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ノート:アレクサンドリアのアタナシオス

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2006年12月の議論

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この項目を、アタナシオスに移動してはどうかと思いますが、いかがでしょうか。

  • アタナシオスといえばまずこの方なので、曖昧さ回避のかっこは必要ない。
  • 現にあるリンクも、直接ここにくるより、アタナシオスに向いたものが多い
  • ギリシア教父(アレクサンドリア学派)についてはギリシア語名を原則使う慣行がある(と考えられる)ので、アタナシウスよりはアタナシオスのほうが移動先として適当なのではないか。

特に異論がないようでしたら、リダイレクトの削除依頼を行い、移動したいと思います。そうですね、来月には聖アファナシイの祭日があるので、それまでには議論をまとめられればなあ、と思っています。--Aphaia 2006年12月2日 (土) 11:54 (UTC)[返信]

(賛成)賛成します。( )内が「の」で終わるのはヘンです。将来同名の人物の記事ができたら、en:Athanasius (disambiguation)のようにアタナシオス (曖昧さ回避)を作ればいいでしょう。リダイレクトの削除が難しければ、アレクサンドリアのアタナシオスに移動してリダイレクトを貼りなおせばいいと思います。--Kazubon 2006年12月7日 (木) 04:35 (UTC)[返信]
移動依頼をだしました。Aphaia 2006年12月27日 (水) 18:06 (UTC)[返信]

改名提案(2009年5月)

