は第3者の観点から整合性と検証可能性が保証されたものとして英語版の翻訳を示しました。あなたが英語版の記述の妥当性をどのように判断したかは不明です。しかしその後あなたは記事を編集し、それを再び私が不正確であると考えるものにしました。あなたは自身の編集によって、より正確な表現を目指したのかもしれませんが、私にとっては逆に映ります。そこで私自身の見解に基づいた記述に置き換えても理解を得ることは難しいでしょう。そのため私は私が考えたのではない英語版の記事によってより妥当である表現を目指したのです。もちろん私は英語版に示されている文献をすべて読んだわけではありませんが、英語版記事の妥当性は英語版ウィキペディアの利用者に担保されています。私は可能な限り原文に忠実に翻訳することでそれを維持しました。もし過去の日本語版の記事が英語版を補足できる内容を持つと判断するならば、書き換えるのではなく、まずそれを脚注の形で示すことを提案します。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 06:58 (UTC)[返信]
あなたの日本語はほんとうにわからないです。英語版が正しくて、日本語版は不正確であると断ずるあなたの根拠は、まだ何も示されておりません。あなたは英語版を翻訳しただけです。何度も申しますが、あなた自身がどう考えるかはあなたのWikipedia:独自研究に過ぎないのです。あなたの英語版の翻訳を読みましたが、日本語版の方がよほど正確に書いてあるとしか思えませんし、その根拠となる文献も挙げています。あなたはわたしの挙げている文献も読んだことはないのでしょう? その上英語版は英語版の利用者が妥当性を担保しているとおっしゃるだけです。要するに何も根拠が無いということですよね。
日本語版のここが間違っていて、英語版の方が正しいですよという根拠が示されれば、その部分を書き換えていただいても何ら申上げることはありません。日本語版の文献は、最悪国会図書館へ行けばありますが、英語版に書かれている文献はどこへ行ったら手に入るのかすらわたしにはわかりませんから、いくら英語版の正確な翻訳を示されても、それだけでは根拠を示したことになりません。
Wikipediaはあなた個人のものではありませんから、わたしに編集するなと命ずるのは適切な行為と思えません。わたしはわたしが調べた情報に基づいて書いています。人間ですから間違いがないなどとは申しませんが、書いた記事を何の根拠もなく削除されるのはやはり不愉快ですし、あなたもそうではありませんか。何度も申しますが、あなたの編集はまだ日本語版に及びません。わたしはこうして会話に応じているのですから、つまらないリバート合戦などせず、もっと冷静になっていただけませんか。
--Tamie会話2013年12月21日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
私はどちらが正しいか、ということより、どのようにしたら合意を形成できるかということを焦点にしています。私にとって英語版に記事は完全ではありませんし、あなたにとっても完全ではないと思われます。それを検証する過程で、変更が必要と両者が一致した記述は変更し、意見が相違した場合はたとえ些細な表現と思われるものでも変更を加えない、という手続きによって合意を達成できると思います。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 07:58 (UTC)[返信]
つまり英語版の記事は、あなたにとっての私の見解、及び、私にとってのあなたの見解、に対して常に上位の保証をもった記述として現れることができます。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 08:07 (UTC)[返信]
意見が相違しているのに、全文を書き換えているのはあなたです。わたしではありませんよ。わたしの編集の方が先にあったのですから。
「つまり英語版の記事は、あなたにとっての私の見解、及び、私にとってのあなたの見解、に対して常に上位の保証をもった記述として現れることができます。」← この文、とてもまともな日本語とは思えません。失礼ですがKagefumimaruさまは日本人ではないのですか? なぜ「英語版は上位の保証をもった記述として現れる」のですか? 誰がどういう理屈でそういうことを保証しているのでしょうか? ぜひご教示ください。--Tamie会話2013年12月21日 (土) 08:17 (UTC)[返信]
私は日本人です。「英語版は上位の保証をもった記述として現れる」のは、私達の双方がその編集に携わっていない、第3者によるもので、しかもそれが単独の人間によるものではないからです。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 08:26 (UTC)[返信]
