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ノート:ウラディーミル・アシュケナージ

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執筆・編集内容について

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執筆者(sergei氏)と意見交換を行いましたが、合意に達しない部分が生じました。これらの点についてご意見くださいますようお願いいたします。

  1. 「ユダヤ人コミュニティの一つであるアシュケナジムに由来する姓が示す通り・・・」という記述について。
    「アシュケナジム」がユダヤ人コミュニティの一つとする根拠とアシュケナージ姓の検証可能性が満たされておらず、文章としても冗長なため削除したところ、「有益な情報である」との理由で差し戻されました。この記述が、記載に適しているのか否か、ご意見いただきたくお願いします。
  2. 「2種類のカデンツァを弾き分けていることも注目される」の太字部分について。
    執筆者によると、「注目される」という表現はライナーノートを参考にし、敢えて出典は示していないとのことでした。私は「注目される」という記述は主観的見解という印象を与え、記載に適さないと考えています。「注目される」の是非ついてご意見いただきたくお願いします。
  3. 「ラフマニノフ作品に献身的ともいえる姿勢で取り組んでいる」の太字部分について。
    執筆者によると、音楽評論家の「ラフマニノフ詣で」という表現から換言したとのことでした。私は、辞書による解釈から、「詣でること」と「献身的(ともいえる)姿勢」のつながりは見出せず、検証可能性を満たさないもの、独自研究に転じている印象を与えるものと考えています。献身的ともいえる、という換言が、出典に基づく記述として適格かどうか、ご意見いただきたくお願いします。
  4. 「彼の親日家ぶりを窺うことができる」という記述について。
    「合意を得ていない」との理由で差し戻されました。この記述は主観的解釈、感想に過ぎず、「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipediaは何でないか」に反することは明らかではないでしょうか(執筆者は、この表現がまずいなら「親日家ぶりが表れている」に書き換えようかと提案してきました。認識に欠陥があると考えられます)。私は、このような主観的記述はWikipediaには不適で、「親日家を窺わせる」客観的事実の記載がWikipediaの方針に沿うものと考えます。合意形成のためにご意見いただきたくお願いします。--Wikied 2009年5月18日 (月) 10:13 (UTC)[返信]
◆私の考えは既に自分の会話ページで述べましたが何点か補足しておきます。
アシュケナジムの出典は既に示しました。また文章が冗長だという指摘こそまさにWikiedさんの主観にほかならず、有用な情報を削除する根拠とはなり得ないでしょう。
既に自分の会話ページで述べた通り、カデンツァについての言及部分はフィストラーリとの共演盤(1999年に再発売された海外盤、規格品番: 466 375-2)のライナーノートにおける Bryce Morrison 氏の解説を参考にしています。Morrison 氏はここでアシュケナージの演奏の特徴的な箇所として第2楽章の急速なワルツの部分などと並んで第1楽章のカデンツァについて触れ、後年の録音ではオッシアを演奏している彼がここではオリジナルの方を演奏していること、その解釈が適切であることを指摘しています。「…注目される」というのはこの解説の非常に大雑把な意訳です。
いずれにしても、こうした文章表現上の些細な言葉遣いの問題は基本的には執筆者の裁量に委ねられる部分ではないでしょうか? どうもWikiedさんには文章は短ければ短いほどよいというような美学みたいなものがあって、そこが私と最も対立する部分なのかな、という気がします。私には逆に、Wikiedさんが添削した後のような、前後の脈絡なく単文が羅列されている状態は稚拙な文章だという印象を受けます。まあこのあたりは好みの問題なのでどちらが正しいということもないでしょうが、他の項目ではともかくこの項目に関しては主執筆者の一人である私の意向をある程度尊重してもらってもいいのではないか、と考えています(逆にWikiedさんが主執筆者となっている項目の文章を無理に自分好みに修正しようなどとは全く望みません)。
自宅の和室の件ですが、番組ではその映像が流された後、羽田美智子さんや石井竜也氏などスタジオ出演者の間で「よほど日本がお好きなんですね〜(大意)」といった内容のトークに花が咲いたのです。実は放送日がわからないので記載していないのですが、この映像はその少し前に『N響アワー』でも紹介され、その時もやはり池辺晋一郎氏がほぼ同様の反応をしていました。ですから「親日家ぶり…」は原資料にない情報を私の主観によって付け足したのではありません。羽田さんや石井氏、池辺氏の主観だとは言えるかも知れませんが、それをWikipediaに書いてはならないということはないでしょう。(なお、この情報は当時番組を視聴していなかった方にとって確認するのが困難なため検証可能性という点で難しい問題をはらんでいるのですが、今はそこには踏み込みません。)
そういうわけで私としては修正の必要性を全く感じないのですが、こういう(アシュケナジムの件を除けば)瑣末な問題であまり不毛な争いをするのも避けたいので、以下に妥協案を示します。
  1. アシュケナジムについての言及は閲覧者にとって有用な情報なのでこれを削除することには賛成できません。ただ、リンク先の冒頭の段落を出典付きで改稿しておきましたので、「ユダヤ人コミュニティの一つである」の部分は削除してもいいと思います。
  2. なくても意味は変わりませんが、「弾き分けている」で切れるのは文章としてちょっと不自然じゃないですかね? 取り敢えずこのままにしておいて、資料を実際に確認してこの部分が明らかに Morrison 氏の文意に反していると判断する人が現れたら再検討する、ということでいかがでしょうか。
  3. 依拠した資料をそのまま書き写すことはできない以上、Wikipediaへの投稿の一般論としてこうした言い換えは必要不可欠であり、それを禁じる根拠はないものと考えます。ただしよりうまい表現を思い付いた人がいたら、それを採用しても構いません。
  4. すでに述べたようにこの部分は依拠した資料に見られる内容であり、記載することに問題はないと考えます。ただこの番組は現在視聴が困難で、他の人に確認してもらえるのを期待できないことに鑑みて修正を受け容れます。ただ、単純に削除したのでは何となく文章としておさまりが悪いので、前の段落と一緒にして「就任を記念して放送されたNHKの特集番組では、ルツェルン湖畔の自宅に和室がしつらえてあり、様々な日本の文物が飾られている様子が紹介された。」としたいと思います。
こんなところでどうでしょうか。--sergei 2009年5月22日 (金) 13:08 (UTC)[返信]
妥協案の提示をいただきありがとうございます。
  1. 「父はユダヤ系、母は非ユダヤ系ロシア人である。アシュケナージという姓はアシュケナジムに由来する」という文に変えたいと考えています。「~の通り」云々という表現には、執筆者の(主張の)確からしさの確認・誇示が垣間見え、百科事典の記述として適当とは捉え難いからです。「執筆者の裁量による」という見解には異議がありますが、妥協案に断固反対するものではありません。
  2. 少なくとも当方は、「弾き分けている」で終わる記述に不自然さは感じません。「注目される」という記述が必要なら、それが出典に基づくものと明示される必要があるのではありませんか。「特筆すべき」「注目される」と記されれば、当方同様に主観的なものと捉える利用者がいる可能性は否めません。
  3. 先に記したとおり、言い換えの必要性への疑問と同時に、言い換えの違和感を拭えません。ラフマニノフ作品への取り組みが、諸石幸生によって評価されている旨を明記した方が良いと考えます。加えて、「5度も録音している」より「5度録音している」の方が客観性が強く、百科事典にふさわしいと思います。
  4. 提示された「就任を記念して放送されたNHKの特集番組では、ルツェルン湖畔の自宅に和室がしつらえてあり、様々な日本の文物が飾られている様子が紹介された。」という文章には賛同しない理由がありません。--Wikied 2009年6月5日 (金) 17:25 (UTC)[返信]
私はかなりの譲歩をしたのですが、ゼロ、いやマイナス回答とはね…(苦笑)。
  1. 姓がアシュケナジムに由来するという事実と父がユダヤ系であるという事実とは論理的なつながりのある事象であり、これをわざわざ文章を分けて記述するのは情報の劣化につながるので賛成できません。
  2. この項目にはこれまで多くの人の手が入っており、著名なピアニストでもありますのでこの項目をウォッチリストに入れている音楽分野の執筆者は数多くいるはずですが、これまでにこの記述を問題視したのはWikiedさんお一人であり、変更の必要を感じません。
  3. 上に同じ。「5度も録音している」の部分はやはり Morrison 氏が録音回数の多さを強調しているのに倣ったものです。
  4. ご理解に感謝します。--sergei 2009年6月6日 (土) 09:27 (UTC)[返信]

