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ノート:おでん

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関西風のメニュー

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バクダン?バクダンってなんですか?丸いはんぺん?かみや 03:10 2003年12月14日 (UTC)

さらに、「しんじょあげ」ってのもよくわからないです。どうも、関西風のメニュー?関東だと、がんも、厚揚げ、ちくわ、昆布などが定番だと思うのですが。 秀の介 04:05 2003年12月14日 (UTC)
「バクダン」は、茹で卵を魚の練り物で包んだ物です。たしかに関東では見かけません。nnh 04:29 2003年12月14日 (UTC)
nnhさん、情報ありがとうございます。地域によって、具が違うようですね。いっそのこと、関東風・関西風などと分けてしまった方がいいのでしょうか。 秀の介 04:32 2003年12月14日 (UTC)

関東煮の由来

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『おでん』についての説明、とてもわかり易いですネ☆ 私は今、文化祭の模擬店でおでんを作るために、色々な資料を見て回っているのですが、おでんの発祥地って結局どこなんでしょうか?こちらのサイトでは『大阪の郷土料理』として上がっていますが、名前が『関東煮』であるところを見ると、大阪は「関西地域」ですし、今ひとつ納得がいかないのですが。。名無子 19:50 2004年10月14日--以上の署名のないコメントは、221.185.95.6会話)さんが 2004年10月14日 (木) 10:50 (UTC) に投稿したものです。適切でない署名を修正しました。--Ziman-JAPAN 2008年8月12日 (火) 06:09 (UTC)[返信]

これについては、「関東煮 関東大震災」でgoogle検索してみてください。と過去レス(^^;(誰かうまくまとめてくれないかな。)--220.15.32.23 2005年11月11日 (金) 05:53 (UTC)[返信]

広島での食べ方

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広島ではおたふくソースをかける人が1000人に1人はいるという話のソースはどちらでしょう? ソースの話だけに(笑)--Naru-W 2005年9月4日 (日) 15:15 (UTC)署名修正--Ziman-JAPAN 2008年8月12日 (火) 06:09 (UTC)[返信]

つみれ

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「魚のつみれ」とのみ記載されていますが、千葉県では「鰯のつみれ」以外見た事がありません。また関東でも「鰯のつみれ」以外はほとんどみかけません。他の地域ではどんな魚のつみれがあるのか知りたいものです。--202.233.226.65 2008年12月30日 (火) 11:12 (UTC)[返信]

つみれ」の項に載っているようですよ。ご確認ください。--Siriusplot 2009年1月1日 (木) 13:19 (UTC)[返信]

削除された既述

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おでんについての興味深い雑学がかなり削除されてる気がするんですが、なぜ消してしまったのか残念です。--111.191.108.228 2012年11月22日 (木) 16:10 (UTC)[返信]

新しい発言は下に記述をするようですので申し訳ございませんが移動しました。--124.147.102.93 2013年3月5日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

一次資料の扱いについて

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一次資料の扱いに関して一つ問題を提起させて頂きます。2016年4月以前の編集の「歴史」の節に
1782年 『豆腐百珍』が発行され、豆腐田楽が絵図に記載されている。蒲鉾も作られるようになった。 1837年 『守貞謾稿』が発行され、江戸の町では「上燗おでん」という振り売りがあると記述されている。
という記述があったため、4月28日の編集で私がその部分に要出典のTemplateをお貼りいたしました。それに対して、ShikiH氏から「『守貞謾稿』という書籍にあることを示せば十分である。その書籍に載っているかどうか、さらに出典を求めることは通常行われない。」というコメントを頂きました。しかし、Wikipediaの三大方針の一つである独自研究を載せないによれば、明らかに「一次資料」に該当する『豆腐百珍』や『守貞謾稿』に記載されてある情報を出典として編集を行うことはWikipediaの方針に抵触します。また、同じくWikipediaの三大方針の一つである検証可能性によれば、Wikipediaにおける記事の記述には出典が明記されており、さらにその出典は記事の読者にも検証可能である必要があります。ここで問題になっている2つの文献については一般に流通していないどころか私が問い合わせた東大の総合図書館ですらアクセス不可能とのことで、明らかに検証可能性に反する記述と言えるでしょう(なお、仮にそれら文献何らかの手段で記事の読者に取ってアクセス可能であった場合、ページ数などの情報を明記する必要が出てきます)。以上、(1)記事内の記述内容にとってそれら文献が明らかに一次資料であり、独自研究の禁止に抵触する、(2)それ以前に当文献はほとんど全ての記事編集者および読者にとってアクセス不可能であり、検証可能性の鉄則に抵触する、という2点から件の記述には問題があると考えております。そこでまず、ShikiH氏の仰る通り、それら情報が「『守貞謾稿』という書籍にあることを示」す証拠が必要なのですが、示して頂けないでしょうか?既に述べました通り、記事内の記述内容がその書籍に載っていることを示す出典があることを示さない限り、その記述はWikipediaにとって不適切なのです。ご理解のほど宜しくお願いします。--Taro Yokoji会話2016年5月4日 (水) 09:06 (UTC)[返信]

