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ノート:きっこ/過去ログ1

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MAXについて

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きっこさんの好きなMAXについて、曖昧さ回避のページにリンクされちゃってますー。--ぽえこ 2006年11月19日 (日) 15:45 (UTC)

誹謗中傷・独自研究の除去について

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誹謗中傷・独自の研究・信頼できる情報源で検証できないとみられる書き込みを一旦コメントアウトで除去理由を書いた上除去しました。 ウィキペディアは百科事典であり、2ちゃんねるのまとめサイトではありません。 Wikipedia:五本の柱に簡潔にまとめられているように、中立的な観点に立脚し、信頼できる情報源によって検証できない情報や、執筆者個人による独自の研究は記載しないように求められています。加えて、存命中の人物の場合は特に、誹謗中傷にならないように留意が必要です。--miya 2006年11月23日 (木) 23:06 (UTC)

おっしゃる通りノートを参照しましたが、なぜ再度差し戻されたか、まったく理由がわかりません。記述もとくに悪意に基づくものではなく、中立に書かれていると思いますし、「五本の柱」にも特に反しているとは思えません。
「検証可能性」については、Miya さんは少々教条的に考えすぎではないでしょうか。たとえば、テレビで放映されたタレントの発言などをWikipediaに書き込むことは日常的に行われていますが、Miya さんのように解釈すれば、テレビを通じて多くの人が目撃している事実でさえも、第三者の学者やジャーナリストが文献化するまでWikipediaには書き込めない、ということになりませんか?
テレビだってウェブだって、多くの同時代人がリアルタイムで目撃しているという点で同じであり、そういう意味で、この記事に書かれていたことは、「独自の研究」などではなく、多くの同時代人がリアルタイムで目撃している事実にすぎません。
さらに言えば、Wikipediaが既存の百科事典などに比べて優れていると思われる点の一つに、このような速報性がありますが、そういう教条的な解釈をすれば、Wikipediaは出版メディアの後追いしかできないことになり、既存メディアに対するの優位性を一つ放棄することになってしまうのではありませんか?
ひょっとして誤解されているのかも知れませんが、私は特に政治的・思想的な意図を持って行動しているわけではまったくありません。しかし、きっこ氏がここに書かれていたような行動を繰り返していることは多くの同時代人が目撃している事実であり、きっこ氏が日記を出版するような状況になった以上、その事実は多くの人が知る権利のあることであり、Wikipediaに記述されるだけの公共性は十分にあると考えます。
また、ここに書かれていることの多くは、プライバシーの侵害でもなんでもなく、きっこ氏みずからが公開したことにすぎません。その後都合の悪いところはご自分で削除いらしているようですが、削除したからと言って、その発言に対する言論人としての責任が消滅するわけではないのは、すべての変更履歴が残るWikipediaで執筆していらっしゃる方々には言うまでもないことだと思います。
この書き込みに対して、説得力のある反論がないようでしたら、再度差し戻しの処置をとらせていただきたいと思うので、よろしくお願いいたします。studio-rain 2006年11月24日 (金) 01:30 (UTC)
>さらに言えば、Wikipediaが既存の百科事典などに比べて優れていると思われる点の一つに、このような速報性がありますが、そういう教条的な解釈をすれば、Wikipediaは出版メディアの後追いしかできないことになり、既存メディアに対するの優位性を一つ放棄することになってしまうのではありませんか?
まずWikipediaが何で無いかを探してください、次にそれを熟読される事をお勧めします、次にそれに基づいてきっこの日記が本当に必要な情報かどうかを冷静に判断される事を期待します。私は「きっこの日記は」他の星の数ほどあるゴシップサイトの一つに過ぎないと考えています、そういった下らないサイト一つ一つを検証して後世に百科事典として残す意義がまったく分かりません。あえて残すならば2006年のネット上の出来事、ネット文化等の年代別の項目に付随する一コンテンツとして残す程度で現状は十分すぎると考えますが?nasuda 2006年11月26日 (日) 15:35 (UTC)
Nasuda さん、ご意見ありがとうございます。ご忠告にしたがって、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを熟読させていただきましたが、結論から申しますと、私の意見はあまり変わりません。
「きっこの日記」がくだらないかについての、私や Nasuda さんの主観的な意見は別にして、客観的に観れば、彼女の日記が多くの人に影響力を持っているのは事実です。アクセス数は十万前後にも達し、立花隆をはじめとする著名なジャーナリストにも言及され、日経や産経などマスメディアの主催するウェブサイトにすら取り上げられ、自身の著作も出版されています。「家系図や人名録ではありません」にも「「大きな業績」かどうかは、様々な外部の情報源において取り上げられているかどうかで評価すべきです。」とありますね。
また、「後世に残す価値があるかどうか」を掲載基準にするのにも疑問を感じます。世の中には、短期間は大騒ぎされては忘れ去られてしまうような人物がたくさんいて、そういう人の多くも現に Wikipedia には掲載されています。私自身も、(そういう人たちに対する私の主観的評価はどうあれ)Wikipedia にそういう記事が載っていたおかげで助かったことは何度もあります。
これは、Wikipedia の公式の方針というより、現に Wikipedia がどのように利用されているかから見た私の個人的な考えですが、Wikipedia の収録範囲が、紙の百科事典よりも、よりくだらない方向やより短期間の方向に広がっているのは、むしろ、紙の百科時点ではマネできない Wikipedia の利点であると思います。
もちろん、「短期間」といっても程度問題で、1 ヶ月もたたずに忘れさられてしまうような人まで載せる必要があるかはさすがに疑問ですが、「きっこの日記」の場合、すでに 1 年以上も一定の影響力を保っており、波多陽区氏やレイザーラモン氏など比べても (^^)、記載する価値が低いとはいいがたいと思います。
さらに言えば、耐震偽装事件が「後世に残る」ことはほぼ確実であり、きっこ氏がその追及過程に(まちがったものも含めて)一定の役割を果たしたのは多くの人が認めるところでありましょう。したがって、将来「耐震偽装事件裏面史」のような本が出れば、そこにきっこ氏の名前が言及される確率は決して低くないと思われるので、後世の人にとってもこの記事が役にたつ可能性は少なくないと思われます。studio-rain 2006年11月27日 (月) 00:28 (UTC)
横から失礼します。
過去に議論があった9月の段階ならともかく、なぜ3ヶ月近くも経った今頃になって削除行為に走るのかが疑問です。2chのまとめサイトに対して圧力がかかってサイトごと削除、という話が出た直後にこの事態ですので、Wikipediaにも圧力がかかったのではないか?という疑問が強く湧いています。
さらに、「誹謗中傷」とありますが、どこがどう「誹謗中傷」なのか説明していただけますでしょうか?
またstudio-rainさんのご意見に関しては、「速報性」以外の部分に関して同意します。(「Wikipediaはニュース速報ではない」という原則があるので、速報性は無くても問題ないはず)Anonymass micch 2006年11月24日 (金) 14:25 (UTC)(代筆--崎宏 2006年11月24日 (金) 14:41 (UTC)(すいません、重ね重ね失礼しました。--micch 2006年11月24日 (金) 14:45 (UTC)

削除も編集も、いつだって出来ますよ。時間が経ったから、というのは何の保証もしません。そもそも、wpは個人の言動録では無いので、瑣末な内容は不要でしょう。--ゆきち 2006年11月26日 (日) 16:07 (UTC)

問題となった編集は
  • 日記から推測される
    • きっこの好きなもの
    • 好きなものへの言及における間違いから、本当に好きなのか疑問視されていること
    • 徹底的に嫌いなもの
  • きっこ語録
    • 文章の形式に関する表現
    • きっこの知識不足・勘違いへの指摘 および それに対するきっこの対応
Wikipediaで記事化されるほどの著名人の公式ブログなど公式ソースとして確認できるものは(例え、きっこ本人がすぐに削除したとしても)、ソースとして記述していいと思います。
ただ、「備考」の『「~ブログ」が「~日記」のミラーサイト~思っているようである。』は完全にエッセイだと思いますが。--経済準学士 2006年11月26日 (日) 16:20 (UTC)
どうやら「日記2」が発売されるそうで。今回の件はこれに絡んで販売側からの圧力があったのかなあ・・・と、邪推してみます。仮にこうだとしたら、悪しき前例になっちゃいますよね。「圧力をちょっとかければネガティブ情報を封印できる」事になっちゃいますから、もともと批判側に偏りがちだったとは言え、もう片方の言い分のみを一方的に聞き入れる事になっちゃいますから、NPOVの事実上の放棄ですね。今後同様の事例が多く発生し、「骨抜きWikipedia」が出来上がる事になるのではないでしょうか。
・・・と、挑発的な邪推はさておき。
基本的に経済準学士さんの意見に同意いたします。削除されたところを全部復活させる必要は無いでしょうが、削除される直前の版の中では、
  • 「人物」の第2段落目
  • 「きっこ語録」(雑誌でも取り上げられているくらいなので、問題ないでしょう)
  • 「指摘事項」の中で公式ソースなどで検証可能なもの(半分以上ありますね。ただしF1の件や国債費、村上ファンドの件は取り上げなくてもいいかと思います)
ここらへんは書いていいのかな、と思います。
ただ、miyaさんのおっしゃる「Wikipediaは2chのまとめサイトではない」という部分には同意します。2chの某板でここに対する過剰な期待がかけられているようですが、それは抑えないといけないかとも考えています。--micch 2006年11月27日 (月) 13:42 (UTC)

他人の悪口を書いて、金儲けしてるやつは(書籍や雑誌)、有名無名匿名関係なく凄くやな感じです。他人に厳しく自分に甘い現代のいじめ社会の見本がきっこかな?と思います。(この段落は、219.118.172.113さんの書き込み)

削除には反対です。理由は上に書いた通りで、削除要件を満たしていないと思います。 もちろん、経済準学士さんやmicchさんのおっしゃるような、部分的な修正にはおおいに賛成です。というか、そもそも、なぜ、どこに問題があるかも把握しないうちに、なんの合意形成も行わずにいきなりバッサリ削除したのか、そのことの方が不思議に思うのですが。最初から、どこが「誹謗中傷」でどこが「独自の研究」でどこが「著作権侵害」でどこが「百科事典的でない」のかを、きちんと議論して合意形成すべきだったと思いますが。studio-rain 2006年11月28日 (火) 00:29 (UTC)

