ノート:ウチナーヤマトグチ
2006年9月
[編集]2006年8月14日 (月) 15:03の版 で、何の理由の明記も無く形容詞(後半)、副詞及びその他 の項目が抹消されていた(形容詞「ガンジュー」は文章の途中でちぎれていた)ので、2006年8月4日 (金) 09:35の版を元に復旧しました。 Bakkai 2006年8月26日 (土) 10:08 (UTC)
文章を一部整理してみました。--61.214.74.43 2006年9月5日 (火) 05:28 (UTC)
「新方言」の扱いについて。
[編集]「新方言」はもともと1983年に井上史雄が指摘した現象で、彼によると(井上史雄(1998)『日本語ウオッチング』岩波書店)、「①若い世代に向けて使用者が多くなりつつあり、②使用者自身も方言扱いしている、③共通語では使わない言い方」をその条件としています。つまり新方言は(井上の定義によれば)あくまで「言い方」すなわち音韻・語彙・文法などの個々の現象を指すものであり、(言語学的な定義に基づく)「方言」=その地域における言語体系(言語の総体)を指すものではないと考えられます。現に上述の文献では「新方言」の例として、東日本におけるいいベ(接尾辞「ベ」の使用法の簡略化)、北海道出自のアオタン〔青あざ〕の若年層を中心とする東京への流入と全国への拡大など、個々の言語事象を挙げています。なお、上述の文献は岩波新書ですので比較的容易に入手できます。ぜひご一読ください。 と考えますと、ウチナーヤマトグチは現在の沖縄で行われている言語体系と考えられますので、井上の定義によればこれを「新方言」とするのは適切ではないのではないかと思われます。ウチナーヤマトグチは本文でご指摘の通り、共通語と(不完全に継承された)琉球方言の接触によって生まれ、かつこの地域の若者が(琉球のアイデンティティを保ちつつ)独自性を追求した結果形成されたものなので、むしろネオ方言と言うべきだと思います。 …ネオ方言は1987年に真田信治が指摘したもので、彼によると(真田信治(2001)『方言は絶滅するのかー自分のことばを失った日本人』PHP研究所)、「標準語(※筆者注)と方言相互の干渉過程で、従来にはなかった新しい混交形ができつつある状況」を指し、若年層の人々が従来の方言スタイルからも標準語のスタイルからも逸脱しようとする結果、中間的スピーチスタイルが創造されつつある、としています。なおこの文献もPHP新書ですので入手は容易だと思います。 …「新方言」はネーミングとしては非常に分かりやすいのですが誤解されやすい側面があります(言語学的には体系を指す「方言」という語を、個々の言語事象に用いるのは不適切ではないのか―そもそもネーミング自体に問題があるのではないか、その点においても誤解を招く要因があるのではないか、と自分は考えるのですが)。「新方言」は言語学の術語ですので(他の術語と同じように)、少なくとも学問的に用いる場合は、しっかりした文献(すなわち、その道の専門家の著作や辞典・事典など)にあたり、(現時点での)その意味・使われ方などを正確に把握した上で用いるべきだと思います。また、それがその学問に対するより深い関心につながることもありますし、そしてその学問の発展に寄与することにもなるかもしれません。そうなればたいへん素晴らしいことです。特に、日本における社会言語学・方言学あるいは日本語学は一時に比べると低調で(ちなみに自分は社会言語学専攻の大学院生になるべく浪人中の、地方のフリーターです)、その勢いを取り戻すにはもちろん研究者の努力は不可欠ですが、一人でも多くの方々に興味・関心を持っていただくことが大変重要であると自分は思っています。「新方言」という単語一つを調べることで、その先に知的興奮に満ちた奥深い森があることを知っていただけたら、と思った次第です。 …以上、失礼ながら指摘をさせていただきました。悪文お赦しください。 なお、この『ウィキペディア』の「新方言」の記事も(井上の定義からすると)誤解されている部分があるようなので、また意見させていただきたいと思います。
