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ノート:ウラディミール・ホロヴィッツ

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荒らし行為について

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Gould und Rubinstein による以下の寄稿内容を何としても復活させたい人物がいるらしく、当該箇所の編集が取り消される都度、IP アドレスを変えて巻き戻しを行うという荒らし行為が行われました。ご本人は何が問題であるのか理解しておられないようですので、ここで指摘させていただきます。

「死の3日前に…と明かしており、それが実現できなかったのはとても悔やまれる。またこのエピソードはホロヴィッツがまだまだ演奏に意欲的であり、最期の最期まで真のピアニストであったことを示している。」

1) Wikipedia:検証可能性の要件を満たしていない。この記述を復活させたいのであれば出典を明示してください。
2) Wikipedia:中立的な観点に反する。「とても悔やまれる」という表現が事典の内容に不適切である。「悔やまれる」は Gould und Rubinstein 氏個人の意見、あるいは感情表現にすぎません。Wikipedia の基本ルールの一つは「中立的な観点」であり、言いかえれば「事実を書け――だが意見は書くな」(「中立的な観点」第6項、「この方針の言い換え」)というスタンスです。私見ですが「悔やまれる」は、通常、自分の過去の行動・判断の誤りを振り返って、それを残念に思う場合に使うのが正しいように思います。「惜しまれる」と仰りたかったのだと思われますが、この「悔やまれる」という表現に対する違和感も、編集取り消しになる理由ではないかと考えられます。どうしても何らかの感情を想起させる表現を使いたいのであれば、「残念なことに実現には至らなかった」程度ではいかがでしょうか。
  同様の理由で「真のピアニスト」という表現も不適切であるように感じられます。「真の」は、多分に寄稿者の評価を含む表現であり、普遍的・中立的な表現とは言い難いからです。また、上記の基本方針に違反するわけではありませんが、「まだまだ」「最期の最期まで」のような表現も事典の記述には不向きであるように思われます。
  検証可能な事実であるなら、いくらか表現を変えてさえいただければ、本項への記載に反対する人は少ないでしょう。ご検討いただければ幸いです。なお、同時期のエピソードとして、ショーンバーグの著書 "Horowitz- His Life and Music" (1992, Harold Schonberg、Simon and Schuster, ISBN 0-671-72568-8) に以下の記述があります。

Nor did he usually indulge in serious musical talk. But at his last photo session with Steiner, not long before he died, Horowitz started talking with him about the German conductor Carlos Kleiber. While fooling around with his television set, Horowitz had come across a Kleiber broadcast from Vienna and been terribly impressed. Steiner, who was well acquainted with Carlos Kleiber's work, was amazed by Horowitz's perspective, sensitive analysis of the conductor's technique and approach to music. (A few months before his death, Horowitz met Kleiber and discussed with him the possibility of a recording of the Beethoven Third Concerto. Had he lived long enough he would have done it.)

本稿に記載するとすれば、以下のようにまとめられるのではないかと思います。

「カルロス・クライバーのウィーン・フィルとの演奏をテレビで見て感銘を受けたホロヴィッツは、死の数か月前に直接クライバーと会い、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の共演について話し合った。86年の復帰後は、最期まで演奏活動に対して意欲的であったことが伺われる」

ただし、最後の「86年の…」の部分は、やはり蛇足のように感じます。事典は事実のみを記載し、その事実に対する評価は読者に委ねる方がふさわしいのではないでしょうか。--Classicphilia会話2015年3月23日 (月) 00:59 (UTC)[返信]

