ネロ・リージ
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Nelo Risi ネロ・リージ | |
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生年月日 | 1920年4月21日 |
没年月日 | 2015年9月17日(95歳没) |
出生地 | ロンバルディア州ミラノ県ミラノ |
国籍 | イタリア |
職業 | 詩人、映画監督、脚本家 |
ジャンル | ドキュメンタリー映画、劇映画 |
活動期間 | 1956年 - 1991年 |
配偶者 | エディス・ブリュック |
著名な家族 |
フェルナンド・リージ 兄 ディーノ・リージ 兄 クラウディオ・リージ 甥 マルコ・リージ 甥 |
ネロ・リージ(Nelo Risi、1920年4月21日 - 2015年9月17日)は、イタリアの詩人、映画監督、脚本家である[1]
来歴・人物
[編集]1920年(大正9年)4月21日、イタリアのロンバルディア州ミラノ県ミラノで生まれる[1]。父はスカラ座専属の医師、30歳離れた兄フェルナンドが撮影・照明の技術者で、4歳上の兄ディーノはのちに映画監督になった[1][2]。
1956年(昭和31年)、ジャコモ・マッテオッティの暗殺に取材した短篇ドキュメンタリー映画『マッテオッティ暗殺』を監督したのが、最初の監督作である[1]。1959年(昭和34年)、短篇ドキュメンタリー『ロッセリーニ兄弟』を発表、1960年(昭和35年)、同作でナストロ・ダルジェント賞短篇映画賞を受賞した[1]。
時期は不明であるが、エディス・ブリュックと結婚している[1]。1966年(昭和41年)に発表した『悲しみは星影と共に』はエディスと共同で脚本を執筆し、ネロが監督した作品である[1]。
1968年(昭和43年)、『ふれあい』を監督、1970年(昭和45年)、同作の脚本でナストロ・ダルジェント賞脚本賞を受賞した[1]。同年に監督した Ondata di calore で、サン・セバスティアン国際映画祭金の貝殻賞を受賞した[1]。
フィルモグラフィ
[編集]特筆以外はすべて監督作である[1]。劇映画の監督作に関してはフルリストである[1]。
- 『マッテオッティ暗殺』 Il delitto Matteotti : ドキュメンタリー映画、1956年 - 初監督作
- Souvenir d'Italie : 監督アントニオ・ピエトランジェリ、1957年 - 原案
- 『ロッセリーニ兄弟』 I fratelli Rosselli : 1959年
- 『豊かなる成熟』 Le italiane e l'amore : オムニバス映画、1961年 - "Le Ragazze madre" 篇
- 『明日に太陽を』 Jusqu'au bout du monde : 監督フランソワ・ヴィリエ、1963年 - 脚本
- La strada più lunga : テレビ映画、1965年 - 監督・脚本
- 『悲しみは星影と共に』 Andremo in città : 原作・脚本エディス・ブリュック、1966年 - 監督・脚本
- 『ふれあい』 Diario di una schizofrenica : 1968年 - 監督・脚本
- Flashback : 監督ラッファエーレ・アンドレアッシ、1969年 - 脚本
- 『ランボー 地獄の季節』 Una stagione all'inferno : 1970年
- Ondata di calore : 1970年 - 監督・脚本
- La colonna infame : 1972年 - 監督・脚本
- Un amore di donna : 1988年
- Per odio per amore : テレビ映画、1991年
関連事項
[編集]- フェルナンド・リージ (Fernando Risi [3])
- ディーノ・リージ
- クラウディオ・リージ (it:Claudio Risi)
- マルコ・リージ (it:Marco Risi)
- ラッファエーレ・アンドレアッシ (en:Raffaele Andreassi)
- エディス・ブリュック (it:Edith Bruck)