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改名を提案します。理由は以下の通りです。

  • アタナシオスと言えば正教会では同列かそれ以上に有名なのは「アトスの聖大アファナシイ」であり、曖昧さ回避括弧かもしくは地名による限定は必須です。
  • 正教会での人名表記は教会スラヴ語現代ギリシャ語が標準的であり、どちらでもない古典ギリシャ語表記が東方教会主教に用いられているのは不自然です。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 02:52 (UTC)[返信]
  • (提案追加)改名後の「アタナシオス」は曖昧さ回避ページとします。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 02:53 (UTC)[返信]
  • コメントギリシャ語はよく知りませんが、「アサナシオス」って英語読みに近い感じに聞こえてしまいます。検索してみた結果、経済学者と工学者しか出ませんでした(アサナシウスなら若干あり)。2006年の提案では否定されていますが、用例に従えば「アタナシウス」の方が多いようです。johncapistrano 2009年5月18日 (月) 03:43 (UTC)[返信]
  • コメント現代ギリシャ語・中世ギリシャ語では"θ"は「タ行」的発音ではなく"th"ですから、英語読みに近くなるのは自然です。で、ギリシャ人の人名なのですからラテン語表記は不自然に過ぎます(その不自然な現状が様々な領域で放置されているのが日本の現状ですが)。現代ギリシャ語表記なのですから、現代の経済学者・工学者たるギリシャ人人名と一致するのもこれまた自然であり、本項目の改名が妥当であることを傍証するものでございます。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 04:23 (UTC)[返信]
  • 上記二つのコメントに「コメント」タグを追加しました。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 05:19 (UTC)[返信]
  • コメントちなみに正教会の聖人に現代ギリシャ語を用いている例として、次のようなものも御座います。ご参照下さい。→奇岩群にたたずむ天空の修道院 メテオラ。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 05:19 (UTC)[返信]
  • 反対 (或はアタナシウスへの改名に賛成)教会分裂前のギリシャ教父の一人であって正教会のみの人物でないので、ペトロの記事名などがカトリックPOVでないように正教会のみでの著名性や命名合意に合わせるべきでない。用例を覆すにはそれなりの正教会のみでない学術的な根拠なり何かが必要では。johncapistrano 2009年5月18日 (月) 05:45 (UTC)[返信]
コメント
教会分裂前のギリシャ教父の一人であって
なるほど、お説御尤もです。ただし
正教会のみでの著名性や命名合意
というのは聊か言い過ぎで、アトスのアサナシオスは明確な東西教会分裂前の聖人です(列聖は正教会のみですが)。それと、日本正教会ではむしろ「アファナシイ」が主流の表記であります。まずは正教会のみの感覚で小生が提案しているのではない事をご理解下さい。
さて、中世・現代ギリシャ語については小生、一応第一候補として挙げますが、最終的には強く主張するものではありません。ですがラテン語にするのも如何なものかと。最終的な妥協ラインは「アタナシオス」つまり古典ギリシャ語再建音です。古典ギリシャ語から既に発音が離れていた人物の名を古典ギリシャ語再建音で表現する奇異さは拭い難いのですが、特定教派POVを避けるためとあっては一定の妥当性はあるでしょう。
それと伺いたいのですが、地名による限定については如何お考えですか?--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 05:56 (UTC)[返信]
  • コメント それと、ペトロを例示とされておいでですが、ペトロはラテン語表記ではありません。古典ギリシャ語再建音から格語尾を取り除いた日本聖書協会訳による表記であります。ラテン語ではペトロは「ペトゥルス」となります。無論、ペトロについては小生も現状維持で賛成です。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 06:04 (UTC)[返信]
  • コメント 詳しくはありませんが、地位は低かったもののこの人物は教会(神学)史上の重要人物だったのですよね。アレキサンドリア司教/主教になるのは特筆されるニケア公会議の後で、更に後に正教会でアトスの方が著名になるとしても先行して著名性がある人物だと思います。改名はせずとも、ラテン語表記的にアタナシウスとして特筆される人物であれば、転送もこちらに向け、曖昧さ回避へは誘導で済ませるべきであると思います。
