ニーデック城
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ニーデック城 | |
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Burg Nydegg | |
ベルン | |
保存されている城門 | |
座標 | 北緯46度33分56秒 東経7度16分22秒 / 北緯46.5656度 東経7.2727度 |
施設情報 | |
一般公開 | 公開 |
歴史 | |
建設 | 1190年 |
建設者 | ベルトルト5世 |
ニーデック城(独: Burg Nydegg、[ˈnidɛk])は、スイスのベルン州ベルン市マッテ地区にある城。12世紀の建立。城の名称は、中高ドイツ語の「下の隅」(nyd-egg)に由来する。神聖ローマ帝国の帝国城塞の一つ。
概要
[編集]ニーデック城は、アーレ半島の先端に建っており、現在はニーデック教会の聖歌壇がある。中庭を有する居住塔(22.5 × 16.2 m)が、四角い塔と井戸とともに中央にあった。植栽が円形の城壁に囲まれており、その外側で川の反対側には深さ約8mの堀があった。城の下には城下町があり、それも第二の城壁に守られていた。
歴史
[編集]ツェーリンゲン家のベルトルト5世公爵は、1190年に都城としてニーデック城を建設した。城には代官が駐在し、アーレ川を渡る船の交通を統制し保護する役割があった[1]。
しかし、1268年から1270年にかけて、ベルン政府は土地の必要からニーデック城を曳いて移設し、かつ他国の貴族が所有権を主張することを防いだ。1274年1月16日付の公文書には、ハプスブルク家のローマ王ルドルフ1世がベルン市に城の破却を許可している。
城の跡地には、1341年から1346年にかけてドイツ騎士団がニーデック教会を建立した。
新しいニーデック橋の建設が始まった1840年から1854年にかけて、城の遺構が発見された。さらに1951年から1962年にかけて、ベルンの美術史学者パウル・ホーファー(Paul Hofer)の指揮のもとに発掘調査が行われ、城の中心井戸が復元された[2]。
脚注
[編集]- ^ Armand Baeriswyl: Stadt, Vorstadt und Stadterweiterung im Mittelalter. Archäologische und historische Studien zum Wachstum der drei Zähringerstädte Burgdorf, Bern und Freiburg im Breisgau (Schweizer Beiträge zur Kulturgeschichte und Archäologie des Mittelalters 30), Basel 2003, ISBN 3-908182-14-X, S. 170–174.
- ^ Hofer, Paul und Hans Jakob Meyer: Die Burg Nydegg. Forschungen zur frühen Geschichte von Bern, Bern 1991.