コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:イラク日本人青年殺害事件

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

記事名

[編集]

「イラク日本人斬殺事件」という名称が一般的だとは思えないので改名すべきでしょう。悠仁 2006年9月28日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

同感です。聞いたことがありません。--Luna plena 2006年10月6日 (金) 08:17 (UTC)[返信]

同感です。惨殺の誤字でしょうか

一般には「イラク日本人殺害事件」ではないかと。--利用者:KAMUI 2006年10月31日 (火) 10:27 (UTC)[返信]
イラク日本人殺害事件だと、同じように殺された奥大使など他の方と将来区別がつきにくくないでしょうか。イラク日本人青年殺害事件ではどうでしょうか。--Tiyoringo 2006年11月1日 (水) 14:44 (UTC)[返信]

英語版、中国語版へのリンクについて

[編集]

botによって、被害者氏名である、英語版と中国語版が追加されてしまいました。英語版のみならば、以前ある方の対処を参考に自分で対処したこともありますが、中国語版から日本語版を除去するだけの編集を行なうと荒らしと誤解されかねません。どなたか対処いただくことはできますでしょうか。--Tiyoringo 2007年7月20日 (金) 14:31 (UTC)[返信]

質問に回答せずに申し訳ありませんが、そもそも対処が必要でしょうか。「Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」は、犯罪被害者の実名は一律削除せよという趣旨ではなく、個別に検討し、実名記載が妥当でない場合であって、編集による消去でもなお不十分である場合は、削除せよということを言っているのだと思います。今回の事案の場合、(1)事件の特異性・重大性、(2)既に大々的に報道がされ、広く知れ渡っている人物であること、(3)既に故人となっていること、(4)記事の表面に実名が記載されているのではなく、ソースに記載されているにすぎないこと、などの事情が認められますから、放置しておいても問題ないと思いますが、いかがでしょう。--ZCU(全中裏 改め) 2007年7月20日 (金) 15:04 (UTC)[返信]

イラク日本人青年殺害事件を編集しようとすると、最上部に

<!-- 加害者・被害者の氏名など個人が特定できる情報を記載しないようお願いします -->

<!-- 英語・中国語の被害者名の記事をリンクに加えないで下さい -->

となっていたことが今回botによって言語間リンクが追加されたがどうだろうかと疑問に感じました。彼の名前自体は樺美智子のように、数十年たっても記憶に残るものかもしれませんし、私自身は直接表示されない名前まで絶対削除すべきとも思えない部分がありましたが、少女が殺害された事件の場合には、英語版へのリンクは追加されないような処置がいくつかの記事でされている事情も考慮して提案してみました。記事のノートで改めて議論した方がいいかもしれない話ですね。--Tiyoringo 2007年7月20日 (金) 19:04 (UTC)[返信]

ついでに言うと英文版の写真は不謹慎といわざるを得ませんね。イラク韓国人青年殺害事件で同様の写真をある企業が広告に使って抗議が来た事があったようです。--hyolee2/H.L.LEE 2007年7月21日 (土) 01:16 (UTC)[返信]
Kanjyさんによって対処されました。Kanjyさん、皆様ありがとうございました。--Tiyoringo 2007年7月21日 (土) 10:37 (UTC)[返信]
Tiyoringo さん、皆様、有難うございます。とりあえず bot の編集を差し戻しました。また、とりあえず英語版と中国語版の被害者名項目で、日本語版の事件項目へのリンクを、言語間リンクから関連項目に変更しました。中国語能力は zh-0.1 ぐらいなので無茶苦茶かもしれませんが大胆にやってみました。
被害者名は何度も特定版削除されましたが、再び特定版削除すべきか、編集除去(差し戻し)で済ませてよいか、ノートで話し合いますか。あるいは削除依頼を出して審議しますか。 --Kanjy 2007年7月21日 (土) 10:49 (UTC)[返信]
英語版や中国語版において、荒らしと判断されないことを祈るばかりです。ところで、言語間リンクの復活(今回のKanjyさんの編集除去のリバート)という案はないのでしょうか。--ZCU(全中裏 改め) 2007年7月21日 (土) 14:12 (UTC)[返信]
英語版で以前Kanjyさんによって編集された記事に関してはその後あちらでリバートされたりはしていないですね。私も見よう見まねで1件行ったはずですが履歴が多く見つかりませんでした。純粋に調べものを行いたい方にとっては言語間リンクがないと不便でしょうが、履歴を見ると見つかってしまいますね。これは特定版削除すべきだといった意見もあるかもしれません。--Tiyoringo 2007年7月22日 (日) 05:23 (UTC)[返信]

この記事について特に意見はありません。ですが、以前に一連の議論について英語版の Arbcom メンバーと話し合ったことがありますので、それをご紹介しておこうとおもいます。以下そのArbcomメンバー個人の意見を参考までに紹介しておきます。

  • 日本語版への言語間リンクについて一般的な規制は難しい。個別対応はできるかもしれない。
  • その場合、個々の記事について、英語版から日本語版へのリンクを設置できない法的根拠を添えて、Arbcom に申し出ることで、Arbcom が個々の記事について勧告を出すということは可能かもしれない。

いずれにせよ、言語間リンクは一般に(内容についての間違いがないかぎりは)積極的に設置するのがよいと考えられていますので、除去が必要な理由については(日本語版ウィキペディアが犯罪者の氏名等について自主検閲を行っているという批判もすでにあります。私はメタでこの手の批判を見ましたが、ほかでもあるかもしれません。メタのほうは一応反論は試みておきました。)、くどいくらいに説明するのでちょうどいいと思います。再発を防止したいのでしたら、丁寧な説明を文書で残しておく必要はあるかと思います。--Aphaia 2007年7月23日 (月) 09:20 (UTC)[返信]

Kanjy です。英語版等で被害者名の記事が立つような、著名な事件の被害者名を、日本語版でどこまで伏せるべきかという問題は議論の余地があるでしょう。その議論は別の節にゆずり、ここでは「もし伏せなければならないとすれば」という仮定で述べます。 Aphaia さん、メタでの反論、有難うございました。もし差し支えなければ、議論へのリンクをご紹介頂ければ有難いです。ぜひ今後の参考にしたいです。
英語版で私が、新潟少女監禁事件の日本語版記事に対する、被害者記事からの言語間リンクを外したとき、ノートで AndreasJS さんから追求(というか質問)を受けました。日本語版の事情を説明しましたところ、 Neier さんが「言語間リンクから外し、関連項目扱いで残す」という技を編み出してくださいました。この技を何度も使っていますが Tiyoringo さん仰せのとおり今のところ受け入れられているようです(もしかして Aphaia さんのお陰でしょうか)。ある事件と、その被害者とは、やや異なる主題なので、言語間リンクではなく関連項目とする方法には一理あるという考え方もできましょう。
その一方、ドイツ語版は「○○さん誘拐事件」記事名で、さすがに日本語版の事件記事を関連項目にするわけにはゆきません。有難いことに、主著者 AndreasJS さんを含む方々のご尽力で、改名に至りました。
できることなら、規制や Arbcom といった堅い手段を要する深刻な揉め事に至ることなく、 Neier さん方式がこのまま穏やかに定着していってくれれば有難いなぁ、と思います(批判を知らずに呑気な考えでいるのかもしれませんが……)。 --Kanjy 2007年7月23日 (月) 11:49 (UTC)[返信]
伏せるかどうかというのはご指摘のようにそれ自体が大きな主題で、ここで取り扱うにはやや話題が多岐にわたりますので、ここではそれに触れません。ということで伏せるということを前提にした上で。
いま見直すとたいしたことはいっていないのですが、ご参考までに。m:Talk:Wikipedia_policies#Can_Non-English_Wikipedia_diverge_from_Key_Policies.3Fです。批判はごく一部の人がしているという程度で、そう広範なものではないと思います。Neierさん方式は上手な解決策ですね。日本語版というよりは日本法における固有の問題として、日本関連記事の注意事項として文書化して、en:Wikipedia:WikiProject_Japanなどで広報すると定着に資するのではないかと思いました。Arbcom を通せば強制力は生じますが、一方で処理に時間がかかることも考えられますので、ユーザーの自律的な判断というかたちで定着させていければ、それに越したことはないと思います。--Aphaia 2007年7月23日 (月) 14:51 (UTC)[返信]