昔リックフレア というプロレスラーが、オカマのカッコして 弱弱しく入場して、試合も 相手に少し攻撃されただけで 大きな悲鳴をあげたり、もんどりうって倒れたりして 同情をあおるふりをして、しかしレフェリーが見てない所では エグイ反則のオンパレード、しかもテレビの中継が終わりそうな頃になると、顔が変わって 相手を叩きつぶすのがリック流のプロレスだった。今のきっこさんは、弱い女を演じながら、いざとなるとドンナ手段を使ってでも 自分に歯向かう物を 叩きつぶそうとしている所が 批判されてる所ジャマイカな?(この段落は、219.118.172.113さんの書き込み)

一週間以上待っても反論がないようなので、そろそろ問題がなさそうな部分については復活させようと思いますが、よろしいでしょうか? こちらはちゃんと合意形成の努力をしましたので、今度は、消したい方も、いきなり消さないで、先にノートで議論してから消すかどうか決めていただけますよね?また問答無用で消す気だったら、今ここで反論していただきたいと思いますが。studio-rain 2006年12月7日 (木) 11:50 (UTC)

私は特に異論ありません。ただ旧記事が2chなどのまとめ縮小版+αにとどまっている感は否めないと思いますので、「Wikipediaとしての独自性」を考えた記事修正をしたいと考えています。--micch 2006年12月7日 (木) 13:44 (UTC)
削除終了を待っていました。下に意見を書きます。--miya 2006年12月7日 (木) 14:51 (UTC)

存命人物の場合

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11月24日にWikipedia:連絡先に「ウィキペディアを見たと言う人たちから、嫌がらせや脅迫のメールが連日届」くためとして項目削除を求めるメールがあったためこの記事を見たところ、看過できない状態であったので、問題があると考えられる部分を除去しました。それぞれの箇所の除去理由は コメントアウトの際に付記しています。

Wikipedia:存命人物の伝記は「翻訳中」テンプレートがついたままですが、内容はウィキメディアプロジェクト全般に適用されるべき基本方針の日本語訳です。ここでは、特に存命人物の場合は、特に速やかに問題がある(と見られる)記述を本文から除去するよう求められています。

「ソースが皆無か、あっても貧弱なソースのみの場合、否定的な題材は存命人物の伝記とそのノートから除去すべきです—その際の除去は議論無しで行なっても構いませんし、3リバートルールも適用されません。」「記事はどこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです。」「扇情的な速報を伝え、あるいは人々の生活について刺激的な主張を先頭に立って広めることはウィキペディアの果たすべき役割ではありません。」「信頼できる第三者的情報源によって文書化されていないなら、除去してください。」Wikipedia:存命人物の伝記より)

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E5%AD%98%E5%91%BD%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%98 本人の著書を出典とする情報については問題ないと思いますが、WEB上の情報は百科事典の典拠とするには不十分です。また本人の日記であっても、すでに削除された情報は「検証可能」とは言えないでしょう。

また、日本では「名誉毀損」に関しては大変基準が厳しく、記述が事実であろうと無かろうと「誹謗中傷」と相手が考えたら訴えられてしまうそうです。また事実でない場合は刑法上は「侮辱罪」にもあたります。--miya 2006年12月7日 (木) 14:51 (UTC)

「訴えられてしまうそうです」と書いていらっしゃいますが、訴えるのは根拠が薄弱であろうが、勝訴の見込みが薄かろうが、原告の勝手なんですから、「訴えられる」こと自体は書いてはいけない理由にはなりませんよね。揚げ足をとるようで申し訳ないですが。
なんだったら、私の責任で差し戻しますから、その内容に関しては、私を訴えるように言ってくれてもよいですよ。そういうことが可能なのかどうか知りませんが。だいたい、日常的に誹謗中傷的なことを書いている本人が言うことじゃないと思いますけどね (^^)。studio-rain 2006年12月7日 (木) 15:25 (UTC)
そういうことはあなたご自身のサイトであなたご自身の責任において行ってください。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんに「対立する相手や不愉快なものを非難・攻撃したり、あるいは読者を扇動するためにウィキペディアを利用してもなりません。」「法的リスクの回避所ではありません。」と明記してあります。--miya 2006年12月8日 (金) 00:02 (UTC)
誰も法的リスクを回避するなどと言っていないじゃないですか。もしWikipediaがヘタレで法的リスクをとるのがイヤなら、私個人が引き受けてもいいと言っているのです。もちろん、それが可能であればの話ですが。studio-rain 2006年12月8日 (金) 03:01 (UTC)
不可能です。あなた個人が引き受ると宣言してもウィキペディアのリスクは減りません。また放置した場合sysopには一定の責任が発生します。プロバイダ責任法はご存知ですね?--miya 2006年12月10日 (日) 23:54 (UTC)
誤解を与えたようで申し訳ないですが、「私が引き受ける」というのは、Wikipediaに責任をおっかぶせて自分の目的を達成しようとしているわけではない、という意思表示のレトリックとしていっているだけで、もちろん、本気で言っているわけではありませんよ (^^)。studio-rain 2006年12月11日 (月) 00:36 (UTC)

なおウィキペディアの記述が原因となって対象人物が脅迫メールを受け取るという事態は、ウィキペディアの文章が読者をあおるようなものであった、つまりWikipedia:中立的な観点からはずれる主観的編集が紛れ込んでいたと考えざるを得ません。

この発言にはちょっと驚きです。そもそも、そのメールの原因が Wikipedia の記事が原因であるという因果関係をどのような説明しているのか知りませんが、あのような日記を公表している人に、脅迫メールが来ることがそれほど驚くべきことでしょうか? 私にはそうは思えませんが。studio-rain 2006年12月7日 (木) 15:25 (UTC)
幸か不幸か、去年までに比べてウィキペディアはずっと有名になり影響力も無視できないほどになりつつあります。2ちゃんねるに書いてあることは信用しなくても、ウィキペディアに書いてあれば信じてしまうという人が少なからずいます。--miya 2006年12月8日 (金) 00:02 (UTC)
私は2ちゃんねるのことなど言っていませんが? きっこ氏がが書いている日記そのものを見れば、脅迫メールを書きたくなる人だっているだろうと言っているのですが。studio-rain 2006年12月8日 (金) 03:01 (UTC)
日記には良い部分も悪い部分もあるでしょう。こちらに悪い部分ばかり選んで抜き出すのとはわけが違います。日記だけ見て脅迫メールを書きたならない人でもウィキペディアの抜粋部分(+非好意的解説付)を見たら脅迫メールを書きたくなると思います。これでもか、これでもかと悪い印象を与えることばかりが並んでいました。--miya 2006年12月10日 (日) 23:54 (UTC)
「日記だけ見て脅迫メールを書きたならない人でもウィキペディアの抜粋部分(+非好意的解説付)を見たら脅迫メールを書きたくなると思います。」それこそ単なる推測ですよね。また、仮にそういう人がいたとしても、だからと言って、きっこ氏が受け取ったと主張する脅迫メールの大多数の原因がWikipediaの記事にあるという立証にはなりませんよね。
したがって、「きっこの日記」を見ただけで脅迫メールを書きたくなる人が一定数いる可能性が高く、したがって、脅迫メールを理由に記事の削除を要求することが不当である、という私の主張が否定されたことにはならないと考えます。
ついでに言えば、Wikipediaのガイドラインには、Wikipedia:法的な脅迫をしないという項目もあったはずですよね。
また、仮に否定的な内容が多すぎるという主張を認めたとして、それに対処する方法は、否定的な内容を削除することばかりではなく、肯定的な内容を追加するという方法もあったはずですが。studio-rain 2006年12月11日 (月) 00:36 (UTC)
さらに付け加えると、ここで指摘された矛盾点の多くについて、きっこ氏自身が日記の中で、人間だから間違えるのは当然だとか、こんな個人の日記を信用する方が悪いとかいう説明をしていてます。後で削除したり訂正したりするのも、間違った情報を残さないためだそうです。つまり、彼女自身は、このような間違いを犯したことを、悪いことだとも恥だとも思っていないのです。本人が恥だと思っていないことを書くことが、どうして名誉毀損になるのでしょうか。不思議でなりません。studio-rain 2006年12月7日 (木) 16:20 (UTC)
削除・訂正したものをあげつらうことが百科事典の役割でしょうか。ここは2ちゃんねるでも個人サイトでもありません。--miya 2006年12月8日 (金) 00:02 (UTC)
私も、きっこ氏がきちんと訂正履歴を残し、間違えた理由についてきちんと説明していれば、おっしゃるとおりだと思います。しかし、きっこ氏は決して謝罪もしないし、訂正するときも訂正履歴を残しません。これを意図的にやっているかどうかは定かではありませんが、見かけの信頼性と実際の信頼性に誤差があるのは事実であり、そのことを知らずに彼女のよい影響の情報だけを与えられた読者には、彼女の発信する情報の信頼性について、誤った先入観を与えられる可能性が大です。したがって、そのような信頼性に関する情報を提供することには、十分な公共性があると考えます。
Wikipediaの名誉毀損の項目にも、真実であり、なおかつその情報を公開することに公共性があれば、名誉毀損には当たらないとありますね。ですから、法的なリスクもないと考えます。studio-rain 2006年12月8日 (金) 03:01 (UTC)
この場合、名誉毀損をあえて行うだけの「公共性」があるとは考えられません。名誉毀損を解説した書籍をお読みになってみてください。公人・準公人としてブログを書いているわけでは無いのです。--miya 2006年12月10日 (日) 23:54 (UTC)
私個人の常識的な感覚からすれば、マスコミや読者に対してこれだけの影響力を持ち、政治家の行った悪事を実名で告発したり、実際に読者を扇動して社会に影響を与えようとすることもあるサイトの信頼性を明らかにする行為に、「公共性」がないなどとはとても思えないのですが、管理者のMiyaさんがそうおっしゃるのであれば、機会があればもう少し勉強してみることにしましょう。
その前に、ここでもう一つ指摘したいことがあります。それは、そもそも「きっこ」のようなネット上の仮想人格に対して、名誉毀損が成立するかということです。
私が匿名に対する名誉毀損に関するネット上の記事をいくつか読んだ限りでは、その匿名から実社会において実名で活動している個人の人格を特定できる限りにおいて、名誉毀損が成立する可能性がある、と説明しているものが多いようです。
常識的に考えても、「きっこ」というのは匿名であり、それが特定の個人の筆名なのかある集団の仮の姿なのかすら判明しておりません。したがって、その匿名に対する評価が下がっても、その「中にいる人」に対する損害は限定的なものであるはずです。
もちろん、限定的だからと言って、損害を与えていいということにはならないでしょうが、さらに考慮すべきだと思うのは、「きっこ」の中にいる人は、「きっこ」が匿名であることを、積極的に責任回避の道具として利用しているということです。
実際、きっこ氏はしばしば、自分が情報の信頼性に責任を持たない理由として、「個人のブログである」という理由を挙げています。
このエクスキューズが妥当であるか(個人的には妥当ではないと思いますが)はさておくとしても、きっこ氏のネット上のハンドルというのは、作家の筆名などとは違い、自分の発言に対する社会的責任を回避する手段として使われているのは明らかです。
そのように、自らの社会的責任は回避しつつ、社会に対する影響力を行使しようとしているところにも、きっこ氏のダブスタが現れており、このような仮想人格に対して、実名で自分の発言に社会的責任を負いつつ発言している方々と同等の保護を与えるべきなのか、私の常識的な感覚からしてもかなり疑問に感じます。studio-rain 2006年12月11日 (月) 02:10 (UTC)

