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ノート:やらせ

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リストから外した理由

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日本テレビ進ぬ!電波少年の最終回で加工品を海に沈め,それを某有名人に釣らせた。 は,「やらせ」ではなくて明らかな「ギャグ」だと思いますので,リストから外しました。 電波少年ネタでは「チーマーを更生させる」というような企画でスタッフを暴行するように依頼していた,というような事件があったように思います。 裏が取れなかったのでのせませんでしたが。以上の署名の無いコメントは、220.6.184.129会話/Whois)さんが 2004年9月26日 (日) 17:52 (UTC) に投稿したものです。[返信]

NHK総合「プロジェクトX~挑戦者たち~」の「ファイト!~町工場にささげる歌」(2005年5月10日放送)にて、大阪府立淀川高等学校が事実とは異なっていた(退学者数の間違いや、パトカーのことが該当している)ため、訂正・謝罪を申し入れていた。5月28日放送の「土曜スタジオパーク」で担当部長が謝罪。さらに5月31日の番組終了後には国井雅比古キャスターが謝罪した。 -この件は、単にミスであって「やらせ」とはいえないように思いましたので、削除させていただきました。--以上の署名のないコメントは、218.222.239.124会話/Whois)さんが 2005年7月10日 (日) 00:44 (UTC) に投稿したものです。[返信]

ウェルダン穂積氏の件は「あるある大事典」の一件の社会現象の煽りで加熱した報道が細かな上記のようなグレー路線までもまとめたものであり、当時のウェルダン穂積氏の記事によると報道陣も理解した上でのギャグとして取り上げていた。事務所解雇も謹慎程度であり自責の念からの自主退社らしく事実ではない。報道というものはえてして出版社の意向により記事の方向性を改ざんされることが多く、そこを偏った見方をするとそれ自体中立性のないやらせとなることがあるので外させていただきました。--以上の署名のないコメントは、Mizushimay会話投稿記録)さんが 2013年5月29日 (水) 21:14 (UTC) に投稿したものです(Kitimi会話)による付記)。[返信]

時期について

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フジテレビ系列の「いいとも」の項目にかかれている「最近」とはいつの事でしょうか。書いた人はきちんと責任を持って書き直してください。--以上の署名のないコメントは、150.49.169.102会話/Whois)さんが 2006年1月23日 (月) 07:53 (UTC) に投稿したものです。[返信]

新聞の「やらせ」の項は形容矛盾ではないか

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「やらせ」の定義は「日常の行動などにおいて、指示によって事前に打ち合せをしておきながら、自然に振る舞わせること」をいうわけですから、朝日の珊瑚事件や産経のコウノトリ合成写真は明らかに「やらせ」とは異なるでしょう。それともこれらの事件は組織的に行なわれたという意図を持ってこの項に書かれているのですか?58.188.157.181 2006年5月30日 (火) 04:54 (UTC)[返信]

最初の定義が確かに若干狭義であったようなので、包括するような言いまわしにしてみました。 --Lit-mas 2006年7月3日 (月) 17:12 (UTC)[返信]

もっと議論しませんか? 

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新聞の「やらせ」

「やらせ」の定義がゆれながら方向が定まらない感じがします。重要な問題だと思いますので、みんなでよく真剣に議論したうえで方向を決めませんか。まず、基本的に新聞にはあまり「やらせ」はないと思います。あるのは、そして問題なのは「虚偽報道」です。「サンゴ」然り。あれは不届きな観光客に「やらせ」たのではなく、カメラマンの「やり」です。古くは伊藤律会見というのもありました。別に伊藤律にウソをしゃべらせたのではありません。記者が自分で書いたのです。これも「やり」です。ワシントンポストの事件もそうでしょう。筆先三寸でいくらでも話を面白く出来るのが活字メディアの特徴です。しかも取材源秘匿の原則で虚偽も守られる可能性があります。新聞のやらせはせいぜいスチール写真の前でにっこり笑ってくれと要求する程度でしょう。これは我々が「はい、チーズ」とやるのと同じレベルの「やらせ」です。

