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ニルス・ルズヴィ・ヴェスタゴー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニルス・ルズヴィ・ヴェスタゴー(Niels Ludvig Westergaard、1815年10月27日 - 1878年9月9日)は、デンマーク文献学者東洋学者インド学、イラン学の研究者で、またエラム語楔形文字碑文の解読に重要な役割を果たした。

日本語ではウェスターゴール[1]など、さまざまに表記される。

生涯

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ヴェスタゴーはコペンハーゲンに生まれた。1833年にコペンハーゲン大学に入学して古ノルド語サンスクリットを学んだ後、1838年にボン大学クリスチャン・ラッセンアヴェスター語ペルシア語を学んだ。友人にオットー・フォン・ベートリンクがいた[2]パリロンドンオックスフォードでサンスクリット写本を研究した後、1839年にコペンハーゲンに戻った[3]

1841年から1844年にかけてインドとイランを旅行した。パールシーについてアヴェスター語とパフラヴィー語を研究し、ゾロアスター教経典の写本を入手した。また、ペルセポリスナクシェ・ロスタム楔形文字碑文を模写した[4]

帰国後、コペンハーゲン大学の講師の職を得た。1845年に員外教授、1850年にインド・東洋文献学の正教授に昇任した。1867年から翌年にかけては学長をつとめた[5]

主な業績

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ヴェスタゴーは当初サンスクリット研究を行った。

インド・イラン旅行から帰国した後、エラム語楔形文字の解読を行った。ヴェスタゴーの論文は解読のための決定的な一歩であった[6]

その後『アヴェスター』や『ブンダヒシュン』の校訂本を出版した。

その後はインド学に戻り、インド古代史に関する著作をデンマーク語で出版した。

脚注

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  1. ^ 関根(1964) p.146
  2. ^ Thomsen (1904) p.452
  3. ^ Schmitt (2015)
  4. ^ Thomsen (1904) p.453
  5. ^ Thomsen (1904) p.454
  6. ^ 関根(1964) pp.146-147
  7. ^ Thomsen (1904) p.457

参考文献

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