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ノート:ウォーターゲート事件

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過去のノート投稿

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人名が羅列されているばかりでどういう事件だったか非常に分かりづらいのですが・・まずトップに概要を書いていただけませんか--以上の署名のないコメントは、59.171.30.197会話/Whois)さんが 2006年3月8日 (水) 10:46 (UTC) に投稿したものです(Huugoによる付記)。[返信]


この項目、一体誰が主導して書き込んでいるのやら、、、あまりにも日本語表現がお粗末すぎる。「不法侵入」の箇所を若干手直ししてみたが、全面的に見直す必要があると思われる。--以上の署名のないコメントは、211.132.154.219会話/Whois)さんが 2006年10月3日 (火) 20:48 (UTC) に投稿したものです(Huugoによる付記)。[返信]


英文を直訳しているのか、文章がまどろっこしく、読みづらい。日本語の文章として成り立っていない。一度自分の書いた文を読んでから投稿して欲しい。—以上の署名の無いコメントは、なんなんなんノート履歴)さんが 2007年2月21日 (水) 21:43 (UTC) に投稿したものです(Huugoによる付記)。[返信]

2015年7月7日の編集

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盗聴・侵入の背景の節

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下記の引用部分の「いったんは決定したが、フーヴァーFBI長官の猛反対で撤回されている。」を下記の理由で削除しました。

>翌1970年にカンボジア侵攻に抗議して全米の大学で学生デモが行われた時に、 >国内治安のための情報収集活動の強化を目指し、規制を緩めて学生スパイの育成、外国大使館への侵入、 >郵便物の開封、電話盗聴を行う旨の大統領諮問委員会の勧告が出ていったんは決定したが、 >フーヴァーFBI長官の猛反対で撤回されている(出典:朝日新聞外報部(1973年)、pp.104 - 105)。

朝日新聞外報部の出典(新聞記事にも出典がない記事は多数ある。 朝日は民主党を賞賛し共和党批判する傾向が顕著なので出典として偏りがある。)により、 フーヴァー長官が、侵入、郵便物の開封、電話盗聴に猛反対しと記載され、 フーヴァー長官が法律を守って誠実に仕事をする清廉潔白で品行方正な人格者・公務員として描かれているが、 広く知られているフーヴァー長官の人間性・言動・行い・仕事のやり方に照らして、 事実と正反対であり、虚偽というよりも捏造や妄想レベルの表現になっている。

フーヴァー長官の人間性や言動や行い、FBI長官としてどれだけの違法行為と権力私物化を繰り返してきたかは、 ジョン・エドガー・フーヴァーのページに記載されているとおりであり、 ティム・ワイナー著作、文藝春秋発行の『FBI秘録 (上・下) その誕生から今日まで』、 ロナルド・ケスラー著作、原書房発行の『FBI秘録』、 ロードリ・ジェフリーズ・ジョーンズ著作、東洋書林発行の『FBIの歴史』、 ウィリアム・サリバン、ビル・ブラウン著作、中央公論新社発行『FBI 独裁者フーバー長官』、 アンソニー・サマーズ著作、新潮社発行『大統領たちが恐れた男 FBI長官フーヴァーの秘密の生涯』、 カート・ジェントリー著作、文藝春秋発行『フーヴァー長官のファイル』、 などに詳細に記載されている。

ニクソン大統領と政権幹部がウォーターゲート事件で行った事実を検証可能性を示して記載することと、 フーヴァー長官や、フーヴァー長官死去時のフェルト副長官や他の幹部たち、当時のFBIが、 法律を守って誠実に仕事をする清廉潔白で品行方正な公務員、連邦政府機関であったかのように記載することは、 ウォーター事件を告発する側をそう描くことによって、ニクソン大統領と政権幹部側との対比を、 際立たせる表現をしていて、編集者の私的見解・印象操作が盛り込まれているが、 そのような表現はWikipediaの編集方針に違反するので、および、本項の解説の本質と無関係なので削除。


捜査妨害・もみ消しの節

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下記の引用部分の「(出典:この時FBIは、フーバー長官が前月の5月2日に死去して、 内部からマーク・フェルト副長官の昇格という見方もあったが、 ニクソンは外部から自分の意になる人材としてグレイを指名した。 ただ議会の承認が必要なので長官代行という位置づけであった)。」の部分を下記の理由で削除しました。