テレビ、ラジオの「やらせ」

 一方、テレビ、ラジオは映像、音声によって事実を伝えるという宿命的使命を担っています。コメントと自然映像だけのテレビばかりでは誰もテレビを振り向きもしません。「映像」「音声」の情報源のかなりの部分が「人間」に関わってくるというのが放送の宿命です。テレビはものすごい力を持っていますが、意外と不自由なメディアです。映像音声に束縛されるのです。

出演者にいつもやっていることを、いつもの通り「再現」してもらい撮らせてもらうというのも一般感覚からすれば「やらせ」の部類に入るかもしれません。しかしこの程度は許されないと、テレビ・ラジオは成立し得ないところまで追い詰められるでしょう。この事態は決して視聴者にとってもメディアにとってもいい結果をもたらさないことでしょう。

ばばこういち氏の分類

「ムスタン」で大騒動になったとき、テレ朝のディレクター出身のばばこういち氏が面白い表を作って「やらせ」の問題を整理していました。うろ覚えですが、できるだけ思い出してみます。 まず左端に「事実」というのがあります。これはおおむね許されるといいます。ただし、隠し撮りは十分な必然性がない限り許されないでしょう。事実だからといって正当な理由なく女性のトイレを盗撮してよいわけがありません。また、右端に「ドラマ」というのがあったと思います。視聴者が「やらせ」だと確実に了解される形の「やらせ」がドラマだとすれば、こういうやらせも「完全にゆるされる」でしょう。それから右端から二番目あたりに「虚偽」があったと思います。ムスタンでいえば、「雨は一滴も降らなかった」というコメントとか「理科の実験です」といって羊の解体をやらせた部類です。前者は「虚偽コメント」、後者は「虚偽やらせ」と言えるでしょう。これは新聞の捏造記事と共通する問題といえましょう。これは世間的に言ってゆるされない。

問題はその中間のグレーゾーンなのです。ばば氏は「単純再現」と「悪質再現」という2種類の「やらせ」を挙げていました。「単純再現」はいつも起きていることをいつもの通り再現するものです。例えばある障害者の家庭に密着してその家族の食事のシーンを撮るとします。いきなりアポなしで押しかけていって、カメラとライトをもって侵入していってよいでしょうか?パニック起こして喧嘩になるのが落ちでしょう。しかしそういうシーンは必要であるかもしれない。そういう場合は了解を撮っていつものように食事をしてもらうというのは当然だと思います。しかし、そうでない再現があるという。例えば、「高山病の再現をおおげさにやった」「流砂現象」を再現させた。これらを「悪質再現」に分類して、許されないものとされていたような気がします。「単純再現」「悪質再現」の線引きは難しいと思います。また、「悪質再現」と「虚偽」の線引きも、いざやるとなるとなかなか困難だろうと思います。

ばば氏は「単純再現」と「悪質再現」の間に線を引こうとしていたようです。実際に問題はあるものの、あの時の一連の発言の中でばば氏がテレビ業界の存立と、視聴者の常識の接点を見出そうと努力されたのは出色だと思いました。

深い議論でよりよい定義を

事態が鎮静化している今の時点で大切なことは視聴者の一方的な論理でもなく、製作者の一方的な論理でもなく、一人でも多くの人が納得できる接点を地道に探っていくことが大切なのではないかと思います。皆さん、よく事実関係をお調べになってなかなかいい記事になっていると思うのですが、ここで現実に根ざした深い議論を重ねることによって本当に実り多い「やらせ」の定義が出てくるのではないかと 思います。--以上の署名のないコメントは、221.170.64.31会話/Whois)さんが 2006年8月6日 (日) 01:35 (UTC) に投稿したものです。[返信]

