ニール・リッチー
表示
ニール・メシュエン・リッチー Neil Methuen Ritchie | |
---|---|
第12軍団司令官時代のリッチー | |
生誕 |
1897年7月29日 英領ギアナ |
死没 |
1983年12月11日 (86歳没) カナダ・トロント |
所属組織 | イギリス陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1951年 |
最終階級 | 大将(General) |
除隊後 | 保険会社の取締役 |
サー・ニール・メシュエン・リッチー GBE KCB DSO MC KStJ(Sir Neil Methuen Ritchie, 1897年7月29日 - 1983年12月11日)は、イギリスの軍人。第二次世界大戦時はイギリス陸軍の将官であった。
軍歴
[編集]リッチーの軍人としての経歴は、ブラック・ウォッチ(ロイヤル・ハイランド (Black Watch))連隊で将校に任命された1914年に始まる。 第一次世界大戦中、彼はフランスで1917年に殊勲賞(DSO)を、またメソポタミア戦役で1918年には戦功十字章(MC)を「冷静であり同時に危険を全く顧みない勇気の好例」として受けた。
第二次世界大戦開始時、リッチーは准将に昇進しており、ダンケルクの撤退に、撤退の指揮を執った英国遠征軍司令官の幕僚長としてかかわった。彼はウェーベル、オーキンレック、そして(ダンケルク作戦の指揮官であった)アランブルックらに幕僚として仕え、彼らすべてから重用された。
北アフリカ戦線のクルセーダー作戦中の1941年11月26日付けで、中東方面軍総司令官オーキンレックにより同軍の参謀副長から第8軍司令官に任命された[1]。しかしエル・アラメインの戦いの直前、1942年6月25日に同じオーキンレックによって第8軍司令官を解任された[2]。
1950年9月から、ブラック・ウォッチのカーネル(名誉連隊長)に就任。晩年彼はカナダのトロントで過ごし、86歳のときに死亡した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 山崎雅弘 『ロンメル戦記』 学研パブリッシング〈学研M文庫〉、2009年。ISBN 978-4059012481
- 『北アフリカ戦線 1940-1943』 学研パブリッシング〈歴史群像アーカイブVol.11〉、2009年。ISBN 978-4-05-605789-8