既に知れ渡っている死亡した人物に関する名前を伏せる合理的な理由は存在しない。被害者K氏の両親も声明を出していたのだ。ウィキペディアの方針というものを誤解して愚かで無知な「安全側に倒すカルト」を信仰するなどは許されない。被害者氏名は書くべきである。--Sionnach 2007年7月29日 (日) 03:23 (UTC)[返信]

Sionnachさん、実名を記載したいお気持ちは理解できますが、まだ議論の段階ですし、過去に何度も削除されたという事実に配慮して、ここは抑えた方がいいと思います。--ZCU(全中裏 改め) 2007年7月30日 (月) 15:56 (UTC)[返信]

英語版の被害者名ページへのリダイレクトになっているen:Iraq-Japanese beheadingを関連項目として追加することで、言語間リンクもどきを復帰しました。邪道だと思いますが、すべては読者のために。いずれ、実名ページへの言語間直リンクの復帰を提案します。--ZCU(全中裏 改め) 2007年7月30日 (月) 15:56 (UTC)[返信]

参考文献について

[編集]

削除対象になった版にあったのかもしれませんが、参考図書の扱いについて質問です。 この「イラク日本人青年殺害事件」については、比較的評価の高いルポタージュが出版されていて(下川裕治という人が著者なので、本流のルポタージュからはやや外れるのかもしれませんが)被害者青年の時代的社会的背景を知る上では他を抜いた資料だと思います。しかし、タイトルの中に被害者の名前が入っており、このままでは参考文献として本文記事には入れられません。その部分を伏字にして

  • 下川裕治『***さんはなぜ殺されたのか』新潮社、2005年、ISBN:xxxxxxxxxxxxx

のような書き方をするしかないのかなと思ったのですが、ご意見をお願いします。--おーた 2007年7月22日 (日) 02:04 (UTC)[返信]

そのような書き方は異常だと思います。伏字をしないで実名を含めた完全な形で掲載するか、一切掲載しないか、どちらかでしょう。--ZCU(全中裏 改め) 2007年7月22日 (日) 04:36 (UTC)[返信]
ISBN番号があればどの本かは特定できますから、折衷案として「タイトルのみを全く書かない」というのはどうでしょうか。注釈として「被害者の氏名を含むタイトルのため、ここではタイトルを記述しない」というのを入れておくのもひとつの手段だと思います。少なくとも「タイトルの被害者の氏名の部分のみを伏せ字にする」よりはマシだと思います。--Haruno Akiha loves blue. / Talk / History 2007年7月22日 (日) 11:11 (UTC)[返信]

既に万人が知っていることを敢えて避ける必要はあるのでしょうか。そして、可能なのでしょうか。海彼にまで知れている名前を消し去ることは不可能です。ここで拭っても後で誰かが書き加えて土龍叩きになるのではないでしょうか。ちなみに、斬首刑からクリック1回で彼の氏名、クリック2回で彼の写真に辿り着きます。(場合によっては「Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」の記述を見直すべきなのではないかという話です。)HOTUMA 2007年7月22日 (日) 16:22 (UTC)(別項立てされていたものをまとめる。--おーた 2007年7月27日 (金) 14:09 (UTC)[返信]