ShikiHでございます。『守貞謾稿』のちょうどその部分を引用して解説している書籍をさがしだすことは、私の能力を超えます。よってもう記事を当面は編集しませんから、Taro Yokojiさんのお考えに従って、しかるべく再編集してください。なお、『守貞謾稿』を見たいのであれば、お近くの区立図書館が便利かと思います。検索の結果、都内の22区は所蔵していますので、機会があればご覧くださると幸いです。--ShikiH会話) 2016年5月4日 (水) 20:39 (UTC) すいません。明らかな誤記があったので、そこだけ訂正させていただきました。--ShikiH会話2016年5月5日 (木) 02:39 (UTC)[返信]
調べてみましたが記事中に記載された1873年に発行された『守貞謾稿』という書物は国立国会図書館にしかないようです。それから恐縮ですが、せめてあなたの加筆された出典の版くらい書き残してくれませんか?--Taro Yokoji会話2016年5月5日 (木) 02:41 (UTC)[返信]
『守貞謾稿』を見たいのであれば」というShikiH氏のご発言を見るとどうやら誤解なさっているようなので、件の問題について補足して説明いたします(というのも、仮に本記事の編集に今後関与しないとしても、Wikipediaの初歩的なルールを理解せずに他の記事を編集されては、他の編集者や読者にとって迷惑だからです)。今回私が問題視しているのは、例の2つの文献が記事の中で史料名(一次資料)として挙げられているにも関わらず、それに対する二次資料が明記されていない点です。同様の例として、次のような記述が「ひらがな」という記事に掲載された(架空の)ケースを考えてみましょう。
近畿地方の農民ぽっぽこ犬の助によって西暦601年に著された『にんじん だいこん かぼちゃ』では漢字が使われておらず全編ひらがなで記述されていた。
このケースにおいて「『にんじん だいこん かぼちゃ』という書籍にあることを示せば十分である。その書籍に載っているかどうか、さらに出典を求めることは通常行われない。」という理屈が通用しないのは明らかでしょう。そもそも上記のケースでは『にんじん だいこん かぼちゃ』という書籍が存在することが示されてすらいないからです(そして実際には存在しません)。このケースにおける問題は架空の書籍『にんじん だいこん かぼちゃ』をでっち上げたことよりも、その書籍のアクセス方法をWikipediaのルールに則って明記していないことにあることも理解して頂けたと思います。すなわち、(今度は『にんじん だいこん かぼちゃ』が実在する書籍だとしたら)出版社やISBN等の文献情報を明記するべきなのです。しかし、このケースのより深刻な問題は、記事「ひらがな」の中で『にんじん だいこん かぼちゃ』が一次資料として扱われていることにあります。というのも、件の記述を必要たらしめている情報は「西暦601年に発行された書物にひらがなが使われていた!」ことにあります。仮に『にんじん だいこん かぼちゃ』の活字版が2010年4月に発売されていたとしても、「それがひらがなで書かれている」という情報から「西暦601年に発行された書物にひらがなが使われていた!」という情報を推論する行為はWikipediaでは厳密には独自研究に該当するのです。つまり、そうした推論は歴史家や作家の仕事であって、われわれ編集者は彼らの発言を出典として記事を編集すべきだ、というのがWikipediaの方針なのです。
また、(実は私にとってはこちらの方が重要なのですが)研究者でもないわれわれ素人が偶然史料(一次資料)である『豆腐百珍』や『守貞謾稿』を眺めていたら偶然「おでん」に関する記述を見つけたからWikipediaの「おでん」の記事にそのことを加筆した、ということは、現実的にはありえないと思います。つまり、最初に件の記述を加筆した編集者の方は、(専門家によって書かれた)何らかの二次資料をお読みになって、(元の二次資料を明記せずに)件の編集をされたと考えるのが自然です(これは厳密には剽窃行為に当たる可能性があります)。こう考えますと、(1)『豆腐百珍』や『守貞謾稿』に関する二次資料が実在すること、(2)その二次資料を読んだことがある方が編集者の中におられることは明らかであり、実情を知るその方の加筆促すために要出典のTemplateを貼るのが得策と判断したわけです。もちろん、(3)件の編集者の方が偶然一次資料の中から記述を見つけた可能性や(4)そもそも出鱈目で『豆腐百珍』や『守貞謾稿』にそういった記述が無い可能性もありますが(3のケースが先にご説明した独自研究のケースです)。
ShikiHさん、以上のご説明で理解して頂けましたか?Wikipediaの基本的なルールをご理解して頂き、今回のような不正な編集を繰り返すことの無いよう願っております。--Taro Yokoji会話2016年5月5日 (木) 07:25 (UTC)[返信]