すでにこの件はコメント依頼からも除去されて久しいのですが、このままで一応決着したとみなして構わないでしょうか。差し支えなければ自分の会話ページを過去ログ化したいのですが。--sergei 2009年9月14日 (月) 13:32 (UTC)[返信]

一週間以上経ちましたが異論がありませんでしたので過去ログ化を実施しました。--sergei 2009年9月22日 (火) 09:22 (UTC)[返信]

ラフマニノフ3番の録音回数について

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上でも言及したBryce Morrison氏によるライナーノートには確かに5回と書いてあるのですが、少し調べてみたところ4回までしか確認できなかったので修正しました。Morrison氏はフィストゥラーリ、プレヴィン、オーマンディ、ハイティンクに加えてズービン・メータとの共演で録音したと述べているのですが、メータとの共演盤の存在を確認できませんでした。もしその存在を確認できる方がいたら、ぜひ元の5回という記述に戻して下さい。--sergei 2010年1月26日 (火) 13:53 (UTC)[返信]

sergei氏の検証結果は、出典の誤りを正したうえで記述されるべきもの(WP:Vを満たすもの)といえるのでしょうか?WP:NOTに反すると思えてならないのですが。意見を募りましょうか。--Wikied 2010年1月26日 (火) 15:12 (UTC)[返信]
まったく、懲りない人ですね。少しは自分で調べたのでしょうか? 資料にある記述だからといって何でも盲目的に信用していいわけではありません。他の4つの録音は誰でも現物を容易に探し当てることができますが、メータとの共演盤というのは探しても容易には見つけることがでません。現物の存在が確認できないものを、文献資料の記述だけを根拠に存在することにしてしまうのは問題があります。Deccaのサイトには「His first recording for Decca was the first of four recordings (one for RCA with Ormandy) he made of Rachmaninov’s huge Third Piano Concerto.」(斜体強調は引用者)と記されています。誰かがメータとの共演盤の現物の存在を確認しない限りはこちらの記述を信用するべきです。--sergei 2010年1月27日 (水) 08:57 (UTC)[返信]
出典の明記もせず、調べろというのはどういう了見でしょう。
sergei氏は独断で「出典の必要がない」と主張することがありますが、これは手間を増やすばかりで何の有用性もありません。改めていただきたい。
今回の編集に問題があるなら、sergei氏の独自研究とは誤解しようのない、適正な方法での変更を願います。--Wikied 2010年1月27日 (水) 10:41 (UTC)[返信]
この編集をするに当たって該当のライナーノートの記述を自分で直接確かめたのか、メータとの共演盤が存在することを確認する努力をしたのか、ということですよ。でなければ無責任の謗りは免れないでしょう。どうやらメータとの共演盤の存在を確認しているわけではないようなので修正しておきます。--sergei 2010年1月27日 (水) 13:33 (UTC)[返信]