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ノート:アルボムッレ・スマナサーラ/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

多くのセンテンスが削除されている

元からあった多くのセンテンスが、履歴を追って頂ければ判りますが--Kogane によって削除されています。にも関わらず--Kogane は--Nozawa onsen pottaを、あらしだと一方的に決めつけて通報までしています。実際には--Koganeが、あらしているのでは無いかと疑っています。削除されたセンテンスの差し戻しの請求がある方は、実際に削除を行った--Koganeに、お願いします。経緯に関しましては、各者のノートも参考に、ごらんになってください。--Nozawa onsen potta 2011年1月29日 (土) 21:54 (UTC)

短時間の間に投稿と削除を14回繰り返したNozawa onsen pottaさんの行為が問題になっているので、その点をお忘れなく。--Kogane 2011年1月30日 (日) 02:59 (UTC)
--Koganeは、自分が勝手に思った話を、さも一般的な問題であったように話を決めつけた上で、元々の記事を恣意的に削除し改竄しています。こういう態度が全く問題にはならないと信じきっているようで、かなり悪質な危険人物では無いかと疑っています。仮に私が一般的な問題を起こしていたのだとしても、私が関わる前からあった元からの記事を勝手に削除して良い権利や資格が--Koganeに、ある筈もありません。 --Nozawa onsen potta 2011年1月30日 (日) 08:55 (UTC)

中心的な役割を果たしている

とする客観的に中心的である事が説明出来ない話では無いか?--Nozawa onsen potta 2011年1月28日 (金) 03:50 (UTC)

出版点数・刊行部数などから見れば、客観性のある記述だと考えます。--naagita 2011年5月10日 (火) 05:32 (UTC)

開基では無くて開山

なのでは無いか?--Nozawa onsen potta 2011年1月28日 (金) 03:50 (UTC)

これに関してはどちらでもいいと思います。--naagita 2011年5月10日 (火) 05:33 (UTC)
どちらでも良ければ、わざわざ斜線まで引いて残してあるのを叩き消すような事をしないで、コンセンサスを得て削除することを励行なさって下さい。--Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 01:16 (UTC)

大乗仏教、ヒンドゥー教、神道、キリスト教など、他宗教への誹謗中傷行為を繰り返している。--Bakasuma 

わざわざ他の個人名を出して「共謀」して何かをしているかの如き主張はおかしいです。とりあえず他の個人名と肩書きは削除しました。--naagita 2011年5月10日 (火) 05:29 (UTC)
これを主張されているのはBakasumaと言う人で、誹謗中傷的だと思い私が外し、反論があっても困るのでノートに移したものです。証拠として残してあるものですから戻して下さい。--Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 00:30 (UTC)
貴方は「事実」と認めているで、「中傷」には加担しているのではないですか?--naagita 2011年5月11日 (水) 08:42 (UTC)
 周知の事実だとは認めますが「中傷」に加担したければ、そのままページに残して知らん顔をしますよ。--Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 09:45 (UTC)

スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介されるが、日本では上座部仏教を部派仏教の中の一部派(分別説部)と表現することが多い(上座部を参照のこと)。

>スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介されるが、日本では上座部仏教を部派仏教の中の一部派(分別説部)と表現することが多い(上座部を参照のこと)。ただし英語圏では分別説部(Vibhajjavaada)を初期仏教(Early Buddhism)の一学派と表現することは珍しくない[1]。

自己主張のみに基づいた記事をwikipediaは禁止しているのですが、教団事務局員らが執拗にプロパガンダしたいようです。初期仏教とは釈迦の時代の仏教の事であり、現代人であるスマナサーラ氏は、初期仏教の長老には該当しません。そもそも誰が「初期仏教長老」だとして紹介するのかって、ご本人や教団幹部らが勝手にやっている事なわけで、こういう身勝手で都合の良い宣伝行為をwikipediaに持ち込むのは間違っています。修正を求めます。--Nozawa onsen potta 2011年5月9日 (月) 17:55 (UTC)

初期仏教という言葉の意味範囲は論者によって違います。スマナサーラ長老を初期仏教の長老と呼ぶのも、その範囲の幅に収まっています。決して宣伝行為とは言えないと思います。--naagita 2011年5月10日 (火) 04:54 (UTC)
「論者によって違います」その立場の論者と言うのが、この教団関係者の自己主張と言う所が、プロパガンダの構造であって、百科事典的とは言えない所なわけです。削除を求めます。--Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 00:36 (UTC)
ですから、教団関係ではない出典を示しているのです。英語版のwikipediaを参照しても許容される記述と存じます。--naagita 2011年5月11日 (水) 08:42 (UTC)
 分別説部を初期仏教に含めるかどうかと言う議論と、スマナサーラ氏が「初期仏教長老」かどうかは、スマナサーラ氏が分別説部に属する僧で無い限り混在させても無意味です。1945年生まれと書いてあるので、これに従うと年代が合わないわけです。本当は2500年前にミイラになって、お湯を掛けたら蘇った人だとでも言うのなら可能性はあると思いますが、あり得ない話でしょう? --Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 10:01 (UTC)
 何度言ったらいいのか分かりませんが、現在の上座部仏教は部派から言ったら「分別説部」です。分別説部は初期仏教のカテゴリーに入るので、スマナサーラ長老を初期仏教の長老と呼ぶことには何の問題もないと思います。--naagita 2011年5月11日 (水) 16:33 (UTC)
「部派から言ったら」これは「部派の流れから言えば」と言う意味ですよね?歴史や伝統などが無い新宗教が歴史を改竄捏造し夜郎自大なプロパガンダを執拗に繰り返して何とか正当性を主張したがる事は珍しくも無い話で、悪いとも言いませんが、百科事典の上で破綻した論理を展開するのはやめて下さい。 --Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 20:50 (UTC)
夜郎自大云々、破綻した論理云々、というのは貴方の偏見だと思います。スマナサーラ長老を初期仏教の長老と呼ぶのは、瀬戸内寂聴師や玄侑宗久師を「大乗仏教の僧侶」と呼ぶのと同じことで、用法としてまったく問題ありません。初期仏教の系譜は現在の上座部仏教(分別説部)しか残っていないので、わざわざ分別説部の長老、と言う必要もないだけのことです。--naagita 2011年5月12日 (木) 08:04 (UTC)
「大乗仏教の僧侶」と呼ぶのが妥当な表現であれば「上座部仏教の僧侶」と呼ぶのが整合性のある話で「初期仏教」だと生きてる時代が違うわけです。本物の「初期仏教の僧侶」だとすると蘇ったミイラの類です。--Nozawa onsen potta 2011年5月12日 (木) 08:45 (UTC)
実際に「蘇ったミイラの類」とは思わないので結局は、「本物」では無いなら「偽者」か、贔屓目にみても「玉虫色」の「初期仏教」と言う話になるので、こんな事をwikipediaに書くなと言っているわけです。--Nozawa onsen potta 2011年5月12日 (木) 09:42 (UTC)
例えば親鸞の仏教は元が「大衆部」なので「部派仏教」であり、「分別説部」より「大衆部」のほうが年代が古いので「超初期仏教」である。と言えば、夜郎自大だよなと言われても仕方が無いと思いますが、言われているのは結局この手の子供だましな、すり替えロジックですよね? --Nozawa onsen potta
浄土真宗は別に「大衆部」も「初期仏教」も名乗っていませんよ。ミイラ云々というならば、現在の日本の諸宗派も「宗祖の時代とはかけ離れている」のですから、天台宗や真言宗、曹洞宗、浄土真宗といった名称を用いることは禁じられなければいけなくなります。上座仏教とその僧侶にのみ、そのような極端な基準を押し付けることは無茶苦茶だと言わざるを得ません。--naagita 2011年5月14日 (土) 16:04 (UTC)
とりあえず他の僧侶や教団のwikipediaを見て回られるのは如何でしょうか?宗教だからプロパガンダも必要だと思うし、論理的な整合性が不足する部分を持っている事もたいして悪いとも思わないのですが、もっと直接的に言えば、ここの記述は百科事典として、かなりカッコ悪いと思うのですけどね。--Nozawa onsen potta 2011年5月14日 (土) 23:24 (UTC)

日本では上座部仏教を部派仏教の中の一部派

これを吹聴して回っているのも、この教団のプロパガンダの特徴のようです。部派仏教とは、アショカ王の時代あたりまで分裂が進んだ仏教の事であり、現代人であるスマナサーラ氏とは無関係です。また属しておられるシャム派は部派仏教のひとつである分別説部では無く、1750年に復興させた新教団なので、こちらもアショカ王の時代とは合致しません。誇大広告をwikipediaは禁止しています。--Nozawa onsen potta 2011年5月9日 (月) 18:03 (UTC)

これも理解しがたい言いがかりです。上座部仏教は日本では長らく「部派仏教の一派」と呼ばれてきており、それは「小乗仏教」を含意していました。最近「部派仏教でもない新教団」という方も出てきましたが、それは上座部仏教の「正統性」を毀損することを目的とした悪意に基づく主張に過ぎません。客観性とバランスを欠いていると考えます。--naagita 2011年5月10日 (火) 04:58 (UTC)
「上座部仏教は日本では長らく「部派仏教の一派」と呼ばれてきており、それは「小乗仏教」を含意していました。」これは、そもそも小乗仏教に対して認識すら無かった日本の歴史的背景によるもので、全部を、わけのわからないまま、ひとくくりにしていただけの事で、ひとくくりで扱われて来た事と、上座部仏教に正当性がある事とは、根本的に何の関係も無い話です。
「上座部仏教の「正統性」を毀損」ひとくくりにして来たことは正当性の証明にもあたりませんが、同時に毀損にもあたりません。--Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 00:49 (UTC)
上座部仏教を小乗仏教と呼んできたのは近代仏教学が成立した明治以降、最近までの話ですよ。偏見の賜物と思います。--naagita 2011年5月11日 (水) 08:42 (UTC)
上座部を小乗と呼ぶのが偏見かどうかではなく、「部派仏教の中の一部派」かどうかの議論です。話を戻して下さい。--Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 09:48 (UTC)
これも繰り返しになりますが、現在の上座部仏教は部派で言えば「分別説部」です。--naagita 2011年5月11日 (水) 16:33 (UTC)
 部派の流れから言えば元が「分別説部」であっても、現在の上座部仏教が「分別説部」なわけではありません。ごまかさず正確な記述をお願いします。--Nozawa onsen potta 2011年5月11日 (水) 20:37 (UTC)
いえ、ですから現在の上座部仏教は「分別説部」です。日本天台宗の祖である最澄以来、さまざまなお坊さん達がたくさんの文献を作ったり新しい儀式をつくったりしたとしても、日本の天台宗は最澄以来ずっと天台宗です。それと同じことです。現在の上座部仏教はかつての分別説部とまったく同じではないから「違う宗教」というのは極論にも程があります。ためにする議論です。--naagita 2011年5月12日 (木) 08:04 (UTC)
はい、ではとりあえず「分別説部」だったとします。しかし現代の仏教は「部派仏教」としては年代が合わないので、厳密に言えば「部派仏教」では無い「分別説部」に属する僧侶と言うことなのですか?これで良ければ記述を改めて下さい。色々と面妖ですね。 --Nozawa onsen potta 2011年5月12日 (木) 08:29 (UTC)
部派仏教という範疇で言えば上座部系の「分別説部」になります。年代が合わない云々というのは言いがかりではないでしょうか?……。--naagita 2011年5月14日 (土) 15:59 (UTC)
宗教営業上、死活問題に関わる攻防だと思われていて主張を譲ろうとなさらないのは判るのですが、それを百科事典上でも展開しようとするからカッコ悪いと思うのですけどね。--Nozawa onsen potta 2011年5月14日 (土) 23:30 (UTC)

「日本の天台宗は最澄以来ずっと天台宗です。」日本の天台宗は智顗からでは無く最澄からカウントするわけですが、これと同じに扱うと、スリランカ仏教は、キャンディ王朝の仏教つまり1750年の新興仏教と言うことになります。これだと完全に初期仏教でも無ければ、部派仏教でも無い事になるわけですが、スリランカは別格に扱って良い理由や根拠があるのでしょうか?ここをきっちり説明しない限り夜郎自大なプロパガンダだと見做されても仕方ないと思いますけど如何なのですかね?--Nozawa onsen potta 2011年11月13日 (日) 18:58 (UTC)

これも理解しがたい言いがかりです。それを言うならばスリランカ仏教の祖はマヒンダ長老なので、日本の天台宗よりよほど古いです。--naagita 2012年1月25日 (水) 15:19 (UTC)
本気でそういう話だと思われているのでしょうかね?まぁそれは構いませんがwikipediaは百科辞典ですので、他と整合性のある記事を投稿する必要があります。1750年に起こった新しい宗教教団が古典的な側面も部分的に持ち合わせていると言う理由で、独自研究的に伝統的な初期仏教や部派仏教と主張なさって営業なさりたいのは判るのですが、百科辞典的には、それでは困るわけです。態度を改めるようお願い致します。--Nozawa onsen potta 2012年2月3日 (金) 00:39 (UTC)

Ajitaさんのコメント依頼を出しました。

・ ご覧になった方は、ご意見をお願いします。 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Ajita --Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 15:41 (UTC)

スマナサーラ氏の初期仏教帰属に関して

分別説部は一宗派として存在しえたのかどうかでさえ意見が分かれる団体であって[1]部派仏教に含めるかどうかは意見が分かれる所です。[1][2]またスリランカ仏教そのものが、 分別説部の更に分派であるTāmraparnīyaからの流れでありTāmraparnīyaが、ふたたび上座部仏教と名乗りだした事で部派時代が終了した事が知られている為、スリランカに部派時代があったのかどうかは極めて不明瞭です。[2]そういう経緯もあって代表的な部派仏教とされる北伝20部派にも、南伝18部派にもTāmraparnīyaは当然としても分別説部でさえ入りません。更にスマナサーラ氏の属するシャム派は、1750年にスリランカで創立された新教団であり、分別説部から約2000年に渡って分派を繰り替えした末流の一教団であるので当然分別説部そのものでもありません。従ってスマナサーラ氏は部派仏教の僧侶ではありえませんし、部派仏教に属する根拠が無い方であるから、更に古い年代と推定される初期仏教にも属する方ではありえません。--以上の署名のないコメントは、Nozawa onsen potta会話投稿記録)さんが 2012年3月16日 (金) 00:46‎ (UTC) に投稿したものです(maryaa会話2012年3月16日 (金) 00:55 (UTC)による付記)。

これは難しい問題です。本当に当人や周囲が初期仏教そのものだと主張しているのであれば、非難も揶揄もすべきではありません。今のこの世の中には、自らを仏陀の再臨とする人もいるわけですが、ウィキペディアの記事では、その宗教ではそうされていると紹介するだけにしています。宗教的な信条をいちいち論駁することは我々の任ではないからです。この場合についても、同じことが言えると思います。本人がそう称しているという適切な出典はないようですから、「スマナサーラ長老は初期仏教の長老と紹介されることが多い」とだけ記し、余計な批判や弁護は記さないのがよいでしょう。--Kinori会話2012年3月18日 (日) 01:35 (UTC)
自転車を販売するのにロケット号として販売するのは問題ないとしても、百科事典のロケット欄に自転車と混同するような記事が載るようなのは大変な問題では無いのだろうかと思っています。「スマナサーラ長老は初期仏教の長老と紹介されることが多い」ではなくて、吹聴して回っていると言うのが客観的な事実としての表現方法としては妥当だと思うわけですが、妥当性が高いのだとしても誹謗中傷的に取られ兼ねないので、「としている」とか「だとされている」とか「ということにしてある」とか、そういう穏当な表現にすべきでは無いでしょうか?また如何にも本当に初期仏教だと思わせるような論文提示などは当然やめるべきです。江戸時代に起きたシャム派の僧侶で一人だけが初期仏教の僧侶と言うのも、大変理解に苦しむ所ですし、日本の文献で言う初期仏教の多くは根本分裂(最初の教団分裂)以前の事を指しますので、代表的な部派仏教でさえ全く該当しないのに、この人を初期仏教として紹介するような他宗派があれば、そちらの見識をこそ強く疑われる事になりかねません。従ってシロウトならいざ知らず紹介「される」と言う場合の紹介する側の他のセクトに該当が考えられないわけです。自分らや身内で好きに名乗っているのであれば、そういう人達もいるんだね?で終わりですが、論文をつけて脚色し、史実に判するだけでなく、他に失礼な表現は百科辞典としては是非やめるべきです。--Nozawa onsen potta会話2012年3月19日 (月) 12:32 (UTC)

:本人がそう称しているという適切な出典はない と言うのが何を意味しているか判りませんが、本人が称していたらどうで、取り巻きが称していたらどうなるのでしょうか?先代の会長の時からそうだしラジオのCMでも初期仏教と入れているし、エビデンスは揃えれるのですが、エビデンスがあればどうなるのか、そちらを先にお教え願えませんか?--Nozawa onsen potta会話2012年3月19日 (月) 13:02 (UTC)

先に答えを求められているほうから書きますと、本人が称しているなら、「と称している」、周囲なら「と紹介される」、です。そして、何らの異論も出そうにない肩書きなら「である」と書き分けます。本人が称していると書くための適切な出典は、本人の発言・執筆です。先代の会長の頃のことでも、ラジオCMでも、紹介されているだけの「エビデンス」なら、いくらあっても本人が称していると書くための適切な出典にはなりません。紹介されている出典は、ウェブ上にもいくつかありますし、読売新聞2008年6月19日朝刊「「ブッダの冥想実践会」講演と指導 大阪・住吉武道館で」等、新聞記事検索で複数でてきます。
私のほうでわからないのは、他宗派による紹介に限定して考える理由です。特定宗派・人物の記事で、他宗派に対する失礼を問題にして記事を動かすと、ウィキペディアが宗論の場に変えられてしまいます。アルボムッレ・スマナサーラの記述内容がスマナサーラ寄りになるのはむしろ当然で、それが普通の百科事典のあり方です。--Kinori会話2012年3月19日 (月) 23:41 (UTC)
他宗派は、初期仏教に始まる、こんなヨタ話そのものは初めから真に受けたりしないでしょう?そうでは無くてエセ科学はオカルトよりも、私のようなシロウトにはタチが悪いわけですよ。日本では上座部仏教を部派仏教の、、以下を削除する為に、このスレッドを起こしている(つもり)ですけども?--Nozawa onsen potta会話2012年3月20日 (火) 04:00 (UTC)
Nozawa onsen pottaさんが他宗派に肩入れし、この人物を非難したいことはわかりました。しかし執筆者の信条や好悪はこの記事とも議論とも無関係であるべきであり、私はそうした発言に応接したくありません。ご自分の胸にしまっておくか、別の場所でなさってください。
具体的な編集内容ですが、「日本では上座部仏教」以下を削除したいというのは、私の提案と一致します。文面をたとえば「日本では初期仏教長老と紹介されることが多い。」だけにするのでよいでしょうか。それで問題なければそのようにしましょう。--Kinori会話2012年3月21日 (水) 12:35 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼/Ajitaでコメントした111.232.107.45です。Nozawa onsen pottaさんを「他宗派に肩入れし、この人物を非難したい」人物と表現するのはWikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例の「個人の人種、宗教、性、国籍などに関わる非難を行う」や「個人の性格や経験を決めつけて攻撃する」に該当する行為だと思います。Nozawa onsen pottaさんがnaagitaさんに行ってきた同様の行為に比べ遥かに微細であり、通常問題にすべきレベルではないかもしれませんが、論理は全く同質であり、特に「そうした発言に応接したくありません」といいながら直前でご自身がそれを為すというのは大変よろしくないと思います。--111.232.107.45 2012年3月21日 (水) 23:25 (UTC) 敬称の付け忘れを修正--111.232.107.45 2012年3月21日 (水) 23:42 (UTC)
111.232.107.45です。上の文は一部Kinoriさんの文意を誤解して書いてしまいました。申し訳ありません訂正します。--111.232.107.45 2012年3月22日 (木) 02:02 (UTC)
IP氏がそのように思われるのはもっともです。問題とされた箇所は不適切な発言として、取り消し線を入れました。長くなりますが別の書き方で述べます。特定宗派・人物の記事を、他宗派の見方から編集する必要はないと私はこの議論で申し上げました。他の例をあげました。理由も書きました。それなのに、Nozawa onsen pottaさんは相変わらず他宗派の見方から人物・宗派を非難する発言を繰り返しています。そうした言及をしなければならない編集上の理由があるならその理由を説明して私に反論すべきですし、反論しないなら他宗派の見方からする非難はやめるべきです。私はNozawa onsen pottaさんの発言に応接することによって、自分自身が(批判側であれ、擁護側であれ)宗教論争の当事者とみなされることを恐れます。また、ウィキペディアのノートがそういう議論の場だと誤解されることをも恐れます。Nozawa onsen pottaさんは、記事編集と関係ない特定宗派・人物への非難をやめてください。--Kinori会話2012年3月22日 (木) 03:00 (UTC)
111.232.107.45です。発言を訂正していただきありがとうございました。Nozawa onsen pottaさんが主張においてシャム派に対し必要以上に敵対的な言説を取るのは自分も問題だと思います。自分であれば、同じ事を主張するのに以下の表現を使うと思います。
初期仏教とは岩波仏教辞典第二版554pによると原始仏教の類語であり原始仏教は同286pによれば「通常,仏教の開祖釈尊によってはじめられた統一原始教団が,仏滅後100年頃,部派に分裂するまで,または前3世紀のアショーカ王時代頃までの,インド仏教最初期の段階を指す.」とあり紀元前の仏教を示す言葉です。そのため現代人であるスマナサーラさんが初期仏教長老であるということはWikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められるにおける「関係学会に普及している見解に矛盾する主張」であり「特別な証拠が求められる」べきです。そのためスマナサーラさんに近しい人の発言では無く、中立的な第三者がスマナサーラさんを初期仏教長老と呼ぶことが出典により明らかな場合にのみ、その出典に基づき記載すべきです。現状はそもそも出典自体が無いので削除すべきです。
これならば、他宗派の見方から人物・宗派を非難するという事にはならないと思いますが、言っていることは大して変わりません。ようは「この人を初期仏教として紹介するような他宗派があれば(辞書に載ってる紀元前の仏教を示す言葉を現代人に用いる事なので)そちらの見識をこそ強く疑われる事になりかねません」という話でありNozawa onsen pottaさんは、スマナサーラさんの周囲でのみ現代人であるスマナサーラさんを初期仏教長老と呼ぶことの異常性をKinoriさんに伝えたかったのであり、この場合の他宗派とは「スマナサーラさんの周囲」以外の事を指しているだけで、Nozawa onsen pottaさんが特定の宗派の利害に基づいて意見を述べている訳ではないと思います。結局の所はNozawa onsen pottaさんにしろ自分にしろ言いたいことは「紀元前の仏教を示す言葉をわざわざ現代人であるスマナサーラさんの呼称として用いるのは、スマナサーラさん並びにスマナサーラさんが所属するシャム派こそが、本来紀元前の仏教を示す言葉を使うにふさわしい最も仏陀の教えを正しく伝える者であり、他の宗派は偽者だというイメージ操作であり、そんなことにWikipediaが加担してはいけない」という意見なのですが、もちろんこの意見自体は独自研究ですので、これを直接的な根拠として編集を行うことはできません。そのためNozawa onsen pottaさんは、いろいろな表現を試して、この事を皆さんに伝えようとしているのだと思います。その試みの中に、今回、Kinoriさんに「記事編集と関係ない特定宗派・人物への非難を」したがっていると取られかねない表現があったということだと思います。--111.232.107.45 2012年3月22日 (木) 22:42 (UTC)
まず他宗派と言うのが良くわかりません。大川さんの所は仏陀の生まれ変わりと勝手に言ってる人がいる、そして回りにそうだそうだと言ってる人達がいると言うのは歴然とした事実であって、本当に生まれ変わりなのかどうかは確認しようもないし知りませんが、そういう事が起きていると言うことに関しては正しく客観化されていると思います。私のようなどこにも俗さないどころか、宗教そのものにも極めて否定的な無宗教者を含めて他宗派と言われるのであれば、いかにも私は他宗派ですが、そういう視点はごく普通に一般的な視点なのでは無いでしょうか?この男もしくは、その周辺が勝手に初期仏教だと言って回っていると言う事実が記載されていれば、とりあえず問題ないのでは無いでしょうか?ところがこういう事実に基づく記載がなされていない上に、如何にも学術的な考証もあるような記載は、それこそ論外だと思うわけですが?--Nozawa onsen potta会話2012年3月23日 (金) 04:40 (UTC)

シャム派に対し必要以上に敵対的な言説を取る>シャム派に関する事はシャム派のノートに記載します。--Nozawa onsen potta会話2012年3月23日 (金) 05:06 (UTC)

スマナサーラさんが所属するシャム派こそが、本来紀元前の仏教を示す言葉を使うにふさわしい最も仏陀の教えを正しく伝える者であり>こういう主張そのものは、大川さんの所の生まれ変わり説でも同種なので、百科辞典に書いてあっても、悪くは無いと思いますが、そう主張していると言う風に客体化されていれば、大川さん級に合格だと思うわけです。しかしシャム派に限らず上座部に関して、earlyと言う言葉で部派を含めた物だとする主張を聞くことはあっても(まぁそれすら史実としては疑わしいのですが)、日本の文献学で使われる初期分裂前の仏教なのか?と思わせるような事まで言って回るような上座部僧の話は聞いたこともないので、それよりも更に特殊な主張であるので、大川さんの生まれ変わりよりも更に丁寧に客体化し記載してあれば、問題無い範囲と思います。--Nozawa onsen potta会話2012年3月23日 (金) 06:21 (UTC)

別に大川さんの回し者でもありませんが、ダライ・ラマにしても、生まれ変わりとして営業した事がゲルク派を発展させた歴史なわけだし、これ自体はそういうことをやって回ったと言う普通の話。営業して回ったんだね?と言うのが判れば百科事典として問題ないのだと思うわけです。しかし書き方として営業して回った奴だと書くのはどうか?と思うわけで、とされているとか、そう書けば特定の宗教の宣伝には当らないと思うわけです。シャム派で、ひとりだけ初期仏教の長老だとされている。とか、書いてあれば、そうだね?となるわけですが、こういう書き方も難しいだろうし、なかなか妥当な表現が見つかりません。どう表記すべきなのでしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年3月23日 (金) 06:37 (UTC)

111.232.107.45です。Nozawa onsen pottaさん。どういう書き方が良いかは文章を残したい人に考えてもらえばいいのですよ。まずノートで「○○の文書は××のガイドラインにあるように出典が不正であるため一週間後に削除します」と宣言し本文に告知をします。そうすると誰かが出典をだすので、もしそれがガイドラインを満たさなければ却下し、もし元の文の出典としてガイドラインを満たさなければ「ガイドラインに沿うように文書を変えてください」と言えばいいのです。そうしたら誰かが文書を考えてくれます。誰も出典を出さず、適切な文書も提案せず一週間たったら削除すればいいのです。もし相手がそこで出典やガイドラインに沿わない主張をして削除を妨害するならコメント依頼をすればいいのです。重要なのは「ノートで提案してちゃん合意する」ことです。たったそれだけの手順を省いたがために、この件は「長年に渡り誰も自分から積極的に出典を出さないにもかかわらず、削除すると怒られる」という理不尽な状態に至っているのです。--111.232.107.45 2012年3月23日 (金) 11:59 (UTC)

111.232.107.45です。Kinoriさんへ。仏陀の再臨の例はあまりよろしくないのではと思います。まずそもそも論としてWikipediaは各執筆者が興味のある分野の記述をする訳ですから、各項目の品質はバラバラです。たとえ大川隆法の項目の品質が低くても、それはアルボムッレ・スマナサーラの項目の品質向上とは無関係な話です。次に実際の文に関してですが「再誕の仏陀であり救世主として信者の信仰対象となっている」となっており(問題を含む文ではありますが)いちおう「再誕の仏陀であり救世主」であると信仰するのが「信者」であることが判るように限定されています。一方現在検討されている文は「スマナサーラ長老は初期仏教の長老と紹介されることが多い」であり、「誰が」という情報が全く入っていません。これはWikipedia:言葉を濁さない#基本的ガイドラインの「特定の人々がそう言っているならば、代表的な人物を具体的に挙げてください」や「少なくとも限定してください」に基づき「誰が」紹介してるのか書くべきです。もちろん現状の「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介されるが…」も同じ問題があります。また「…紹介されることが多い」はWikipedia:言葉を濁さない#中立性を損なう危険性以外の問題点の「いくらかの・多くの・大部分の・すべての・わずか」に反します。もし仮に良い出典があったとしても、文は出典に基づき限定された記述にすべきだと思います。

◆次に出典に関してですが新聞記事検索のやりかたがわからず「読売新聞2008年6月19日朝刊」を読んでおらず申し訳ないのですが、他にWeb検索すると長老の紹介のされかたは「初期仏教を伝えるスリランカ上座仏教長老」「スリランカ初期仏教長老」「初期仏教長老」といったぐあいに様々です。これを「初期仏教長老と紹介される」とまとめてしまうのは独自研究です。そもそも要約したときに同じ文にならないような個別の事例を収集し編集者が纏めてしまうことは収集・分析にあたりそもそも独自研究だと思います。ですから「○○と自称する」と書く場合は本人が「○○」と書いている文書を出典を付ければ良いですが、「○○と紹介される」と書く場合は他者が「○○」と書いている一次情報を集めて合成するのではなく、「○○と紹介される」と書かれた二次情報を出典とすべきなのではないかと思います。ちなみに長老の紹介のされかたにあげた「初期仏教」は紀元前3世紀以前のインドの仏教を示す仏教用語でありまた「初期仏教長老」という使い方をしているのはスマナサーラさんのケースのみだと思います。「スリランカ初期仏教」に関してはそもそも「スリランカ初期仏教」という言葉自体使用されているがスマナサーラさんのケースばかりであり、検索でかろうじてスリランカのダンブッラ石窟寺院の紹介で「スリランカ初期仏教時代(紀元前1世紀)」という形で使われているケースのみ発見できました。それぞれ意味の異なる言葉を使い分けているというのが実態だと思います。

◆このような状況を踏まえると、仮に集めた出典が信頼おける情報源であっても、その適切な記述は「スマナサーラ長老は著書・信者・教団関係者・インタビューのプロフィール・講演会講習会の案内・共著者によって、場合により「初期仏教を伝えるスリランカ上座仏教長老」「スリランカ初期仏教長老」「初期仏教長老」と紹介される」というようなものになります。もちろん実際には出典によりけりですが少なくとも「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介される」としてしまうのは不適切だと思います。

◆結局の所、現在スマナサーラさんの関係者が、本来意味の異なる、しかも現代には存在しない仏教の名前である「スリランカ初期仏教」「初期仏教」という言葉を、ケースバイケースで巧みに使い分け、最終的にスマナサーラさんが「初期仏教長老」と広く一般から呼ばれるようにするために活動中であるというのが現状だと思います。もちろん「実際に広く一般から呼ばれるようになった」段階では当然それをWikipediaに載せるべきですが、その過程においてWikipediaが加担することはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかの「ウィキペディアは演説台ではありません」に反すると思います。

◆しかしながら現在Wikipediaでは利用者のnaagitaさんが出典もつけずに、何度削除されてもリバートを繰り返してきました。naagitaさんの利用者名はAjitaであり署名はnaagitaなのですが、一方スマナサーラさんの日本における(たぶん)最大の段信徒団体である日本テーラワーダ仏教協会の幹部(たぶん会長さんにつぐNo.2)である事務局長さんのhatenaアカウントがAjitaでありtwitterアカウントがnaagitaなのです。

◆これを踏まえて「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介されるが、日本では上座部仏教を部派仏教の中の一部派(分別説部)と表現することが多い(上座部を参照のこと)。ただし英語圏では分別説部(Vibhajjavaada)を初期仏教(Early Buddhism)の一学派と表現することは珍しくない」との文の扱いを考えた場合(私自身の主観的な判断は除いて考えても)、

  • 「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介されるが」の部分は、そもそも誰も出典を出そうとしないのでWikipedia:独自研究は載せないに反し、また出典がないからWikipedia:言葉を濁さないを満たした適切な文にすることも困難なので削除
  • 「日本では上座部仏教を部派仏教の中の一部派(分別説部)と表現することが多い(上座部を参照のこと)」の部分は「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」なのでWikipedia:独自研究は載せないに基づき削除
  • 「ただし英語圏では分別説部(Vibhajjavaada)を初期仏教(Early Buddhism)の一学派と表現することは珍しくない」の部分は「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」であり、出典はあるがその出典は「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」すなわち「スマナサーラ長老に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」ではないのでWikipedia:独自研究は載せないに基づき削除
  • 誰かが出典を示し適切な文を提案した上で、記載の復活を要望する場合は、そのとき対応を考える

という対応でも問題ないのではないかと思いますが、いかが思われますか。--111.232.107.45 2012年3月23日 (金) 16:30 (UTC)

人には力づくで解決するから相手にされないと言っておきながら、これだって一ヶ月以上何のコメントも付かなかった実績は、どう説明するんでしょうかね?ほとぼりのさめようが不足していたからなのですかね。まぁいい時間稼ぎになっていますねw--Nozawa onsen potta会話2012年4月27日 (金) 17:03 (UTC)

111.232.107.45です。力づくで解決するのはガイドラインに反しますし、意見が通らなくなるのでやめるべきですが、別に力づくで解決しなかったからといってもノートの議論でコメントが集まるわけではありません。ノートの議論でのコメントを集めるために力づくで解決しないように進言したつもりも記憶もありません。Nozawa onsen pottaさんの誤解でしょう。--122.27.18.206 2012年4月28日 (土) 16:55 (UTC) 敬称の付け忘れを修正。--122.27.18.206 2012年4月28日 (土) 16:59 (UTC)
111.232.107.45です。ちなみにシャム派の方は、ほとぼりのさめようが不足していたからですが、こちらはただ単にシャム派の方を済ましてから手を付けようとしていたからです。同時に複数個所で議論すると混乱しますから。--122.27.18.206 2012年4月28日 (土) 17:09 (UTC)

途中で議論から抜けてすみません。上記批判は甘んじて受けます。「スマナサーラ」で有料の新聞雑誌記事横断検索 [3] にあたりました。すべての全国紙、20の地方紙、いくつかの雑誌で、あわせて157件の結果が出ました。ベストセラーのリスト、講演のお知らせ、書評などの雑報が半数以上ですが、中にはもう少し長い解説もありました。3つ以上現れた肩書きを拾いあげると、以下のようになりました。同じ新聞・雑誌に複数回登場したものをその数だけ数えたのが左の数、右のかっこ内は2回め以降を数えなかったときの数です。「の」がついたりつかなかったりのような微妙に表現が違うものは一つにまとめて数えました。

  • 14(9) - スリランカ仏教の長老
  • 13(10) - スリランカ上座仏教の長老
  • 11(4) - 日本テーラワーダ仏教協会の長老
  • 7(6) - スリランカ初期仏教の長老
  • 4(1) - スリランカ上座部仏教界の第一人者
  • 3(3) - 南伝仏教の長老

以上のように、初期仏教長老という肩書きも、それなりに使われています。しかし他の表現と比べて多いというわけではありませんので、上記3月23日 (金) 16:30での提案・結論に賛成します。--Kinori会話2012年7月14日 (土) 23:46 (UTC)

111.232.107.45ことPemoです。調査ならびに、提案への賛成、ありがとうございました。--Pemo会話2012年7月15日 (日) 03:51 (UTC)
すいません、既に賛成いただいているところを、ごちゃごちゃ言うのは申し訳ないのですが、一点だけ。「以上のように、初期仏教長老という肩書きも、それなりに使われています」とありますが、「スリランカ初期仏教」と「初期仏教」は別の意味を持つ言葉です。「スリランカ初期仏教」は紀元前1世紀の時代の仏教のことであり言葉の通りスリランカの仏教を指すものでしょう。一方「初期仏教」は紀元前3世紀以前のインドの仏教を指す学術用語です。
現在の(スマナサーラさんも所属する)上座部仏教、すなわち南伝仏教は「スリランカ初期仏教」の後継宗教であり、上座部仏教以外の仏教、すなわち北伝仏教・大乗仏教は「スリランカ初期仏教」の後継宗教ではありません。そのため(過去の一時代を指す言葉を現代人に当てはめるおかしさはあるにしても)スマナサーラさんが「スリランカ初期仏教」の「長老」を名乗るのは変な話とまでは言えません。
一方「初期仏教」とは、仏教宗派が分裂する前の時代の仏教を指す(辞書に載っている)学術用語であり、現在の(スマナサーラさんも所属する)上座部仏教も「初期仏教」の後継宗教であるのはもちろんですが、それ以外の北伝仏教・大乗仏教も(その教義の主張に基づくならば)全てが「初期仏教」の後継宗教です。そのため過去の一時代を指す言葉を現代人に当てはめるというのであれば、理屈の上ではこの世に存在する僧侶は全てが「初期仏教」の僧侶です。
図で示すなら、en:Buddhism#Timelineにおける一段目(India部分)の左先頭のクリーム色の「Early Sangha」が日本での学術用語である「初期仏教」または「根本仏教」に相当します。ちなみに一段目(India部分)の黄色部分の「Early Buddhist schools」は日本で言うところの「部派仏教」です。英語の記事を読む限り、英語では「Early Sangha」と「Early Buddhist schools」とを併せて「Early Buddhist」と呼ぶ場合もあるようですが、日本では「Early Sangha」の部分のみが「初期仏教」と呼ばれます。また二段目(Sri Lanka & Southeast Asia部分)の橙色部分の「Theravada Buddhism」がスマナサーラさんが所属するテーラワーダ仏教であり、すなわち上座部仏教・南伝仏教です。たぶんその左先頭が、スマナサーラさんが名乗る「スリランカ初期仏教」にあたるわけですが、これは現実には、スマナサーラさんのみが、活発に使っている用語です。ともかく学問上は「Early Sangha」は「Early Sangha」であり、「Theravada Buddhism」は「Theravada Buddhism」と扱われているのです。
そのためスマナサーラさんを「初期仏教長老」とわざわざ呼ぶのには、スマナサーラさんの所属する上座部仏教のみが「初期仏教」の正しい後継であり、他の仏教(北伝仏教・大乗仏教)は「初期仏教」を正しく伝えていないという含意があるのだと考えます。この考えはあくまで私個人の考えであり私の固有の偏った観点に基づくものです。ですので、この考えに同意して下さいとは申しません。しかしながら、そのような考えから「スリランカ初期仏教長老」と言う言葉と「初期仏教長老」という言葉を別の言葉だと考え、また、その混同に過敏に反応するWikipedia編集者(すなわち私のことです)も存在しているのだということは、ぜひ、許容いただけるようお願いします。--Pemo会話2012年7月16日 (月) 00:03 (UTC)

Ven.について

左記に従ってVen.Alubomulle Sumanasara nayaka TheraのVen.を一週間後に外します。[4]--Nozawa onsen potta会話2012年5月27日 (日) 11:15 (UTC)

111.232.107.45です。賛成します。「Ven.Alubomulle Sumanasara nayaka Thera」との表記の「Ven.」および「nayaka Thera」はWikipedia:表記ガイド#人名で言うところの「肩書・敬称」であり「皇族・王族などで付けることが慣習となっているもの」には相当しないので削除すべきであることに同意します。--175.103.138.60 2012年5月29日 (火) 10:41 (UTC)

ひとつ質問があります。記載の方法としてアルボムッレと言うのが付いていますが、これは肩書きや敬称ではありませんが僧名でもありません。ご出身の村の名前を付けて自ら区別なさっているのだと思いますが、[5]によると「通称・ペンネーム等は第1段落中に書いてください。」と書いてあるので、これに従えば名前からは「アルボムッレ」を表題からは削除し段落中に書くべきと言う意味なのでしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年5月30日 (水) 06:15 (UTC)

111.232.107.45です。「通称・ペンネーム等は第1段落中に書いてください。」の意味は、人物の記事において複数の呼び名がある場合、他の段落にばらばらに書くのではなく、第1段落中に列挙せよとの意図です。それにより、記事の名前に用いられた名前以外の名前で検索してその記事にたどり着いた読者が第1段落を読むだけで「自分が探す記事が確かに、この記事である」事の認識できます。例えば徳川家康の場合、第1段落(正確には、冒頭から目次の前までに)「徳川 家康(とくがわ いえやす)」「松平 元康(まつだいら もとやす)」「通称は次郎三郎。幼名は竹千代。」のように複数の名前が記載されています。
一般的に複数の名前が記載されている場合、記事名に使われるのは、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの「認知度が高い」が重視されているケースが多いと思います。徳川家康の場合最も著名なのが「徳川 家康(とくがわ いえやす)」であり、これが記事名になり、また第1段落の先頭に来ます。
「アルボムッレ・スマナサーラ」は、おっしゃる通りであるなら「スマナサーラ」のみが本名なのでしょうが「アルボムッレ・スマナサーラ」は日本における著書の筆名にも使われており、記事を探す読者にとってはわかり易いと思います。現状通り「アルボムッレ・スマナサーラ」を第1段落の先頭に書き、記事名も「アルボムッレ・スマナサーラ」とするのが良いと思います。同様のケースとしてレオナルド・ダ・ヴィンチがあります(=ヴィンチ村のレオナルド)。--175.103.138.60 2012年5月30日 (水) 12:58 (UTC)

本人に確認したわけではありませんが、本名では無く、パーリ語でsu(釈な)+mana(心を持つ)っている+sara(人)と言う意味あいの僧名だと思われます。いわゆる正式な僧名として地名ごと与えられると言う話は聞かないので、ご自分で識別用に扱っているか、まぁ昔の知り合いがそう呼んだのかも知れません。この記事によると、ご自身の言説によると自分で名前に使ってらっしゃるようです。[6]しかし日本の僧侶はそもそも、ふたつに区切るのが正式な表現なのですが、wikipediaは、そういう扱いをしていないのに、この人だけが、ふたつあるのは、どうか?と思ったわけです。例えば道元であれば正式な僧名としては永平 道元ですが、wikipediaには、そう記述してありませんよね?--Nozawa onsen potta会話2012年5月31日 (木) 04:17 (UTC)