以前TVで見たんですが、北欧の国では実名報道は極めて厳格に制限されているのですが、同時に国民の知る権利も保障しており、役所に行けば「どうぞご勝手に」状態でその手の資料が閲覧できるといいます。つまりは、知ろうと思う人には情報に辿り着けるようにしてあるけれど、扇情的には絶対にならないようにマスコミでの流通には制限を加えるということのようです。
この態度には見習うべき点があるような気がします。百科事典であろうとするならば、情報へのアクセスを閉ざすべきではないけれど、扇情的な情報流通に加担するべきではないでしょう。すでに「加害者・被害者の実名は書かない」というルールがあり、これは尊重するべきだろうと考えます。3人の方からご意見を伺いましたけど春野秋葉さんの
  • タイトルは書かず、著者名、出版年、ISBN番号のみを記しておく。注釈も添えておく。
を採用しようかと思います。--おーた 2007年7月27日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
参考文献のタイトルを記載することが、タイトルに実名が含まれているからといって、なぜ「扇情的な情報流通に加担する」ことになるのか、まったく理解できません。「加害者・被害者の実名は書かない」というのはルールではなく、ルールを守った結果であろうと思います。なぜ「加害者・被害者の実名は書かない」のか、その真の目的は何なのかをはっきりと認識したうえで、行動に移していただきたいと思います。そうでないと、われわれは思考停止に陥ってしまいますので。今回、おーたさんが文献名なしで文献情報を記載しても、私が後で文献名を追記したりするようなことはしませんが(おーたさんのご判断を尊重して)、そういった点をご検討いただければと思います。--ZCU(全中裏 改め) 2007年7月27日 (金) 15:04 (UTC)[返信]
私は実名を書いても悪くはないと思っていますが、公式な方針とされているWikipedia:削除の方針に事故や事件の被害者の実名は「日本語版で伝統的に削除されている」とあります。ルールなのか結果の解説なのか分からない表現になっています。仮りにルールだとしても石に刻まれているものではないし、ルールすべてを無視しなさいという方針もありますが、今の時点でルール(なのか伝統なのか)を敢えて無視する必要があるかと問われれば否だと思います。こういう事例と議論を積み重ねてルールを改められれば良いと考えています。どこかで目にしたことですがWikipediaのfreeはlibertyの意味だとか。自主検閲は無用です。HOTUMA 2007年7月28日 (土) 14:08 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。ZCUさんのご意見については、不特定多数の人が読める場所に事件被害者や加害者の名前を書いておくことは、その情報がどのように使われて行くか分らないというリスクを背負うし、現にマスコミやインターネットで実名が出て扇情的に利用されていった例を私たちは何度も見てきたとコメントさせていただきます。もはや知れ渡ってしまった名前だし、現に本のタイトルに入っているぐらいだから「今更」なのかもしれません。しかし、私は第一に、自分なりの倫理として被害者名を書くことに躊躇しますし、実名を出さないという日本版WPの慣行は尊重できるものだと思っています。--おーた 2007年7月29日 (日) 01:22 (UTC)[返信]
「現にマスコミやインターネットで実名が出て扇情的に利用されていった例を私たちは何度も見てきた」というコメントについて、根拠が有るなら具体的に書いてもらえませんか。この事件の被害者の実名がインターネットに記載されたがために扇情的に利用されたなどという話は聞いたことも見たこともありません。それはそれとして、おーたさんが自分なりの倫理を持たれていることには敬意を表しますが、怪しげな伏字にすることで却って興味本位の目を惹くことになるのではないでしょうか。そして、グーグルに「下川裕治」「新潮社」「殺されたのか」と放りこめば簡単に署名が出ます。HOTUMA
私は「この事件」についての実名報道や実名をインターネットで扇情的に流通させた人たちの話ではなくて、そういう事例があったと書きました。その上で「この事件」に関して書くならば私が参考文献に出そうとしている書籍の中でも、被害者の出身地では被害者の名前を出すのも憚られる重苦しい雰囲気についての描写があり、被害者周辺の人々にとっては軽々しく被害者の名前を出して欲しくないという感情があるのは事実です。そして、「この事件」に限らず、そうした被害者周辺の人々の感情をわざわざ害するような行為を慎むべきであるのは当然のことだろうと、私なんかは考えます。
被害者の実名が簡単に出てくるのは事実です。しかし、「簡単に出るような情報だから私も書く」というのと「簡単に出るような情報だけど、あえてWPでは出さない」という態度はやはり違うと私は考えます。そして、後者を選択している日本WPの慣習は尊重できるなと考えています。--おーた 2007年7月29日 (日) 11:17 (UTC)[返信]
参考文献には目を通していませんが、「被害者の名前を出すのも憚られる重苦しい雰囲気」というのは、殺害される前ですか、殺害された後ですか、今も続いているのですか? 能代の事件の被害者の母親が報道を自粛してくれというようなコメントを出したことがあるようですが、そういうのは特殊ケースだと思います。この事件に限らず、これに似た事件(責めるところのない被害者が鬼籍に入った事件)で、実名が出たが故に不都合が起きたという例は思いつきません。それがあったとすれば、実名でも仮名でも匿名でも変わりのない誹謗中傷でしょぅかね。HOTUMA 2007年7月29日 (日) 11:47 (UTC)[返信]
参考文献に書かれている被害者の出身地の話は殺害後、約3ヶ月経ったころの話です。私は、被害者の親族でもその知り合いでもないし、報道関係者でもありませんから現在どうなっているのかは知りません。だから、「もう大丈夫でしょう」などという判断はとてもじゃないけど怖くてできません。
また、見ず知らずの人たちが被害者の名前を書いて何事かを述べているのを見て、犯罪事件に巻き込まれた被害者の親族が精神的に傷つくというシチュエーションは、私には想像するのは難しくありません。そして、「この事件の被害者家族は大丈夫であの事件の被害者家族はダメ」などという判断が出来ると思うほど傲慢にもなれません。「安全側に倒す」判断を揶揄する意見もみかけますが、被害者家族の心を傷つけるかもしれないというリスクをワザワザ冒す理由の方が分りません。自分が書いているものがひょっとしたら誰かを傷つけているのかもしれないという想像力を働かしていただければ、言わんとすることは分っていただけるのではないかと期待します。--おーた 2007年7月30日 (月) 12:30 (UTC)[返信]
この話題に付き合っていただき、ありがとうございました。最後に一つだけ、もし、よろしければ、重苦しい雰囲気を肌で感じたはずの下川さんが敢えて被害者の実名を著書に冠して世間に知らしめんとしていることの是非について、御意見をいただけますでしょうか。参考文献の記載方法については、私は目先の記事をどうするというつもりはないので、おーたさんにおまかせします。HOTUMA 2007年7月31日 (火) 15:05 (UTC)[返信]
参考図書の著者である下川氏がタイトルに被害者名を含めたことの是非については、私も思うところはありますが、それをここで開陳しても議論が逸れると考えます。佐野真一でしたか他の誰かだったかは忘れましたが、ドキュメンタリーを書くということは取材対象にされた人間にぶん殴られる覚悟をするということだ、というようなことを言っておりました。それが、署名入りの著書を書く人間の覚悟というものだと思います。下川裕治は彼自身で書いたことの責任をとればよいのです。物書きという仕事をしている以上、それは当然のことです。
一方、Wikipediaはと言えばどうなんでしょうか。記事を読んでプライバシーに踏み込まれたと感じた人がいるとして、その人がWikipediaのしかるべき窓口に抗議したら、その窓口担当者が該当する記事を書いた編集者に連絡を取って,編集者と抗議者の間でしかるべき話し合いを行うなり、法的措置にすすむなりできるような仕組みになっているのでしょうか?そういう仕組みになっていない以上、Wikipediaの編集者は書いたものに対して責任が取れないのです。そういう立場の編集者たちが、人を傷つけるリスクを冒して良い訳がないと私は考えます。こうした考え方についてはWikipedia:存命人物の伝記なども参考にしてください。--おーた 2007年8月1日 (水) 13:07 (UTC)[返信]
どうもありがとうございました。この件については暫く棚上げにしたいと思います。元から急いでいたわけではありませんが。参考文献の載せかたについては意見を申しません。皆様方におまかせします。HOTUMA 2007年8月3日 (金) 11:13 (UTC)[返信]

おーたさんに提案があります。タイトルにK氏の実名が含まれた、当該文献の記載を一切しない(少なくともおーたさんの手によっては)、という対応でいかがでしょうか。

私は、なにがなんでも当該文献を参考文献として記載せよと主張しているわけではなく、タイトルのみを伏せるという極めて奇異な方法で参考文献が記載されることによって、それがjawpコミュニティー全体に波及し、因習として定着してしまうのではないかと懸念しています。したがって、タイトル(またはその一部)のみを伏せるという記載方法は断じて容認できないというのが私の意見であります。したがって、まったく掲載しないか、完全な形で掲載するか、いずれかを選択していただきたいと願っております。そして、前者を選択すれば、遺族感情へ配慮したいというおーたさんの思いも実現できるのではないでしょうか。また、記事の履歴を調べましたが、今のところおーたさんは執筆に参加されていないようです。「参考文献」というのは、記事執筆にあたって参考にした文献を意味すると思いますので、現時点でおーたさんが参考文献のみを追加する必要性はないわけです。--ZCU(全中裏 改め) 2007年7月30日 (月) 15:24 (UTC)[返信]

