ノコルド・トンプソン
ノコルド・トンプソン(英: Nockold Tompson、1714年10月26日 - 1777年6月13日[注釈 1])は、1759年から1760年までノリッジ市長を務めたビール醸造業者である。
1714年10月26日にシティ・オブ・ノリッジに生まれた、醸造業者のジョン・トンプソンとその妻ルースの息子である。同年11月21日に聖ミカエル・コスラニー教会において洗礼を受けた[1]。
1753年から1754年までノリッジの保安官、1759年から1760年までノリッジ市長を務める[2]。ドイツ出身の画家であるジョン・テオドール・ハインズが描いたトンプソンの肖像画がノリッジ城博物館・芸術ギャラリーに所蔵されている[3]。1761年の英国議会選挙ノリッジ選挙区(当選人:2人)に立候補したものの落選してしまう。この選挙区では初代サフィールド男爵のハーボード・ハーボードとエドワード・ベーコンの2人が当選を果たしている[4]。
トンプソンはアーラム・ホール(現在のイースト・アングリア大学)で農業経営をしていた。1771年の「農民暦」で農学者のアーサー・ヤングがトンプソンの作物収量を賞賛している[5]。
1777年に没した彼は同年6月13日に反対者として埋葬された[6]。トンプソンが1754年から1777年まで収入役を務めたオルダーマン・ノーマン財団は、ノリッジ市長を務めたジョン・ノーマン(1657年 - 1724年)の遺言により創設された。1777年にトンプソンが没した後、慈善事業に対する債務額のうち890ポンド18シリング10ペンスが債務不履行であることが判明し、財団が回収できたのはトンプソンの遺言執行者からの150ポンドのみであった[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 埋葬された日。
出典
[編集]- ^ “Norfolk Baptisms: St Michael Coslany, Norwich via FindMyPast”. 31 December 2020閲覧。
- ^ “Bayne, AD, A Comprehensive History of Norwich, (1869: Jarrold), p 700”. 29 December 2020閲覧。
- ^ “Art UK: Nockold Tompson”. 29 December 2020閲覧。
- ^ “GenUKI: Norwich Polls 1761”. 31 December 2020閲覧。
- ^ “Burnham Press: More on creating small country estates” (30 July 2017). 31 December 2020閲覧。
- ^ “Norwich Dissenters' Burials via FindMyPast”. 31 December 2020閲覧。
- ^ “The Educational Foundation of Alderman John Norman: Norman's Endowed School”. 31 December 2020閲覧。