111.232.107.45です。Wikipediaは、既に世に広まっている情報源を集積して記事を作るので、世に広まっている名前をベースに記事名(および第1段落先頭の記載)が決まっているというのが現状でしょう。近代以前の日本の僧侶では、いわゆる戒名/法名/諱(法諱)に相当する漢字2文字が多い(道元日蓮親鸞)ですが、これも多くの記事がその形態で書かれているため、他もそれに真似する形で、じんわりと暗黙のルールとして適用されているだけで、例えば法然の場合は諱は「源空」ですが坊号の「法然」の方が著名である(情報源で多く使われている)ため、この記事名になっているのであって、絶対のルールがある訳ではありません。
また現代の僧侶という観点から見れば大谷暢顯瀬戸内寂聴の通り、正式な僧名では無い記事の方が多数であると思います。Wikipediaでは分野ごとに表記の体裁を共通化する場合、例えば作家であればプロジェクト:作家のような議論の場が作られ、そこで共通化のルールが検討される場合が多いです。現状はプロジェクト:僧侶といったものは存在せず、また(その上位プロジェクトになるであろう)プロジェクト:仏教には僧侶の名前に関するルールは存在せず、また他のノート等でも、広範囲に僧侶記事の体裁を整える旨の合意があったとは聞いたことがありません。
そのため、現状ではアルボムッレ・スマナサーラの記事名(および第1段落先頭の記載)はWikipedia:記事名の付け方に従った一般的な解釈を行えばよく、また、その解釈を如何にに行うかは、ノートでの合意に基づきます。一方、現状では、他の編集者が沈黙している以上、私とNozawa onsen pottaさんが納得する内容にしておけば、それがノートでの合意であり、他の僧侶の記事と体裁が異なること自体は許容されると考えます。--175.103.138.60 2012年5月31日 (木) 08:04 (UTC)

削除を実施致しました。ご協力に感謝します。--Nozawa onsen potta会話2012年6月3日 (日) 10:40 (UTC)

Thera について

上記と同様の規則によりnayaka Thera(ナカーヤ長老)のThera(長老)を一週間後に外します。--Nozawa onsen potta会話2012年5月27日 (日) 11:28 (UTC)

111.232.107.45です。同上の通り同意します。--175.103.138.60 2012年5月29日 (火) 10:41 (UTC)

削除を実施致しました。ご協力に感謝します。--Nozawa onsen potta会話2012年6月3日 (日) 10:41 (UTC)

nakaya について

nayaka は職制である為、一週間後に削除します。--Nozawa onsen potta会話2012年5月27日 (日) 11:50 (UTC)

111.232.107.45です。同上の通り同意します。--175.103.138.60 2012年5月29日 (火) 10:41 (UTC)

削除を実施致しました。ご協力に感謝します。--Nozawa onsen potta会話2012年6月3日 (日) 10:42 (UTC)

以下を削除します

- スマナサーラの所属するシャム派を含めて、スリランカの仏教各派は部派仏教の中の一部派
- 分別説部)である(上座部を参照のこと)。ただし英語圏では分別説部(Vibhajjavaada)を
- 初期仏教(Early Buddhism)の一学派と表現することは珍しくない

・ 分別説部を部派仏教に含めるかどうかは議論の別れる所で少なくとも代表される部派ではありません。

・ 分別説部を初期仏教に含めるとしても、ご本人の自称の正当性の説明にはなりません。

と言うことで一週間後に削除します。--Nozawa onsen potta会話2012年5月27日 (日) 12:03 (UTC)

111.232.107.45です。賛成します。「スマナサーラの所属するシャム派を含めて、スリランカの仏教各派は部派仏教の中の一部派(分別説部)である(上座部を参照のこと)」の部分はWikipedia:独自研究は載せないで言うところの「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として」記載されている訳ではないので「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に当たるため削除すべきであることに同意します。「ただし英語圏では分別説部(Vibhajjavaada)を初期仏教(Early Buddhism)の一学派と表現することは珍しくない」に関しても、文に対する出典はありますが「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として」記載されてはいないので同様に削除すべきであることに同意します。
ところで提案者さんは「「初期仏教長老」と自称している」との文に関しては残すとのご趣旨と思われますが、私は、この文も削除すべきと考えます。ただし、現在の提案の邪魔にならないように、別途、自分で提案しようと思います。(あくまで「スマナサーラの所属するシャム派を含めて…」以降の削除に同意するものであり、「「初期仏教長老」と自称している」を残すことには同意できないという意味です。)--175.103.138.60 2012年5月29日 (火) 10:41 (UTC)

辞典的には自称事項を記述すべきではないと思いますが、巷で吹聴なさっているのは事実であり、強く削除は希望していませんが、削除に反対でもありません。存命人物の記事は特に検証可能性を満たしている必要があるのがルールですが、厳密にやりすぎると、こんな感じになります。[7]本人が主張していると言うのなら、まぁ良しと言う範囲なのかな?と思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年5月30日 (水) 09:21 (UTC)

111.232.107.45です。ご趣旨理解しました。確かに示されたページはやりすぎだと思いますし、いわゆる解釈が行われていない事実関係(本人関連の一次情報源から引っ張ってこれそうな情報)まで、絨毯爆撃的に出典要求するのは、もちろんつつしむつもりです。
先週末本屋で45冊ほどスマナサーラ氏の本のプロフィール欄を確認しましたが「初期仏教長老」の記載はありませんでした。「初期仏教を伝道」との文はありましたが、これは「初期仏教長老」であることは意味しません。(初期仏教の研究者は僧侶以外にもいるわけであり、その人が、だれかに内容を伝えたからといって、その研究者が「初期仏教長老」になるわけではないので)。そのため、そもそも本人が(学問的に疑問がある)「初期仏教長老」との肩書きを自称したとする出典は存在しないのではないかと考えています。にもかかわらず、周囲が「初期仏教長老」と紹介するのは黙認というのが現状だとすると、そのようなプロパガンダ的なアクションにWikipediaが加担するのはいかがなものかと考え、結局のところ「「初期仏教長老」と自称している」とも書けないし、また周囲の関係者の紹介を独自研究として集積し「「初期仏教長老」と紹介される」とも書けないとすべきではと考えていました。
削除を提案するかどうかもう一度考えて見ます。--175.103.138.60 2012年5月30日 (水) 13:17 (UTC)

正確に言えば「「初期仏教長老」と自称したがっているが、それを示す適切な学術文献は無い。」と言うことなのでしょうけれど、これはもっとマズい表現ですよね?まぁ削除に反対意見が出ないのであれば削除すべきではあると思います。削除に躊躇されるようであれば私が意見を出して削除しても構いません。--Nozawa onsen potta会話

111.232.107.45です。おっしゃるとおりであり、その文面だと「『したがっている』の部分が解釈だ」「『それを示す適切な学術文献は無い』の部分が出典がない」と言われてしまうのがオチですね。まぁ、そこらへんの堅苦しさはWikipediaの原理ですので、原理を旨く使うことが快適にWikipediaに参加するこつだと思います。
ともかくNozawa onsen pottaさんは削除に反対ではないとの意思をお聞きできたので、今は十分です。まずは後半部分の削除の「ノートでの合意」を確定してしまいましょう。この後半部分はWikipedia:独自研究は載せないで言うところの「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」であり、この文の削除に対し「形式上出典が付いている」からとリバートする人がいる事は赦しがたい事だと考えています。さっさと切り取ってから、先頭部分に対する処置を行いましょう。--以上の署名のないコメントは、175.103.138.60会話/Whois)さんが 2012年5月31日 (木) 08:25 (UTC) に投稿したものです(175.103.138.60による付記)。

承知いたしました。削除の期限までお待ち下さい。Nozawa onsen potta会話2012年6月1日 (金) 14:29 (UTC)

111.232.107.45です。期限が過ぎてから行おうと思っていましたが、用事ができて、こちらの提案が終了する(一週間たつ)ころアクセスできません。そのため、先行して「「初期仏教長老」と自称している」も削除する旨の提案を行いました。他にもいくつか提案してまして、こちらの処置が終わったら、そちらにもご意見いただければ幸いです。--175.103.138.60 2012年6月2日 (土) 22:06 (UTC)

件については賛成致します。また削除を実施致しました。ご協力に感謝します。--Nozawa onsen potta会話2012年6月3日 (日) 10:43 (UTC)

以下を削除します

- 言説は異彩を放っている。

出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません に従い一週間後に削除します。--Nozawa onsen potta会話2012年5月27日 (日) 21:14 (UTC)

111.232.107.45です。賛成します。「言説は異彩を放っている」のような文は、スマナサーラさんの言説を第三者が評価しないと書けない話であり、本人ではない第三者によって記された出典が無ければWikipediaに載せることはできないはずです。出典の無い評価であり削除すべであることに同意します。
ただし、提案者さんの提案理由である「出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません」はWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去の通り「出典無き批判」に対するものであり、提案者さんの提案理由にまで同意はできません。(実際に、提案者さんは「直ちに除去」しているのではなく、「ノートで提案し、合意に基づいて処置」しようとしているのであり、そのテンプレートの文言を引用するのは、微妙に的外れだと思います。)--175.103.138.60 2012年5月29日 (火) 10:41 (UTC)

削除を実施致しました。ご協力に感謝します。--Nozawa onsen potta会話2012年6月3日 (日) 10:43 (UTC)

出典が無く「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に係る記載削除の提案

111.232.107.45です。以下の修正を提案します。提案理由は、出典が無くかつWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに照し合せて問題があるからです。

  • 思想・活動節の「また講演活動を多数行っており、講演の一部は公式サイトや協会のブログで無償で配信されている。」の文に関し、「講演の一部は公式サイトや・・・」以降の部分を編集除去し、全体を「また講演活動を多数行っている。」とする。
  • 思想・活動節の「諸宗教の教えを明確に否定している」の文中の「明確に」を編集除去する。
  • 思想・活動節の「「初期仏教長老」と自称している」の文を編集除去する。

以下に提案理由の詳細を述べます。

  • 講演の一部は公式サイトや協会のブログで無償で配信されている」に関して。
  • まずこの文はスマナサーラ氏の活動の紹介の態を取っていますが実態としては各サイトの提供するサービスの紹介になっています。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありませんの「3. インターネットガイド」に「特定のウェブサイトの性格や外観、提供するサービスの説明のみのために存在すべきではなく、ウェブサイトについて百科事典的な方法で解説し、サイトの業績、影響、歴史的意義について情報を提供すべきです」とあり、そのサービスの業績、影響、歴史的意義を併せて記載すべきですが、それがなされていません。また業績、影響、歴史的意義があるならば、第三者により、そのように評価・解釈された出典があるはずですが、それが示されていません。
  • また「無償で配信されている」に関して、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは名鑑ではありませんの「5. 販売カタログ」に「製品の価格に言及してよいのは、価格について情報源があり、さらに言及することに特に正当な理由がある場合に限ります」とありますが、この文は価格(無償)が示されています。そのため「言及することに特に正当な理由がある場合に限ります」に従い、その理由が示されるべきであり、もしこれがスマナサーラ氏の重要であり特徴的な事柄であるなら、その旨、第三者により、そのように評価・解釈された出典があるはずです、それが示されていません。
  • また公式サイトや協会のブログが本人のサイトであると考えるならばWikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合の「情報に当事者の知名度に釣り合うような重要性があること」を満たす必要がありますが、宗教者が自身のブログで自身の講演を配信することは、なんら珍しい話でも不思議な話でもなく、当事者の知名度に対し重要性がありません。また無償であることも非常に一般的であり、これも当事者の知名度に対し重要性がありません。
  • 以上のように、当該文は、出典が無くかつWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに照し合せて問題があるので編集除去すべきです。
  • 明確に」に関して。
  • この文はスマナサーラ氏の著書・発言、サイトでの記載から要約された文だと推定しますが、仮にスマナサーラ氏が事実「諸宗教の教えを否定している」としても、その「否定」の主張が「明確」か否かは価値判断であり評価・解釈です。そのためWikipedia:信頼できる情報源#反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイトの「一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。ただしそのような場合でも、非常に注意して使うべきであり、他の情報源で裏付けすべきです」に基づき、その主張が「明確」か否かは、本人ではない第三者によって記された出典が無ければWikipediaに載せることはできないはずです。もちろん本人の周辺の関係者の意見であれば、それは信頼できる情報源ではありませんのでWikipediaには載せられません。
  • また「諸宗教の教えを明確に否定している」とするならば、これはスマナサーラ氏の宗教が他の諸宗教に対し著しい優位性を持つことを表しています。これを第三者の出典に基づかずに記載するならば、それはプロパガンダであり、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありませんの「1. プロパガンダ、アドボカシー(提言)、あるいは求人や勧誘」に相当します。
  • 以上のように、当該文は、出典が無くかつWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに照し合せて問題があるので編集除去すべきです。
  • 「初期仏教長老」と自称している」に関して。
  • この提案は、上でNozawa onsen pottaさんが行っている提案[8]と関係します。Nozawa onsen pottaさんの提案は「「初期仏教長老」と自称している」以降の「スマナサーラの所属するシャム派を含めて、スリランカの仏教各派は部派仏教の中の一部派(分別説部)である(上座部を参照のこと)。ただし英語圏では分別説部(Vibhajjavaada)を初期仏教(Early Buddhism)の一学派と表現することは珍しくない」の部分を編集削除するとの提案であり、そちらにご意見がある方は上に意見をしてください。本提案はNozawa onsen pottaさんが行っている提案が合意されたときに残る「「初期仏教長老」と自称している」の部分も除去すべきであるというものです。
  • 提案の詳細ですが、まず前提の話として「初期仏教」に関しまして。「初期仏教」とは岩波仏教辞典第二版554pによると原始仏教の類語であり原始仏教は同286pによれば「通常,仏教の開祖釈尊によってはじめられた統一原始教団が,仏滅後100年頃,部派に分裂するまで,または前3世紀のアショーカ王時代頃までの,インド仏教最初期の段階を指す.」とあり紀元前の仏教を示す言葉です。そのため現代人であるスマナサーラさんが初期仏教長老であるということはWikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められるにおける「関係学会に普及している見解に矛盾する主張」であり「特別な証拠が求められる」べきです。
  • 「特別な証拠が求められる」のですから、もし「「初期仏教長老」と自称している」と記載するには、スマナサーラ氏が著書の本文等で明らかに本人が自身を「初期仏教長老」であると誤読の可能性の無い表現で主張している出展が存在する、すなわちスマナサーラ氏が「関係学会に普及している見解に矛盾する主張」をするような非常識な存在だと批判されるリスクを背負って主張しているような出典が有る場合に、それを出典として記載するべきです。
  • しかしながら、現在、探していますが、そもそもスマナサーラ氏自身が自分を「初期仏教長老」と呼んでいる出典が見つかりません。スマナサーラ氏の著作をそれほど多く読み込んでいるとは申せませんが、Web等で検索しても見つかりませんし、また先週末本屋で45冊ほどスマナサーラ氏の本のプロフィール欄を確認しましたが「初期仏教長老」の記載はありませんでした。「初期仏教を伝道」との文はありましたが、これは「初期仏教長老」であることは意味しません。(初期仏教の研究者は僧侶以外にもいるわけであり、その人が、だれかに内容を伝えたからといって、その研究者が「初期仏教長老」になるわけではないので)。そのため、そもそも本人が(学問的に疑問がある)「初期仏教長老」との肩書きを自称したとする出典は存在しないのではないかと考えています。
  • 一方、個別の事象として、スマナサーラ氏が「「初期仏教長老」と紹介されている」ケースはあります。しかし、紹介されているのは、あくまで「紹介されている」のであって、それを「自称している」とするのは解釈であり、解釈には出典が必要であるため、そのような解釈は出典無くWikipediaに記載してはいけません。
  • また「「初期仏教長老」と紹介されている」と記載するのも問題です。スマナサーラ氏の紹介のされかたは「初期仏教を伝えるスリランカ上座仏教長老」「スリランカ初期仏教長老」「初期仏教長老」「スリランカ仏教界長老」といったぐあいに様々です。これを「初期仏教長老と紹介される」とまとめてしまうのは独自研究です。そもそも要約したときに同じ文にならないような個別の事例を収集し編集者が纏めてしまうことは収集・分析にあたりそもそも独自研究だと思います。「○○と紹介される」と書く場合は他者が「○○」と書いている一次情報を集めて合成するのではなく、「○○と紹介される」と書かれた二次情報を出典とすべきなのではないかと思います。ちなみに長老の紹介のされかたにあげた「初期仏教」は紀元前3世紀以前のインドの仏教を示す仏教用語でありまた「初期仏教長老」という使い方をしているのはスマナサーラ氏のケースのみだと思います。「スリランカ初期仏教」に関してはそもそも「スリランカ初期仏教」という言葉自体使用されているがスマナサーラ氏のケースばかりであり、検索でかろうじてスリランカのダンブッラ石窟寺院の紹介で「スリランカ初期仏教時代(紀元前1世紀)」という形で使われているケースのみ発見できました。それぞれ意味の異なる言葉を使い分けているというのが実態だと思います。
  • このような状況を踏まえると、仮に集めた出典が信頼おける情報源であっても、その適切な記述は「スマナサーラ長老は著書・信者・教団関係者・インタビューのプロフィール・講演会講習会の案内・共著者によって、場合により「初期仏教を伝えるスリランカ上座仏教長老」「スリランカ初期仏教長老」「初期仏教長老」「スリランカ仏教界長老」と紹介される」というようなものになります。もちろん実際には出典によりけりですが少なくとも「「初期仏教長老」と紹介される」としてしまうのは不適切であり、「「初期仏教長老」と自称している」と纏めてしまうのは、さらに問題です。
  • 本人が自称せず、すなわち学問的な批判をあびるリスクを回避しつつ、一方、周囲が「初期仏教長老」と呼ぶのを黙認し、結果「関係学会に普及している見解に矛盾する主張」を現在進行形で布教しているというのが、現状であると考えます。このような布教自体は宗教団体の活動として自由な話ですが、Wikipediaが、これに加担するのはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありませんの「1. プロパガンダ、アドボカシー(提言)、あるいは求人や勧誘」に相当します。
  • 以上のように、当該文は、出典が無くかつWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに照し合せて問題があるので編集除去すべきです。
  • 特に、このページでの「初期仏教長老」に関する記述に関しては、長らく論争の元となっていますが、「初期仏教長老」との記載を残されようとする方々から出典の提示がありません。今後「初期仏教長老」に関する記載をしたい人は、まずスマナサーラ氏が「初期仏教長老」と呼ばれている出典をノートで示し、その上で、それをどのような表記で本文に載せるかノートで提案し、ノート合意を得てから本文に記載すべきです。

一週間ほど異論無ければ、本文に反映したいと思います。--175.103.138.60 2012年6月2日 (土) 21:53 (UTC)

賛成いたします。--Nozawa onsen potta会話2012年6月3日 (日) 03:05 (UTC)

この提案は、反映に至らずページが保護され時間がたってしまったため、いったん取り消します。保護解除後に、再度提案から行います。--Pemo会話2012年8月17日 (金) 12:17 (UTC)

星占い等について

Ajita氏が削除をくり返してきました

記事を勝手に削除してきたので、リバートすると、潜在的に論争となりうる(特に存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する)記述 を除去しました。)と付けて リバートして来ました。[9] 記事には、参照出来る情報を付与しているし、内容も参照出来る記事に、ほぼ忠実で脚色も少ない為、大変中立な記事だと思っているので、名誉棄損や侮辱では無く、逆にこれを削除する事のほうが、明らかな教団の宣伝行為だと思うのですが如何なのでしょうか?潜在的に論争となりうると言うのは、教団が宣伝したいからと言う理由でも適用されるものでしょうか?編集合戦になるのも嫌なので本日は放置しますが、推移日後に、また再掲しようと思います。ご意見をお願い致します。--Nozawa onsen potta会話

今回のAjita氏の編集について、問題ないと考えます。
今回削除された部分は「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」であるように思います。
よって、方針上、これらの内容は積極的に掲載するべきではない、と判断し、今回の除去については支持するものです。--水原紡会話2012年6月5日 (火) 09:38 (UTC)

発表済みの情報の合成と言うのはAである[参考文献]Bである[参考文献」だから、つまりCだ!とした場合の話なのではありませんか?私のはCの部分を持っていません。つまり合成した結果である自分の結論は一切持っていませんので、情報の合成に抵触する理由が判りません。どういう風に解釈なさっていますか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月5日 (火) 10:12 (UTC)

私が気が付かないだけの話で、合成した結果がある部分が存在するのかも知れません。申し訳ありませんが箇所を指摘頂くか、そういう該当個所に指摘が無い場合は、発表済みの情報の合成には該当しないと判断し、ご提案は破棄致します。数日は放置致しますので、ご指摘頂ければ幸いです。--Nozawa onsen potta会話2012年6月5日 (火) 10:24 (UTC)

111.232.107.45です。「発表済みの情報の合成と言うのはAである[参考文献]Bである[参考文献」だから、つまりCだ!とした場合の話なのではありませんか?私のはCの部分を持っていません。」とのことですがこれはNozawa onsen pottaさんの誤解であると思います。「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成では「もしAが信頼できる媒体で発表されており、Bも信頼できる媒体で発表されているなら、AとBを組み合わせてCという観点を推進するような記事を書いてもよいと誤解するウィキペディア編集者が、しばしば見受けられます。しかしこれは、ジミー・ウェールズの言葉を借りれば「新たな叙述あるいは歴史解釈」を生む「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成」の典型であり、独自研究に相当します」と、ありますようにCという観点を「推進する」のが問題であって、Cという観点を明示的に書かなければよいというルールではありません。
例えば「僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧である」がA、「僧侶は星占いを戒律で禁止していると発言している」がBとした場合に、AとBを「前に述べた事柄と相反する内容を述べるのに用いる接続助詞」である「」で文を繋ぎ「AであるBである」という文を作れば、それ自体が「AとBが矛盾する」という新たな観点「C」を黙示的に強調しており、その観点を「推進する」記述です。
そのため「僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧であるが、僧侶は星占いを戒律で禁止していると発言している」のように二つの文を接続助詞「」で繋いで一つの文にすることは特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成です。
加えて「僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧である」は、この記事の主題であるスマナサーラ氏に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料に基づく文ではありません。そのためこの部分もWikipedia:独自研究は載せないに対する違反であり、そのため「僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧であるが、僧侶は星占いを戒律で禁止していると発言している」の太字部分はスマナサーラ氏の記事としては「出典の無い記述」です。
一方、個人の言動に矛盾があるという観点は、その個人にとって否定的であり、結果として「僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧であるが、」の部分は、スマナサーラ氏の記事中においては、Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去に相当するため、積極的に取り除くべきですし、その際に議論を行う必要もありません。
同様に以下に列挙した文の太字部分はWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去に相当するため積極的に取り除くべきだと思いますし、この文書を書き、また削除に対しリバートを行ったNozawa onsen pottaさんの行動は問題であり、行うべきではなかったと思います。
  • 僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧であるが、僧侶は星占いを戒律で禁止していると発言している。
  • スリランカの仏教寺院には必ずヒンドゥー教の神が祭られているが、ヒンドゥー教を否定している。平和なヒンドゥー教もあるとする発言も見られる。
  • ヒンドゥー教を否定しているが、ヒンドゥー教の聖者であるラーマクリシュナを奉るヴェーダーンタ協会で講演も行っている。
  • カーストで入団を規定しているシャム派の僧侶であるが、カーストを批判している。
  • 上座部仏教の僧侶は227種の戒律があり、特に重要な項目として十戒があり、その中で不促金持戒(ふそくきんもつかい)により、お金に触れない事を規定しているが、著書に105円のLED付きライターを灯明用に自ら買いに行ったとある。同時にLED付きライターなどを脱線しているとして太字で強く否定している。
  • 更に重要な戒律である八戒の歌舞観聴戒(かぶかんちょうかい)では音楽や芸能を観たり聴いたりしないことを規定しているが、仏教では、音を聞くな、とは言っていません。と発言している。同時に〈音楽を聞くなかれ〉と戒める事は、苦行を語る宗教ならそのように説く可能性もあります。としている。
  • スリランカは紀元前200年のころから仏教国です。大変歴史が長い。と発言なさっているが、所属されているシャム派は、日本で言えば江戸時代にあたる1753年にタイからスリランカへ伝来して来た派である
  • ヴィパッサナーは、お釈迦さまが、我々に確実に悟りを体験できるように教えられた実践方法(修習,瞑想)です。と紹介しているが、所属されているテーラワーダ仏教協会が教えているヴィパッサナー瞑想は、1904年生まれのミャンマーのマハーシ長老が日本で言えば昭和にあたる1938年に教え始めた現代瞑想である
  • 民主主義的な世界を生み出そうというのが仏教の根本にあるから、あのミャンマーにおいても惨事が起こりにくいなどと発言しているがご出身のスリランカでは仏教ナショナリズムの影響があり、2009年まで26年間で7万人以上の犠牲者を出した内戦が起きている。この内戦はアパルトヘイト国際条約に違反する犯罪であると指摘する国際法学者もいる
一方Ajitaさんの行動も問題であると思います。この記事は、すでに記事に関する利用者の行動に対してコメント依頼が行われているようにWikipedia:論争のある記事であり、テンプレートに「記事に重要な変更を加える際にはその前にまずここで議論してください」とあるように他者の追加した記述を一方的に削除すべきではありません。もちろん上記に列挙した文の太字部分をWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去に基づき削除することは、まったく問題無いし、むしろAjitaさん以外の利用者も積極的に削除すべきだと考えますが、残りの部分は、問題が無いとは申しませんが(例えば「と発言なさっている」といった書き方は百科事典的な文体ではないですし、全体として雑多な内容を箇条書きになっており問題だと思いますが)、スマナサーラ氏に直接関連のある情報を提供している資料に基づいている文もあり、議論無く削除すべきではなく、ノートで変更や削除を提案し、合意を得てから変更・削除を行うべきです。--123.227.80.187 2012年6月6日 (水) 00:14 (UTC)

ご指摘ありがとうございます。まず合成に関してですが、

  • ご指摘に従って『接続詞』である"が"を省くように修正します。

次に、スマナサーラ氏に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料に基づく文ではありません。ですが、分けて考えてみます。

  • まずスマナサーラ氏に直接関連のある情報かどうかですが、スマナサーラ氏はスリランカ上座部シャム派の僧侶である為、関係ないわけではありません。
  • 信頼できる資料に基づく文ではありませんかどうかですが、資料は法政大学の中島成久教授の資料でして、信頼性に疑問を持っていません。

次に、独自研究を指摘されていますが、助詞を省くと、文章A「出典」文章B「出典」となるわけで、これを独自研究だとすると、wikipediaは全てが独自研究と言うことになるのではありませんか? 次にWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去ですが、出典は付いていますが、出典なきに該当するのでしょうか?また批判とありますが、私は資料を参照しているだけで、書き方として批判している、あるわけでもありません。もちろん受け取る人には批判に見えるのかも知れませんが、それもwikipediaは規定しているのでしょうか?また、個人の言動に矛盾があるという観点はとありますが、私は同様に資料を参照しているだけで、矛盾があるとは指摘を行ってはおりませんが、それでも該当するものなのでしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 03:04 (UTC)

WP:SYNの解釈については111.232.107.45さんが示されたものと大枠において同様です。その上で。
一点目。接続助詞がなければ問題にならないかどうかですが、対比的に書くのであればそれも問題であろうと思います。結局、観点のほのめかしがあれば問題でありましょう。(スリランカ仏教全体を対象とした文章をわざわざ持ってくるのはその意味であまり宜しくないと思います)
二点目。「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」で問題とされるのはそれぞれの情報の信頼性ではありません。中島先生の資料の信頼性が問題となるケースではありません。
三点目。ほのめかされた批判的観点Cについての出典がなければそれは出典なき批判にあたります。それをほのめかす記載になってないって解釈は無理じゃないですか?--水原紡会話2012年6月6日 (水) 05:53 (UTC)
(横から失礼します)WP:SYNには次のようにあります。「因果関係にはっきりと言及した資料が提示できないのであれば、この文章は「この結果」ではなく「また」で接続されなければなりません。」水原紡さんの解釈ですと、論理を示す接続詞がない状態で読者が「ほのめかし」と解釈する余地があるだけで問題になるというものであり、それはいくらなんでも拡大解釈なのではないでしょうか。--ろう(Law soma) D C 2012年6月6日 (水) 06:16 (UTC)
ほのめかしだと弱すぎですね。ええと、後で書き換えます。打ち消し線引いておきます。WP:SYNのその部分についてはちょっと疑問はあるのですが、それは当該ノートにもっていきます。--水原紡会話2012年6月6日 (水) 06:23 (UTC)

特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成についてですが、文章A[出典」。文章B[出典」と言う形式をとれば、文章AとBの間に何某かの関連が生まれるのは、当然の話なので、これで規制するとなると、やはりウィキペディアは成り立たなくなります。また比較記事の場合は例外的に適用されると言う論理を適用すると、普通はこうだが、この場合はこうだと言う特徴的な記述が出来なくなる為、やはりウィキペディアは成り立たなくなります。また、ほのめかしに関してですが、これは読者側の感性の問題で、これを読んだ方が、だからダメだと思うか、だから良いと思うかは、読者判断だと思います。ご意見としては拝聴いたしましたが、現在のところ同意できておりません。また別の路線で、ご指摘があれば宜しくお願い致します。--Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 08:51 (UTC)

批判的観点Cについての出典がなければそれは出典なき批判にあたります。まずCの記述がない文章に、俺はCがあるように見せかけた文章だと思うから、だからCがある話だと言うことにして、そこで出典なき批判が適用されると言う論理なら、ご自分の妄想を他人に押し付けているだけの話で、さすがに、ちょっとやめて欲しいです。これだと、どこぞのアクロバット初期仏教と変わらない論理性だと思います。また他にもアクロバット初期仏教的な論理の方がいらっしゃるからと言う理由で、同意事項にするのも、ご遠慮願います。--Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 09:24 (UTC)

WP:SYNの解釈を見て因果性があるかないか判らないものを因果的に見えるように、「この結果」などと書くのはダメだと記述してありますが、「が」で、つなぐのがダメだと判断されるような記述は見当たりません。まぁ、どっちでよいので、私は、文章A「出典」。文章B「出典」と言う形式にしようと思いますが、どこをどう読むと「が」がダメになるのでしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 11:22 (UTC)

もうひとつ言っておくと、普通はこうだ「出典」が、この場合はこうだ「出典」とした場合、ダメだとすると「が」がダメなわけで、普通はこうだ「出典」部分もダメなわけではありません。ご指摘だと、普通はこうだ「出典」部分も、後ろの部分に、どんぴしゃな整合性を持つ必要があるとの事ですが、この論理だと比較記事は、ウィキペディアに掲載出来なくなる為、やはり基本的な論理性を満たしていない編集ルールと言う事になります。つまり本当の争点は、「が」がダメかどうかですが、これが合成にあたるかどうかです。--Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 12:06 (UTC)

生きてる人の記事を書くときは、こういう点に特に注意して下さいね。と言う指示はルール上出来ても、そのルールを適用すると一般的な記事も書けなくなるような編集ルールである筈が無いわけです。いや本当にそういう不整合な編集ルールだと主張するなら、今度は論理的な整合性が取れない玉虫色ルールのウィキペディアと言うことになります。たぶん、そんなことも無いと思いますけどね。色々もんで頂いて感謝しているし、まぁ私は教団員じゃないので、理解しがたい言いがかりです!とかは言いませんけどね?--Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 13:58 (UTC)

たとえばですね。

  • 大乗仏教優位論が顕著な日本仏教界において、大乗仏教を「ブッダ本来の教えからの逸脱」として批判している。

ここで、出典を求めるとします。この僧がトレランスじゃない事は、つとに有名な話だし、後半を説明する資料は探してこれると思います。記述欄は本人の思想欄なので、どこかでそう発言したと言う記録が残って居ればOKでしょう。けれど前半を説明しろとなると、出典を探す場合は、全ての仏教系以外の比較的公的と思われるような所から、文献を探す必要があるわけです。分別説部の説明で、分別説部は自身を正統派の上座部だとみなしていたと主張されている。と言うのに要出典が張ってありますが、実はこれを示す出典は幾らでもあるんですけど、いずれも上座部仏教系のものになって、その出典はどこにも探せなくなるから三者的では無くなって、結局かなり難しいわけです。まぁいずれにしても、編集ルールが論理的に解釈出来る範囲じゃないと、今度は他と整合が取れなくなる為、あてこすりだろ?と言われても、反論できなくなると言うことです。つまりアクロバット初期仏教式理論で議論をしてはいけないわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 21:00 (UTC)

念の為、アクロバット初期仏教式理論を説明します。

- シャム派はシャムから来たので、シャム仏教である。
- シャム仏教は、元々はスリランカの大寺派の流れなので大寺派である。
- 大寺派は、赤銅鍱部の流れなので赤銅鍱部である。
- 赤銅鍱部は、分別説部の流れなので分別説部である。
- 分別説部は部派仏教に加えられる事もあるので部派仏教である。
- 部派仏教は欧米では初期仏教と表現されることもあるので初期仏教である。
- つまりシャム派は、初期仏教である。

とする理論を、アクロバット的なので、アクロバット初期仏教式理論と呼んでいます。布教され、この論理の正当性を認め、信者になる事は、好きにして良い話ですが、こういう理屈で百科辞典の編集をされても困ると言うことです。まぁアクロバット初期仏教式理論は私の独自研究なので、ウイキペディア的ではありませんが、論理性の説明だとしてご理解下さい。--Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 21:34 (UTC)

と言うことで、ここで議論して頂きたいのは「が」で接続したものが合成にあたるかどうかです。それ以外はアクロバット初期仏教式理論の範疇で、アクロバット初期仏教的な論理を百科事典の編集で認めると、ほぼ全ての仏教はアクロバット的に初期仏教になってしまい、結果として論理的な仏教教団に関する編集が出来なくなくなります。もちろんそう自称なさる団体があるのでしょうから、そういう団体があると社会学的に見た見地からの記述があるのは全く問題ありません。しかしだからと言って、編集ルールの特例として「が」以外を議論するのは難しいと思います。また、Cが、ほのめかされていると思うがCの出典が無いと言う理屈は、これはオーバーアクロバット理論とでも呼ぶべきもので、せめて某教団程度の論理性をもった発言をして頂きたいと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年6月6日 (水) 23:46 (UTC)

111.232.107.45です。論点が広がってしまっており、一方、アクセスする時間が多く取れないので、とりいそぎ4点だけ。
  • 」を接続助詞と書いてしまいましたが、Nozawa onsen pottaさんのおっしゃるとおり「」は接続詞でした。後ほど訂正します。
  • 「大乗仏教優位論が顕著な日本仏教界において、大乗仏教を「ブッダ本来の教えからの逸脱」として批判している。」の「大乗仏教優位論が顕著な日本仏教界において、」に関して。Nozawa onsen pottaさんが、そこを削除するべきだとおっしゃるなら、大賛成です。当該部分は問題だと考えていましたが絨毯爆撃的に出典要求するのもいかがかと思い、そこを削除する提案はしませんでした。できることなら削除を提案したいと考えており、Nozawa onsen pottaさんが賛同してくれるなら、削除を提案します。
  • 質問ですが、結局のところNozawa onsen pottaさんは、今回の部分に関する記述において接続詞「」を使うのですか?それとも使わないのですか?そこをはっきりさせて下さい。あくまで接続詞「」を使うのであれば、議論が続くのはやぶさかでないですが。使わないのであれば「それを使うなという主張が納得いかない」というのはNozawa onsen pottaさん個人的な疑問であって、私が関知する話ではありませんので、既に提示された点に関してのみ自身の意見を述べるに留める予定です。私はこの記事の品質を向上させるために議論に参加しているのであって、Nozawa onsen pottaさん個人的な疑問を解消するためにこの議論に参加しているのではありませんので。
  • アクセスする時間が取りにくいため回答は遅れます。その間、今回問題になっている部分を復活させようとも(私は太字部分は、どの編集者でも、積極的に削除すべきという意見は変えませんが)、私が回答しないから当該部分を復活させるというのであれば、自分がアクセスできず意見をいただいたものに回答できないのが悪いのであって、私は、私が回答できない間の話に関しては文句は言いません。その場合、アクセスが十分にできるようになった段階で、上記に既にいただいた意見に回答した上で、削除を主張する予定です。
以上--123.227.80.187 2012年6月7日 (木) 00:35 (UTC)

ああ、はいはい。数日で記事を戻すと書きましたが、ここの議論が枯れてからに変更します。あせらすつもりもありませんので、ご安心下さい。また議題がとりあえず、アクロバット的な視点だと思っても、本当にアクロバットなのかどうかは話してみないと判らない事でもあるので、ご指摘ください。削除についてですが、削除以来をノートに出せば、当然賛成致します。記事の「が」についてですが、私は使わないように修正します。また「が」についての議論ですが、やってもやらなくても私的には困りませんが、まぁこうやって編集させて貰っているのだから、他でも使える話なので、編集規則の足しと言う意味でやっているものです。興味があれば揉んで頂ければと言う程度の話ですので、義務的に捉えて頂く必要はありません。--Nozawa onsen potta会話) 2012年6月7日 (木) 00:55 (UTC) 私が回答しないから当該部分を復活させるというのであれば>ああ、こういう事もしませんが、削除にあたるルール解釈を行うと、一般的な記事も書けなくなるような、日和見的な偏った主張で、削除要求は、しないでくださいね。もちろん偏っているかどうかは、相談させて頂きますから、遠慮せず言ってくださいね。--Nozawa onsen potta会話2012年6月7日 (木) 08:06 (UTC)

削除には賛成するんだけど、たぶんここのルール的には、削除はかなりな最終手段だと思います。ではどうするべきか?と言えば、出典を張るのが良いです。いやそれだけじゃ気にいらないと言うのなら、書いてある事の反対の内容になるような出典を探して出来るだけそれに忠実に記事を書けば良いのです。ウイキペディアは出典に信頼性が認められ、それに忠実な事が書いてあれば、要するに良い記事なんです。中立的と言うのも、この坊さんの好き/嫌いに関する中立ではなく、出典に関して中立かどうかが問われるだけです。また出典の規程も、ようするに信頼できる出典かどうかが問題で、内容が世間的には、とても悪辣に見えても、思想掛かってみえても、それは関係ありません。むしろ悪辣に見えるのなら、よりそれに忠実に写し取る事が要求されている為、都合が悪いからと言ってクレームを付ければ、更に都合が悪くなってしまうのが、ここのルールです。また誹謗中傷と言うのも、出典に対しての話で、出典に悪いと書いてあるのを、無茶悪いとすれば、無茶の部分が誹謗中傷なわけで、逆に元記事が悪いなのを見落とすと、これは中立的な問題になるんです。これは世間的にはイジワルっぽく見えるかも知れませんが、そういうルールなので、ここでそれを問題視することは出来ません。つまり公的に悪いと言われているものは、徹底的に悪くみえてしまうのが本来の、ここの編集ルールだと言うことです。まだ削除を指摘出来るとこはあるんだけど、言うと削除案を出すだろうし、私も賛成しますが、けどまぁそのコースはあまり王道とは言えないわけです(笑)--Nozawa onsen potta会話2012年6月7日 (木) 11:20 (UTC)

と言うかルール的には削除は手段としても弱いんです。削除されたのを見て勝手に元に戻し、ノートは見てなかったと言えば、また審議が、やり直しになっても仕方ないよう効力の弱い話です。IPさんのように、もう一回項目を出すならノートで断れと言っても、見てなかったとすれば、もめても仕方ないです。教団員は、それこそ自分の都合だけで言える事は何でも言ってくるだろうと思います。ところが相手が気にいらない内容でも出典の信頼性と、それへの忠実度さえ高い記事をバシバシと張るなら、相手も削除できないし、もしやれば白紙化と言って荒らし規定で、子供の荒らしと言うのに区分されます。ここまで書いてあったら幾らなんでも可哀想じゃん?と言われても、元記事に書いてある事に忠実なのが、ここの編集ルールです。他に忠実である規定はありませんよ!と言ってやれば、このほうが正統派でもあり、同時に効力も大きいと思いますよ。--Nozawa onsen potta会話2012年6月7日 (木) 11:45 (UTC)

逆に、ここが長いこと野放しだったのは、私を含めて、ここの基本ルールを知らない人が多かったと言うことです。可哀想だから緩めてよ?と言われても、もちろんそれも考慮すべきですが、そんなことより出典への忠実性が重要なんです。まぁ検討は、してみますね?とか言って放置されたら終わりです。更に文句を言われても基本ルールには忠実なんだし、そんな急がないで下さいよ?でもOK。知らん顔してやって相手が怒って削除してくれば、相手は白紙化による子供の荒らしです。怖ろしいくらい公共的に不利な情報があるところには不利なルールです。--Nozawa onsen potta会話2012年6月7日 (木) 12:22 (UTC)

すみません、遅くなりました。体調崩してました。で、先の発言は読み返したら自分で何言ってるか分からなかったのでよろしければいったん忘れていただけると幸いです……
そのうえで、太字部分についてはやはり除去を主張します。理由として、「記事の主題に間接的にしか関わらない内容である」ことを理由とします。戒律の件にせよ、この記事で扱う内容には思えません。
なんで私がこれ批判じゃないの?と言っているかというと、他にその記述をこの記事に置く理由があまり見当たらないからです。
スリランカの仏教について、また部派仏教についての内容を間接的な関連があるからと言ってすべてこの記事に盛り込むわけにはいかないでしょうし、その必要もないでしょう。
しからば内容の選定の基準は如何。というところで疑問を感じている次第です。
(またお返事は遅れると思います。すみません)--水原紡会話2012年6月8日 (金) 05:46 (UTC)

