ノート:アンティオキアのイグナティオス
中立性観点タグ添付・抜本的修正提案
[編集]「思想」節に観点タグを貼ります。
幾ら何でも、アドルフ・フォン・ハルナックのみで初期教父についてまとめるのはあんまりでしょう。正教会の文書は見つけるのが大変だとしても(しかし英語では簡単に見つかるのですが…)、簡単に見つかるカトリック教会の文書一つ参照されないのは如何なものでしょうか。
特に記事に言及されています司教論(主教論)、サクラメント論というのは、正教、カトリックにもろに被って来る分野であり、この分野にイグナティオスが果たした役割とその評価は、正教・カトリックからのものと、プロテスタントで自由主義神学の代表的人物でもあるハルナックによるものとでは、大幅に相違があります。
しかもハルナックは、同様の見解をとる立場においては確かに代表的人物の一人ではあるものの、プロテスタント全体から見ても「標準」とは言い難い人物です。それは反リベラル(反自由主義神学)の福音派のみならず、日本キリスト教団出版局から出されている教理史(『キリスト教教理史』ルイス・ベルコフ著、赤木善光・磯部理一郎 訳)においてすらも、ハルナックの見解は極端なものと捉えられている、という事例があるほどです。ヘレニズムとキリスト教の関係についてのハルナックの論考は、プロテスタントのルイス・ベルコフからも、正教会のジョン・メイエンドルフからも根本的な疑問が提出され、批判されています。
では、ハルナック以外の見解を並置すれば良いのでしょうか。いや、「論文」ならともかく、「事典」で「スタンダードでは無い極端な一見解を盛り込む」必要があるのか自体に私は疑問符を付けます。カトリック百科事典、キリスト教大事典など、正教、カトリック、プロテスタント(リベラル&福音派)といった、各教会の標準的な見解を列挙するだけで十分ではないでしょうか。十分というだけでなく、ハルナックレベルまで列挙しようとすると、それだけで割かなければならないリソースが甚大になります(同レベルの学者の見解を何人並べなければならないのかを考えると、およそ良質な事典記事作成は事実上不可能です)。
加えて、古代の著作家エウセビオスをそのまま「出典」として使う事にも疑問があります。その著作をどの程度信用するかは議論が分かれますが、たとえば日本古代史に関する記事において、同じく信用度について議論の分かれる記紀がそのまま「出典」とされているのと同様な違和感を感じます。
従いまして、抜本的修正を提案します。エウセビオス、ハルナックを出典としている部分は全削除。新たな記事文章に置き換える。これが提案内容となります。プロジェクト:キリスト教にも提案を告知して参ります。--Kinno Angel(会話) 2013年9月22日 (日) 14:33 (UTC)
- 加筆修正を開始しました。--Kinno Angel(会話) 2013年10月6日 (日) 11:33 (UTC)