>まずCIAがこの事件に関与しているかどうか、問い質してヘルムズ長官は「全くありません」と返答してから、 >ハルデマンは「これは大統領の希望だが(※後に大統領の希望とは言わなかったと補佐官は証言している)、 >グレイFBI長官代行(出典:この時FBIは、フーバー長官が前月の5月2日に死去して、 >内部からマーク・フェルト副長官の昇格という見方もあったが)、

長官が死去・辞職・罷免となった場合、副長官を順送り人事で内部昇格させるという慣例はない。 歴代長官も副長官からの組織内順送り昇格任命ではない。

>ニクソンは外部から自分の意になる人材としてグレイを指名した。 >ただ議会の承認が必要なので長官代行という位置づけであった。

大統領による政治任命は、本来そういう性格のものであり、不自然なことではない。

当時のFBIは、初代FBI長官として48年間在職(それだけでも民主主義国では常軌を逸した権力の私物化である)し、 副長官以下の幹部にフーヴァーに忠誠を誓う部下たちを登用し、組織を私物化して、 電話・自宅・ホテルの盗聴、郵便の検閲、住居への侵入など、あらゆる違法捜査を繰り返して、 国会議員、大統領・副大統領、連邦政府機関の長官・副長官・管理職、裁判官、 社会運動家、企業経営者、芸術家、スポーツ選手など、 あらゆる有名人の個人情報・プライバシーを違法に入手した資料により、 公開されたくなければFBIの要求を受け入れろ、拒否すればリークして失脚させる、 という脅迫・恐喝を組織的に繰り返していた。

フーヴァー長官とその部下たちにより私物化され、独裁政権下の秘密警察化していたFBIを、 歴代の議会・政権・裁判所はいつかは正常化しなければならないと考えていたが、 フーヴァー長官とその部下たちの反撃による失脚を恐れて、 フーヴァー長官とその部下たちを罷免できない状況だった。 そのような原因でフーヴァーは1924年から1972年まで48年間FBI長官に在職した。

1972年5月のフーヴァー長官の死去をきっかけとして、 フーヴァー長官の死後も、FBIが収集した個人情報・プライバシーの暴露と、 フーヴァー長官に登用された幹部たちの反撃を恐れて、 副長官を次の長官に任命し、副長官以下の役職も順送り人事で内部昇格させて、 フーヴァー長官に登用された幹部たちによるFBIの私物化・秘密警察化が継続されるか、 それとも、フーヴァー長官に登用された幹部たちが大統領によって罷免され、 FBIの長官・副長官から管理職までの人員の刷新・FBIの改革がされるか、 フーヴァー長官の死去直後には不明であった。


その後の節

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>なおフェルトの動きを「FBIがマスメディアを利用しニクソン大統領を辞任に追い込んだクーデター」とする見方もあるが、

>CIAを使って捜査を妨害したりして、FBI内部でニクソン政権への不信感が強かったことは事実だが、

>最初の段階でニクソンはディープ・スロートがフェルトであることを確信していたことと

上記の>捜査妨害・もみ消しの節の削除理由で述べているように、 ニクソン大統領が後任のFBI長官にフェルト副長官を任命せず、FBIとの関係がなかった外部の人間を任命した時点で、 ニクソン大統領がフーヴァー長官の死去をきっかけに、フーヴァー長官に登用された幹部たちによる、 FBIの私物化、秘密警察化からFBIを改革し正常化させる方針に転換し、長官・副長官・管理職に外部の人間を任命し、 人事を刷新することが明らかになった時点で、 フーヴァー長官時代の体制を維持しようとするフェルト副長官とその他の幹部たちと、 ニクソン大統領の全面的な対立、どちらが勝つか負けるかの全面的抗争状態になっていた。

フーヴァー長官とフーヴァー長官に登用されたフェルト副長官や他の幹部たちによるFBIの私物化・秘密警察化による、 ありとあらゆる違法な捜査により集めた資料を脅迫・恐喝の材料に使い、 同一人物がFBI長官に48年間在職し、議会も政府も裁判所も罷免できない存在として国家権力の濫用していたことは、 ウォーターゲート事件という一つの事件とは比較にならない重大な国家権力の私物化・濫用だった。