失礼致しました。
「私達の双方がその編集に携わっていない、第3者によるもので、しかもそれが単独の人間によるものではない」ことは多分その通りだと思いますが、「だから上位の保証をもった記述として現れる」ことになるのですか? 全然わかりません... わたしも一応大学を出た人間なのですが、もしかしたらわたしの方が日本人ではなかったのかな... 何か深遠な哲学的理論があるのですか?--Tamie会話2013年12月21日 (土) 08:36 (UTC)[返信]
まず、2人の争いの仲裁に入る人間は、どちらとも無関係であることが望ましいです。これは理解されますか。しかし仲裁者が1人である場合は、その判断の確かさは、争っている2人より優れているとは必ずしも言えません。しかしそれが多くの人間による意見であるなら、おそらくそれは争っている2人よりも正しい判断をするでしょう。これも理解していただけるでしょうか。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 08:49 (UTC)[返信]
英語版は別に仲裁に入っているわけでも何でもありません。英語版を書いている人が、わたしたちより高いレベルの知識と知性の持ち主であるという保証もどこにもありませんね。裁判官か何かなら少しはわからないでもありませんが、英語版を書いている連中だって我々とどっこいどっこいではないのですか? あなたは外人コンプレックスでもあるのですか? わたしは引退するまである技術の開発にずっと従事してきましたが、その間ただの一度も外国の技術に負けたことがありません。上位に立てるほどの連中には思えません。--Tamie会話2013年12月21日 (土) 08:59 (UTC)[返信]
私は英語版を仲裁に入れているのです。そして私は一人の編集者個人の資質を問うているわけではなく、それが複数であるため、私達の双方各個人の意見よりも信頼性が高いと言っているのです。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 09:19 (UTC)[返信]
それはあなたの勝手な理屈でしょう? わたしはそんなものに同意しておりません。複数であろうと何であろうと、そんなことは信頼性と何の関係もありません。日本語版だって、わたしだけでなく複数の人間が書いてきたんですよ。あなたの主張はことごとく破綻していますね。--Tamie会話2013年12月21日 (土) 09:37 (UTC)[返信]
ではあなたはどのような仲裁者の導入に対して同意しますか--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 09:45 (UTC)[返信]
子どもじゃあるまいし、なぜ仲裁者が必要なのですか? 同意というのは当事者間で行えば十分。わたしはあなたの編集も無視などしておりません。一方的に無視しているのはあなたです。仲裁者がいたって何の役にも立ちませんよね。--Tamie会話2013年12月21日 (土) 09:52 (UTC)[返信]
ではあなたの考える合意形成のための手続きはどのようなものですか。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 09:53 (UTC)[返信]
いったん旧版に戻し、そこから改変案を双方で検討し、合意の成立した部分を書き換えていけば、最もスムーズにいくのではないでしょうか。一気にやるのは難しいでしょうから、段階的に進めるというのはいかがですか? わたしがあなたの編集を組み込んで書いた版から始めてもいいし、あなたが最初に編集する前の版まで戻ってもいいし、そこはあなたの同意がいただけるところで結構です。
--Tamie会話2013年12月21日 (土) 10:31 (UTC)[返信]
版を巻き戻すとするなら、あなたが編集に参加する以前の 2012年10月3日 (水) 16:41 の版となります。しかしこれは下書きとしてもあまりに不十分に思えます。これを元に合意が達成されてもあとに残される記事は無残なものでしょう。わたしはそれでも論争が長引くよりはましだと考えることができますが、あなたはどうでしょうか。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 10:38 (UTC)[返信]
2012年10月3日まで戻ったら無残なものになるだろうというご意見には無条件に同意しますよ。(笑)始めたときの苦労が多少はわかっていただけましたかね。
今回の議論は、あなたがわたしの書いた版を編集したことから起きた一件ですから、12月14日まで戻れば十分ではありませんか。--Tamie会話2013年12月21日 (土) 11:29 (UTC)[返信]