    ペトロについてはカトリックPOVでないですよね、と書いてあります。ご確認下さい。johncapistrano 2009年5月18日 (月) 06:23 (UTC)[返信]
コメント
えーとですね、まず地名限定の必要性について申し上げます。
ラテン語表記的にアタナシウスとして特筆される人物であれば、転送もこちらに向け、曖昧さ回避へは誘導で済ませるべきである
他言語版を観てみますと、殆どの言語版記事で「アレクサンドリアの」が付けられています。
(残念ながら、アラビア語朝鮮語中国語については小生、音すら完全に読めませんため、割愛させて頂きました。)
数えてみましたところ、上記30言語記事中、「アタナシオス」だけの限定抜きの表記をしていますのは5言語版のみであり、しかもその5言語は使用数が多いとはあまり言えない言語です。(他にはドイツ語ロシア語ウクライナ語ポーランド語等のように「大アタナシオス」のような表記がありますが)、ギリシャ語英語フランス語ラテン語スペイン語ルーマニア語などの話者数の多い言語では「アレクサンドリアのアタナシオス」表記となっております。これらの言語は分布を見ても、西方教会東方教会それぞれの優勢な地域にまたがっており、「アレクサンドリアの」という限定をつける事は別段、特定教派POVを生むものではない事も明らかでしょう。
上記事由により、仮にアレクサンドリアのアタナシオスのみが著名なアタナシオスと捉えられていることが正しいとしても、それは単に日本に限定的な現象であり、他国においてはそのように認識されていないケースが多い、と纏められます。
従いまして日本だけの事象を元に記事名を決めるのは、ともすれば日本POV的なものとなるかと存じます(そこまでいかずとも、普遍的な事象を扱う百科事典として、調査の便を損なうものでしょう)。
なお、ペトロについての言及についてですが、理解しております。小生が申しましたのは
  • 『ペトロ』はラテン語表記ではない。従って、ラテン語表記である『アタナシウス』を推す例としては不適当。
  • ペトロの記事名については小生はギリシャ語表記ではない事を理由に改名提案を出そうとは考えていない
という意味です。
ただ、『アタナシウス』の表記についてjohncapistranoさんが強く主張されないのであれば(つまり「アタナシオス」で宜しいという事でしたら)、この議論をこれ以上続ける必要はもちろんありません。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 06:47 (UTC)[返信]
コメント 付け加えさせて頂きますと、日本正教会での最も通用性の高い称号も含めた呼び名は「聖大アファナシイ」です。ドイツ語ロシア語ウクライナ語ポーランド語の「大アタナシオス」の表記はこれに相当するものです。ですから繰り返し気味になりますが、小生の改名提案は正教会の基準のみに照らしたものでは全く無い事を改めて申し添えます。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 06:51 (UTC)[返信]
  • コメント それは正教会においても特筆されるということですよね。他言語版は内部参照に過ぎませんが、ラテン語版のアタナシウスはアタナシウス・キルヒャーとの曖昧さ回避ですね。johncapistrano 2009年5月18日 (月) 06:58 (UTC)[返信]
コメント
それは正教会においても特筆されるということですよね。
確かに正教会においても著名であります(それを否定したことは一度も無い筈ですが)。ですが小生の言及した意図は違います。「他にアサナシオスが沢山居るから、『大』を付けなくては識別出来ない。」という意味です。何なら「大アタナシオス」の記事名でも小生は一向構いません。が、地名を足すというのは日本語版ウィキペディアでは最も普及した識別法と思います。ですから「アレクサンドリアのアサナシオス」を提案した訳ですが、「アサナシオス」には今回強くは拘っておりません(無論賛成頂ければうれしいのですけれど)。第二候補として「アレクサンドリアのアタナシオス」を挙げております。
他言語版は内部参照に過ぎませんが
仰る通りですが、著名性などの指標とも成り得るものでしょう。--Kliment A.K. 2009年5月18日 (月) 07:22 (UTC)[返信]

5月19日の議論

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コメント Wikipedia:検証可能性にしたがって、まず該当の表記で書かれている出典を提示していただけないでしょうか。その際には特定宗派の資料でも構いませんが、できれば中立的な資料であればより良いかと思います。--Kurz 2009年5月19日 (火) 03:23 (UTC)[返信]