「語録」について

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本来このような事典に敢えて「語録」を追加するとすれば、当人の芸術観が主になるべきだと考えます。今回「語録」に追加された内容を拝見しましたが、ゴシップの域を出るものではなく、一体どのような熟慮の結果追記されたものか理解できません。追加分の内容は、まことしやかにネットで繰り返し引用されておりますが、ホロヴィッツ本人が生前自らの発言として認めたものではなく、公的な場で繰り返したという記録もないはずです。また、この発言が事実であるとしても、それがプライベートな場で語った冗談なのか、公式の見解なのかなど、どのような状況でどのような思いを込めて語ったか、その詳細を一切明かさずに、興味本位かつ枝葉末節的な内容にもかかわらずことさらに強調して掲載することには違和感を禁じえません。 発言の一部を抜粋する場合、一字一句そのまま引用したときでさえ、本来発話者が込めた思いとは全く別の印象を与える引用も可能になります。したがって、今回の投稿のような内容をそのコンテクストから切り離して引用することについては、特に慎重を期すべきではないでしょうか。 人が人生において語る言葉は膨大です。それゆえにこそ、その人物が語ったとされる数多くの言葉の中から何を選択するかによって、発話者当人の品性というよりはむしろ、編集者の人間性が露呈されるのではないでしょうか。私個人としては、現在記されている内容だけであるなら、「語録」として一つの項を設定するほどの価値を見出すことができません。この項目を生かすのであればもっと内容を充実させるべきように思います。一方、特に他に追加すべき内容もないのであれば、この項目と掲載内容はなくても良いように感じます。この種の内容は、個人のブログに書き込むのならまだしも、大勢がアクセスする事典の内容としては場違いであるように思えるのです。皆さんのご意見を伺えるなら幸いです。--Classicphilia 2009年11月1日 (日) 16:33 (UTC)[返信]

「ピアニストには三種類」というのは確か中村紘子さんの「ピアニストという蛮族がいる」という著作で紹介されているものですね(私自身はこの本を読んでいないので伝聞情報です)。ホロヴィッツの発言としてかなり世間に広まっているものですが、どうも中村さんの著作以外にはソースがないようなので、これが日頃から口癖のように語っていた言葉なのか、その場限りのパーティー・ジョークのようなものだったのかはよくわかりません。カペルについてのものは私も出所を知りません。
はっきりいってトリビアに属することなので記載の必要はないと思います。今後もし、ホロヴィッツの素顔の人物像について包括的に説明した節が設けられて、その中でこうした発言について言及される(もちろん典拠を明示した上で)、ということならあってもよいかとは思います。--sergei 2009年11月2日 (月) 13:21 (UTC)[返信]
出典の情報ありがとうございます。「三種類」の方はわたしも何かで読んだ記憶はあったのですが、確かにその本だったように思います。英語版の Wikipedia にも記載されていますので、ある意味彼のジョークとしては有名なもののようです。
中村紘子さんは、カーネギーホールでホロヴィッツの演奏を聴いて、難易度は決して高くないマズルカのような小品の美しさに涙を流したことなども書かれていたように記憶しています。ピアニストとして、ずっとあこがれていた人であることを明言した上で、「でも人間としてはちょっと変わった人だったのよ」という意味で「三種類」のエピソードを紹介されたのでしょう。何しろ書籍のタイトルが「ピアニストという蛮族がいる」ですからね…。そのようなバランスであるならば、読者としても楽しめると思うのですが、一節のみを抜粋すると、ホロヴィッツが偏見に満ちた高慢な人間だったような印象が、この言葉と共に一人歩きし始めるのではないかと思われます。
「カペル」については、Wikipedia のカペルの項に載っているせいか、ネットのいくつかの個人サイトで事実であるようにして引用されていますが、カペルの項にも出典はなく、そもそも信頼できる情報とは思えません。少なくともこちらは削除すべきであるように感じます。カペルがホロヴィッツを尊敬していたことはカペルファンであれば知っているはずの有名な事実です。そのカペルが亡くなったのは1953年10月ですが、同年の2月25日のコンサートを最後にホロヴィッツは既に演奏活動を引退していました。一体誰がこの言葉を耳にしたのでしょう。もう聴衆の前では弾かないと決めていたホロヴィッツがなぜ自分が一番だなどとつぶやいたのでしょう。また、晩年のインタビューでホロヴィッツは、「デビューしてすぐあなたはヨーロッパで一番のピアニストになったのですね」と聞かれ、即座に「いや、わたしは一番などではない。当時は私より優れたピアニストはたくさんいた」と答えています。「誰が一番か」ということにそれほど拘泥するような人物であったとはあまり考えられないのですが…。勿論、若い時には競争心もかなり旺盛ではあったでしょうけれども、やはり疲弊しきっていた1953年の時点でそのような野心的かつ冒涜的な発言を本気でしたとは考えにくいように思われます。投稿された 123.198.66.200 さんのご見解と、原典にあたって真偽を確認されたのか伺いたく存じます。ちなみに、英語版ではカペルの頁にもホロヴィッツの頁にもこのような記述そのものがありません。
このたびホロヴィッツの頁の大幅な加筆執筆を決心したのは、ネットでホロヴィッツを検索すると最近では Wikipedia が真っ先に紹介されるにもかかわらず、その内容が乏しく、なにゆえ20世紀最大のピアニストの一人として認知されているのか、その演奏家像が客観的に伝わりにくく思えたからでした。娘の死であったり、奇矯な行動であったりは、記載できる内容が限られた Wikipedia のような事典には掲載する必要のないことに思われます。
これまでこの頁の執筆に加わられた皆さんは、123.198.66.200 さんの投稿で、さらに内容の完成度が高まったと喜んでおられるでしょうか。大勢の方が作り上げてきた頁を随分大幅に修正加筆してしまった私の執筆内容にそもそも不満がおありで元に戻すべきだとお感じの方が多いでしょうか?「語録」の内容については、投稿された 123.198.66.200 さんご本人の見解も伺いたいところです。もし、異論が少ないようであれば、上記の Wikipedia 編集方針に基づき、記載内容を削除したいと思います。引き続きご意見があればお寄せください。宜しくお願いいたします。--Classicphilia 2009年11月2日 (月) 21:43 (UTC)[返信]