中立性の観点から、日本語版を巻き戻すならあなたの編集以前でなければなりません。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 11:40 (UTC)[返信]
この件はあなたが関与したときから始まったのですから、それ以前に戻れと言われても同意できません。
明日早いので、今日はもう寝ます。悪しからず。--Tamie会話2013年12月21日 (土) 12:23 (UTC)[返信]
ではあなたが考える他の合意形成のための手続きはどのようなものですか。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 12:25 (UTC)[返信]

あなたからの返答を待つ間に私の方からも合意形成の手続き案を提出します。まず現在のオカリナの記事は英語版の一部を単に訳しただけのもので(ゼルダの伝説 時のオカリナに関する部分は訳していません、必要であれば訳します)、私達双方のどちらの見解にも基づいていません。しかしこの翻訳を純粋な形で載せるために、過去の版の中の出典に準拠しているはずの部分を削除しています。したがって当然あなたは該当箇所を出典に則した形で再び載せることができます。しかしその際に翻訳文の必ずしも出典の明確でない部分や、明らかに誤っていると考えられる部分でも、これを独断で編集したり、記述の途中に新たな記述を挿入したりしないでください。それは記述の整合性を崩す可能性が高いです。その必要があると考えられる場合は具体的な記述案について相談をして決めましょう。それによって確実に合意に近づけるはずです。そして全体の完全な記述が双方の合意に基づいて完成するまでは、現在の記事に編集を加える事は控え、英語版の不備にお互いに不満を抱えていましょう。--Kagefumimaru会話2013年12月21日 (土) 15:23 (UTC)[返信]

わたしは3月以来、この記事を少しでも良いものにしたいと思って努力してきました。あなたは新参者なのですから、あなたが関与する直前の状態から始めるのが当然であり、あなたの翻訳から始めよと強要するのは不遜です。わたしの書いた記事を勝手に削除しておきながら、なぜ一切手を加えるななどと言えるのですか?
わたしも自分の編集が最良だなどと主張しているわけではありませんから、検証可能性を満たす出典があるなら、どのような変更に対しても議論には応じます。最終的に英語版の翻訳に近い内容になったとしても、何ら異存はありません。
しかし、当面英語版の翻訳を掲げておくのが妥当だとおっしゃるなら、そのように考える根拠をあなたがまず提示すべきです。英語版に示されている参考文献は、双方とも見たこともないのですから、英語版の妥当性など議論しようがないではありませんか。妥当性があるかないかもわからないものの整合性だけ護ったところで何の意味があるのですか? 英語版なら中立性があるとおっしゃるが、それは単にあなたにとっての中立性にすぎないでしょう。なぜ「英語版の不備」に、わたしまでが「不満を抱えて」いかなければならないのですか? 全く理解できません。
--Tamie会話2013年12月21日 (土) 23:05 (UTC)[返信]
期間は関係ありません、2012年10月3日 (水) 16:41 の版以降、私が参与するまでのの編集はほぼあなただけによって為されており、それは1回の編集と等価です。英語版の翻訳を掲げておくのが妥当なのは、それが両者にとって中立な内容だからです。同じく 2012年10月3日 (水) 16:41 の版も同等の中立性を有しています。原文の整合性を守ることに意味があるのは、その整合性の確立が私達両者以外によって為されているからです。整合性を巡って対立が生じた場合、私達は原文の整合性を優先することで対立を回避することができます--Kagefumimaru会話2013年12月22日 (日) 01:26 (UTC)[返信]
わかりません。全てあなたの一方的な論理ですよね。あなたのいう「中立性」に、わたしは同意していないのですから。「同意」とは記事の内容だけに関するものではないでしょう。
あなたは「原文」といわれますが、どうして英語版だけが原文で、日本語版は原文ではないのですか? わたしが書いた版は、出典も明示してあり、整合性がありました。あなたが一方的に一部を削除したために整合性が失われてしまいましたが。
英語版にも参考文献は示されていますが、われわれの手許にはないのですから、本文に整合性があるかどうか確認しようがありませんね。それなのにどうして英語版には整合性があり、わたしの書いた日本語版には整合性がないと言い切れるのか、その根拠を示してください。
--Tamie会話2013年12月22日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