コメント 出典についてはまず、以下の通りです。その後、当方の意見が読み難いと感じましたので、これまでの意見を箇条書きにまとめます。

諸出典
アレクサンドリアのアタナシオス」の例(出典としては弱いので挙げませんでしたが、個人ページは他にも検索にかなり引っ掛かりました。)
  • キリスト教大事典教文館(19頁、昭和48年版) - 「アタナシオス」の項目に、(1)「アトス山の(アタナシオス)」(2)「アレクサンドリアの(アタナシオス)」として分割して記載。
…この事典は(多分単に五十音順に従ってのことと思われますが)、むしろアトスのアサナシオスを先に持ってきています。つまりアレクサンドリアのアタナシオスと、アトスのアタナシオスの両者は、少なくとも並び称されるほどの重要性を持っていることが、プロテスタント系の教文館の事典にも見て取る事が出来るということです。
…個人サイトですが、作成者は東神大の博士課程前期修了者であり、参考にして問題ない専門家と評価出来ると思われます。
…個人研究サイトですが、作成者である朱門岩夫氏は大阪成蹊大学で哲学を講じている講師(教授?身分不詳)であり[1]、上記同様に参考にして問題ない専門家と評価出来ると思われます。
聖大アタナシオス」の例
…正教会の長司祭が作成しているページです。日本正教会の司祭ではなく駐日ポドヴォリエの司祭なので若干の変則的転写はありますが、正教会の表記では「聖大アファナシイ」「聖大アタナシオス」が一般的な事が見て取れます。
小生の意見のまとめ
  • 上記出典に看られますとおり、もし正教会用語を最優先する事を目指した改名提案であれば、「聖大アファナシイ」何歩か譲って「聖大アタナシオス」「聖大アサナシオス」を推します。が、小生はそうしてはおりません。改名提案の主要動機は「同名の重要人物が少なくないので地名等による限定が必要」であります。
  • 「アサナシオス」は現代ギリシャ語を推す小生の姿勢の反映ですが、今回、これには強く拘っておりません。西方教会で一般的な古典ギリシャ語表記の「アタナシオス」でも構いません。ただし、ラテン語表記「アタナシウス」には反対です(出典の通り、教文館の事典も「アタナシオス」です)。
  • 以上を総合し、小生の具体的提案の優先順位は以下の通りになります。以下のいずれかであれば、小生は納得します。
  1. アレクサンドリアのアサナシオス(今回、これは通らない蓋然性が高いと見ており、小生にも拘りはありません)
  2. アレクサンドリアのアタナシオス(強く推します)
  3. 聖大アタナシオス(個人的には最もしっくりくる表現ですが、超教派的ではないでしょう)
とりあえず、当面のお返事は以上です。--Kliment A.K. 2009年5月19日 (火) 07:10 (UTC)[返信]
  • コメント
アタナシオス
  • 関川泰寛『アタナシオス神学の研究』とその書評
  • 有賀文彦『アタナシオスの救済論』
  • 手塚奈々子「福音はギリシア化したか?」『いやしの福音』
『世界大百科事典』、『宗教学研究』
CiNii
Google
アタナシウス
CiNii
Google
一般的にはアタナシウス、学術的にはアタナシオスが多いようです。「正統信仰」を形成した教父の一人と正教会で崇敬の篤い聖人が「同列かそれ以上」であるとか「並び称される」というのは単に列記されているだけでは結論付けられないと思います。johncapistrano 2009年5月19日 (火) 08:20 (UTC)[返信]
コメント
>「同列かそれ以上」であるとか「並び称される」
もうちょっと注意深く読んで頂きたいのですが…
「同列かそれ以上」
これは、正教会での知名度を申しただけで、超教派の著名性だとか教理的重要性だとかについては小生も論じていません。ですからこれを強く主張した覚えも御座いませんし、出典を示した後に「それ以上」の文言は使っておりません。
「並び称される」
これは、事典の表記としての妥当性についての言及であります。「並べられている」のは、キリスト教の超教派の事典(出版社はプロテスタント系ではありますが)と、他言語版を看ればそれは明らかでしょう。「他言語版ウィキは全く参考にならない」とまではjohncapistranoさんも仰らないでしょう?
というよりそもそもなぜ、「言語数をみても極めて少数派となっている、限定無しの"アタナシオス"表記」にそこまで拘られるのかちょっと分かりません。正直言って不思議です。聖セシリアの時には他に著名な聖人が居ないようでしたので小生も納得しましたが。
他に世界的に著名な聖人が居ることが分かれば、平等な曖昧さ回避を目指すのが自然というものでしょう。なんだか「美智子」での議論を思い出しています。--Kliment A.K. 2009年5月19日 (火) 08:56 (UTC)[返信]
美智子での議論ってどこにありますか?
用例や史的な位置付けを見る限りで平等な曖昧さ回避に向かないのではないかという議論をしているのだと思います。検証可能性、信頼できる情報源や中立的な観点に適切に従っているのはどちらかで意見が対立しているのでしょう。johncapistrano 2009年5月19日 (火) 09:06 (UTC)[返信]

