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ノルチャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノルチアから転送)
ノルチャ
Norcia
ノルチャの風景
ノルチャの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
ウンブリア州の旗 ウンブリア
県/大都市 ペルージャ
CAP(郵便番号) 06046
市外局番 0743
ISTATコード 054035
識別コード F935
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 4509 人 (2024-01-01 [1])
人口密度 16.4 人/km2
文化
住民の呼称 nursini
守護聖人 聖ベネデット
(San Bendetto)
祝祭日 3月21日, 7月11日
地理
座標 北緯42度47分36秒 東経13度05分38秒 / 北緯42.79333度 東経13.09389度 / 42.79333; 13.09389座標: 北緯42度47分36秒 東経13度05分38秒 / 北緯42.79333度 東経13.09389度 / 42.79333; 13.09389
標高 604 (425 - 2448) [2] m
面積 274.34 [3] km2
ノルチャの位置(イタリア内)
ノルチャ
ノルチャの位置
ペルージャ県におけるコムーネの領域
ペルージャ県におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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ノルチャ: Norcia)は、イタリア共和国ウンブリア州ペルージャ県にある、人口約4,500人の基礎自治体コムーネ)。

黒トリュフプロシュット(生ハム)が特産品として知られる観光地。ベネディクト修道会創設者である聖ベネディクトゥス(ヌルシアのベネディクトゥス)は当地の出身である。

名称

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ラテン語ではヌルシアNursia)と呼ばれる。英語でも伝統的には、ラテン語形に基づく Nursia [ˈnɜːrsiə] の名で呼ばれてきた。

イタリア語では [ˈnɔrtʃa] と発音される。日本語文献では「ノルチャ」のほか、「ノルチア」[4][5]などの転記例がある。

地理

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ペルージャ県概略図

位置・広がり

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ペルージャ県の南東部、ヴァルネリーナイタリア語版地方に位置する町で、スポレートから東へ約30km、アスコリ・ピチェーノから西へ約40km、テルニから北東へ約45km、ラクイラから北北西へ約55km、県都ペルージャから南東へ約67kmの距離にある[6]。コムーネの面積は約 274 km2 に及び、北から東にかけてマルケ州、南にラツィオ州と境界を接する。

隣接コムーネ

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隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のAPはアスコリ・ピチェーノ県マルケ州)、 MCはマチェラータ県(マルケ州)、RIはリエーティ県ラツィオ州)所属を示す。

気候分類・地震分類

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ノルチャにおけるイタリアの気候分類 (itおよび度日は、zona E, 2608 GGである[7]。 また、イタリアの地震リスク階級 (itでは、zona 1 (sismicità alta) に分類される[8]

歴史

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ノルチャ地域での人類の居住の痕跡は新石器時代にさかのぼる。

都市の歴史は、紀元前5世紀サビニ人が定住したことで始まる。ラテン語ではヌルシアNursia)と呼ばれ、第二次ポエニ戦争中の紀元前205年にローマの同盟国となった。現存最古のローマの遺跡は1世紀頃のものである。

ベネディクト修道会の創設者ベネディクトゥスと彼の双子の妹スコラスティカは、480年に当地で生まれた。8世紀には、聖ベネディクトゥス生誕の地への巡礼者のための礼拝堂が建設された。10世紀には修道士がノルチャに来た。今日、修道士たちは古代ローマ時代の遺跡の上に建てられた聖ベネディクト修道院 (Monastery of St. Benedict (Norcia)で生活を送っている。

ノルチャは6世紀ランゴバルド人ランゴバルド王国)によって征服され、スポレート公国の一部となった。9世紀にはイスラム教徒(サラセン人)の攻撃に苦しめられ、深刻な荒廃の時代を迎えている。11世紀には、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の所領の一部となった。

12世紀には、政治的・経済的な威信の高まりとともに、教皇領内における独立コムーネとなった。コムーネとベネディクト会修道院との協力は、外科医学学校Schola Chirurgica の創設を導いた。この機関での研究は、ノルチャ住民の養豚業における繁殖の改善をもたらした。しかし、スポレート公国の権力と、1324年の地震によって、ノルチャ市民の野心は阻止された。1354年、ノルチャは再び教皇の権威に服することとなった。

近現代

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20世紀後半以降も、ノルチャはたびたび大きな地震に見舞われている。1979年のノルチャ地震イタリア語版では多くの建物が倒壊し、大きな被害が出た[9][10]。1997年の地震 (1997 Umbria and Marche earthquakeでも[9]犠牲者が出ている[11][10]。こうした度々の地震による被害を受け、特に1997年の地震以降は[11]急速に耐震化が進められた[9][11]