※標準語…真田は「共通語」について、上述の著書で「原義的には、異なった言語あるいは方言の間でのコミュニケーションに使われる第三の言語(言語変種)」であり、「コミュニケーションの重要な役割を果たすという、機能に着目した用語」であるとしている。現在は東京を基盤とした言語変種が日本各地で「共通語」として機能しているが、それは各地で多様性を持った存在である(つまり、現在の「共通語」は東京語を基盤としているが、一つの定まった形ではなく各地で適した形で運用されている―地域ごとに「共通語」がある、ということ)。一方、「標準語」については、〈各地域で、あるいは個々人が、スタイルを軸としたフォーマル・ハイレベルのものとして志向する対象〉であるとしている。ネオ方言は「標準語と方言の相互干渉」によって発生したのだが、なぜそれが起こるかと言えば、若年層の人々に最も大きな影響を与えているのはマスメディアを通じて流される東京語でのカジュアルなスピーチスタイルであり、それに対して彼らがある種のプレステージを感じているからである。つまり、若年層の人々がフォーマル・ハイレベルなものとして志向する対象としての東京語でのカジュアルなスピーチスタイルという意味で「標準語」が用いられていると解釈できる。このネオ方言という中間的スピーチスタイルは若年層においてカジュアルな場面と判断されるときに使われる(その判断の仕方は各々によって異なる)。伝統方言が(不完全な継承のために、あるいは独自性を出すために)使えない地方の若年層にとってはカジュアルな場面で使用する言語としてこの中間的スピーチスタイルは必要不可欠なのだ(東京語は彼らにとってはフォーマルな場面で使用する言語であるため、カジュアルな場面では使いにくい)。
ホーミーを「豊味」を語源とする表記について
[編集]その解釈のその字は誰かの誤解ではないのか。
考えてみて欲しい。「豊かな味」とはどういう事なのか。
私はウチナーンチュのおっさんだが、私が中学生の頃に語源と聞いたのは「豊実」である。
「実」が意味するのは子供、子孫の事。
沖縄文化に流れる思想の一つには「母体回帰」というのがあるとする説があるらしい。
それが一番良く表れている物の一つが亀甲墓だと聞いた。
Wikipediaの亀甲墓のページには「亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、母の胎内、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味している。」とあるが、墓の入り口は女陰を表し、塀ががっちりしているのは脚を模しているという解釈もあると、その時に聞いた。
つまり胎内より生まれ、胎内に帰るというわけだ。
そして沖縄文化は女性を尊重する文化でもある。
例えばおじーよりは遙かにおばーのほうが大切にされる。
そんな訳で、「味」などと侮蔑的な表現が語源であるとする可能性はまず考えられないと思う。
--202.162.137.41 2009年4月4日 (土) 14:46 (UTC)
表現方法について
[編集]記事文中のパーレンカッコによる注釈が多すぎでしょうこれは。
このノートの上の「「新方言」の扱いについて。」を書いた人も同じような書き方なので、同一人物と思いますが、ひどいです。
パーレン注釈に個人の主観や感想文を入れるのも問題です。
閲覧者に読ませる気のないひとりよがりの文体です。パーレン注釈を多用しない文章にしてください。
最初に結論を書いてから、理由を書いて、長文にならないように「。」で締める。これで十分です。
--220.36.29.132 2011年10月2日 (日) 01:52 (UTC)
記事表題と表記のずれ
[編集]タイトルは「ウチナーヤマトグチ」のままなのに、少し前から本文表記だけ「ウチナーヤマトゥーグチ」に変わっていますね。これは(「ウチナーヤマトゥグチ」も含めて)どれを代表表記とすべきか決めて、いずれかに統一すべきだと思います。その上で、
- 必要であれば記事を新しいタイトルに移動する。
- 実際に使用されている表記は冒頭部分で列記するに留める。
- 各派生表記のページを作成し、本文ページへのリダイレクトとする。
といった処理が必要でしょう。--死郎 2011年10月19日 (水) 13:00 (UTC)
「語彙集」について
[編集]この記事の「語彙集」ですが、ウィキペディアの方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに抵触しています。具体的には WP:NOTDICTIONARY(ウィキペディアは辞書ではありません)と、WP:IINFO(ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません)でしょう。「方針」はすべての利用者が従うべきと考えられております。また、この語彙集はWikipedia:検証可能性も満たしておりません。履歴を参照したところ、利用者:Oyashiroと、その同一人物と思われるIPユーザーが数年にわたり大量に加筆してきた模様です。上記のとおり、語彙集はウィキペディアの記事に掲載すべきではありませんので、特に意見がなければ1週間後をめどに除去いたします。結果としてかなり大幅な内容減になりますが、そろそろ方針に違反している内容を放置することは終わりにするべきです。--Nanafa(会話) 2013年12月18日 (水) 00:40 (UTC)