コメント

美智子での議論ってどこにありますか?
以下の議論欄は、私がかなり感情的になってしまった恥ずかしいものではあるのですが、今回の改名提案と動機は似通っております。論理構成は殆ど同じなのでご参照下さい。
限定なしのアタナシオス表記に拘るのも、限定なしの美智子表記に拘るのも、私からみれば殆ど同じ次元です。両者とも個人名の正式な名は「アタナシオス」「美智子」なのですから。姓が無い、片方の著名性が高い、などの特徴も共通した問題ですね。
で、「美智子」では曖昧さ回避で合意が成りました。他に「姓の無い美智子」が居たことが分かった段階であっさり議論の流れが変わったのです。
このもう一人の「美智子」の著名性の低さは、アトスのアタナシオスの比ではありません。皇室関係の記事編集者にすらあまり知られていなかった人物です。それでも曖昧さ回避化の方向で話がまとまりました。今回も同様の問題ではありませんか?いやむしろ、「皇后美智子」と「美智子女王」の著名性の差は、「アレクサンドリアのアタナシオス」と「アトスのアタナシオス」の著名性の差よりも大きいのではないかとすら思えます(まあ、感覚の問題もありますが)。
用例や史的な位置付けを見る限りで平等な曖昧さ回避に向かないのではないか
日本語以外の25言語版のウィキ編集者の間では向いている、と判断されていますよね?違うとお考えですか?--Kliment A.K. 2009年5月19日 (火) 09:11 (UTC)[返信]
en:Athanasius (disambiguation)、英語版のいくつかの転送はこの人物に向いてます[2]が、利用者の合意に左右される分正教会圏で「平等な曖昧さ回避」なのは致し方ないようですね。だとして、日本語版の記事名は日本語でどう言及されるかによるべきでしょう。それにしてもアサナシオスの記述は正教会POVに過ぎるのではないでしょうか?johncapistrano 2009年5月19日 (火) 09:29 (UTC)[返信]
コメント
Help:細部の編集をご覧下さい。議論の最中に「細部の編集」をクリックされるのは紛らわしいです。
さて
利用者の合意に左右される分正教会圏で「平等な曖昧さ回避」なのは致し方ないようです
えーっと…
ドイツ語ポーランド語フランス語ラテン語スペイン語が「正教会圏」ですか…?混乱してきました。
英語版の転送はこの人物に向いてます
では確認したいのですが、仮に私が英語版と同様の措置をとり、「1、本記事はアレクサンドリアのアタナシオスに改名」「2、アタナシオスは本記事にリダイレクト」「3、Template:Redirectを使用して、別の曖昧さ回避記事へ誘導」といった方策を提案すれば、賛成なさいますか?まだ正式に提案する訳ではないですが、叩き台として。つまりは「バッハ」と同じような解決策です。
あと、聞かれた議論場所についてお答えしたのに、その件について返事が無いのは奇異に感じます(皇后美智子美智子女王美智子について)。--Kliment A.K. 2009年5月19日 (火) 09:42 (UTC)[返信]
アサナシオスの記述は正教会POVに過ぎるのではないでしょうか?
ちょっと疲れてきました。しっかり読んで下さい。
  • 「アサナシオス」には強く拘っていません。妥協できる範囲です。
  • もし正教会での表現を追求するなら「アサナシオス」ではなく「アファナシイ」です。
何度も申している筈ですが。--Kliment A.K. 2009年5月19日 (火) 09:42 (UTC)[返信]
あと、記事アサナシオスの問題は、ここでは議論から外れますよ。
ただ一言申せば、中世・現代ギリシャの人名なのですから、正教会の人名が多くなるのは当たり前です。転写が数種類ある場合にどの言語表記を取るかは頭の痛い問題ですが、現代ギリシャ語だけが不遇を被らなければならない理由は無いでしょう。もし正教会関連の人物しか書かれていないと不満であれば(記事成長の前にここで議論が勃発してしまって、予定していたその作業にかかれないのですよ)、是非御加筆下さい。サッカー選手その他、まだまだ沢山の「アサナシオス」がいるようです。
とにかく、本記事については私は「アレクサンドリアのアナシオス」「聖大アナシオス」で構わない、と申しております。--Kliment A.K. 2009年5月19日 (火) 09:54 (UTC)[返信]
細部の編集はデフォルトです。
美智子での議論の場合と今回とであなたの立場が近いことは分かりました。
アサナシオスの項を編集されたのはあなたですよね。正教会のみの聖人でない人物を正教会の聖人とするのは違和感があります。正教会での呼称とするなら分かります。記述さえ修正して頂ければ問題ありません。ただ日本語での用例がないものまで記載する必要があるかは微妙です。また(半ば別項目なのは間違いないですが)アサナシオスが別項目だと仰るのなら、アタナシウス、アタナシオスについても厳密に用例に従う方が筋が通ると思われます。
他言語版の合意は日本語版とは別問題です。記事名の経緯については個別に確認しないと分かりません。正教会圏というのは要因として考えられる例です。
バッハと同様というのも向かないと思うのが私の立場です。その上で他の利用者が別の合意をするならば致し方ないでしょう。johncapistrano 2009年5月19日 (火) 10:05 (UTC)[返信]
コメント
正教会のみの聖人でない人物を正教会の聖人とするのは違和感があります。
これにつきましては単純かつ丸きり低レベルな、私の不注意による手落ち・ミスです。明確にお詫び申し上げます。申し訳ありません。先ほど修正しておきました。
すみません、体力・精神力上の問題かつ冷静な議論のため、ゆっくり議論を進めたいのですが、johncapistranoさんは構いませんか?申し訳ありませんが、次のお返事はかなり遅くなると思います。
正教会圏というのは要因として考えられる例です。
要因・例としても考えられないと思うのですが(特にラテン語スペイン語ポルトガル語
バッハと同様というのも向かないと思うのが私の立場です。
なぜですか?もう少し詳しくお願いします。
アタナシウス、アタナシオスについても厳密に用例に従う方が筋が通る
他言語版とのリンクについては、ギリシャの人名のため、現代ギリシャ語転写「アサナシオス」とのリンクを崩す意向は当方にありませんが、「アタナシウス」、「アタナシオス」のページを作る予定・意向は御座います(この作業もここの議論でストップしています)。--Kliment A.K. 2009年5月19日 (火) 10:26 (UTC)[返信]
コメント韓国語版の項目名「아타나시우스」ですが、こちらの読みは「アタナシウス」です。また項目名は「アタナシウス」ですが本文の見出しは「알렉산드리아의 아타나시우스」で「アレッサンドゥリア・ウィ・アタナシウス」で意味は「アレクサンドリアのアタナシウス」でした。以上ご参考まで。--Himetv 2009年5月19日 (火) 13:04 (UTC)[返信]
  • コメントラテン語の回避の相手はキルヒャーだと書いています。繰り返しになりますが、正教会圏での要因の可能性と書いたように他の言語版の回避の理由はそれぞれの言語版での議論や作成者の意図が分からなければ確認できません。他言語版でも検証可能性や信頼できる情報源等は基本方針の筈であり、外部での用例が記事名の基準となるものと思われますが、実態がどうであるかまで把握できません。バッハ云々以下は教父とアトスの聖人が対等でないというのが私の用例からの判断であるからです。2006年の提案も同じでしょう。johncapistrano 2009年5月19日 (火) 14:19 (UTC)[返信]