たとえば、ひとつひとつは事実でも、特定の事実を選択して並べることによって項目本人に対する敵意を読者に抱かせるような編集というものだったとも考えられます。 反対に、逆境にある人物に応援メッセージを送っているところを取り出せば「正義の味方」のように記述することも可能です。が、どちらのやり方にしても中立的観点からはずれ、また独自調査のそしりを免れないでしょう。

文章を復帰させるかどうかについては、上の諸方針に照らし合わせてこのノートで具体的に議論した上でお願いします。--miya 2006年12月7日 (木) 14:51 (UTC)

具体的な議論をお望みならば、まず、削除された方から、どの部分はどの理由でダメであるということを提示すべきではないでしょうか。どう考えても、「きっこ語録」から「矛盾点の指摘」まで削除理由が同じであるはずはないでしょう。それとも、私のほうから、項目を一つ一つのとりあげて、「これはいいですか?ダメですか?」とやらなくてはいけないのでしょうか?studio-rain 2006年12月7日 (木) 16:20 (UTC)
除去の理由は2006-11-23T22:50:03の版にコメントアウトで書いています。2006-11-23T23:16:36の編集で Studio-rain さんは (差し戻し。ここに書かれていることが、「独自の研究」ではなく単なる事実にすぎないことは、「きっこの日記」をリアルタイムでウォッチしている人間なら誰でも知っていることです)と要約に書いておいでですが、「リアルタイムでウォッチしている人間」は「検証可能な」「信頼できる情報源」とは言えません。--miya 2006年12月8日 (金) 00:02 (UTC)
ですから、それがぼく一人ならそうでしょうけど、十万人いるんですよ。信頼性を高めようと思えば、いくらでも高められるじゃないですか。
仮に信頼できるジャーナリストが記事にするにしたって、ぼくら目撃者数人に裏トリをするだけでしょうから、現実問題として考えれば、信頼性に大差はないはずです。なんだったら、このノートで目撃者をつのって裏トリをしたっていいと思うんですが。
そもそも、この信頼できる情報源が必要という条項は、誰が浮気をした、みたいな一部の人しか知りえないことに当てはめるべき項目で、十万人もの人間が目撃していることに当てはめるのは妥当ではないと思うんですが。studio-rain 2006年12月8日 (金) 03:01 (UTC)
それに関する議論をお望みなら、Wikipedia:井戸端へどうぞ。--miya 2006年12月10日 (日) 23:54 (UTC)
必ずしも議論をお望みではありません (^^)。私はむしろ、ガイドラインの Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいにある、「もしも、いまあるルールが妨げとなって、ウィキペディアの改善や維持が難しくなるのなら、そのルールを無視することも考えてみてください。」という精神にたってこの発言をしているつもりです。
つまり、私の考え方は、必ずしもWikipediaの表面的なルールに厳密には沿っていないかもしれませんが、Wikipediaの精神には合致していると思っています。
ですが、もしMiyaさんが井戸端で問題提起をしていただけるのであれば、時間の許す範囲でその議論に参加することはやぶさかではありません。studio-rain 2006年12月11日 (月) 00:36 (UTC)
横から失礼しますが、miya氏の今回の対応は、西和彦の件と比較すると「対応基準がダブルスタンダード」の感が否めませんね(該当項のノートで、miya氏は「間違っているのなら何処が間違っているのか示して欲しい」旨のコメントを出しているのみで、項目の記載内容については特に問題視していない、とも取れるコメントを書かれています)。なんで対応が違うのか、説明を頂きたいところです。西氏のほうがより強硬的に見えるだけになおさら。Wikipediaのルール以前の問題だと思います。--micch 2006年12月8日 (金) 13:58 (UTC)
西和彦で問題になったのは、「書籍=信頼できる(はずの)情報源」で検証可能でありながら「本人」から「間違っている」と異議の出た内容です。存命人物の場合、マスコミや書籍で検証可能な情報ですら、本人から異議が出れば、そのまま掲載すべきでない、きっこのように「書籍=信頼できる(はずの)情報源」が無い場合はなおさら、掲載すべきでない、という立場です。--miya 2006年12月10日 (日) 23:54 (UTC)
ご説明感謝いたします。差異があるとしたら書籍での紹介の有無かな、とは思っていたので、予想通りの回答ですね。ただし、書籍に書いてあるからと言って信頼できるとは限らないし、書籍に書いてあるにも関わらず記載を控えている項目も多数存在します。またmiyaさんの方針だと、書籍に記載が無いものは全て記載NG、という事になりますが、そうなのでしょうか?(これなら是非はともかくある程度の一貫性が出てきますが)
とは言っても、きっこ氏から「何が間違っているかの説明」が無く、またきっこ氏の言い分をまったく検証せずに、言われるがまま(or脅迫されるがまま?)に、個人サイトレベルではない、ある程度信頼できる出典元(J-CASTニュースなど)が明記されている記事まで削除してしまうのはやり過ぎな気がします。今後同様の事例が多数発生しますよ?
・・・と責めてみましたが、miyaさんの行動の是非はもう議論の主題ではなくなってますし、「事例を書くこと全てがダメ」という話ではなさそうなので、これ以上miyaさんのことを責めるのはやめます。もし仮に下の議論が起きる事を狙って「あえて全削除」したのなら、これまでの私の不明を詫びますが・・・--micch 2006年12月11日 (月) 14:16 (UTC)

百科事典としてふさわしい内容を

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そもそも、日記を見ればわかることをここに並べ立てる必要はありませんし、執筆者が恣意的に選択するというのは、「独自の研究」にも当たります。 また、かつて日記に書かれたが現在は削除されている内容については、検証不可能につき書くべきではありません。

上にも書きましたが、私は、この「現在は削除されている内容については、検証不可能につき書くべきではありません」という方針が少々杓子定規に過ぎるのではないかと申し上げているのです。
Miyaさんのおっしゃることは、極端に言えば、たとえ衆人環視の中で犯罪が犯されたとしても、後で第三者のジャーナリストが記事にするまでは、当事者ですらWikipediaには書き込めないとおっしゃっているように思えます。
ご存知のように、当事者が自ら執筆者となって記事を書けるということこそが、Web2.0的なサイトの強みであるはずですし、上でも指摘したように、芸能人についての記事などでは、テレビでの発言がその場で書き込まれるようなことは日常的に行われています。なぜ芸能人の記事ならよくて、ウェブサイトの記事ではいけないのかについて、説得的な説明はありますでしょうか。
芸能人のテレビでの発言などは、ビデオなどで検証可能であるというなら、「きっこの日記」に書かれたことだって、ウエブ魚拓やキャッシュやらでいくらでも検証可能です。
それ以前に、10 万前後の人がリアルタイムで毎日見ているのですから、もし完全に間違っているなら、見て間違っていると思った人が訂正すればよいことです。そういう具体的な訂正がこれまでなされていないこと自体が、十分な事実性の担保になっていると思いますが。studio-rain 2006年12月7日 (木) 15:17 (UTC)

studio-rainさんは 2006年11月27日 (月) 00:28 (UTC)に

>アクセス数は十万前後にも達し、立花隆をはじめとする著名なジャーナリストにも言及され、日経や産経などマスメディアの主催するウェブサイトにすら取り上げられ、

と指摘しておいでですが、これこそ、百科事典としてふさわしい内容、ウィキペディアに加筆していただきたいことです。それらのジャーナリストやメディアにどういう風に取り上げられているか、客観的に、中立的に、かつ著作権侵害にならないよう(できれば引用ではなくURLを示す形で)。それでこそ、検証可能性も中立性も満たせる編集となります。

>耐震偽装事件が「後世に残る」ことはほぼ確実であり、きっこ氏がその追及過程に(まちがったものも含めて)一定の役割を果たしたのは多くの人が認めるところでありましょう。

その「一定の役割」について、客観的に加筆される分には反対いたしません。--miya 2006年12月7日 (木) 14:51 (UTC)

それは別によくご存知の方がどんどん加筆したらいいんじゃないですか。別に、ぼくは肯定的なことを書くことに反対したことは一度もありませんよ。そもそも、ぼくはこの記事に執筆したことなど一回もないし、今後も執筆する気もありません。ぼくはただ、この記事には自分が知る範囲に置いて確かに正しいことが書かれているので、有益な情報源として利用していただけですし、その有益な部分があまり説得力のあるとは思えない理由でいきなり削除されていたから、差し戻しただけですから。studio-rain 2006年12月7日 (木) 15:17 (UTC)