FBIがニクソン大統領を失脚させるためにウォーターゲート事件を暴露したことは、 一般論と常識に照らして、状況証拠としては十分に推測可能であるが、 フェルト副長官も他の幹部たちも、FBIが組織としても、そのような動機・目的を明示はしていないので、 証拠・出典が不十分なので記事本文には記載できないが、 そのような動機・目的でウォーターゲート事件を暴露したとの推測と比較して、 そのような動機・目的は絶対にないと断定する根拠はなおさらないので、 そのような動機・目的は絶対にないと明示的に否定することは編集者の私的見解の披露になり、 Wikipediaの編集方針に違反する。

史実としては、ニクソン大統領は議会による弾劾・罷免が確実と悟って、弾劾・罷免される前に辞職したが、 ニクソン大統領が辞職するまでの間の人事の刷新により、 フーヴァー長官に登用されたフェルト副長官や他の幹部たちもFBIを去り、フーヴァーの部下の人脈は除去され、 フーヴァー長官とフーヴァー長官に登用されたフェルト副長官や他の幹部たちによるFBIの私物化も崩壊し、 ニクソン大統領の後任のフォード大統領以後の歴代大統領によっても、 フェルト副長官が長官に任命されたことはなく(FBI離職時に60歳だったので年齢的には復権の可能性はあった)、 他の幹部たちもFBIの役職に復帰したことはなく、ニクソン大統領によるFBIの改革は、 現職のオバマ大統領まで継続されている。


>1970年に侵入・盗聴・スパイ育成を決めたホワイトハウスにフーヴァー長官が猛反対して撤回させたことがあり、

盗聴・侵入の背景の節、捜査妨害・もみ消しの節の削除理由で述べたように、 フーヴァー長官が法律を守って誠実に仕事をする清廉潔白で品行方正な公務員では全くなく、 フーヴァー長官は権力と組織の私物化、目的なためならあらゆる違法な手段を使うことも全く良心の呵責もない性格であり、 法律を守って誠実に仕事をする清廉潔白で品行方正な公務員、連邦政府機関であったかのように記載することは、 ウォーター事件を告発する側をそう描くことによって、ニクソン大統領と政権幹部側との対比を、 際立たせる表現をしていて、編集者の私的見解・印象操作が盛り込まれているが、 そのような表現はWikipediaの編集方針に違反するので、および、本項の解説の本質と無関係なので削除。


>もともと事件を起こしたのはニクソンのホワイトハウスであり、

>ウォーターゲート事件はニクソン政権の体質が生んだ事件であり、最後は自滅で終わった事件であると言える。

上記は事実としてそのとおりであるが、

>次のグレイ長官代行に別の事件の証拠を処分させたりして辞職に追い込まれ、

>フェルトがニクソンよりも1年前に辞職して後に裁判で被告になった時に証人として擁護したのがニクソンであったことを考えれば、

上記のように編集者の私的見解に結び付けて、 だから、フーヴァー長官に登用されたフェルト副長官や他の幹部たちが残存していた当時のFBIが、 政治的動機・目的でやったのではなく、アメリカ合衆国民としての良心、連邦捜査局職員としての正義感から、 ニクソン大統領のウォーター事件を告発したと断定し、清廉潔白で公正無私な模範的人格者のように印象付ける表現は、 ニクソンに対する編集者の私的感情や見解が盛り込まれていて、Wikipediaの記事でそういう表現活動をするのは、 編集方針に反している。編集者が私的に、ニクソンに悪感情・批判的見解を持っていても、 Wikipediaの編集と称してそれを記事に盛り込むことは、Wikipediaの編集方針に反する。

検証可能で信憑性の高い適切な出典を選んで、出典と検証可能性を明示して、 検証可能な客観的事実に限定して記載しなければならない。

誰かの主観に帰属する、推測・可能性・評価なども、その主観を事実であるかのように記載するのではなく、 誰がどのような根拠でどのように推測・可能性・評価を表明しているかを、 検証可能性を示して客観的に記載しなければならない。

--Earlylight会話2015年7月7日 (火) 23:29 (UTC)[返信]


 「ニクソンに対する編集者の私的感情や見解が盛り込まれていて、Wikipediaの記事でそういう表現活動をするのは、編集方針に反している。編集者が私的に、ニクソンに悪感情・批判的見解を持っていても、Wikipediaの編集と称してそれを記事に盛り込むことは、Wikipediaの編集方針に反する。」こう述べられた7月7日の編集者にお伺いします。

