ノート:アルブレヒト・フォン・ウラッハ
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翻訳元の英語版の文中に当時のイタリア外相ガレアッツォ・チャーノの1942年3月10日付の日記から「・・・Prince Alberto von Urach had visited Rome・・・」という引用があります。 文脈からするとこれは”Albrecht von Urach”のことだと思われます。これが引用者(翻訳元の作成者)の転記ミスなのか、引用元(チャーノの日記)の元々の誤りなのかが判りません。 引用元(チャーノの日記)にあたることができる方がいらっしゃいましたら本項(と必要がありましたら翻訳元の英語版も)の添削をお願いいたします。(この疑問は本文中ではコメントアウトにしてあります) よろしくお願いいたします。--Prancer70 2008年9月20日 (土) 10:06 (UTC)
- Alberto(アルベルト)はAlbrecht(アルブレヒト)に当たるイタリア語名です。--122.130.212.194 2008年9月22日 (月) 12:50 (UTC)
- ドイツ人でもアルベルトがいるようで名前というのは洋の東西を問わず難しいものですね。ありがとうございました。--Prancer70 2008年9月27日 (土) 10:25 (UTC)
バイエルン選帝侯?
[編集]「バイエルン選帝侯カール・テオドール」といえばカール・テオドール (バイエルン選帝侯)(1724年 - 1799年)のことでは。--アイランズ卿 2008年9月20日 (土) 10:37 (UTC)
- ありがとうございました。--Prancer70 2008年9月27日 (土) 10:25 (UTC)