本議論にはじめて参加いたします。以下は、本項目が変更される以前に、議論を提案しようかと思ってメモしていたものです(書いてから時間が経って、自分の意見を多少客観視できるようになってから投稿しようと思っていました)。百科事典として妥当性に疑問をもった箇所をリストアップしました。 miyaさんのご指摘のとおり、存命中の人物に関する項目であることから、内容には慎重を期する必要があると思います。そのうえで、修正して差し戻されるつもりの方がいらっしゃいましたら、よろしければ参考にしていただければ幸いです(上の議論に提示されたテーマと重複する箇所もあります)。

百科事典として不適切と思う表現を以下に挙げます。

  • 「一介のヘアメイク」

「一介の」は、見下す表現に見えます。「関係者ではない一個人」としてはいかがでしょうか。

  • 「順位が間違いだらけのF1結果記事を書いたり、MAXのメンバーのTV出演曜日を間違えてたり、ウォン・カーウァイの映画の代表作の題名を間違えて書いていたりするなど、本当にそれらを好きなのかどうかは疑問視されている」

独自の研究が含まれています。本当に好きなものなら間違えないはずだ、という判断が背後にあるようですが、自明ではありません。好みの傾向と記憶の正確さが対応するとは言えないからです。また、「疑問視されている」という断定調も、疑問視していない人もいるため誤りです。

  • 「また、ヘアメイクアーティストを自称しているが、ヘアメイク関連の記事が書かれることはまず無い」

書かれた内容についてまとめるなら適切ですが、書かれていないことを指摘するのは蛇足でしょう。

  • 「数多くの矛盾点や問題点が指摘されている」

日記の分量に対して、指摘された点は相対的に「数多い」と言えるでしょうか。多いか少ないかは書き手の主観であり、不適切でしょう。とくに「矛盾点」や「問題点」のように重要な内容に関わる場合、慎重な吟味が必要かと思われます。

  • 「ここではそれらの代表例を記すが、指摘事項群のごく一部にしか過ぎないので、まとめWikiも合わせて参照されたい。」

「まとめWiki」のリンクを張るだけにとどまらず、その参照を推奨するのは、明らかに百科事典の役割を超えています。百科事典は、一定の考えをもったグループの勧誘場所ではありません。

  • 「きっこ自身はこれらの指摘について「根も葉もない誹謗中傷」と非難している」

中立的な観点。一方は「指摘」、他方は「非難」と、表現が偏っています。立場の違いによっては、「きっこ自身はこれらの非難について「根も葉もない誹謗中傷」と指摘している」と書くことも(文章はやや苦しいものの)可能です。

  • 「(但し、どれが「根も葉もない誹謗中傷」に当たるのかは示していない)」

但し書きによる印象操作に見えます。百科事典には不適切な手法。「~を書いた」「~をした」というポジティブな対象ではなく、「~を書いていない」「~をしていない」という実現されていないネガティブな対象について百科事典に書くのは難しいと思います。もしも書く必要があるなら、非中立的な判断が入り込まない、独自の研究がないように特別な注意が必要です。

  • 「居直る」

非中立的。

  • 「こっそり修正」

非中立的。

  • 「なお、この件以来、2ちゃんねるの速報+系の板では「きっこの日記を直接のソースとしたスレッド立て」が禁止されるようになった」

まるで「2ちゃんねるの速報+系の板」の出来事に重要な事件性があるかのような書き方ですが、疑問です。この但し書きは不要でしょう。

  • 「間違いだらけのF1成績表」

テレビ観戦したF1の成績表に勘違いがあることまで百科事典で取り上げるのは不適切。

  • 「会ったこともない」「こっそり修正」

非中立的。

  • 「村上ファンドの件で「2006/6/5 15:00にガサ入れ+4人逮捕」と宣言しておきながら、実際にはガサ入れ無し+逮捕は村上1名のみ」

個人が宣言した内容が外れると百科事典の記事にまでなるのか、疑問です。また、「おきながら」という表現には非難のニュアンスがあり、中立的な観点から不適切です。

  • 「子猫殺しを猛烈に非難していたが、きっこ自身も猫虐待歴がある」

「子猫殺し」を主題にした文と、「猫虐待歴」について述べた文を接続詞「が」で結ぶことにより、両者の価値が近いような印象を与えます。しかも、「猫虐待歴」とするのは踏み込みすぎた判断で、独自の研究にあたります。

  • 「なお、この件に関してはJ-CASTのインタビューで「多分私が書いたものだと思う」と、内容を事実上認めたコメントを出している」

「この件に関しては」という表現が曖昧なため、「内容を事実上認めた」が「猫虐待を認めた」のように読めます。「多分私が書いたものだと思う」という文は、ある特定の文章について、その筆者は自分だと認めたのであって、私は猫を虐待したと認めたことと同じではありません。

  • 「アクセス数アップのためか」

独自の研究。削除したほうがいいでしょう。

  • 「多くの閲覧者は「~ブログ」の方が本サイトだと思っているようである」

独自の研究。「思っているようである」というのは、百科事典の文体ではありません。仮に多くの閲覧者が本当にそう思っているのだとしても、ソースを示せないならここには書くのを控えるべきでしょう。

指摘点は以上です。削除部分の差し戻しを検討されている方、よろしければご検討ください。 --Tito 2006年12月8日 (金) 00:10 (UTC)

Titoさん、建設的な提案をありがとうございます。たいへん参考になりました。以下は私の修正案です。
  • 「一介の」は、見下す表現に見えます。「関係者ではない一個人」としてはいかがでしょうか。
完全に同意です。
  • 「本当にそれらを好きなのかどうかは疑問視されている」
「疑問視する声もある」ではいかがでしょうか。
  • 「また、ヘアメイクアーティストを自称しているが、ヘアメイク関連の記事が書かれることはまず無い」
正体不明であることもきっこ氏に関する重要な情報の一つなので、これは残したい気もしますが。「ヘアメイク関連の記事が書かれることはあまりなく、本当にヘアメイクなのかを疑問視する声もある。」などと直すのはいかがでしょう。
  • 「数多くの矛盾点や問題点が指摘されている」
その後にもあるように、ここに記載されているのはごく一部であり、本当はもっとたくさん問題点があると私個人も認識しています。ただ、「数多く」というのがやや主観的な表現であるのは確かなので、「さまざまな」ぐらいにしてはどうかと思うのですが。
  • 「ここではそれらの代表例を記すが、指摘事項群のごく一部にしか過ぎないので、まとめWikiも合わせて参照されたい。」
これはまったくご指摘の通りだと思います。「ここではそれらの代表例を記す」だけでよいと思います。(というか、私が差し戻したバージョンではすでにそうなっていますね。)
  • 「きっこ自身はこれらの指摘について「根も葉もない誹謗中傷」と非難している」
これは微妙ですよね。非難していることを書いた方が中立的という考え方もあると思いますが。また、個人的には「指摘」と「非難」の差がそれほど大きいと感じません。ただ、「非難」には価値判断が含まれているのは確かなので、より中立的な「反論」などとするのもよいかとは思います。
  • 「(但し、どれが「根も葉もない誹謗中傷」に当たるのかは示していない)」
これは別にいらないかなとも思うのですが、これを消してしまうと、きっこ氏自身が認めていないことを勝手に書いているような印象になってしまうので、消すなら上とまとめて消した方がよいかと思いますが。
  • 「居直る」
「「何書こうが勝手」と説明。」ではどうでしょう。
  • 「こっそり修正」
「かつ記載内容を後で修正」ではどうでしょう。
  • 「なお、この件以来、2ちゃんねるの速報+系の板では「きっこの日記を直接のソースとしたスレッド立て」が禁止されるようになった」
同意です。消してもよいと思います。
  • 「間違いだらけのF1成績表」
そうですね。これも消していいと思います。
  • 「会ったこともない」「こっそり修正」
これも個人的には消してもいいかなとも思いますが。直すとすれば、「児島玲子のヘアメークを担当していたと書いていたにもかかわらず、後になって児島玲子に会った事が無い旨の記述がなされ、過去の日記まで遡って修正されていた」などとするのはいかがでしょう。
  • 「村上ファンドの件で「2006/6/5 15:00にガサ入れ+4人逮捕」と宣言しておきながら、実際にはガサ入れ無し+逮捕は村上1名のみ」
同意です。消してもよいと思います。
  • 「子猫殺しを猛烈に非難していたが、きっこ自身も猫虐待歴がある」
これも個人的には消してもいいかなとも思いますが。直すとすれば、「子猫殺しを猛烈に非難していたが、きっこ自身が猫虐待をしたともとれる記述がある」かな。
  • 「なお、この件に関してはJ-CASTのインタビューで「多分私が書いたものだと思う」と、内容を事実上認めたコメントを出している」
J-CASTの記事へのリンクがあれば、このコメント自体がいらないような気もしますが、強いて直すなら、「なお、この件に関してはJ-CASTのインタビューで「多分私が書いたものだと思う」とコメントを出している」
  • 「アクセス数アップのためか」
  • 「多くの閲覧者は「~ブログ」の方が本サイトだと思っているようである」
経済学準士さんのご指摘にもあったように、「備考」全体が不要ではないかと個人的には思います。
以上。ご意見お待ちしています。studio-rain 2006年12月8日 (金) 03:46 (UTC)
あと、これは完全に新規の情報になってしまうのですが、「きっこ氏の発信する情報は玉石混交であり、また、きっこ氏は釈明や訂正履歴を残すことなく過去記事の訂正を行ったりするので、きっこ氏の発信する情報を利用する際には注意が必要である。ちなみに、きっこ氏本人も、情報の信頼性については自己責任で判断するようにと明言している。」というような内容をどこかに追加すべきだと思います。逆に、それがあれば、こういう細かい指摘の多くはいらなくなるかもしれません。studio-rain 2006年12月8日 (金) 04:04 (UTC)
Studio-rainさんの上記文章はWikipedia:中立的な観点にかなった表現だと思います。、こういうことをまとめて述べている情報源が外部メディアで見つかればなお良いのですが。--miya 2006年12月10日 (日) 23:54 (UTC)
私の個人的な考えですが、たとえば家本政明の「問題となった主な試合・判定」の項のような書き方にしてはどうかな、と思っています。議論の流れにもよりますが、いくつか原案を書いてみようかなとも考えています。--micch 2006年12月8日 (金) 14:05 (UTC)