2016年8月24日未明、ノルチャの南東10kmを震源とする大きな地震(イタリア中部地震)が発生した[12]。震源地からおおむね同じ距離にあるアマトリーチェでは家屋倒壊によって多数の犠牲者が出たのに対し[11]、ノルチャでは歴史的建築物が損傷したものの[13]被害はほとんどなく[9]、死者も出なかった[9][11]。人的被害がほぼ皆無であったことの要因には、同市が進めてきた耐震化が挙げられている[9][11]

行政

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分離集落

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分離集落 Castelluccio と Monte Vettore

ノルチャには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Agriano, Aliena, Ancarano, Biselli, Campi, Capo del colle, Casali di Serravalle, Castelluccio, Cortigno, Forca Canapine, Fontevena, Forsivo, Frascaro, Legogne, Nottoria, Ocricchio, Ospedaletto, Paganelli, Pescia, Piè del colle, Piè la Rocca, Piediripa, Popoli, San Marco, San Pellegrino, Sant'Andrea, Sant'Angelo, Savelli, Serravalle, Valcaldara

文化・観光

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イタリアの最も美しい村」クラブ加盟コムーネである。

食文化

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黒トリュフの産地として世界的に知られており[14]、またプロシュット(生ハム)[14]をはじめとした豚肉加工品(サラミソーセージなど)[15]が特産品として知られている。また、市域に含まれる高原地帯の分離集落カステルッチョ (it:Castelluccio (Norcia)は、レンズマメの産地として著名である[14]

以下の品目の名称は保護指定地域表示イタリア語版(IGP)の対象となっており、地理的表示が保護されている。

ノルチャにおける生ハム生産の歴史は紀元前にさかのぼるとされ[14]、多くのノルチャ出身者が加工技術を携えて各地に広がり、ノルチャの生ハムの名声を広げた[14]。豚肉を中心とした加工肉を扱う店舗をイタリア語で「ノルチネリア」(Norcineria)と呼ぶのは、当地が由来である[14][15]。ノルチャ市内にも多くの「ノルチネリア」が軒を連ねる[14][15]

黒トリュフはノルチャの近郊で採取される[14]。2月週末には「黒トリュフ祭り」が開催される[14]

交通

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道路

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人物

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サンベネデット広場 (Piazza San Benedetto) にある聖ベネディクトゥス像

脚注

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  1. ^ Popolazione residente per sesso, età e stato civile al 1° gennaio 2024” (イタリア語). 国立統計研究所(ISTAT). 2024年5月27日閲覧。メニューでVista per singola areaを選択。Anno:2024, Ripartizione:Centro, Regione:Umbria, Provincia:Perugia, Comune:Norcia を選択
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Perugia (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年9月19日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Perugia (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年9月19日閲覧。
  4. ^ 631夜『カストラート』アンドレ・コルビオ”. 松岡正剛の千夜千冊. 2016年9月1日閲覧。
  5. ^ 教皇ベネディクト十六世の10回目の一般謁見演説”. カトリック中央協議会 (2005年7月7日). 2016年9月1日閲覧。
  6. ^ 2点間の直線距離を測る”. 2015年4月18日閲覧。
  7. ^ Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
  8. ^ classificazione sismica aggiornata al aprile 2023” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica/. イタリア市民保護局. 2023年12月16日閲覧。
  9. ^ a b c d e f 震源近くの二つの町、明暗分けたのは… イタリア地震”. 朝日新聞 (2016年8月28日). 2016年8月29日閲覧。
  10. ^ a b 教訓生かし犠牲者ゼロ=耐震進めた町-伊中部地震”. 時事通信 (2016年8月28日). 2016年8月29日閲覧。
  11. ^ a b c d e f イタリア中部でM6.2の地震、建物が倒壊”. 東京新聞 (2016年8月28日). 2016年8月29日閲覧。
  12. ^ イタリア中部でM6.2の地震、建物が倒壊”. CNN (2016年8月24日). 2016年8月24日閲覧。
  13. ^ “イタリア中部でM6.2の地震 240人以上死亡”. BBC. (2016年8月25日). http://www.bbc.com/japanese/37172116 2016年8月29日閲覧。 
  14. ^ a b c d e f g h i j 粉川妙 (2010年1月15日). “生ハム、サラミ、ソーセージ……サラミ屋があふれる町はパラダイス!”. ウンブリアの風 ~12ヶ月の歳時記~. JAPAN-ITALY Travel. 2016年8月29日閲覧。
  15. ^ a b c 堂剛 (2007年10月24日). “生ハム、サラミ、ソーセージ……サラミ屋があふれる町はパラダイス!”. エイビーロード. リクルート. 2016年8月24日閲覧。

外部リンク

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