書き込みをなさったご本人からの説明がありませんが、皆様からも特別異論がないようですので、「語録」の項目は削除します。この項の記述は Wikipedia の基本的な編集方針に違反していると考えられます。

  • その内容がトリビアに過ぎない。
  • 特に「カペル」の逸話は、検証可能性の要件を満たしておらず、実際に検証可能な事実を考慮すると、事実を相当歪曲したものか全くの捏造である可能性が強い。
  • 投稿自体、当人が調査・確認していないゴシップを追加したかったに過ぎない可能性があり、動機はどうあれ、実際に掲載されいてる2件の内容だけでは、中立的な観点の要件も満足しない。

123.198.66.200 さんにお願いします。再投稿される場合は、Wikipedia の編集方針をご確認の上、その文章が検証可能性の要件を満たしているかをご検討ください。

出典として認められるのは信頼できる情報源に限られます。その上で、あらためて「語録」を復活させる場合には以下の2点もご確認ください。

特別な重要性があって誹謗中傷に類するようなきわどい内容を書き込むのであれば、その理由を客観的に説明できなくてはなりません。また、一方的な立場から記述するのではなく、反論を併記するか、好意的な評価につながるようなものも掲載すべきです。面白半分で出所不明なゴシップを「…と言われている」などと書くのは2チャンネルや一部のブログでは歓迎されるかもしれませんが、Wikipedia においてはそうではありません。ルールを守りましょう。 また、「性格の悪さを物語るとも…」の表現では「性格が悪かった」ことが純然たる事実として印象付けられかねません。この種の判断は多分に主観的なものです。「ホロヴィッツにはわがままなところがあった」というのであれば彼の知人友人の多くが同意するでしょう。一方「性格が悪かった」は全人格否定に至っており、また「悪い」という言葉そのものが主観的な評価を含んでいます。人の死を喜ぶ言葉を語ったという穏やかならぬ記載内容と合わせると、読者はこのピアニストに対してかなりの不快感を感じることでしょう。123.198.66.200 さんとしてはそれを望んでおられるのかもしれませんが、Wikipedia はそのような個人的見解を広めるための場所ではありません。

「…とも言われる」という表現は、実際にはこの話が出所不明であることを隠すためのものです。これを認めると、根拠の薄弱な噂や個人的見解を広めることを許すことになります。事実かどうかさえ疑わしいことをこのようにうやむやにして公表する行為は、百科事典編集においては厳に慎むべきものです。

Wikipedia の編纂に参加するということが、今後のこの情報に接する人々にどのような影響を及ぼすかを熟慮の上、質の高いページ作成に貢献していただけるなら幸いです。--Classicphilia 2009年11月4日 (水) 15:50 (UTC)[返信]