記事修正に向けて

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「誹謗中傷・独自研究の除去について」がかなり長くなり、また「百科事典としてふさわしい内容に修正する」という流れになってきていますので、新たに見出しを追加します。

まずはTitoさん、studio-rainさんの提案に対してコメントします。

  • 「また、ヘアメイクアーティストを自称しているが、ヘアメイク関連の記事が書かれることはまず無い」

過去には書かれていたこともありましたが、今はまったく書かれなくなりました。その旨を記載する、というのは如何でしょうか。またはstudio-rainさんが提案された形式にする、とか。ただ、これは特別書かなくても良いかもしれません。

  • 「数多くの矛盾点や問題点が指摘されている」

studio-rainさんが提案されたような書き方にして、かつ代表例を後述する、と言う形式はどうでしょう。

  • 「きっこ自身はこれらの指摘について「根も葉もない誹謗中傷」と非難している」

「非難している」ではなく「反論している」という書き方は如何でしょう。ただし、このきっこ氏のコメントはmixi内におけるものなので、そもそも書くべきかどうか微妙です。

それ以外の部分に関しては、studio-rainさんが提案された形式に同意します。

また、「きっこの日記」の特徴として、ブログ側は、「自分と考えの違う人との議論をするつもりがない」という理由で(「ブログ」と銘打っているにも関わらず)コメントを受け付けていない、という点と、書いた内容に対して反論されるのを嫌っている、という点があります(参考例)。それを「特徴」として追記するのは如何でしょうか。--micch 2006年12月9日 (土) 13:45 (UTC)

studio-rainさんとmicchさんのコメントを拝見いたしました。個々の提案についてご意見いただき、ありがとうございます。以下、便宜上、基本的にstudio-rainさんのコメントに直接お答えするかたちで、私の意見を書かせていただきます。

  • 「本当にそれらを好きなのかどうかは疑問視されている」
「疑問視する声もある」ではいかがでしょうか。
「好き」「嫌い」は主観の程度がきわめて強い言葉です。ですので、ある人が何かを好きだ、あるいは嫌いだと述べたことに対して、それが本当かどうかについて確認する手段はほぼ皆無だと言えます。そこで、「好きだと言っており、確かに疑問視する声は聞かない」という文も、「好きだと言っているが、疑問視する声もある」という文も、百科事典に記載する妥当性が確保できないと思われます。
  • 「また、ヘアメイクアーティストを自称しているが、ヘアメイク関連の記事が書かれることはまず無い」
正体不明であることもきっこ氏に関する重要な情報の一つなので、これは残したい気もしますが。「ヘアメイク関連の記事が書かれることはあまりなく、本当にヘアメイクなのかを疑問視する声もある。」などと直すのはいかがでしょう。
正体不明であることについては現在のバージョンでも3箇所で確認でき、すでに情報として充分だと思います。「「ヘアメイクアーティストの女性」を自称している人物」(←「自称」ということは、第三者による保証がないことを意味するうえ、多かれ少なかれ疑わしさも含意すると思います)、「存在そのものがフィクションではないかという説さえ飛び交っている」、および「その正体は明らかになっていない」。
また、同記述の前提には、「本当にヘアメイクであれば、ヘアメイク関連の記事がもっと書かれるはずだ」という判断があるため、独自の研究にあたります。逆に、「ヘアメイクのプロとして、顧客の情報に触れる可能性のあるテーマは避けている。それがいかにもプロのヘアメイクらしい」という考えも可能です。このどちらの判断も独自の研究という点では変わらず、百科事典にはふさわしくない「推理」かと思います。
  • 「数多くの矛盾点や問題点が指摘されている」
その後にもあるように、ここに記載されているのはごく一部であり、本当はもっとたくさん問題点があると私個人も認識しています。ただ、「数多く」というのがやや主観的な表現であるのは確かなので、「さまざまな」ぐらいにしてはどうかと思うのですが。
この点が、これまでノートでなされてきた議論(百科事典としての役割、独自の研究の問題、中立的な観点)で最後まで合意を形成しにくい焦点になるのではないでしょうか。どれだけ読者がいるのであれ、個人の日記を銘打ったエッセイについて、その矛盾点や問題点を指摘するのが百科事典として妥当か、百科事典が矛盾点を探るのは独自の研究にあたらないか、数ある日記の内容のなかで「問題点」を集めるのは非中立的な態度ではないか、という議論です。
百科事典としては、「きっこの日記」の信憑性を保証することも、批判的な見方を推奨することも、どちらも役割を超えているというのが私の意見です。きっこ氏が長期の「日記」に多岐に渡る内容も書いているなかで、その一部を独自に取捨選択して取り上げる機能を百科事典が担えるのかどうか、私にはその根拠がわかりません(独自の研究の観点)。どちらも取り上げない根拠ならば、百科事典の中立性から理解できます。
ただし、公共性の高いニュースサイトや書籍のなかで「きっこの日記」について言及がなされている事実を指摘するならば、独自の研究にはあたらないと考えます。
  • 「きっこ自身はこれらの指摘について「根も葉もない誹謗中傷」と非難している」
これは微妙ですよね。非難していることを書いた方が中立的という考え方もあると思いますが。また、個人的には「指摘」と「非難」の差がそれほど大きいと感じません。ただ、「非難」には価値判断が含まれているのは確かなので、より中立的な「反論」などとするのもよいかとは思います。
「これらの指摘(非難)」が誰によってどこでなされたものであるか出典を示せない場合、この「微妙」さは消えないと思います(独自の研究、および中立的な観点)。そのうえで、「根も葉もない誹謗中傷」というきっこ氏の発言は、指摘(非難)を否定する根拠を示していないため、「反論」とは言えないように思います。
  • 「(但し、どれが「根も葉もない誹謗中傷」に当たるのかは示していない)」
これは別にいらないかなとも思うのですが、これを消してしまうと、きっこ氏自身が認めていないことを勝手に書いているような印象になってしまうので、消すなら上とまとめて消した方がよいかと思いますが。
私も、上とまとめて消すことに同意します。
その他、消すのが(あるいは記載するのが)妥当かどうか判断が微妙な内容については、一般に判断の定まっていない存命中の人物に関する項目の場合は記載しない方が適当だというのが私の考えです。この項目を読んで興味を得た人は、各人で「きっこの日記」の過去ログを調べることができます。むしろ、内容の判断は各読者に任せた方がいいのではないでしょうか。その意味で、たとえば「後日きっこ氏が不適切と判断した日記や事実誤認が明らかになった日記は過去ログから消去されることがある」という指摘ならば情報として一定の価値があり、中立的な観点からも独自の研究の禁止の観点からも受け入れられるかと思います。--Tito 2006年12月9日 (土) 22:32 (UTC)
Titoさん、micchさん、貴重なコメントありがとうございます。micchさんの意見は、私の意見とそう変わらないようなので、主にTitoさんのコメントに対する私の意見を述べさせていただきます。
  • 百科事典としては、「きっこの日記」の信憑性を保証することも、批判的な見方を推奨することも、どちらも役割を超えているというのが私の意見です。
これについては、私は微妙に違う意見です。たとえば、フグについての記事を書くときに、美味であるということだけが書かれていて、毒があることが書かれていないのがよい百科事典なのか。あるいは、麻薬が快感を与えることだけが書かれていて、依存性について書かれていないのがよい百科事典なのか、というようなことを考えてみてください。
もちろん、人格のない生物や物に関する記事と、生存中の人物に関する記事が完全に同列に扱えないことは承知していますし、きっこ氏の名誉にも配慮しなければならないでしょう。
しかし、当たり前のことですが、百科事典というのは、きっこ氏やそのファンだけのために存在するのではなく、それ以外の不特定多数の読者のためのものでもあるはずです。
もしこの記事に、きっこ氏が耐震偽装事件に果たした役割だけが書いてあれば、この記事を見てはじめてきっこ氏のことを知った読者は、きっこ氏の書くそれ以外の記事の信頼性についても、実際以上の高い評価を先入観として持ちながら読むでしょう。それで果たして、Wikipediaが不特定多数の読者に対する責任を果たしていると言えるでしょうか。
Titoさんは「批判」と書かれていますが、私は、きっこ氏の政治的信条などを「批判」する気はまったくないですし、削除された部分の記事にも、そういう内容はほとんどなかったはずです。
私が強く残すべきだと考えているのは、きっこ氏が提示する「事実」の信頼性について、読者自ら判断できるような情報を提示することです。これは、「批判」とは微妙に異なると思います。
きっこ氏が提示する「事実」の信頼性がそれほど高くないことは、たとえば勝谷誠彦氏なども言及していますし、何より、きっこ氏本人が、自分の記事に対する信頼性の保証はしないこと、それについては読者自身が自己責任で判断すべきであることを何度も明言しています。したがって、この信頼性の評価に関しては、かなりの客観性が担保されていると考えます。
ただ本当にきっこ氏自身がそういう考えだったら、トップページにでもそのことをでかでかと書いておけばよいのに、きっこ氏は疑義のある情報を提示した直後などに、思いだしたようにそういうことを書くだけです。したがって、あの日記を初めて見た読者からすれば、あの膨大な日記を隅から隅まで読んだり、ある程度の長期に渡ってきっこ氏の活動をウォッチしていない限り、きっこの日記の提示する「事実」の信頼性に対する妥当な認識が得られるとは言えません。これは、フグに毒があるかどうかは、食べてみて判断しろといってるようなものだと思います。
その上、こんなWikipediaの記事にまで誹謗中傷だと言ってくるのは、私などから見ると矛盾しているように感じてしまいます。もしきっこ氏が本当に、「記事の信頼性は読者自身が自己責任で判断すべきである」と考えているのなら、この記事はむしろ、本来きっこ氏自身がやるべきことをかわりにやってあげているようなものなのだから、感謝されてもいいくらいだと思うんですけどね (^^)。これは半分冗談ですが (^^)。
このこともそうですし、表面上は批判を無視する態度をとりながら、裏では削除要求してきたりすることもそうですが、彼女の行動にはいろいろとダブスタがあるんですよね。そんなことまでいちいち記事の中であげつらう気はありませんが、かと言って、彼女の表向きの発言だけを真に受けて対応していては、彼女にばかり都合がよすぎる結果になってしまうと思うのですが。
  • たとえば「後日きっこ氏が不適切と判断した日記や事実誤認が明らかになった日記は過去ログから消去されることがある」という指摘ならば情報として一定の価値があり、中立的な観点からも独自の研究の禁止の観点からも受け入れられるかと思います。
これについては、私はむしろ逆のことを危惧していたんですね。つまり、エビデンスを提示せずに、「信頼性に疑義がある」というような評価だけを書けば、その方が誹謗中傷と受け取られて削除される可能性が高いのではないかと思っていたのです。
ですから、そういう総括的な評価によって信頼性に対する情報を提供できるなら、細かい実例は必ずしも残さなくてもよいと考えています。
  • 正体不明であることについては現在のバージョンでも3箇所で確認でき、すでに情報として充分だと思います。
なるほど、確かにおっしゃるとおりですね。私はこの部分にはそれほどこだわりはありません。
あと、誤解しないで欲しいのですが、私は別に彼女の評価を低くすることが目的ではないので、耐震偽装事件における役割とか、もっとポジティブな事実を加筆できる方はどんどん加筆していただいてかまわないですからね。その方がバランスのとれた記事になるでしょうし。studio-rain 2006年12月10日 (日) 06:04 (UTC)
3ヶ月前のノートで「信憑性に関しては、触れただけで資料を提供していない状態だと「単なる悪口」に過ぎない、と考えている人たちも居ます」という意見がありました。それも踏まえると、ある程度のエビデンスは書いておかないと、それこそ「根拠が示されて無い誹謗中傷」と言われてしまいかねません。
なら批判的な見方を書かなければいいのでは?という話になりますが、それだとNPOVに違反します。エビデンス有りの批判的な見方とポジティブな見方、両方書くことによってのみ、これらの問題は解決されるはずです。もしかしたらポジティブな見方の記事の分量が少なくなってしまうかも知れませんが、「中立的に書こうとした結果」がそうであるならば、それは仕方が無いことです。
また、Titoさんの提唱された「信憑性は各自で判断させる」という姿勢は私は賛同しません。それを判断できる人は思いの外少ないからです。もちろん全てを細かく記す必要はありませんが、その手助けになる程度の細かい記載は必要だと考えています。これについてはstudio-rainさんの「フグの毒」の例えが的を射てますね。
あと1つ各自に覚えていただきたい事としては、今回の一連の削除騒ぎは、書籍第2弾発売に伴う宣伝行為である可能性が極めて高いという事です。かなり上のほうでmiya氏が書かれていた「脅迫メールが着てるからなんとかして欲しい」という苦情は、実は「書籍第2弾を発売するから、都合の悪い記事は全て消してくれ」という事だったのではないか、という疑念がかなり強いです。日時がかぶっているので。ただし、これを証明する手立ては「今のところ」ありませんし、別に削除騒ぎを記事にしたところで何の意味も無いのでこの事は記事にはしませんが。
現状の記事は、「ファンのためにしか書かれていない」状態にあるのは確かだと思います。また、書籍第2弾発売の事を追記した私が言うのもなんですが、現状では「宣伝記事である」という批判が生まれてしまっているのも仕方が無いと考えます。この点は修正が必要と考えています。--micch 2006年12月10日 (日) 12:42 (UTC)