出来上がりの見た目は世に言う批判そのものに見えると言う事でしょうか?そうかも知れませんが、それは読者の裁量で編集者の規程に無いことなんです。また、ウイキペディアは、結局どこまで行っても事実を扱うのではなく、出典への忠実度を扱い、あげくの果てには、全て出典のせいになすりつけたような書き方が推奨される記述法なんです。また、何を記事に織り込むかは編集者の裁量ですので、書く人が大事だと思う事を書けば良いのです。けど、これは見た目が悪いなと思うのであれば、見た目の良くなるような出典を探して、別に記述を連ねれば良いわけです。では、お互い頑張りましょう。主張としては拝聴いたしました。--Nozawa onsen potta会話2012年6月8日 (金) 08:45 (UTC)

内容の選定の基準は如何>くりかえしますよ。これは書く人が重要な事だと思ってる事かどうかです。その人が非常に重要と思っている事なので掲載すべきと思っていると言うことです。ただし出典がしっかりしていなければならないわけです。なぜ重要と思うかについて問われる事も無いのが編集ルールです。まぁそれでは不親切と言うのであれば、なんだか直感的に無茶重要な事に感じる事だからなんだよ?とでも、しておきましょうか?つまり、そんなものなのです。そんな百科事典ダメじゃん?って思いますか?だったら他の百科辞典を、ご利用になれば宜しいのですよ。よく出来たシナリオでしょ?けど、実際にそうだし、偏った見方ではなく、本当にこういう具合なんです。私が喋ってるのは、裏技的な盲点などでは無く、これがここの、真っ当な、ど真ん中そのものなんです。--Nozawa onsen potta会話2012年6月8日 (金) 10:22 (UTC)

つまりね。「戒律の件にせよ、この記事で扱う内容には思えません。」と言うのは、水原紡さんのご意見です。それに対して、私は戒律こそが重要だと思っていると言い切ってやれば話は終わりなんです。で、ご意見は拝聴しましたとして、更に何か言われれば、それこそ教団員風に、理解しがたい言いがかりです!の世界になるわけです(笑)だからご意見があれば別の出典を探して併記するのが、いじわるじゃなくて本当に最も良い方法になると思うわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年6月8日 (金) 10:59 (UTC)

あとひとつ。「が」の問題ですが、IPさんの言い分だと興味がないのだそうで(人の興味は人それぞれなので私は強要しませんよ)、だとしたら、私も削除には本当は、たいした興味がないので、削除の意見を求められたら「棄権します」と返事する事にすると思います。まぁ見てないわけでも無ければ、理由をみて削除に賛成な時はしますが、もう残ってる範囲だと、そんなに強く削除が妥当だとも思っていませんからね。--Nozawa onsen potta会話2012年6月8日 (金) 11:48 (UTC)

つかIPさんが、うざいので「が」をヤメるだけで、全く問題あるとは思っていません。まぁ後々IPさん並の理解力の人に因縁つけられるのもアホくさいんで自主的にヤメるだけです。一方でIPさんは「が」だと問題と言うのでれば、根拠を示しなさいよ?あんた、さも問題があるように書き立てているんだからね?しかも問題を「が」だけでは無く、「が」を含む部分に拡大しています。さっぱり合成の何の事か問題がわからずに騒ぎ立てるだけ騒ぎたてて、それこそ、マジメに理解しがたい言いがかりです!。きちんと「が」を含んで理由を説明してみるか、出来なければ意見を訂正しなさい。どっちも出来なければ謝罪でも要求しようかねぇ(笑)--Nozawa onsen potta会話2012年6月9日 (土) 12:10 (UTC)

正直論点がどこいったか迷子なんですが、えーと。
Wikipediaは高品質の百科事典を作成しようとするプロジェクトです。
そうである以上、何故重要であるかを説明する必要がこれっぽっちもない、という意見には賛同しかねます。
各論としては、スマナサーラ氏が属するスリランカの仏教、あるいはシャム派について、個々人が重要であると主張してつらつら併記していったときに記事スリランカの仏教シャム派の内容を包含する形になるのであれば、それは宜しくないでしょう。
というわけで、説明ぐらいしてもらえませんか。
一応方針上の根拠としてWikipedia:存命人物の伝記#悪意のある記述では「偏っている観点を押しているように見えるなら」、「項目本人の著名性に関連が深いものであることを証明するよう求め」るように、としてるのを出しておきますけど。--水原紡会話2012年6月13日 (水) 08:38 (UTC)

ようするに中立的な視点と言うのは多様な観点から見た記述がなされているかどうかです。教祖/信者、作家/読者と言う視点も、そのひとつですが、教義/実際の発言、国際的にみた視点などを、盛り込むほうが、より中立的(多様性がある)と考えていると言うことです。たとえばこの記事なんかどうでしょう?[10]日本では大変評判も良い方ですが、ひとつの見方をすれば、西洋社会が、ひもを付けたいからノーベル賞を渡したようにも見えるわけです。この方は育ちも旦那もイギリスだった方ですからね。一方で昨今はミャンマーへの中国進出が目立ち、これとバランスがあって、また西側諸国に譲歩してきた為、表に出てこようと言う風にも見える方だと思います。基本路線としてのミャンマーは植民地開放後はイギリスを追い出すのが重要課題だったわけですから、今まで監禁されてたんだな?とも捉えられると思います。そういう多様性がわかるような視点が編集に求められていると考えています。--Nozawa onsen potta会話2012年6月16日 (土) 07:21 (UTC)

つか88年に帰国され91年に平和賞なのですが、この間に平和賞に値するような、どれだけの活動をなさった方なのでしょうかね?南アジアはミャンマーだけでは無くラオスなんかも中国からの鉄道工事が始まっています。こりゃイギリスに戻って貰わないとヤバいと言う風にみれば、昨今のミャンマーの動きは判りやすいです。けどテレビだけを見ていると、そういうのは判りませんよね?だから、そういう反対的な視点も必要だと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年6月16日 (土) 08:00 (UTC)

項目本人の著名性に関連が深いもの>ご本人の発言と、ご本人が所属されるサンガ、規律、社会、風土などは、関連性は深いと思いますよ?また、あれこれに記事が、またがるのが宜しくないのではあれば、他の記事の参考文献や記事も私が書いておりますので、こちらに集結いたします。けどそうすると、こっちが溢れるので、したくないと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年6月16日 (土) 07:30 (UTC)

国から祭壇を貰って来ないと宗教活動しにくいだろうし、かと言って国の実状がバレたら、やっぱり活動しにくいのでは無いか?と思います。教理としてのテーラワーダと言う意味では、かなり正確に伝えている方で、問題があるとしたら、そこだけに拘っている所では無いか?と思いますが、それは左記のような事情があるのだと思います。つまり実際の宗教活動をなさるなら、結局そこにしか逃げ場が無い為、教条主義にならざるを得ない人だと見ています。こういう事情が背景にあるから、それに伴ってあれこれ付随的に、さまざまな不具合が発生するのだと見ていますが、だとしたらそういう視点を提供する事が大切なのでは無いか?と思ったのが、そもそもウィキペディアを編集しようと思った動機です。まぁ、それだけでも悪いので、あれこれ他も編集していますが、ここをメインに活動して行くつもりでいます。 --Nozawa onsen potta会話2012年6月17日 (日) 02:18 (UTC)

こんな言い分だと、如何にも、この僧侶や所属団体が嫌いな人に見えますかね?およそ最悪なカルトと言われているような団体でも設立当時から100%完璧にオカシかったわけでも無く、最初のボタンの掛け違えが拡大してしまい、結果的に自分らでも収集が付かなくなっているのだと思っています。周囲からの多様な視点があれば、ああはならなかっただろうよ?と思うのばかりに見えるので、そういう多様な視点を提供して行きたいと思っていると言う事です。--Nozawa onsen potta会話2012年6月17日 (日) 03:19 (UTC)

何度か読み返したのですが、
  • 中立性のために批判的視点が必要である。
  • そのために当該記述が必要である。
というご意見だと解釈してよろしいでしょうか。
お話に出ました記事アウンサンスーチーでは高山正之氏による批判的見解が記されていますが、このように言及が存在するのであればこのような形で記載することは構わないと思います。
しかしながら、直接言及された資料がない状態で批判的視点を導くために書くのであれば結局それは出典の合成ではないでしょうか。--水原紡会話2012年6月26日 (火) 13:47 (UTC)

一般的な基準と、その人の発言を比較し、結論を書かなければ、比較した結果の理解は読者の裁量です。この僧侶の特徴を記述するのに、僧侶の特徴をズバリ書かかれたものが無い為、こうしたものです。だから良い/悪い、偉い/偉くないなど思うのは、どうぞ勝手にしてくださいと言う事です。批判的ではなく、さまざまな視点を提供すると、読者によっては批判的に見える人もいるだろうと言うことです。また自分の考察が無いのだから、どこにどう導かれるか、わかったものでは無いので、批判的な視点と言われても、それを確定的にしていないので、たまたま水原さんが否定的に受け取られたと言う話です。つまりご自分が勝手に批判的な視点を導かれたのであって、著者である私が合成したわけではありません。文章も。で切れています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月1日 (日) 08:47 (UTC)

合成、批判的、ネガティブ、名誉毀損、など色々なご指摘がありますが、本当にそう思われるのであればコメント依頼をお出しになるのが宜しいかと思います。もちろん結果は水原さんの思われている通りになるかも知れません。しかし本当にそうなるのであれば、私は今後の一切の編集を止めようと思っています。と言うかそういう事なら、全く何の未練もありません。どうぞ好きな所にお出しになってください。--Nozawa onsen potta会話2012年7月1日 (日) 09:48 (UTC)

こらIP君、答えなさい(笑)

普通はAだ「出典」。

と言うのと

この場合Bだ「出典」。

とあって、これを

普通はAだ「出典」が、この場合Bだ「出典」。

とした場合に、

1)これが合成問題にマジで見えるの?

2)合成だとして、普通はAだ[出典」が、までが問題になるかね?

実際問題として、そう言って、さも尤もそうに因縁つけて来てるよね?

ほんとに、そう見えるなら

普通はAだ「出典」。しかし、この場合Bだ「出典」。

でも、やっぱ合成でダメって事だろう?つか、そんな事だと、これもアヤシイんじゃない?

普通はAだ「出典」。この場合Bだ「出典」。

つか示した合成は、どれも全く問題とされる合成問題を含んでいません。

どっちにしても、こんな事だとIPさんの考えそのものがルールに対する独自研究よ?しっかりして下さい。それでクレーム付けたら、ヤクザの因縁と変わらないよ?

どうやっても、わからないってのも、かなり考え難いんだけどね?まぁ、まじでわからなかったら言って下さい。対応の仕方を、ころっと代えますからね。

つかギャースカ言うぶん、これだと教団員よりタチが悪いです。けど、ハッキリと問題なのは、どういう合成が問題なのか判っていないIPさんですよ。 --Nozawa onsen potta会話2012年6月9日 (土) 13:41 (UTC)

 不況になった。「出典」

 製品が値下がりした。「出典」

とあって、

不況になった「出典」ので、製品が値下がりした。「出典」

とすると、これは問題のある合成です。

不況になった「出典」。だから、製品が値下がりした。「出典」

これも、ダメ。

不況になった「出典」。ので、製品が値下がりした。「出典」

これも、ダメ。

不況になった「出典」。製品が値下がりした。「出典」

これだと文句を言われても、まぁ突っぱねる事が出来るとは思うけど合成問題の主旨から言えば少なくとも推奨は、されない。 ではどうすればいいかと言うと

不況になった「出典」なんだか、製品が値下がりした。「出典」

これはOKな合成です。判っていますか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月9日 (土) 14:16 (UTC)


夜があけた「出典」

明るくなった「出典」

の、場合に

夜があけた「出典」。ので、明るくなった「出典」

これだダメと言われれば修正が必要かも知れないです。

夜が開けると、明るくなるのは当たり前ですが、当たり前とする根拠が無いだろ?と言われれば、まぁ仕方ないと言う話。

いいや!これでOKだと言い切りたい場合は、夜があけると、明るくなるものだとした、別の出典を持ってきて、貼っておく必要があると言うことです。

夜があけた「出典」。ので、明るくなった「出典」「夜があけると明るくなる出典」

どこまでも自分の意見では無く、出典に責任転嫁出来るような編集をしろ!と言うのが、編集の根幹で、そうしたんだから、後は免責に持ち込んで終わりにしろと言うのが、あれこれルールがあるけれど、そういう事ばっかり規定してあるわけです。どうして行政機関や学術などの出典が良いとされるかと言うのも結局これで、より客観的で、敵対勢力とかでは無い所が書いている事にし易いから、そこに責任転嫁できる為です。けれどA国とB国が戦争していて、A国の批判的に見える記事を書くのに、B国政府の出典だと、行政機関だろうが、学術だろうが、クレームを付けられる可能性があります。スリランカはアパルトヘイトだ!と言うのが書く人には当たり前に感じる話だとしても、それをタミルタイガーの記事を出典には出来ないと言うことです。けれどアメリカの学者が、そういうとした出典なら問題ないし、アメリカの学者が言ってることで、俺は本当はアパルトヘイトかどうかは知らないんさ?って書き方だと、何ら問題ないわけです。と言うか、そういう記事を書くことを奨励しているわけです。

俺の意見じゃ全くなくて、こういう第三者的な客観的な所が言っているんだ!と、言うのを、文章だけでは無く、文章の接続関係に及ぶ所まで、そう言う具合に書けと言うのが、合成問題の主旨です。--Nozawa onsen potta会話2012年6月9日 (土) 22:09 (UTC)

つまり「が」で接続した事にクレームを付けたいなら、なぜ「が」なのだ?お前は「が」と言う文章間の関連を示す演説や独自研究をしたのでは無いのか?とクレームを付ける事は可能かも知れません。けど、そう言われたら「が」で接続することを演説や独自研究だとする根拠となる出典を、こちらとしては要求出来るわけです。けど、そこまでするのもアホくさいので「。」で接続してやれば、「。」と言う演説や独自研究を指摘出来ないので、クレームは立てれなくなるわけです。関係を、におわせたから誹謗中傷だ!としたいのなら、におわせたるのは、誹謗中傷にあたるとする確固たる出典が必要です。そうすれば揉ます事が可能でしょう。けれどそれも無しで、誹謗中傷だとして削除するのは、ここでは、子供の荒らしだし、どこぞの宗教教団がやれば、器物の破損とか、それを行うカルト団とか、どこかでウワサされても仕方ないです。もちろん削除した人が宗教教団幹部である確証は無い話なので私は、そんなことは言いませんけどね?(笑) --Nozawa onsen potta会話) 2012年6月9日 (土) 22:47 (UTC) また「が」と言う接続があったので、「が」以前の文章も問題であるとするのは、明らかな言いがかり以外の何者でも無い事は言うまでも無い話なわけです。何故ならば「が」以前の部分に出典が明示されていて、しかもその出典の信憑性のクレームなどでは無い為です。数日放置するから、IPさんは、きちんと釈明なり反論なり出来るものならしてみなさい。出来ないなら謝罪したほうがいいのかもよ?(笑)まぁ怒ってないから謝罪は推奨しますが強要しませんけどね? --Nozawa onsen potta会話2012年6月9日 (土) 23:04 (UTC)

111.232.107.45です。回答が遅れており、申し訳ないです。何度か回答しようとしているのですが、それぞれ短時間しかとれず、一方時間がたつにつれ論点が広がり、おいつけていない状態です。本当はテーマ毎に纏めて、論述したかったのですが、長々とお待たせするのもまずいので、非常に長い回答、かつ、こまぎれの回答になってしまうとは思いますが、順次回答していきます。また、何度も同じ主張を繰り返す回答になるかもしれませんが、それはNozawa onsen pottaさんの個々の主張も重複する概念が含まれるからでもあり、許容してください。(本当は同じよう回答を何度も繰り返すのは嫌味っぽくていやなのですが、お待たせするよりはましかと考えます)。--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 06:27 (UTC)

いずれにしても、やるべきことは記事の品質を上げる事です。勿論その手段のひとつとして削除の提案があると思っています。「が」の問題まで問うと言うことだと、そもそも出典の無い部分は全部削除するのが品質向上になるわけです。と言うことは記事そのものが消えてしまうわけです。けどそれは道理としては判るのですが、さすがに賛成しないわけです。かと言って削除以外の手段では、誰も品質を改善しないのは、やっぱホントは、どうでもいい話なのか?とも思っていますが、それは私の単なる推量です。まぁボチボチ品質向上の為記載を増やしますが、他の全く文献も無い部分も考慮してバランスの取れた提案を、お願いしておきます。--Nozawa onsen potta会話2012年6月10日 (日) 07:13 (UTC)

111.232.107.45です。本当は、上から回答していくべきですが、とりあえず。
  • 結局のところ、今回の件で、接続詞「が」を使うのですか?使わないのですか?
  • Nozawa onsen pottaさんが、あくまで接続詞「が」を使うというのなら、それが独自研究か否かを論じて、それを載せるか載せないかを論じる必要がありますが、Nozawa onsen pottaさんが、今回の件では接続詞「が」を使わないというのなら、Nozawa onsen pottaさんと、私が「何をもって独自研究とみなすべきか?そこには接続詞「が」をどう考えるべきか?」という点で認識が異なっていても問題は無いという事です。
  • 強いて言うなら、今回Ajitaさんが削除した部分は、接続詞「が」が繋がれ、また接続詞「が」で結ばれた文の一方にスマナサーラ氏に直接関係の無い文献が出典とされており、その部分は出典の無い文として扱われるべきだと思うので、Ajitaさんの削除行為は(スマナサーラ氏に直接関係の有る文献まで取り除いたのはやりすぎであるとしても、少なくとも一部は)Wikipedia:存命人物の伝記で言うところの「出典無き批判」に当たるため、111.232.107.45は是認する、ということです。
  • 111.232.107.45が是認しようともAjitaさんの行為が納得いかない、という事は当然あるでしょう。しかし、もしそうであるならば、責められるべきはAjitaさん個人であり、実際に削除行為を行ったわけではない111.232.107.45が、Nozawa onsen pottaさんの疑問を解消する義務はありません。
  • そのため111.232.107.45が是認しようともAjitaさんの行為が納得いかないという点に関しては、Ajitaさん個人に対してアクションを起こしてください。具体的にはAjitaさんのノートで議論するのが良いでしょう。それでも納得いかなければコメント依頼するのが良いでしょう。
  • ただし、私はAjitaさんの削除行為は(スマナサーラ氏に直接関係の有る文献まで取り除いたのはやりすぎであるとしても、少なくとも一部は)Wikipedia:存命人物の伝記で言うところの「出典無き批判」に当たると判断するため、Nozawa onsen pottaさんが、その点に関してAjitaさんのコメント依頼をした場合は、その旨コメントするでしょうが、それは恨まないで下さい。(すでにここで説明したにもかかわらず、納得しないのはNozawa onsen pottaさんの自由ですが、それによってコメント依頼等で、Nozawa onsen pottaさんが不利な立場になったとしても、その責任は111.232.107.45にはありません)
  • もちろん、Nozawa onsen pottaさんが、今回の件で、あくまで接続詞「が」を使うのだと宣言されるのであれば、それは、この記事の品質の話ですから、ここで議論を続けることにはまったく異論がありません。
以上--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 10:04 (UTC)
111.232.107.45です。回りくどい言い方でしたので、再度纏めます。現在、以下の2点の話題が混じっていますので、区別して議論しましょうという話です。
  • Ajitaさんの削除行為が妥当であったか否か。
  • 当該部分を本文に載せるには、どういう形が良いか。
前者に関しては、私は既に意見を言いました(部分的に「出典無き批判」であるという意見です)。この意見がNozawa onsen pottaさんが納得する意見か否かは私は関知しません。納得がいかないならNozawa onsen pottaさんは111.232.107.45の意見を無視したという話で、この段階では、それで終わりです。それ以上、何かを聞きたければ、実際に削除を行ったAjitaさんに聞いてください。
後者については、引き続き議論しましょう。
以上--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 10:17 (UTC)
111.232.107.45です。「以下の2点の話題が混じって」いる点に関しては、別にNozawa onsen pottaさんのせいだとは申しません。私も2点の話題を区別して話せてなかったので、今後、区別して話しましょうという話です。--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 10:42 (UTC)
111.232.107.45です。あと私は、「「僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧である」のような部分はこの記事の主題であるスマナサーラ氏に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料に基づく文ではないので載せるべきではない旨、主張します。これは「当該部分を本文に載せるには、どういう形が良いか」に関わる議論ですので、答えてください。「まずスマナサーラ氏に直接関連のある情報かどうかですが、スマナサーラ氏はスリランカ上座部シャム派の僧侶である為、関係ないわけではありません」とありますが「関係ないわけではありません」と言えるとしても、それは「直接関係」しているわけでは無いので、スマナサーラ氏に直接関連しないのは明らかです。だから載せるべきではありません。その点は現状、譲る気はまったくありませんので、反論があれば反論してください。(この後用事があるので、その他の点に関しては後日回答します)--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 10:37 (UTC)

どこにも、「が」以前の指摘の謝罪は無いんですね。別に構いませんよ。星占いの件は、ご意見として承りました。では、お互い頑張って品質向上に努めましょう。--Nozawa onsen potta会話2012年6月10日 (日) 11:54 (UTC)

「直接関係」していないと言うのが判りません。シャム派はスリランカ仏教の最大派です。で、スリランカ仏教の記述があれば、直接重なっているわけです。これで不服があればコメント依頼を出すなどの手段があるので、そちらで承りますが、部分集合の最大部分を直接じゃないと言う主張が通ると思われるのであれば、そうなさって下さい。では宜しくお願い致します。--Nozawa onsen potta会話2012年6月10日 (日) 13:07 (UTC)

111.232.107.45です。取り急ぎ3点だけ。
  • 接続詞「が」に関しまして。「Aである「出典」」および「Bである「出典」」という内容が、当該記事にふさわしい出典を伴っているとしても、「Aである「出典」がBである「出典」。」と書くためには「AであるがBである。」という内容の出典が別途必要だという意見は今も変わりません。ゆえに謝罪する必要は全く無いと考えます。
  • 「直接関係」していないと言うのが判りません」とのことですが、別の表現を使うのであれば、Wikipedia:存命人物の伝記#どのように書くべきかに「信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです」の通りです。「スリランカ仏教」に関して書かれた文献は、「スリランカ仏教」に関して出版・公表されたものであり、それはスマナサーラ氏に関して出版・公表されたものではありません。そのためスマナサーラ氏の記事では使えません。「シャム派はスリランカ仏教の最大派です。で、スリランカ仏教の記述があれば、直接重なっているわけです」ということにより「直接関係」していると見做すという主張は、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「法律家ごっこ」に当たると考えます。
  • また、この節のタイトル「こらIP君、答えなさい(笑)」ですが、「こら」は「人をしかったり、とがめたりするため、相手に強く呼びかけるときに発する声[11]」であり、私は回答が遅れる事は過去に案内済みであり、特に謝罪する必要もないためNozawa onsen pottaさんに叱られるたり咎められたりする謂れがありません。また「君」よばわりされる理由がありません。また「(笑)」は「嘲笑」を意味する省略表現です。これらは、私に対し挑発的であり大変不愉快です。やめてください。
以上--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 13:53 (UTC)
111.232.107.45です。「コメント依頼を出すなどの手段がある」との事なので、その点ははっきり宣言すべきなので宣言します。「「直接関係」していないと言うのが判りません。シャム派はスリランカ仏教の最大派です。で、スリランカ仏教の記述があれば、直接重なっているわけです。」というNozawa onsen pottaさんの回答は「不服」です。--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 14:02 (UTC)

はい不服があれば、その旨でコメント依頼を出して下さい。はっきり言いますけど、これでオカシイと言う人がいたら見てみたいです。全く文章の論理的な構造が判らない人と言う事になります。普通は極端な言いがかりをIPさんが付けているだけだと判断すると思いますけどね? --Nozawa onsen potta会話2012年6月10日 (日) 14:13 (UTC)

111.232.107.45です。Nozawa onsen pottaさんがコメント依頼をするという話かと思っていました。私が出せという話ですね。了解しました。--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 14:32 (UTC)

はい、ただしコメント依頼をだして、私の言い分が通ったら、悪いけど二度と話しかけて来ないでください。たぶん論理的な思考は全く無理な人です。言いがかりとは本気で全く思ってないとしたら、それしかないと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年6月10日 (日) 14:39 (UTC)

111.232.107.45です。コメント依頼は出しますが、結果にかかわず「二度と話しかけて来ない」は約束しません。依頼するのは私の自由であり、依頼にあたって「Nozawa onsen pottaさんの意見が通ったらNozawa onsen pottaさんに二度と話しかけない」という条件を呑む謂れはありません。--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 14:50 (UTC) 誤記修正--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 14:53 (UTC)
  • スリランカは僧侶の得度式の日取りなどは星占いで決める風習である事が知られている。彼は出家は星占いを戒律で禁止しているとしている。

現在、表の文章は、こうなっていますが、たぶん主張は変わらないのでしょう?まぁいいです。どんどんコメント依頼でも何でも出して下さい。幾らなんでも極力無視するようにします。--Nozawa onsen potta会話2012年6月10日 (日) 14:52 (UTC)

111.232.107.45です。コメント依頼には、Wikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメントWikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメントWikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメントがありますが、何れのコメント依頼を行うかについて、希望はありますか?私はNozawa onsen pottaさんの主張は既にWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「法律家ごっこ」に達していると考えますのでWikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメントに出そうかと思いますが、希望があれば、それにあわせます。回答お願いします。--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 15:18 (UTC)

どれでも、お好きなので構いませんが、全部じゃないと言うのは、文献はスリランカの全般的な僧侶の事を語っているのに、この僧侶はシャム派と言う特定の団体の僧侶なので、他の団体もある為、部分集合でしか無いものに対して、全体であるスリランカの僧全般の文献で語っているのが不適切だと言うことですよね?もし、その通りであれば、すぐでも好まれる所にお出し頂いて結構です。--Nozawa onsen potta会話2012年6月10日 (日) 15:51 (UTC)

111.232.107.45です。回答ありがとうございます。「全部じゃない」という発言は私の発言ではないですが、趣旨は概ねその通りです。スリランカの全般的な僧侶の事を論述した文献や、シャム派全体の事を論述した文献は「信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したもの」には当たらず、そのような文献に基づく文は、このスマナサーラ氏の記事においては「出典が無い」文として扱われるべきだという主張です。--175.103.138.60 2012年6月10日 (日) 17:40 (UTC)

はい、主張なさる内容は理解しました。で、不服があって、こんなのが記事にあるのは耐えがたいと思うのであれば、コメント依頼でも、多数決でも、なにか行動を起こされては如何でしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月10日 (日) 21:20 (UTC)

むしかえして悪いなとは思いますけど、私が自主規制的に「が」を使わないようにしてしまったから、独自研究を指摘出来ないとされるなら、もう一回「が」に修正すれば、再度指摘して頂けると言うことですかね?私は、この僧の記事を含めて、ウィキペディアそのものも更なる改善される事を望むものですので、もう一度「が」に修正しなおして、議題にして頂けると言うのであれば戻しますが議論して頂けますか?で、本当に「が」はダメと言うことになれば、また今の形式に戻そうと思います。気が小さいもので争わずに済む事は争わないようにする性格なので自主規制的に「が」を消してしまいましたが、日本語表現として「が」が使えたほうが他の編集者にも便利な場合も多いと思います。ウィキペディアは常に編集中の辞典なので、差し戻しも等も起きうる為、それに備える事も鑑みると、こういう態度が前向きな態度だと解釈していますが如何なものでしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 01:47 (UTC)

と言うか、ここの記事を改善するのに、「が」を使えなくしたとか言う実例を作ってしまうと、今後の他の編集者の方々に後々様々な不便も発生するだろうし、それはそれで本位ではありません。またそのことはウィキペディアの編集規制を些少でも増やす話でもありますので、是非議題にして頂きたいと思っております。と言うことで、大々的に「が」を問題にして頂けないでしょうか?もう件の僧侶の記事は治っているので、こちらとしても、わざわざ再修正致しますので、如何なものでしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 02:01 (UTC)

まぁ、これは誠に勝手な言い分なのですが、「が」の件を先に議論して頂かないと、先にIPさんの主張なさる「出典が無い」が通った場合、なし崩し的に「が」がダメと言う実例を作ってしまうことになります。悪意にとれば、何が何でも「が」をダメとしたいIPさんが、力ずくで解決したい為「出典が無い」を主張している事だとも、解釈としては成立しうると思います。と言うことで、私の文章としては「が」は、もうどうでも良い事なのですが、「が」を戻したいと思います。ただ戻っただけでは不服であれば、太字の「が」にしたりしても良いですが、如何でしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 02:17 (UTC)

111.232.107.45です。そういうご趣旨であれば、ただ単に「接続詞「が」を使う予定である」旨、宣言していただければ、接続詞「が」に関しても議論をします。どちらかといえば、実際に接続詞「が」を追加されるほうが迷惑です。
ただ私の認識は「自主規制的に「が」を使わないようにしてしまったから、独自研究を指摘出来ない」というよりは「Nozawa onsen pottaさんが接続詞「が」を使わないのであれば、独自研究か否かに関してNozawa onsen pottaさんと私の間で合意する必要が無い」という意味ですので、それは「接続詞「が」が独自研究である」という実例にも、「接続詞「が」が独自研究ではない」という実例にもならないということなので、少なくとも私は「出典が無い」が通った場合に「これが接続詞「が」が独自研究である実例だ」とは主張しませんよ?
あと、接続詞「が」について議論するとしても「接続詞「が」について結論が出るまで、他の論点に関しては議論しない」というのは約束しません。Nozawa onsen pottaさんが接続詞「が」を重視するように、私は他の論旨を重視しています。Nozawa onsen pottaさんのみが自身の重視する点のみ議論を優先することには合意しません。
また、そういうお話なら「接続詞「が」に関しても平行線になったらコメント依頼を出す」のが理にかなっている気もしますが、その事はお約束はできません。コメント依頼は接続詞「が」の議論の進捗にかかわらず、出したいときに出します。
ちなみに当初、なぜ接続詞「が」に関しての主張を入れたかというと、接続詞「が」の話を抜きにして「直接関連のある情報を提供している信頼できる資料に基づく文では無い」のみの主張だと「ヒンドゥー教を否定しているが、ヴェーダーンタ協会で講演も行っている。」という文が残るし、その文が残った後で、接続詞「が」の話をすれば「論点を変えた」とあらぬ疑いをかけられるかもしれないと考えたからです。「だったら先に言っておこう」という趣旨です。「…ヴェーダーンタ協会で講演も行っている。」以外の文は「直接関連のある情報を提供している信頼できる資料に基づく文では無い」のみの主張が通れば接続詞「が」のみ残す意味自体が消滅しますので、「直接関連のある情報を提供している信頼できる資料に基づく文では無い」のみの主張で足りるともとより考えていました。--175.103.138.60 2012年6月11日 (月) 05:00 (UTC)

では「が」を主張します。どこにコメント依頼を出せばいいでしょうか?また「が」が問題となるのは、独自研究のみでしょうか? --Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 06:11 (UTC)

111.232.107.45です。それほど時間が取れないのは続いているのですが、コメント依頼の前にまず、既にNozawa onsen pottaさんが今までに行った接続詞「が」に対する反論はさせてくださいよ。今までNozawa onsen pottaさんが「接続詞「が」は使わない」旨、おっしゃったので反駁を省略してきたのであり、今「使う」に方向転換されたばかりですので、まず、こちらに反駁の時間が貰えるのは、当然なはずです。--175.103.138.60 2012年6月11日 (月) 12:42 (UTC)

はい、反論をお願いします。「今「使う」に方向転換」いえ実際には私はもう使わないです「が」を使おうが使うまいが、私が書きたい記事に問題が出ることは無いです。と言うことで緊急性は全くありませんので、お時間が出来た時で構いません。では宜しくお願いします。--Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 23:06 (UTC)

111.232.107.45です。なるほど、では、それは「接続詞「が」を使う予定である」とは言えない訳ですから、結論を出すまで議論にお付き合いする事はお断りします。時間が有るときに、既に出された論点にのみ反論を行います。それで、議論が平行線になったら、そこで議論は結論を得ずに終わりです。結論を得ずに終わるとは、すなわち「接続詞「が」が独自研究である」という実例にも、「接続詞「が」が独自研究ではない」という実例にもならないということであり、「「が」を使えなくしたとか言う実例を作ってしまうと、今後の他の編集者の方々に後々様々な不便も発生する」という事にも該当しませんし「ウィキペディアの編集規制を些少でも増やす話」にもなりません(そもそもNozawa onsen pottaさんと私の間の合意がWikipedia全体の合意になるわけではないので、もともとからしてNozawa onsen pottaさんの杞憂であるとは思いますが)。--175.103.138.60 2012年6月12日 (火) 00:00 (UTC)

まぁどこでも「が」で接続した文章はウィキペディアでは平気で見られるけど、こわいIPさんに追尾されると、気の弱い私は平常心が保てなり、トラウマが出来てしまって困るなぁと杞憂していると見てるわけですかね?(笑)そんなことも無いですよ。けど何故シャム派を私があまり評価しないか判ってきましたかね?まぁ追尾マニアや削除マニアのIPさんは、カーストやアパルトヘイトの中核部分がお好きななら、インドの南にある島にニカーヤがあるそうなので検討なさっては如何でしょう。最近では日本語の出版物も出ているそうで、どうもウイキペディアが宣伝に加担してるらしいと言うウワサも聞こえて来ています。ウイキペディアはアナキズムじゃないとか書いてあるけど、これだと、どうも能書きの部類だと思いませんか?某ニカーヤの影響が見られると言うことなのでしょうかね?(笑)--Nozawa onsen potta会話2012年6月12日 (火) 04:17 (UTC)

と言うか、そういう事情を正確に知っている人ほど、出典にでは無く、世評的な中立と言う意味で、この人の記事を興すのは難しいと思います。上座部系で本国でカルトとされている宗教も日本にあれこれ上陸しています。社会があって、それに危害を加えればカルトですが、まぁ世評的な中立点は定めやすいでしょう。しかしシャム派はスリランカ社会の中核に位置するわけで、マイノリティから批判が出るだけです。でも実態はアパルトヘイトなわけで、その祭壇を日本に持ち込んでいるわけです。かと言って、多くの本が売れているのもまた事実で、そういうファンの多い作家さんと言う顔も持っているわけです。ヤクザ組織の人気作家なら、まぁまだ中立点は定め易いですが、お坊さんなので、更に難しくなります。サーベイされた一般的な社会情報で中立点を求めると、私がやってるようなポイントになると思いますが、作家さんのファンの方からすれば、とんでもなく偏った情報に見えると思います。どうしたものだろう?と思う事があります。--Nozawa onsen potta会話2012年6月12日 (火) 07:18 (UTC)

同じ箇所について、#Ajita氏が削除を繰り返してきました以降複数の節で論じられています。「Ajita氏が削除を繰り返してきました」、「こらIP君、答えなさい(笑)」、「ajita氏のブロック依頼を取下げました」とった節の名前は、問題の要約としては不適当であり、一つは明らかに礼を欠いています。とりあえず、問題箇所の第一文で代表させ「#星占い等について」という大きな節の下におさめました。
以下本題に関しいくつか意見を述べます。第一は、出典の合成に関して。星占い等に関しては、初めに水原紡さんが発表済み情報の合成にあたることを指摘し、IP氏が6月6日00:14に詳しく説明しました[12]。それらはまことに適切な意見だと思います。出典や独自研究に関するウィキペディアの方針は、Nozawa onsen pottaさんが6月9日22:09に述べたような責任転嫁のための巧妙な方法[13]を伝授するためのものではなく、文字通り独自研究を禁止するためのものです。
星占いに関するNozawa onsen pottaさんの加筆は、一般的なスリランカの慣習や同国仏教の慣習と、それを否定するようなスマナサーラの発言とを並べたものでした。普通には、他人の行動と自分の発言に矛盾があることに意味はありません。そんなことをわざわざ指摘するのは、なんとかしてスマナサーラをおとしめようとする努力なしにはできないものと思われます。私は出典にあたって調べるまで、スマナサーラ氏個人の言動に矛盾があるのかと思いました。当人の活動にとって意味がなく、かえって誤解を招くものですから、除くべぎです。
Nozawa onsen pottaさんはCがないからよいということですが、Cがほのめかされていることは一読して明白です。Nozawa onsen pottaさんは本当はまさにCをほのめかすために書いているのに、それを認めるとウィキペディアに掲載できなくなるから、否定しているだけでしょう。
露骨な中傷意図を持つ部分を取り除くことにすると、全体にわたって中立的な書き方ができなくなる、などということはありません。我々にはちゃんとした判断力があるのですから、故意に思考を停止し、中傷的な書き方と中立的な書き方を区別できないふりをする必要はないのです。
そして、6月7日11:20以降でNozawa onsen pottaさんが力説しておられるような、出典があれば内容が悪辣でもよい[14]、書きたい人がいれば内容を吟味せずに掲載する[15] [16]、といった考えには強く反対します。そのような方針は、記事の品質に無頓着で、ウィキペディアを個人に対する中傷に利用したいと考える人にとってだけ都合がよいものです。Nozawa onsen pottaさんが考える基本ルールは、ウィキペディアの求めるものとかけ離れています。出典があっても、百科事典に掲載するにふさわしくないものは載せないのです。ふさわしくないものには、発表済み情報合成にあたる独自研究もありますし、主題に関わりない些末事もあります。問題の箇所は、その両方にあてはまります。
第二点。独自研究であるということについて別の観点から。私は有料の新聞雑誌記事横断検索により、スマナサーラ氏の活動や著作の紹介を多数読みました。どれもそう長くはないのですが、内容は本記事中の著書の題名からだいたい推測できるようなことです。著書『怒らないこと』がジャンル別・地域のベストセラーに時折顔を出します。長く売れ続けており、「怒り」「怒らない」が注目されているという評も複数ありました。スマナサーラ氏が上座部仏教への関心を高めたと書く記事もありました。先に出典なしとして削られた「誉め」の部分に出典を与えるものもありました。
ところがここで問題になっている枠内部分にはかすりもしませんでした。Nozawa onsen pottaさんは、2012年6月11日08:18に[17]、「この僧侶の思想や活動などと、社会的に知られている、この僧侶を取り巻く情報とでは、かなりな格差があると言う事は認識しています」と述べました。まさにそういうことで、Nozawa onsen pottaさんが掲載を主張している視点は、信頼できる情報源には丸ごと欠けているのです。「サーベイされた一般的な社会情報」にもとづくとこうなる、とNozawa onsen pottaさんは言いますが、それは少なくとも新聞のことではありませんね。ではなんでしょう。私が見た新聞・雑誌はスマナサーラの教えと活動に言及しますが、スリランカの慣習・事実と、スリランカ出身の僧であるスマナサーラの言動の間にある矛盾には触れません。日本の慣習・事件と日本の個々の僧の言動の間にある矛盾をとりあげないのと同じです。そういう関係を発見するのは、一般的な社会情報ではなく、Nozawa onsen pottaさんだけではないかと疑っています。元資料がまともならどう組み合わせてもよいというなら、日本古代史の記事は『古事記』と『日本書紀』からの発見で埋め尽くされることになるでしょう。
そして第三点。優れた百科事典を作ろうとする我々の目的にとって無視できないことがあります。星占い等の記述が、内容的に低品質だということです。そこには、講演の場所のような誰も注目しそうにない些末事があり、星占いや内戦のように無関係のことを無理矢理くっつけた批判があります。こうした文章は、流し読みする人にはスマナサーラがお粗末な人だという印象を与え、緻密に読む人にはウィキペディアがお粗末なサイトだという印象を与えることになるでしょう。どちらも有害です。
具体的な編集としては、太字部分だけでなく、IP氏が枠にかこって示した部分を丸ごと削除するのがよいと思います。スマナサーラ本人に関わりない慣習等は基本的に再掲載を禁じましょう。本人の発言などは、断片ではなく、本人の思想・行動の要約するために掲載するならもちろん賛成します。--Kinori会話2012年7月15日 (日) 00:15 (UTC)
111.232.107.45ことPemoです。私は結論としてはKinoriさんのご意見に賛成なのですが、結論に至る論旨が十分では無いのではないかと感じます。Nozawa onsen pottaさんの主張を私なりに受け止めるならば、その主張は以下のようなものだと考えます。特に現在問題となっているのは、私が枠にかこったときのような「接続詞「が」でつながれた文章」ではなく「それぞれが出典毎に句点(。)で区切られ、接続詞による接続も無い文章」であることに注意して下さい。
  • Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成では「この文章は「この結果」ではなく「また」で接続されなければなりません」とあり、句点(。)で区切られた文章を「また」で接続したものは合成ではない。
  • 「また」で接続したものが合成ではないのだから、「また」が付かなければ、なおさら合成ではない。
  • ゆえに句点(。)で区切られた文章は合成ではない。
  • 合成ではないので、句点(。)で区切られた文章の間には底意・暗喩・ほのめかしは存在し得ない。
  • 底意・暗喩・ほのめかしは存在し得ないのであるから、批判的な観点にはなり得ない。
  • ゆえにWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去には該当し得ない。
  • 出典無き批判にはあたらないのだから議論なしで除去を行った行為は不当である。
私はこのような論理の発端となるWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の「この文章は「この結果」ではなく「また」で接続されなければなりません」とする表記はルールの欠陥であると考えます。これは英語版からの翻訳時に含まれた表記ですが、このような「このように書けば問題ない」と、とられかねない表記はすべきではなかったのだろうと思います。しかしながら一方、この表記はWikipedia:独自研究は載せないにおいて長らく維持されてきた表記であり、現状、全く無視するのもいかがなものかと思います。
私は、もし上記の論旨がNozawa onsen pottaさんの主張の通りなのだとしたら、それに対抗するには、これがWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「法律家ごっこ」であると主張するしかないと考えています。
そのため私はNozawa onsen pottaさんに対する対応においてWikipedia:腕ずくで解決しようとしないに反しないように努力しています。すなわち「相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」ということです。別の言い方をするならば、本件はWikipedia:ルールすべてを無視しなさいを適用しないと解決できないたぐいの問題であり、どのルールを無視するのか、なぜそれが必要なのか、それを無視してしまうことが本当に正しいのかを、緻密に議論すべき話になってしまっていると考えます。
私は、Nozawa onsen pottaさんは、Wikipedia:独自研究は載せないの弱点を突いたと考えています。しかしながら、それは弱点を突くという目的の元の行動ではなく、試行錯誤の結果、たまたまそこにただりついただけであって、その試行錯誤の努力に対してはWikipediaのコミュニティは敬意を払うべきだと考えます。
どのように敬意を払うべきかに関し、私は本件を、以下の2点に分けて論じるべきだと考えます。
  1. Ajitaさんの削除行為が妥当であったか否か。
  2. 当該部分を本文に載せるには、どういう形が良いか。
私はKinoriさんのご意見そのものには賛成です。しかしそれは上記2「当該部分を本文に載せるには、どういう形が良いか」に関する結論です(その結論自体には賛成です。個別に議論を重ねていけば最終的には全体が除去されるだろうと予測しています)。しかしながら、その結論のみを推し進めることは、上記1「Ajitaさんの削除行為が妥当であったか否か」を「無かった話」にしてしまうものだと感じます。これは「相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」という点から見るとすこしひどい話だと思います。
上記を踏まえ、私はKinoriさんの意見に反対するものでは全くないのですが、それはそれとして、実際に除去を行ったAjitaさんが、責任を持って自身の編集の妥当性をNozawa onsen pottaさんと議論すべきだと考えています。--Pemo会話2012年7月15日 (日) 06:06 (UTC)
割り込みになりますが、Ajitaさんに関してだけここで。Ajitaさんに対するのとNozawa onsen pottaさんに対するのとで、私の対応に温度差があるのは認めます。世間の事典類に(特に存命で活躍中の)人物に対し露骨な非難をするものはまず見かけず、好意的評価でまとめる傾向を持つものはよく見かけるので、私はウィキペディアもそれにならうほうがよいと考えています。少なくとも、問題のある好意的な記述と、問題のある悪意の記述では、後者のほうが重大だという考えです。ただそれは前者の問題が問題でなくなると言うのではありません。#スマナサーラ氏の初期仏教帰属に関して以下の話し合いで問題部分が除去されたのは良いことでした。同様にして、Nozawa onsen pottaさんによる不適切な箇所も除かれれば良い、と考えています。ただ、Ajitaさんによる除去の理由は、名誉毀損です。私の除去提案の理由は、独自研究です。名誉毀損に関しては#ajita氏のブロック依頼を取り下げました。で話し合われていますからそこで議論し、ここでは独自研究かどうかについて議論したいと思います。--Kinori会話2012年7月19日 (木) 17:36 (UTC)

>「また」で接続されなければなりません」とする表記はルールの欠陥であると考えます。

説明変数に何を使うのかは主観的な判断が加わりますが、それでも記述統計の事を客観的と言うのと同じ事だと思っています。また記述統計であればクライテリオンがあるので、コストに基づく現実性を議論できますが、それも無い所で、良い/悪いを議論するのは、魔女裁判にしかならないと思います。また、このルールに関しては、クライテリオンもない上では、これが規程出来る実質的な限度であり、欠陥だとは思いません。--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 14:07 (UTC)

>合成ではないので、句点(。)で区切られた文章の間には底意・暗喩・ほのめかしは存在し得ない。

クライテリオンが無い所で、底意・暗喩・ほのめかしを議論する姿勢が、おかしいと思います。

なぜならば、ウィキペディはGPLの補足であるGFDLに従ったルールを採用していて、そこにはguarantee your freedom to share and change all versions of a programと書かれていて、GFDLは、それのドキュメント用の補足事項だからです。底意・暗喩・ほのめかしを詮議する管理者の居るGPL系は、色々なGPL系に参加して来ましたが、ここが初めてでした。--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 14:56 (UTC)

と言うか、

1)ひとつの記事にふたつの出展があれば、合成だと言われるなら、ここは記事を書く事が出来なくなります。

また、

2)これが独自研究だと言う主張も同様に、記事が書けなくなります。

ある場合は良くて、ある場合は当たらないと言うのは、魔女裁判の理屈ですが、これを堂々と主張する管理者の居るGPL系と言うのも初めて見ました。少しはルールの論理性を考える事は出来ないのでしょうか?--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 15:20 (UTC)

>長く売れ続けており、「怒り」「怒らない」が注目されているという評も複数ありました。

大笑いしてしまいました。

1)じゃ、なぜ実際のご本人が、瞬間湯沸かし器のように、すぐ怒る人なのでしょう?