事実性と前提について

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新聞のやらせについては「やらせ」の本来の言葉の意味でいえば、やらせてはいないのでやらせではない、というのは道理ですが、「やり」という言葉はまず使われませんし、実行者と策謀者が同一かどうかは問題の本質においてはさしたる重要性はないと思われます。実際「やらせ」は「やらせ」という名詞として使われてますし。なので一緒でよいのではないでしょうか。

ばばこういち氏の分類について、極めて解りやすく、問題を明確化するものですね。 分類と問題点については最早足す必要はありませんが、強いて線を引くなら「事実に基づこうとするか」と「受け取り側が持つ『認識の前提』」でしょうか。 カメラや記者が居るにも関わらず、いないものとするのは作為です。しかしそれを行わなければ事実が伝えらないのも事実です。しかしそこでは、事実そのままであろうとする意思があります。 翻って悪質再現もやはり作為ですが、事実そのままであろうとはしてません。 ここに線が引けるのではないでしょうか。

あとそういった情報に対し、受け取り側が「事実」であると見ているのか、「演技」等としてみているのかで許容ラインは大幅に変わるでしょう。 言い換えれば「詐欺」として成立するのかどうか、ということです。 演劇を事実としては見ないですし、バラエティ番組で芸人が熱湯と称されるプールに落ちたりするのは、明らかな作為であれ受け入れられるでしょう。勿論そうと推察できるだけの材料は必要ですが。 その一方で、バラエティ番組であろうとも素人と言いながら芸能事務所の無名タレントを出すのはやらせです。 そこには前提、特に事実であることが重要でありながら、作為された実体との乖離があります。また、作成側に錯誤させることで利得を得よう(素の面白さといいながら作ったものを提供する)とする意図があります。 ここにも線が引けるのではないかと思われます。

--Lit-mas 2006年8月22日 (火) 08:29 (UTC)[返信]

Re:事実性と前提について

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Lit-mas様、レスが遅くなり大変申し訳ありません。

>新聞のやらせについては「やらせ」の本来の言葉の意味でいえば、やらせてはいないのでやらせではない、というのは道理ですが

道理というか、その点で議論は尽きているように思われるのですが。

>「やり」という言葉はまず使われませんし、実行者と策謀者が同一かどうかは問題の本質においてはさしたる重要性はないと思われます。

「やり」という言葉はテレビなどの「やらせ」の概念を浮かび上がらせるために敢えて使った言葉です。日本語としてはありうる表現だと思いますが、この表現を一般化する意図はありません。むしろ「虚偽報道」という概念を定着化させようと考えています。

 この項が「やらせ」でなく「虚偽報道」であるならば、おっしゃるとおり、実行者と策謀者が同一かどうかは本質的な問題とはならないでしょう。

 しかし、この項は「やらせ」であります。

 「やらせ」イコール「虚偽報道」ではないのです。「やらせ」は「カメラ」や「マイク」や「出演者」を使って製作者の意図に沿った映像・音声を制作する営みであり、映画、ラジオ、テレビ、ビデオなど、非活字系メディア特有の現象だと考えます。活字メディアの虚偽報道を「やらせ」に含めると、非活字系メディア、特にテレビ特有の問題点が見えなくなってしまいます。もちろん社会問題となるのは虚偽性を持った「やらせ」です。メディア特性の問題と、虚偽性・真実性の問題が複雑に絡まるところに「やらせ」の問題の複雑さがあると思います。新聞などの活字メディアの虚偽報道にテレビのような複雑さは伴ってきません。記者の邪悪な意図が単純に実行されるのみです。このメディア特性の問題こそ「やらせ」の本質であると考えます。また、実際、少なくともマスメディアにおいて新聞の虚偽報道を

解決案

果てしなく議論ばかりしていてもきりがないので、解決策を示そうと思います。

別に「虚偽報道」の項目を立てる

「やらせ」とは別に「虚偽報道」の項目を立て、「新聞のやらせ」として書かれている記事を移転する。既に「誤報」の項の一部に「虚報」という書きかけ項目があるが、虚偽報道を「誤報」のカテゴリーに入れるのは、過失と故意の混同であり、別項を立てることに問題はないと思う。