micciさん、正解です。前回の出版の際は、皇室の出産に関するデマを流して注目を集めたうえで、出版のアナウンスメントを行いました。

(以下は、Titoの書き込みです。上の書き込みに署名がないため、区切りをはっきりさせるためにまず申し上げます。) studio-rainさんが提起され、micchさんが同意される見解の核は、

  • 私が強く残すべきだと考えているのは、きっこ氏が提示する「事実」の信頼性について、読者自ら判断できるような情報を提示することです

という発言に代表されると理解します。また、その見解の前提として、きっこの日記が「事実」として記載する内容のなかには妥当性に重大な欠陥がある場合がある、という認識があると理解いたします(ただし、説明のためのレトリックとしては理解しますが、「きっこ」「ふぐ」「麻薬」という連想は議論を複雑にするため、これ以上援用しない方が得策かと思います)。

まず、きっこ氏の発言の信憑性を評価するにあたっては、独自の研究をせず、中立的な観点を遵守しながら評価の大きく分かれる存命中の人物の言動について記述する難しさを繰り返し指摘いたします。具体的な解決策として、studio-rainさんが指摘された勝谷誠彦氏の言及を出典と併せて紹介する、というのはいかがでしょうか。私自身はその言及を存じませんのでこれ以上意見を申し上げられないのですが、コラムニスト(でよろしいのでしょうか)として認められた人物による発言を紹介するならば「独自の研究」にもあたりませんし、一方に肩入れするような引用の仕方でなければ「中立的な観点」にも違反しないでしょう。

きっこ氏が「事実」として発言する内容の妥当性に欠陥がある場合があるという情報が百科事典の記載に充分な価値があると判断されるならば、独自の研究の禁止や中立的な観点の遵守、存命人物の名誉を考慮に入れたうえならば記載できるでしょう。これらの編集の方針に抵触する記述ならば、どれほど重要な情報であろうと記載することはできないでしょう。それは、個人の発言・執筆活動の自由とは異なり、百科事典が超えてはいけない分限だと思います。原則を超えない記述だけでは一方の(この場合きっこ氏の)不当な宣伝になる、読者に損害をあたえかねない、公共の利益に反することになるなどの弊害が避けられないと判断されるならば、その項目自体を完全に削除しかないのではないでしょうか。

以上の理由と、現状維持や項目の削除は合意の形成がほぼ不可能だろうという理解から、studio-rainさんが指摘された勝谷誠彦氏の言及や、あるいは別の人物・機関の主張を出典と併せて紹介するのが妥当かと思います。--Tito 2006年12月10日 (日) 21:44 (UTC)

Titoさん、ご理解いただいてありがとうございます。もちろん、Titoさんなどの助言にしたがって修正すれば、原則を超えない範囲の記述は十分可能だと私は考えています。
今あまり時間がないので、取り急ぎ勝谷氏の発言の出典だけ書いておきます。
2/22(水)コラムの花道
http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/2006/02/222_832f.html
発言は mp3 の音声ファイルになっていますが、「逆に言うと、ネットのことを鵜呑みにすると危ないよという反面教師でもある存在なんですよ。」(おそらく、永田メール事件を想定しての発言と思われる)とはっきり言っていますね。
ただ、氏はこの前後では結構きっこ氏のことを褒めているので、ここだけ引用すると、またチェリーピッキングだとか言われないかと少々心配ですが (^^)。studio-rain 2006年12月10日 (日) 22:32 (UTC)
立花隆氏が日経のサイトで最初に「きっこの日記」に言及した記事も発見したんで、ついでに記録しておきますね。
立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」61回
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/051222_ura/index.html
よろしかったらどこかで使ってください。studio-rain 2006年12月10日 (日) 23:48 (UTC)
とりあえず先にこの2件だけ。
ただ後者の紹介の仕方を間違えると、「削除してないエントリは全て事実内容である」との誤解を招きかねないので、他にもメディア記事としては紹介されて無いが、内容について「これは事実無根or誤認である」との指摘が少なくとも数十件単位で存在している、という但し書きをつけたほうが良いと考えます。(「多く」という言い方はあまり良くないので、なるべく具体的な数値を載せたほうが良いでしょう)
それと、歌詞および替え歌無断掲載については、それらがWebサイト、ましてや個人の日記として許される行為では無いことはJASRACのサイトにも記載があり、これは「独自の研究」には当たらないので、これも記載して良いかと考えます。ただ、これは「ブロガーとしてのモラル面」というオプション的なものですね。
ポジティブ面としては、アクセス数が減ったとはいえ1日万単位でのアクセスがある事と、今でも藤田東吾氏からのメールを時折紹介しているなど、耐震偽装問題で一定の役割を果たした事くらいでしょうか。
他にも出典となり得るものがあったら紹介します。--micch 2006年12月11日 (月) 14:04 (UTC)
あと追加ですが、たとえば奥田碩の項目のように、ある事柄(奥田氏の場合は発言内容)について、ネットを中心にいろいろな批判がある、という事が結構書かれており、また管理者の方もそれを(扇動的でなければ)特に問題にはしていないようなので(ここの履歴の時点で残されている)、「批判も多い」という事は書いても良いでしょう。
具体的な修正案についてはまだ頭の中でまとまっていないので、まとまり次第提案します。--micch 2006年12月11日 (月) 15:09 (UTC)

ほったらかしにしてすいません。極力中立的になるように修正案を書いてみましたので、これをブラッシュアップしていただければと思います。--micch 2006年12月27日 (水) 14:46 (UTC)

共産党、社民党、支持政党に関して

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共産党は共産主義です

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共産党が共産主義を捨てたとの主張で共産主義の政党支持と言う記述を変更されていましたが、共産党は共産主義を捨てておりません。日本共産党綱領の一番下に書かれている社会主義・共産主義の社会をめざしての項をご覧下さい。数ヶ月前にもテレビで党員が共産主義を掲げている事を認めていたのを見ましたし。機関誌の赤旗にも共産主義を称えるような記事があります。ただ共産主義と類似ではあるが若干異なる社民党も纏めて共産主義系と書いたのは少し端折り過ぎたかなとも思いますので、記述しなおします。--コタツ 2007年3月12日 (月) 09:55 (UTC)

社民党は社会民主主義です

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社民党が社会民主主義では無いと言う主張で記述を変更されましたが、社民党は社会民主主義を掲げております。社会主義インターナショナルにも当然加盟しております。日本の社民党は若干共産寄りで、共産党に似た政策を取っていますが、基本的な思想は社会民主主義です。 社民党サイト上の社会民主主義宣言をご覧下さい。分かりやすく一部を下記に引用致します。
4.私たちは、国会・自治体議会における党の議席増を党活動の柱に据え、社会民主主義の政権を日本に樹立することを目指します。この過程において、新自由主義・新保守主義の政治の転換を求める政治勢力と連携し、主体性を維持しながら具体的な政策課題の実現を目指す、緊張感ある連立政権の形成を展望します。--コタツ 2007年3月16日 (金) 12:30 (UTC)

