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ノート:ウラルトゥ・アッシリア戦争

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訳しておいてなんですが、英語版の内容はどうも疑問に思えます。fr:Urartupl:Urartuのサルゴン遠征後の内容はここの記述内容と明らかに矛盾している。もともと英語版は脚注が2点(しかもどちらも戦いが始まるまで)とかいうほぼ無典拠項目で、主要部分も2008年に単独執筆者が書いた物がそのまま残っていただけのようです。どうも、
  1. 「ウラルトゥの反撃」など実在しない。アッシリアが引き上げたあとの失地回復は行ったかも知れないが、戦ったりしてない
  2. ウラルトゥとアッシリアの和平条約は結ばれていない。ただしサルゴン2世に略奪された神像を買い戻しているので関係が改善したのは確か
  3. アルギシュティ2世はアッシリアとの衝突を避けて東部に領土を拡大した。これを国力回復と見るか国力浪費と見るかは微妙(要塞の整備は大コストなので多分後者)
  4. 英語版は「ルサ3世は繰り返しアッシリアに敗北した」とか書いてるがさすがに意味不明なので訳出せず。おそらく国力の衰退と異民族と内紛が原因で衰退してアッシリアに対抗する力をなくしていた(そして戦わないので当然、アッシリア側の記録に登場しなくなる)


ぐらいでしょうか。--シダー近藤会話2020年11月2日 (月) 12:27 (UTC)[返信]


なるほど・・・。いろいろとありがとうございました。シダー近藤さんのコメントを受けて、改めてサルゴン2世エサルハドンの記事を読み返しましたが、こちらの方、特にサルゴン2世の記事の方がむしろ詳しかったりして、後で編入することを考えてみてもいいかもしれません。センナケリブにもちらっとウラルトゥのことが出てきますが、エサルハドンへの王位継承に反発してセンナケリブを暗殺した子、アルダ・ムリッシとナブー・シャル・ウツルがウラルトゥに亡命したことに触れられているくらいですね・・・。--つちくら会話2020年11月2日 (月) 20:23 (UTC)[返信]