あなたはあなたの書いた文の整合性を証明することはできません。もし私の提示する中立性に納得がいかない場合は、あなたはWikipedia:コメント依頼で合意形成のためのコメントを募り、第3者の客観的な意見を仰ぐことができます。--Kagefumimaru会話2013年12月22日 (日) 05:13 (UTC)[返信]
それもあなたの一方的な論理でしょう。わたしの版は「概要」と「発音原理」との記述に整合性を保っておりました。あなたがそれを崩したのです。そういうことをしておきながら、英語版の整合性は崩したくないとおっしゃるから、どうして英語版にだけ整合性があって、わたしの版には整合性がないと言い切れるのですかとお尋ねしているのです。
あなたはすぐに仲裁者を立てたがるんですね。あなたの中立性こそ正しいとおっしゃるなら、あなたこそWikipedia:コメント依頼で意見を募り、わたしの方が間違っているというコメントを集めるべきでしょう。しかし、あなたは一方的にあなたの基準による中立性を主張し、全く譲歩の余地がないとおっしゃるだけですから、たとえどんなコメントが集まったところで、合意形成に至る見込みはありませんよね。
わたしはただ、わたしの版が先にあったのだから、そこからスタートしましょうと提案しているだけで、そうしたからといって何ら不都合は生じないと考えるからです。あなたの提案する内容が検証可能性を満たすなら、いくらでも取り入れますし、わたしの書いた部分に不要・不適切と判断される部分があれば削りますし、そうした際に整合性を保つための労力も惜しまないつもりです。
--Tamie会話2013年12月22日 (日) 08:06 (UTC)[返信]
コメントの依頼はあなたが納得出来る形で、あなたが行っていただくことを希望します。私は、あなたの他に一人でもあなたを支持する人が居れば、オカリナ記事に対する私の編集をすべて取り消します。--Kagefumimaru会話2013年12月22日 (日) 08:26 (UTC)[返信]
あなたは後から入ってきたのですから、あなたが動くのが当然です。わたしはWikipediaの3大方針に反することがないよう、完全などとは言いませんが、最大限努力しているつもりなので、他の人の意見を聞く必要を感じていません。
あなたがWikipediaの記事を編集するのが自由であるのと同じくらい、わたしも自由です。Wikipediaの記事である以上、誰かがあなたの記事に手を加えたからといって異議を申し立てることはできません。
--Tamie会話2013年12月22日 (日) 11:32 (UTC)[返信]
私がコメント依頼をする場合、コメント依頼の文面と、議論場所、これまでの議論の経緯についてのまとめ、の内容に関してあなたの了承を得る必要があります。それならばあなたが直接コメント依頼をするほうが合理的です。私はあなたのコメント依頼に関して何も異議を挟むつもりはありません。--Kagefumimaru会話2013年12月22日 (日) 12:10 (UTC)[返信]
そして「他人の意見を聞く必要がない」というあなたの態度は、ウィキペディアのガイドラインWikipedia:合意形成に反したものです。--Kagefumimaru会話2013年12月22日 (日) 12:23 (UTC)[返信]
わたしがコメントを依頼するとしても同じ手間なのではありませんか。この議論はあなたの「会話」ページで行っているのだし、あなたが後から入ってきたのですから、そういう手間をかけてでも意見を求めるのはあなたの仕事です。わたしもあなたのコメント依頼に関して何も異議を挟むつもりはありませんよ。
「他人の意見を聞く必要がない」と言って一歩も譲らないのはあなたですから、そのことばはそっくりあなたにお返しします。わたしは旧版も検証可能性と整合性を一応保っていたのだから、無視せずにそこから出発しましょうと提案しているだけです。わたしは記事の一部を削除して、整合性を失わせるような行為はしておりませんし、何の権利もないのに他人に対して記事を改変するななどと命じたこともありません。どうぞ他のウィキペディアンのご意見を聞いてみてください。
--Tamie会話2013年12月22日 (日) 22:58 (UTC)[返信]
私はコメントを募った後、納得し議論の結果を出すための条件を示しました。即ち私は、あなたの他に一人でもあなたを支持する人が居れば、オカリナ記事に対する私の編集をすべて取り消します。あなたがコメントの依頼に同意するのであれば、納得するための条件を示してください。もちろんそれは私と同条件である必要はありません、あなたの任意で、コメントを議論を健全化に役立てるための方法を事前に決めてください。あるいはあなたが納得する形で自らコメントを依頼してください。それはあなたが依頼したコメントであれば、あなたは納得せざるをえないでしょうから条件を示す必要はないからです。--Kagefumimaru会話2013年12月23日 (月) 01:13 (UTC)[返信]