きっこ氏の支持政党に関して

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過去の記事を見て確実に分かる事は下記三点です。

  • 社民党を支持
  • 共産党も支持
  • 自民党は不支持

これらは事実であると言え、実際に社民党と共産党の主張を基にきっこ氏の記事は構成されています。ただ、安易な考えで支持しているだけにも見え、きっこ氏が共産主義者であるかどうかには疑問がありますので、きっこ氏が共産主義者であると言う記述は初めからしておりません。

きっこ質問タイム4では、猛烈な共産主義者は怖そうだと言う記述がありますが、これは思想が偏っている方に対するごく一般的な拒否反応です。極右翼や極左翼は怖いという意味であり、決して社民党、共産党の不支持を意味したり、きっこ氏が共産主義者では無いと意味する記述では御座いません。共産党支持者が必ず独裁者を崇拝していると言うのも偏見ですよ。

きっこの日記の該当部分である支持政党の話をしている記事を要約しますと、きっこ氏は社会的弱者の政策で社民党と共産党を支持し、特に社民党は医療や福祉の面で共産党以上に理想的な政策であると言う内用です。過去に社民党が拉致問題は存在しないと言ったりして北朝鮮を激しく擁護した事に否定的ではある様ですが、総合的に見て支持するそうです。故に共産主義を掲げる共産党と社会民主主義を掲げる社民党を支持している、と言う記述が正当であると考えております。--コタツ 2007年3月16日 (金) 12:30 (UTC)

コタツさん。社民党は確かに社会主義インターナショナルに加入していますが、非武装中立を掲げており、武装中立/反共産主義である本来の社会民主主義(ベルンシュタインの唱えたもの)とまったく一致しません。また、社会主義インターナショナルに加入しているから社会民主主義であると言う訳でもありません。そもそも、社会民主主義と共産主義は対立するもので「共産主義よりの社会民主主義」と言う言葉が「社民党の政策は社会民主主義では無い」と言っているようなものです。ただし、社民党は、社会民主主義の定義を独自に規定しているようですが、この定義は社会民主主義の思想から明らかに外れた異端な思想です。このあたり、どう解釈いたしましょうか?(正直、判断しかねています)。また、例え冗談であるにせよ、ヨセフ・スターリンを知らなかったと公言することは、共産主義に関する知識が無いと言っているようなもので、共産党を支持しているとは言いがたいのではないでしょうか?--佐藤薫 2007年3月16日 (金) 12:45 (UTC)

たしかにきっこ氏は勉強不足ではありますが、一般的な自民党支持者が自民党の事を良く知っているのかと言えば、それは違うかなと私は思っております。あと社民党ですが、社民党はオープンに社会民主主義である事を掲げておりますので、それを尊重する事に問題は無いと思っています。社民党のサイトトップの目立つ位置に社会民主主義と言う文字が出ていますし、民主党自身が社会民主主義と書く事を奨励しているんじゃないですかね?と言う訳で戻しても良いですか?--コタツ 2007年3月16日 (金) 13:23 (UTC)

コタツさん。共産党の件は了解です。同意です。ただ、社民党については、明らかに本来の社会民主主義と異なる社民党のサイトトップに「社会民主主義」と掲げているのであれば、それは「自称・社会民主主義」が適切な表現だと思うのですが、いかがでしょう。いささか脱線気味ですが、本来の意味での「社会民主主義」は、きっこ氏の信条、および社民党の方針とまったく異なるものであり、社会民主主義に対する誤解を誘導すると考えます。また、社民党が社会民主主義政党なら、きっこ氏のように、社民党と共産党を同時に支持するのもおかしな話です。--佐藤薫 2007年3月16日 (金) 13:55 (UTC)

私的には自称を書くかどうかにこだわりはありませんが、自称と言いて社民党支持者から文句とか言われませんかね?--コタツ 2007年3月16日 (金) 14:30 (UTC)

おっしゃる事は解るのですが、それはwikipediaの「辞書としての記述の正当性」とは違った次元の話だと考えますよ。--佐藤薫 2007年3月16日 (金) 14:45 (UTC)

コタツさん。先ほどの記述は考えが至りませんでした。単に「共産党と社民党を支持している」と言う表現にしてはいかがでしょうか。リンク先で各政党の項目に繋がっている以上、「共産主義を掲げる」「社会民主主義を掲げる」は不要だと思います。ただし、「ヨシフ・スターリンを知らなかった」と言う記述は、きっこ氏の共産主義に対する理解度の尺度として残しても良いのではないでしょうか?。共産主義は本質的に多党政治を認めておらず、これは重要な点だと考えます。--佐藤薫 2007年3月16日 (金) 14:58 (UTC)

きっこと言う人物が気になる人が検索した人の為にも必須だと考えております。私は誰が見てすぐ分かる文章にする事を心がけており、熟考して書いた文章なんですよ。一般の方にとっては社民党と共産党は実にマイナーな存在で、補足情報をのせなければ調べなければ良く分からない状態なんです。保守派の何々とか、そう言う補足情報が必要な内容であると確信しております。それとスターリンを知らないと言う点は別の話ですので、書く場合もきっこ氏が共産主義をどう思っているのか的な項目を作ったりして分けて書くべきだと思います。--コタツ 2007年3月16日 (金) 15:33 (UTC)


補足情報が必須ならば、なおさら、社民党と社会民主主義が違う事について触れるべきだと思いますよ。ベルンシュタインの主張する(そして社民党以外が認識する)社会民主主義とは、乱暴に言うなら、「(短〜中期的には)資本主義の制度下と制限内で社会保障が行き届いた環境を出来るだけ実現すること。なおかつ実現性を重視し、理想論を言わない。」であり、いわゆる「左翼」やきっこ氏の主張とはまったく異なる思想ですよ。とりわけ重要な点は武装中立と反共、立憲君主制を容認です。イギリス労働党が典型です。。そしてスターリンの件については、別の項を作るのは、個人的にはOKなんですが、僕とコタツさんで書き合うと難しいので、とりあえず、第三者の意見を待ちませんか?後は、個人的な意見ですが、wikipediaは辞書であり、プロパガンダではないので「一般の方にとっては社民党と共産党は実にマイナーな存在で」は如何なものかな、と考えます。両者とも日本における公認政党であり、広報等に置いては与党と同じ権利が確保されています。実際、選挙宣伝に置いても同等の権限です。これをマイナーと断言しては特定政党の支持に繋がるのはないでしょうか。 --佐藤薫 2007年3月16日 (金) 14:45 (UTC)

私は修正を受ける様な記事を書いたつもりは無いのですが…修正をされたのは佐藤さんでお二人目ですし、まるで共産党や社民党が民主主義&資本主義ではない事を隠したがっている様に見えます。隠す様な内容ではない筈なんですけど。--コタツ 2007年3月17日 (土) 11:31 (UTC)

いや、だから「社民党以外が認識している社会民主主義」は民主主義であり、資本主義であり、軍隊保持であり、皇室容認であるので、社民党を自党の主張通り「社会民主主義」と書くのは、不適切だし誤解を招く話なんですよ。乱暴に言うなら、スウェーデンの政策が社会民主主義です。(スウェーデンは社会民主主義政党が長年与党を担っています)。
wikipediaの「社会民主主義」にも「(安全保障の面で)日本社会党及びその流れをくむ社会民主党は独特といえる。」と言う記述、「(社会民主主義とは)共産主義と戦い平和裡の変革を目指し、自由や人権の尊守、連帯、政治・経済・社会的公正や平等の追求をともに希求する思想とされる。社会的連帯の尊重、市場経済と政府の介入による経済政策(混合経済)を重視する点に特徴がある。」と言う記述があります。
wikipediaの記事を読むだけでも、共産党と対立しておらず、軍隊保持を否定し、混合経済を提案していない社民党が社会民主主義でない事がわかりますし、外国の社会民主主義政党と社民党を比べると、社民党が本来の意味での社会民主主義でない事は明らかです。社民党が社会民主主義を自称しているからと言って、実態は社会民主主義と関係ない政党だと言うことです。
ここは、無駄な混乱を避け、一番実態に近い内容で、「女性と経済的弱者の保護、非武装中立、皇室否定の政策を掲げる日本共産党および社民党」と言う記述にしては如何でしょう。 --佐藤薫 2007年3月18日 (日) 06:45 (UTC)

社民党のページを見られたのであれば分かると思いますが、社民党は社会民主主義政党であると言う表現に間違いは無いのです。実際に社会民主党(日本 1996-)にかかれていますよね?それと、その様に一方に肩入れした記述は私は嫌いなのです。それが良いと言うのであれば、「在日参政権や人権保護法を推進、日米安保を否定し自衛隊も否定、ジェンダーフリーを推進する日本共産党および社民党」と言う内容でも問題ないですよね?この表現であっても全て両党が推進する政策で事実ですが、こう言った表現は中立性にかけるのです。共産党は共産主義政党、社民党は社会民主主義政党と紹介する事が最も中立的な表現なんですよ。細かい政策に関してはここで記述する事ではないと思うのです。実際に共産党が共産主義を捨てたと思い込んだ方が私の記事を修正した事を見る限り、やはり記述が必要なのは間違い無いですしね。--コタツ 2007年3月18日 (日) 07:49 (UTC)

「非武装中立、皇室否定、経済政策提示なし」という社民党と「武装中立、皇室擁護、混合経済推進(=資本主義容認)」という社会民主主義とは細かい政策ではなく、基幹的方針が相違しています。(社会民主主義では「現実性のない理想論を言わない」が根本的方針です)。そもそも社会民主主義が共産主義の類縁だと言うコタツさんの認識が根本的な間違いです。社民党の問題点は「社会民主主義政党ではないのに、社会民主主義を自称して誤解を招いている」ところにあります。wikipediaの記述にも「左寄りの「社会民主主義」色を押し出すようになった」とありますが、これは「イメージを匂わせている」と言う表現であります。かつwikipediaでは安保政策の矛盾も指摘しており、「社民党は社会民主主義である」と言う断言はありません。社民党のトップページを見るだけでなく、一度、政治学の本か何かで、共産主義と社会民主主義について勉強することをお薦めします。僕はむしろ「「在日参政権や人権保護法を推進、日米安保を否定し自衛隊も否定、ジェンダーフリーを推進する日本共産党および社民党」の方が実態とずれておらず、適切だと思いますが。「社会民主主義を掲げる社民党」と書いてしまうと、社民党は皇室擁護、自衛隊の軍隊への昇格、官僚による経済の介入を主張する政党だと言うことになってしまいます。 --佐藤薫 2007年3月18日 (日) 08:05 (UTC)