2)怒りを静めた筈の幹部が、ここで宣伝記事を書きまくるのは、どう思われているのでしょう?

明らかに、魔女裁判がお好きな方のようです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 15:30 (UTC)

>書きたい人がいれば内容を吟味せずに掲載する[15] [16]、といった考えには強く反対します。

はい、では、それが悪ければ、クライテリオンを示してください。魔女裁判にしない為には、それなしには不可能でしょう?なぜならば主観は人によって異なるからです。さらにここは多数決制でも無いので、どうやって客観化するのか、原理を示してください。--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 15:41 (UTC)

>私は有料の新聞雑誌記事横断検索により、スマナサーラ氏の活動や著作の紹介を多数読みました。

これなんかも、心底理解しかねるものです。犯罪者でも無ければ、有料の新聞雑誌記事横断検索に、こいつはアホだ!とか書かれている人がいるのでしょうか?当たり前じゃないのか?としか言いようがありません。--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 15:59 (UTC)

>長く売れ続けており、「怒り」「怒らない」が注目されているという評も複数ありました。

はい、私も、注目しています。[18]この出版社は、『怒らないこと』『心の炎の鎮め方』を出版している実質的なな、この教団の出版局なのですが、こういう刑事事件が起きています。私のような視点があれば、起きて当たり前の社会現象ですが、有料の新聞雑誌記事横断検索で、掛かるものでしょうか?--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 23:51 (UTC)

いずれにしても、ミスジャッジも甚だしいと思っていますが、論理性を問えない人に論理性を問うのは間違っているといると思っているので、酷くはいいませんし、また悪意があってそういうジャッジをされる体質があるのであれば、指摘しても金太郎飴式に次の人が出てくるだけだろうし、そういう体質が改善されるものとも全く思っていないと言うのもあります。野球で言えば、どまんなか、ゆるめのストレートを、ファールにするのも難しく、更にはデッドボールに当然なると主張するのは、極めて許しがたく、まずは、管理者ご本人の論理性を問える方かどうか現在打診している所です。--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 23:51 (UTC)

説明変数に何を使うのかは主観的な判断が加わりますが・・・」の段落に関しまして。Wikipediaのルールは記述統計に基づくと定められているわけではないので、ルールの解釈と記述統計との比較は無意味です。「クライテリオン」が判定基準のことであり、判定基準が無い所で「良い/悪いを議論するのは、魔女裁判にしかならないと思います」とのご意見であれば、それはルールの誤解であると考えます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんに「ウィキペディアはきまりで縛られているわけではありません。模擬裁判ではありませんし、規則はコミュニティの目的ではありません。ウィキペディアにおける行動規範は、方針やガイドラインの文言によって創設されるわけではありません。方針やガイドラインは、むしろ、何を容認し、何を排除すべきかについてのコミュニティの既存の合意事項を、確認・文書化するものなのです」の通りであり、Wikipedia上で何を行ってよく、何を行ってはいけないかはWikipedia:合意形成に基づいて行われWikipedia:論争の解決により解決するものです。今回の場合、除去された記述が批判的か否かが争われていますが、日本語の表現は無限にあり、その全てのケースで、何を批判的であるとし、何を批判的ではないと判断するかの基準を列挙して設けるのは非現実的であり、個々の記述が批判的か否かの判断は個別のケース毎に議論の参加者間でWikipedia:合意形成を行えば良い話であり、また、そのWikipedia:合意形成において個々の編集者が自身の見解(批判的と思うか否か)を表明すること自体は全く問題ない話だと考えます。
また「また、このルールに関しては、クライテリオンもない上では、これが規程出来る実質的な限度であり、欠陥だとは思いません」とのことですが、私は、このルールは欠陥だと思いますが、その主張に基づき編集を行ったわけではなく、私とNozawa onsen pottaさんの間で、このルールが欠陥であるか否か合意する必要がありません。そのためNozawa onsen pottaさんが、このルールを欠陥ではないと考えていることは理解しますが、私はこのルールは規定すべき実質的な限度を超えてると考えており、欠陥だと考えますし、特にその意見を変える予定はありません。
クライテリオンが無い所で、底意・暗喩・ほのめかしを議論する姿勢が、おかしいと思います」との事ですが、WikipediaではWikipedia:合意形成により物事を決めますので、(クライテリオンが判断基準を意味するならば)判断基準がなかろうとも、それは、ケースバイケースで議論されます。そのため底意・暗喩・ほのめかしを議論することは問題ありません。
なぜならば、ウィキペディはGPLの補足であるGFDLに従ったルールを採用していて、そこにはguarantee your freedom to share and change all versions of a programと書かれていて、GFDLは、それのドキュメント用の補足事項だからです」との事ですが、まずGFDLがGPLを補足するからと言ってGFDLでライセンスされる著作物がGPLに拘束されることはありません。またGFDLで著作物をライセンスした著作者の思想・信条がGFDLまたはGPLで拘束されるわけではありません。ゆえに、個別のWikipediaの記載の底意・暗喩・ほのめかしを詮議しようとも個々の編集者がGPLまたはGFDLに違反するという話にはなりません。実際、Nozawa onsen pottaさんがWikipediaの全データを吸い上げ、新たにWikipediaとよく似た、Nozawa onsen pottaさんを管理者とするWeb百科事典サービスを始めることはできるのであり、WikipediaはNozawa onsen pottaさんに対し「guarantee your freedom to share and change」であることが保障されています。ゆえに個別のWikipediaの記載の底意・暗喩・ほのめかしを詮議しようともWikipediaがGFDLに違反したことにはなりません。
1)ひとつの記事にふたつの出展があれば、合成だと言われるなら、ここは記事を書く事が出来なくなります」とのことですが、ふたつの出典があっても合成にならないように記載すれば良いだけの話であり、合成にならないようになっているかどうかはWikipedia:合意形成により合意すれば良いだけの話です。多くの記事で個々の記述で、そのようなWikipedia:合意形成が行われていないのはWikipedia:雪玉条項の考えに則って、手順が省略されているに過ぎません。
これが独自研究だと言う主張も同様に、記事が書けなくなります」とのことですが、独自研究ならないように記載すれば良いだけの話であり、独自研究にならないようになっているかどうかはWikipedia:合意形成により合意すれば良いだけの話です。多くの記事で個々の記述で、そのようなWikipedia:合意形成が行われていないのはWikipedia:雪玉条項の考えに則って、手順が省略されているに過ぎません。
ある場合は良くて、ある場合は当たらないと言うのは、魔女裁判の理屈」とのことですが、記事によって対象も異なるし、出典も異なるし、議論の対象となる記載も異なります。これらはノートでWikipedia:合意形成して解決すれば良い話です。--Pemo会話2012年7月19日 (木) 04:23 (UTC)

>ゆえに個別のWikipediaの記載の底意・暗喩・ほのめかしを詮議しようともWikipediaがGFDLに違反したことにはなりません。

はい良くある、まとまりの付かないGPL系で良く聞かれる論旨です。GPL系は、普通の人が思う以上に誹謗中傷が酷い所が多く、こういった論旨で展開される議論で、おおよその体質が決まるようです。

それがGFDLに違反するとも思いませんが、やはり馬鹿げているとは思います。

>ふたつの出典があっても合成にならないように記載すれば良いだけの話であり、合成にならないようになっているかどうかはWikipedia:合意形成により合意

こうやって、プロジェクトが属人化して行くわけで、論理的な筋道の立たない管理者が居れば、イチコロで、期待できる品質は押してしるべしになるのがGPL系の特徴でもあります。

これも一般論として言っているわけで、だからどうしてと言ってる訳でもありません。

>独自研究ならないように記載すれば良いだけの話であり、独自研究にならないようになっているかどうかはWikipedia:合意形成により合意すれば良いだけの話です。

出典のある記事が独自研究であると言うのであれば、何を独自と言うのかも、合意形成であり、早い話が金太郎飴式の魔女裁判も可能と言うことですね。

いや、こういう所だと言われるのであれば、否定しませんよ。--Nozawa onsen potta会話2012年7月19日 (木) 13:11 (UTC)

金太郎飴式の魔女裁判>製品品質の悪いGPL系に、とても良く見られる現象なので、説明だけしておきます。屁理屈1号的な管理者をGPL系で見つけた場合、批判や指摘は、ほとんど無意味なのが多くの場合は実状だと思います。そこを糾弾した所で、ほとんどの場合は、屁理屈2号が居るので、結局は何ら体質が変化することも無いのが普通です。GPL系は製品品質が気に入らない場合は建前は参加することになりますが、ダメな所はどこも、屁理屈1号、屁理屈2号と言った感じの、金太郎飴式の管理者である事が多く、どういうものか決まって合意形成云々言う建前で、論理性を欠いた魔女裁判を行うものです。これを詮議しても、どこもそうだから仕方ないことであると思って居ます。--Nozawa onsen potta会話2012年7月19日 (木) 13:31 (UTC)

>統計に基づくと定められているわけではないので、ルールの解釈と記述統計との比較は無意味です。

記述統計を例にして話せば、いつのまにか、ここのルールが統計に基づくと定められているとでも言ったような発言。こういうのは充分に屁理屈2号的だと思います。その場その場で合意を形成するのだとしても、こんなことだと難しいと思います。けどこういうのも良く見られる話なので、驚きもしませんよ。--Nozawa onsen potta会話2012年7月19日 (木) 13:58 (UTC)

まず、ルールの欠陥に関するPemoさんの指摘について。私は、Wikipedia:独自研究は載せないというルールを無視しなければならないケースだとは思っていません。理由は第一に、「情報の合成」が例示型一つに限られると考えないため、第二に、方針の文言をとらえて方針の無力化を帰結するような主張は無効とされるためです。
Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の例示は、ルールはあらゆるケースに備えているはずだという目でみるなら、欠陥でしょう。私は以前から、これでうまくいかないこともあるよな、とは思っていました。しかし一つの例示であって他の適用方法を排除しているわけではないと読むなら、そうでもありません。もっとうまい説明があるならそれに取り替えるべきですが、それがなされていないからといって、この例示を唯一の対象・解法とみなさなければならないわけではありません。
独自研究に関しては、内容評価に踏み込まず外形のみで判定可能な基準を作ることはできないと私は考えています。そういう基準を作ろうとすれば、厳しくしても、緩くしても、必ず不都合が出てきます。独自研究の方針は、資料について、だいたいこんなものというだけで、形式的な基準を示すことをあきらめていますが、各分野の執筆者はそれでだいたいうまくやっています。努力目標であっても、努力を意図的に放棄した加筆を弾くことは(簡単ではないけれど)可能です。「情報の合成」も同じで、機械的に締め付けを厳しくすると、要約や補足説明ができなくなり、ウィキペディアはスクラップ・ブックと化します。かといって機械的に緩めれば、今ここで見るような独自研究を許すことになってしまいます。
というわけで、理由はどうあれ、機械的適用が可能な明確な基準がないとみなす点では、Nozawa onsen pottaさん、Pemoさん、そして私は意見が一致しているようです。その先、明確な基準が示せないなら適用もできないというか、適用できるとするかで、Nozawa onsen pottaさんの意見と完全に分かれます。私に言わせれば、方針の目的が見失われていなければ、意味のある話し合いは可能です。はじめから独自研究を持ち込もうとした人でない限り、あるいは壊れたボットでない限り、何かしら下敷きはあるはずです。これは情報の合成による独自研究ではないか、という批判が出たとき、独自研究家でない執筆者は、いやこれはこういう一連の(あるいは単発の)報道なり評論なりがあってそれにのっとったものなのだ、とか、形式的は合成にみえるだろうがこの関係はこの分野では常識の範囲内なのだ、とか、いろいろ答えが返せるはずです。そうした答えがあれば後は、まったく無視すべきものか、少数意見として掲載すべきか、もはや揺るがぬ共通認識といっていいものなのか、いろいろ勘案して文章を練ることになるでしょう。しんどい議論になるかもしれませんが、魔女裁判などではない理性的な討議が可能です。
そういう答えをせず、方針の文言をとらえて方針を無効化しようとする解釈が出された場合は、率直におかしいと言わなければなりません。私は、Pemoさんが指摘したように、ここでのNozawa onsen pottaさんの主張はWikipedia:腕ずくで解決しようとしないがいう「法律家ごっこ」にあたると考えています。そこには、法律家ごっことは「方針の精神を無視して方針の表面上の字面だけを厳密に追っていき、自分勝手な議論や解釈をすることを意味します。方針の意図するところや精神に準じていない、方針への解釈、訴求(見解の主張)、行為は無効です。」とあります。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいに手を伸ばすまでもありません。
次に、Nozawa onsen pottaさんの2012年7月18日 (水) 15:30[19]以下に対して。私は多数の新聞・雑誌記事に目を通した上で、星占い等の記述に直接該当するものも、それに類する方向の記述もなかった、と述べました。Nozawa onsen pottaさんはどうやらそのことを承知されていたか、じゅうぶん予期されていたようですね[20]。ところがNozawa onsen pottaさんはさらに出典のない主張を重ねています[21]。「瞬間湯沸かし器のように、すぐ怒る人」とはどんな資料にあるのでしょうか。私が見た中にはまったく触れられていませんでした。また、その次にある(2)の幹部とはAjitaさんのことなのでしょうが、今問題にしている記事と関係がありません。その直後に示された出版社に関するリンクも記事の内容と関係ありません。一連の発言は、Nozawa onsen pottaさんが独自研究の発表の場を求めて参加しており、かつ強烈なアンチの感情を持つ関係者であることを自ら認めたものではないか、とさえ私には思えてしまいます。ともかく、「瞬間湯沸かし器のように、すぐ怒る人」の情報源を教えてください。--Kinori会話2012年7月19日 (木) 17:36 (UTC)

しんどい議論になるかもしれませんが、魔女裁判などではない理性的な討議が可能です。>可能な場合もあるとは思います。しかし多くは金太郎飴式の魔女裁判が行われているのも事実だと思います。宝くじは3億円当たる可能性があるからと言って期待値はマイナスなのであって、3億円当たる可能性を語って、一般的なマイナスの期待値を無視するようなありかたが、まともな管理指針であるとは思ってもいません。

独自研究ですが、出典がある時点で、独自でも無ければ研究でも無いです。と言うか、この解釈に関しては、実際の運用上は、どこまでも正しいとでもしない限り、良く言えば合意形成、一般的には魔女裁判になると思います。

合成に関しても。で繋がっている文章を合成ととると、同様な結果になるでしょう。

ともかく、「瞬間湯沸かし器のように、すぐ怒る人」の情報源を教えてください。>実物がそうだと言っているのでして、ノートで実物の話をしてはいけないと言うルールも見当たりませんが、ルールを論理的に解釈できない人が、またある時はルールに則ったような発言をするから玉虫色になるのであって、それでいて合意云々は、魔女裁判にしかならない典型的なケースだと思います。また出典をつけた刑事事件については、発言されない所も魔女裁判的ですよね?気の弱い私にすれば屁理屈2号が、同調してこない事を祈るしかなくなります。--Nozawa onsen potta会話2012年7月19日 (木) 21:41 (UTC)

>機械的に締め付けを厳しくすると、要約や補足説明ができなくなり、ウィキペディアはスクラップ・ブックと化します。かといって機械的に緩めれば、今ここで見るような独自研究を許すことになってしまいます。

これなんかも、根本的に論理性を問えない方の発言として受け止めるなら理解可能な範囲に入りますが、論理性を理解できる方であれば、金太郎飴を通り越してアパルトヘイト型構造と言う風に格上げして理解することになります。

1)独自研究を厳しく問えば、スクラップブックになる。

2)さらに厳しくすれば、スクラップブックにも、ならなくなる。

と思います。

発言してらっしゃるのは、独自研究を、さらに厳しく問う事を、希望してらっしゃるのに、自分では緩めたように理解される言うのであれば、魔女裁判もいいところです。また、これが行われるのはアパルトヘイト型の構造そのものです。

しかし論理性を問えない方に、これを主張するつもりもありません。ただし身の程は、わきまえて欲しいものだとは強く思いますし、魔女裁判なら尚更仕方ないとも思いますけどね? --Nozawa onsen potta会話2012年7月20日 (金) 00:54 (UTC)

世の中には、色んな人がいらっしゃるので、カレーを見てラーメンと思う人もいると思います。またカレーこそがラーメンだと確信を持って答える人もいることでしょう。こういう方は、こういう前提を踏まえた上で思考なり論理を組み立てますので、当のご本人には、弁証論的な世界が広がるのだろうと思いますが、こういう方と合意を形成するのは、困難です。また本当に合意形成しないといけないものか、どうかも、かなり疑問が残ります。合成や独自研究だと主張されるのは、まさにカレーこそがラーメンだ!と主張なさる方と認識しており、合意が大事だよ?と言われると、こういう場合でも、そうなのかなぁ?と考え、あぐねています。で、これでホント管理者なのかと思うと、かなり悲しくなります。--Nozawa onsen potta会話2012年7月20日 (金) 13:15 (UTC)

(Kinoriさんに対しまして)どうしても私の説明自体も「Ajitaさんの削除行為が妥当であったか否か」と「当該部分を本文に載せるには、どういう形が良いか」が混ざってしまい旨く説明できていないのですが、「当該部分を本文に載せるには、どういう形が良いか」にだけに関して考えるなら、論争になっている記述[22]のうち、Wikipedia:独自研究は載せないの「直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」に該当しない資料、すなわちスマナサーラさんに対する記述が無い文献に基づく部分だけを「直接関連」が無い事を理由に「出典の無い記述」であることに基づき除去すれば良い話だとは思われませんか。これは外形的判断基準に基づき可能な事です。なにもわざわざ内容的判断、すなわち「合成であるか=底意があるか」「その底意が批判的であるか」を争う(合意する)必要は無いと考えます。その後に「直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」に該当する資料に基づく文章の、記載の是非を争えば良いと考えます。
「合成であるか=底意があるか」「その底意が批判的であるか」を争う必要があるのは「Ajitaさんの削除行為が妥当であったか否か」を論じる場合のみであり、それは実際に「出典無き批判は除去に基づき議論を行わずに除去」を行ったAjitaさんが責任を持って行えば良い話だと考えます。そのためにはAjitaさん自身がWikipedia:論争の解決に基づいて行動すれば良いのであって、方針やガイドラインのどの記述に沿っているのか細かく主張し、その上で「合成であり」「批判的である」旨主張して、コメント依頼を行い第三者の意見を集め、それでもNozawa onsen pottaさんが、それを認めなければ投稿ブロック依頼をすればよいでしょう。私はAjitaさんがそれをしないのは、結局のところAjitaさん自身がWikipediaのルールを遵守する意識が低いからではないかと疑っています。方針やガイドラインのどの記述に沿っているのか細かく主張すれば、今後、自分自身が、そのルールを破りにくくなります。コメント依頼や投稿ブロック依頼を行えば、依頼者に対しても第三者からコメントが付き、それを無視しづらくなります。そういったリスクを避けているのではないかと疑っています。
私は上記のような立場であるため、心情的にはKinoriさんのご意見の方向性に関して賛同するのですが、(Nozawa onsen pottaさんの主張が全て正しいとは思いませんが)Kinoriさんの論旨に、以下の通り、気になる点があります。
  • 理由は第一に、「情報の合成」が例示型一つに限られると考えないため」とありますが、「情報の合成」が例示型一つに限らないとしても、既存の例示では「句点(。)で区切られた文章を「また」で接続したもの」が合成でないことを認めてしまっているのです。例示されていない未知の文体が「情報の合成」であったとしても「句点(。)で区切られた文章を「また」で接続したもの」が合成ではないことは覆りません(だからこのルールは欠陥だと申し上げています。今回の事例から「句点(。)で区切られた文章を「また」で接続したもの」でも暗喩・ほのめかしを行うのは容易であることは明らかです)。
  • しかし一つの例示であって他の適用方法を排除しているわけではないと読むなら、そうでもありません」や「例示を唯一の対象・解法とみなさなければならないわけではありません」も同様です。「他の適用方法を排除して」いなかろうとも今回の文の適用方法であれば合成ではないと取れるし、例示通り対象に例示通りの解法を適用しないとするならば、別の理屈が必要です。私の主張は、その別の理屈を検討すると、それは結局のところWikipedia:ルールすべてを無視しなさいに基づいて「今回のケースに限ってWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成における「この文章は「この結果」ではなく「また」で接続されなければなりません」というルールは無視しましょう」というWikipedia:合意形成をするのが最も妥当ではないですかというものです(ややこしくて申し訳ないですが、これはAjitaさんの削除行為が妥当であったか否か」を論じる場合の話です。「当該部分を本文に載せるには、どういう形が良いか」のみ話すのであれば、このような事は、そもそも議論する必要すら無いと考えています)。
  • 独自研究に関しては、内容評価に踏み込まず外形のみで判定可能な基準を作ることはできないと私は考えています」に関しては論理的に弱いと考えます。「外形のみで判定可能な基準を作ることはできない」からと言って、「外形のみで判定可能な基準」を「内容評価」によって覆してしまうのには、非常に抑制的であるべきだと考えます。
  • 「情報の合成」も同じで、機械的に締め付けを厳しくすると、要約や補足説明ができなくなり、ウィキペディアはスクラップ・ブックと化します」に関しまして。本件の問題からずれてしまいますが、ご意見には同意できません。「情報の合成」はもっと機械的に締め付けるべきであり、その締め付ける方向は「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」に基づくか否かであると考えます。「機械的に締め付けを厳しくすると、要約や補足説明ができなく」なると考えるのは、それが「文の接続」によって締め付けようとする方向だからであると考えます。そもそもWikipedia:独自研究は載せないの「つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。詳細は次節「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」を参照してください。」にあるとおり「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」とは元来「その記事の主題に関連する形で既に発表されていなければなりません」というルールを補足する解説だったのです。翻訳直後の「シカゴマニュアルの話[23]」では「分析や解釈をウィキペディアで発表する際には、信頼できる情報源を通してその主題に対して行われたまったく同趣旨の分析や解釈が既に発表されていなければならないのです」とあるように「その記事の主題に関連する形」であることが重視されています。しかしながら「ゴンリナーゼの話[24]」に差し替えられたときに、例文から「その記事の主題に関連する形で既に発表されていなければなりません」という趣旨が抜け、現状のような「文の接続」が重視される例文になりました。文の接続を重視するルールであるために締め付けると「要約や補足説明ができなくなり、ウィキペディアはスクラップ・ブックと化」するという話になるのであり、「その記事の主題に関連する形」であることを締め付けるようにすれば、文の接続方法に関しては、比較的自由度が残り「約や補足説明ができなくなり、ウィキペディアはスクラップ・ブックと化」する懸念がなくなると考えます。
  • 理由はどうあれ、機械的適用が可能な明確な基準がないとみなす点では、Nozawa onsen pottaさん、Pemoさん、そして私は意見が一致しているようです」は誤解です。私自身が議論を綺麗に分割できていないのが、問題なのだとは思いますが、私の意見は、「Ajitaさんの削除行為が妥当であったか否か」に関しては機械的適用が可能な明確な基準がなく、「当該部分を本文に載せるには、どういう形が良いか」に関しては機械的適用が可能な明確な基準があり、後者の基準とはWikipedia:独自研究は載せないの「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述する」である、というものです。さらに後者に関しては、わざわざ「合成であるか=底意があるか」「その底意が批判的であるか」を争う必要は無いという考えです。
  • 独自研究家でない執筆者は…魔女裁判などではない理性的な討議が可能です」という指摘は、結局のところKinoriさんの個人的な見解に過ぎません。相手に「独自研究家」とレッテルを張り、いわゆる「内容評価」に基づいて論陣を張り、態度が理性的では無いと主張しています。しかしながら実はこれはNozawa onsen pottaさんが主張していることと、質・量ともに遥かにましではありますが、同列の意見主張だと思います。「いろいろ答えが返せるはずです」とありますが、実際にNozawa onsen pottaさんはいろいろ答えを返してますよ。その一つが「句点(。)で区切られた文章を「また」で接続したもの」だから合成ではないし底意は無いというものだと考えています。そこを真正面から捕らえずに「いろいろ答えが返せるはずです」とす返してしまうのでは、水掛け論だと思います。
  • Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいに手を伸ばすまでもありません」に関しては弁解させて下さい。私は「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「法律家ごっこ」」には2種類あると考えています。「ルールの側にも不備がある」ところを突いた場合と、「ルールの側には不備はない」にもかかわらず強弁する場合です。私はどちらに対しても「法律家ごっこ」は適用可能だと考えますが、しかしながら「ルールの側にも不備がある」場合に「法律家ごっこ」を適用するのが可能なのはWikipedia:ルールすべてを無視しなさいというルールが存在するからこそ可能なのだ考えています。そのため、私自身は「ルールの側にも不備がある」と認識しているため、「合成であるか=底意があるか」「その底意が批判的であるか」を争い、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「法律家ごっこ」であることを主張するのであれば、その「法律家ごっこ」であるとの主張には、すべからくWikipedia:ルールすべてを無視しなさいの適用が伴っていると考えているため、既出の通りの発言となりました。Kinoriさんは「ルールの側にも不備がある」ことを前提に論陣を張っているわけではないので、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいに手を伸ばす必要は無いと主張するのはもっともな話であり、そこを争う気はありません。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいを持ち出したのは不適当でした。申し訳ありません。言いたかったことは「合成であるか=底意があるか」「その底意が批判的であるか」を論じるなら、論争になっている記述[25]が「句点(。)で区切られた文章を「また」で接続したもの」であることを真正面から捕らえ、その上で「今回のケースに限ってWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成における「この文章は「この結果」ではなく「また」で接続されなければなりません」というルールは無視しましょう」というWikipedia:合意形成をきちんと行うべきではないかということです。それをしないのであれば、「合成であるか=底意があるか」「その底意が批判的であるか」を論じるのはあきらめ、ただ単にスマナサーラさんに対する記述が無い文献に基づく部分だけを「直接関連」が無い事を理由に「出典の無い記述」であることに基づき除去すれば良いと思っています。
  • 私は多数の新聞・雑誌記事に目を通した上で、星占い等の記述に直接該当するものも、それに類する方向の記述もなかった」に関してはも、これはKinoriさんの個人的な見解に過ぎません。多数の新聞・雑誌記事に目を通したことにより可能な事は、目を通した新聞・雑誌記事に基づいて、その記載にそった記述を足すことです。それ以外の主張には使うから議論が混乱するのだと思います。Kinoriさんが自身の知識により(加筆以外の)主張を行うことは、Nozawa onsen pottaさんが自身の知識(瞬間湯沸かし器のように、すぐ怒る人と言った知識)に対しては同列の理屈です。水掛け論だと思います。
  • 一連の発言は、Nozawa onsen pottaさんが独自研究の発表の場を求めて参加しており、かつ強烈なアンチの感情を持つ関係者であることを自ら認めたものではないか、とさえ私には思えてしまいます」もKinoriさんの個人的な見解に過ぎません。Nozawa onsen pottaさんが強烈なアンチの感情を持っているであろうことは私も同じ推測をしていますが、それは、論争相手の立場を問題視した理屈です。Nozawa onsen pottaさんが過去に、Nozawa onsen pottaさんに敵対する論者にいちいち「教団関係者」かなどと質問したのと同列の議論であり、水掛け論だと思います。相手の立場を問題視するなら、ルールの解釈のみに基づいて理論を構築し、その上でルールを厳格に適用すべきケースであることを主張する場合に、プラスアルファとして相手の立場を問題視すべきです。
上記の通りKinoriさんの主張には、私からすれば(質・量ともに遥かにましではありますが)Nozawa onsen pottaさんの主張と同列の主張が含まれ、それは水掛け論になってしまうと考えます。水掛け論になった場合は、平行線になっている部分を、コメント依頼などを使って合意を進めていくのがWikipedia:論争の解決の方法だと思います。本来これはAjitaさんが責任を持って行えば良い話でありKinoriさんが介入しても議論が長引くだけではないかと危惧しています。
繰り返しますが私は本件は、「合成であるか=底意があるか」「その底意が批判的であるか」を争う必要は無く、論争になっている記述[26]のうち、Wikipedia:独自研究は載せないの「直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」に該当しない資料、すなわちスマナサーラさんに対する記述が無い文献に基づく部分だけを「直接関連」が無い事を理由に「出典の無い記述」であることに基づき除去し、その後に「直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」に該当する資料に基づく文章の、記載の是非を争えば良いと考えます。
実際、私は2012年6月10日 (日) 10:37の段階でその旨(スマナサーラ氏に直接関連しないのは明らかです。だから載せるべきではありません、と)[27]主張し、「直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」との文言の解釈においてNozawa onsen pottaさんが2012年6月10日 (日) 13:07段階で異論[28]を主張されましたが、全く納得いかない主張であるため、コメント依頼を行う事とし、2012年6月10日 (日) 15:18段階で「法律家ごっこ」に基づくコメント依頼を行う旨[29]主張し、2012年6月10日 (日) 15:51段階でコメント依頼を行う事の合意[30]はできていました。そこへAjitaさんが議論を行わない強行な除去[31]を行って、現在に至っています。
Ajitaさんが私のやり方を気に食わないのであれば、それはしかたありません。私のやりかただと「コメント依頼を通じて「出典の無い記述」であること合意し、実際に削除されるまで」の間、論争になっている記述[32]が本文ページ上で公開された状態になります。この論争になっている記述[33]が実態としては「出典無き批判」であることは、私も心情的に理解していますし、一時であれ「出典無き批判」が掲載されているのが納得いかないというのであれば、それも道理かとは思います。
そのため、Ajitaさんが「合成であるか=底意があるか」「その底意が批判的であるか」を論じ、あくまで本件を「出典無き批判」として解決しようとするなら、それを待とうと思っていましたが、すでに一ヶ月以上まっても、Ajitaさんは基本的に当初と変わらぬ主張を繰り返すばかりであり、議論も水掛け論になってしまっているように思えます。
今でも、私は、Ajitaさんであれ、Kinoriさんであれ、あくまで「出典無き批判」であるという路線(私にとってはそれは「Ajitaさんの削除行為が妥当であったか否か」の議論をしているだけとは思っています)にて推し進めるのであれば、待つべきかとは考えていますが、ぜひ、水掛け論にならないような議論を行うなり、積極的に自分からコメント依頼を行うなりして合意に至るよう努力してほしいです。
Kinoriさんから見れば、私の態度はAjitaさんとNozawa onsen pottaさんとに対するもので、温度差があると感じられるかもしれません。そのことは認めます。しかしながら私は(過去に長らくAjitaさんが掲載を希望していた)「初期仏教長老」等の記載の除去を提案し[34]、その反映を、今回のページ保護により阻害されている状態です(Kinoriさんは「初期仏教長老」の記述に関しては「#スマナサーラ氏の初期仏教帰属に関して以下の話し合いで問題部分が除去されたのは良いことでした[35]」とされていますが、私にとっては、この反映が終わらないかぎり、現在進行形の未解決の問題です)。私から見れば「私が行おうとしているAjitaさんにとって不利な編集が、Ajitaさんの強行的な編集および不誠実な議論態度により、阻害され反映が延期されている」状態です。そのことに関しては、大変不満を感じています。その点はぜひご理解願います。
またKinoriさんより「次にある(2)の幹部とはAjitaさんのことなのでしょうが」…「強烈なアンチの感情を持つ関係者であることを自ら認めたもの」との発言がありました。私もAjitaさんの立場に関して宗教団体の幹部である旨[36]主張している立場であるため、弁明しておきますが、Ajitaさんは日本テーラワーダ仏教協会の事務局長の佐藤哲朗さんです。
こちらに佐藤哲朗さんのプロフィール[37]があり、記載されているツイッターアカウント(@naagita[38])を参照するとhttp://d.hatena.ne.jp/ajita/[39]が佐藤哲朗さんのhatenaブログであることが判ります。
このhatenaブログの2007-02-07の記載[40]にてWikipediaの初転法輪の記事を記載した旨記述があり、実際に記載されており[41]、それを行ったのは、Ajitaさんであり、Ajitaさんが佐藤哲朗さんであることは明白です。
私はAjitaさんはアルボムッレ・スマナサーラさんやシャム派を直接信仰する宗教法人の事務局長さんであり、その関係はWikipedia:自分自身の記事をつくらないで言うところの「その他もろもろのあなたが利害関係を有することがら」に該当するため、これらおよび日本テーラワーダ仏教協会の記事に関してはWikipedia:自分自身の記事をつくらないに従い「自分自身で編集するのではなく、記事のノートページで出典となりうる情報や、編集の提案をし、あなたとは利害関係にない人物が記事を編集するのを待」つか「提案を行って、合意を得てから編集する」ようにすべきである旨、コメントしました[42]。しかしながら、現在に至っても、私のコメントは無視されたままだと感じています。重ねて、私は、一回目のAjitaさんの除去行為において、スマナサーラさんの直接関連のある情報を提供している資料に基づく部分に関し「スマナサーラ氏に直接関連のある情報を提供している資料に基づいている文もあり、議論無く削除すべきではなく、ノートで変更や削除を提案し、合意を得てから変更・削除を行うべき[43]」である旨助言しましたが、これは明らかに無視されました。
そもそも、仮にAjitaさん強行な除去を行うにしろ、上記助言に従ってくれていれば、今回のページ保護は、保護後に「合成であるか、批判的であるかは関係が無い。削除した部分は「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」に反しているので「出典が無い」ので削除した」との合意を議論の参加者で行って(それに対しNozawa onsen pottaさんが強行に合意を妨害すれば、その妨害を理由としてNozawa onsen pottaさんが投稿ブロックに至って)、話としては終わりになっていたのではないかと考えています。
上記の点より、私はAjitaさんに対して、大変不満を感じています。そのため私の態度にAjitaさんとNozawa onsen pottaさんとに対するもので、温度差があるのは認めます。しかしながら、それが理由あってのことであることは、ぜひ、ご理解願います。--Pemo会話2012年7月20日 (金) 14:28 (UTC)

削除した部分は「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、>カレーをラーメンと疑いもせず認識する方は多いようです。

森鴎外は石見国津和野の出身である。[出典]津和野は稲荷神社が有名である。[出典]

とした場合、後ろは出展が無いと言う主張のようです。これで出典が無い事を理由に削除が、まかり通れば、人物の属性などは、全く記述不能になり、結果として、ここはスクラップブックにも、ならなくなるでしょう。いや稲荷神社なら良いと言うのは、魔女裁判だろうし、こんな屁理屈を前提にして合意しろと言うのは、本格的に、いわれの無い話だと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年7月20日 (金) 15:44 (UTC)

森鴎外は石見国津和野の出身である。[出典]津和野は鯉ヘルペスで鯉が全滅した。[出典]

とすれば底意があって、アンチ森鴎外に、されてしまうのだろうし、出典も無いから全文削除されてしまうのが、ここの常識と言う見解のようで、論理性のカケラも無い話の典型だと思います。これでコメント依頼を出せば通るのでしょうかね?本当に恐ろしい所ですね。--Nozawa onsen potta会話2012年7月20日 (金) 16:05 (UTC)

森鴎外は石見国津和野の出身である。[出典]津和野は稲荷神社が有名である。[出典]」という例に関しまして。「後ろは出展が無いと言う主張のようです」とのことですが、そういう主張です。「人物の属性などは、全く記述不能」とのことですが、それは誤解です。
まず第一に、人の属性に関して重要なものは、その人物に言及した資料においても語られます。これらは「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」にて語られているわけですから、その人物の記事で出典として利用できるし、記述できます。
次にWikipediaにおいては、常識的な記述、すなわち疑わしくなく有害ではない記述は、出典が無くても残しておくべきとされています。つまり、出典が無い記述を除去しない事、すなわち出典が無いことを黙認することは自由なのです。そのため、そのページの編集に参加している編集者すべてが「疑わしくなく有害ではない」と判断した記述、すなわち、全員一致で出典が無いことを黙認された記述は、出典が無くても除去されることはありません。Wikipediaのそれぞれのページにおいて、多くの出典が無い記述が存在するのは、そういう理由です。
これら2点のため「人物の属性などは、全く記述不能」ということにはなりません。
森鴎外は石見国津和野の出身である。[出典]津和野は鯉ヘルペスで鯉が全滅した。[出典]」という例に関しまして。「出典も無いから全文削除されてしまう」とのことですが、それも誤解です。出典が無いと扱うべきと私が主張しているのは後半部分だけです。前半の「森鴎外は石見国津和野の出身である。[出典]」は出典があるのですから残ります。--Pemo会話2012年7月20日 (金) 18:01 (UTC)

私は介護員の資格を持たないので、どうも付いて行き難いものを感じます。

>常識的な記述、すなわち疑わしくなく有害ではない記述は、出典が無くても残しておくべきとされています。

削除が妥当であれば、日本の学術機関などは、非常識で疑わしく有害であると言う事になります。これだと結局は誹謗中傷説と同じ論理になります。私は、この論理のほうが誹謗中傷なのでは無いのか?と思います。疑わしくもなく有害でもなければ残しておけと言うのであれば、これに準拠すれば当然残すと言うのが、カレーがカレーに見える人の論理です。--Nozawa onsen potta会話2012年7月20日 (金) 22:19 (UTC)

ほのめかしによる魔女裁判を、ルールによる根拠があるものと見せ掛ける努力は

1)なんだか心が貧しい人じゃないのか?

