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ノート:アントニ・ファン・レーウェンフック

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原語の綴りが複数あるようなので、姓のみで記事を立てました。(どっちにしても原語読めませんが) Modeha.

これでは不便です。ネットで調べた結果、"アントニ・ファン・レーウェンフック"でいいと思います。一週間以内に異議が無いなら、記事名を修正します。

78 2006年6月14日 (水) 07:44 (UTC)[返信]

出典について

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いくつか疑問のある記述があります。

微生物の発見の年代
本文には1676年とありますが、英語版では1674年と1676年、ドイツ語版では1675年とぶれています。岩波科学百科では1675年、ハウスマン原生動物学入門では1673年とされています。おそらくこの数年の間に何度かletterを出しているのでしょうからどれでもいいのかもしれませんが、出典が必要かと思います。ちなみに微生物の存在が認められたのは1680年でその結果王立協会会員になった、と英語版に書いてありました。
王立協会への紹介者
本文ではホイヘンスが紹介者になっていますが、英語版ドイツ語版ともに同時期の解剖学者Reinier(Regnier) de Graafの名を挙げています。これも何か出典があるといいと思います。

ネットを検索すると諸説出てきて収拾がつかなさそうです。なかには1674年生まれとか、1680年死去とか…。--Mzaki 2006年7月11日 (火) 15:48 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。前半の「微生物の発見の年代」については私が調べて加筆しました。後ほど出典情報を添えますのでしばらくお待ち下さい。もちろん、Mzakiさんや他の方が削除、修正、編集されてもかまいません。---Redattore 2006年7月11日 (火) 16:21 (UTC)[返信]

まさに一次ソースである王立協会のサイトでの検索結果を上げておきます。レーウェンフックの手紙はここに記録が保存されてますので。レーウェンフックの手紙は1673年に書かれたものもありますが、当初はハチの解剖スケッチなどでした。リンク先の王立協会のサイトによると、微生物の記録としては、1674年9月7日の、protozoaが最初です。また、Graafがコメントを行ったことの記録も残ってます。恐らく、英語版でもここを元に書いてるのではないかと思います。なお、日本語文献では『戸田新細菌学』(改訂32版)に、この「最初の微生物」の発見の日について1674年9月7日とする同様の記録があります。参考までに。--Y tambe 2006年7月12日 (水) 09:46 (UTC)[返信]

王立協会のサイトを紹介していただき、ありがとうございます。加筆前に確認した書籍を失念してしまいました。書籍と同時にWebページも参照しており、英語版などにも外部リンクとして挙がっているANTONIE van LEEUWNHOEKを読みました。以下の部分には、1676年10月9日の手紙で現在のProtozoaを発見したとあります。
In 1676 or earlier (NOT JUST 1683 when he described bateria in... とある節です。
ただし、読み返してみると、1674年9月7日の手紙で微小な生物に言及しています。
Antonie van Leeuwenhoek´s first description of microbes という節です。
以上です。---Redattore 2006年7月13日 (木) 13:47 (UTC)[返信]

さまざまな典拠の紹介ありがとうございます。レーウェンフックの生涯と微生物関連の観察についてオランダ語の原典を引用しながらまとめたClifford Dobell Antony van Leeuwenhoek and his "little animals"という1932年の本がありまして、その翻訳書を参照したところ概ね以下の通りであることを確認できました。1676年の書簡ははっきりと属の同定ができるほど詳細な記述があり、実際に観察をした日付としては1675年と記されています。しかし1674年の書簡にもすでにanimalculeの観察が報告されていて、少なくともアオミドロやミドリムシと思われる記述があります。1673年の書簡の文面はないのですが、微生物の発見年代としては1674年で間違いないと思います。またこの1673年の書簡がde Graafの書簡に添付されていること、その後でホイヘンス(父)が個人的な紹介文を送っていることから、紹介者はde Graafが正しいと思います。--Mzaki 2006年8月3日 (木) 20:39 (UTC)[返信]

本文の編集を拝見し、より確かな内容になったと感じました。私もClifford Dobellの原著と訳書に目を通してみます。Mzakiさんの紹介があるまでこのような書籍が出版されているとは知りませんでした。---Redattore 2006年8月4日 (金) 06:20 (UTC)[返信]

顕微鏡のレンズ

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出典が付けられているので直接記事の編集はしませんが、このレンズの元は当然のことながらガラス管ではなくてガラス棒です。高品位なガラスでまず丸棒を作り、その中央を熱して引き伸ばして極細のガラス棒にして中央で二つに折り、その先を熱源に近づけて熔かし、表面張力の働きで球にします。無重力の実験室があればともかく径が大きくなれば真球から遠くなるので大きいものはつくれません。大昔高校の図書室にあった米国の少年向けの科学本の翻訳でレーウェンフック式顕微鏡の作り方を解説してありました。 --Ypacaraí会話2015年12月10日 (木) 05:45 (UTC)[返信]