改名提案(これまでの議論)

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生年が英語版と食い違っていたので、確認を取り、日本語版の方を訂正しました。ご確認ください。そういえば、昨秋、いろいろなところで生誕100周年を祝っていました。 00:00 2004年5月18日 (UTC)

カムバックは1965年では?しかし、12年間のブランクにもコンサートはしていなくても録音はしています。自殺は娘の70年代という説もgoogleでみかけましたが。いろいろ疑問ありです。 Kozawa 23:33 2004年5月31日 (UTC)

トリヴィア的な内容が多く、その一方でホロヴィッツを知らない方に彼の演奏家像を伝える重要な情報が欠落しているように感じましたので、トリヴィアねたは削除し、経歴など主な情報を追加しました。また、編集方針が他の事典類と大きく異なるとはいえ、ウィキペディアも百科事典ですから、一方的な価値判断や中立性の欠けた感情的な表現は不向きであると判断し、そのような表現を削除または修正した上、大幅に加筆しました。--Classicphilia 2009年10月11日 (日) 21:38 (UTC)[返信]

編集お疲れ様でした。お陰様でとても充実した項目になったと思います。なお欲を言わせていただければ、伝記など参考にした資料を明記していただけるとさらによくなると思います。どうぞよろしくお願いします。--sergei 2009年10月12日 (月) 12:33 (UTC)[返信]
今までの掲載内容もそれぞれの編集者様の思いがこもっているでしょうから独断でばっさりカットするのも失礼かと思い、活かせる文は活かすようにしたのですが、お陰様でまとめ方の揺れなども一層少なくなり、事典の一項目にふさわしい表現にまとまってきたのではないかと思います。出展についてはグレン・プラスキンとデュバルの著書によるものが多いのですが、あらためて原文にあたってから掲載するようにしたいと思います。何しろあれだけの演奏家ですから、ご覧になる方々に偏った印象を与えたり、この項目の記載内容が一部の愛好家が自分の思いのたけを書いただけの客観性を欠く記述と受け取られたりすることがないよう、心がけたつもりです。ご指摘ありがとうございました。--Classicphilia 2009年10月12日 (月) 13:38 (UTC)[返信]
この項目は以前から構成が入り組んでいて読みづらいな、と思っていたのですが、整理されてとても読みやすくなったと思います。出典は急ぐ話ではありませんので、ご都合のいい時にでも加筆してみて下さい。--sergei 2009年10月12日 (月) 14:37 (UTC)[返信]
通常「ウラディミール・ホロヴィッツ」と表記され、英語圏での実際の発音もこれが最も近いと思うのですが、何故「ヴラジーミル」などという実際に使われていない表記方法になっているのでしょう?もし変更を可能にする方法があるようでしたら、ご教示いただけるなら幸甚に存じます。--Classicphilia 2009年10月12日 (月) 15:23 (UTC)[返信]
項目名の決め方についてはWikipedia:記事名の付け方を、改名の手続きについてはWikipedia:ページの改名をそれぞれ参照して下さい。今は取り敢えず「ヴラジーミル」となる根拠について説明しておきますね。
まずВладимирというのはロシア語の男性名です。彼はウクライナの出身で、ウラジーミルによるとウクライナ語ならВолодимирとなるのですが、彼自身はこうした表記やこれに基づくラテン文字転写は用いていなかったはずなので、ウクライナ語のことは今は考えなくていいでしょう。で、ロシア語の場合диという音は日本語のジにかなり近い音になるため、この名前はウ(ヴ)ラジーミルと表記されることが多いのです。
ただ、彼の場合はウクライナ人とかロシア人というよりもむしろアメリカ人といった方が適切でしょうから、英語の発音を元に表記するのも十分妥当なことですし、むしろその方が自然かも知れません。диをディと表記するのもロシア語の仮名転写としてあながち誤りとはいえないでしょうし、ウ(ヴ)ラディーミルに改めることも十分検討に値すると思います。
しかしながらウラディミールというのはロシア語の本来のアクセントとは違っていますし、おそらく英語でもこのようなアクセントにはならないのではないかと思います。慣用としてもウラディミールはあまり用いられないと思います。今取り敢えず手許の資料で用例を調べてみると、音楽之友社の「ピアノとピアニスト2003」というムックではウラディーミルとなっています。
現状では私としてはウラディミールにはあまり賛成できませんが、ウ(ヴ)ラディーミルなら前向きに検討したいと思います。--sergei 2009年10月12日 (月) 16:28 (UTC)[返信]