2)論理性が破綻してる人って何でも言うもんな?

と言う風に映るわけですが、多勢に無勢なら受け入れざるを得ないのが、合意形成と言う事なのか?と思います。ほんと怖いですね。--Nozawa onsen potta会話2012年7月20日 (金) 22:36 (UTC)

編集者すべてが「疑わしくなく有害ではない」と判断した記述>

なるほど、すべての編集者の中には、カレーがラーメンに見える人や、魔女裁判をしたくて仕方ない人も当然含まれるので、だからこれに該当すると言う論旨ですね。論旨としては理解出来ますが、現実問題として、どうかなぁ?と思いますけど?--Nozawa onsen potta会話2012年7月21日 (土) 02:50 (UTC)

Ajitaさんが佐藤哲朗さんであることは明白です。>わたしもそうだと思いますが断定しません。また彼が教団幹部だから悪いとも思っていません。そうでは無くて、記述はルールに従わず、他人の出典付きの削除も私のだけでも無いから、宣伝行為だと思うので悪いと思っています。また私は言われなくてもアンチでも何でも構いません。海外の悪質な宗教が日本で営業することを全く好ましいとは思っていないし、上記のような宣伝行為を長々と許し続けるウイキペディアのほうが問題だと思っているからです。GPL系で無ければ、しこたま文句言って終わりにしますが、GPL系なので、カレーとラーメンの違いの判らないような方とも、こうして議論をしています。PREAMBLEにあるguarantee your freedom to share and changeの代償が、こういう形の議論に巻き込まれる理由なのだと思っています。 --Nozawa onsen potta会話2012年7月21日 (土) 04:28 (UTC)

guarantee your freedom to share and changeの代償が>

製品品質には保証が無いGPL系は、freedom to share and changeに関しては、どこまでも責任を持って欲しいものですが、実際には金太郎飴式な悪質管理者の所も多いです。これに関しても実質無保証です。--Nozawa onsen potta会話2012年7月21日 (土) 04:40 (UTC)

GPL系はfreedom to share and changeですから、どなたに対しても、freedom to share and changeで無ければなりません。ですから勘違い1号や唐変木2号と思われる人とも、対話を拒否出来ないのですが、カレーとラーメンの判別が出来ない人の製品品質は、それなりになっても仕方ありません。全てのGPLが、そうではありませんが、そういうプロジェクトも多くあります。--Nozawa onsen potta会話2012年7月21日 (土) 04:55 (UTC)

つか、別に出展があるのを削除して良い道理があると言うのは、必ずしも論理性が破綻してる人や、魔女裁判好きの人の発言では無くても妥当性がある場合もあるだろうとは思いますよ。但し合意形成が基本だと言う理由で、ここだけの話にして金太郎飴式管理者の連携プレーで破棄させようとするのは、頂けないなと思っております。それこそコメント依頼なり、ブロック依頼なりを提出し、より汎用的に問えば良いのではありませんか?私は論理性の欠如した魔女裁判だと、その場で述べると思いますが、かならずしも全面的に通るとも思っていません。なぜならば論理性の欠落した人や、欠落していなくても軽視する人は当然含まれますからね。より合法的に魔女裁判が出来てよろしいのではありませんかね?--Nozawa onsen potta会話2012年7月21日 (土) 22:22 (UTC)

合成の、または、にしても、私はここがクライテリオンが無い場合の限界を示すものだと言いましたが、厳密に言えば、やや限界を越えていると感じています。ここのルールは拡大解釈すれば、すぐに相反的になるように出来ていて、そういう意味では限界を越えてきているのでは無いかと思うからです。拡大解釈を許すのであれば、文句を言われても、全てを忘れてください。でもOKだろうし、さらにルールを突き付けられたら、法律ごっこは止めてください。でもOKでしょう?ルールには、ハイラルキがあり、自ずと規程出来る限界があるのだと言う前提を受け入れていれば、もちろんこんな事は言えないわけですが、論理性の破綻している人には、これは問えないわけだし、なんとかルールのせいにしたい魔女裁判好きは、論理性と組み合わせて悪用するだけでしょう。さらに、こういう人らが連携すれば鬼に金棒な訳ですが、こういうのもGPL系では、よく見られる話だと言ってしまえば、それまでです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月21日 (土) 22:54 (UTC)

>Wikipediaにおいては、常識的な記述、すなわち疑わしくなく有害ではない記述は、出典が無くても残しておくべきとされています。

これだけがルールと見做し、ルールに連携性が無い独立なものだと言う前提に立つものとします。 その場合においては、常識的な記述かどうかの判断が伴うわけですが、破棄するのであれば、行政機関や学術機関などの出典を、常識的な記述かどうか判断することになります。もちろん必ずしも、これらが、常識的とは限りませんので一概にどうと言うのは言いきれないかも知れませんが、ほとんどの場合は、採択が難しいことはあっても、破棄が妥当とされる水準に至るとも思えないわけです。実際には他のルールもあるわけですから、尚更でしょう。説明変数の話で説明すると、長々と最初から論点を外した記述をする方も見受けられますが、クライテリオンが無いのだから、説明変数の説明に関しては選択論の話がおよぶ道理も無いわけで、ここを詮議すると魔女裁判になるのは明らかです。場合によっては、合意が形成され推敲されていく場合もあるとは思いますし、それを模索すべきだと思いますが、これは宝くじの一等と同じ事で、期待値が低いのであります。いずれにしても論理性の破綻した魔女裁判は、なさりたい方はなさるのでしょうが、出来ればやらないほうが、民主的だと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年7月21日 (土) 23:35 (UTC)

これも論理性の無い方に強要は出来ない話ですが、普通に言えば、採択/破棄の二段階では無く、採択/どっちでもない/破棄と、最低でも三段階あるのが、論理的と思われる人の考え方です。採択の領域に無いから、自動的に破棄の領域に入るわけでもなく、これじゃ何とも言えないねぇ?と言う領域に入るとするのが論理性のある判断です。また破棄であれば破棄領域の基準が必要な話であり、こういう手順を、すっとばして進められるのが魔女裁判の典型だと言えるでしょう。論理性の無い方が、論理性ごっこをするからと言うのも魔女裁判が起きる前提のひとつだと言うことです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月21日 (土) 23:49 (UTC)

出展がある記事が独自研究に見えるほど論理性を欠いた方々には説明が更に難しくなりますが、採択/どっちでもない/破棄の三段構造にした場合、一般的に最も大きな領域は、中間の、どっちでもないに属します。ルールは破棄の入り口を規程するものであるとすれば、尚更この解釈は一般性を増していくものです。もちろん魔女裁判では、この逆になります。--Nozawa onsen potta会話2012年7月22日 (日) 00:14 (UTC)

採択/破棄の二段階にして、更に破棄領域を大きく取れば、IP氏の言うような解釈は何にでも、なりたちうるわけですが、これは文句を言われたときに、法律ごっこをやめろ!と言うよりは、かなり強力に摘要出来る、法律ごっこ違反だと言うことです。だから魔女裁判だろ?と言ってるわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月22日 (日) 00:25 (UTC)

更には合意形成を盾にして、ここだけの話で終わらせようとするから悪意を感じるわけですが、だったらコメント依頼でもブロック依頼でも出せば?と言っておりますので、私としては、これ以上の説明責任を持つものとも思っておりません。ぜひ合成なり、独自研究なり、お好きなもので依頼を掛けて下さいませ。もちろん依頼の場でさえ魔女裁判理論が通用する可能性は充分あると思います。--Nozawa onsen potta会話2012年7月22日 (日) 00:42 (UTC)

勘違いされても困るので、最後にひとつだけ。依頼の場で魔女裁判理論が採択されても、それを不当とし反論することも致しません。よくわかりました。ここは、こういう場なのですね?と理解するだけです。これでも私の編集目的としては充分な達成だと判断しているからです。また、これをネタにして、よそで、ここの悪口も言いません。事実は事実として伝える事はあるかもしれませんが、誇張する気もありませんので、ご安心くださいませ。--Nozawa onsen potta会話2012年7月22日 (日) 01:19 (UTC)

これでも私の編集目的としては充分な達成だと判断しているからです。>なぜならば、ここは教団用の宣伝メディアなんだな?と理解するからです。かと言って、あそこってプロパガンダ大辞典だよね?とかは他では言わないと言うことです。論理性を欠く魔女裁判の場とも言いません。これなら良いでしょう?--Nozawa onsen potta会話2012年7月22日 (日) 01:32 (UTC)

Pemoさんが部分的除去を推したことは承知していますし、その論旨には反対していません。その上で、(名誉毀損を理由とする)Ajitaさんとは別に、私の考えで全部除去を提案しています。2012年7月15日 (日) 00:15[44]の最後の2段落で私が述べたのは、部分的除去で残るものは雑多な断片的情報でしかなく、ウィキペディアの品質を向上させるというより劣化させるものだから、除去すべきだ、ということです。方針上の根拠は、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるになるでしょう。そしてそれだけでなく、(次に来るかもしれない)直接関係する出典を集めて情報を合成しようとする試みを挫くことにもなります。Pemoさんのように方針文書に精密機械のような厳密さを求めると、方針の作成者に過大な負担を負わせることになります。「欠陥」発見者に敬意をはらってその都度許すという方式は、ルール作成に関わる人にも個々の記事に関わる人にも余計な障害を作り出すことになるでしょう。何にせよ、「明文の方針に拠らなければ、本文の記述の除去を行なってはならない」というようなルールはないのです。望ましくないのは議論なしの除去であり、禁止されるのは合意を無視した除去です。
しかしもし、私の立論への違和感から全部削除に同意していただけないのでしたら、Pemoさんがあげる理由によって、部分削除についての合意を先行させましょう。それで保護解除を行い、#出典が無く「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に係る記載削除の提案 で合意済みの部分の除去も実施しましょう。全部削除についてはその後であらためて取り上げることにします。
そこでPemoさんの論旨にのっかって議論をします。「森鴎外は石見国津和野の出身である。[出典]津和野は稲荷神社が有名である。[出典]」以下の議論ですが、これは出典のあるなしではなく、記事の主題と関係しない文を除く、という話ですよね。出典はもちろん両方にあります。しかしこの節のはじめのほうでIPのPemoさんが論じられたように、片方は主題に直接関係ない文です。もしこの文章が森鴎外の記事の中にあるなら、鴎外と関係ない神社の話をする必要などまったくありません。だから除去すべき、となるでょう。もちろん、関係あるのだと力説するなら、今度は二つの文の関係に関する出典を要求されるわけで、結局除去しようという結論に変わりはないのですが。
それから、Nozawa onsen pottaさんには、私の質問に答えてくださりありがとうございました。「実物がそうだと言っている」というのは、Nozawa onsen pottaさんご自身の見聞によるということですね。検証可能な資料なく、個人的考えをもとに記事を編集するのは、ウィキペディアでは好ましくないこととされています。百科事典の人物記事は、インターネット利用者の口コミ情報を集めるものではありません。ウィキペディアは誰でも編集できることになっていますから、荒らし目的の嘘や、私怨による中傷には基本的に脆弱です。だからこそ、そうした疑いをもたれるような書き込みは軽々しくすべきではないし、もしそう読めるものを書き込むなら、権威ある情報源をもって裏付けなければならないのです。Nozawa onsen pottaさんによる「実物がそうだ」という言葉には、そうした裏付けがありません。ですから、「じゃ、なぜ実際のご本人が、瞬間湯沸かし器のように、すぐ怒る人なのでしょう?」という質問には、そのような事は知らないし、信じてもいない、としか答えようがありません。私が複数の記事に見つけた「著書が長く売れ続けており、「怒り」「怒らない」が注目されている」を否定する証拠としてとりあげることはできません。検証可能で権威ある資料の論評を否定するためには、何か別の、検証可能な資料を持ち出して、それと比較検討する必要があります。そして、だいたいお察しいただけてはいるでしょうが、私は出典至上主義ではないので、新聞・雑誌のような資料の誉め言葉でも、そのまますべて掲載してよい、というような考えは持っていません。百科事典の記事にふさわしいものになるよう適度に抑制的に切りそろえ、要約してやる必要があります。弱い根拠にもとどく批判については、さらに抑制的にする必要があると思うわけです。--Kinori会話2012年7月25日 (水) 05:30 (UTC)
Kinoriさんへ)私自身、十分自分の主張を整理できずに書いてしまっている部分があり、お見苦しい議論をおこなってしまったかもしれません。その点は申し訳ありませんでした。立論に違和感がある旨の主張になっておりましたが、結局のところ私自身が抵抗を感じたのは、振り返って考えればKinoriさんの提案の「スマナサーラ本人に関わりない慣習等は基本的に再掲載を禁じましょう。本人の発言などは、断片ではなく、本人の思想・行動の要約するために掲載するならもちろん賛成します」の部分が納得いかなかったからというものでした。提案のこの部分は文章があいまいで、これだと、スマナサーラさんに言及した資料の情報であっても「本人の思想・行動の要約するため」という内容的判断に基づいて除去・掲載の間で議論になってしまい、より混乱を増加させるのではないかと思ったためです。
上記を踏まえ「部分削除についての合意を先行」し保護解除を申請し「全部削除についてはその後であらためて取り上げる」とのご意見に、もちろん同意します(といっても、AjitaさんやNozawa onsen pottaさんに納得いただかなければ話にならなので、両者に対して、その旨対応いただけるよう提案することに同意するという話ですが)。
ところで、「部分的除去で残るものは雑多な断片的情報でしかなく、ウィキペディアの品質を向上させるというより劣化させるものだから、除去すべきだ、ということです。方針上の根拠は、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるになるでしょう」という意見には異論はないのですが、結局のところ「、(次に来るかもしれない)直接関係する出典を集めて情報を合成しようとする試みを挫くことにもなります」という部分にまったく納得がいかないがゆえに、以前の様な主張を行った次第です。「次に来るかもしれない直接関係する出典を集めて情報を合成しようとする試みを挫く」ためにすべきことは、ルールの改定であるはずだというのが主張であり、今回のケースは、いちいちそこを議論せずとも、部分除去で対応可能だという主張です。ルールの改定議論は、こちらの問題が片付いてから後ほどゆっくりやればいい話なのに、「私は、Wikipedia:独自研究は載せないというルールを無視しなければならないケースだとは思っていません」、「もっとうまい説明があるならそれに取り替えるべきですが、それがなされていないからといって、この例示を唯一の対象・解法とみなさなければならないわけではありません」、「独自研究に関しては、内容評価に踏み込まず外形のみで判定可能な基準を作ることはできないと私は考えています」といったご意見に基づけば、ルールの改定自体が不要であるとの結論さえ導かれてしまいます。これは、目の前の問題を早急に解決するために、Nozawa onsen pottaさんに対し、一切妥協しない態度を取ろうとするあまりに、現行ルールに瑕疵が無いことを過剰に強調しすぎていると感じ、異論をした次第です。
また「Pemoさんのように方針文書に精密機械のような厳密さを求めると」との事ですが、それは誤解です。私は、まず方針文書に従った解釈を行い、後に、それでカバーできない点はWikipedia:合意形成に基づいて解決するという順番は、ちゃんと守りましょうと言っているだけです。「句点(。)で区切られた文章を「また」で接続したものは合成ではない」という意見はWikipedia:独自研究は載せないを素直に読めば、一理ある主張であるという話であり、それを覆すには、まず、きちんとその主張に向きかって、どうするかをきちんとWikipedia:合意形成すべきだと言っているだけです。
「欠陥」発見者に敬意をはらってその都度許すという方式」というのは全くの誤解です。私は「許せ」等とは全く主張していません。私は「句点(。)で区切られた文章を「また」で接続したものは合成ではない」というのは一理ある主張であり、もしこれを無視するのは、(結果的に欠点を突いたとは考えますがそれでも)「明文化されたルールに従うことを主張する論者」を「Wikipedia:合意形成で覆す」ことではあるということは考慮すべきだと言っているだけです。「明文化されたルール」であっても「Wikipedia:合意形成で覆す」ことも時には必要です(そうでないと「方針の作成者に過大な負担を負わせることになります」というのは全く、そのとおりです)。しかしながら「明文化されたルールに従うことを主張する論者」を「Wikipedia:合意形成で覆す」のは、いわばルールに従っていると主張する論者を強引に「踏み潰す」行為です。敬意をはらうべきだといのは、「踏み潰す」のであれば、最低限、「踏み潰す」ことを自覚し、自分は相手を「踏み潰す」のだという覚悟を持って、それでも「踏み潰す」必要があるのだと主張した上で「踏み潰す」べきだと言っているにすぎません。私はAjitaさんからは、その覚悟を全く感じることができず、Kinoriさんに対しても、微妙に話をそらして、事を済ましてしまおうとしているのではないかという疑念を感じたため、異論をした次第です。
また「方針文書に精密機械のような厳密さを求めると、方針の作成者に過大な負担を負わせることになります」とのことですが、私は日本語版Wikipediaではルールの改善に対し非常に及び腰であり「問題発生時に、その問題の関係者のうち『だれが一番悪質か』のみを検討し『悪質である事』のみを理由に問題を解決する」傾向が強いと考えます。そのため「問題発生時に、方針文書に対する精密機械のような厳密な検討を怠っているため、いつまでの方針が改善されず、結果として、Wikipedia全体のコストを下げて上げている」と考えます。たとえば英語版のen:Wikipedia:No original researchを見ると以下の点が日本語版とは異なります。
  1. 何をもって「観点を推進するか」に関して「結論に」「誘導する」ことと「暗喩する」ことの両方が禁じられている。(「to reach or imply a conclusion 」)
  2. 「しかし」で繋いでも「また」で繋いでもダメであることが判る(すなわち接続方法が問題ではないことが判る)例文になっている。(「...peace and security, but since its creation...」「...peace and security, and since its creation...」)
  3. 結局のところ、記事の対象に関係する資料ではないからダメなのだというのが判る解説で結論付けられている。(「In other words, that precise analysis must have been published by a reliable source in relation to the topic before it can be published on Wikipedia.」)
  4. その上、「こういうような文体(文の接続)ならOKだ」というような解説は無い。
日本語版には日本語版なりに適したルールがあるのかもしれず、かならずしも英語版のルールが常に正しいとは申しませんが、少なくとも、今回のケースに関しては、もし日本語版ルールが上記4つの部分において、英語版と同等の記述になっていれば、Nozawa onsen pottaさんは、ほとんどの論拠を失っていたと考えます。翻訳後にこれだけの差が出たのということは、英語版でも今回のようなケースが発生し、しかもそれに対し、ルール側を改善してきた、ということだと思います。一方日本語版ルールが改善されていないのは、やはり「問題発生時に、その問題の関係者のうち『だれが一番悪質か』のみを検討し『悪質である事』のみを理由に問題を解決する」傾向があり、それが原因ではないかと考えます。ゆえに「方針文書に精密機械のような厳密さを求めると、方針の作成者に過大な負担を負わせることになります」とのご意見には反対します。
また「Pemoさんのように方針文書に精密機械のような厳密さを求めると」の点に関し、一点、別の点から。Kinoriさんから見て、私が「精密機械のような厳密さを求める」ように見えるのであれば、その点を全く否定できるものではありません。しかし、なぜ「精密機械のような厳密さを求める」かといえば、それは、どうしてもWikipedia:コメント依頼/AjitaでのNozawa onsen pottaさんへの対処と比較して考えてしまうからです。Wikipedia:コメント依頼/AjitaにおいてNozawa onsen pottaさんに対して最もフェアであった(と私が考える)Kinoriさんにこういう事を言ってもしかたないかもしれませんが、Wikipedia:コメント依頼/AjitaでのNozawa onsen pottaさんへの対処は、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」という精神から考えれば残忍であったと考えます。
特に納得いかないのは「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介されるが、日本では上座部仏教を部派仏教の中の一部派(分別説部)と表現することが多い(上座部を参照のこと)。ただし英語圏では分別説部(Vibhajjavaada)を初期仏教(Early Buddhism)の一学派と表現することは珍しくない。」という文の扱いです。この文はNozawa onsen pottaさんが削除[45]した段階では、「「初期仏教長老」と紹介される」部分に全く誰も出典を付けたことが無く、また部分的な出典はついていますが、これは明らかなWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成であり、しかも非常に悪質な合成です。細かい解説は省きますが、英語の用語と日本語の用語の定義の差異を巧みに利用した、はっきり言ってしまえば嘘の解説だと、私は考えます。
また「「初期仏教長老」と紹介される」部分に関しても、何度か説明しているように、非常に宣伝的・プロパガンダ的な内容だと考えます。これも内容判断になってしまうので、細かい解説は省きますが、要はスマナサーラさんに文責がありそうな場合(著書のプロフィール欄とか)では「スリランカ初期仏教長老」と書き、一方、スマナサーラさんに文責が低そうな場合(同じ本を紹介するWebサイトの宣伝・煽り文)では「初期仏教長老」と書くなど、巧みに使い分けられているのです。如何に巧みであるかは、Kinoriさんご自身が「スリランカ初期仏教の長老」という記述の資料を挙げて「初期仏教長老という肩書きも、それなりに使われています」と言ってしまうぐらい巧みなのです。
ですので、Nozawa onsen pottaさんがこれを「疑わしく有害」と判断するのはもっともであり、出典の無い「疑わしく有害」な記述を除去するのはWikipedia:出典を明記する#出典無き記載の扱いの「指摘したい箇所が疑わしくかつ有害である場合、記事から除去してください」のルール通りであり全く正当な行為なのです。しかもNozawa onsen pottaさんは、すでにノート:アルボムッレ・スマナサーラ#スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介されるが、日本では上座部仏教を部派仏教の中の一部派(分別説部)と表現することが多い(上座部を参照のこと)。以来、再三に渡り「異議」を申し立てておりWikipedia:検証可能性の「ウィキペディアに掲載される情報は信頼できるものでなければいけません。あらかじめ信頼できる情報源から公表、出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録してください。記事は可能なかぎり情報源を明記すべきです。情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます。」を満たした行動であり、なお更なんら落ち度がありません。異議は既に行われているのですから、異議に納得いかない側は、除去を受け入れた上で、本文上では除去された状態を維持したままノートで反駁を行うべき話だったのです。
もし微かに落ち度があるとしたら、それはルールに基づく行動であることを、自分で説明できなかった事でしょう。しかしそれを責めることは、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいというルールに対する違反です。
結局、Nozawa onsen pottaさんは、同時にシャム派に対して行っていた「絶賛継続中」とする記述[46]に対する非難とあわせて、この「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介…」の文の除去もリバートされてしまいます。しかし、この「絶賛継続中」は一発で投稿ブロックになっても不思議ではない悪質なものでありますが、だからと言って「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介…」に対して同様の対処を取るのは、まさにWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」に対する違反です。
そして、Nozawa onsen pottaさんは、そのことを(「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介…」の方は正当であったこと)を主張し、それに対する回答が無いことに異議を主張し、結果、そのことにより、議論が長引き、最後に捨て台詞を吐いたことにより、致命的となり、Wikipedia:コメント依頼/Ajitaが「強制的にクローズされる」という事態に至りました。これはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」からすれば、不当な結末だっと考えます。
そのため、私は非常に後悔しています。私はWikipedia:コメント依頼/Ajitaにおいて、Ajitaさんの立場に関して、指摘はしましたが、確定的な主張はしませんでした[47]。それはWikipedia:自分自身の記事をつくらないは、非常に制約が厳しいルールであるため、もしAjitaさんが実際に名乗りを上げなくても、実態として、よりノートでの議論に積極的になってくれれば、それで良いと考えていたからです。そのためNozawa onsen pottaさんがAjitaさんの立場を追求する[48]のも、止めるよう主張しました[49]
しかしながら、あんな結末(「強制的にクローズされる」)に至るとは思ってもおらず、あんな結末になるくらいだったら(どのみち、あそこで、私が多少何らかの主張を行っていたとしても、「絶賛継続中」とかの悪質さを見る限り結果は大差なかったとは思いますが)、せめてNozawa onsen pottaさんのコメント依頼での発言を止めるような主張はしなければよかったと思っています。その点に関して、大変後悔しています。
そのため現在、議論になっている編集を見ると、どうしても「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介…」と比べてしまうのです。ほかの方から見れば、現在議論になっている文の方が問題と感じるのだと思います。しかし、私から見れば、現在議論になっている文と、「スマナサーラ長老は「初期仏教長老」と紹介…」とを比べると、後者のほうが、遥かに悪質というのが私の評価なのです。
そのため、今回、議論においてWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の解釈に関しては可能な限り「相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」に従って、対応してしまうのです。この場合、私の考える「誠実な行動」とは、「可能な限りルールの外形的基準に則り、ルールを厳密かつ緻密に適用し」、「議論参加者の固有の認識に左右されるような、内容的判断を、避けられるだけ避ける」というものです。こういった行動が、Kinoriさんから見て「精密機械のような厳密さを求める」と見られてしまうのであれば、それはいたしかたありません。しかしながら、私自身は「ルールを精密機械のような厳密に適用すること」自体は、最終的には議論相手に対するフェアな対応になるのだと信じています。この意見に納得してくださいとは申しませんが、そういう風に考える人間もいるのだということは、許容いただければ幸いです。--Pemo会話) 2012年7月25日 (水) 14:20 (UTC) 一部修正--Pemo会話2012年7月25日 (水) 14:32 (UTC)

では結論を先に言いますね。いずれにしても削除には私は合意しませんので、依頼を提出して下さい。もちろん私を除く人で合意が成立し、それで削除をなさっても構いませんが、これは不服として私のほうから依頼を出すことになります。繰り返しますが、ここのルールは均衡するように出来ているので、何かの主張をしたい場合ルールを合成的に利用することが可能です。だからこそルールのハイラルキが判らない人が、ここのルールで主張するのは、かなり危険だと思っています。そうではなくて、この記事あたしゃ、なんだか嫌なんだけど、なんとかならない?って言われれば応じるつもりでしたが、かわいくないので拒否します。

次に宣伝やプロパガンダに関しては、全く寛容な所も、結局は論理性の欠如した、いわばタガの緩んだ、ここの管理体制があって、こういう事が起きているわけで、更には、それがいつまでも改善しない所は、全く許しがたい所なのですが、改善する気すら見られない事に関しては、かなり不服があります。と言うか、こないだの依頼にしても、反対には、別の白紙化の荒らしや、その友達まで参加していて、だらしない、ここの管理体制を象徴するような出来事と思い笑ってしまいましたが、下のほうでajitaが、ふんぞりかえっているのも、更にお友達を連れてくる準備OKって事なんだろうなと思ってみています。まぁそれもこれもハイラルキどころか、機械的な判断すら出来ない人らが管理してるのだから仕方ない事なんだと思っていますが、今後依頼を出しても更に難易度は上がっていると見積っています。けどまぁ、そんなのどうでも良い事なのだろうから、ここで、うだうだと、やっていれるわけですよね?

論理性の破綻した管理をする限り、宣伝やプロパガンダに寛容な所は続くのだろうし、ajitaをブロックしても、他の別の奴が出てくるだけの話で、結局は同じ事だと思い、私もここで付き合っていますが、ひとつには、かなり諦めムードだと言うのもあります。

と言うことで、おふたりで合意され削除が妥当と思われるのであれば、私は記事を掲載しますので、削除なさって下さい。その時は私が依頼を出すことにします。もちろん、おひとりでも構わないわけですが、これだと幾ら論理破綻している人でも合意に至るとは思わないでしょうから、他の、お友達でも連れていらして、強制的に合意を形成なさって下さい。また合意なんか形成されなくても依頼を出して構わないと宣言しているので、さっさといらっしゃっても構わないですよ?と言うか、よりこちらのほうが問題だと言う風に比重が変わってきています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月25日 (水) 17:43 (UTC)

「絶賛継続中」とかの悪質さを>

この件は大変に舌足らずだったと思って反省していますが、スリランカのアパルトヘイトの維持にはシャム派のカーストの絶賛が必須事項である事に関しては間違いの無い話だと思っています。もちろん出展を付けなかったから悪質だと言われるならその通りですが、チャンドリカ・クマーラトゥンガ前大統領の父親のソロモン・バンダラナイケ首相の射殺も僧侶による犯行だったわけで、こういう悪質さを持った宗教にあまりにも寛大なウイキペディアの管理って、実際どんななってるんだろう?と大変疑問を感じています。あそこの国はサンガ間の結合そのものは緩く階級だけで分れているわけで、こんな出典は幾らでも掛かるので、こういう構造や出来事はすぐに判る事ではあると思います。--Nozawa onsen potta会話2012年7月25日 (水) 18:14 (UTC)

要はスマナサーラさんに文責がありそうな場合(著書のプロフィール欄とか)では「スリランカ初期仏教長老」と書き、一方、スマナサーラさんに文責が低そうな場合(同じ本を紹介するWebサイトの宣伝・煽り文)では「初期仏教長老」と書くなど、巧みに使い分けられているのです。>

と言うか、この営業戦略を誰が立てたのかも知っています。また、それを立てた人とも何度か、お会いしているし、けれどそれは、そうでもしなければ営業できないようなスリランカの実態があるから仕方ないのだと思っていました。薄暗がりで、こそこそとやってるうちは、それでも黙っていましたが、百科辞典にまで、同じ調子で事務局長自らが出てくるのは、心底許しがたく、最初は、ここの人らは実態を知らないから仕方ないか?と思っていました。だからあれこれ誰でも読めるような出典を、あれこれの記事に付けて回っています。また巧みさに関しては、知れば知るほど、たいしたもので、相手が気がつかなければ何でも言う輩です。けれどそういう実態も、かなり明確になった上で、こんな調子なのだから、やはり実質的にプロパガンダに寛容な体質と言う風に受け止めています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月25日 (水) 18:43 (UTC)

私は行法マニアなところがあるので、宗教は隣畑と言う事で多少は普通の人よりは詳しいですが、興味そのものは全くありません。また仕事がGPL系なのですがGFDLは普段は拒否している事もあり、それが更に百科事典の編集と言うことだと、もっと関心が無いのです。と言うか、ここがまさかGFDL系だとは思ってもいませんでした。と言う事で、あれこれ失礼もしましたが、GPL系のGFDL下で、このプロパガンダに容認な体質は、全く理解が行かないものです。ご存知無い方も情報が行き渡れば、当然ささっと解決するので、長居することも無いと思っていました。--Nozawa onsen potta会話2012年7月25日 (水) 19:09 (UTC)

日本だとオウム関連は悪く言われていますが、これはカルトで殺人もしたからだと思います。またオウム関連の人は悪く言われています。しかしスリランカはカルトどころかアパルトヘイトです。死者や難民の数も、オウムとは全く比較になりません。またオウムは国務長官の狙撃を失敗していますが、スリランカは首相の射殺に成功しています。こういう宗教の方に余りに寛大な百科辞典と言うのは、そもそもかなり変だし、更にGPL系だと言うのも、まずこの部分が全く理解出来ません。--Nozawa onsen potta会話2012年7月25日 (水) 19:43 (UTC)

相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」からすれば、不当な結末だっと考えます。そのため、私は非常に後悔しています。>

その前に、コロコロとHNを変えるのは、やめたほうが良いです。これもGPL系ではありえない話で、確実に荒らしとして扱われるやりかたです。匿名希望と書く時でさえHNを変える事が無いから顔見知りでは無くても信用できるわけです。あれこれがGPL系だとは思えないことばかり起きています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月25日 (水) 22:48 (UTC)

あれこれ総合的に思う事として、ここは管理者の解任動議なんか無いシステムなのかな?と思っています。これだとさすがに一発で解任動議が通るのが大半のGPL系だと思います。少なくとも機能しているとは、とても思えないです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月25日 (水) 23:03 (UTC)

>もし微かに落ち度があるとしたら、それはルールに基づく行動であることを、自分で説明できなかった事でしょう。しかしそれを責めることは、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいというルールに対する違反です。

普通のGPL系は管理者のほうが苛められるので、REAMBLEにあるguarantee your freedom to share and changeを実施することは難しいのですよ。ここのyourには、新規参加者も、もちろん含まれるわけで、それこそ無茶苦茶なコーディングでも明らさまには否定出来ないです。だから管理者は本当にコリゴリな話ばかりです。ここの管理者はルールを曲げる事も平気なようで、うらやましい限りですが、おかげで悪質な宗教プロパガンダを書き込まれるのだと思います。また、それもいつまでも治らないのは、未だに何の問題だかも、判らない人らが管理を、やっているんだろうなと思います。解任動議なんか出したら全員解任されちゃって運営出来なくなるのか?と正直に心配になります。--Nozawa onsen potta会話2012年7月25日 (水) 23:24 (UTC)

と言うか、こんな状況になってすら、解任動議の話も出ないのだから、つまり出しても無駄な所なのでしょう。と言うか、こちらとしても見込みの無い所の事を構ってばかりもいれませんが精密機械のように正確なんて所は笑ってしまって、何も言えませんが、逆に実際に如何に、ずさんなのかを気が付かないだけの話です。自分は、ずさんなまま、他人には押し付けだけされれば、誰だってムカつくのは当然な話だと思いますが、論理の破綻した方の、ご本人なりの弁証論のようで、全く手に追えません。--Nozawa onsen potta会話2012年7月26日 (木) 04:39 (UTC)

シャム派のカースト絶賛ですが、一応きちんと説明しておきます。イギリスの植民地政策は、インドを拠点とするもので、スリランカやビルマなどは、インドに管理させていた二重の管理政策でした。スリランカのインド人のタミル人は、この為に、スリランカ人である、シンハラ人を統治していましたが、植民地政策が終了し、こんどはシンハラ人に迫害されるようになりました。タミル人もシンハラ人も、各々が独自のカースト制度を持つ人達なので、お互いがアウトカーストです。江戸時代に再輸入した仏教を軸にしてシンハラ人がマイノリティを無視して統治するので内戦が起き死者だけでも10万人規模の内戦になりましたが、これにしたところで、カーストを肯定しなければ起きない事です。この頂点にあるのがシャム派なわけですが、こういったアパルトヘイト構造を維持する為には、どうやってもカーストを絶賛継続するしか無いわけです。仏教僧侶が和平に協力的だと、国の経済行政の資料なんかにまで、特記事項として記述されてしまうような話です。資料が必要なら、お出ししますが、こういう状況なので、絶賛継続中と言うのが実状なのですが、直接絶賛継続中と書かれた資料は無いので、独自研究かもしれません。しかしここの管理者の発言によればスクラップブックでは無い範囲だからOKになってしまう範囲です。ただし私はこれの掲載の継続を望まないので、これを撤回しました。けどここの管理者が言ってるような発言が本当に正当であるなら、消すことも無かったなと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月26日 (木) 06:15 (UTC)

ここは管理者だけは、その場その場で都合よく能書きを垂れて、他の編集者は、それに従えと言うアパルトヘイト構造なのでしょうか?スクラップブック理論に従って、絶賛継続中を復活させれば、また別の玉虫色発言を、なさるだけだとは思いますけどね?と言うことで、絶賛継続中の悪意と言われても少なくとも、ここでは何の事やら判りません。充分、精密機械の範囲ですよね?--Nozawa onsen potta会話2012年7月26日 (木) 07:09 (UTC)

さぁ、ささっと、私を除く人で合意を得るか、無理なら、よそから人を連れてきて合意するかしてください。お待ちしてます。--Nozawa onsen potta会話2012年7月26日 (木) 21:36 (UTC)

調べてみましたが、解任動議案そのものが提出された件数は結構ありますが解任動議でクビになった人は過去に居ないんですね。こんなGPLも始めてみました。完璧なアパルトヘイトだから、論理性が崩壊した人の弁証論も管理者であれば充分通ると言うことなんですね。[50]--Nozawa onsen potta会話2012年7月27日 (金) 11:11 (UTC)

間違いでした。解任動議案は過去に65人出ていて、そのうち議決による解任は5人のようです。まぁ完璧なと言ったら言い過ぎで、強固なアパルトヘイトと言う所でしょうか。--Nozawa onsen potta会話2012年7月27日 (金) 11:41 (UTC)

参加者としての言動に問題があるが、管理者権限の濫用はない場合、態度を改めたり謝罪をしたりして信用を回復できるなら辞任の理由にはならない。>

今のところ管理者権限の濫用は無いと思って居ますが、信用を回復できる可能性も無いと思います。態度を改めろと言っても、本人の能力の問題だから難しく、また謝罪もしそうもありませんね。ルールの微妙なところを付いて来てると言うことですね。--Nozawa onsen potta会話2012年7月27日 (金) 11:49 (UTC)

Pemoさんのお返事の第三段落以降の論点は、主に問題箇所の全部除去にかかわることと、AjitaさんとKinoriの態度に対する不満ですので、部分的除去の話がまとまるまで、しばらく意見表明を控えたいと思います。それでは困るとか、返答しないなら暗黙の同意とみなすとか言われるようでしたら応接しますが、まとまりそうな部分を先にまとめたい、というのが私の願いです。
Nozawa onsen pottaさんは、部分的でも全部でも、問題箇所の除去には反対で、とにかく何かの依頼を出すということですね。編集内容に関しての依頼なら、このノートをコメント依頼に出すのがてっとり早いです。そして、絶対に反対だというなら、実際そうせざるをえないだろうと思います。それから、私に対してそこまで強い不信を抱いているなら、それについてはここではなく、私に対するコメント依頼を出して主張すべきだと思います。
繰り返して今の私の提案を述べますと、このノートの#Ajita氏が削除をくり返してきました節の2012年6月6日 (水) 00:14 (UTC)で引用された、枠に囲まれた文章のうち、太字部分の除去を行なおうということです。直近の編集合戦の対象は微妙に文言が違いますが[51]、紛らわしくなるようなものではありません。この部分除去から残る部分は、保護解除後に復帰させます。これとあわせて、#出典が無く「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に係る記載削除の提案で示された部分的除去に賛成します。対象部分は保護された現在版に掲載されているので、保護解除後に除去を行ないます。ここまでを保護解除に向けた当面の合意事項にします。問題箇所のさらなる除去、あるいは掲載に関しては、必要なら以上の実施を見とどけた後に続いて議論します。その結果修正の合意ができるならそのように編集しますが、合意ができないうちにさらなる除去を行なったり、上の合意で除去された部分を復帰させることは厳禁とします。以上の提案につき、今まで意見を出したユーザーも、そうでない方も含め、みなさんの考えをお聞かせください。--Kinori会話2012年7月27日 (金) 15:46 (UTC)
問題箇所の全部除去にかかわることと、AjitaさんとKinoriの態度に対する不満」に関し棚上げすることに同意します。ただKinoriさんがそのように認識されている部分の後者は、私にとっては、
  • 問題箇所を一気に全部除去しようとしないことが、なぜ意味があるかという解説
  • 内容的な判断しかできない論点を拡大するのは無駄だという主張
  • 「相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」というルールを守ることへの主張
  • 上記に対するKinoriさんからの疑義・異議に対するさらなる補足説明
にすぎず、またそれを主張したのは「議論を可能な限り外形的な判断基準で解決できる問題に落とし込む」ためであり、私自身もまた「まとまりそうな部分を先にまとめたい、というのが私の願い」であったためです。それを「AjitaさんとKinoriの態度に対する不満」と一刀両断されたことは大変不満だったという点は主張させて頂きます(この見解の相違についても棚上げすることに同意します)。
提案に関しまして、2点。
  • #出典が無く「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に係る記載削除の提案に関しては、保護解除への合意事項に入れて頂かなくてもかまいません。前に提案してから時間もたってますので、保護解除のあかつきには、再度、ノートでの提案・合意を行って、その上で除去します。
  • 部分除去から残る部分は、保護解除後に復帰」に関しては「復帰」まで保護解除の合意事項にする必要は無く「誰かが復帰した場合は、それ以降、ノートでの議論・合意が無い間は除去しない」という合意で十分では無いかと考えます。
--Pemo会話2012年7月27日 (金) 19:49 (UTC)

私に対してそこまで強い不信を抱いているなら、それについてはここではなく、私に対するコメント依頼を出して主張すべきだと思います。>

はい抱いています。またコメント依頼ではなく解任動議を検討しています。あれこれ見ても発言に論理性を感じないし、それを強行なさろうとする所は、いわゆる横車の典型だと映っているからです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月27日 (金) 22:25 (UTC)

誰かが復帰した場合は>

ここで言う誰かと言うのがajitaの事なら、復帰の前にブロックにならないだろうと思っています。ここの議論を先に片付けてからブロック依頼は出すつもりですが、あれはあれで、そこまでマヌケとも思えません。次にブロックが通って、記事が解除された場合の事ですが、ajitaが削除したぶんを、本当は上げ直しても、上げなくても良いと思っています。ただし管理者の方が横車としか思えない発言を繰り替えされるので、こちらとしても教鞭に反対してるだけの事です。また今度は上げないように合意を取り付けようとなさっているので、そういう事であれば、私にとって本当はどちらでも良いajitaが削除した部分を再掲せざるを得なくなると思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月27日 (金) 22:43 (UTC)

そんな事より、わからず屋の管理者が居るので、ブロック依頼を出すのが遅れています。出しても前回同様にヨコヤリを入れてきそうです。更にajitaも体制を強化してるでしょう。--Nozawa onsen potta会話2012年7月27日 (金) 22:52 (UTC)

ajitaが削除を繰り替えしている文章ですが、私にとっては上げ直しても、上げ直さなくても良いものですが、上げ直さなくても良いのであれば、削除したって良いだろう?と言われるのは困るわけです。だからこちらとしても教鞭に反対しているわけです。しかしいつまでも、こんな単純な事が管理者には判らないようで長引いています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月27日 (金) 23:08 (UTC)