それならば何故加筆しないのですか。少し削除するだけでその理由をこれほど長く書くエネルギーがあるのであれば、そのエネルギーで出典をつけて加筆すればいいではありませんか。しかも本文なしで参考文献を追加していますが、ここはウォーターゲート事件の項です。フーバー関連の図書を入れているのは何故ですか。フーバーは事件発生の前に亡くなっています。ウォーターゲート事件の展開には殆ど関係ありません。フーバーのことをあれこれ書いても事件との直接の関連は出てこないのです。そしてFBIは全てフーバーの子分で、上の説明ではあらゆる諜報活動を行ったことを列記していますが、そんなことは誰でもすぐに理解している話です。国の諜報活動やスパイ活動の最高責任者が清廉潔白で品行方正な人物で勤まると考える方が不自然です。ゆえに、そう決めつける根拠、ここのどこにFBI及びフーバーが正しいなどと書いているところがあるのですか。お示し下さい。

削除された「いったんは決定したが、フーヴァーFBI長官の猛反対で撤回されている。」これのどこがフーバーを褒めているのですか。問題のある人物であろうが、犯罪者であろうが、清廉潔白な人物であろうが、事実の経過を述べているに過ぎません。しかもその理由が「朝日新聞」だからということをまず書いているが、驚きました。自分の意見と異なる新聞であろうが、問題を起こした新聞であろうが、最初から排除すること自体が問題です。Wikipediaの編集方針に朝日はダメだとどこかに書いてあるのですか。お示し下さい。

しかももっとも不可解に思う部分があります。ウォーターゲート事件の起こる2年前の1970年のホワイトハウスとFBIとの動きについては、あなたが参考文献にわざわざ追加して「FBI長官としてどれだけの違法行為と権力私物化を繰り返してきたか」わかるとした「ティム・ワイナー著作、文藝春秋発行の『FBI秘録 (上・下) その誕生から今日まで』」の下巻には実はこの1970年のフーバーとニクソンとのやり取りの内容が詳細に書いてあります。そこにもフーバーが反対してニクソンが諦めたと書いてあります。参考文献に上げる限り本を読まれていると仮定すれば、私にとっては全く納得ができません。その前段で「ホワイトハウスが電話盗聴を命じFBIは1969年から実施している」と私が書いたのは、すでにこの時点でFBIとホワイトハウスは共犯関係のようなもので決して綺麗ごとで見れるものでないことぐらいは読み取ってほしいです。

もう一つニクソンとフーバーの関係です。私はティム・ワイナー著作の「FBI秘録」の下巻のみを参考文献にいれましたが、7月7日の編集者はわざわざ上巻を追加しています。何故追加したのですか。私が入れなかったのはウォーターゲート事件に関したところが無いからです。しかも上巻を読んでいくと、ニクソンとフーバーの関係は1946年にニクソンが議員になってから、50年代のマッカーシーによる赤狩りで、フーバーから情報を数多く入手していたこと、副大統領になってから、ホワイトハウスとフーバーの自宅との直通電話が設置され、ニクソンは1日に2回(朝と夜遅く)に電話していたと書かれています。要するにニクソンとフーバーの関係は歴代大統領の中でも最も近い関係であること示していませんか。フーバーを非難するのはご自由です。しかし、集めた個人情報をもとに『「公開されたくなければFBIの要求を受け入れろ、拒否すればリークして失脚させる」という脅迫・恐喝を組織的に繰り返していた。』と書いていますが、それならばニクソンは脅迫されていたのですか。ケネディ大統領の例はあります。ルーズベルト以後の大統領でケネディ以外に脅迫された大統領がいるかどうかは知らないが、アイクもジョンソンもニクソンも、むしろFBIを活用して情報を集め、フーバーと利用しあう関係ではなかったかと想像しています。ティム・ワイナー著作の「FBI秘録」上巻はまさにその内容が入っていてニクソンとの関係も良好である(利用し利用されることにおいて)と読めるのですが、このことと上の内容と矛盾していませんか。フーバーの恐ろしさは、得た情報を自分から直接の相手にぶつけることはせず(例外はケネディ)、相手が嫌がる人物にそれとなくリークする、場合によってはわざとガセネタの情報で対立する相手を失脚させることなどではないですか。FBI自ら脅迫・恐喝するのはスパイや前科者などではっきりとした目的がある場合に限られていると考える方が自然です。それだから長期に渡って長官で居られたとはなぜ考えないのですか。