いくつか誤りがあります。
まず、本文に書いてある「ロシア語ではゴロヴィッツと発音するが、ウクライナ語ではホロヴィッツとなる。」は根拠のない誤りです。モスクワ発音のロシア語に沿って表記すれば「ゴーロヴィツ」だし、ウクライナ語ならば「ホーロヴィツィ」です。「ホロヴィッツ」は何か別の言語の発音に従った表記でしょう(日本語とか)。
英語の発音は「ウラディーミル」でもなければ「ウラディミール」でもありません。まず、「v」を「ウ」と表記してもよいというのはロシア語だからであって、英語の「v」を「ウ」で表記するのは一般的ではありません。そもそも、英語での発音は「ヴラディマー」でしょう。
ロシア語でもウクライナ語でも英語でもない「ウ(ヴ)ラディーミル」への変更には賛成できません。ただ、もしかしてイディッシュ語だとそう発音されるのでしょうか……?もしかしてイディッシュ語だと「ウラディミール・ホロヴィッツ」が一番近いとか?それなら改名の余地が大いにあると思いますが、そうなると彼が使っていたのがイディッシュ語なのか英語なのかという点も論点になりますね。--PRUSAKiN 2009年10月17日 (土) 06:00 (UTC)[返信]
アメリカの Iowa Public Radio のサイトに音楽用語の発音を英語話者向けに解説したページがあるのですが(ノート:ジョコンダ・デ・ヴィートでの議論で知りました)、Hのページには Vladimir Horowitz の発音が二通り書いてあります。最初の{}内がおそらく英語風の発音なのでしょう。次にあるのが前半はロシア語風の発音で、後半の姓の発音がよくわかりません(これがイディッシュ語風の発音なんでしょうかね?)
Vladimir の英語風の発音は VLA-dih-mur とあり、VLAと大文字で書いてあるのでここにアクセントがあるようです。外来語の mir のような音を英語話者がミルのように発音することはないわけではないと思いますが、Vladimir に関してはヴラディマーのような発音が一般的のようですね。Horowitz は HAW-raw-wittz だそうなので、ホーロウィッツということになるんでしょうか。
まあそもそも Vladimir Horowitz という何語とも判別がつかないような表記を用いていたのはほかならぬホロヴィッツ自身なので、日本語風の表記でいいんじゃないか、という気がしてきました。で、日本語での慣用ですが、上ではウラディミールはあまり一般的でないはず、というようなことを書いてしまいましたが、調べてみたらRCACBSの後継であるソニー・クラシカルがウラディミールと表記していました(参考)。なのでこれも一つの候補になるかとは思います。--sergei 2009年10月17日 (土) 07:34 (UTC)[返信]
あ、確かに英語なら「ヴィッツ」とはならず「ウィッツ」でしょうね。
Horowitzは多分イディッシュ語の姓のラテン文字表記の一般的な綴りなんでしょうね。英語版とか見るとこれで姓のページが出てきますから。
単純にソニー・クラシカルの表記に従い、ほかについては本文か脚注でということでもいいかもしれませんね。本心を言えば、あまりいいと思ってませんが。--PRUSAKiN 2009年10月17日 (土) 08:22 (UTC)[返信]
私も特に積極的に推奨するわけではありませんが、ソニー・クラシカルの表記は一応公式的なものと見なすことが可能なので、それなりに尊重しなければならないでしょうね。
それから、Amazon で「ホロヴィッツ」で和書を検索すると、同姓の別人に関するものを除くと3冊ヒットします。このうちパトリック・ブリュネルの著作の訳書ではウラディーミルとなっています。Classicphiliaさんが加筆に当たって典拠とされたというデヴィッド・デュバルの著作の訳書グレン・プラスキンの著作の訳書はウェブではちょっと確認できません。よろしければどうなっているかご報告下さい(>Classicphiliaさん)。実際の執筆において典拠としたこの二冊の表記に従うというのも考え方としてあり得ると思います。
あと、やはり今回の大幅加筆の労をとって下さったClassicphiliaさんの意向も尊重したいところです。もちろん、あまりに不適切なものだったら採用するわけにはいかないでしょうし、Wikipediaの方針やガイドラインとしてどこかに明記してあるわけではないと思いますが、それなりに妥当なものである限りは、主執筆者の意向を汲むということも大事なことではないかと思っています。--sergei 2009年10月17日 (土) 09:38 (UTC)[返信]
賛成です。
本人が特にロシア語にこだわっていると言うことでもなければ、ロシア語名(に沿った表記)を絶対視しなければならない理由はないと思います。ただ、実際問題「ヴラディマー」という表記を採用するのはちょっと難しそうなので、別の表記になるでしょう。イディッシュ語の発音や片仮名表記法がわかればおもしろいのですが。