と言うか、管理者であるなら、教団の無料宣伝雑誌としてしかウイキペディアを見ない行動しか取らない人に、どう対応されて行くつもりなのでしょうかね?それは既にしっかり出来ているので、お前の意見なんか要らないよと言われれれば、それはそれで良いのです。しかし現実は全く治らない上に、今度は管理者が出てきて、対応を不能にしようとします。そしてそれが、さも正当であるように振る舞われるから、解任動議に値すると考えています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月27日 (金) 23:45 (UTC)

保護解除のあかつきには、再度、ノートでの提案・合意を行って、その上で除去します。>

ブロックが決まらないから保護解除にもならないと思って居ますが、保護解除の後で、どうすれば私が合意するのかは、ほのめかし以上に、はっきりとしていると思います。また、こちらから譲歩すことでも無いと思いますが、保護解除が行われた直後に記事を再掲しようとも思っていません。ただし、これを約束しないのは、強弁な姿勢の管理者が居る為であり、解任動議を出されるまでも無く、辞任なさるべきだと思います。またブロックが決まった場合の復帰なさる頃を見計らっての再掲は最低でも行うつもりです。この時にブロックが決まった方が、きちんと対応なさるのであれば不問とし、記事を削除します。--Nozawa onsen potta会話2012年7月28日 (土) 01:07 (UTC)

逆から言えば、ブロックに行けないのも、論理的に破綻している強弁な姿勢の管理者が居る為であり、また何のヨコヤリを飛ばしてくるか判らない状況です。そもそもヨコヤリを飛ばさなくてもブロックが決まるとも思っていません。こういう状況で関係している管理者が責任を問われないのは、おかしいと思っているし、かと言って何らかの代替手段を提示しているわけでも無いわけです。その上で、こちらばかりに負担を掛けてくる事に対して、強い憤りを感じています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月28日 (土) 03:08 (UTC)

と言うか、そもそもajitaのような教団の宣伝行為での編集を許し続け、対応策も無いのは、ここの管理体制が根本的にヌケているからであり、これについては全く議論すらされていないわけです。管理者としての責任が、まず問われるのは、この部分であり、まがいなりにも対応して行っている事に対しても邪魔する管理者さえいます。どういう責任感を持って管理なさっているのか、さっぱり判らないわけです。少なくとも道理の通らない能書きを垂れてヨコヤリを入れてくる管理者は即刻辞任して頂きたい所です。--Nozawa onsen potta会話2012年7月28日 (土) 07:37 (UTC)

どこまで行ってもルールを勝手に解釈するか、私のせいにするか、このいずれかしか行われていないし、これらには積極的なのに、自分らの管理能力の欠如に関しては全く不問のようです。自分らなりにも対応していれば、私も怒ったりしませんが、これがゼロな上で、無理筋な能書きだけを垂れるから、救いようが無いわけです。こちらとしては手の内を、ほぼ全面的に公開しています。とても、やりにくいですが、それでも責任感の無い発言だけを繰り返し行う方の、どこが管理者としての資質があると言うのでしょうか?少しは考えて頂きたい所です。--Nozawa onsen potta会話2012年7月28日 (土) 08:01 (UTC)

Nozawa onsen pottaさんは、私が管理者であることを強調しますが、私はこの問題に関し、管理者として対応しているわけではありません。日本語版には、管理者は自分が直接関与したことについて管理者権限を行使すべきではない、という規範があります。私は既に論争の当事者ですから、この問題に関して管理者権限を行使することはありません。しかし、管理者も一人のユーザーですから、一ユーザーとしてコメントしたり、投票したり、提案したりすることはあります。Ajitaさんに対する最初のコメント依頼から今まで、私は終始一ユーザーとして発言しています。管理者だから特別に重視されるのも、管理者としての特別の責任を問われるのも困ります。一ユーザーの提案として検討してください。--Kinori会話2012年7月29日 (日) 03:37 (UTC)

どこまでも、こすずるく薄汚い人ですね。メンバーだろうが管理者だろうが、他に提示された手段の無い方法をヨコヤリを入れて機能しなくさせるのは問題です。また管理者は管理者としての発言に問題が無くても一般ユーザーの言動に問題があれば、管理者権限を乱用しなくても辞任する事が規則に掛かれています。もちろん信頼を回復できる場合は、別だと掛かれれいますが、ここまで揉まして時間を経過させた後に、信頼が回復できるとも流石に思わないでしょう?少なくとも私は二度と信用しません。と言うことで即刻、辞任なさって下さい。--Nozawa onsen potta会話2012年7月29日 (日) 05:26 (UTC)

上記発言の冒頭一文、暴言として3日間ブロックいたしました。--アイザール会話2012年7月29日 (日) 05:32 (UTC)

管理者の指示に従い、上記を訂正致しました。暴言でであった事をお詫び致します。 --Nozawa onsen potta会話2012年8月5日 (日) 08:57 (UTC)

29日にWikipedia:コメント依頼に掲載しました。私に辞任を要求するなら私の会話ページ、解任動議をおこすならそのための別のページがあります。私は記事の方針を定めることが第一に必要なことで、それが達成されればあとは付随問題として片付けられると考えています。ここはアルボムッレ・スマナサーラという項目のノートなのですから、この項目をどう編集するかに議論を集中してください。--Kinori会話2012年7月31日 (火) 00:13 (UTC)

「この項目をどう編集するかに」に関しまして。以下を提案します。
  1. 今後、このアルボムッレ・スマナサーラの項目においては、Wikipedia:独自研究は載せないの「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」というルールならびにWikipedia:存命人物の伝記#どのように書くべきかの「記事はどこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです。場合によっては当該人物自身によって公表されたものを文章化する方がよいかもしれません。同情的・擁護的視点にも偏らないよう、中立的に、事実に即し、ウィキペディアの各方針を他の記事よりも厳密に遵守しながら書いてください。」に則り、信頼できる第三者情報源がアルボムッレ・スマナサーラについて直接言及した上で出版・公表した資料に基づかない記述であり、かつ、アルボムッレ・スマナサーラ自身によって公表された資料に基づかない記述は、出典の無い記述と看做す。
  2. Wikipedia:検証可能性の「情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます」というルールに則り、(上記1.の場合も含めた)出典の無い記述に関しては、除去を希望する編集者がノートで異議を申し立てた場合は、まず、除去を行った上で、ノートにおいて掲載するか否かを議論することとし、掲載する旨、合意に至った場合に再掲載する。
  3. 出典の有る記述に関しては、その掲載を存続させることを希望する編集者がいる場合は、その記述を掲載した状態のまま、ノートにおいて掲載するか否かを議論することとし、除去する旨、合意に至った場合に除去する。
  4. Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去に基づき(上記1.の場合も含めた)出典の無い記述により批判が行われている場合は、早急に除去する。ただし、(上記1.の場合も含めた)出典の無い記述と出典の有る記述とが記載され、それが組み合わさることにより結果としてアルボムッレ・スマナサーラに対する批判となっている場合は(上記1.の場合も含めた)出典の無い記述の部分のみ除去し、残った部分に関しては上記3.に従って対処する。除去された(上記1.の場合も含めた)出典の無い記述の部分の再掲載を望む編集者は上記2.に従って対処する。
  5. 混乱を避けるため、現段階でこのアルボムッレ・スマナサーラの項目に記載されている記述に関しては上記2.にかかわらず、出典の無い記述に関しても、その掲載を存続させることを希望する編集者がいる場合は、その記述を掲載した状態のまま、ノートにおいて掲載するか否かを議論することとし、除去する旨、合意に至った場合に除去する。
--Pemo会話) 2012年7月31日 (火) 05:11 (UTC) 一部追加--Pemo会話2012年7月31日 (火) 05:20 (UTC)
私が棚上げしようと言った論点が含まれているようですが、Pemoさんは部分的除去の提案には興味を失った、ということですか。--Kinori会話2012年7月31日 (火) 13:16 (UTC)
ちょっとまってください。「私が棚上げしようと言った論点」とは「問題箇所の全部除去にかかわることと、AjitaさんとKinoriの態度に対する不満」だったはずです。もし上記の私の意見が、これらの論点に触るというのであれば、私がKinoriさんの主張する論点を理解できていないからであり、強引に無視しようとは思っていません。
まず、過去のコメント依頼などの経緯や、今回の保護の原因となった除去の妥当性の有無を棚上げし、提案の先頭に「今後」と入れました。
また内容に関して、上記1.は「部分削除」を行う場合に絶対に避けては通れない論点なはずです。現在Nozawa onsen pottaさんは「「直接関係」していないと言うのが判りません。シャム派はスリランカ仏教の最大派です。で、スリランカ仏教の記述があれば、直接重なっているわけです。」と主張されており、その主張を取り下げてはいません。つまり現在Nozawa onsen pottaさんは、問題となった記述の出典は全て「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」だという立場なはずです。
この論点に対し、このノートでは、何ら合意が行われていません。私とNozawa onsen pottaさんとの間で見解が対立し、そのまま現状に至っています。もしそのことに気づかずに今まで議論されてきたのであれば、今一度、Nozawa onsen pottaさんとの議論を読み返してください。この点に関しNozawa onsen pottaさんは問題となった記述の出典は全て「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」だという立場であるがゆえに、ルールを守っているのにいろんな人が現れて、ルールに無い合意をしようとしている旨、主張しているのだと考えています。
まず、ここに関してきちんと合意を形成しなければ、Nozawa onsen pottaさんにとって部分削除は、ルールに則った記述に対しルールに無い合意による除去の強行ということになります。だからNozawa onsen pottaさんは一歩も引かず、最終的に他者への不満に類する主張を行うに至っていると考えます。まず、全ては、上記1.の合意からであり、これは部分削除をするための絶対的に必要な合意なはずです。
次に、上記2.3.4.ですが、これはまさに部分削除の通りなはずです。問題の記述のうち、私が以前太字であつかった部分は、すなわち上記2.に該当するため、現状から復帰できず(すなわちKinoriさんのおっしゃる「枠に囲まれた文章のうち、太字部分の除去を行なおうということです」の通りなり)、残りの部分は上記3.に基づき、後に議論となります(すなわちKinoriさんのおっしゃる「問題箇所のさらなる除去、あるいは掲載に関しては、必要なら以上の実施を見とどけた後に続いて議論」の通りになります)。上記4.は、上記2.3.がWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去に反する合意とならないための但し書きです。
また、上記3.において「その掲載を存続させることを希望する編集者がいる場合は」と付けたのは、実際には合意により部分削除を行った場合、Nozawa onsen pottaさんは残りの部分の掲載にはこだわらないのではないかと予測したまでの話しです(そうであるなら、わざわざ一度、再掲載して、後に除去するのは無駄だからです)。これと上記5.は既に主張した以下の2点の意見を再度、明確化したにすぎません。
  • #出典が無く「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に係る記載削除の提案に関しては、保護解除への合意事項に入れて頂かなくてもかまいません。前に提案してから時間もたってますので、保護解除のあかつきには、再度、ノートでの提案・合意を行って、その上で除去します。
  • 部分除去から残る部分は、保護解除後に復帰」に関しては「復帰」まで保護解除の合意事項にする必要は無く「誰かが復帰した場合は、それ以降、ノートでの議論・合意が無い間は除去しない」という合意で十分では無いかと考えます。
これらには、Kinoriさんからご意見が付かなかったため、既にご納得済みかと考えていました。
ともかくこれらは、自分としては、全く「部分的除去の提案」の話しでありますし「興味を失っ」てもいません。ご納得いかない点があれば、もっと具体的に「ここが納得いかない」「ここが部分的除去の提案から外れた論点だ」と指摘願います。--Pemo会話2012年7月31日 (火) 15:38 (UTC)

上記のご提案ですが、承服しません。また私の方針は下記に示してあり、承服せずとも、必要性も無いものだと理解しています。自分らは犯罪的である幇助や教唆を、いつまでも続けながら、私には行きがけの駄賃も用意しないと言う姿勢は、充分に伝わりましたので、それ以上は結構です。

そもそもルールをどう解釈しようとも、本質的な編集や管理の姿勢に根本的な問題があるのだから、このまままで治る見込みがある筈も無く、ここだけを更に個別ルールを設定して逃げようと言う姿勢も全く納得出来ないものです。

GPL系は免責事項もあり、製品品質に無保証だから、こういう態度も容認されるのは理解出来るのですが、悪質な編集者と管理者が作り出す社会悪は、読者迷惑である事には違い無いわけです。

そういうカラクリを知らない読者は、ちまたでヨタ話を聞いて、百科事典で確認し、同じ事が書いてあれば、これは事実だと思うだけの事です。

こういう社会的な悪影響に対して無頓着な管理体質は、全く容認も理解できないものです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 02:33 (UTC)

別の見出しのもとに書かれたものもあわせ、昨日書き込まれた議論についてはまだ消化しきれていませんが、さしたる根拠もなしに犯罪的だの悪質だのいうのはどうかと思います。暴言によってブロックされた直後ではありませんか。とりあえずここでは、Pemoさんの最前の提案に感じた疑問について記します。
私ははじめ、あまり長引かずに多くの賛同を得られるだろうと考えて、7月に問題箇所の全部削除を提案しました。Pemoさんがルール解釈について異議を唱えたので、その予想は外れました。Pemoさんは、編集合戦(と私が新たに起こした議論)のせいで保護が長引き、Ajitaさんの加筆部分の除去ができないでいることにも不満をもらされました。おっしゃることはもっともだと考えましたので、長引く話をいったん取り下げて、Pemoさんが以前に提案した部分に限って賛成し、それを先にすませてしまおうと思いました。それが私が出した部分除去の「提案」です。二つとも、もともとPemoさんが出した提案ですから、Pemoさんは賛成するに違いないと思いました。
  • a) Nozawa onsen pottaさんの加筆部分については、一連の議論に加わった水原紡さんや、Ajitaさんも、理由についてはそれぞれ異なりましたが、除去に賛成でした。Nozawa onsen pottaの反対を押し切ることになりますが、ラフな合意は成立しうると思いました。
  • b) Ajitaさんの加筆の部分的除去については、PemoさんとNozawa onsen pottaさんの合意が既にありました。私が後から賛成し、当のAjitaさんを含め誰からの反対もないのですから、これは既に合意が成立していると思いました。
  • c) しかしPemoさんはそれと別の「部分的除去」を提案しました。具体的作業としてはa)と同じ部分に焦点をあてていますが、Pemoさんのルール解釈を前面に押し出したものです。Law somaさんの6月6日の発言はPemoさんの考えと同じといってよいものでしたが、Nozawa onsen pottaさんとKinoriはそれぞれ異なる理由で賛成せず、そのために議論が長引いていたのでした。
c)も「部分的除去」と呼ぶならそれもよいですが、私が考えていたa)は、誰か一人の主張を承認するというのでなく、最大多数の賛成が取付けられるように、そして編集合戦を再発させないようにまとめた上で、保護を解除しようというものでした。実際の作業が同じでも、c)のようにルール解釈で定式化されたものにまとめられると、私の抵抗感は強くなります。私の感じ方を除外しても、このabcの除去提案を賛成の度合いが強い・多い順に並べると、b、a、cだと思うのです。ところがPemoさんは既に合意済みと思えたbのほうを後回しにしようとおっしゃる。それよりむしろ簡単に合意ができる方法を先にするほうがよくはないでしょうか。
なお、「部分的に復帰する」とせず「誰かが復帰した場合には除去しない」というやり方には、私に反対する理由はありません。賛成としていただいて結構です。--Kinori会話2012年8月7日 (火) 12:10 (UTC)

まぁ、色々なやり方があるにせよGPL系で揉めた場合に、真っ先に出てくる標語の類にRough Consensus and Running Codeと言うのがあります。どうして揉めると、これが出てくるかと言えば、更にConsensusをRoughにしてRunning Codeを目指すからなのですが、ここはあれこれ規則を場当たり的に作って対応すると言う、これの逆を行おうとするし、また数人でまとまったら合意と看なそうとするやり方も、どこのGPL系でも、見られないやり方なんです。やはりルールや合意よりも、それ以前をしっかりしないと、何もならないように思うわけです。と言うか、きちんと管理されていれば、元々起きる筈のない問題が、ここまで悪化しているわけで、やはり姿勢そのものを根本的に問い直すほうが先だと思うわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 11:24 (UTC)

単純に、ここのルールで考えても、宣伝の除去を行うことは本来優先されるべき事ですが、これが遅れに遅れて来ているわけです。もちろん宣伝なのかどうかを判断する為の情報が不足していたから、宣伝かどうか見分けられなかったと言うのもあったかも知れませんが、これは、ここのルール構造が理解出来る人であれば、既に十分な文献を上げてきているわけです。宣伝を宣伝と判って全ての読者が読むわけではありませんので、読者迷惑な事が続いているわけです。どこの学校でも、どうやってインチキな宗教に掛からないか、かなり力を入れていますが、現在のここのあり方は、その逆を行っているわけで、早急に改善する必要があります。しかし同時に、そういう事を早めに止める管理体質に無ければ、ここで今回だけ対応しても、結局同じ事になるわけです。こういう資質の変化を促す検討が無いまま、合意と言うのも、うまく言っても場当たり的な対応にしかならないわけです。一方で職業的に宣伝を書き込む人に、ルールを説明しても、仕事優先だと言われればそんなのは通用しないわけです。こういう事を考えると、ここで行われようとしている事は、生兵法は大怪我の元と言われる類にしか見えないわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 11:39 (UTC)

そもそも悪い宗教だから宣伝してはいけないわけでもなく、宗教だろうが会社だろうが、それがとても良い所だろうが、ここで宣伝してはいけないわけです。更に宣伝内容が実際と異なり虚偽のものであれば、尚更いけないわけです。こういう、ここが悪宗教かどうか以前に、どうみても当たり前の事が当たり前に出来ていないのは、ルールの問題や合意などのコンセンサスの得方の問題では、全く無いわけです。しかしこういう所は全く話合われようとした形跡も無いにも関わらず、ルールだ!誰が悪い!コンセンサスだ!と言う風に議論が発展して行く所は、問題解決に必要な姿勢を示すつもりは全くないが、なにかやったふりだけをしたいと言う風にしか見えないわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 11:50 (UTC)

コソドロに刑法があるから、コソドロしちゃいけないんだよ?と言ってコソドロが止まるようならケーサツは要らないわけです。とくとくと相談して合意を得れば、コソドロをやめると言う道理もないし、コソドロお前わるいやっちゃな?と言っても無駄なわけです。また上記のどれを強化してもコソドロには効き目が無いからケームショと言う施設があるわけです。こういうのを当たり前だと思うわけですが、ここはどうもこの辺りからして色々と違うようです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 11:57 (UTC)

Rough Consensus and Running CodeのRough Consensusとは、こういう、ここのルール以前に当たり前な話のレベルに立ち返れと言うことです。新たにルールを場当たり的に追加したり、新たなコンセンサス(合意)を得ることではありません。そういう事をすれば、より属人化してしまってより解決は困難になります。こういうGPL系かどうかにすら関係ない当たり前のコンセンサスに戻して話を続けて下さい。--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 12:04 (UTC)

われながら、よそのGPL系で、こんな発言までしないといけないとは思ってもみませんでした。からかって悪かったと先に謝りますので、それ以前に正気になってください。まぁ普通は当然わかる事なので、とことんからかうだけなのですが、ここはこういう事すら言わないと判らないようです。そういう場合は言って判るかどうかも不明で不安ですが。。。--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 12:56 (UTC)

ウィキペディアかどうかに全く関係なく、公共の百科辞典に対して

1)宣伝を書き込むのはダメです。

2)ウソの宣伝は、もっとダメです。

3)ウソの宣伝目的でしか編集しない人がいます。

と言う状況で、新たなルールが必要だったり、新たなコンセンサスが必要だったりするわけがありません。正気になれば当然わかることです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 13:17 (UTC)

しかし、これが、いつまでも治らないし文句言っても無駄なので、不承不承にルールを覚え、出典を添えたり、まがいなりにもルールに則って対応しているわけです。しかしそれすら、ままならならず、今度は場当たり的なルール拡張や、場当たり的なコンセンサスの話が出てきているわけです。これだと、そういうルール以前に当たり前な対応を拒否してるとしか映らないわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 13:43 (UTC)

場当たり的なルール拡張や、場当たり的なコンセンサスで管理フィーを下げたいんだな?と言う風に捉えるわけですが、これと同様な視点を持つ人も結構いる筈です。しかし、こういう事をGPL系は極端に嫌うのは、余計に管理能力の低さを問われる事になり兼ねないからです。自転車の乗れる筈の管理者が、いざとなると補助輪を付けると言うのなら、誰だって、ここはダメだなと思うだけなわけです。もちろん管理者でなくとも、こんなことを主張すると、馬鹿にされるだけなんです。なんだか言ってて、こっちまで悲しくなります。こんなこと説明しないといけない事なのでしょうか?--Nozawa onsen potta会話2012年8月8日 (水) 14:08 (UTC)

Rough Consensus and Running Codeなる標語は、ウィキペディアとは関係ありません。Wikipedia:ページの編集は大胆にが近いかもしれませんが、とりあえずここで議論になっていることとは関係なさそうですね。
Ajitaさんに対する非難、それにひっかけてウィキペディアの管理体制に対する非難は、ここではなくコメント依頼等で述べるべきことです。Ajitaさんに対しては既にコメント依頼があり、ブロック依頼が出されました。そこでAjitaさんを「ウソの宣伝目的でしか編集しない人」とみなす人は、Nozawa onsen pottaさん以外にいませんでした。Ajitaさんが責められたのは、対話に対する消極姿勢です。この点はNozawa onsen pottaさんが認識を改めるべきでしょう。履歴をみても、Ajitaさんが主に書いた段階の版[52]に宣伝的内容はありませんでした。その後中傷的加筆が頻繁になって編集合戦が常態化し、Nozawa onsen pottaさんはその一人として参戦した[53]のが事実です。ウソの宣伝に対応したのに妨害を受けたと思っているようですが、傍目にはとてもそうは見えません。
そして、Ajitaさんの加筆の中で内容的に問題がある箇所は除去するよう提案され、今ここでもそうするように話を進めています。それと同時にNozawa onsen pottaさんの加筆の中の問題ある箇所を除去しようと提案しているのです。Ajitaさんに対する非難のトーンをあげたところで、Nozawa onsen pottaさんの加筆を残す理由にはなりません。
どんな問題があるかについては既に指摘しました。特定の観点を推進するための独自研究です。結局、ルール解釈部分を後回しにする提案にも簡単には賛成が得られないようですので、あらためてWikipedia:独自研究は載せないに即して意見を述べます。Nozawa onsen pottaさんが、信頼されている資料のスマナサーラ評に反することを承知の上で、自らの体験的印象にもとづいて「インチキ」と確信して書いていることは、ここまでのの発言で自ら明らかにしたことです。
スマナサーラは星占いを用いるスリランカの僧である(A)が、星占いを否定する発言をした(B)、というパターンで書かれた文を、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の2番目の例、テレビ出演(A)とオリコンチャート(B)を因果関係で結んだ文章と同等とみなし同等に扱うよう求める意見がありました。しかしそれは、「理解を深めるため」の「もう1つの例示」でしかないものに、他の方法を排除するような拘束力を持たせている点で、読み誤りだと思います。拘束力があるルールは例示ではなく本文のほうでしょう。
そして、Nozawa onsen pottaさんによる加筆がこの例示にあてはまるかも疑問です。テレビ出演(A)とオリコンチャート(B)の場合、AとBはどちらも単独で主題の解説として意味を持つ情報であり、よい記事を作るためには両方を生かすことが求められます。スリランカの慣習(A)とスマナサーラの発言(B)の場合、どちらも単独ではスマナサーラの解説として意味を持つ情報とは言えません。Aはこじつけ程度の関係でしかなく、Bの方は些末な情報です。この人物を「インチキ」だと主張する特定の観点でのみ意味を持つのです。そしてその観点は、Nozawa onsen pottaさんが自身で認めているように、「実物がそうだから」という個人的体験にもとづくものでしかありません。二つのケースの共通点は、両方ともAとBの2つの部分で構成されているというだけで、文章の健全さのレベルが全然違います。掲載の是非は文章の中身を評価せずに外形的に決めるべきだ、というような縛りをわざわざ導入するのでなければ、独自研究として除去するのをためらう必要はないでしょう。
出典の有無と好ましくない独自研究の有無をストレートに結びつけるのも考え物です。スマナサーラ氏の著書100冊を越えるのですから、熱心な人が自分が推進したい特定の観点に合致するものだけを選択的に拾い上げて妙なものを組み立てることは十分可能です。対立する研究や主張が既にある場合には「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」というWikipedia:中立的な観点の解決策が役に立ちますが、既存の「勢力」がない場合には適用できません。スマナサーラに限らず、政治家でない存命人物の多くは生前に真剣な研究対象となることがないので、必然的に研究上の空白地になります。空白地ではウィキペディアンが一次資料を駆使した研究発表をしてよい、ということはないはずです。しかし他方で、経歴・成績・官位官職といったその分野で当然に書き込まれてよい情報は、一次資料を駆使して収集することが求められるし、場合によっては単純事実の集積より踏み込んで整理・解説することも必要になります。
この記事の場合、一次資料を駆使した出典付き独自研究がなされる可能性はかなり高い、と思っています。私は3月に、利用者‐会話:Kinori#すみません教えて下さい。でNozawa onsen pottaにどう書けばよいかを尋ねられ、「私は、一つのことをまとまって書くときは、ふつう、本か論文を複数あわせ読んでからにしています。Nozawa onsen pottaさんも何か資料を横にして書いてください。調べもなしに、自分であれこれ考えたことを盛り込むのはなしです。」と答えました。私は、参照した複数の資料のいうところを忠実にまとめてほしいという趣旨で書いたのですが、実際にNozawa onsen pottaさんが書いたのは今ここで問題になっている記述でした。私はこのやり取りを後悔しています。百科事典は既知の事実や学説をまとめたものだというのは私にとって常識でしたが、Nozawa onsen pottaさんには通用せず、ある方法がだめと言わたら別の方法でやるだけでした。それから、このページで中傷的な内容を投稿したのは、Nozawa onsen pottaさん一人だけではないことにも注意してください。Nozawa onsen pottaさんが意欲を失ったとしても、別のアカウントが現れて続行することはじゅうぶん考えられます。こういう状況下で、内容評価に立ち入らない外形的基準をローカル・ルールとして定めても、それがすぐ裏をかかれるのではないかというのが私の心配です。--Kinori会話2012年8月9日 (木) 22:37 (UTC)

なるほど、宣伝の排除にajitaの記事は無関係もしくは、ほぼ無関係とお考えと言うことですね?

と言う事で、ajitaとの対話は不要だと。

まぁ本気で、そう見える人も居るとは思います。しかしそうは見えないが発言もしないと言う人は多いと思いますよ。

そう見えると言ったとたんに、じゃなぜ対話しないんだ?となりますからね。

宣伝の除去は、大ハッタリを咬まして生きている人に対しては、名誉毀損と裏腹になります。

ajitaが削除した記事は、名誉毀損を重視するか、宣伝の排除を重視するかで、削除すべき部分は反転すると思います。

まぁ、その他のロジックの説明ですが、そこまでウルトラ拡大解釈をするものなんだと言うのは、よくわかりましたが、それに付いていける人より、宣伝の除去と言ったほうがルール上もピンと来る人のほうが圧倒的に多いと思いますよ?

もちろんピンと来たからと言って、はいそう思いますとも、言えないんでしょうけどね。

>ある方法がだめと言わたら別の方法でやるだけでした。

はい最初から、ここのルール風に言えば宣伝の除去の手法を、できるだけ、ここ風に合わせて行動して来ているだけです。そこが根本的に異なるようですね。

まぁ、本当に全く宣伝に見えないのなら、言っても仕方ありませんね。しかし私には、それこそ宣伝にしか見えないのですが、どうしたものでしょうね?--Nozawa onsen potta会話2012年8月10日 (金) 12:52 (UTC)

と言うか、ajitaが削除した部分のスマナサーラ発言ですが、結局日本人がスリランカ仏教の実状を知らないから言える話だろうし、同じ事を国に帰って大僧正の前でも言えるのか?と思うわけです。そんなの知らないから引っかかる奴も出るわけで、過小評価しても、やはり宣伝と言うかハッタリな奴だと思うわけです。

また初期仏教なんてのも、私の出典類を見て、いいやこれはやっぱり初期仏教だなと思う方よりも、なんだインチキだ!と思う方のほうが多いと思うし、好意的だとしてもラーメン屋に元祖とか本家とかがあるのと同じ程度の初期仏教なんだな?と思うほうがむしろ普通だと思います。

しかし出典を見なければ、騙される人も出てくると思いますよ。

けれど、それが判っていても、宣伝だ!と言えば、対話の義務が発生するわけです。

ここがなんとも、もどかしいのだろうなと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年8月10日 (金) 13:36 (UTC)

Kinoriさんへ)いくつかご意見に異論がありますが、時間が取れないため、最後の段落に関してだけ。「一次資料を駆使した出典付き独自研究がなされる可能性はかなり高い」に関しては同感です。「Nozawa onsen pottaさんには通用せず、ある方法がだめと言わたら別の方法でやる」のも、まあ、そういう可能性はあるだろうなと思います。しかしそれは、現在発生していない「将来発生するかもしれない脅威」でしかありません。現状Kinoriさんは、現在発生している脅威に対処しようとしているところで「将来発生するかもしれない脅威」を持ち出して議論の進行を遅延させているのだということは自覚してください。現在発生している脅威は「記事の項目に直接関係の無い資料を駆使した出典付き独自研究」です。現在それを行っているのはNozawa onsen pottaさんですが、過去にはAjitaさんも、それを行っていました。現在発生している脅威に対処する一番正しい方法は、ルールを、ルールの通りに適用して、それを禁じ、再発防止を図ることです。なにもWikipedia全体で禁じろといっている訳でもなく、ともかく過去は棚上げして「今後、このアルボムッレ・スマナサーラの項目」において禁じるというだけの話です。しかも今回の場合は、単純に素直にルールを適用すれば、それが可能なのです。私はルールの例文に対する細かな解釈を棚上げするために、上記の提案をしました。ルールの例文の解釈にこだわっているのはKinoriさんです。今回のケースでは「何を持って合成と言うのか」や「それは批判的か否か」を論じる必要はなく、上記の提案が仮に通ったとしても、現在問題になっている記述が「合成でなかった」ことにもならいし「批判的だったではなかった」ことにもなりません。まずすべきことは「記事の項目に直接関係の無い資料を駆使した出典付き独自研究」を、きちんとした「理由」、すなわち「ルールに基づいて」排除することです。また、Kinoriさんのおっしゃる通り「Nozawa onsen pottaさんが意欲を失ったとしても、別のアカウントが現れて続行することはじゅうぶん考えられ」ることによくよく注意してください。今すべきことは、既に発生し、現在も発生していることに対処することであり、その方法は「それが、どの編集者の行う編集であろうとも」「記事の項目に直接関係の無い資料を駆使した出典付き独自研究」は許さないということ「ルールに基づき」確認することです。もちろん将来「記事の項目に直接関係のある一次資料を駆使した出典付き独自研究」が現れる可能性はあるでしょう。しかし、それは、問題が発生した場合に対処すればよい話です。現実的には、問題が発生した場合に「それが、どの編集者の行う編集であろうとも」許さないというローカルルールを作れば良いだけの話です。
内容評価に立ち入らない外形的基準をローカル・ルールとして定めても、それがすぐ裏をかかれる」可能性があろうとも、それは「内容評価に立ち入らない外形的基準をローカル・ルールとして定め」れば解決できる問題を「内容評価に立ち入らない外形的基準をローカル・ルールとして定め」て解決することを妨害する理由にはなりません。
Kinoriさんが「それがすぐ裏をかかれるのではないかと」心配するのは自由ですが、他の編集者はKinoriさんの心配を減らすためにWikipediaに参加しているわけではありません。自身の心配を減らすために単純に素直にルールを適用すれば解決可能な問題を、わざわざ複雑化させ、議論を遅延させるのは遠慮してほしいです。--Pemo会話) 2012年8月10日 (金) 14:12 (UTC) --Pemo会話2012年8月10日 (金) 14:38 (UTC)

いやKinoriさんの、今回の発言を聞いて、逆に心配するのは、ごもっともだと思いました。自分とは住む世界が全く違う人と言うのもわかりましたが、言いたいことそのものは、拝聴に値する話です。もちろん内容を論理的に納得してるわけでは全くありませんが、どこか接点は持っても良い人だと思っています。

一方でPemoさんのは、これはダメです。ただでさえここは複雑な相殺関係にあるようなルールを持っていて、それこそバリアフリーがモラルハザード作る典型的なケースのローカル化だと思うからです。100%否定的なわけでもありませんが60%以上は否定的です。

kinoriさんが、どう思うかだけでは無く、なぜそう思うかを、もう少し詳しく知れば賛同もするし、自分に出来る部分があれば、脚色もすると思います。ただし私は記事が書きたいのではなく、宣伝の除去をしたいと言うのは変わらないと思いますけどね。--Nozawa onsen potta会話2012年8月10日 (金) 16:06 (UTC)

kinoriさんは、たぶんどこに言っても同じ事を言う人だと思います。今話している事も別段ここ専用と言う訳では無く、どこに言っても同じ風に言う人なのでしょう。こういう事であれば、私と全く意見が反対で、全く論理性に欠けるものであったとしても、少なくとも信用出来る側面があります。--Nozawa onsen potta会話2012年8月10日 (金) 16:38 (UTC)

kinoriさんとはスタンスが全く違うし論理性が問えない人だと思って居ますが、ようやく何を荒らしだと思っているか根本的に違うと言うのが判って来ました。昔いたbakasumaって人はkinoriさんから見れば荒らしの筈ですが、私から見れば、なにやら変な所はあっても、ajitaほどは荒らしに見えないのですよ。

これは認知が決定的に違うわけで、どうにもなりませんが、bakasumaの言ってる事のほうが実態に近いと思うし、また彼だって出典を付けている事もあって、それもajitaは削除しています。

また論理性ですが、そんなのは結局は効率の問題で、ゆっくり何度もkinoriさんの言い分を聞けば、理解できる所は、たぶんある筈です。

つまりkinoriさんには、ajitaの記事は全く宣伝には見えないと言うのであれば、確かにそういう風な話の流れになるのだと思います。

かと言って、ここの信者の類とも思えないので、大変私からは不思議に見えるのですが、たぶん宗教そのものが、好き嫌いに関係なく相当遠い人なのでしょうね。

私は宗教は、どれも嫌いですが、距離は常にとても近いのですよ。だとすれば、私のほうが近視憎悪なだけかも知れないし、確かにそういう面はあると思っています。

しかし近視憎悪だとしても、どうして宣伝だと思うか?と言われれば、それなりに理由を述べることも出来るわけです。

また宣伝除去の為に、あれこれ記事も起こしたり加筆もしてきましたが、宗教が嫌いなので宗教史なんかは更に興味がない割には、偏った記述もして来てないと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年8月10日 (金) 17:49 (UTC)

その上でPemoさんの合意内容はkinoriさんには、当然そう見える筈、もしくは、それそのものすら、どちらでも良い筈です。ようするにkinoriさんの話は、底意が性善説でなければ、まともな記事では無いわけで、それに従わない人は荒らしだろうし、その場合は、合成でも独自研究でも何でも取って付けて良いと理解する人だからです。

私は、文章の底意は関係なく、社会悪をそのまま百科事典に持ち込むのはダメだと思っていて、それが宣伝(もしくは虚偽)であれば、最もいけないと思っています。

私の出典は何の為の出展か?と聞かれれば、性悪説的に(この時点でkinoriさんにはアウト)百科事典に、社会悪を持ち込めないように予防する為のものです。

そういう意味で、私なりには悪いことをしている気がしていないわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月10日 (金) 23:14 (UTC)

ajitaの主張の底意は簡単で、スリランカ仏教は伝統的で純度も高く、修行もしっかりやっており、こんな立派な宗教は無いんだよ?と言うことなのはkinoriさんにも見て取れるでしょう?この底意は、ある種の性善説かも知れませんが、現実のスリランカ仏教とは酷く乖離しているのと、ajitaは、この教団に属する前の主張は、実は私とそっくりで、酷くスリランカ仏教を扱っています。彼の著作である、大アジア思想活劇を、お読みになれば、そのまま私が喋っているようにさえ見えると思います。

で、この教団の幹部に就任した後は、発言を180度換えているわけで、それをそのまま百科事典に持ち込んでいるし、このまま放置すれば更にあれこれ持ち込むと思います。

こういう視点で見るとajitaの発言は極めて純度の高い宣伝(プロパガンダ)だと見えるわけで、私は出典で、それらをガードしているわけです。

もちろん宗教なので、ちまたで宣伝して悪いとは言いませんが、そのノリで百科事典を編集されては困るわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月10日 (金) 23:45 (UTC)

宗教に限りませんが、ちまたで流通するものは需給で成り立っています。つまり需要があれば成り立つわけですが、需要には、実需と仮需があります。商売は、これの合算ですので、実需でも仮需でも総量が増えれば成功します。

つまり史実や実社会と乖離する事を喋って、仮需が増えても成功するわけですが、こういう商売のあり方は頂けないと思います。

また、こういう事に百科事典が加担しては、いけないわけです。

そもそも、これの実需とは何か?と言う部分にも大きな疑問があります。--Nozawa onsen potta会話2012年8月11日 (土) 01:21 (UTC)

百科事典で虚偽の宣伝をしてはならないと言うのはkinoriさんも合意されると思いますが、これだけ資料が揃っても虚偽の宣伝とは思わないのは、まぁ結局そういう人だっているんだろうと認めています。

また人物欄は性善説的に書くべきだと言うのも判ります。しかし虚偽の宣伝で成り立っている人の場合もそうなのか?と思います。

詐欺か詐欺ではないかは、恣意性を立証出来るかどうかですが、私の資料は恣意性を十分に説明しているものです。

しかし、この十分な説明と言うのも、人によって判断が変わると思います。

で、説明に納得しても、うんその通りと言うことになれば、ajitaと対話しなければならなくなります。

もちろん対話が行われないから、kinoriさんの言われるように、恣意的な虚偽の宣伝は無かったとも受け取れる事ですが、対話は嫌なので黙っているとも受け取れると思います。

初めから恣意的な虚偽の宣伝しかしてこない奴との対話なんか嫌ですからね。--Nozawa onsen potta会話2012年8月11日 (土) 04:31 (UTC)

Pemoさんの案は、ajitaの宣伝行為を無効にする効果はあると思っていますし、そういう意味では根底的には私も賛同できる部分を持っています。

しかし、ちまたであれだけ宣伝していて、その宣伝だけを鵜呑みにしている人だっているし、kinoriさんのように幾ら資料を見ても宣伝とは思わない人だって居るのです。

こういう人らに対しての対策と言う意味では、結局効果が薄く、また管理フィーを下げる事で、本当は宣伝だと思う人らの発言も、更に行い難くするものだとおもいます。これが本当の意味でのモラルハザードと言う意味合いなのですが、そんなことをするよりも、宣伝だと思う人の対話を促進するような方法論を選択すべきです。臭い物にはフタをすると言うのではダメだと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年8月11日 (土) 05:04 (UTC)

結局、特別に管理フィーを下げても当然突破されると思っているわけです。その場合は、余計に宣伝だと思う管理者は出てこれなくなるでしょう。こちらのほうが更に弊害が大きいと思っているわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月11日 (土) 05:21 (UTC)

脆弱性に問題があれば、そこに穴があきます。脆弱性を強化しても、別の脆弱性が見つかり対応しなくてはならなくなります。管理は、これの繰り返しですが、脆弱性に問題がある場合に場当たり的に脆弱部分を突かれなくなるような施策は、絶対にしないのですよ。--Nozawa onsen potta会話2012年8月11日 (土) 06:12 (UTC)

脆弱性どころか宣伝すら行われていないと思う人と合意して、脆弱性を突かれなくなくする施策を選択して、そこを突かれて来たらどうするの?と思うわけですが、まぁ所詮よそのGPL系なので、これ以上は言いませんよ。私は、こういう理由で同意しません。--Nozawa onsen potta会話2012年8月11日 (土) 06:33 (UTC)

もちろん強制合意を得て施策される事に関しては反対もしませんよ。どうぞ、お続け下さい。--Nozawa onsen potta会話2012年8月11日 (土) 07:53 (UTC)

あとね。Pemoさんよ。急いで対策しなくても、きちんとした対応をすれば、状況はそれでもいいんです。記事は保護されているし放置しても、今以上には悪化しません。また現況は、どうしようも無く悪いと言うものでも無いと思います。ajitaは出典の付いた記事を削除しないと約束しないし、私は私の記事がルールにあっていると主張しているわけで、このままだと平行線で少なくとも悪化だけはしません。しかし生兵法を施してフタを開ければ、当初はそこそこ旨く行っても、長期的には今より悪化すると思いますよ。夏休みの宿題と言うことにして、管理者どうし連絡を取って、ゆっくり対策すればいいでしょ?と思います。ここまで話が長引いているのだから、一ヶ月くらい伸びたって誤差範囲です。私にしたって再度ブロックに行きたいと言うのは建前上の話で、本音としてはどうでも良いので急ぎません。--Nozawa onsen potta会話2012年8月12日 (日) 08:42 (UTC)

ajitaや私が追放になっても、ajitaの回りには、それこそ教団員が居るので、バリアフリーの強化は結局は役には立たないわけです。建前上ブロックに行くと言うのは、少なくとも現況のルールで私の記事を跳ねられない為のもので、見せしめにajitaを追放でもしようものなら、それこそ教団員が黙っていません。つかブロックに行くなんて言ってるのも本音は時間稼ぎで、こんな管理体制では追放どころかブロックなんか決まる筈もないと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年8月12日 (日) 08:58 (UTC)