5月20日の議論

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コメント (1)聖人名にしばしば見られる地名による限定は同名の人物が複数存在しその区別をする必要があるからこそ現実に行われているわけで、この場合もそのような例にあたるでしょう。(2)Wikipedia:曖昧さ回避#どの曖昧さ回避を使うべきかの原則から言えば、意見が対立した場合には平等な曖昧さ回避にするものとなっています。(3)私見ですが、項目名が多義的ないし曖昧な場合には他項目からのリンクが安定せずのちのちに手作業で修正が必要となる場合が多いので、可能なら項目名は一意な方が執筆に都合がいいかと考えます。 したがいまして、「アレクサンドリアの~」を推します。なお、発音についてはリダイレクトにより処置できますのでさして問題にはならないでしょう。--Kurz 2009年5月20日 (水) 03:23 (UTC)[返信]
  • コメント
    • 基本的にKurzさんに賛成です。
  • 以下、johncapistranoさんへの反論です。(「反論」という日本語のニュアンス、強過ぎて嫌です。色々学ばせて頂いているので、ここでの議論には感謝しているのです。
    • 正教会圏での要因の可能性と書いたように他の言語版の回避の理由はそれぞれの言語版での議論や作成者の意図が分からなければ確認できません。」について
      • 少し変です。「確認出来ない」のに、「正教会圏での要因」を推測されて反対の根拠の一つにされているのは、論理を弱めておいでです。
      • そもそも要因として正教会に由来するものがあったとしても、東西教会の平等な曖昧さ回避を志向した結果であるとすれば、東方教会の視点に配慮が行われたこと自体は無問題のはずです。
      • 仮に「他言語版での記事名構成は、正教会への行き過ぎた配慮の結果である」と推測するにしても、ロシア語版等に正教会に由来する偏向要因があると想像するのは容易としても、ラテン語版・スペイン語版・ポルトガル語版にそのような偏向的要因があると根拠無く推測するには、無理があります。
    • バッハ云々以下は教父とアトスの聖人が対等でない」について
      • 対等かどうかを論じ始めたらキリがありません。誤解して頂きたくないのですが、聖大アファナシイ(あえてここでは正教会用語を使います)の重要性を、小生聊かも否定するつもりはありません。しかし教義上の重要性聖人としての著名性・人気に比例的相関関係があるとは限らないことは、johncapistranoさんもクリスチャンでいらっしゃれば御存知でしょう。例えば、教理面で多大な働きをしたカッパドキアの三教父よりも、ミラのニコラオスの方が、圧倒的に一般信徒・一般社会(聖職者・研究者はまた別です)の間での知名度も崇敬の度合いも大きいと思われます。(聖人ではなくカトリック教会の福者ですが)マザー・テレサアタナシオスと、どちらが日本での知名度・言及される頻度が高いかを鑑みれば、すぐお判りのことと存じます。
      • 教理・教義の面では、聖大アファナシイと、アトスのアファナシイを比べたら、比較にならないほど前者の方が重要であると小生も明言します。が「どのような視点からいって対等か」に多様な視点がある以上、教理・教義の要因を優先する理由はありません。
    • 教父が「代表的なトピック」でないと合意されるのであれば」について
      • 「代表的なトピック」とは、たとえば「最後の晩餐」のようなものに適用される論理でしょう。日本における著名性は遥かにレオナルド・ダ・ヴィンチによる作品の方が高い筈ですが、イイスス・ハリストスによる最後の晩餐がレオナルドの作品のモチーフとなっている関係性が存在する以上、聖書に記された最後の晩餐をレオナルドの作品より優先的に扱う事には合理性があります。
      • 今回の件では、聖大アファナシイはアトスのアファナシイのモチーフであるといった事情は見当たりません。「不死の者」を意味する「アファナシイ」は、かなりありふれた聖名です。
      • 最後の晩餐」の事例には、日本での知名度が圧倒的に高いものであっても、優先的に限定無しの記事名が与えられるとは限らないことも示されています。
      • 上に挙げたマザー・テレサの事例にも現れていますが、「日本での知名度」を重要な考慮の対象としてしまうと、かなり問題ある先例になるかもしれません。というのも御存知の通り、我が国でのキリスト教に対する認識は、残念ながら発展途上であり、他国と比べればとんでもなく偏っているからです(映画ダ・ヴィンチ・コードをネタと受け取れない国民が多く住まう国ですよ^^;)。追記:--Kliment A.K. 2009年5月20日 (水) 15:42 (UTC)[返信]

--Kliment A.K. 2009年5月20日 (水) 15:28 (UTC)[返信]

私が挙げた出典は検証可能性を満たすもののみです。知名度がどうだと仰っているのはそちらで私が言っているのは特筆性、記事の重要度、検証可能な用例です。知名度なら,世界遺産の影響でアトスの聖人の方がもしかすると知られているかも知れません。一般的な用例を嫌うなら、学術的な言及に絞ってもいいでしょう。アトスの聖人が教父に肖らなかったかどうか分からないのでお説が妥当とは思えません。ドイツ語版には教父が洗礼名の元となったと書かれてあります。日本語版のキリスト教関連記事が悲惨な状況であるだけで充実していればどちらが代表的なトピックであるかはより明白であったでしょう。ずれている部分には返事は致しません。この記事に関わる議論をお願いします。johncapistrano 2009年5月20日 (水) 16:04 (UTC)[返信]
  • コメント
どちらが代表的なトピックであるかはより明白であったでしょう。ずれている部分には返事は致しません。
「どちらが代表的なトピック」と言えるかについて再三論じているのです。「明白」などと言われても困ります。無視なさるとは…大変驚いております。
出典については当方も提示しています。そもそも「教父について述べる著作」においてアレクサンドリアのアタナシオスしか言及されないのは自然ですが、それだけで事典の項目名を決める訳には参りません。「事典」には両方記載されるのが自然(しかも50音順でアトスのアタナシオスを先に載せるのが自然)と判断されるケースがある事については、超教派の媒体による出典提示済みです。
あと、他言語版での[7], [8], [9], [10]を挙げておいでですが、こういうリンク上の事情があるにも関わらず「アレクサンドリアの」などの限定による記事名決定がギリシャ語版でも英語版でもされているという事ですね。却って小生の主張の裏づけとなるものです。--Kliment A.K. 2009年5月20日 (水) 16:27 (UTC)[返信]
どちらが著名かは検証不能です。論じる意味がありません。ウィキペディアで重視されるのは検証可能性です。最後の晩餐、マザーテレサとどう関連性があるのでしょうか。英語版では[11]多くの転送がこの人物に向いていることで、この記事名で許容されているのでしょう。クリメント氏もバッハ方式と仰る分には多少検討して下さるのかもしれませんが、日本語版と用例が異なるのでご主張の補強材料にはならないと思います。johncapistrano 2009年5月20日 (水) 16:43 (UTC)[返信]
コメント
どちらが著名かは検証不能です。論じる意味がありません。
どちらが代表的なトピックであるかはより明白
上記二つの文言が意味不明にぶつかっているように思うのですが…?--Kliment A.K. 2009年5月20日 (水) 16:46 (UTC)[返信]
最後の晩餐、マザーテレサとどう関連性があるのでしょうか。
斜め読みしないでちゃんと読んで頂けますでしょうか。ウィキペディアにおける記事名決定プロセスの例として挙げたまでです。--Kliment A.K. 2009年5月20日 (水) 16:48 (UTC)[返信]
被言及可能性が高いものが代表的なトピックだと考えますが、ポケモン一覧のようなものもありウィキペディア上の被リンクだけからは断定は出来ませんが、ポケモンとこの記事は性質が違うと思います。代表的なトピックがそれ以外の項目のモチーフになるとは限りませんので、最後の晩餐も例として適切性を欠いていると私は判断しました。またアトスの聖人が修道名をどう選んだか不明な段階でお説を受入れていいものか分からないと書きました。ディベートの場ではありませんので、必ずしも常に返事したりどうこうというものでないと思います。出典が揃えば正常な議論なら自ずと進むでしょう。「斜め読み」しているだとか「無視」しただとか、書かないで頂けると幸いです。ノート:木綿_(糸)とコメント依頼等もご覧下さい。johncapistrano 2009年5月20日 (水) 17:04 (UTC)[返信]