もう一度書きます。参考文献に上げる限り本を読まれていると仮定すれば、私にとっては全く納得しません。私がティム・ワイナー著作の「FBI秘録」の下巻の内容と同じティム・ワイナー著作の「CIA秘録」下巻に出典依拠して書いたものを、フーバーがどうの、FBIがどうのといいながら、参考文献でティム・ワイナー著作の「FBI秘録」を読めとは如何なる理由からですか。お示し下さい。

蛇足ですが、1970年にフーバーの反対で撤回させたことは、ニクソンがフーバーに見切りをつけることとなり、その後ニクソンはFBI内部の協力者を通じて動いていくことなります。ただしここからは私の主観ですが、この後はFBIはFBIで、ホワイトハウスはホワイトハウスでバラバラに盗聴などの活動をしたことが、結局1972年6月17日に民主党本部盗聴の現場を押さえられる結果につながったと考えます。もし1970年の時点でニクソンがうまくフーバーをなだめてFBIと共同で活動チームを作ったとしたら(この可能性はあったと思います)、完璧な盗聴が出来て、捕まらず歴史の裏側の話として誰にも分からずに終わったと思います。FBIだったら夜間に侵入して盗聴装置を付ける(しかもその前に一度失敗している)などの危険な行動はせずに、民主党内部に内通者を作って装置の取り付けから他の情報収集を行ったと考えます。1970年にFBIを取り込むことが出来ずホワイトハウスが自前でやったことが「三流のコソ泥事件」となり、この余りにもお粗末であったゆえに、プロの仕業ではないとして当初は大きな事件として取り扱われなかったと考えます。

フーバーは何故反対したのか、私は唯一諜報活動が認められて情報収集ができ、1人の長官に集中して極秘情報が入るシステムがFBI長官の権力の源泉であるのに、これにホワイトハウスが入ることでFBI長官の立場が犯されてFBIの弱体を招くと考えたと思ったのですが、ティム・ワイナー著作の「FBI秘録」下巻を読むと実はもっと単純な話になっています。自分の子飼いで有能な部下と見込んでいた人物が自分の知らない間にホワイトハウス担当者と連携していたことを知って激怒したということです。

次にフェルトが昇格出来なかったことに触れて、内部昇格などはなく、政治任用とはそういうものだとまるで政治評論家のような言い方ですが、フーバー自身は内部昇格であること、出典は示していなかったが、実はワシントンポストのボブ・ウッドワード記者が書いた「ディープ・スロート~大統領を葬った男~」の51Pに、「大統領がグレイを長官に指名するとは思いもしなかった。・・私は長官になれる見込みがあると考えていた。」とフェルトが述べていたことを書いています。追加して言えば政治任用とは外部から人材を入れることだけでなく、FBI内部で大統領が自分の意のままに動けると考えた人材を抜擢するのも政治任用です。1970年の動きにそれが絡んでいることをティム・ワイナーは「FBI秘録」下巻で書いています。

以上のことから最後の項目についていいますと、ウォーターゲート事件を「ホワイトハウス」対「FBI」、あるいは7月7日の編集者は「ニクソン」対「フーバー」にこだわっているようですが、私から言えばもともと「同じ穴のムジナ」であり、FBIも政権側です。私が「自滅」と書いたのは、FBIが涼しい顔でホワイトハウスの自滅を楽しんでいたわけではなく、ホワイトハウスもFBIも自滅したのです。この事件当時FBIもそれまで行っていたことが相当アメリカ国民に知られるようになり、FBIの権威失墜とまでその当時言われていました。全面抗争状態とは如何なる理由でそう見るのか私のは理解できません。ちなみに事件当時のFBIのトップはニクソンが信頼して外部から入れたグレイ長官代行ですぞ。グレイはディーン法律顧問の軽はずみな行動に合わせた結果、職を棒に振りました。余程の政治オンチで無い限り、FBIが反ニクソンに動くことが相当のリスクを背負うことは想像できる話です。フェルトの動きは個人の動きであり、そしてワシントンポストがいくら書いても殆ど影響はありませんでした。1973年3月までは・・・。

そしてウォーターゲート事件を暴露したのはFBIという見方は最初から間違ってます。事件を初めて暴露したのはワシントンポストでもFBIでもなく、1973年3月の連邦地裁大陪審の判決を受けて24日の上院特別調査委員会での侵入犯マッコードの証言です。マッコードはFBIとの関係はなくむしろCIAと関係がありますが、事件を起こした時点ではどちらも関係していません。そして翌4月からの大統領法律顧問ジョン・ディーンのニクソンを裏切るような証言です。一般人にとっては1972年6月の時点では単なる「盗聴騒ぎ」であったものが、この73年3月からウォーターゲート事件になったと感じたものです。それほどにこの時の衝撃と全米を震撼させたことを、社会人になったばかりの私も記憶しています。