あとね。今の所は教団員はajita事務局長の方針で(追加:記事が)保護されているので大丈夫と思います。教団内部でクーデターでも起きれば知りませんがね。--Nozawa onsen potta会話2012年8月12日 (日) 10:20 (UTC)

Pemoさんの意見に対して書きます。Nozawa onsen pottaさんがここで繰り返した主張の一つには、ルールに従って書くように求めながら、都合が悪くなるとルールを拡張してだめだというのは不当だ、ということがあります。それは私とNozawa onsen pottaさんの会話で既に一度起こったことでした。Nozawa onsen pottaさんはPemoさんとのやりとりでも同趣旨の意見を出しています。過去一度あり、この議論で現に文句が言われていることですから、私一個の杞憂とは言えないでしょう。こうした事態の余地があることをPemoさんはルールの欠陥と呼んだのではありませんか。それゆえ再考を願いたかったのです。
しかしPemoさんはそうなる可能性を承知のようですから、ここに至って強く反対することはしません。同じPemoさんの提案でも、ローカルルールより、その前の除去対象を指定した提案のほうがよいと、私は依然として思っています。異なる理由の複数の意見を束ねられるからです。しかし、私が譲ることで保護解除に必要な合意にこぎつけることができるものなら、私はそのローカルルールにも賛成しましょう。そのルールに従い、私は「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇しません。そのことは申し上げておきます。--Kinori会話2012年8月13日 (月) 07:15 (UTC)

なぜルールをこの案件に限って、拡張してはいけないのかは、すでに説明してありますが、この拡張をここで認めると、記事の保護が効かなくなる為です。きちんと教団員などの書き込みにも対応する気が管理者にあれば別段構わないわけですが、実績的にそういった事が全く行われていない状態で行うのは、生兵法そのものであり、せっかくここまで追い詰めたものを、みすみすフイにする事に成りかねないからです。どうみても無責任極まりない態度としか言いようが、ありませんが、ここはこういうところと言う事なのでしょうかね?--Nozawa onsen potta会話2012年8月13日 (月) 12:52 (UTC)

>現在発生している脅威は「記事の項目に直接関係の無い資料を駆使した出典付き独自研究」です。

ずっと発生している脅威は、宣伝の除去に関して、全く何の対応もなされてきていない事です。 その上で、HNを転がす人とルール構造の分からない人が合意し、合意に意味があるとするのは、更なる脅威です。 自分らは自殺点を繰り返し、他人を脅威扱いするのは、やめてほしいです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月13日 (月) 18:07 (UTC)

Kinoriさんへ)「Nozawa onsen pottaさんがここで繰り返した主張の一つには、ルールに従って書くように求めながら、都合が悪くなるとルールを拡張してだめだというのは不当だ、ということがあります」と、ありますが(Nozawa onsen pottaさんがそういう見解であろうという認識には同意しますが)私は、その((Nozawa onsen pottaさんの)意見には同意しません。私はWikipediaのルールは、ルール自体がボランティアによりメンテナンスされているものであり当然に欠陥が含まれており、その欠陥は「都合が悪くなったときに新たな合意によりルールを拡張・削減」することにより改善されるものと考えています。そのためWikipedia:ルールすべてを無視しなさいで言うように「もしも、ウィキペディアの改善や維持をしようとするときに、いまあるルールが邪魔になるのなら、(ケースバイケースで)そのルールを無視してください」とするのは(Nozawa onsen pottaさんが言うような)「不当」なことではないと考えます。ただし、そのためには「どのルールを無視するのか、なぜそれが必要なのか、それを無視してしまうことが本当に正しいのかを、緻密に議論すべき」だと思っているという主張です。それに対し「一連の議論に加わった水原紡さんや、Ajitaさんも、理由についてはそれぞれ異なりましたが、除去に賛成でした。Nozawa onsen pottaの反対を押し切ることになりますが、ラフな合意は成立しうると思いました」とKinoriさんがしゃるようなアプローチは「理由」を棚上げする議論に陥りやすく、また水掛け論になってしまい、結果として議論が長引くだけなので、やめてほしいというのが、私の主張です。また、それはWikipedia:論争の解決における「合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます」や「少数意見は典型的に本物の懸念を反映し、その(厳格な)論理は大多数の論理(考え方)に勝ることがあります」に反していると考えます。「理由についてはそれぞれ異な」るとKinoriさんが認識されているならば、その理由の異なる多数を形成しても、議論がスムーズに進展するわけではないと考えます。
また、もしKinoriさん行っているような議論をAjitaさんが主導して行うのであれば、(Ajitaさんは、全体の除去が妥当であり、理由はWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去だという見解と思われますので、Ajitaさんが、その正当性を主張するのは、まあ当然ですので)話は別なのでしょうが、現状ではKinoriさんは、部分的な除去そのものには賛成されており、理由に関してのみ、ご自身の主張する理由を推している状態です。部分的な除去に関してなら、理由は「記事の項目に直接関係の無い資料」であることで十分であるため(水原紡さんも「そのうえで、太字部分についてはやはり除去を主張します。理由として、「記事の主題に間接的にしか関わらない内容である」ことを理由とします」とおっしゃっています)、それを理由とした合意を目指せば十分であり、その旨主張している次第です。
また「除去対象を指定した提案のほうがよい」と、言われますが、私の直近の提案と、Kinoriさんの言うところの除去対象を指定した提案の差は「今後、この項目を編集する任意の編集者を対象に、制約をかけるか」「Nozawa onsen pottaさんのみを対象にするか」の違いだと思います。私は、前者の方がフェアだと思います。
あと「同じPemoさんの提案でも」とありますが「その前の除去対象を指定した提案」とありますが、2012年6月6日 (水) 00:14 (UTC)の話をしているのであれば、それはNozawa onsen pottaさんが「編集合戦になるのも嫌なので本日は放置しますが、推移日後に、また再掲しようと思います。ご意見をお願い致します」とのことであったため「お願いされたから、出した」意見にすぎません。
また、その中で私は「接続詞『が』の使用」に関して意見を付け、是非はともかくNozawa onsen pottaさんは「接続詞『が』の使用」を取りやめ、一方ろう(Law soma)さんから「論理を示す接続詞がない状態で読者が「ほのめかし」と解釈する余地があるだけで問題になるというものであり、それはいくらなんでも拡大解釈なのではないでしょうか」との意見もありましたので、状況は変わりました。
その状況の変わる以前の主張の一部を抽出して「同じPemoさんの提案でも、ローカルルールより、その前の除去対象を指定した提案のほうが」とか「二つとも、もともとPemoさんが出した提案ですから、Pemoさんは賛成するに違いないと思いました」と言われても「それは誤解であり、そんなことは求めていません」としか言いようがありません。
また「「僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧である」のような部分はこの記事の主題であるスマナサーラ氏に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料に基づく文ではないので載せるべきではない旨、主張します」という主張に関しては、これは「提案だろう」と言われれば提案ですが、私自身としては、後に行う提案(例えば直近で行ったような提案)の合意を阻害しそうな見解の相違を予め解消するための部分的な合意形成を目的としたものであり、この(私としては合意を行うための前段階の整地を行うための部分的な合意形成作業のための)主張をもって、「二つとも、もともとPemoさんが出した提案ですから、Pemoさんは賛成するに違いないと思いました」といわれることも、同様に「それは誤解であり、そんなことは求めていません」としか言いようがありません。
そのルールに従い、私は「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇しません」とのことですが、「「出典の有る記述」」と単純化されると、提案をご理解いただいているか疑問を感じます。私が提案したのは「信頼できる第三者情報源がアルボムッレ・スマナサーラについて直接言及した上で出版・公表した資料に基づかない記述であり、かつ、アルボムッレ・スマナサーラ自身によって公表された資料に基づかない記述」の除去の話です。それはご承知おきください。
その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇しません」とのことですが、私の提案は除去において「「独自研究を載せるな」と主張すること」以外の主張はしなくて良いというルールではないことはご承知おきください。「除去を行った上で、ノートにおいて掲載するか否かを議論することとし、掲載する旨、合意に至った場合に再掲載する」というルールであり、当然、ノートにおける議論においては「独自研究を載せるな」以外の論点も出るでしょうし、それらをローカルルールの存在を理由に無視しようとすれば、それはWikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害でしょう。
またKinoriさんが、この記事の品質向上のため除去が必要だと確信しているもの以外の「信頼できる第三者情報源がアルボムッレ・スマナサーラについて直接言及した上で出版・公表した資料に基づかない記述であり、かつ、アルボムッレ・スマナサーラ自身によって公表された資料に基づかない記述」、すなわちKinoriさんが「有っても無くても良い」と思うような記述や「存在すべきだ」と思うような記述を「ローカルルールに該当するから」という理由のみで除去するのはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で—実地証明は無用の「不具合でウィキペディアがうまく機能しないことを示そうとして、現行の方針やルールに異論を唱える者が個人的な実証づくりの為に本文を編集すべきではありません」に反するので行うべきではないでしょう。そのこともご承知おきください。--Pemo会話2012年8月13日 (月) 18:21 (UTC)
Nozawa onsen pottaさんへ)他のところにも書きましたが「勘違いなら失礼な話ですが、森らんてい、と言うのが本HNなのではありませんか?」とのことですが、私は森藍亭さんではありませんし、Nozawa onsen pottaさんのノートに書き込みを行ったIP利用者も私ではありません。なんら根拠無く、私がを他の利用者とアカウントを切り替えているかのような主張をするのはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「印象操作」です。やめてください。また、同じく根拠無く「HNを転がす人」呼ばわりするのはWikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例の「悪意をもって相手を非難する、あるいは根拠無く相手を非難する行為を繰り返す」に該当し、また、Wikipedia:投稿ブロックの方針#2項「他者を誹謗中傷する内容」の「根拠も無く一方的な非難や悪口を投げつける行為」およびWikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害の「個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合」に該当します。不快ですのでやめてください。--Pemo会話2012年8月13日 (月) 18:48 (UTC)

話は半信半疑ですが、まぁ信用する事にしましょう。

その上で、どうして私の脅威が発生してるか順に考えれば、悪質な教壇の宣伝行為に対して事実関係が明らかになった上でも、全く除去どころか対話も行われないと言う本質的な問題があり、こういう派生的な問題が発生していると言うのが時系列的に捉えた問題展開だと言う事です。

提案内容ですが、こういう当たり前の事が行われた上であれば、私も即座に同意するのですが、これが行われていない上では、やはり生兵法そのもので、更にモラルハザードを深めるものだと思っています。

脅威の上に脅威を重ねる事は、もちろん好ましくありませんが、脆弱性に問題がある場合にブレークポイントを仕掛け対応して行くことは順当な行為でもあり、当然それなりにリソースも必要ですが、それが無いので、自作のハエ叩きのようなものを作って対応しているわけで、それでもモラルハザードを深める方向に展開させようとするのは、当然間違った方向です。

記事は、現況は保護されているわけで、こういう本質的な対応なしに、本当に管理者でも無いのだとすれば、更に管理者の怠慢を増長させるべきではありません。--Nozawa onsen potta会話2012年8月14日 (火) 21:26 (UTC)

Nozawa onsen pottaさんへ)「悪質な教壇の宣伝行為に対して事実関係が明らかになった上でも、全く除去どころか対話も行われない」というのがNozawa onsen pottaさんの主張ですね。では、現在、このアルボムッレ・スマナサーラの記事には、悪質な宣伝が残っているはずですので、その内容を明示してください。Nozawa onsen pottaさんが、アルボムッレ・スマナサーラの記事の、どの文書が悪質な宣伝であるのか明示できなければ、Nozawa onsen pottaさんの)「悪質な教壇の宣伝行為に対して事実関係が明らかになった上でも、全く除去どころか対話も行われない」という状況分析が、全くの誤解だということになります。現在、このアルボムッレ・スマナサーラの記事の、どの文書が悪質な宣伝なのか明示して下さい(ただし、私の#出典が無く「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に係る記載削除の提案において指摘した部分以外の所から、明示してください。私の既に提案済みの部分が本文に反映できないのはNozawa onsen pottaさんとAjitaさんの編集合戦により保護に至らしめたのが問題であり、本文の改善を実施できない責任がNozawa onsen pottaさんとAjitaさんにあるのは明らかですので、それ以外の分から、どの文書が悪質な宣伝なのか明示して下さい)。--Pemo会話2012年8月15日 (水) 21:10 (UTC)

Pemoさんの2012年8月13日 (月) 18:48の発言にお返事します。Nozawa onsen pottaさんにお願いされたから出した提案にすぎない、Law somaさんの発言で状況が変わった、実はあれは主張の一部にすぎないので自分が賛成すると考えたのは誤解だと、そのような留保に満ちた内心を、他人がくみとれると思わないでください。Pemoさんにとって、Law somaさんの一言は状況を変える発言で、Kinoriの意見はどれほど言葉を尽くしても解決を遅延させるものでしかないようですが、その基準も私にはわかりかねます。ともかく、意見を変えるなら、すまないがこういう理由で変えると言えばよろしいのです。他人の誤解のせいにするのは無用のことです。

私の発言の中の「出典の有る記述」という箇所をとりあげていろいろ心配しているようですが、そこで私は「そのルールに従い、私は「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇しません」と書きました。引用かっこを付けて「出典の有る記述」としているのですから、ルールの文面に照らしてその3に対応するのは見やすいことでしょう。「除去する」ではなく「除去しようとする」と書き、「その際・・・主張する」と言うのだから、議論してから除去する話をしているのです。除去してから議論する他のケースの話ではなく、やはり3の話なのです。その前、2012年8月9日 (木) 22:37の私の発言からも、何を懸念しての発言かはわかりそうなものです。これをローカルルールの他の部分にあてはめたり、まったく関係ないことにあてはめようとするのは、誤解というより誤読です。

私はいったんローカルルールに賛成すると書きましたから賛成を維持しますが、Pemoさんの言う理由には納得していません。--Kinori会話2012年8月15日 (水) 21:42 (UTC)

Kinoriさんへ)2012年8月15日 (水) 21:10 (UTC)での意見では、私はWikipedia:善意にとるに従い「Kinoriさんが、過去の私の主張を提案だと捉えたのであれば、それはそれで仕方が無い」と考え「Kinoriさんが納得しやすいような、落としどころを提供しよう」と考え、上記の通り説明しました。しかしながらKinoriさんは「Nozawa onsen pottaさんにお願いされたから出した提案」や「意見を変えるなら、すまないがこういう理由で変えると言えばよろしいのです」の様に、あくまで私が「過去に『提案』を行って、しかも、その後、断りも無く意見を変えた」という主張を繰り返されていますので、そこははっきりしておきたいと思います。
まず、Kinoriさんは、全く根拠なく「過去に私が『提案』した」かのように意見を述べていますが、そもそも私は本件の保護に関し、直近の提案以前には、「提案します」等の表現を使っていません。それを「Kinoriさんが「提案だった」と認識するのは自由ですし、その認識に基づき「提案」だと断言するのは、まあ、ありえる話ではありますが、その「提案」だとの断言に対し、私が、そのつもりではなかった旨、説明してもなお、再び断言を繰り返し、私が「提案します」等の表現を行っていないにもかかわらず、あたかも「過去に提案があった」かのように装い続けるのは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「印象操作」です。迷惑ですのでやめて下さい。
つぎに「意見を変えるなら」とのことですが、私は全く意見を変えておりません。Ajitaさんの初回の除去に対する意見(2012年6月6日 (水) 00:14 (UTC))は「文と文を接続詞『が』で結び」かつ「この記事の主題に直接関連の無い資料に基づく」から「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」だと主張しました。これは「文と文を接続詞『が』で結び」と「この記事の主題に直接関連の無い資料に基づく」の二つの条件を満たすから「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」だと言っているのであり、条件の片方である「文と文を接続詞『が』で結び」という状況が無くなれば成り立ちません。そのため2回目の除去に対する意見が異なるのは当然の話です。これは意見を行う対象が変わったのであって、私の意見が変わったのではありません。もし現段階で、誰かにより「文と文を接続詞『が』で結び」と「この記事の主題に直接関連の無い資料に基づく」という条件を満たす文が書き込まれたら、当然、私は、それが「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」だと主張します。ゆえに意見はまったく変わっていません。
これに関しては、Kinoriさんは1回目の除去の対象と2回目の除去の対象が論理的に異なる文であることを、当初から区別なさっておらず、そのため私は「特に現在問題となっているのは、私が枠にかこったときのような「接続詞「が」でつながれた文章」ではなく「それぞれが出典毎に句点(。)で区切られ、接続詞による接続も無い文章」であることに注意して下さい」と忠告しました。にもかかわらずKinoriさんが、現在も1回目の除去の対象と2回目の除去の対象をごっちゃにして論じているのはKinoriさんの落ち度であり、私に責任がある話ではありません。
また、私は「「僧侶の得度式の日取りまで星占いで決めるスリランカの僧である」のような部分はこの記事の主題であるスマナサーラ氏に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料に基づく文ではないので載せるべきではない旨、主張します。」と主張していますが、この意見がNozawa onsen pottaさんのみ(またはネガティブな記述の場合のみ)に当てはめるべきだとは一言も言っていません。むしろ同じ記事内で「ある人には、編集に制約を与えて」「その他の人は制約なく、自由に編集できる」ようにしようという意見は、そもそもアンフェアな主張です。むしろ私がNozawa onsen pottaさんのみに制約を科そうとするならば、「Nozawa onsen pottaさんのみに制約を科す理由」が無ければならず、それを私が、その理由を提供してないのだから、私の主張が「誰にでもあてはめるべき」意見であるのは明らかです。私が当初から「Nozawa onsen pottaさんのみに制約を科す」事を主張していたのであれば、直近の提案は「Pemoが意見を変えた」ことになるでしょう。しかし、私は「誰に制約を掛けるべきか」は元から語っておらず、直近の提案で語っていなかった部分を明示しただけであり、また「制約をかけるときは平等に制約をかける」というのは通常あたりまえの話です。私が理由も述べずに特定の個人に対してのみ制約を掛けることを主張するような人間だと思われるのは(思うのはKinoriさんの自由ですが)不本意であり、思うだけならともかく、それを前提に、まるで私が意見を変えたかのように言われるのは、我慢がなりません。
意見を変えるなら、すまないがこういう理由で変えると言えばよろしいのです。他人の誤解のせいにするのは無用のことです」との事ですが、意見を変えたなら「こういう理由で変えた」と言うのはもっともですが、上記の通り、もとより意見は変わったいません。ゆえにあたかも「Pemoの意見が変わった」かのように装い続けるのは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「印象操作」です。迷惑ですのでやめて下さい。
そのような留保に満ちた内心を、他人がくみとれると思わないでください」とのことですが、内心を他人がくみとれないのは当然です。ですから、内心を明確にわかるようにするために2012年7月31日 (火) 05:20 (UTC)にて、方針・ガイドラインを引用しつつ、自身の意見を整理し、提案しました。内容は過去の部分的な意見を包含するものであり、全く意見を変更していません。この提案内容がKinoriさんが独自に想定していた「Pemoの内心」と異なったとしても「Pemoの内心」が不明のまま、議論が空転するよりましなはずです。そもそも2012年7月29日 (日) 03:46 (UTC)においてKinoriさんがコメント依頼を行ったので、他の人も新たに議論に入ってくるかと思い、自身の見解を明示しただけの話です。もとより私は「Nozawa onsen pottaさんのみに制約を科す」ことなど全く考えておらず、普通に考えれば、トラブルが発生した項目において、皆に平等に制約を課すことは全く当然の話であり、それをあたかも、意見を変えたかのように主張するのはやめてください。
Law somaさんの一言は状況を変える発言で、Kinoriの意見はどれほど言葉を尽くしても解決を遅延させるものでしかないようですが」とのことですが、私は別にろう(Law soma)さんの意見だから重視しているわけではありません。今回の当事者であるNozawa onsen pottaさんが、そのろう(Law soma)さんの意見をベースにして論理展開しているため、無視できないだけです。また、その意見に完全に合意しているわけでもありません(私は「ほのめかし」も「観点を推進する」という立場です)。またろう(Law soma)さんの意見は、一般論を述べているのであり、必ずしもNozawa onsen pottaさんの加筆に対する是非を述べているわけでもありません。しかしながら、Nozawa onsen pottaさんが、その意見に乗っかって議論している以上無視できず、また、Wikipedia:独自研究は載せないの記述の「この文章は「この結果」ではなく「また」で接続されなければなりません」という文を素直に読めば「文章を「また」で接続した文」が合成ではないと読めるものであるため、無視できないという話に過ぎません。そうであるがゆえに、その論点は棚上げして「直接関係する出典か否か」のみにて問題を解決しほうが、妥当だと主張しているのです。
一方Kinoriさんの主張に関して「Kinoriの意見はどれほど言葉を尽くしても」とのことですが、それは「言葉を尽く」すにあたって、新たに方針・ガイドラインから論理を補強せず、単純にKinoriさんの見解を追加していく傾向が見受けられるからです。例えば「、「理解を深めるため」の「もう1つの例示」でしかないものに、他の方法を排除するような拘束力を持たせている点で、読み誤りだと思います」という意見は、Kinoriさんの見解としては理解しました。しかし「読み誤りだと思っていない」論者もいるのです。そのため、その理由により物事を判断するには「、「理解を深めるため」の「もう1つの例示」でしかないものに、他の方法を排除するような拘束力を持たせている点で、読み誤りだ」という見解に関して合意を得なければなりません。ここで私はKinoriさんの見解と異なった見解を持ちますが、私と見解が異なっているから意見を取り下げろといっているのではありません。異なる見解を持つ論者が複数いるのだら、その見解を合意として確定するためのプロセスが別途必要になるから「解決を遅延させる」と言っているのです。合意を得るとは、すなわち「ノートで議論をし、議論が平行線になった事を確認し、コメント依頼を行い、どうしても異論を取り下げない論者がルールに反している場合は必要に応じて投稿ブロック依頼を行い、最終的に合意を得る」ということです。これが見解に関する合意が、問題解決のために絶対に必要であれば、それは、当然、合意をすべきでしょう。しかし例えば上の例の場合Kinoriさんは「スリランカの慣習(A)とスマナサーラの発言(B)の場合、どちらも単独ではスマナサーラの解説として意味を持つ情報とは言えません。Aはこじつけ程度の関係でしかなく、Bの方は些末な情報です」としており、これにより合意すべき点が「Aはこじつけ程度の関係」であることと「Bの方は些末な情報」であることが増え、全部で3個の見解の合意が必要になってしまっています。
このとき「他の方法を排除するような拘束力を持たせている点で、読み誤り」という論点は、「ルールの内容的判断」であり「Bの方は些末な情報」は「本文の内容的判断」ですが、異なる見解があれば、その合意プロセスは必須です。そのため合意すべき内容が増えるがために「解決を遅延させる」と言っているのです。3個の論点を合意するより1個の論点、すなわち「Aはこじつけ程度の関係」であることのみを合意するほうが議論が単純であり解決が促進されることは、明らかです。しかも「Aはこじつけ程度の関係」であることは「出典にアルボムッレ・スマナサーラが言及されていない」という「外形的判断」により判断できるので、今後の再発防止を考える上でも、大変有効です。
もしこのような3個の論点に関しAjitaさんが自身の編集の正当性を主張するために、その論点を議論にあげるのであれば、それは当然かもしれませんし、その論点に関しても議論すべきでしょう。しかしながら現状Kinoriさんは、部分的な除去(再掲載の禁止)には賛意を示しているのだから、そもそも3個の論点のうちの1個であり、しかも「外形的判断」により判断可能な論点である「Aはこじつけ程度の関係」であること、すなわち「出典にアルボムッレ・スマナサーラが言及されていない」点のみ確認すれば、それがWikipedia:独自研究は載せないに反するのは明らかであり、わざわざ別の論点に関し合意する必要がありません。
このようにKinoriさんの主張は、不必要に「合意すべき論点」を増やす傾向にあるがゆえに、それが「言葉を尽くし」たものであっても「解決を遅延させる」と主張しているのです。
ルールの文面に照らしてその3に対応するのは見やすいことでしょう」とのことですが、これは本気で分かりませんでした。「その3」に関する意見であるというのであれば、私の意見は蛇足でした。申し訳ありません。ただ「その3」に関しての事であれば、その「出典の有る記述」は「その1に該当しない」ものであり「信頼できる第三者情報源がアルボムッレ・スマナサーラについて直接言及した上で出版・公表した資料に基づかない記述であり、かつ、アルボムッレ・スマナサーラ自身によって公表された資料に基づかない記述」に合致せず、かつ「出典の有る記述」ということです。すなわちそれは「信頼できる第三者情報源がアルボムッレ・スマナサーラについて直接言及した上で出版・公表した資料か、アルボムッレ・スマナサーラ自身によって公表された資料に基づく」記述であり、それを除去するにあたって「独自研究を載せるな」を主張するのは、すこし強引な主張です。有意な出典があるケースの場合なのですから、除去するなら、その理由はWikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?の「少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません」に基づくか、またはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか等のような「独自研究を載せるな」以外の理由に基づくべきです。
一方、有意な出典があるケースで、しかも「独自研究を載せるな」に該当するケースとなると、それはWikipedia:独自研究は載せないの「その資料に記された内容に忠実に記述することです」に反する場合ということになります。この場合は、まずは「資料に忠実な記述に修正するように、執筆者に要求する」か「自身で資料に忠実な記述に修正」すべきでしょう。除去を主張すべきなのは「執筆者が強行に変更に反対する場合」などのよほどのレアケースであって、通常のケースでは「除去」は「躊躇」すべきでしょう。
上記のいずれであるにしろ「そのルールに従い、私は「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇しません」との主張は、Wikipediaのルールから見て強引な意見であり、なおかつ、今回のローカルルールと関係ありません(ローカルルールが制定されても、されなくても、「そのルールに従い、私は「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇しません」という判断には全く影響がないはずです)。この主張が「ルールに従い」新たに発生した主張だと言うのであれば、ルールの認識で私とは異なる認識があるのだと思います。再検討してください。私は「そのルールに従い、私は「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇しません」と言われても「それは今回提案したローカルルールとは関係ない話なので、なんともいえません」としか言えません。
ただ、議論を通じて「その3」の文言は「出典の有る記述」とのみ書くより「(上記1.の場合を除いた)出典の有る記述」と書くべきだったと考えました。その旨、後で、書き換えようと思います。
私はいったんローカルルールに賛成すると書きましたから賛成を維持しますが、Pemoさんの言う理由には納得していません」とのご意見に関しては了解しました。ローカルルールを成立させるため最低限の論点以外の論点においてKinoriさんと私との意見の相違に関しては、仮にローカルルールが決まったとしても「Pemoが正しかった」ということになどならないことを宣言します。--Pemo会話2012年8月16日 (木) 18:57 (UTC)

Pemoさんの主張は判るのだけど、だからと言って、それをkinoriさんに納得させるのはとても無理だと思います。私は、ここの記事の保護を解除出来るのに、ふさわしい状況が来れば、内容にも同意もするし、そもそも同意もなにも、あれはハエ叩きなので、ハエが居なければ不要なのですよ。これで合意は得られたので、安心して保護を解除できように管理者に働きかけるべきです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 09:18 (UTC)

まぁ、その他教団員までは無理としても、管理者はajitaと対話すべきです。

これなしに記事の保護を外しても、結局状況は私が出てくる前と変わっていないわけです。

善意に受け取ったとしても、この教団が誇大広告をちまたで展開するのか、それを百科事典まで出てきて行うのかは、既に明確になっているわけです。

だから最悪は私とajitaが犬も食わないしょうもない論争をしているので保護を解除出来ないと言うシナリオを作ってやろうと思っていたのですが、まぁ悪意は無いにせよPemoさんに邪魔されて、これも出来なくなりました。

真面目な話、今でもajitaを道連れにして私は追放でも構わないと思って居ますが、これにしても残った教団員と対話をする気が無い以上は、根本的な効果を発揮しないと思います。

と言うことで、管理者はajitaと対話するか、このままダンマリを決めるか、いずれかのコースを取って頂くしか無くなったと思っています。

安易に記事の保護を解除し、これ以上記事が悪化するようだと、こんどこそ本気で怒りますので、その場合は、ここでチマチマ議論するような事はせず、一気に外圧を掛けるつもりでいます。

ここを離れれば、ここのルールは通用しませんからね。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 09:39 (UTC)

あとね。Pemoさんが管理者じゃないことを信じるとすれば、こんな教団を相手してはダメです。

本国の実状もそうだけど、小規模とは言え、既に国内でも刑事事件を起こしているわけで、一般編集者が、こんな話に巻き込まれる筋合いはありませんよ。

いえ所詮はウイキペディアの編集上の話だと言うのかも知れませんが、それが相手に通用するかどうかは別なわけです。

私は、こういう事を勘案すれば、管理者もヘタな手出しはしないほうがいいと思って居ますが、ここまで来たら、そうも行かないだろうね?と思います。

まぁ知らぬ存ぜぬで通すのも一案ではあるとは思います。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 09:57 (UTC)

と言うことでPemoさんとの合意も成立したし、我々一般編集者は夏休みにしませんか? 本音を言えば、いい加減あきあきしています。どうですか?--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 10:28 (UTC)

>現在、このアルボムッレ・スマナサーラの記事には、悪質な宣伝が残っているはずですので、その内容を明示してください。

私は現在の保護された記事でも、そこそこ良いと思っているので、保護を解除して悪化するよりはマシだろうと言っていますが、その上で。

これに沿って説明します。[54]

1に該当するものは、教団幹部がやれば全て該当します。「新聞を使って―する」の新聞の部分がウイキペディアにすりかわっているだけすよね?

2に該当するものは、要出典を付けた部分です。特に初期仏教などは酷いと思いますが、kinoriさんは、大阪で行われた講演会の新聞記事を示していましたので、出展があれば、ここではこれに該当しないのか?とも思って居ました。だから私は削除しませんでした。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 18:05 (UTC)

また教団幹部かどうか、初期仏教かどうかなどは、既に明らかになっているわけで、宣伝の除去と言う大方針に従った管理を管理者が行なうのは、職業では無いにせよ義務である事には違いないと思います。

しかし実際にはそういった指摘や勧告は管理者からは行われておらず、その上でローカルルールを設定するのは、更なるモラルハザードを深めてしまう原因になりかねないとして反論しているわけです。管理者からの指摘や勧告がなされたにも関わらず効果が見られないと言う場合に付いては、ルールをローカル化するのも仕方ないと思っています。

こういう根本的な部分に欠落があれば、どうやった所で長い目で見れば記事の保護を外せば悪化すると思っています。

そうなれば、このローカルルールは恥の上塗りそのものとなると思います。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 18:22 (UTC)

また現在、初期仏教に関しては、自称している事になっていて、本人が何と呼ばれたいかは、まぁ好きにすれば良いことの範囲か?と思っています。

と言うことで、我々一般騙取者としては、管理者に宣伝の除去に従った行動を起こすことを強く訴え、行動を見守るフェイズだと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 18:31 (UTC)

ネットワーク上にあるGPL系の百科事典だと見做すと、そもそもウイキペディアはルールが複雑すぎるし、過保護だと思っています。

そもそもネットワーク上のGPL系は、恐ろしく単純な発想で作られているので、なんとか管理出来ていると言うのも実際的な事実だと思います。所詮ひとつのプロトコルはネットワーク上から見れば幾ら汎用性が高く一見すると巨大に見えても、ネットワーク全体からみればほんの些少なものであり、要するに何だってありな世界の中で管理を行っているわけです。

ルールそのものは内規であり、それだけで何だってありな世界で生き残れる筈がないし、サービスに問題が起きれば内規を強化すると言うのは、ありえない選択でもあると思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 18:49 (UTC)

>むしろ同じ記事内で「ある人には、編集に制約を与えて」「その他の人は制約なく、自由に編集できる」ようにしようという意見は、そもそもアンフェアな主張です。むしろ私がNozawa onsen pottaさんのみに制約を科そうとするならば、「Nozawa onsen pottaさんのみに制約を科す理由」が無ければならず、それを私が、その理由を提供してないのだから、私の主張が「誰にでもあてはめるべき」意見であるのは明らかです。

この部分に関してはPemoさんが管理者だろうが、そうでなかろうが、当然同意しています。私が言っている事は、この前提を踏まえた上で、発言しています。

と言うか、こんな事をわざわざ説明しないといけないkinoriさんと合意しようとするのは、頭の弱った老人に振り込め詐欺の電話勧誘をするのと同じような話で、フェアでは無いと思って居ました。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 19:03 (UTC)

まぁそういう訳で、Pemoさんの提案は理解は出来るのだけど、やはり無理筋だと思っています。ajitaが消した記事と比べても、どっこいどっこいか、やや酷い無理筋具合と思っています。

と言うことで、管理者に任せて我々は暫く見守るフェイズに入りませんか?--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 19:22 (UTC)

と言うか、どのコースを選択しても穴が更に酷くなれば、そこで対応しなければならなくなるのは結局は管理者です。

Pemoさんの意見にしても私の意見にしても、まぁなんとか管理して行って欲しいと言う老婆心が含まれているとは思いますが、やはりご本人である管理者が実際の負担をなさるわけで、大穴になって玉砕する事になったとしても、実際に我々は対応出来るわけでは無いと思います。

まぁPemoさんは、今回の活動が認められ、これから管理者になって行かれるのが望ましいととは思いますが、私は当然まっぴらだし、この脆弱性が解消され次第、ウイキペディアは眺めるだけにしたいと思っています。

まぁ、そういう事で我々は少なくとも一旦退散しませんか?--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 19:44 (UTC)

あとPemoさんの意見だと、それこそKinoriさんの付けた大阪の講演の初期仏教長老などは、残ると思います。また本人が書いた本などの抜粋は残るだろうし、その部分に実状や史実と反する事が書かれていれば、結局は宣伝の除去にはならないと思います。

特別ルールに従っているじゃん?と言われれば、文句も言えず更に更にルールを強化する必要が出てきてしまえば、余計に始末に追えなくなるか記事の悪化を見過ごすことになると思います。

まぁ、やる前から、こんな事を言えば、余計に効果が薄れるとは思いますが、長い目で見れば当然おきうる事だと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年8月18日 (土) 01:06 (UTC)

Pemoさん路線で行くとすれば、生い立ちと著作物以外は書かないと言うルールのほうが徹底して良いのではありませんか?これだと逆に何かまずい事がありますか?--Nozawa onsen potta会話2012年8月18日 (土) 01:28 (UTC)

あれから色々考えてみましたが、今の記事でもさほど問題無いと言うのは、結局この僧侶がそこそこ有名なので百科辞典に記事くらいあっても良いだろうと言う我々読者としての視線での発言ですよね?

ところが、この記事を管理者と言う立場で見れば、教団幹部が自分の所の坊さんの記事を起こし、ルールにも従わず出展が付いていても削除を繰り替えしたと言う実績があるわけで、本来はajitaが、この記事を触れば「あいうえお」と書いても十分に悪質な宣伝にあたる上で、こういった行動を繰り替えしているわけです。

つまり管理者としてみれば今後はajitaに宗教(とくに仏教)関係の記事を触らないように忠告すると共に、この坊さんの記事は一旦は削除し、別の人が必要があれば起こし直すと言うのが本来の筋だと思います。

規約に違反する記事は、記事そのものを削除するのが通例のようなので、それに従うと、こうなる筈で、これに関して全く酌量の余地は無い筈です。--Nozawa onsen potta会話2012年8月21日 (火) 09:09 (UTC)

しかし、これが出来ないとなると、一般編集者が気を揉んだところで、どうなる筈もなく、結局ここも、そういう結果に終わったと言うことでしょう。

ここで、そういう本来あるべき対応が不可能だとすると、管理者的な次善手は知らぬ存ぜぬで、保護を解除しない事だと思います。

で、それの次に来るものとして、Pemoさんの言うような管理者だけ福祉の行き過ぎにした特別ルール設定をして保護を解除すること。

しかし、それすら管理者との合意すら成立しないのが、ここの実状なわけです。

こういう事を鑑みると、保護を解除し、記事が悪化するようだと、外圧を掛けますよと宣言し準備に入ると言うのが、一般編集者に出来る最善手のように思えています。

出来るだけ一気に畳み込めるように力を備えようと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年8月21日 (火) 16:06 (UTC)

一旦この記事を削除しajitaが、もう編集しないのであれば、私もこの記事に無理やりルールに乗せた記事を投稿しない事は約束しておきます。

良く考えてみると、これ以上の約束をする必要は私には無い筈です。--Nozawa onsen potta会話2012年8月21日 (火) 16:26 (UTC)

長くなりすぎて申し訳ありませんが、この点に関して、はっきりさせておきます。

>(私は「ほのめかし」も「観点を推進する」という立場です)

これ自体は、もちろん私もそう思います。しかしクライテリオンが無い所で、これに基づいたジャッジを公平に行う事は出来ないと言うことです。

実際に、ここもそうだったわけでしょう?まぁ確かに、ここはかなり酷いケースだとは思いましたが、おそらく原理的に見てもそうなのだと思っています。

で不公平が起きるのが判った上で、論理的には理解出来ない人に対して合意を得ようとするのは、数で攻めて解決しようと言うことであって、更に公平とは言えないわけです。

そもそも宣伝の除去に従った行動が管理者からも行われない所で、こんなプリミティブな議論をするのは、ちょっと難易度が高いし、結局意味が無いと思います。--Nozawa onsen potta会話2012年8月23日 (木) 15:33 (UTC)

法律であれば判例集はクライテリオンに準じるものです。

こういうのものが無いのに合意が成立したとしても、そんなのは恋愛などで勝手に合意するなら問題ないにしても、公平なジャッジ用になる筈が無いわけです。

だからこそ法律などジャッジが必要な場合に関しては判例集があったりするわけですよ。ジャッジ用は結局は実定的でなければならない為です。

ところが、ここは実定的には、ほど遠いので、ローカルルールの設定は無謀だし、どうせやったところで、これに従った長期運用が出来る筈も無いだろうし、施行面でも見ても、やはり無理筋なんです。

Pemoさんだって、ルールが決まったら、一生ここに張り付いて見張りしますか?土台無理でしょう?--Nozawa onsen potta会話2012年8月23日 (木) 16:01 (UTC)

私の疑義2点に関するPemoさんの説明には納得しがたいところがあります。「提案」という字を使わなかったから提案ではなかったのだ、という説明は、表面を繕うものでしかないです。提案でなく意見でも希望でも、後から言うことを変えたのは事実なのですし。そして、私の文を誤読したことについては、今度は私が方針に違背する主張をしようとしたというあたり、問題が変わっていないなあと思います。Pemoさんが書いた提案の含意を確認したまでのことなのに、どうして提案の外にもっていこうとするのでしょう。ここらあたり、Pemoさんが他人に求めることと、他人になしえていることの間にギャップがあると思うのです。が、考え方や受け止め方の相違があったとしても、ローカルルールそのものに対する賛成においては一致しています。Pemoさんがくださった「ローカルルールを成立させるため最低限の論点以外の論点においてKinoriさんと私との意見の相違に関して」の確認は、ありがたく受け止めます。私もそれにならって振る舞いたいと思います。
Nozawa onsen pottaさんは、反対ということですね。「利用者‐会話:Kinori#本当に酷いですね。」でもやりとりがありましたが、Nozawa onsen pottaさんは、管理者に対して記事の内容に保証を求め、それができないなら反対するということのようです。これはウィキペディアの有り様からいって不可能です。一ユーザーが主張しても、多数ユーザーが合意しても、できることではありせん。
他のユーザーの意見もいただきたいところですが、今のところありません。Nozawa onsen pottaさんの反対を押し切るというのも一つの決め方ではあるでしょうが、この場合、Wikipedia:投票を実施するのが良いと思います。ローカルルールはこの議論に関わらない人にまで、この対象に関わらない範囲まで、拘束するものです。賛成2人の合意でそれをするのはこころもとなくありますので、手続きを厚くするために、あらためて告知し投票を実施するのがよいだろうと思います。--Kinori会話2012年8月28日 (火) 01:18 (UTC)
(Kinoriさんへ)用事があり、議論を進められておらず、申し訳ありません。Kinoriさんが話を進めようとされている所で、大変心苦しいのですが、私自身は投票には反対ではありませんが、投票に関して、Wikipediaで投票をするなら、議論し合っている同士で最低限「投票の結果に従う」という点での合意があるべきではとは思います。もし投票を行ってもNozawa onsen pottaさんが「意に反して投票が行われたので、その投票結果に従わない」と主張した場合、その主張には理があると考えます。
どうして提案の外にもっていこうとするのでしょう」との事ですが、それは、それがローカルルールの解釈の話であり「提案の内」の話だからです。Kinoriさんは「そのルールに従い、私は「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇しません。そのことは申し上げておきます。」との事ですが、私の解釈では、ケース3に関して「「独自研究を載せるな」と主張」して「「出典の有る記述」を除去しようとする」ことは想定外です。ゆえに私とKinoriさんの間では解釈の相違があるわけですから、それを埋めようとしています。将来Kinoriさんが「「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇し」なかったとして、それはローカルルールとは全く関係が無いというのが私の見解です。それをもし「そのルールに従い」とKinoriさんが主張する予定であるなら、予め見解の相違を埋めておきたいと考えます。「「出典の有る記述」を除去しようとするかもしれず、その際「独自研究を載せるな」と主張することを躊躇し」ない事が、なぜ「そのルールに従」う事になるのでしょうか。説明願います--Pemo会話2012年8月28日 (火) 14:13 (UTC)

ひとつだけ言っておくよ

ウイキペディアはルールが複雑な上に、ブロックなどを始めとする強権を管理者が持っています。

つまり日頃はルールを突きつけて、それでもダメならブロックでと言うフローで対応出来るようになっているわけですが、これこそが管理者向けのバリアフリーでもあり、既にモラルハザードを作っているわけです。