ご意見はありがたいのですが、納得は行きません。タイトルに犯罪事件の被害者名がはいった書籍なんて高々数は知れています。なぜタイトルを伏せているのか、きちんと説明した上で書籍紹介をすればいいだけの話であって、「因習として定着してしまうのではないかと懸念する」のは大変に奇妙な発想のように私には思えます。それから、「参考文献」は記事に当たって参考にした文献を意味すると仰いますが、英語版でよく見かけるFurther ReadingやSee Alsoのような「こういいうのも参考にどうぞ」という文献紹介の意味も担ってよろしいのではないでしょうか?私は、そういう「参考文献」の紹介も十分に価値ある編集参加だと思います。実際にこの事件の社会背景・時代背景を理解する上では、将来において外せなくなる文献だと私は思いますので、タイトルを伏せるというイレギュラーな手段を使ってでも参考文献として紹介しておくべきだと考えています。
  • 下川裕治著、新潮社、2005年、ISBN:9784103002314 (被害者名がタイトルに含まれているために、ここでは敢えて書籍名を伏せています。そのことの可否についてはこのページのノートを参照ください。)
という紹介の仕方ではダメなのか。もう少し、色々な方のご意見を聞きたく思います。--おーた 2007年7月31日 (火) 13:38 (UTC)[返信]
これ以上の意見は無いとみなして、上記の形式で本文に記載しました。--おーた 2007年8月4日 (土) 13:26 (UTC)[返信]

書くべきか

[編集]

このコメント自体、書くべきか書かざるべきか迷いましたが書いてしまいました。故人を偲びつつ日を暮らし世間の噂も消えるころ、故人が生きた証を求め、それを世に伝えんとすることが情ではあるまいか。生まれて生きて往き死に、何を残した、誰を変わらせた。

豹死留皮 人死留名 (五代史)

しかし、それでも事件の記憶を世間から拭い去ろうという遺族を責められない。この記事が存在するということ自体が遺族の感情を害することになりはしまいか。何としても遺族の感情を害するかもしれない犯罪の記事はウィキペディアに書くべきものなのだろうか。この腫物を扱うような記事を丸ごと削除しようという人はいませんか。HOTUMA 2007年7月31日 (火) 16:02 (UTC)[返信]

執筆者のひとりについてコメント依頼を出しました

[編集]

Wikipedia:コメント依頼/鱶鰭好を出しました。--崎山伸夫 2007年10月11日 (木) 14:57 (UTC)[返信]

質問

[編集]

待てど暮らせど説明がないので質問します。今後同じような編集合戦を避けるためにも説明をお願いします。鱶鰭好 2007年10月13日 (土) 11:25 (UTC)[返信]

「イラク3馬鹿」は使えない?

[編集]

「以下の出来事は全て2004年のものである。また、最初の3名(ネット掲示板やブログなどで「イラク3馬鹿事件」として非難を浴びる[1][2])に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項で解説)の出来事も含む。」この文章です。

客観的に使用された事実があるがなぜ使用できないかの説明を願います。


議論も何もこの内容の出典が、出典に当たらないのはおそらく誰が見ても明らかだと思います。ネット上での出典は一部の公式ホームページ等を除いて、ブログや掲示板等、またこのGoogleの検索が出典に当たらないのは基本方針に書いてある通り基本的な事です。議論しなくてはならないような事ではなく、この百科事典の本当に基本的な事です。前にも私の知り限り2人ほどネット上に見受けられたという理由で書き続けていた人がいましたが、1人は理解したようでしたが、もう1人の方は結局荒らしとしてブロックされました。この基本方針に意義を唱えたいのであれば、管理者の人達に提言してみればどうですか。--125.0.88.229 2007年10月14日 (日) 15:39 (UTC)[返信]

もう1つ、私は編集合戦はいたしませんのであまり書き込みません。3馬鹿とどうしても書きたいのであれば直しもいたしません。コメント依頼でも否定的な意見が多いし要は貴殿次第ですから。--125.0.88.229 2007年10月14日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

質問に原文を補足しておきました。基本方針に書いてある原則は知っていますが、この文章の出典としては直接的に示すものですから問題ないということです。掲示板やブログなどが「イラク3馬鹿事件」として非難を浴びせていた事実をありのまま書くことは方針に違反していないと思います。鱶鰭好 2007年10月14日 (日) 16:51 (UTC)[返信]
鱶鰭好さんのこの考えは、明らかに誤りです。Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料を読んでください。ウェブ検索へのリンクは、検索サービス会社(この場合グーグル)の、日々変化する膨大なデータの一部を取り出すものです。しかもこの変化は、単調増加ではなく、検索サービス会社の都合で、増えたり減ったりします。しかし、Wikipediaは、百科事典のプロジェクトです。そこでの出典は、10年、いやそれどころか100年以上、安定して出典として使えることが求められます。Wikipediaにはネット上の出来事についての項目もあり、そういうものでは URL で出典を示す場合も、確かに少なからずあります。ただし、それは「ある時点でそこにそのような出典があった」ということで、ある程度特定可能なものです。一方、ウェブ検索の結果というのは、毎日変化しているものです。実際、鱶鰭好さんの示されるリンクを辿った結果、というのは、例えば現在であれば 2007年10月の結果であって、事件当時、すなわち2004年か、そのあとの2005年ごろの検索結果ではないわけです。せめて、誰かが当時そのようなトレンドを調査して発表していれば、(他の視点で適切かという判断を抜きにすれば)「発表されている二次資料」といえますが、この場合は独自研究になります。そもそも、事件の規模に対して、その記述が書くに値するのでしたら、当時の週刊誌や月刊誌などに、そのような状況が記述されていたりするはずです。日本国内の一般誌は、国立国会図書館大宅壮一文庫で閲覧可能ですし、事件関連のものを検索してピックアップすることも可能なはずですから、まずはそのようにして出典を探されてはいかがでしょうか?--崎山伸夫 2007年10月15日 (月) 17:25 (UTC)[返信]

基本方針に書いてあるルール以外でもこの出典は問題ないというのは、貴殿の主観のような気もしますが、いずれにしろコメント依頼、及び管理者への報告、要熟読に貴殿の名が入っておりますので近いうちに何らかの報告があるでしょう。何も問題が無ければそのままだと思います。--125.0.88.229 2007年10月14日 (日) 17:18 (UTC)[返信]

Wikipedia:信頼できる情報源です。掲示板やブログなどが「イラク3馬鹿事件」として非難を浴びせていた事実を示す信頼できる情報源が[3][4]であり、この命題ではもっとも信頼できる出典です。方針の趣旨目的を理解し運用できるように努力してください。鱶鰭好 2007年10月14日 (日) 17:33 (UTC)[返信]

皆がおかしいとコメント依頼に書いても貴殿が信頼できる情報源だと主張するのであればそのままでいいです。私は別に困らないのでそこまで強く勧めるつもりもありません。報告だけはしましたので後は管理者等の判断に任せたいと思います。--125.0.88.229 2007年10月14日 (日) 17:45 (UTC)[返信]