以上まだ書きたいことはありますが、このくらいにしておきます。ポイントとして削除されたのですから、私から要求します。

  • 出典を明らかにして、加筆しない理由
  • FBI及びフーバーを正しいとする(問題だと指摘する)内容の箇所の明示
  • Wikipediaの編集方針の名における朝日新聞を排除する理由 
  • 「フーヴァー長官が猛反対して撤回した」の表現を削除した理由
  • 参考文献でティム・ワイナー著作の「FBI秘録」上下巻をあげた理由

これは上の部分と重なるようですが違います。何故ご自身で参考文献にあげていながら精読すれば同じ内容があることを把握しなかったのですか

  • フーバー関連の図書を参考文献に入れた理由

ご回答を待っています。 --澤文雄会話2015年7月17日 (金) 03:35 (UTC)[返信]

出典を明らかにして下さい

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1ヶ月が過ぎても、返答がありません。とりあえず本文は元に戻し加筆しました。ティム・ワイナー著の『FBI秘録』上下巻は下巻のみにして、上巻は削除しました。他の追加書物も削除しました。ロナルド・ケスラー著の『FBI秘録』をその後に読みましたが、ウォーターゲート事件関係は15ページほどで参考にはなりません。本文と関連しない出典を並べること自体が理解できません。

『ウォーターゲート事件を告発する側をそう描くことによって、ニクソン大統領と政権幹部側との対比を、際立たせる表現をしていて、編集者の私的見解・印象操作が盛り込まれているが、そのような表現はWikipediaの編集方針に違反する』とした意見には全く不同意です。むしろ何ら出典や根拠となる資料(単なるフーヴァー批判だけのものでは有効ではありません)を示さない方がWikipediaの編集方針に違反していると言わざるを得ません。

単に図式化して、対立している、全面的抗争状態だと書かれているが、確かにティム・ワイナーの『FBI秘録』下巻に、ニクソン政権の動きをFBIがリークし、上院特別調査委員会にもFBIが情報を流していたことを述べて「大統領とFBIは今や宣戦布告なしの戦争状態である」と記している。そしてその対抗措置としてニクソンは過去のFBIがやってきたことをリークすることまで検討を始めている。しかしそのような状態に陥ったのは実はフーヴァーが死去して、その後にウォーターゲート事件が起こり、ホワイトハウスが捜査妨害をして自ら関与していることをFBIが最初から見抜いて以降のことで、1970年までニクソンとフーヴァーの関係は円滑でニクソンがフーヴァーの自宅を訪ねたりしていることもティム・ワイナーは書いています。

1973年2月16日に自分の腹心でフーヴァ―の後任にしたグレイFBI長官代行をニクソンは呼んで、FBIからのリークが多いことの苦情を言った後に「フーヴァーが居た時はリークは無かった。フーヴァーとはこの部屋で何でも話すことができた」と語っている。またグレイが自らの長官人事の承認を取り付ける上院聴聞会で、事件調査のファイルを開陳してもいいと述べたことにニクソンが怒り、自らの腹心を長官にする方針を止めて、あらたにビル・サリヴァンを次のFBI長官にする検討を始めている。このビル・サリヴァンこそフーヴァーに育てられて諜報部長になった生粋のフーヴァーの元の子分で、1970年にホワイトハウスとFBIの共同で諜報活動チームを作ろうとしてフーヴァーの怒りで失脚した人物である。その後のグレイが不祥事で辞任しディーン法律顧問の裏切りもあったりして、ラッケルズハウスが短期間の長官代行の後に、ニクソンが選んだ次のFBI長官はクラレンス・ケリーでこれも元FBI捜査官で生涯の3分の1をフーヴァーの下にいた人間である。このケリー長官の時代に、FBIは国内の諜報活動の殆どを廃止して諜報部門の広汎な権限を廃している。(ティム・ワイナー著『FBI秘録』下巻 148~165P参照 )

この経過を見て、ホワイトハウス対FBI、ニクソン対フーヴァーの図式でウォーターゲート事件を解釈することが如何にナンセンスなことか、考えてほしいものです。

--澤文雄会話2015年8月23日 (日) 13:23 (UTC)[返信]