他になければ、ソニー・クラシカルの表記でよいと思います。よくねと思ってるのはいわゆる「個人的感想」って奴なので、気にしないで下さい。誤解を招く発言を載せてすみませんでした……。--PRUSAKiN 2009年10月17日 (土) 10:19 (UTC)[返信]
そんなに大した事をしたわけではありませんが、ご配慮ありがとうございます。
ロシア語の発音は全く知らなかったので、皆さんの書き込まれた内容を興味深く拝読しました。英語の発音はご指摘の通り、「ラ」に第一アクセント、「ミ」に第二アクセントが置かれます。実際の発音は人によってまちまちで、カタカナで表記するのは難しいですが、「ゥラ(ー)ディミーゥ」から「ゥラディムゥ[ミゥ]」くらいでしょうか。後者の最後の「ムゥ」は日本語にはない曇ったイとウの中間のような弱母音を少し伸ばす発音です。[ゥ]の音は、舌を "r" を発音する際と同じにはするものの、語尾なのではっきり「ル」とは発音されず、このような音に聞こえます。ですから、"mir" は「マー」ほどはっきりした「ア」の発音ではありません。
ホロヴィッツの名前がフルネームで実際に発音されている録音がいくつかあり、検証してみました。前者に近い例としては、ホロヴィッツ on TV 1968 カーネギーホールコンサート、後者に近いものとしては ホロヴィッツ at ホワイトハウス 1978 のナレーションなどがあげられます。ホワイトハウスの映像ではその後会場のアナウンスがあり、カーター大統領も何度かフルネームでホロヴィッツに呼びかけます。アナウンスはどちらかというと後者、大統領の発音は前者に近いように感じます。
ちなみに姓の方は、ご指摘のように「ホーロウィッツ」と呼ぶ方もあるようですし、「ホロ[ホゥロ]ウィッツ」やはっきり濁音にならないまでもわずかに濁って「ヴィ」に近いもの、「ロ」がほとんど欠落して「ホゥィッツ」「ホゥヴィッツ」のように聞こえるものもあります。アメリカ人の発音ですので、カーター大統領も「カーラー」ですし、やはり日本語の表記は日本語の問題として考えるべき面があるでしょうね。
これは私見ですが、ホロヴィッツはまずベルリンから西側での演奏活動が始まったため、紹介の際など、ラテン文字転写した姓名をドイツ語風に発音したのではないかと思われます。また、音楽の分野では読み方に困ったらとりあえずドイツ語風に読んでおくというような風潮があるのではないでしょうか。
いずれにせよ、ドイツ語的発想で発音すれば"witz" が「ヴィッツ」に発音されるのは当然と言えるでしょう。肝心の「ウラディミール」の方は、本来のウクライナ語?の発音とドイツ語と英語の発音の折衷案でしょうか。最近発売されたベルリンコンサートのCDのナレーションでは「ウラディミーァ・ホロヴィッツ」と発音されていました。ドイツ語では「ディ」にアクセントがあるようです。その後、英語としては少々違和感のあるアクセントの位置と(ご承知の通り英語では外来語も英語として定着するにつれ徐々にアクセントが第一音節に移る傾向があります)「ミーァ」の部分が英語風に変化して、"wi" の濁音も弱くなり…という感じで、ドイツ語読みをベースにした発音が定着しているのではないかと思います。
さて、日本語表記の件ですが、日本でも、姓はドイツ読みをもとにしていると考えられます。「ウラディミール」の方は、ラテン文字でのつづりを踏まえて、英語の発音を通常の表記法の限界内にまとめる形で「ウラディミール」となったのかもしれません。さすがに "mir" を聞こえるまま「ミウ」とは書けなかったのかな、と。経緯は定かではありませんが、RCAもCBSも、国内盤CDではこれまで私の知る限り常に「ウラディミール」と表記しておりましたので、日本での表記はそれで決まったものと思っておりました。たまに「ウラジミール」や「ウラディーミル」に出くわすことはありましたが、"di" を「ジ」とするのは「ディ」という表記方法が定着する前の古い書き方に思えましたのと、英語で「ディー」とか「ジー」のように "di" の個所を伸ばす発音は聞いたことがなかったので、この項目の表記に少々抵抗を感じた次第です。デュバルとプラスキンの著書については、手元に邦訳がなく図書館に確認に行く時間も今週はなかったためもう少々お待ちいただければ幸いです。
結局、表記は何がよいでしょうね。何で検索してもこの項目にたどり着くようなので、名前の方はどう表記されていてもいいのかな、と思ってもいるのですが。ロシア語の発音などの表記は以前に編集された方の文面に手を付けておりませんので、もし修正した方が正確になるのであればぜひそのようにしてください。よろしくお願いいたします。--Classicphilia 2009年10月17日 (土) 19:56 (UTC)[返信]