編集履歴を読み返してみましたところ、ShikiH氏がどうやらWikipediaの三大方針の一つであるWikipedia:検証可能性を理解されていないように感じられましたので、改めてご説明させて頂きます(今後も編集を続けられるであろうShikiH氏とWikipediaの未来のために)。まず、何のためにWikipediaを編集する際に出典を明記するのか考えてみましょう。それは(端的に言えば)Wikipediaが百科事典であるからです(Wikipedia:ウィキペディアは何でないかもご参照ください)。検証可能性の方針の説明は次の一節から始まります(太字は原文ママ)。
百科事典を編纂する際、良い記事を執筆するためには、広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。このことをよく理解することは、良い記事を執筆するために最も大切な秘訣の一つです。ウィキペディアは、完全で、信頼の置ける百科事典を目指しています。記事を執筆する際は、閲覧者や他の編集者が内容を検証できるよう、信頼できる情報源 にあたり、出典を明記するべきです。
すなわち、われわれ編集者に出典の明記が求められているのは、記事における記述がわれわれ素人の妄想や邪推ではなく、専門家の調査や研究に裏付けられた情報を整理したものであることを、その記事に携わる(編集者や読者といった)万人が確かめられるようにするためです。したがって、あたかも信憑性のありそうな文献名や権威のありそうな辞書のタイトルを書き加えただけでわれわれ編集者に課された義務を果たしたつもりになるなどということは、言語道断です。われわれ編集者は記事を編集する際、常に、自分が読者にとって何ら信頼できない半匿名の素人に過ぎないことを意識しなければなりません。すなわち、注意深い読者が記述の内容に関して図書館やリンク先でその真偽を確かめ、「良かった。やっぱりあの記述は専門家の公表した記述に則った事実だったんだ。」と安堵する姿を絶えず想像しながら、思いやりを持って編集しなければならないのです。ShikiH氏の2016年5月2日(月)23時24分の編集要出典範囲のTemplateが貼ってある記述に有名な辞書の名前のみを書き加えただけで(Templateも除去してしまう)という極めて杜撰なものでした。「日本大百科全書」「世界大百科事典」、「大辞泉」、「日本国語大辞典」という辞書(これらはいずれもShikiH氏が先の一度の編集で出典として挙げた文献です)がそれぞれ第何版まで公刊されているのかご存知ですか?頁数はともかく版数すら明示せずに辞書の名前を脚注に列挙するなど、Wikipediaの理念や方針を冒涜している以外の何ものでもありません。先日指摘いたしましたShikiH氏の2016年5月1日(日)12時34分の編集の際に要約欄で述べられた「『守貞謾稿』という書籍にあることを示せば十分である。その書籍に載っているかどうか、さらに出典を求めることは通常行われない。」等という明らかな誤解に基づくご発言も、こうしたWikipediaに対する無理解の現れであると確信しております。Wikipediaの出典として辞書を用いることの是非についても論じたい所ですが、ShikiH氏のこれまでの編集はそれ以前の問題です。私のこの拙文をお読みになって、少しでも反省して頂ければ幸いです。そして、少しでも反省して頂けたのならば、まず先の杜撰な出典追記部分を適切なものへと修正して頂きたいです。百科事典の出典に辞書を用いることの是非については、(この論点は明確な基準がなくケースバイケースであり、編集者の議論や裁量が必要になると思います)その後に議論いたしましょう。--Taro Yokoji会話2016年5月6日 (金) 07:02 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。若干調査が進んだのでお知らせします。世界大百科事典は「改訂新版第5刷2011年6月1日」でした。守貞謾稿は国立国会図書館デジタルライブラリの http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592395 のコマ番号41のところにあります。--ShikiH会話2016年5月9日 (月) 05:00 (UTC)[返信]
大辞泉は「第2版2012年11月2日 」でした。豆腐百珍は国立国会図書館デジタルライブラリ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536546 のコマ番号63のところの図だと思われます。--ShikiH会話2016年5月11日 (水) 07:26 (UTC)[返信]