一般的社会通念として社民党は社会民主主義と紹介するんですけど…。例えばwikipediaでも次の様に説明されています。「1996年に日本社会党が改称して発足した社会民主主義政党。社会主義インターナショナル加盟。略称は社民党または社民。」 一般的な表現がどうしても気に入らないと言う事でしたら、私はこだわっておりませんので自称とかリベラルとかを付ける今の形で良い事にしませんか?--コタツ 2007年3月18日 (日) 08:25 (UTC)

「一般的社会通念として社民党は社会民主主義と紹介するんですけど…。」だからこれが社民党の招いた大きな誤解であり弊害です。wikipediaにも

ドイツ社会民主党、スウェーデン社会民主労働党といった西欧・北欧などの社会民主主義政党と比べると、後述するように安全保障政策などに対する姿勢は大きく異なっている。

とあります。西欧・北欧の社会民主主義政党はベルンシュタインの唱えた社会民主主義の直系です。つまり社民党の実態は社会民主主義と大きく異なっていると言うことがwikipediaでも認められています。 ともあれ「自称」で行きましょうか。余計な事を言って申し訳ありませんが、機会あればキチンとした社会民主主義を勉強なさることをお薦めします。--佐藤薫 2007年3月18日 (日) 08:05 (UTC)


政党紹介に関する中立的な表現について

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共産党や社民党を美化した表現に修正したい方が複数人おられますが、中立的な表現では無い限り修正したいと考えております。例えば社会的弱者の立場に立った政策を訴える政党、と言う表現は中立的ではありません。自民党も弱者の為の政策を訴えておりますが、もし自民党を弱者の立場に立った政策を訴える政党と書けば、恐らく憤慨されるのではないでしょうか?きっこ氏に好意的な方は、共産党と社民党は弱者を救済し、自民党は弱者を苛めるという構図の思想をお持ちの方が多く、好意的な表現に修正されたい方が多いのですが、それは中立的とは言えないのです。政策内容で紹介したいと言うのであれば「「在日参政権や人権擁護法案、ジェンダーフリーを推進、日本が軍備を持つ事を否定し、日米安保も破棄を訴え、日章旗を侵略の象徴と表現し、政権を取った場合国旗を変えるであろう日本共産党および社民党」と言う紹介も容認しなければなりません。良い部分だけを紹介するのは中立的ではないのです。--コタツ 2007年3月24日 (土) 12:43 (UTC)

コタツさん。お久しぶりです。おっしゃる趣旨は良く分るのですが、社民党に関しては、「近未来では実現不可能と考えられる理想的な政策を掲げる」で、いかがでしょう?僕が以前、「社民党は社会民主主義ではない」件で突っかかったのもそこです。(本来の社会民主主義は、近未来に実現不可能であることを掲げません)。社民党の紹介については、これで充分だと思いますし、これが本質をついているような気がします。もう一回、確認したいのは、日本共産党や社民党をわざわざ「共産主義」や「社会民主主義」と念押しする必要があるかどうかです。日本共産党や社民党の一般的な方針については、知れ渡っている事実ですし、これをわざわざ、「共産主義」「社会民主主義」と正確に念押しするには、「共産主義」や「社会民主主義」の定義、そして、現状での共産党、社民党と「定義による共産主義(マルクスですね)、社会民主主義(ベルンシュタインですね)との方針の違いについて触れねばならず、本来の趣旨を逸脱してしまいます。
さておき、「共産主義である」「社会民主主義である」については、わざわざ触れるほどの無い項目に触れて、記述をややこしくしてるのではないでしょうか。両党について予備知識の無い人は、リンクで飛んで日本共産党と社民党の記述を読めば済む話だと思います。この件の要点は
・「きっこが社民党を支持しているのは「現現実性のない理想論」を並べ立てる野党の政策を引用する事により、現実に政権を運営している与党を攻撃する根拠としている」事であり、これがきっこの支持政党を紹介する本来の趣旨なのですから、その観点で見直してくだされば、と思います。--佐藤薫 2007年3月24日 (土) 14:17 (UTC)

お久しぶりで御座います。きっこ氏は政治的な話題を非常に頻繁に取り上げますので、どういった主義の政党を支持しているかと言う情報は必須であると考えております。佐藤さんが提案された主張はやはり主観的な部分があるんですよ。理想的かどうかと言うのは確実に主観的で、理想では無いと考える方も当然おります。近未来では実現不可能と言う点も、人によっては直ぐ実現出来ると考える方も、永遠に実現不可能だと考える方もいます。Wikipediaは辞書ですので、一般的な表現方法を使う必要があるように思います。ですのでもう一言加えるとしたら右派なのか左派なのかと言う情報を一般的に加えられますのでそれを付けましょうか?。日本の社民党は左派の社会民主主義政党であります。EU等の中道左派の社会民主主義政党との違いを示す為には左派の社会民主主義政党というのを使うべきです。そもそも○○主義と言う表現自体は結構曖昧な所があり、佐藤さんが考える程確固たる形を成しておりません。日本以外の社会民主主義が全く同じと言う訳でもない上に各国の中でも時間と共に変わっております。ですから紹介する時に使う表現として一般的に使われるのですよ。--コタツ 2007年3月24日 (土) 15:30 (UTC)

コタツさん「○○主義と言う表現自体は結構曖昧な所があり。」には同意しますが、そもそも「○○主義」を解説する項目では無いのに、そのような曖昧な項目を入れるのは、余計に表現を曖昧にさせ、きっこについて誤解を招くと思います。コタツさんも認識していると思いますが、長文を要して「○○主義についてキチンと定義し、現実の政党とのズレを解説する事」は可能ですが、それはもはや「きっこ」の項目ではありません。そもそも、wikipediaではリンクで本来の政党の記述について簡単に飛ぶ状態であるのに、何故それ以上の記述を「きっこ」について行うのか、と言う問題があると思います。ちょっと問題を整理しませんか?。要は
・wikipediaでは、わざわざ、本来の政党を解説する詳細なリンクに簡単に飛ぶのに、何故日本共産党や、社民党について短文で曖昧な表現をするメリットがあるか、と言うことだと思います。いかがでしょう?それから、申し訳ありません。私の不勉強かも知れませんが、社会民主主義に右派と左派があるとは聞いた事がありません(もし、あるとすれば、命名したのは誰でしょうか)。私の認識では社会民主主義には左派も右派も無く、(ベルンシュタイン一派が定義した)広義の社会民主主義の中には、修正主義と、狭義の社会民主主義があるという事であり、そして社民党は、(ベルンシュタイン一派が定義した)広義の「社会民主主義では無い」と言う事実です。
そして、項目「きっこ」ついては、このような煩瑣な論議を経なくても、単に各政党にリンクを張れば、きっこの本質を伝える事については充分以上ではないでしょうか。--佐藤薫 2007年3月24日 (土) 16:31 (UTC)

社会民主党を見ていただければ分かると思いますが、やはり難しいんですよ。極単純な補足すら入れるべきではないとは考えてないのですよね?きっこ氏が共産党と社民党の主張を基に記事を構築している以上、その辺りの補足を簡単にでも入れるべきです。例えばですね、こういう話であればこういう補足が必要になります。「きっこ氏は左派である様に見えます。ですから左派系政党である共産党か社民党に立候補しても不思議ではないですね」どうでしょうか。この場合、共産党と社民党をリンクして調べてもらうより、完璧さが増していませんか?企業や○○党を批判するきっこ氏は△△主義の☐☐党を支持している、と書けば補足が必要である事が分かりますか?きっこ氏の記事は言わば「共産党と社民党の代弁者」なんですよ。そう言う記事を書いている人物なんですから絶対必要なんです。--コタツ 2007年3月24日 (土) 17:38 (UTC)

このサイトは記述者が真実を追求し記載するためにあるのではありません。Wikipedia:検証可能性の「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を読んでください。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの「ウィキペディアは演説場所ではありません」も読んでください。きっこが共産党、社民党を支持している事実を記載できても、そこにきっこがブログ、日記で示していない文言を付記することは、記述者の真実の解釈によるものになります。221.187.84.242 2007年3月30日 (金) 07:11 (UTC)

評価

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評価の大部分が出典の明記の無いWikipedia:検証可能性を満たさない演説と化していました。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの1.3 ウィキペディアは演説場所ではありません に該当。自分の意見の記載ではなく、記載するのであれば、出典を必ず明記してください。クリーンサラダ 2007年5月29日 (火) 02:11 (UTC)

2007/6/7の投稿について

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2007/6/7に佐藤薫さんが投稿された内容ですが、個人的にはWikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんを見る限り、佐藤さんの個人的な意見・評論の要素が強いように感じ、修正したほうが良いように思います。ただ、当方Wikipediaの編集に参加し始めてまだ日が浅いことや、それ故にまだWikipediaの方針を十分に把握しているとは言い難いことなどから、私が抱く疑念がその方針に沿うものであるか判断しかねるため、勝手がいまいちわからず、手をつけて良いものか判りません。そこで、他の方々の意見を伺いたくノートページへと投稿させていただきましたので、「そんなことも解らないのか」と呆れることなくご教授いただければ幸いです。--Tommy6 2007年6月8日 (金) 01:55 (UTC)

tommy6さんの意見に同感です。2007年6月7日のものに限らず、佐藤薫さんの投稿は、以前のものも含め主観性が強く出すぎている面があるように思えます。Gruppetto 2007年6月8日 (金) 04:41 (UTC)

同感です。Wikipediaは個人の宣伝や意見を交換する場所ではないと思います。

しかし、最近、根拠が不明な「きっこを宣伝する」「きっこを賛美する」書き込みが増えて来たように思います。宣伝は論外ですし、賛美するならソースを提示すべきだと思います。