5月21日~の議論

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コメント 曖昧さ回避はウィキペディアのシステム上の制限から仕方なく行われていることで、これがなければ複数の人物のうちどちらが代表的かなど論ずる必要はありません。そのような状況でディベートを行うのは有意義ではないですし、百科事典の執筆という大目的からははずれるでしょう。(私見ですが、こういう状況を避けるためにこそ「意見が対立すれば平等な曖昧さ回避」とされているのでしょう。)ですから、信仰に関わる事柄ゆえ話に熱を帯びてくるのはわかりますが、曖昧さ回避について合意が得られたのであればそれ以上代表的かどうかを巡る議論を続けるのはどうかお止めください。--Kurz 2009年5月21日 (木) 03:33 (UTC)[返信]
コメント Kurzさん仰る、「意見が対立すれば平等な曖昧さ回避」ルールの適用に賛成です。移動先は「アレクサンドリアのアタナシオス」、「アタナシオス」は当面、「アレクサンドリアのアタナシオス」と「アサナシオス」への曖昧さ回避ページにすれば良いと思います。--Kliment A.K. 2009年5月21日 (木) 21:34 (UTC)[返信]
コメント こんにちは。キリスト教の分野におけるjohncapistranoさん、Kliment A.K.さんご両名の貢献は私も知っており、私のような門外漢の素人がコメントさせていただくのもいささか恐縮なのですが、コメントさせていただきます。議論の内容は表記ぶれ等ではなく、曖昧さ回避の必要性の有無であるという前提のもとで述べさせていただきます。
ここまでのお話を拝読して、ノート:スザンヌ (タレント)#改名提案での議論を思い出しました。リンク先では、ある方が「日本人にとってスザンヌとは…」という意見を出されたところ、もはやお約束ともなっている例の「Wikipedia日本語版は日本版ではありません」のフレーズの大合唱によってこの意見は否定されました。別の例ですと、私の手元にある電気工学の基礎に関する教科書を見ると、「キルヒホッフの法則」という名前でキルヒホッフの法則 (電気回路)について言及されており、私も当然「キルヒホッフの法則」といえばこの法則をさすものだと思っておりましたが、「キルヒホッフの法則」をみるとどうもそれだけではないようです。前者の例では、たとえば日本の芸能関係の週刊誌で単に「スザンヌ」とあればどの人のことをさすのかは誰もが知るところでしょうし、後者の例では電気関係の教科書では何のことわりもなく単に「キルヒホッフの法則」といえばそれが何を表しているのか読者にはわかることでしょう。この「アレクサンドリアのアタナシオス」を単に「アタナシオス」「アタナシウス」として言及している事例をどれほど集めても、それが「その分野での常識」を表し得ても、分野を超えて日本語全体の用例を表すことにはならないのではないかと思います。
ここまでの議論を拝読した所感としては、西方教会では単に「アタナシウス」といえばこの人物をさすことが多いのだろうとおもいますが、正教会ではそのようにはなっていないのでしょう。「Wikipedia日本語版は日本版ではありません」という定番フレーズ同様、Wikipedia日本語版は西方教会での常識に従い西方教会の立場に立つものではなく、異なる分野(正教会)に異なる分野の常識が存在するのならばその事実を考慮しなければならないでしょう。johncapistranoさんのご意見からは、均等な曖昧さ回避を使うのば2人が「対等」でなければならない、という風に読み取れますが、用例の数が対等(5対5)でなくても、8対2程度であっても曖昧さ回避を使う理由としては十分ではないでしょうか。Wikipedia:曖昧さ回避を見ると、不均等な曖昧さ回避を使うのが望まいのは「代表的なトピックとそうでないトピックとが明確な場合」であるとされていますが、「正教会の世界ではそうなっていない」というKliment A.K.さんのご意見を信じる限りでは、「代表的なトピックとそうでないトピックとが明確」とまではいえないと思います。もちろん、正教会が信者数のきわめて少ない、得体の知れない団体だというのならば話は別ですが。--Peccafly 2009年5月26日 (火) 13:07 (UTC)[返信]
  • コメント 私の意見は既に述べていますし、一応判断の根拠も示しており変更の必要も感じませんので、あとは多数決で合意を諮って頂いても結構です。正教会でどうかというのも、2006年の提案では逆の提案がなされていますし、私にでも参照可能な文献がないと実際にどうなのかよく分かりません。johncapistrano 2009年5月26日 (火) 14:19 (UTC)[返信]
  • コメント
    • johncapistranoさんの「正教会でどうかというのも、2006年の提案では逆の提案がなされていますし」についてですが、2006年の提案はAphaiaさんによるものですが、Aphaiaさんが先行して執筆してくださった東方教会関連の記事群というお仕事には、小生も大いに敬意を感謝を表します。しかし誠に残念ながら、Aphaiaさんによる正教会関連記事の執筆内容には基本的な誤謬が各所に散見されるのも事実なのです(ギリシャ正教会首座主教大主教である事をご存じない…これは2004年の事例ですから、その後認識を深められたかもしれない蓋然性は割り引く必要はありますが)。
    • Peccaflyさんのご意見「用例の数が対等(5対5)でなくても、8対2程度であっても曖昧さ回避を使う理由としては十分」に同感です。
    • 1週間待って、johncapistranoさんの他に反対者が現れなかった場合、「アレクサンドリアのアタナシオス」への改名を実行させて頂こうと考えております。その際、「アタナシオス」は曖昧さ回避ページとします。--Kliment A.K. 2009年5月26日 (火) 14:55 (UTC)[返信]