管理なんて、どうやった所で本当のリスクから逃れられる筈もなく、リスクに素手で対応出来ない以上、バリアフリーから逃れる本当のリスクに対応に対応出来る筈が無いのです。

ここの件に関しては、既に状況や事情は極めて明確に判ってるわけで、ここでバリアフリーのレベルが足りなかったと反省するのは、当然間違った対応です。更に、ここだけをバリアフリーのレベルを上げて対応しようとするのは、もっと間違いです。

モラルハザードが起きる以前のレベルでの、正当な対応が行われる事を望みます。--Nozawa onsen potta会話2012年8月12日 (日) 02:51 (UTC)

ajitaさん、宣伝は、いけないよ。ウソの宣伝はもっといけない

と、管理者がajitaに対話した形跡が無いのが最大の問題点なのです。そんなの言わなくても当たり前の事だし、どうせ宣伝目的でしか書き込まないのは判っている事だけど、だからと言って、こういう当たり前の手順を踏んでいないのが、本当にまずいわけです。

それなしにルールが、ここのルールがどっちに向いるとか、解釈はこうだとか、ここだけでは更に拡張して、こうしようとか、ここだけで合意を得て話を進めようとか言う対応は、根本的に間違っているわけです。

こういうRough ConsensusだからこそRunning Codeになって、こういうネットでの書き込みも出来るようになってきたのがGPL系なわけですが、その上で管理して、こういう基本を無視するから、いつまでも話が収まらないわけです。

私のような、ドシロウトが、嫌々ルールを学んで、出典を付けたりしながら、なんとか対応しなければならないと言うのも、かなりおかしな話ですが、それは無能化し、約束だけはさせ、それでもこういう基本的なコンセンサスの確認もせずに、ルール拡張や合意うんたらとかなんて事が、根本的に起きる筈が無いのです。

どうして管理者やめろ!と怒るかと言うのは、こういう当たり前で、何ら合意も拡張も必要ない所で、どこまでも、そういう話だけをするからです。

当たり前の事を、まず行ったが、どうしようもそれだけでは、不足すると言う状況が、他の編集者に見えれば、場当たり拡張や強制合意も、やむなしと言うことに、見ている人らは納得するでしょう。

ところが、そういう事を全くせずに、管理フィーは下げる。なんとか対応しようとするものに対しては妨害すると言うのでは、誰だって快くは思うわけが無いのです。

こういう、ここのルール以前に当たり前な手順を管理者は、きちんと踏んで下さい。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 09:58 (UTC)

幇助と教唆

仮に、ここの人らが言うように、私が上げようとしている記事が不適格だとします。その場合は

1)私は上げる記事が無いので、編集保護のままでも構わなくなります。

2)また所詮、不適格な記事なので、白紙化も、たいして悪くもなくなります。

3)と言うことでブロックにも行きにくくなります。

4)編集保護の解除は私には不可能になります。

また、。で接続した文章が合成だったり、出展がある記事が独自研究だったりすると言う前提で議論が始まっています。

と言うことで、ルールの構造が理解出来ない方や、ルールを拡大解釈したい方が、編集保護の解除を強烈に遅らせている原因を作っているわけです。

そもそも、宗教のデタラメなプロパガンダを、ウイキペディアが掲載し続ける事は、特定の教団への幇助でもあり、また別の教団への教唆でもあると思っています。

しかしこういった認識が、ここの根底に無いようで、お友達意識や如何にも百科辞典的な表層だけに拘り、ルールをデタラメに振りかざしてきて困っています。

もっと百科事典の果たすべき社会的な責任を感じ取って、編集としての本質的なメンツを保って欲しいところではありますが、そもそも、そういう体質なのだから言うだけ無駄な事だとは言え、これは確実に一種の反社会的な活動であり歴然とした社会悪です。

これらは百科辞典編集にとって極めて不名誉な事だと思い、言わなくても当然だれか気がつくだろうと思ってたので、直接的に明言することだけは避け、こうみえて、ここのルールに則って対応してやるつもりでしたが、方針変更を検討する時期が来たのかと思っています。

ま、ルールに反して荒らすことはしませんけどね。ただし今まで自主的に行ってきた、お約束はすべて反故にさせて頂きます。--Nozawa onsen potta会話2012年8月5日 (日) 11:30 (UTC)

仮に、ここの人らが言うように、私が上げようとしている記事が不適格だとします。その場合は」「編集保護の解除は私には不可能になります」との事ですが、Nozawa onsen pottaさんが載せようとした記載が不適格であったとNozawa onsen pottaさんが認め、今後載せようとしない旨意思表示すれば、すぐ保護解除の合意はまとまると思いますよ。ですのでNozawa onsen pottaさんが編集保護の解除が不可能だとしても、他の人が保護解除の申請をするので、問題ありません。
出展がある記事が独自研究だったりすると言う前提で議論が始まっています」との事ですが、問題となっている記述のうちのスマナサーラさんへの言及が無い文献を出典とする記述はWikipedia:独自研究は載せないの「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」に反しており、独自研究であることは明らかです。私はNozawa onsen pottaさんが、そのことに関して異なる見解を持つことは認識していますが、そのような見解の人は現状Nozawa onsen pottaさんだけであり、他の人が当該部分を独自研究と看做すのは当然です。そのため、そのような「前提で議論が始まって」しまうことも、また当然です。もしそのような「前提で議論が始まって」しまうこと自体も納得いかないという事であれば、Nozawa onsen pottaさんが率先してコメント依頼するなどして、Nozawa onsen pottaさんの見解に沿う合意がなされるように努力すべきでしょう。--Pemo会話2012年8月6日 (月) 04:11 (UTC)

>記載が不適格であったとNozawa onsen pottaさんが認め、今後載せようとしない旨意思表示すれば、すぐ保護解除の合意はまとまると思いますよ。

はい、そうは思ってないわけですよ。だから、それも出来ないわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 05:30 (UTC)

そもそも、記述は、ここのルールに合わせてあるので、不適格とも思ってもいないし、また出典も付けないプロパガンダは、いつまでも許し続け、更にはルール構造の理解も怪しい議論を辟易とするまで、しこたまする人らに、なんら言われる覚えも無いんです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 06:23 (UTC)

更に、そもそもルールやその理解の問題では無く、根本的には、悪質な投稿者や怠慢な管理体質の問題で、こうなっていると思っているので、尚更ここで譲るわけにも行かないものだと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 06:27 (UTC)

ajitaの事にしても

私はajitaの事を教団員とか、事務員とか、ずっと誤魔化してきました。またブロックの場でさえ、事務局長もしくは、それのなりすましとして来ました。

悪いけど、最初から、どの教団の何と言う人か知っていたし、またその証拠を突きつける事も最初から出来たのですが、これを行うことは同時に、ここの管理の怠慢さを示す事でもあり、これをさける為にそうして来ました。

しかしHNが、コロコロ変わるたぶん管理者と思われる人が、自ら公表されるのには、大変驚きを感じました。

こんなことだと自らの怠慢さを告白している事になると思ったからですが、そうではなく結局は、幇助や教唆を継続している管理体制に何ら罪悪感を感じていないからだと、ようやく気が付きました。

もちろん、そういう記事を上げる佐藤は悪いに決まっているし、それでいて開き直っているのだから許しがたく悪いのも事実ですが、これを許し続けている管理体制も、本来は全く同様なわけです。

私の、ここでの活動は、これらの削除と中和を行って来たわけですが、そういう幇助や教唆の除去よりも、表面的なメンツのほうが大事なようで、単純にここの中だけでルールに従っても仕方ない事だと言う認識に至りました。--Nozawa onsen potta会話2012年8月5日 (日) 10:22 (UTC)

しかしHNが、コロコロ変わる」との事ですが、Wikipedia:署名の事を言っているのであれば、あれは操作したパソコンのIPアドレスでありWikipedia:利用者#IP利用者の「ログインしないで行う操作は接続に用いたIPアドレスで識別されます」の通りです。Wikipediaのシステムが、そういう実装なので、そこに文句を言われても、どうしようもありません。
また「管理者と思われる人」との事ですが、私は管理者ではありません。なんら根拠無く、人を管理者呼ばわりするのはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「印象操作」です。やめてください。 --Pemo会話2012年8月6日 (月) 04:11 (UTC)

勘違いなら失礼な話ですが、森らんてい、と言うのが本HNなのではありませんか?ところでPemoさんと名乗ってらっしゃるけれど、コロコロでは無く、コロと言うことなんですか?--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 05:33 (UTC)

と言うかじゃ、管理者じゃないとすると、それこそ管理者は何やってるの?と余計に思います。森らんていと言う人が管理者かどうかも知りませんが、私のノートに意味深なイタズラ書きをしているし、別の方が、あんなの相手にするなと書き込んだりしています。両方とも別のIPで消されていますが、記録は残っています。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 06:36 (UTC)

勘違いなら失礼な話ですが、森らんてい、と言うのが本HNなのではありませんか?」とのことですが、私は森藍亭さんではありませんし、Nozawa onsen pottaさんのノートに書き込みを行ったIP利用者も私ではありません。なんら根拠無く、私がを他の利用者とアカウントを切り替えているかのような主張をするのはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の「印象操作」です。やめてください。--Pemo会話2012年8月13日 (月) 18:30 (UTC)

半信半疑ですが、とりあえず信じる事にします。ご迷惑をお掛けしました。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 10:29 (UTC)

最後に 

とは言え、乗りかかった船ですので、ajitaのブロックは出そうと思っています。ただしこんな管理体質下では決まる見込みも薄く、時間も経過しているので、更に難しいと思っています。

そこで、ブロックは出来るだけ長期間にして、できれば追放も視野に入れて欲しい事を懇願しようと思っています。

ただし、これだけでは私の管理への当然の願望とは全く違う体質の、ここでは通用しないと思っているので、ついでに私のブロックも出そうと思っています。

ajitaが喰らうのと同じのを私も喰らわせろと言うのであれば、私からしてみれば終わっている、ここの管理者にも一石二鳥+カモネギな話だろうし、また同時にajitaの居なくなった後で私が悪さするのではないか?と言う心配も無くなるだろうと思います。

本来は、ここの管理体質を改善しなければ同様な事は、これからも起きうるわけですが、ここまで悪質な宗教が、ここまでうまく百科事典に忍び込む事も、そうそうないだろうから、実質的な落としどころになるのではないか?と思っています。

私は、そもそも編集したくて、ここにやってきたわけでも無いし、仕事として一日の過半数を他のGPL系に使っていて、GPL系は減らしたいと言うのも本音であるので、私としても、ちょうど良いわけです。

と言うことで、ここでブロック依頼を作りますので、添削頂けると助かるのですが、協力願えませんでしょうか?--Nozawa onsen potta会話2012年8月5日 (日) 10:22 (UTC)

私はajitaさんと、Nozawa onsen pottaさんの両者が、Wikipedia:独自研究は載せないにおける「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」というルールや、Wikipedia:検証可能性の「情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます」というルールや、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「相手の傲慢で一方的な行動に対して何か意見や問題点があったとしても、誠実な行動で対応する」といったルールを守ってくれれば、おのずと問題は解決すると考えているので(ajitaさんや、Nozawa onsen pottaさんが、これらルールに従う気が無い場合は別として)基本的に、ajitaさんや、Nozawa onsen pottaさんが投稿ブロックされるか否かは私にとっては重要事項ではありません。ようはルールを守ってもらえるようになるなら、両者共にブロックされたとしても、片方のみブロックされたとしても、両者共にブロックされなくても、いずれでも私は困りません。そのためNozawa onsen pottaさんが行おうとしている投稿ブロック依頼に協力する気はありませんので、その旨、ここで意思表示させて頂きます。ご自身でがんばってください。投稿ブロック依頼が実際に行われて、その内容に納得したら賛成票を入れますよ。--Pemo会話2012年8月6日 (月) 04:11 (UTC)

はいこちらからも、お願いしませんので、上のほうでルール構造の理解も怪しい人との熱心な議論をお続けください。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 05:37 (UTC)

と言うか、そもそもルールの欠陥やルールの尊守に問題があって、そもそも、こんな事が起きていると思っていますか?私は初めからそうだとは思っていないのだけど、まずは、ここが根本的に違うわけです。とは言え、まがいなりにもルールに従った行動を取るようにはしていますけどね?日本国には憲法と言う立派な法律があっても、幾らでも犯罪は起きているし、これからも起きるわけですよ。 --Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 07:03 (UTC)

刑法があるのに、コソドロは発生します。更に刑を厳しくしても発生するのは同じ事です。しかもコソドロが野放しなら、コソドロ天国になると言うのが私の言い分の根本にあります。ましてやルールを曲解したり、場当たり的に拡張しても、何ら発生を抑える事は出来ないわけです。コソドロは悪いですが、一方でケーサツ官が昼寝ばかりしているのも大きな問題だと思っているわけですが、文句ばかり言っても始まらないので、仕方なく現行犯逮捕をしようとすれば、今度はケーサツが邪魔しに来ていると現況を認識しています。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 07:32 (UTC)

更に、邪魔しに来たケーサツは、あたしは一般市民ですと言い放っているわけで、こんなケーサツは本当に困るわけです。更に刑法の構造理解もデタラメだから、本当にムカつくわけですが、ここはそういう社会のようで、それに関しては知ったことでは無いのですが、そもそもが刑法に問題があって起きている話では無く、ケーサツが昼寝していて起きている問題だと思っているので、議論が全くかみ合わないわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 07:59 (UTC)

一般市民と言い放つケーサツに抗議すると、今度は別のケーサツに取り押さえられ、謝ると言っているのに逮捕され、更には逮捕を延長させられました。その間に一般市民を装ったケーサツは、魔女裁判どころか欠席裁判も起こしたようです。これらを順に眺めてみると、昼寝していた事の、もみ消しだけは熱心であり、全く昼寝する習慣を改めようと言う姿勢は感じられないわけです。これじゃ、こっちも、一歩も引けないわけなんです。--Nozawa onsen potta会話2012年8月6日 (月) 08:31 (UTC)


潜在的に論争となりうる(特に存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する)記述 を除去しました。また無意味なタグも除去しました。)

Nozawa onsen potta|Nozawa onsen potta]]氏による存命人物に対する名誉毀損や侮辱に該当すると思われる記述を除去しました。該当箇所の記述はNozawa onsen potta氏による執拗な名誉毀損的書き込みと一体連動しており、百科事典にも相応しくない内容と考えますので、全削除しました。--ajita会話2012年6月11日 (月) 05:26 (UTC)

以下がAjita|さんが削除された部分です。--Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 05:52 (UTC)

  • スリランカは僧侶の得度式の日取りなどは星占いで決める風習である事が知られている。[55]彼は出家は星占いを戒律で禁止しているとしている。[56]
  • 彼は、テーラワーダ仏教はお釈迦さまの教えをできるだけ忠実に守ろうとするので、保守的だと言われることもあります。としている。[57]スリランカの仏教寺院には必ずヒンドゥー教の神が祭られている事が知られている。[58]また、彼はカーストで入団を規定しているシャム派の僧侶である。[59]
  • ヴェーダーンタ協会は、ヒンドゥー教の聖者であるラーマクリシュナを奉っている。[60]彼はそこに講演に行ったことがある。[61]
  • 上座部仏教の僧侶は227種の戒律があり、特に重要な項目として十戒があり、その中で不促金持戒(ふそくきんもつかい)により、お金に触れない事を規定している。[62]彼の著書に105円のLED付きライターを灯明用に自ら買いに行ったとある。同時にLED付きライターなどを脱線しているとして太字で強く否定している。[3]
  • 更に重要な戒律である八戒の歌舞観聴戒(かぶかんちょうかい)では音楽や芸能を観たり聴いたりしないことを規定している。[63]彼は、仏教では、音を聞くな、とは言っていません。と発言している。同時に〈音楽を聞くなかれ〉と戒める事は、苦行を語る宗教ならそのように説く可能性もあります。としている。[64]
  • スリランカは紀元前200年のころから仏教国です。大変歴史が長い。と発言している。[65]所属しているシャム派は、日本で言えば江戸時代にあたる1753年にタイからスリランカへ伝来して来た派である。[66]
  • ヴィパッサナーは、お釈迦さまが、我々に確実に悟りを体験できるように教えられた実践方法(修習,瞑想)です。と紹介している。[67]彼が所属しているテーラワーダ仏教協会が教えているヴィパッサナー瞑想は、1904年生まれのミャンマーのマハーシ長老が日本で言えば昭和にあたる1938年に教え始めた現代瞑想である。[68]
  • 彼は、民主主義的な世界を生み出そうというのが仏教の根本にあるから、あのミャンマーにおいても惨事が起こりにくいなどと発言している。[69]ご出身のスリランカの仏教僧たちの多くは,マイノリティへの譲歩を否定する傾向にあり,民族対立や紛争の平和的解決をめざす過去の交渉の多くに反対してきた事が知られている。[70]外務省の資料によると、2009年まで26年間で7万人以上の犠牲者を出した内戦が起きたとある。[71]この内戦はアパルトヘイト国際条約に違反する犯罪であるとする国際法学者の指摘も見られる。[72]

--Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 05:52 (UTC)

名誉毀損や侮辱に該当すると思われる記述とありますので、

1)まずは該当部分を指摘なさって下さい。

2)該当部分が名誉毀損や侮辱に該当する根拠をお示し下さい。

--Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 06:08 (UTC)

1)この僧侶の思想や活動などと、社会的に知られている、この僧侶を取り巻く情報とでは、かなりな格差があると言う事は認識しています。

2)出典は主として学術機関や行政機関のもので、この僧侶と対立関係にある機関のものではありません。

3)これらは、それを単純に並べてあるだけですので、名誉毀損や侮辱にあたるとする根拠を全く思いつきません。

4)そもそも、私の意見は全く入ってなくて、出典の要約や抜粋が記載されている事も確認できると思います。

5)なにか勝手なイメージを作り上げて営業なさっているのだとしたら、一種の営業妨害行為にあたるのかも知れませんが、情報は非合法な物を含みません。

6)と言うことは、執拗に削除を繰り返す荒らし行為を名誉毀損や侮辱に、かこつけて行っているのでは無いかと思っています。

7)また社会的に常識とされるような出典情報と並べただけで都合が悪いのだとしたら、そもそも何かのプロパガンダが目的なのでは無いかとも思っています。

8)と言うことで、悪質な削除荒らしであるAjitaさんが、筆者である私に対して、記事の破損などや、逆に名誉毀損的な行為を行っているのでは無いかと思っています。

9)Ajitaさんからの納得が行く説明があれば納得致しますが、そうで無ければ記事を戻して、今後Ajitaさんが記事の削除を繰り返さないようお約束を頂きたい所です。

10)以上が私の認識ですが、お返事に時間が掛かる可能性もあるので、1週間放置します。何もお返事が無ければ私の記事に差し戻して頂きたいと思います。

--Nozawa onsen potta会話2012年6月11日 (月) 08:18 (UTC)

1週間経過しましたが、何のお返事も頂けませんでした。ノートによる合意は得られませんでしたので、次の手続きに進むことにします。--Nozawa onsen potta会話2012年6月18日 (月) 00:18 (UTC)

たとえNozawa onsen pottaさんの意見が添えられていないとしても、当該人物に直接言及しているわけではないソースを引いて当該人物を貶める加筆をしているので、削除が妥当と考えます。それに対するNozawa onsen pottaのコメントは、「ノートを利用した荒らし行為」とでも表現したほうが良さそうな憶測と悪意に満ちたものです。社会人としてもう少し慎みを持たれることを老婆心から助言させていただきます。--ajita会話2012年6月18日 (月) 03:52 (UTC)

さまざまな理由を思いつかれるのだとしても、ノートでの合意を無視して削除だけを繰り替えされるので、投稿ブロックにAjitaさんを提出しました。--Nozawa onsen potta会話2012年6月18日 (月) 05:55 (UTC)

雑多なこと

上の節の議論とは関係ないところでいくつか、現行版のことを。

  • 思想・活動節の一行目、「現在は」は不要と思います。Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない
  • 同じ行、日本テーラワーダ仏教協会の宗教法人格の取得時期については出典要求をするまでもなく不要と判断します。主題に直接関係する内容ではないですし、記事日本テーラワーダ仏教協会とも食い違っています(向こうの記事で出典の提示を求めるべきかもしれません)
  • こころの時代出演はラジオ深夜便2010年4月号で扱われているようです。直接の確認が望ましいところとは思いますが、ラジオ深夜便公式サイトの掲載データベースを以て当該号に拠る記述がなされるまでの仮出典とすることの可否をお伺いします。

とりあえずこんなところで。--水原紡会話2012年6月13日 (水) 09:47 (UTC)

そう思うなら思うで、長いこと揉めているんだから、出典を、きちんと添えるなり、修正なさるなり、ノートで提案なされば良いことです。所が一切そういうのは無しで、出典の付いた物を削除されるし、なにもそれは私の記事だけでも無いわけです。出典もなしに思想欄を入れれば、独自研究かもしれないし演説台かも知れないし、プロパガンダかも知れないし、しかもそれで削除はするわ、挙句は名誉毀損だと言うわ、こういうのは悪質な荒らし行為と言われても仕方ないでしょう?これは主として水原紡さんだけに言っているわけではありませんよ。--Nozawa onsen potta会話2012年6月14日 (木) 01:05 (UTC)

と言うか、たとえばこの僧侶を初期仏教の長老と紹介したような新聞記事やラジオ放送などはあると思います。だから、初期仏教長老と紹介された。「新聞記事」と言うのは、当然OKだし、それがこの僧侶の紹介をするのに重要だと思う方がいれば編集なされば良い事なわけです。ところが中立的な意見を求めているウイキペディアは、ようするにこの初期仏教はアクロバット初期仏教だとした、根拠を示す記事を上げる事は可能だし、中立性と言うことに重点を置けば、当然そうすべきだと思います。こういう自然ななりゆきを阻害するような、編集しか行われていないのが、ここの実状なわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年6月14日 (木) 01:47 (UTC)

削除も編集の一手段だと思っていますが、例外を除けば優先される手段だとは思っておりません。本来は削除をノートで合議するのでは無く、そういう意見が出て納得するのであれば記述した人が自主的に削除すべき事だと思います。反論が無かったから全会一致で削除が行われるわけで、すくなくとも本人が重要だと思い、それがルールに違反していなければ、削除は出来ないわけです。しかし全く出典は付けないわ、議論はしないわ、と言うのはルール違反でもあり、荒らし行為そのものと言われても仕方ないし、その反論さえ無いのだから、これを放置すれば、ウイキペディアはアナキズムでは無いに違反するわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年6月14日 (木) 02:19 (UTC)

仮出典とすることの可否をお伺いします。>もちろん賛成します。と言うか、ご自分でこれを出典にすれば良いと思うのであれば、直接記事を上げてもルール違反でも何でも無いし、更にノートで断わりを入れるなら、これこれを出典として記述します!。n日後に記事に反映します!。と言えば全く問題ないと思います。と言うか誰も別に編集長と言う訳でもないので、ノートで反論も無ければ悪い道理がある筈もありませんよ。--Nozawa onsen potta会話2012年6月14日 (木) 10:03 (UTC)

ajita氏のブロック依頼を取り下げました。

ご本人が、対話に応じると発言なさったので、依頼を取り下げました。[73]

1)記事の保護を解除してください。

これを怠れば、またブロック依頼を提出致します。

2)しかし相変わらず、ブロック依頼の発端となった削除については、Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去に相当するもので正当だったと考えます。と発言なさっています。

まず、出典はついていますし、批判と言われても公的な論文などを提示してあるだけですので、該当するとは思えません。正当と思われる理由を述べてください。納得行く指摘があれば従いますが、そうで無ければ、コメント依頼を提出します。こちらも一週間ほどお時間をお渡しします。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 03:40 (UTC)

1).2)のお願いはajita氏にしているものです。念の為--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 04:03 (UTC)

1)記事の保護は私がやったことではないので解除を求められる謂れはありません。ブロック依頼をちらつかせるのは不当な恫喝です。応じられません。2)につういてはそもそもWikipediaの存命人物の伝記は「どこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべき」[[74]]とされています。当該人物に直接言及しているわけではないソースを引いた加筆はこの原則に反します。削除されるべきです。加筆の内容も当該人物の属性に関するネガティブな印象をことさらに強調したり、言動の矛盾を指摘しようと努力するものであり、「。」で分かたれているとしても、実質的に「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」と考えます。Nozawa onsen pottaさんがWikipediaのルールを理解して態度を改めてくださるようにお願いします。--ajita会話2012年7月8日 (日) 05:24 (UTC)

1)では保護の解除の申請はこちらで行います。

ただし急ぎませんので、この話が解決するまでは、すぐには解除を申請しません。

2)本人の思想を、三者的な機関の資料と並べるとネガティブになると言う道理が判りませんが、仮にネガティブだとして、どのルールに抵触するのでしょうか?抵触すると思われるルールをお示しください。

3)発表済みの情報の合成に当たるのだそうですが、全くそうは思いません。もちろんこれは私の解釈ですので、ご意見が間違っていない可能性もあります。

と言うことで、明日にでもコメント依頼を提出しようと思います。2)の理由をお考えになっておいてください。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 06:07 (UTC)

あなたが、Wikipediaの存命人物の伝記は「どこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべき」[[75]]という原則に反して、「信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したもの」ではないソースを付け加えているから問題なのです。態度を改めてください。--ajita会話2012年7月8日 (日) 13:40 (UTC)

はい、ですから、それに該当するとは私は思っていないわけです。該当するかどうかコメント依頼を提出すると言うことです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 13:48 (UTC)

当該人物に直接言及しているわけではないソースを引いた加筆はこの原則に反します。>と言う解釈が正当だとすると、当該人物の所属する組織や、それを取り巻く状況などは、全く記述する方法を、ウイキペディアが失います。と言うことで、この主張は認められない編集ルールの構造になっているわけです。逆にこれを主張すれば、今度はブロックの条件の7番の、宣伝・広告や政治的その他の一方的主張となる記事の投稿であると言うのに抵触すると思われますのでブロックの対象になりうると思います。また法人の取得年月日の違いや初期仏教など吹聴は6番の.事実に反し、ウィキペディアの価値や信頼を損ないかねない記事の投稿に当たると思われます。他にも予め言い分があるのであれば、おっしゃっておいてください。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 08:37 (UTC)

「当該人物の所属する組織や、それを取り巻く状況などは、全く記述する」ためには、あなたが、Wikipediaの存命人物の伝記は「どこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべき」[[76]]という原則を守って、「当該人物の所属する組織や、それを取り巻く状況などは、全く記述する」編集を行えばいいだけの話ではないですか?--ajita会話2012年7月8日 (日) 13:40 (UTC)

違反してるとは思ってないわけですので、意見が別れるわけです。だからコメント依頼しか無いわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 13:48 (UTC)

また、発表済みの情報の合成の問題なのであれば、削除を繰り返すのは不当な行為です。白紙化と言う荒らしと言うことに、ここのルールではなるので、今後は繰り返さないようにお願い致します。と言うか、白紙化を繰り返さない事はお約束頂けるのですよね?そうでもしないと、荒らしであるajitaさんが居るので、保護を解除出来ないわけです。お返事をお願いします。--Nozawa onsen potta会話

人を安易に「荒らし」呼ばわりしないでください。謝罪を要求します。--ajita会話2012年7月8日 (日) 13:40 (UTC)

白紙化をする行為は、「荒らし」の典型として、記述されている行為です。ルールをご確認ください。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 13:48 (UTC)

ついでに言っておきますが、発表済みの情報の合成が問題であれば、ひとつの記事の中に出展が、ふたつあれば、全て発表済みの情報の合成にあたる事になります。つまりこれでもウイキペディアは編集不能になります。また底意があるからと言う路線も、そもそもの編集ルールの根底を成立不能にするものです。と言うか底意があろうがなかろうが、それを問うのであれば、底意に対してルール化や判定方法が必要なのですが、これが無いので底意があったとしても、ルール的に問う構造そのものが、ウイキペディアにはありません。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 09:42 (UTC)

屁理屈にも程があります。あなたが、Wikipediaの存命人物の伝記は「どこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべき」[[77]]という原則を守って編集すれば、出典がいくつあっても問題にはなりません。、

はい屁理屈に見えるのですね?私には全く見えませんのでコメント依頼を提出するしか方法がなくなります。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 13:48 (UTC)

明日には、コメント依頼を提出しますが、情報の合成と言う事の解釈で提出します。他にも考えられるルールの提示をお願いします。また名誉毀損では無いのであれば白紙化は出来ませんが、承服頂けるのでしょうか?こちらは一週間ほど、お考えください。承服なさっても、ただちは、保護の解除は行いません。荒らし行為をなさる根本的なルール解釈に誤りがあれば、また保護になるだけだからです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 09:42 (UTC)

Wikipediaの存命人物の伝記は「どこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべき」[[78]]という原則を無視した編集が許されるかどうかコメント依頼していただけると助かります。--ajita会話2012年7月8日 (日) 13:40 (UTC)

原則を無視しているとは思ってないので、コメント依頼を提出するわけです。ではよろしくお願い致します。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 13:48 (UTC)

また名誉毀損では無いのであれば白紙化は出来ませんが、承服頂けるのでしょうか?こちらは一週間ほど、お考えください。>この件は、まだ日にちがありますが、お考えになっておいてください。将来的に保護を解除するのに必要ですので、忘れないようにお願いします。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 14:00 (UTC)

すみませんが、一方的に期日を指定されても困りますので、期限内の回答を約束することは拒否いたします。私のスケジュールの都合にあわせて、時間がある時に回答することはお約束いたします。--ajita会話2012年7月8日 (日) 14:19 (UTC)

Nozawa onsen pottaさんの編集態度は相変わらずですので、現段階では保護の解除の条件は整っていないと思います。保護の解除には反対です。--ajita会話2012年7月8日 (日) 14:23 (UTC)

白紙化などの荒らし行為をAjitaさんが繰り返すので、記事は保護になっているわけけです。間違えの無いようにお願いします。--Nozawa onsen potta会話

悪意に満ちた印象付け・誹謗中傷は止めてください。Nozawa onsen pottaさんの陰湿で執拗な「荒らし行為」が記事の品位を下げていることに自覚を持つべきでしょう。--ajita会話2012年7月8日 (日) 14:44 (UTC)


はいでは、私が荒らしなのだとすると、どの荒らしの規程に対応するのか、ご指摘ください。-Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 14:48 (UTC)

また、ajitaさんは、荒らしではない言われるのであれば、白紙化を行わない事を約束して頂くのに一週間かかるとも思えません。これを拒否なさるのであれば、実質的な対話の拒否とみなして、また早速ブロック依頼を提出することになります。--Nozawa onsen potta会話2012年7月8日 (日) 14:52 (UTC)

できればコメント依頼にしようと思って居ましたが、白紙化を止める宣言が出来ないのであれば、またブロック依頼を提出することになります。もちろん同時にコメント依頼とブロック依頼を出すことも可能ですが、他の編集者の負担もかかるので、まずはブロック依頼の打診から行います。白紙化などの荒らし行為を、今後はおやめになるのですか?如何でしょう?--Nozawa onsen potta会話

お返事頂けていないようですので、繰り返します。今後は出典の付いた記事の白紙化を行わない事を、お約束頂けますか?これは荒らしの規程にある重要なルールですので、そんなに猶予を持たす必要も無い事なのですが、一週間ほど時間を差し上げますので、ルールを確認なさるなり、ご思慮頂くなりをお願い致します。いや承服できないと言うことであれば、また投稿ブロックを提出致します。お返事が無い場合は、対話の拒否と言うことで、投稿ブロックを提致します。お返事を宜しくお願い致します。--Nozawa onsen potta会話2012年7月9日 (月) 02:26 (UTC)

繰り返しになりますが、一方的に期日を指定されても困りますので、期限内の回答を約束することは拒否いたします。私のスケジュールの都合にあわせて、時間がある時に回答することはお約束いたします。あなたの一方的な期日指定に従わなければ「対話拒否」とみなすというのは身勝手な脅迫行為です。断固として拒否します。--ajita会話2012年7月9日 (月) 07:17 (UTC)

いえ基本的なルールを守って頂くお約束ですので、本来は元々守るべきものなのです。ただルールを確認する時間も与えないのは、一方的だと思われるので充分な期間を設定したまでです。このままですと来週には、またブロック依頼を提出しますので、そこで意見があれば陳述なさってください。いずれにしても来週まで時間をお渡し致します。--Nozawa onsen potta会話2012年7月9日 (月) 12:23 (UTC)

白紙化などの荒らし行為をなさる方が居ない事を確認できないと保護の解除の依頼が出来ません。つまり、お約束頂けないと言うことは、立派な編集妨害行為にあたるわけです。また、お約束を頂く内容は基本的な、ここのルールです。と言うことなので、議論の余地は本来無い事なのです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月9日 (月) 13:12 (UTC)

繰り返しますが、「Nozawa onsen potta|Nozawa onsen potta氏による存命人物に対する名誉毀損や侮辱に該当すると思われる記述を除去しました。該当箇所の記述はNozawa onsen potta氏による執拗な名誉毀損的書き込みと一体連動しており、百科事典にも相応しくない内容と考えますので、全削除しました。--ajita(会話) 2012年6月11日 (月) 05:26 (UTC)」とした編集は正当なものと理解しています。荒らし呼ばわりされる筋合いはありません。同様の存命人物に対する名誉毀損や侮辱に該当すると思われる記述があれば、除去するのは当然のことです。自分の悪意を貫徹するために巧妙に他人の行動を縛るような真似は謹んでください。--ajita会話2012年7月11日 (水) 04:55 (UTC)

はい、おっしゃるとおりで、名誉毀損や侮辱に該当するのであれば、ただちに削除を行わないといけませんが、上のほうで私は以下のように述べています。

名誉毀損や侮辱に該当すると思われる記述とありますので、

1)まずは該当部分を指摘なさって下さい。

2)該当部分が名誉毀損や侮辱に該当する根拠をお示し下さい。

ところが、これにajitaさんは、お答えになっておらず、今回のブロック依頼に結びついたわけですが、削除を繰り替えされた部分に関して、上記にお答えになって下さい。--Nozawa onsen potta会話2012年7月11日 (水) 23:56 (UTC)

また、お時間の掛かる要求をしてしましたかね?しかしながら、これにお答えにならない場合は、また対話の拒否を理由にして、遅くとも来週中にはブロック依頼を提出することにします。--Nozawa onsen potta会話2012年7月13日 (金) 03:34 (UTC)

なるべく簡潔に済ませたいと思います。 Nozawa onsen pottaさんは編集保護になる前の版で、

  • スリランカは僧侶の得度式の日取りなどは星占いで決める風習である事が知られている。[79]彼は出家は星占いを戒律で禁止しているとしている。[80]
  • 彼は、テーラワーダ仏教はお釈迦さまの教えをできるだけ忠実に守ろうとするので、保守的だと言われることもあります。としている。[81]スリランカの仏教寺院には必ずヒンドゥー教の神が祭られている事が知られている。[82]また、彼はカーストで入団を規定しているシャム派の僧侶である。[83]
  • ヴェーダーンタ協会は、ヒンドゥー教の聖者であるラーマクリシュナを奉っている。[84]彼はそこに講演に行ったことがある。[85]
  • 上座部仏教の僧侶は227種の戒律があり、特に重要な項目として十戒があり、その中で不促金持戒(ふそくきんもつかい)により、お金に触れない事を規定している。[86]彼の著書に105円のLED付きライターを灯明用に自ら買いに行ったとある。同時にLED付きライターなどを脱線しているとして太字で強く否定している。[4]
  • 更に重要な戒律である八戒の歌舞観聴戒(かぶかんちょうかい)では音楽や芸能を観たり聴いたりしないことを規定している。[87]彼は、仏教では、音を聞くな、とは言っていません。と発言している。同時に〈音楽を聞くなかれ〉と戒める事は、苦行を語る宗教ならそのように説く可能性もあります。としている。[88]
  • スリランカは紀元前200年のころから仏教国です。大変歴史が長い。と発言している。[89]所属しているシャム派は、日本で言えば江戸時代にあたる1753年にタイからスリランカへ伝来して来た派である。[90]
  • ヴィパッサナーは、お釈迦さまが、我々に確実に悟りを体験できるように教えられた実践方法(修習,瞑想)です。と紹介している。[91]彼が所属しているテーラワーダ仏教協会が教えているヴィパッサナー瞑想は、1904年生まれのミャンマーのマハーシ長老が日本で言えば昭和にあたる1938年に教え始めた現代瞑想である。[92]
  • 彼は、民主主義的な世界を生み出そうというのが仏教の根本にあるから、あのミャンマーにおいても惨事が起こりにくいなどと発言している。[93]ご出身のスリランカの仏教僧たちの多くは,マイノリティへの譲歩を否定する傾向にあり,民族対立や紛争の平和的解決をめざす過去の交渉の多くに反対してきた事が知られている。[94]外務省の資料によると、2009年まで26年間で7万人以上の犠牲者を出した内戦が起きたとある。[95]この内戦はアパルトヘイト国際条約に違反する犯罪であるとする国際法学者の指摘も見られる。[96]

と記載しています。これはWikipediaの存命人物の伝記は「どこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべき」[[97]]という原則を無視した「どこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したもの」に依らない文章です。当該人物の発言と当該人物に直接言及していない資料から恣意的に抜き出した記述を並べることで、当該人物の信用や発言の妥当性を既存して否定的な印象を持たせようという極めて悪質な編集だと思います。Wikipediaの存命人物の伝記で出典としてはならないものを出典としているのですから、「出典無き批判は除去」[[98]]にあたると思います。「管理者は出典無しに否定的な論調の存命人物の伝記を発見したが、差し戻すべき中立的な観点による版がない場合、議論を経ることなくその記事を削除すべきです。」」[[99]]というのは、Wikipediaにおいて推奨される行為であると理解しております。ですので今後についても、Nozawa onsen pottaさんによって上記と同様の編集がなされるのであれば、差し戻すべき中立的な観点による版がない限りは削除せざるを得ないのではないかと思います。--ajita会話2012年7月17日 (火) 01:29 (UTC)

>信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべき

はい、該当人物の属性に関して、問題のある出典を使っているとは思っておりません。 どれも、本人の発言と、公共資料を、そのまま、写したようなものです。

私の意見は、XXXである。とか、○○している。とか、ですが、これが誉毀損や侮辱なのでしょうか?

と言うか、これらを否定なさるならば、生きてる人の属性は、記事に全く記述出来なくなます。

また即刻削除を行って良いのは、名誉毀損や誹謗中傷に関してで、どの出展が、誹謗中傷に当たるか、お示しにならないと、ajitaさんは白紙化の荒らしになります。

と言うことで、誉毀損や侮辱に該当する該当部分や根拠を再三に渡って、お尋ねしましたが、お返事は頂け無かったと判断し、対話を拒否されたと考えております。

続きはブロック依頼の場で、ご説明になってください。--Nozawa onsen potta会話2012年7月18日 (水) 13:01 (UTC)

IPから保護されているようなので

大変ご迷惑をおかけしております。どなたか、思想・活動の見出し項で、大言壮語の表現を修正したいので[5]

「大乗仏教優位論が顕著な日本仏教界において…」の一文を、「日本の仏教はお釈迦様の死後成立した大乗仏教であり、スリランカ、タイやミャンマーに伝わっているテーラワーダ仏教とは違う点があることを指摘している。」
「釈尊の説かれた本来の仏教は…」の最後、心を育てるための方法論であると「主張している。」を「説いている。」

に直していただけないでしょうか。--182.171.153.53 2012年8月1日 (水) 11:48 (UTC)

一部過去ログ化の提案

提案  このノートページは45万バイトを超えています。これは2番目に大きいノート記事であるノート:ウイグルよりも7万バイト以上巨大で、特別:長いページのものと比較しても5位に入るほどです。現在議論が行われている部分を除いて過去ログ化しましょう。 このノートページは急速に巨大化しています。編集が出来なくなるほど大きくなる前に過去ログ化した方がいいのではないでしょうか。--121.83.80.113 2012年8月16日 (木) 08:22 (UTC)

過去ログ化自体には賛成です。どこを過去ログ化すると良いか提案してください。私は、現在進行中なのは「15.2 こらIP君、答えなさい(笑)」と「20.2 雑多なこと」と「20.3 ajita氏のブロック依頼を取り下げました。」と「21 IPから保護されているようなので」かと思いますので、その他の節は一旦過去ログ化し、議論が必要な場合、必要だと思う人が元に戻せばいいかと思います。(全部一旦過去ログ化して、必要だと思う人が必要な部分を戻すというやりかたでもいいです)。ともかく他の人の意見も集約してください。--Pemo会話2012年8月17日 (金) 12:55 (UTC)

脚注より下にあるので、引越しました。--Nozawa onsen potta会話2012年8月17日 (金) 15:45 (UTC)

過去ログ化に賛成します。他の人がなさらないようでしたら、明日までに私が実施します。それと一応別個の問題になりますが、過去ログ化の前にしておきたいこととして、Nozawa onsen pottaさんによって作られた「#ひとつだけ言っておくよ」から「#最後に」までを「#星占い等について」の下におさめるように見出しレベルを修正しました。同じ対象を扱っているのですから、分けることなくおさめるのが適当でしょう。--Kinori会話2012年8月28日 (火) 00:29 (UTC)

出典・脚注

  1. ^ ^ Dutt, Nalinaksha. Buddhist Sects in India. 1998. p. 211
  2. ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 51
  3. ^ アルボムッレ・スマナサーラ(著)有意義な生き方 幸福に生きるとは? 126p
  4. ^ アルボムッレ・スマナサーラ(著)有意義な生き方 幸福に生きるとは? 126p
  5. ^ 心がスーッとなるブッダの言葉(2008)のpp15-16