ノート:エルネスト・アンセルメ
「中途半端な恣意性も感じられた。」の意味が現在の文章だけではわかりません。作品によって、どのバージョンを評価するかが変わること自体は自然です。 Kozawa 04:55 2004年3月22日 (UTC)
文章表現は良くなかったと思います。これは反省します。しかし、彼は白鳥の湖の第二番(ワルツ)の反復を、無作為にカットしています。現在では、普通に演奏されるので、これはヴァージョン違いといった問題ではなく、彼自身の問題に帰します。
これは私もスコアを買うまで気が付きませんでした。「当時の指揮者及び演奏家がカットを入れることは慣例であった」、とする意見もありますが、現時点では原典無視と批判的な目で見られることが多いです。石井眞木氏の「幻影と死」の初演は「アルブレヒト独断のカット入りで演奏」され、その姿勢には問題があるとされました。--Noda,Kentaro 05:14 2004年3月22日 (UTC)
Noda,Kentaroさん、05:14 2004年3月22日 (UTC)でコメントされている内容は、あくまで彼の「白鳥の湖」の解釈のみの話であって、ストラヴィンスキーへの態度との一貫性を指摘するにはやはりまだ説明不足です。関連づけて指摘するべきであるかどうか私は判断できませんが、すべきであるにしろ、表現は考える必要がありそうです。 Kozawa 05:22 2004年3月22日 (UTC)
確かに、彼の複数の作品の手腕と照らし合わせる作業が必要と考えます。ご指摘ありがとうございました。--Noda,Kentaro 05:28 2004年3月22日 (UTC)
意図が通じていないかもしれませんので再度説明しますが、「原典尊重が正しい」かどうかは解釈によるものであって、あえて百科事典で批判するべきものではないと考えます。その立場で、全ての曲において最初のバージョン(という定義も難しいですが)のみを演奏するのが常識というわけでもない中で、「恣意性」という言葉で指摘されているのはどういう意図なのかよくわかりません。ストラヴィンスキーの曲について改訂を認めないという姿勢が「原典主義」なのかどうかが私にはわかりません。ただ単に、彼が気に入ったバージョンが原典だったというだけの話ではないのでしょうか?私は詳しくないので見当違いのことを言っていたら申し訳ないですが、現状はそういう疑問を感じさせる文章だと思います。 Kozawa 05:37 2004年3月22日 (UTC)
ストラヴィンスキー作品の音色の見解(ヴァージョン違いから生まれる多くの要因はこれ)に厳しい姿勢で臨み、チャイコフスキー作品の部分伐採は仕方がない、というのは十分恣意性に見えました。が、アンセルメの稿は機械翻訳も多く、文意の統一が難しいので該当箇所を削除することにしました。また新しい情報が入り次第改訂します。--Noda,Kentaro 05:44 2004年3月22日 (UTC)
ですから、それは「原典」かどうかなのですか?彼が認めた特定のバージョンが原典だったのではないのですか?ストラヴィンスキーの初版が別のものであって彼が不満を感じていたらそれを改訂していたのではという一貫性があった可能性はないのですか?恣意性という言い方が必ずしも間違っているとは思いませんが、曲によって許容する解釈の幅が違うという程度のことであればどのアーティストにも多かれ少なかれあるかと思います。いずれにしても、Noda,Kentaroさんによる「恣意性」という指摘は、特定の立場からの批判のように思えますので、それを単なる事実としてのみ書くことは疑問があります。Wikipedia:中立的な観点をお読み頂きたく思います。 Kozawa 06:06 2004年3月22日 (UTC)
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