ShikiHでございます。もうこの記事は編集せず、Taro Yokojiさんにお任せするつもりでしたが、Taro Yokojiさんが投稿ブロックされて、しばらくは編集できないようなので、やっぱり私が少々手を入れます。それに際して確認しておきたいことがあるので書かせてください。

まず一次資料の取り扱いですが、Wikipedia:独自研究は載せないにあるように、「ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみ」と定められていますから、解釈を加えず内容を紹介するのであれば、一次資料をその典拠とすることは可能です。また「『守貞謾稿』という書物は国立国会図書館にしかないようです」とお書きですが、それは限定しすぎです。国会図書館のは写本、すなわち手書きの原稿ですが、出版社が活字に起こして発行した物も『守貞謾稿』です。そしてこれが通常、一次資料として扱われます。ウィキペディアンがこれらの刊本を見ることは十分にありそうなことです。

Taro Yokojiさんのご指摘のとおり、書誌情報をもっときちんと書く必要がありますので、そのように改訂いたします。--ShikiH会話2016年5月27日 (金) 08:37 (UTC)[返信]

  • 横から失礼します。守貞謾稿の件ですが、本文献守貞謾稿は「京上方では~だが、江戸では~」と比較の体裁でまとめられており、原文【上燗(原文は火へんに間)オデン 燗酒ト蒟(草冠に昆)蒻ノ田楽ヲ賣ル江戸ハ芋ノ田楽モ売ル 之(?)蓋(?)此(?)賈(あきなう)亦大ニ異ナルノ様(?)ナシ故ニ略シテム面(?)セズ】とあり、一部判別しない文脈がありますが、文脈上『(京・上方では)燗酒と蒟蒻の田楽を売る、江戸では芋の田楽も売る』となり、京上方でも上燗オデンと呼称されていたように読めます(上燗とは熱燗とぬる燗の間の温度のことです)。このあたり一次史料にwikipedianがあたって執筆している箇所ですので、あまり確定的に記述しないほうが良いように考えます(「江戸の町では「上燗おでん」という振り売りがある」←この文脈では江戸にのみあった呼称に読めてしまいます)。--大和屋敷会話2016年7月27日 (水) 11:45 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。該当箇所ですが「上燗オデン 燗酒と蒟蒻の田楽を売る 江戸は芋の田楽も売る也 蓋此賈亦大に異なるの扮なし故に略して図せず」だろうと思います。本文の該当部分の執筆者は私じゃありませんが、大和屋敷さんのご指摘はまことにその通りと思い、改訂に賛成します。--ShikiH会話) 2016年7月27日 (水) 22:07 (UTC) (追記)私の読みでは「けだし このあきんど また おおいに ことなるの こしらえなし。ゆえに りゃくしして ずせず」。あっているでしょうか。--ShikiH会話2016年7月28日 (木) 06:19 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

おでん」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月16日 (金) 06:54 (UTC)[返信]