ノート:アツミゲシ
アツミゲシの発見年について
[編集]アツミゲシが最初に確認されたのは1964年(昭和39年)であると長く書かれていたが、古い資料には1962年(昭和37年)とする文献があり、調査した結果1962年に発見されたとするのが正しいと判断されたので本文を修正した。しかし1964年であるというのがインターネット上では広く伝えられており、混乱を招く可能性があるため各文献の調査結果をここに報告する。まず発見年を1962年(昭和37年)とする記述だが、愛知県衛生部保健予防課が出版した『愛知県衛生年報 昭和37年』に「昭和37年5月中旬、(中略)パパヴエル・セチゲルム・デイーシー(けしの一種)が野生の状態で大群生していることが発見された。このような事例は我が国では初めてのもの」であったと書かれている。1963年4月28日の中部日本新聞の朝刊にはその経緯が詳細に書かれており、ここにも1962年5月中旬に発見されたと書かれている。また発見年は書かれていないものの、1963年5月27日号の『野田経済』にもすでにセティゲルム種が発見されたことが書かれている。以上のことから1964年以前に発見されていたことに疑いはない。一方、1964年を「発見年」とする主張だが、書籍を調査した限りではそういった記述は発見できなかった。しかしながら清水矩宏 編(2001)『日本帰化植物写真図鑑』には「1964年に愛知県で報告され」という記述が、清水建美 編(2003)『日本の帰化植物』には「井波一雄が愛知県渥美半島での大規模な帰化を報告(1964 採集ニュース2:9)」という記述がある。この文献の出版年が「発見年」であると広く勘違いされたのではないかと思われる。なお、この記事は名古屋に住む植物研究家(当時は中学教諭)の井波一雄が投稿した『けしてもけせぬケシ騒動』というタイトルの600字程度の短い記事である。記事にはセティゲルム種が見つかって地元紙で話題になっていること、一年前(1963年)に自衛隊が出動したこと、セティゲルム種が「渥美ケシ(原文ママ)」と呼ばれていることなどが伝聞形で書かれているもので、井波本人がセティゲルム種を採取したり確認したというものではなく、発見年についての記述もない。以上のことから、アツミゲシの発見は1962年とするのが正しいと判断されたため、本文を修正した。--Crust27(会話) 2024年6月21日 (金) 17:37 (UTC)