思考停止に陥っては進歩はありませんよ。誰にでも分かることですから事実を伏せたいと言う一心でそうした詭弁も見られます。五十、百の意見が出れば自ずと正常な結論が出るだろうとは思います。無論ウィキ外の広い世間に問うた場合、この命題で最も信頼できる情報源として認められるのは自明です。事実を隠したいと言う思いから無理解を装っている可能性が高いのはアカウントをお持ちでもIPでしか恥ずかしくて晒せない気持ちなのではないかと思ったりもします。ま、貴殿は現実世界で、わたしのほうはウィキでそれぞれのあるべき理想の姿を夢見ておやすみなさい。鱶鰭好 2007年10月14日 (日) 18:17 (UTC)[返信]
『ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。』と、Wikipedia:検証可能性の冒頭にあり、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」で詳しく記述していますので、改めて読んで頂けますか?--崎山伸夫 2007年10月15日 (月) 17:25 (UTC)[返信]
無名人物によるインターネット配信だけが情報源の場合、それをソースとすることはできません。権威のある学会での使用例や商業的に流通している雑誌(同人誌レベルでは駄目です)の使用例をあげないと、Wikipediaではソースと扱うことはできません。--経済準学士 2007年10月15日 (月) 20:11 (UTC)[返信]

いろんなご意見どうもです。質問の仕方がまずいのか、疑問点を書きます。

権威のある学会などで正式名称であるとか社会一般で使用されたという編集ではなく、単にこの事件が「ネット掲示板やブログなどでは「イラク3馬鹿事件」として非難を浴びせた」という事実のみを編集しているのですが(範囲はそれ以上のものでも以下のものでもありません)。結局、ネット掲示板やブログで実際に使用された呼称や、起こった(起こっている)事実事象についてはウィキペディアには紹介できないと解釈していいでしょうか?それともそのネット事象の直接的ソースでは不適切であって、そのネット上の事象を客観的に紹介している信頼できるソースでなければならないということでしょうか?なんとか疑問点を自分に納得させたいのでご意見をお願いします。鱶鰭好 2007年10月15日 (月) 22:11 (UTC)[返信]

上で書きましたが、そもそも検索結果の表示へのリンクは「ネット上の事実」ではありません(SEOなどで意図的にある種の結果を後からつくり出すことさえ可能ですし)。そして、もう少し固定的な「ネット上の事象の直接的ソース」を出典にすることができるとしたら、それはネット上の事象を直接扱う項目においてです。人質事件自体はネット上の事象ではないので、「反響」「反応」として記述するにしても、「そのネット上の事象を客観的に紹介している信頼できるソースでなければならない」が該当します。--崎山伸夫 2007年10月16日 (火) 15:48 (UTC)[返信]
まず蛇足みたいなものですが「イラク3馬鹿」という使用例があることを示すGoogleの検索結果は「一次情報源」に相当しています。Wikipediaで求められているのは「二次情報源」なので、まずその点が問題視されています。やはり、「ネット上ではイラク3馬鹿という呼ばれ方をされていた」とする、それなりの専門家の著作もしくは、専門家のブログを引くべきであるとWikipediaではされています。
しかし、そのような二次情報源が見つかったとしても「イラク3馬鹿」が書けるとは考えられません。この表現は生存人物を揶揄しており、Wikipedia:存命人物の伝記などでやってはならないこととして強く要請されています。たとえ、週刊誌などがそういう表現を使って、ある人物を揶揄していたとしてもWikipediaで同じことは書けません。Wikipedia:名誉毀損に「名誉毀損的な素材は、確認された時点で削除するのがウィキペディアの方針です」とあるのも参考にしてください。「馬鹿について馬鹿と書いて何が悪い」と開き直られる方々はこれまでも大勢おられましたが、不毛な結果にしかなりませんでした。Wikipediaの枠の中で書けるのは、(Google検索結果などではない)認められた出典を示した上でイラク人質事件の被害者達が「ネット上などで罵倒された」というあたりまでだろうと考えますが、大変に神経を使う記事ですからノートできちんと合意をとった上で編集されることが望まれます。--おーた 2007年10月17日 (水) 14:40 (UTC)[返信]
大前提として確認したいことが一つあります。それは単にこの事件が「ネット掲示板やブログなどでは「イラク3馬鹿事件」として非難を浴びせた」という事実のみを編集していることを否定している人はいないです。あの三人が本当に馬鹿であるかどうかはここでは問題ではないし、主観的に馬鹿と断定する編集は検証可能性に反します。また「イラク 3 バカ」と明示する検索結果 約 1,360,000 件について日本語版コミュニティとして「誹謗中傷であると判断して削除する」ことも中立的観点に反すると思われます。当事者が放置また容認している公然且つ圧倒的な客観的評価としての厳然たる事実を編集することに直接的な法的リスクを危惧する必要性はありません。鱶鰭好 2007年10月18日 (木) 19:49 (UTC)[返信]
この対話は「イラク3馬鹿」という用語の使用を中止したうえで行っています。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 17:46 (UTC)[返信]

右左プロ市民などの用語は使わない?

[編集]

他の項目でも使用例があるのになぜこの項目では使用できないかの説明をお願いします。

(回答)

まず、「他の項目でも使用例があるのに・・・」という論理はやめましょう。他の項目での使用例が不適切であれば、当該項目を修正すべきなのであって、本項目でそれを真似する必要はないですね。

さて、私が問題であると思った文章は次の3つです。

  1. 一部の左派系マスコミを除いて世論の大勢は・・・であると淡々と批判した。
  2. 一部の左翼勢力では「・・・」という意見があった。
  3. 初回は活発に要求運動を展開したプロ市民や支援者も本件では・・・を出すようなデモもしなかった。

1の文章を分解すると、次の2つのことを同時に言っているのがおわかりになるでしょうか。

(1-1) 一部のマスコミを除いて世論の大勢は・・・であると淡々と批判した。
(1-2) その一部のマスコミとは、左派系であった。

(1-1)は事実(fact)でしょう。しかし、(1-2)は貴方の意見(opinion)ですね。事実は検証が容易ですが、貴方の意見は検証のしようがありません。たとえば、その「一部のマスコミ」にはA新聞が含まれていると思いますが、個人的意見として、確かにA新聞は左派になるでしょう。しかし、人によってはそうではありませんよね。超極左勢力から見れば「A新聞なんて甘い。左派の風上にも置けない」となるでしょう。また、たとえばS新聞は保守系という人が非常に多いとは思いますが、さらに保守的な勢力から見れば、左寄りに見えるかもしれませんよね。

2の文も、同様に以下の2つに分解できます。

(2-1) 一部の勢力では「・・・」という意見があった。
(2-2) その勢力は左翼勢力であった。

3の文も、同様に以下の2つに分解できます。

(3-1) 初回は活発に要求運動を展開した団体や支援者も本件では・・・を出すようなデモもしなかった。
(3-2) その団体はプロ市民であった。

(2-1)と(3-1)は、(1-1)と同様に純粋なfactといえるので、記載に問題はないと思います。しかし、(2-2)と(3-2)は(1-2)と同様にopinionです。人によっては、左翼勢力やプロ市民に見えるかもしれないし、人によってはそう見えないかもしれない、ということです。

以上のことから、「左翼」、「プロ市民」という言葉は不適切と考えました。どうしても、「一部のマスコミ」、「一部の勢力」、「団体」がどういった人たちであるかを書きたければ、固有名詞(会社名や団体名)を明記してもいいのではないでしょうか。そして、それらが左翼であるか否か、プロ市民であるか否かの判断は、読者に任せましょう。

「事実」と「意見」の区別は重要です。本屋さんに置かれている「論理的思考力を鍛える」系の書籍には必ず言及があると思いますから、参考にしてみてはいかがでしょうか。--ZCU 2007年10月13日 (土) 16:26 (UTC)[返信]

