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ネフェルウ3世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネフェル3世から転送)
ネフェルウ
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nfrnfrnfrB1

ネフェルウ3世(Neferu III)は、古代エジプト第12王朝の王妃。アメンエムハト1世ネフェルイタチェネンの娘、センウセレト1世(在位:前1965年頃-前1920年頃[1])の同母姉妹かつ妻であり、アメンエムハト2世の母親である[2][3]。彼女は「王の娘」「王の妻」「王の母」という肩書を持っていた[4]

この時代の王妃は基本的に葬祭関連の文書によってのみ知られている[5]。ネフェルウ3世も大枠として例外ではなく、彼女に関する記録はアメンエムハト1世のピラミッド複合体で発見された石の断片、アメンエムハト2世がセンウセレト1世のために建てた神殿、およびセンウセレト1世のピラミッド複合体に作られたネフェルウ3世のためのピラミッドから得られている(ただし彼女はこのピラミッドに埋葬されなかった可能性がある)[4]

ネフェルウ3世は古代エジプト文学の傑作である『シヌヘの物語』にもセンウセレト1世の妻として言及されている。この物語の終盤でネフェルウ3世は王女たちと共に流浪の旅からエジプトへと帰還したシヌヘを出迎えている[3]

...かれ(=王)に愛されたるもの、従者シヌヘは(次のように)語った。私は主君につき従う従者であり、世襲の王女にしてケネムスウトにおけるセンウセレト王の寵愛厚き妃、カーネフェルウにおけるアメンエムハト王の娘、尊きネフェルウのハレムに仕えるものであった...
『シヌヘの物語』冒頭[6]
...そこへ、王の子たちが案内されてはいってきた。ついで王(引用注:センウセレト1世)は王妃(引用注:ネフェルウ3世)にむかって(こう)申された。「ここにシヌヘがいる。アジア人として、アジア人の格好をしてやってきたのだ」と。王妃は大声で叫び、王の子供たち(も)皆いっせいに叫び声をあげた。そして陛下へ向かって言った。「おお、国王よ。わが主君よ。本当はかれではありません」と。陛下は申されました。「本当にかれなのだ」と。...[注釈 1]
『シヌヘの物語』終盤[7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 屋形訳では、固有名詞の記載はそれぞれ、ケネムスート(地名)、センウセルト(王名)、カーネフェルー(地名)、ネフェルー(王妃名)である。ここでは本文に合わせてカナ転写を変更している

出典

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  1. ^ ライス 2022, p. 253,「センウォスレト1世(別名センウスレト、セソストリス)」の項目より。
  2. ^ ドドソン, ヒルトン 2012, p. 92
  3. ^ a b ティルディスレイ2008, p. 89
  4. ^ a b ドドソン, ヒルトン 2012, p. 97
  5. ^ ティルディスレイ2008, p. 90
  6. ^ シヌヘの物語, 屋形訳, p. 406
  7. ^ シヌヘの物語, 屋形訳, p. 413

参考文献

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  • 杉勇三笠宮崇仁編 編、屋形禎亮 訳「シヌヘの物語」『古代オリエント集』筑摩書房、1978年4月、403-414頁。ISBN 978-4-480-20601-5 
  • エイダン・ドドソン、ディアン・ヒルトン『全系図付エジプト歴代王朝史』池田裕訳、東洋書林、2012年5月。ISBN 978-4-88721-798-0 
  • ジョイス・ティルディスレイ『古代エジプト女王・王妃歴代誌』吉村作治監修、月森左知訳、創元社、2008年6月。ISBN 978-4-422-21519-8 
  • マイケル・ライス『古代エジプト人名辞典』大城道則監訳、柊風舎、2022年3月。ISBN 978-4-86498-090-6 

関連項目

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