あなたがそうしたいならそうすればよいでしょう。でも、あなたの主張の方が妥当だと言う意見の方が多い可能性だってありますよ。
ただ、英語版を「原文」とすべきだというあなたの主張の方が妥当だという意見が大勢を占めたとしても、だからといってあなたは他人に対して記事を勝手に改変するなと命ずる権利が得られるわけではありません。なぜならWikipediaは誰でも参加できるコミュニティであり、他人に記事を改変してほしくない人が集うところではないからです。わたしは決して記事を荒らしているわけではなく、検証可能性や中立性に極力配慮して書いているつもりですから、「原文」に関しては引き下がることになったとしても、それだからといってWikipediaから締め出されることはないだろうと思います。あなたでもわたしでもない第三者が新たに編集に加わることだって当然あり得ます。あなたのコメント依頼の結果がどうであろうと、それであなたの願望が全て満たされることになるでしょうか? そんな手間をかけて、いったい何の意味があるのか、わたしには理解できません。
--Tamie会話2013年12月23日 (月) 12:56 (UTC)[返信]

(転記ここまで)--Kagefumimaru会話2013年12月23日 (月) 22:33 (UTC)[返信]

コメント欄

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コメント 12月に入ってからのKagefumimaruさんの編集にも有益なものがあったと思いますから、「オカリナ記事に対する私の編集をすべて取り消」すような極端なことをする必要はないと思いますが、12月21日に3度に亘って差し戻しを行う、というWikipedia:Three-revert ruleに抵触する寸前の編集は如何なものかと思います。このような強引な編集姿勢については支持できません。--Gruppetto会話2013年12月24日 (火) 15:17 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。このGruppettoさんのコメントはTamieさんへの支持表明と考えて良いのでしょうか。その場合は必要の如何によらず、約束に従って私の過去の編集をすべて取り消します。--Kagefumimaru会話2013年12月24日 (火) 15:59 (UTC)[返信]
コメント「aさんを支持するのかbさんを支持するのか=aさんの書いた記事かbさんの書いた記事か」のような単純な二者択一の問題にしない方が良いと思います。とりあえず英語版の翻訳に差し替える前の12月16日23:22(UTC)の版に戻すのはどうでしょうか?それと、私以外の他の方のコメントも待った方が良いかと思います。--Gruppetto会話2013年12月24日 (火) 16:23 (UTC)[返信]

コメント 私もとりあえず英語版の翻訳に差し替える前の12月16日23:22(UTC)の版に戻すのが良いと思います。(合意の後、日本語版になくて英語版に存在する情報を加える方が良いでしょう) 一見高度なお話しのようですが、簡単に言えば、オカリナは「ヘルムホルツ共振器」系の楽器であるとされている。 A「だから理論的にはどの指穴を塞いでも塞がれた数が同じであれば同じ音階になるはずだ(つまり設計が自由にできやすい楽器だ)」B「理論はそうだけど実際はそうはならないから間違い。特に親指穴の場合は顕著に影響する」A「その差は顕著というほどでもなく似たような音になるし、設計が完全に自由なんて誰も言っていない」という議論の流れということで良いでしょうか。 それで概要中の「後述するように・・・」の部分を突然削除されたから後の文章が整合性の欠けた変な文章になったと。--Gyulfox会話2014年1月6日 (月) 08:24 (UTC)[返信]

私は 2013年12月18日 (水) 13:20 (UTC) に発言したように「後述の発音原理」には「気柱ではなく空洞が共振する」を対応するものとして、それで十分な整合性がとれていると考えています。--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 10:24 (UTC)[返信]
Kagefumimaruさんはそう思うけれど、Tamieさんはそう思わないのです。これが問題の核心のように思いますが、Kagefumimaruさんは出典なしで、Tamieさんは出典ありみたいなのですが、その点はどう思われるのでしょうか。
「整合性」すなわち「意味の通じる文章になっている」事をどのような出典を持って示せばよいのでしょうか。--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 12:16 (UTC)[返信]