「ジー」になっているのは、単純に「ロシア語名での正しい表記がそうだから」というだけだと思いますが、作成者がどのような意図でこの表記を採用したのかはわかりません。
ここまでのお話で、もし「ウラディミール・ホロヴィッツ」にする改名提案がされたら賛成しようと思いました。イディッシュ語、ドイツ語等の発音や表記は考慮しなくても大丈夫でしょうか?
本文のロシア語等の箇所は修正してみます。そもそもロシア語やウクライナ語の説明が必要かどうかわかりませんが、とりあえず今まで書いてあったので説明は残す形で、内容の改善を図ります。--PRUSAKiN 2009年10月18日 (日) 02:12 (UTC)[返信]
ところで、冒頭に書いてあるVladimir Samoilovich Gorovits(Horowitz)は何語表記でしょうか?わからないので{{lang}}テンプレート使用せず、そのまま放置しました。適切な修正お願いします。--PRUSAKiN 2009年10月18日 (日) 02:19 (UTC)[返信]
Horowitz を( )に入れる正当な理由は見当たりません。英語版ページにあるロシア語表記に対する翻字(Russian: Владимир Самойлович Горовиц, Vladimir Samojlovič Gorovits)を、どなたかがホロヴィッツの名称の正式表記だと勘違いしたのではないでしょうか。Gorovits の方は削除してよいと思います。--Classicphilia 2009年10月19日 (月) 05:14 (UTC)[返信]
参考文献の項にも掲載した評伝3冊を確認しました。いずれもホロヴィッツと生前に親交のあった著者によるものの邦訳です。ホロヴィッツの名前は ①グレン・プラスキン「ホロヴィッツ」-「ヴラディミール・ホロヴィッツ」、②デヴィッド・デュバル「ホロヴィッツの夕べ」-「ウラディミール・ホロヴィッツ」、③フランツ・モア「ピアノの巨匠たちとともに」-「ウラディーミル・ホロヴィッツ」と表記されています。著者自身はホロヴィッツのごく身近にいた人物ですが、訳者がどこまでホロヴィッツについて理解していたかは分かりませんので、ここまで分かれているとなるとやはり参考程度ということになるでしょうか。ただ、「ジ」は原語に近い表記とはいえ、国内出版物等での表記方法の面でも、かなり少数派と考えて間違いないように思われます。--Classicphilia 2009年10月19日 (月) 07:18 (UTC)[返信]
出典の記載と表記のご報告ありがとうございました。本題に移る前にまず訂正ですが、ソニー・クラシカルはRCAではなく CBS の後継でしたね。で、RCA の後継の BMG CLASSICS もやはりウラディミールでした。
さて、ご紹介の動画を見てみましたが、確かに mi をミーのように伸ばして発音する例もあるようですね。最後の r は英語なのではっきりとルのようには聞こえませんが、英語のこの発音に準拠した表記として、ウラディミールはそれなりに妥当なものといっていいのかも知れません。私はこの長音記号の位置には違和感があったのですが、これを見てかなり納得しました。(リンクはこの議論が一段落したら編集除去しておくことにしましょう。)
参考文献3冊の表記は割れているようですが、このうち特にホロヴィッツ個人について扱った伝記2冊が -ミールという長音記号の位置を採用しているということは、日本語での慣用としてはこの位置が普通なのでしょう。RCAとCBSの表記も併せて考えると、やはりウラディミールが望ましいのではないかと思います。もしよろしければ「ウラディミール・ホロヴィッツ」への改名提案を提出したいと思いますが、いかがでしょうか。
最後に、Gorovits の扱いについてはClassicphiliaさんと同意見です。--sergei 2009年10月20日 (火) 09:17 (UTC)[返信]
今朝ほど私から改名提案を提出しようかとも考えたのですが,この種の手続きは初めてで,手順に誤りのないようにするには少々不安で躊躇しておりました。もしその労をとっていただけるのであれば,大変に助かります。Gorovitz は詳しいお二方も違和感をお感じのようでしたので,勝手ながら削除させていただきました。蛇足ながら,レコード会社の所属の件は,CBSだけでなくRCAも現在ソニー傘下に入りましたので,先のsergeiさんの表現で間違いはなかったと思います。
改名の件,お手数をおかけしますが何卒宜しく御願いいたします。--Classicphilia 2009年10月20日 (火) 11:42 (UTC)[返信]
承知しました。--sergei 2009年10月20日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