移動依頼

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コメント 1週間経過しましたが他に意見も出ないようですので、曖昧さ回避については一応合意が得られたものとみなして改名します。なお、(1)表記ゆれについては宗派によって多少ゆらぎがあるようですが、それはパイプないしリダイレクトで措置すればよいかと思います。(2)本項目の導入部についてどう記載するかは適任の方がいらっしゃいますのでお任せしたいと思いますが、地名限定の名前と地名限定の付かない名前を並記するのがよいかと素人考えでは思います。--Kurz 2009年6月3日 (水) 03:42 (UTC)[返信]
Wikipedia:移動依頼に提出しました。--Kurz 2009年6月3日 (水) 03:46 (UTC)[返信]
Kurzさん
本来、私がやらなければなりません作業を実行して頂きましたことに感謝申し上げます。ありがとうございます。改名先も「アレクサンドリアのアタナシオス」で異議ありません。改名後の処置はやらせて頂きますが、異議のある方がいらっしゃればその都度編集もしくは議論していけば良いと思います。お疲れ様です。--Kliment A.K. 2009年6月3日 (水) 07:15 (UTC)[返信]
Kurzさん
改名に伴う各種作業につき、重ね重ね感謝致します。先ほど、「アタナシオス」も曖昧さ回避化しました。ありがとうございました。議論に参加して下さった皆様にも賛成反対を問わずお礼を申し上げます。--Kliment A.K. 2009年6月12日 (金) 15:37 (UTC)[返信]
ええっと、リダイレクトとなったアタナシオスを単に項目に置き換えたようですが、それですといままで「アレクサンドリアのアタナシオス」の意で「アタナシオス」に貼っていたリンクが「(一般名としての)アタナシオス」に貼られていることになりリンクの意味合いが曖昧になってしまいます。ですので、「アタナシオス」へのリンクを適宜確認しながら「アレクサンドリアのアタナシオス」に修正しなくてはなりません。 で、一応リンク元機能を使いつつ手動で作業しましたが、私はキリスト教の知識に乏しいゆえ修正できない部分もありました。できればその辺修正をお願いしたいです。--Kurz 2009年6月13日 (土) 01:17 (UTC)[返信]
Kurzさん
申し訳ありません、その作業を失念しておりました(汗)。ただいまより作業に取り掛かります。--Kliment A.K. 2009年6月14日 (日) 06:49 (UTC)[返信]