「意味の通じる文章になっている」と主張するのはあなたで、相手さんはそうは思っていないのが今回の問題の核心ではないのでしょうか。 ウィキペディアはあくまでも出典主義ですので、出典をお持ちでなければ正しくても100日頑張っても無理ですから、出典持ちの相手に譲る他ないように思うのですがいかがでしょう? 戻せば大損害だと思われるのでしょうか? --Gyulfox会話2014年1月6日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
ですから「出典」とは具体的に何に対する出典なのでしょうか。私はそれについて再三問を発しています。しかし返答が得られず、私の提示する「整合性」についても回答が得られなかったため。私は具体的な議論の足場として整合性と検証可能性の保証された英語版の翻訳をそのまま放り出すという手段に出たわけです。こうまですればとりあえず具体的な文の吟味に関する議論が可能と私は思ったのですが、失敗だったようです。議論は始まりませんでした--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 12:36 (UTC)[返信]
Gyulfoxさんには「整合性」と「出典」の間にどのような関係があるとお考えなのでしょうか。出典を示すことで整合性が保証されるという場合の例を示して頂けませんか。--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 13:01 (UTC)[返信]
だから、出典として何を示せば良いのかわからない状態で、何にせよ出典付文章をザックリやったわけですよね。 その結果出典が述べていないような文章になったわけです。 提示済みの出典内容と書かれた文章との整合性が取れなくなったわけですから、クレームがついても普通と思います。 通常ならそこでゴメンで終わるのですが、そこで頑張って相手に戻させないところに無理があると思います。 それから翻訳に関してはKagefumimaruさんの貢献ですが、出典付文章を上書きされてしまったのは、お言葉どおり失敗でしたね。相手を無視して上書きして議論がはかどるわけがないと思います。 とりあえず翻訳文はノート上に展開して相手の意見を聞くべきだったように思います。--Gyulfox会話2014年1月6日 (月) 13:09 (UTC)[返信]
提示済みの出典内容と書かれた文章との整合性が取れなくなったというような編集は私は行っていません。そのような箇所がありましたらご指摘願います--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 13:14 (UTC)[返信]
通常その主張ができるのは元の出典を取り寄せた方だけです。 何にせよ私は第三者意見としてこれを述べていますので、反論してもあまり意味がないでしょう。 とにかく私を含めてとりあえず英語版の翻訳に差し替える前の12月16日23:22(UTC)の版に戻すのが良いのではないかという意見がふたつ出たことになります。--Gyulfox会話2014年1月6日 (月) 13:29 (UTC)[返信]
Gyulfoxさんが、他の版ではなく 12月16日23:22(UTC) の版に戻すのか適当と判断する理由は何でしょうか--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 13:34 (UTC)[返信]
翻訳という貢献はあるにせよ、突然行われた強引な上書きは合意形成の過程で支持できないと思ったからです。--Gyulfox会話2014年1月6日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
私が翻訳文を載せる直前の版だから、という意味でしょうか。それは即ち議論が進行不能となった地点なのですが、これをどう解決していくべきでしょうか。--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 13:51 (UTC)[返信]
横から失礼致します。「突然行われた強引な上書きは合意形成の過程で支持できない」というGyulfoxさんの意見には私も同感です。議論が進行不能となった原因にはKagefumimaruさんの頑な姿勢もあると思いますから、その点を御考慮頂けたらと思います。--Gruppetto会話2014年1月6日 (月) 14:05 (UTC)[返信]
私の改めるべき姿勢、つまり頑なでない、理解を得られそうな提案というのは、どのようであるべきでしょうか。ちなみに英語版の翻訳は「整合性」を満たす具体的な例として示したのみで、すぐに消しても良かったものです。ただそれに恣意的な改変を加えていくと、もはや例としての役に立たないので慌てて差し戻しをした結果編集合戦となってしまいましたが。--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 14:16 (UTC)[返信]
