ノート:エッケ・ホモ
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題名
[編集]「エクセ・ホモ」となっていますが、これでいいのでしょうか? 美術史などの分野で定訳になっているというのであればかまわないのですが、ラテン語にしてはおかしいですし(日本では通常古典発音をするので「エッケ」になる)、日本語の「この人を見よ」を題とする方がよいようにも思われます。 --Pekanpe(会話) 2016年3月14日 (月) 18:42 (UTC)
- ラテン語の音転写に関して、ウィキペディアの外では「エッケ・ホモ」以外を見たことがありません。「エクセ・ホモ」が適切か、私も疑問に思います。また、それとは別の問題として、d:Q534805 に対応する記事名としては、「この人を見よ」が最も適切なように思います。--QuirkyQuidnuncY(会話) 2016年3月14日 (月) 23:39 (UTC)
改名提案
[編集]上に書いたように現在の題には問題があると思われるので、以下のように改名提案します。
- 現在の「この人を見よ」を「この人を見よ (ニーチェ)」にする
- 現在の「エクセ・ホモ」を「この人を見よ」にする。
理由は「エクセ・ホモ」という音訳が一般的でないこと、「この人を見よ」は日本語として定訳と言えること(「アニュス・デイ」が「神の子羊」の題になっているのと同様)
なお本文中の”エクセ・ホモを題材にした”云々は適宜”「この人を見よ」を題材にした”のようにかぎ括弧でくくることになると思います。 --Pekanpe(会話) 2016年4月26日 (火) 04:29 (UTC)
- 参考までに、デジタル大辞泉では見出し語はエクセ‐ホモ(エッケ‐ホモから誘導がある)です。とはいえ、エッケ・ホモのほうが、音訳としては一般的であるようには思います。ブリタニカ国際大百科事典小項目事典ではエッケ・ホモ(「この人を見よ」から誘導がある)です。「神の子羊」とは異なり、「この人を見よ」が普通の日本語としても使用されうるため曖昧であるという点を考慮すると、ラテン語の音訳エッケ・ホモの方が、記事名としては適切でないかと思います。--Kusunose(会話) 2016年4月26日 (火) 05:22 (UTC)
- コメント--(どちらかといえば反対)Kusunoseの提示されている意見に賛成です。私は、改名するのであれば、「エッケ・ホモ」が適当と考えます。
- また、Ciniiによると
- 山田 今日子 「レンブラントとリューカス・ファン・レイデン : 「エッケ・ホモ」を中心に(第六十三回美学会全国大会発表要旨) 」 『美學』 63(2), 142, 2012-12-31
- 塚本 博 「アントネッロ・ダ・メッシーナのエッケ・ホモ--単独人物画が孕む物語性 」『美術史研究』 44, 63-82, 2006
- 柳谷 保「「エッケ・ホモ」について」 『鳥取大学教養部紀要』 24, 161-180, 1990-10
- 松本 富士男 「受難物語におけるイエス像--エルサレム入城から「エッケ・ホモ」まで (キリスト教美術の誕生と展開) -- (キリスト教美術の誕生と展開) 」『宗教と文化』 (9・10), 55-102, 1983-03
- などを探すことができます。
- また、Ciniiによると
- 「この人を見よ」は、ニーチェの作品を始め、その他の方の作品が数多くあります。その中でこのあえて「エクセ・ホモ」を「この人を見よ」にすることが適当とは思えません。--Koshi2016(会話) 2016年4月27日 (水) 00:11 (UTC)
- コメント なるほど、「エッケ・ホモ」の方がよいかもしれませんね。では、「エクセ・ホモ」を「エッケ・ホモ」とし、ニーチェの「この人を見よ」はそのまま、というのではどうでしょうか。作業もそちらの方が楽ですし :-) --Pekanpe(会話) 2016年4月28日 (木) 04:29 (UTC)
関連記事の改名提案
[編集]前節でも一度提案されていますが、ニーチェの著書に関する記事をこの人を見よからこの人を見よ (ニーチェ) へ改名することを提案します。同名絵画の記事複数が既存であり、一意でありません。改名後のこの人を見よですが、曖昧さ回避記事にすることを考えています。ただし、当記事へのリダイレクトにして、曖昧さ回避記事はこの人を見よ (曖昧さ回避) とすることも考えられます。--エンタシス(会話) 2021年4月17日 (土) 11:49 (UTC)
- 改名しました。--エンタシス(会話) 2021年4月24日 (土) 13:13 (UTC)