  • 大筋はZCUさんと同様ですが、(1-1)は「事実」ではないと考えます。というのは、「世論の大勢」が本件については現時点の記事内容では検証可能といえないと考えるからです。例えば、信頼できる機関による当時の世論調査結果などに裏付けられなければ、「事実」とはいえません。「一部のマスコミ」以外の「マスコミ」が批判した、ということであれば、「一部」と「それ以外」の具体的な名称を示すことでそれを事実として認定することはできます(それすら現時点では行われていません)が、「一部」以外のマスコミ報道を通して報じられた「世相」が「世論の大勢」であるかどうか、というのは、それが具体的な調査に裏付けられていなければ、やはり事実とはいえなくなります。また、ネットの掲示板やブログにおける意見の多寡をもって、「世論の大勢」を判断できるとはいえないことにも、ご留意ください。--崎山伸夫 2007年10月13日 (土) 17:30 (UTC)[返信]

10月8日の段階でノートでの議論を呼びかけたのですが聞いていただけず、残念に思っていました。ようやくノートでの議論に乗っていただいて、良かったなと思います。さて、鱶鰭好さんの編集の問題点はZCUさんおよび崎山さんが指摘するとおりです。以下は蛇足みたいなものですが、「イラク3馬鹿」は存命中の人物に対する記述に関するガイドラインWikipedia:存命人物の伝記に抵触していると考えられます。Wikipediaでも大変に神経を尖らしている問題ですのでご理解いただきたい。週刊誌などは訴訟覚悟で記事を書きますがWikipediaにはその準備がありません。従って、書けることと書けないことの判断基準が他のメディアとは異なるのです。また、鱶鰭好さんの「客観的な事実があるのに」云々という発言はWikipedia:検証可能性を理解されていないことを伺わせます。Wikipediaには参照できる情報源と参照できない情報源がかなりうるさく分けられています。Wikipediaの編集を続けるにあたっては、是非そこをご理解ください。これらの編集方針を理解いただけないままですと、今後も似たような編集合戦を引き起こすことが考えられ、編集ブロックといった鱶鰭好さんにとって愉快で無い事態に至る可能性もあります。各種のガイドラインを読んで理解を深めていただければと思います。--おーた 2007年10月14日 (日) 02:39 (UTC)[返信]

おーたというひとについてはWikipedia:コメント依頼/鱶鰭好を読んで反省してください。

まあ産経新聞が右系、朝日新聞が左系はほとんどの人が否定しないことですから、それを否定する人は無視してもいいと思いますけど、一応もっと広く意見を聞いてみてもいいかもしれませんね。そして当時デモっていた支援者の中にプロ市民組織が存在したことは事実ですけどこれは出典を探してみたいと思います。どうしても適切な出典がなければその用語は使えないので「小泉さん、身変わりにイラクへ行って」(ピースボート)でも可能です。鱶鰭好 2007年10月14日 (日) 14:07 (UTC)[返信]

ZCUさんの「固有名詞(会社名や団体名)を明記してもいいのではないでしょうか。そして、それらが左翼であるか否か、プロ市民であるか否かの判断は、読者に任せましょう。」の部分には異論が出ていないことから記事に反映しておきます。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 14:04 (UTC)[返信]

この対話は「右左プロ市民」という用語の使用を中止したうえで行っています。個人的にはZCUさんの意見が最も良識的ではないかと思います。俺様ルールでリバートしている荒らしユーザーは異論があるなら対話に参加してください。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 17:46 (UTC)[返信]


事件に対する反応

[編集]

「事件に対する反応」において、本項目とは別の事件の反応について、批判的な記事を書かれている人がいますが、本項目は本事件についての説明であるべきで、他の事件についての批評をのせるべきではありません。Checkthere 2007年10月19日 (金) 02:30 (UTC)[返信]

どちらもイラクで日本人が人質にされた事件で、それぞれの事件に対する対照的な反応を対比して書くことは禁じられていません。そうした方針にない自分ルールを振りかざして建設的な編集をさせない態度は、事件の反応についての背景や事実についての理解を阻害するものであって受け入れられません。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 13:05 (UTC)[返信]
禁じられていないから百科事典をあなたの思い通りに書いて良いとでも思うのですか? あなたの対応が建設的とは思いません。書く必要性について客観的に説明してください。
繰り返しますが、あなたが、ピースボートや最初の人質となった方の支援者に対する非難を書きたいのであればどこかよそで書いてください。Checkthere 2007年10月19日 (金) 14:43 (UTC)[返信]
自分ルールを押し付けないようにしてください。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 14:56 (UTC)[返信]
何が自分ルールなのでしょう。第1にWikipediaには3rrというルールがあります。あなたはそのルールを破って24時間以内に4回目となる書き戻しを行いました。第2にWikipedia:基本方針とガイドラインによれば「異なった観点について公平に好意的に表現しなければなりません。」となっていますが、あなたの表現はあなたが個人的に嫌悪している団体や個人対する悪意のある表現を、直接関係のない項目で行おうとしています。第3にWikipedia:ウィキペディアは何でないかによればWikipediaは「批評する場所ではありません」。あなたはあなたの個人的な批評を行っています。
あなたはWikipediaのルールに則した執筆を行うか、そうでないならここでの執筆を中止し、別のホームページなり、ブログなりに行って思いの丈を書くべきです。世の中にはあなたに共感する人もいると思いますよ。Checkthere 2007年10月19日 (金) 15:07 (UTC)[返信]
いくら自分ルールを押し付けても従う利用者はいません。なぜ削除しているのか公式方針にしたがって解説ください。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 15:15 (UTC)[返信]

「「事件に対する反応」において、本項目とは別の事件の反応について、批判的な記事を書かれている人がいますが、本項目は本事件についての説明であるべきで、他の事件についての批評をのせるべきではありません。」という意見は私の意見と同じです。--Narita top road 2007年10月19日 (金) 18:03 (UTC)[返信]

そもそも「非難しつくされた感がある」とか、主観的な記述を含んでいると思いますが。--116.80.5.16 2007年10月19日 (金) 18:11 (UTC)[返信]

解説はすでにいたしました。もう一度いたします。

第1にWikipediaには3rrというルールがあります。あなたはそのルールを破って24時間以内に3回を超える書き戻しを行いました。これはルール違反です。あなたはもう今後必要な時間が経過するまで、少なくとも記事を書き戻すべきではありません。これは新しい記事の付加を行ったところで同じです。

第2にWikipedia:基本方針とガイドラインによれば「異なった観点について公平に好意的に表現しなければなりません。」となっています。あなたがピースボートや最初の人質となった方の支援者に対していくら好意的になれないとしても、執筆ではそのような態度をとってはいけません。本件においてピースボートや最初の人質となった方の支援者に当てこする様な記述は公平でもないですし、好意的な表現でもないです。そのような表現は認められません。