告知しました。改めてざっと眺めてみましたが、「人称代名詞」と「ウチナー英語」については概要が記述されておりますので、それは残して個別の語彙は他と同様に除去します。--Nanafa(会話) 2013年12月19日 (木) 00:17 (UTC)
- 済 提案通り、編集を実行しました。なお、「人称代名詞」は語彙集と同等の内容であったため除去し、「ウチナー英語」は概要のみ残しました。--Nanafa(会話) 2013年12月27日 (金) 05:33 (UTC)
ウチナーヤマトグチ vs. 沖縄大和口
[編集]私は「沖縄大和口」と漢字表記のほうがいいと思います。 みなさんはどう思いますか? みなさんの意見を頂ければ幸いです。 ミーラー強斗武 (talk) 2014年4月11日 (金) 15:11 (UTC)
- 反対 既にやってしまった後で「どう思いますか?」と言うのはどうなんですかね。あなたの提案には反対を表明します。はっきり言って、あなたはWikipedia:記事名の付け方というガイドラインに目を通していませんね。どういうつもりなのか知りませんが、沖縄大和口と書いて「ウチナーヤマトグチ」と読ませるのは無理がないですか?っていうか、「沖縄大和口」なんて単語は初めて見ましたが、元々存在している単語なんですか?とても認知度の高い表記とは思えません。あなたが勝手に作った単語でしょう。少なくとも「ウチナーヤマトグチ」という表記には出典があります。それに、沖縄は「おきなわ」であって、通常「うちなー」とは読みません。漫画や小説で作者が意図を持って沖縄と書いてウチナーというルビを振るとかなら分かりますが、百科事典でそれをやる必要性を感じません。そもそも、あなたが漢字表記がいいと思ってる理由は何ですか?そこから教えてほしいんですが。もう一度言いますけどあなたの提案(というより、行為)に反対しますし、記事名を元に戻していただくことを強く要求します。--Nanafa(会話) 2014年4月11日 (金) 15:46 (UTC)
- すみません。おせっかいかもしれませんが、もめてるのに元に戻されないようなので、私が戻してしまいました。--ShikiH(会話) 2014年4月11日 (金) 17:02 (UTC)
- 処置に感謝いたします。利用者:Sturmgewehr88氏(署名はなぜか「ミーラー強斗武」ですが)は同様の手口で改名提案を経ずに沖縄方言を沖縄口に移動しており、改名の理由もよく分からないので、まずは改名提案をしていただきたいと思います。--Nanafa(会話) 2014年4月11日 (金) 17:10 (UTC)
- すみません。おせっかいかもしれませんが、もめてるのに元に戻されないようなので、私が戻してしまいました。--ShikiH(会話) 2014年4月11日 (金) 17:02 (UTC)
- ShikiHでございます。ミーラー強斗武さんは、記録を見たところ、まだそんなに経験のある利用者ではありません。元に戻せと言われても、やり方がわからなかったのかもしれません。Wikipedia:ページの改名の定めるところに従って、改名提案してくだされば、ありがたく思います。そのなかでまず議論して、結論が出たのちに必要なら改名することになります。手続きでわからないことがあれば、私がこのページを1日おきくらいには見るので、どうぞお聞きください。わかる限り、お答えします。--ShikiH(会話) 2014年4月11日 (金) 20:37 (UTC)
ミーラー強斗武さんは、なにゆえ「沖縄大和口」という表記に執着されているのでしょうか。前にも言いましたが、「沖縄」と書いて「ウチナー」と読ませるのは、「地球」と書いて「ほし」と読ませるくらいエモーショナルです。小説や漫画の作品名なら分かりますが(たとえば地球へ…とか)、この記事にそれをする必要はありません。--Nanafa(会話) 2014年4月14日 (月) 01:45 (UTC)
記事冒頭の方言成立の経緯について
[編集]現在の記事冒頭には「沖縄の住人による標準語受容の努力の結果、<中略>成立した、新しい日本語の方言である。」とありますが、「大和民族による琉球民族の民族浄化の結果」の可能性はないのでしょうか。私はどちらが正しいのかは存じ上げませんが、出典なしで現状の記述は大いに問題があると思います。とにかく出典が必要です。--美作土建業親父(会話) 2023年12月3日 (日) 18:20 (UTC)