戻します。 ですから議論がグルグルまわるのですが、出典を持たないまま出典付文章をざっくりやって、出典を持った側から、整合性がとれなくなったと言われた時点で終わりです。 いくら整合性が取れてる取れてると100日主張したところで正しい正しくないにかかわらず、徒労に終わりますので、譲るのが一番の解決法です。 翻訳文を入れる前の版に戻し、相手に編集権を譲て納得するまで編集してもらったあとで、翻訳文中の有意義な情報について、どこどこにこういう文章を差し込みたいと明示すればスンンナリ行くんじゃないでしょうか。--Gyulfox会話2014年1月6日 (月) 14:27 (UTC) [返信]
「出典付き文章」とされる当該箇所の「出典」のオルソンの著作はヘルムホルツ共鳴器の原理の解説をしているのみで、オカリナについて語ってはいません。もう一方の出典「小川堅二 オカリーナの部屋」はそもそも「信頼できる情報源」とはいえません。これに代えて私がニューグローブの記事あたりを出典としてオカリナの発音原理を端的にまとめれば解決が見られるでしょうか。--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 14:46 (UTC)[返信]
あなたもつくづく飲み込みの悪い方ですね、こうなった以上はいくら端的にまとめようがもめるばかりです。 一旦相手に道を譲って、そのあとで文章を差し込んだら早いと言ってるのです。小川賢二プロフィールによれば、日本フルート協会常任理事で栃木県フルート協会会長、オカリナ奏者でかつ、独自のオカリナを作る職人として広く認められ、大学で教鞭を取り、オカリナ製作理論に関する大学で使用していたテクストを著書として出版、美智子皇后陛下に献上されてます。明らかに特筆性のあるオカリナの専門家です。よって「小川堅二 オカリーナの部屋」は信頼できる情報源のひとつです。 ニューグローブの記事も信頼できる情報源のひとつですから、どちらかがどちらかを打ち倒すような編集はどちらが勝っても中立性に違犯でしょう。 敵のために書くことをためらわないで下さい。--Gyulfox会話) 2014年1月6日 (月) 15:33 (UTC)--Gyulfox会話2014年1月6日 (月) 18:26 (UTC)[返信]
私は特に追記をしようとは考えていません。ただ記述の一部が(検証可能性を踏まえた上で)誤っていると考えたので、これを削除すべきと考えているのみです。「どちらかがどちらかを打ち倒すような編集」というのはどのような意味でしょうか。--Kagefumimaru会話2014年1月6日 (月) 22:29 (UTC)[返信]
オルソンの著書『音楽工学』の122~123頁に、オカリナ(同書ではオカリーナですが)について記述されており、「ヘルムホルツ共振器の式で共振周波数が計算できる」ことや、「開口(音穴)は並列であるとみなすことができる」ことが解説されております。--Tamie会話2014年1月7日 (火) 06:36 (UTC)[返信]
オルソンの『音楽工学』は Musical Engineering (1952) の訳書とは異なるのでしょうか。此方のはやとちりでしたら申し訳ありませんでした。--Kagefumimaru会話2014年1月7日 (火) 10:13 (UTC)[返信]
ご指摘の Musical Engineering (1952) の訳書に間違いありません。--Tamie会話2014年1月7日 (火) 22:53 (UTC)[返信]
当該図書を再確認してみたところ、引用されているヘルムホルツ共鳴の説明文のある第4章ではなく、第5章の第4節にオカリナに関する記述が認められました。そもそも索引を調べれば瞭然のことであり、この件に関しては私の完全な誤解でした。重ねてお詫び申し上げます。--Kagefumimaru会話2014年1月8日 (水) 09:32 (UTC)[返信]
それでは、ここまで2票出ている、英語版の翻訳に差し替える直前の12月16日23:22(UTC)の版に戻すという案について、Tamieさんはどう思われますか?--Gruppetto会話2014年1月9日 (木) 14:09 (UTC)[返信]
異存ありません。--Tamie会話2014年1月9日 (木) 22:02 (UTC)[返信]
私も同意します。--Kagefumimaru会話2014年1月10日 (金) 09:30 (UTC)[返信]
皆様の同意がありましたので、僭越ながら私が12月16日23:22(UTC)の版へ戻させて頂きました。--Gruppetto会話2014年1月10日 (金) 10:28 (UTC)[返信]