ノート:ウンキニア属
表示
脚注不足
[編集]との指示を受けましたが、具体的にどこであるか言って貰うと助かります。--Keisotyo(会話) 2018年1月23日 (火) 02:47 (UTC)
- ごくごく一例ですが、この文には脚注が無いです↓
- ウンキニア属は日本には分布しない植物で、主として南半球に分布する。
- もしかすると、その後続の文「また、学名もラテン語の uncus(鈎)に由来する[1]。」の文末の脚注([1])が、前者の文の脚注でもあるのでしょうか?
- 他の「脚注の無い文」も、全てその方式でしょうか? そうなのでしたら、その方式であることを知れないかぎり、文単位でどの文の出典がどの資料なのかは、脚注が実際に付いていない文の場合には分かりません(ウンキニア属の記事で出典となっている資料を全て読めば判明するでしょうが、作業量が多くなり煩雑です)。文単位で脚注を付けてくだされば(=出典を示してくだされば)、そういう煩雑なことは避けられます。どの文の出典がどの資料かすぐに分かるので。
- 「Template:脚注の不足」というテンプレートは「記事に脚注があるものの、不十分である場合に、記事の文言と出典とを脚注を用いて対応させるよう求める場合に使います。」ということですので、「脚注を用いて文言と出典を対応させてください」という趣旨で貼り付けたものです。
- いちいち脚注を文単位で置くのも煩雑だろうとは思いますが、他人が読んだときに出典が突き止めにくくなるのも困ります。ご理解頂けなければ、仕方ありませんが。--Leonidjp(会話) 2018年1月24日 (水) 08:16 (UTC)
- 下線部追記。--Leonidjp(会話) 2018年1月24日 (水) 08:19 (UTC)
- その1文は概説ですね。概説というのは内容をまとめたものです。それにどうして出典が必要なのでしょうか。分布に関しては後ろに分布の項目があります。そこに出典があるのですから、ここにつける必要はありません。
- 「記事に脚注があるものの、不十分である」ことを確認するには出典を確かめる必要があります。それを「作業量が多くなり煩雑です」から、しないでテンプレートを貼り付けるのはまっとうな作業と言えるでしょうか?
- この記事は日本にない植物の記事で、私は実物を見たことがありません。ですから出典だけが頼りで書いたものです。つまり出典に書いていないことは書けない。そんな構造になっています。見て貰えば、文章ごとに出典が着いていない項目は、冒頭に『以下、主として』とあり、となれば特に指定しない限りこれが出典になる、と理解できませんか?ご理解頂けなければ、仕方ありませんが、とは私は思いません。分からないなら口出ししないで欲しいです。
- ですからどうしても不足だと言うには、出典を全部確認してください。すべてネット上で拾えるものばかりですので。それをしないで貼り付けるのは書き手に対して失礼というものでしょう。
- ああ、利用の項目だけはつけてませんが、これはネット情報ではあるものの今ひとつ保証出来る出元ではなかったのでつけませんでした。それをもって『脚注が不足』とつける、というのであれば、一応筋は通りますが、あなたはそれについては言及していませんね。ですからこれからそれを言い出しても納得しません。--Keisotyo(会話) 2018年1月24日 (水) 08:47 (UTC)
- >概説というのは内容をまとめたものです。それにどうして出典が必要なのでしょうか。
- コメント 概説ならば出典の記入が不要というルールやガイドラインがどこにありますか? 概説ならば出典不要とホントにおもっているなら、概説の説に既に脚注が二個あることと矛盾するのでは?(あなたが記入した脚注ですよね)。
- >「記事に脚注があるものの、不十分である」ことを確認するには出典を確かめる必要があります。
- コメント 脚注が付いていない文が多数あることは、本文を見ればすぐ分かりますよ。脚注が付いていない文の出典は分かりにくい。それを「(脚注が)不十分」と申し上げております。
- >それを「作業量が多くなり煩雑です」から、しないでテンプレートを貼り付けるのはまっとうな作業と言えるでしょうか?
- コメント 私のその行為がまっとうでなかったら、「あなたの執筆内容において脚注が付いてない文があるから出典がわかりにくい」という問題が不問になりますか? なりませんよね。ならないなら、私のテンプレート貼付(および出典確認の未完了)の真っ当性は関係ありません。我々二人とも「真っ当でない」のかもしれませんが、だからといってあなたの付けた脚注の数が少ないという問題は消えませんから。
- >分布に関しては後ろに分布の項目があります。そこに出典があるのですから、ここにつける必要はありません。
- コメント 分布に関する文を私が俎上にあげたのは、脚注のない文の一例として選んだだけですので特段の意味はありません。
- >見て貰えば、文章ごとに出典が着いていない項目は、冒頭に『以下、主として』とあり、となれば特に指定しない限りこれが出典になる、と理解できませんか?