定義の変更

まず、定義は狭く限定した上で広義の定義も示し幅を持たせてはどうかと思います。

現行の定義

>やらせとは、事実関係に作為・捏造をしておきながらそれを隠匿し、作為等を行っていない事実そのままであると(またはあるかのように)見せる・称することを言う(事前に打ち合せをしておきながら、偶然通りがかった人として振る舞わせるなど)。 新聞やテレビなどメディアにおいて行われるやらせを指すことが多く、その場合にはヤラセ、また八百長とも表記される。元は業界用語であったが、「やらせ」が発覚して社会問題となった事で一般用語化する。

定義の代替案

やらせは狭義には映画、ラジオ、テレビ、ビデオなど非活字系のメディアにおいて、制作者が打ち合わせに従って、出演者に演技をさせてその様子を録音または録画し、作為がなかったかのようにして公開すること。その中に重大な虚偽性が含まれるとき、社会問題化することがある。

テレビ報道が社会問題になるとき、出演者の演技だけでなく、虚偽コメントや替え玉の出演者が明らかにされることがあり、そうしたものも含めて「やらせ」と呼ばれるようになり、新聞の虚偽報道も「やらせ」とする考え方も一部に出てきている。(以上) --塩崎伊知朗 2006年9月18日 (月) 18:50 (UTC) --以上の署名のないコメントは、机龍之介会話投稿記録)さんが 2006年9月18日 (月) 18:50 (UTC) に投稿したものです(Kitimi会話)による付記)。[返信]

塩崎伊知朗さん、こちらこそ返信が遅れてしまい申し訳ありません。

非活字系メディアと活字系メディア

まず結論から言うと、非活字系メディアであるかどうかで「やらせ」かどうかとすることには、反対します。 なぜならば、新聞や週刊誌など活字系メディアにおいても「やらせ」は行われているからです。 新聞においてはアンケートにおける誘導的な質問による結果の作為性など、週刊誌においてはゴシップ系を中心に語る必要も無いほど行われています。

「単純に記者の邪悪な意思」と言われますが、非活字系メディアでも動機は同一です。即ち「必要な労力すら削減」「過大な成果」を求め「非作為性が前提なものを作為的に作成する」ことです。映像メディアでやらせが多いことは確かですが、記録者とは別個の「演技者」が必須だったりするだけです。活字メディアでは記録者と演技者が同一でも済むだけとも言えます。

そして「やらせは何故問題なのか?」「何故問題とされるのか?」という本質論において、活字か非活字かは重要ではありません。 やらせが何故問題であることと、虚偽報道が何故問題であることは同一です。 私的には「作為性が入っていない」ことを前提しながら、それを裏切り「作為性を入れる(作為されたものを主体とする)」ことが本質的に問題であると考えます。演技しようが作為しようが、作られたことが前提ならば問題とはならないし、する必要もありません。 「何故起きるのか?」においても動機は同一です。ただしコストダウン圧力など誘発要因において新聞とTVでは大きな差があるでしょう。しかしそれはやらせの多寡の差(相対性)であり、有無の差(絶対性)ではないと考えます。

虚偽報道について

「虚偽報道」というカテゴリを設置することには反対しません。むしろ「虚偽報道」の広義カテゴリ内に、別途演技者を用意する「やらせ」があるのでしょう。ただ「やらせ」の方が有名というか一般化しているので、やらせの方が広義的に扱われることが多いのですが。 分離する必要性については、TVにおけるやらせの誘発要因の記述が増えた結果ではありますが、ありと考えます。

「虚報」については誤報とは動機が違うものであり、作為犯と過失犯の違いがあります。仰られる通り誤報とは明確に区分されるべきです。(ただし製作側の言い訳として「誤報」が用いられることが多いのが、問題にはなりそうですが……)