第3にWikipedia:ウィキペディアは何でないかによればWikipediaは「批評する場所ではありません」。本件の項目は「事件に対する反応」であって、「一部の勢力では「被害者の死の責任は自衛隊を派遣した小泉首相にある」という意見があった。」というのは「一部の勢力の」本事件に対する反応を紹介したものであってこれは認められる記述です。 しかし、「最初の人質3家族とは対極的なコメント」というのはあなたの考えです。そして、このあなたの考えをこの項に書くという行為は批評といわれて当然の行為です。本件とは直接関係のないピースボートの名前をわざわざ出すことも同様です。

あなたにこのことがご理解いただけないのであれば、あなたはこの項目の執筆をすべきではありません。また、Wikipediaの他の項目の執筆も遠慮された方がよいと思います。もう一度同じことの説明は私はいたしませんからそのおつもりで。Checkthere 2007年10月19日 (金) 18:24 (UTC)[返信]

あなたは編集合戦を吹っかける前に説明するべきでしたね。今後は差し戻しで荒らす暇があれば先に対話をするように心掛けるようにもう一度念を押しておきます。明日以降に反論します。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 18:41 (UTC)[返信]

Checkthere氏は2回説明してますけどね。そもそもこの方は自分自身の差し戻しは荒らし行為には当たらないと考えてるんでしょうかね。--116.80.5.16 2007年10月19日 (金) 19:02 (UTC)[返信]

典型的に行動様式が一致していて実に愉快ですな。[5]61.205.94.212 2007年10月20日 (土) 05:02 (UTC)[返信]

保護依頼中

[編集]

現在ブロック依頼中の人物と他の執筆者の間でリバート合戦が発生したため、保護を依頼いたしました。 保護依頼が望まれないタイミングであったと考える執筆者もいらっしゃるとは思いますが、そう遠くない将来問題は解決すると思いますので、気長に対応いただければと思います(私もそう思うことにしております)。Checkthere 2007年10月19日 (金) 18:07 (UTC)[返信]

編集合戦の仕掛け人が何言ってんだか。自作自演には笑えます。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 18:21 (UTC)[返信]
上のようなことを書く人間がいる限り編集合戦がやむことはありません。出来る限り早急にブロックをお願いいたします。--Narita top road 2007年10月19日 (金) 18:25 (UTC)[返信]

私も同意見ですが、こればかりは管理者のすることですので気長に待つほかはありません。今10分正しい表現が行われることを守るのではなく、来週あるいはその先であっても正しい表示が行われ続けられるよう自制するのも必要なことと存じます。

まあ、今回一番自制が足りなかったのは鱶鰭好氏が言われるように私であったのかもしれませんが。Checkthere 2007年10月19日 (金) 18:30 (UTC)[返信]

保護されました。しょうがないですね。私も少々大人気なかったかもしれません。--Narita top road 2007年10月19日 (金) 18:47 (UTC)[返信]

しょうがないも何もあなたが「保護」へのとどめを刺した張本人でしょうが。いまさら大人の振りをしても遅いですね。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 18:54 (UTC)[返信]
ご自身にも責任の一端があるということがわからないんでしょうね。全て悪いのは他人で、自分は全く悪くない。とっても楽な生き方ですね。真似したいとは思いませんが。--Narita top road 2007年10月19日 (金) 19:00 (UTC)[返信]
だれもそんなことは言っていないですが?思い込みの激しい困った人だこと。鱶鰭好 2007年10月19日 (金) 19:07 (UTC)[返信]

ノートの発言を勝手に編集したり、削除したりしないでください

[編集]

ノートでの対話は、問題についてわかりあう最も有効な方法です。 対話をするためには相手を尊重し、敬意を持って対応すべきで、相手の発言を勝手に編集したり、削除してはいけません。これは重要なことです。

もし相手の投稿がルール違反だと思ったら相手にそれを尋ねることが求められます。勝手に自分で相手の発言を消してはいけません。Checkthere 2007年10月19日 (金) 19:37 (UTC)[返信]

もし相手の投稿がルール違反だと思うのなら、ルール違反に対応するルールにしたがってしかるべく処理してください。

なお、私の理解では116から始まるIPアドレスは「オーストラリアのプロキシを」経由した場合、記録されるはずのないIPアドレスです。Checkthere 2007年10月19日 (金) 20:09 (UTC)[返信]

私は普通に投稿してるのでIPアドレスが何番なんて気にした事もないですよ。それにIPアドレスは接触が悪いと故意ではなくちょくちょく変わりますよ。58から始まったり、122から始まったり、まあ荒らし行為はした事がないので問題になった事は1度もありませんが。--116.80.5.16 2007年10月19日 (金) 20:44 (UTC)[返信]

ちょっとプロキシの意味が分からないので調べました。いまいち何なのかよく分かりませんでしたが何で私がプロキシになるんです。個人の自宅で繋げるとIPユーザーは皆プロキシになるんですか。変な言いがかりをつける方ですね。なお私の発言等の差し戻しを行ってくれた方々にお礼申し上げます。だいたいオーストラリアには行った事もないですよ。何処からそんなデマかせな情報を得たんです。--116.80.5.16 2007年10月19日 (金) 21:21 (UTC)[返信]

確かに「AU」と出ているしプロキシと判断されても仕方ない。[6]からも偉そうにできる分際ではなさそう。
「116.80.5.16」の検索結果
OrgName: Asia Pacific Network Information Centre
OrgID: APNIC
Address: PO Box 2131
City: Milton
StateProv: QLD
PostalCode: 4064
Country: AU

                                  61.205.94.212 2007年10月20日 (土) 04:48 (UTC) 61.205.94.212 2007年10月20日 (土) 04:48 (UTC)[返信]

個人情報にもかかる事なのであまり詳しくは申し上げませんが、IPアドレスはInterNICという組織のところが大元で、APNIC(Asia Pacific Network Information Centre)は中卸に相当し、アジア太平洋総局のようなものです。一般の人はこの下の日本代理店に相当するJPNICから仕入れをしている小売店にあたるISP(インターネットサービスプロバイダ)からインターネット接続をするときにIPがわたされるわけです。 したがって、全ての日本のIPは一度はAPNICを通って来ますので、APNIC傘下となるのは当たり前なのです(一部の大学とかは別ですがそれはまた別のお話)。北米、ヨーロッパ、アジア太平洋とかから、日本はどれだと言われればアジア太平洋になるでしょう。そもそも多少IPについて知っていればこのくらいは常識に属するものです。状況を理解する能力も意思もない人が、IPアドレスをググるか何かして、APNICの住所がオーストリアにあることを知りこれ幸いと攻撃の口実としたにすぎません。御心配になることは何もありません。わかっている人にはわかっていることですから。Checkthere 2007年10月20日 (土) 05:14 (UTC)[返信]

あっ念のために申し上げますが、IPアドレスは変化するものですから、IPアドレスでの編集が限定的であることは当たり前ですし、61.205.94.212が挙げられたことはなんら非難すべきことではありません。 ところで、鱶鰭好氏言われるところのオーストラリアのプロキシーがAPNICだってなぜ思われてのでしょう。普通IPアドレスを調べれば61.205.94.212さんがご指摘の結果とは違った結果が出てくるものですし、IPアドレスやプロキシーに少しでも知識がある人はAPNICの住所がメルボルンだからって、「プロキシと判断されても仕方ない」とはいいませんね。