- コメント 「以下、主として」という文言がついているのは、脚注3番「Nooteboom(1998)」および脚注7番「Starr et al.(2008)」の2個のようですが、「主として」ということは、それ以外にも出典があるという意味なのでは?(そう読めますよ)。それで、その「主となるもの以外」は明示されていないわけだから、脚注3番や7番より下側の文において、結局どの文の出典がどれである(どれでない)かは、不明瞭なままです。
- コメント もうひとつの問題は、「以下」というのがどこまでか明瞭にはわからないことです。3番や7番より下側にある全ての文が、位置的には「3番以下 OR 7番以下」に含まれてしまいますよ。それで正しいんですか? それとも、「以下とは、別の脚注が現れるまでの範囲のみを指す」というつもりで「以下」と言っているのですか? どっちでしょうか。文単位で脚注を付けておけば、このような不明瞭性は最初から無いのですが。
- >分からないなら口出ししないで欲しいです。
- コメント 「脚注が無いと出典は突き止めにくくなりますよ」というのが私の指摘であり、これまでのあなたの返信を受けてもなお、「脚注が無いことによる出典の不明瞭」は維持されていることが上述のとおり分かります。「以下、主として○○」という雑駁な指定はむしろ、個々の文の出典の不明瞭性を増やしていることが上述のとおり分かります。あなたは分かりましたか?
- >ですからどうしても不足だと言うには、出典を全部確認してください。すべてネット上で拾えるものばかりですので。それをしないで貼り付けるのは書き手に対して失礼というものでしょう。
- コメント 私のその行為がもしも失礼であったなら、「あなたの執筆内容において脚注が付いてない文があるから出典がわかりにくい」という問題が不問になりますか? なりませんよね。ならないなら、私のテンプレート貼付(および出典確認の未完了)の失礼性は、あなたの執筆内容における脚注不足という問題を解消しません。なお、この記事において脚注が不足していることは、現に脚注が付いていない文が存在しているという事実のみに基づいて主張できることです。「脚注が付いていない。だから出典がわかりにくい」ということを「脚注の不足」と言っているわけですから。
- >ああ、利用の項目だけはつけてませんが、これはネット情報ではあるものの今ひとつ保証出来る出元ではなかったのでつけませんでした。それをもって『脚注が不足』とつける、というのであれば、一応筋は通りますが、
- コメント 記事全体に、脚注の無い文が多数あるのですから、勿論、脚注の不足という私の指摘は記事全体に対する指摘に決まっています。--Leonidjp(会話) 2018年1月24日 (水) 09:55 (UTC)
- あなたは「概説の節は、記事の内容をまとめたものだから出典をつける必要はない」という趣旨のことをこのノートページで仰っていますが、概説の節にある内容で脚注をもたない情報のうち、記事の他の節にて言及されてないとみられるもの(=従って、他の節からまとめられたとはいえないもの)があるので、どこからまとめたのか示してください。
- ウンキニア属は日本には分布しない植物→このとおりのことは他の節に書いてない。分布の節には日本のことは言及されていない。他の節で言及されていないなら、他の節からまとめた情報とはいえない。
- 小花を完全に包んで先端でだけ口を開く果胞を持つことなど、スゲ属と本属のみが持つ共通の特徴である。→このような特徴は「スゲ属と本属のみが持つ」という情報は、他の節に書いてない。
- そのために英名では hook grass、より正確には hook sedge と呼ばれる。→英名の由来は他の節に書いてない。
- 以上。--Leonidjp(会話) 2018年1月24日 (水) 10:20 (UTC)
- 一回目の反論で私はあなたが内容を全然読んでいないのだと判断しましたが、2回目のそれで、そうではないことが分かりました、が、その上で、やはり読み解けていないな、というのが判断ですね。
- まず概要ですが、『概要とはそんなものだ』と言っておきます。それ以上のことを言う気はありません。
- その上で、でも出典をつけて名称について書いたのは、見ての通り、後ろにはその内容がないからです。だから出典をつけた。それがおかしいことでしょうか?確かに私が『概要とはそんなもの』と言ったのとは矛盾しますが、敢えて項目を立てるほどの内容ではなし、ここに入れておくのが妥当だと判断したまでのことです。
- 『日本にない』ことは下の分布の部分にはありません。出典に書いてないのだから仕方ないですよね。というか、ある生物の分布について論じるときに日本にいるかどうかはさほどの問題ではないからですね。ただし、日本語話者にとっては日本にあるものかどうかは大事な部分なので、概要にはその形で書きました。しかし出典には『日本にいない』との言及はありませんでしたが、分布域に日本が含まれていなかったのは確かです。それでいいではないですか。
- 「このような特徴は「スゲ属と本属のみが持つ」という情報」は分類の項目の
再訴最初の段落の前半に書いてあることを簡単にまとめたものです。ここは専門用語が多いので、まあ普通は分からなくて仕方ないかもです。ただ、要するにあなたはそれが分からなくて私に噛み付いている、ということなのですが。 - 次、『以下、主として』ではどこかでか分からない。それと『主として』は他のものが混じっていることを暗に含んでいる』という話。
- 例えば特徴という項目を見てください。最初の文の後に『主として』を入れてあります。これはこの項目全体をその出典を中心に書いた、という表明と取れませんか?もちろんそれは『お前の勝手な判断』と言われればそれまでですが。ですが、そこから下を見ていくと「小穂は小花が螺旋状に並んだもので」に出典がつけてある。これは別の出典から書いたものだ、という意味ですよね。であれば、それ以外は主として使った出典による、でいいではないですか?
- 更に下がって分布の項にはそれぞれ出典がつけてありますから、これまた上の『主として』に縛られません。次の分類の項では最初の一文の終わりに『以下、主として』がありますから、最初のの『以下、主として』に縛られないことが分かります。
- 要するに、私の意図が通じようと通じまいと、どこがどの出典によるかははっきりしていますよね?
- それでどうですか?--Keisotyo(会話) 2018年1月24日 (水) 12:33 (UTC)
- 一つ修正。--Keisotyo(会話) 2018年1月24日 (水) 22:52 (UTC)