改名提案

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本項目をウラディミール・ホロヴィッツに改名することを提案します。理由はこれまでの議論で出てきたことに基づいているのですが、以下に簡単にまとめてみます。

まず、名については現行のヴラジーミルのほかに、ウラディミール、ウラディーミルなどの用例があります。それぞれの特徴を述べると次のようになります。

  • ヴラジーミル - ロシア語の発音に忠実な表記。ただしロシア語の発音に準拠しなければならない必然性はさほど高くない。
  • ウラディミール - RCA/CBSの日本盤で用いられてきたほか、デヴィッド・デュバルによる伝記の日本語訳でも用いられている表記。グレン・プラスキンによる伝記の日本語訳もこれに近いヴラディミール。ロシア語と英語を折衷した表記だが、ホロヴィッツの経歴を考慮すればこうした折衷的な表記を用いることにはある程度の必然性がある。
  • ウラディーミル - 一部の日本語文献で使用されている表記(音楽之友社「ピアノとピアニスト2003」やフランツ・モア「ピアノの巨匠たちとともに」など)。長音記号の位置はロシア語の発音に忠実。

こうしたそれぞれの表記についての事情を総合的に勘案した結果、これまでの議論ではウラディミールが望ましいだろう、ということになっています。特に専属契約を結んでいたRCAとCBSによる表記は公式的なものと見なすこともできることを重視しています。

なお、姓についてはほとんど揺れはないはずで、新聞などでホロビッツとなることはあっても、普通はまず間違いなくホロヴィッツでしょう。これまでそれほど深い議論はしていませんでしたが、現在のものを変更することは考慮しなくていいと考えています。

この提案についてご意見がありましたらお願いします。--sergei 2009年10月20日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

報告 ご意見ありがとうございます。提案から一週間になりますが賛成意見のみでしたので移動依頼を提出しておきました。--sergei 2009年10月27日 (火) 10:06 (UTC)[返信]

蛇足ですが、もしかしたら「ヴラディーミル・ホーロヴィツ(ホロヴィッツ)」という表記はウクライナ方言のロシア語発音に準じているのかもしれませんね。まあ、普通日本語でロシア語を表記する際は方言とかは考慮しないんですが……。--PRUSAKiN 2009年10月31日 (土) 06:30 (UTC)[返信]