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ノート:アイヌの歴史

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外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

アイヌの歴史」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月17日 (土) 04:09 (UTC)[返信]

良質な記事の選考/アイヌの歴史 20230511への対応

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先日、選考でコメントいただいた件について、加筆修正が完了しました。既に選考は終えていますが、確認がしやすいようにIso10970さんのコメントを引用させていただきます。

1.全体構成:アイヌと縄文の結びつきを主張する瀬川拓郎氏の書籍があるとはいえ、アイヌ史の記述を本州にもある土偶や環状列石などから始めるのは通説と言えるのでしょうか?(例えば関連文献に挙げた『アイヌ民族の歴史』は、アイヌ史はアイヌが13世紀に民族意識を持つようになったとして、その最終的な母胎となる擦文文化から記述。また『新版北海道の歴史』には、「北海道のの縄文時代・旧石器時代までもアイヌ文化とすればいいと主張する方もおられる。だが、各文化期の内容の差は大きく、縄文土器を使用し、竪穴住居に住むアイヌ文化という表現は、現在の「アイヌ文化」の概念と大きくかけ離れてしまう」とあります)それは置いといても中世以前の充実した内容に対して、明治以降の記述が簡略過ぎると感じました。 2.冒頭部「アイヌは13世紀頃に北海道に移入してきた民族とする説があったが(アイヌ説、プレアイヌ説、コロポックル論争)」:リンクがあるコロポックル論争以外の、アイヌ説、プレアイヌ説は本文中に記述が無く、どういう説なのか注釈が欲しいです。 3.続縄文後期節「阿倍は渡島の蝦夷の求めに応じて、弊賂弁嶋(へろべのしま 奥尻島)の粛慎(オホーツク人)を討伐した」:弊賂弁嶋=奥尻島も有力と思いますが、渡島蝦夷の所在地についても諸説あり、「奥尻島などと推定されている」程度に留めるのが良いと思います。 4.蝦夷地の幕領化節「天明5年(1785年)からひそかに調査隊を蝦夷地に派遣してアイヌとロシアの事情を調査した」:「ひそかに」は誤り。幕府も隠密などから情報を得ていたようですが、1785年の調査は松前藩に通知した上で行ったものです(照井壮助『天明蝦夷探検始末記』が詳しい)。 5.開拓政策とアイヌ節「北海道本島においても政府は開拓のテコ入れとして和人への土地の払い下げを行い」:アイヌが利用していた山野が無主地として官有地にされたことを、最初に書くべきでは。 6.同「これらの強制移住で造られたコタンを強制コタンという」:出典の『北海道の歴史』の当該箇所にそのような記述は見当たりませんが、強制コタンとは江戸時代に場所請負人により作られたコタンのことではないでしょうか? 7.同:樺太アイヌと千島アイヌについて、明治の強制移住しか記述されていませんが、太平洋戦争での引き揚げも触れたほうが良いでしょう。

8.北海道旧土人保護法から先住民族アイヌへ節「1977年には成田得平がアイヌとして初めて国政選挙の立候補者となり」:誤り?『アイヌ通史』p.204、『アイヌ民族の歴史』p.228によれば、1946年の総選挙に大河原徳右衛門、辺泥和郎、川村三郎の3名が立候補してます。それよりも初の国会議員である萱野茂のほうが重要ではないでしょうか?このほかにも同化政策やアイヌ差別はもっと詳しく、またアイヌの観光化や、1992年の国連演説、2008年の国会決議なども記述すべきかと思いました。--Iso10970(会話) 2023年5月17日 (水) 07:24 (UTC)
  1. まず、縄文時代をアイヌの歴史に含めるかについてですが、これは先だっても言及しましたが「アイヌ民族(文化)の歴史」と「アイヌの歴史」は別だと思っています。この点は、Iso10970さんが引用されています『新版 北海道の歴史』 上(2011)も確認しましたが「「アイヌ民族の形成」という問題は「アイヌ文化の形成」という問題と密接にかかわっている問題であるだけでなく~」(p189-190)と記されており、本記事の構成と対立する考えとは思いません。日本文化は飛鳥時代から始まりますが、日本の歴史はその前から記述されることと同じです。その上でアイヌ史を縄文時代から記述することについて簑島栄紀は『アイヌ史を問いなおす』(2011)で、アイヌ文化の成立を一代画期としつつ「消極的なメルクマール」とし、瀬川拓郎や鈴木信の取組みを「縄文・続縄文・擦文文化とアイヌ文化のあいだを問いなおすものとして注目される」と評したうえで「アイヌ史の時代区分について幅広い視野からの総合的な再検証が望まれる」と結んでおり、縄文時代から連続する歴史観を持つ専門家は瀬川だけではないと考えます。加藤博文の言及も参照ください。また本記事では冒頭にアイヌのルーツが縄文時代まで遡る事と、アイヌ文化の成立が交易という観点から見直されていることの2つの観点があることを説明しており、問題ないと考えています。次に、近世以降の書き込みについては加筆しました。ただ、どこまで記述すればいいのかは人それぞれ考えがあると思いますが、重要なポイントはすでに抑えられているとの考えは変わりません。なお、加筆にあたってIso10970さんが記述された関連文献を参照したため、一部を参考文献節に移動しています。
  2. 執筆当初は、いずれアイヌ説とプレアイヌ説を新規立項をするつもりでしたが、調べているうちに百科事典的な内容にはならないと判断し、Nux-vomica 1007さんのご指摘も加味したうえで、人類学における研究史をアイヌ#遺伝的起源にまとめて、そちらへのリンクに変更しました。
  3. ご指摘の通りに修正しました。
  4. ご指摘の通りに修正しました。
  5. ご指摘の通りに加筆しました。
  6. 「強制コタン」について、私が出典とした『北海道の歴史』(2010年)を再確認しましたが、問題ありませんでした。もしかしてIso10970さんが参考とされた『新版 北海道の歴史』(2006年,2011年)と間違えていないでしょうか?また『アイヌ通史』(2021年)のp85にも同様の記述があり、この記述は問題ないと考えます。
  7. 太平洋戦争での引き揚げについては加筆しましたが、全体の構成を鑑みて注釈にて対応しました。
  8. 「はじめて」の記述は除去しました。「アイヌ観光」について加筆しました。「同化政策やアイヌ差別」について全体的に加筆はしましたが、上記したように重要なポイントはすでに抑えられていると思います。どこまで記述するかは人それぞれだと思いますが、百科事典は「要約」であるべきとおもいますので現状でも十分ではないかと思っています。--あずきごはん会話2023年6月11日 (日) 01:08 (UTC)[返信]