定義案について

明確で重大な区分が無い以上、現状でもさしたる問題はないとも考えますが、虚偽報道として分離するとすれば「報道」であるかどうかに重点を置くべきかと考えます。即ち前提として「事実を記録したのみ(作為性はゼロ)」なのかどうかです。対してやらせは前提として「ある程度の暗黙の事前承諾されている作為性はある(TVカメラを無いものとしている、要約されたものであるなど)」かで分けられるのではないかと思います。

そこで習いまして、案を提示させていただきます。

定義の案

やらせとは、広義的には作為・捏造・演技が行われていないことが前提とされている事柄に対し、作為等を行いながらその事実を隠匿し、作為等を行っていないそのままであると(またはあるかのように)見せる・称することを言う。「八百長」や「虚偽報道」、販売における「サクラ」なども「やらせ」と称される場合がある。

狭義的にはテレビなどメディアにおいて行われる、演技・作為が前提ではない部分で演技させる・作為すること(演技者を用意し事前に打ち合せをしておきながら、”偶然”通りがかった人として振る舞わせるなど)を指す。元は業界用語であったが、「やらせ」が発覚して社会問題となった事で一般用語化する。

こうすれば、ある程度の作為性は容認した上でも、やらせが問題であることを提示できます。その上で、報道であることを重視した「虚偽報道」が作成されると良いのではないかと考えますが、いかがでしょうか。 --Lit-mas 2006年10月3日 (火) 11:27 (UTC)[返信]

Re:非活字系メディアと活字系メディア

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議論にお付き合いいただきありがとうございます。どうも平行線になってきましたね。 問題の所在が明らかになると思いますので、取り合えず、「虚偽報道」の項目を立ててみて、その上で改めて議論を継続したいと思います。--塩崎伊知朗 2006年10月3日 (火) 15:26 (UTC) --以上の署名のないコメントは、机龍之介会話投稿記録)さんが 2006年10月3日 (火) 15:27 (UTC) に投稿したものです(Kitimi会話)による付記)。[返信]

客観性・出典を欠く記述について

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現在の版における「やらせの問題点」「対策」のセクションには、検証可能な資料が示されておらず、投稿者の思想・憶測のみを下敷きにして書かれたと思わしき記述が多々あります(「~だろう」等)。「やらせの問題点」では部分的ですが、「対策」は全てがそうです。出典となる情報をご存知の方は追記をお願いします。……感覚的に頷ける内容ではあるのですが、Wikipedia記事としてはダメでしょう。一ヶ月程度待ってみて、出典が付かないようなら削除してしまいます。--矢側 2010年2月18日 (木) 14:49 (UTC)[返信]

2010年2月18日 (木) 15:59に追記された内容も含めます。--矢側 2010年3月7日 (日) 16:54 (UTC)[返信]
削除を実施しました。追加で含めた範囲は今日以前に差し戻しを受けて、すでに消えていました。--矢側 2010年3月19日 (金) 17:19 (UTC)[返信]

最近の悪趣味なヤラセ

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最近の悪趣味なヤラセは度を超えています。放送禁止用語や差別用語のオンパレード。弱い物虐めや虐待という社会問題を無視した演出。いくらバラエティーはなんでもありとはいえTVの範疇を超えた無法地帯と化しています。あえて固有名詞は自粛しますが(分かる人には分かると思います)いくら不況とはいえ不況に甘えてお手軽なヤラセで最低限のノルマ達成で安心してるというのは業界人として恥ずべき行為だと認識して頂きたいと思います。本文には文章の趣旨に沿った範囲内で加筆致しました。--hilo 2010年2月18日 (木) 16:06 (UTC) --以上の署名のないコメントは、Hilo.feat.wiki会話投稿記録)さんが 2010年2月18日 (木) 16:06 (UTC) に投稿したものです(Kitimi会話)による付記)。[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

やらせ」上の4個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月17日 (土) 01:14 (UTC)[返信]