もしあなたが、鱶鰭好氏を良くご存じの方でしたら、投稿ブロック審議中や仮にブロックと決まった後はIPでの編集等は行わないようアドバイスいただければ幸いです。投稿ブロック審議中にIPユーザーとして、ブロック逃れの編集をされているようならより問題はおおきくなりますのでCheckthere 2007年10月20日 (土) 05:46 (UTC)[返信]

調べてみましたが、上のCountry: AUの続きに「JPNIC」の文字は見当たりません。プロキシを使用しないIPの場合、「japan Network Information Center」で表されAddress:PO Box 2131 Country: AU などはまず出てこないです。海外プロキシを使用した場合は「japan Network Information Center」以外が表されようです。うぐい 2007年10月20日 (土) 06:02 (UTC)[返信]
利用者:Checkthereさんがちょっとした理由で取り消された投稿へのレスです。編集競合になりましたけどそのままいきます。Whoisの「116.80.5.16」の検索結果では 「Asia Pacific Network Information Centre 」だけですね。JPNICの表示はどこにもありません。とにかくプロキシを使用しない国内プロバイダIPの場合Country: AU は出てこないのは確かのようですね。digで調べると続きにJPNICが出てきましたか?うぐい 2007年10月20日 (土) 06:27 (UTC)[返信]

すいませんがなんだかよく分からないのですが、プロキシとはいったい何なんですか?この百科事典で調べてみたけどいまいちよく分からないのです。ちなみに私は東京在住の社会人。このネットも自宅のパソコンから普通につなげているものです。出来れば簡単に誰か説明していただけるとうれしいのですが。--116.80.5.16 2007年10月20日 (土) 09:09 (UTC)[返信]

プロキシとは代理の意味で、今回の場合はAというパソコンからの書き込みからの書き込みを隠すため、BというパソコンからWikipediaに書き込むことをいいます。このBというパソコンが公開された代理書き込みをするサーバだとWikipediaのルールに反するわけです。116.80.5.16さんがルールに反した書き込みをしていないことは一目瞭然ですから、何も御心配になることは有りません。Checkthere 2007年10月20日 (土) 09:13 (UTC)[返信]

そうですか。説明ありがとうございます。なんとなくですが理解できました。--116.80.5.16 2007年10月20日 (土) 09:23 (UTC)[返信]

¿Alguién pueda añadir el enlace <<interwiki>> a la Wikipedia español con éste "[[es:Borborygmus]]" escrito?

被害者実名の記載方針について

[編集]

Wikipedia:削除依頼/イラク日本人人質事件 20101009で存続となったことを契機に、被害者の実名の記載方針を以下のとおりとしたいのですが、いかがでしょうか。

  1. 記事本文での不記載は維持し、記載された場合は管理者による削除ではなく、編集による除去を行う。
  2. 「参考文献」節に掲げられている「下川裕治の著書」については、著書の題号(被害者の実名を含む)を明記した通常の表示方法に切り替える。
  3. 英語版、中国語版への相互リンクは、リダイレクトページではなく、リダイレクト先への直接リンクに切り替える。
  4. 1~3の方針は、本ノートの議論によって変更することができる。

以上です。--ZCU 2010年11月20日 (土) 01:11 (UTC)[返信]

上記のとおり編集しました。--ZCU 2010年11月28日 (日) 15:14 (UTC)[返信]
  • 名誉棄損的ではないのなら、実名記載も容認されるという結論のようですが、Wikipediaの基本的なルールとしては、「被害者の氏名は記述しない」というものが広く合意されているはずではないでしょうか。該当の削除依頼において僅か2名の票のみで存続と決定されているようですが、議論が不足している感が否めません。何が特異な犯罪なのか、そんなに明確な線引きを出来る問題だと思いませんし、該当人物は日本に深くゆかりのある人物であり、事件そのものは外国で起こったことだとしても、日本国籍を持ち、日本でずっと生活してきた人物である以上、「日本にゆかりがない人物」だとして実名記載を容認できるものでもないと思います。また、この事件前後(あるいは、2013年の今でも)には、被害者に対するバッシングがインターネット上で強烈に行われており、インターネット上で実名を記載すること自体が、関係者へ苦痛を与え、また本人の名誉を傷つけることにつながる可能性も否めません。従って、編集で除去するだけではなく、管理者権限で削除すべき事案だと考えます。なお、政府関係の書類などで実名が記載されていることはWikipediaで記載して良いという根拠にはなりえません。--Wpjapanuser2012会話2013年5月24日 (金) 06:05 (UTC)[返信]

あなたのいうWikipediaの合意とは具体的に何を指すのでしょうか。英語版や中国版でははっきりと実名が書かれていますが。--122.25.120.84 2014年4月13日 (日) 00:09 (UTC) 一部修正--Triglav会話2015年2月2日 (月) 05:34 (UTC)[返信]

英語版や中国語版でも議論を喚起し、統一した対応をするべきと考えます。日本語版のみの対応はWikipedia:日本中心にならないようにを考慮すればやはり問題だと思います。私見としては実名は記さない方が良いと思います。--219.35.22.28 2015年1月25日 (日) 00:17 (UTC)[返信]
そうしてください。まずはアカウントを。--Triglav会話2015年2月2日 (月) 05:34 (UTC)[返信]
  • この事件の場合、10年以上たった今でも実名で報道されています[7][8]。香田証生さんが巻き込まれた事件として記憶され、事件のキーワードとして加害者名、被害者名ともに重要な位置にあることを意味していると思います。英語版の記事名もen:Shosei Kodaです。wikipedia日本語版に書かれたからといってネット上の情報が増減するということはなく、バッシングが増減するわけでもありません。そもそもバッシングが問題ということならバッシングが起きているサイトを行政や報道機関で問題にしていくべきで、バッシングが起きているわけではないwikipedia側の問題ではありません。そういった事にwikipediaの記述が関与しうるからというのは言いがかりレベルの話かと思います。wikipediaは個々の事象の正誤を判定するサイトではありません。また、合意されているはずというような想像上の存在しないルールの運用は好ましく無いので根拠となる文書があればそれを出してください。一方で、WP:NOTという方針では、不快というだけでは検閲・除去をしないとされています。これに抗しうるだけの十分な根拠となる方針文書・法律等が出てこない場合は『香田証生』表記にすべきと思います。出されなければ変更します。もちろん、あくまでケースバイケースの話なのでWP:DP#B-2は即時削除方針にはできず、削除対象となるかどうかは削除依頼でしばしば確認しあっているものと思います。--Sureturn会話2015年2月16日 (月) 02:53 (UTC)[返信]
上記の通り変更しました。--Sureturn会話2015年2月23日 (月) 06:38 (UTC)[返信]
「ここは日本語版であって英語版ではない」と「悪しき行政や報道に倣う必要はない」というような反撃がきそうですが、この件とISの件については「政府が行くなと言っている場所にあえて行くということはどのような結果をもたらすのか予め承知していたという自己責任論が働いている」と解釈したほうが、実名を伏せている他の事件記事とも整合がとれてよいと思います。--Triglav会話2015年2月23日 (月) 07:20 (UTC)[返信]