ニューヨークアスレチッククラブ
略称 | NYAC |
---|---|
設立 | 1868年9月8日 |
設立者 |
ジョン・C・バブコック ハリー・バーメイヤー ウィリアム・バッキンガム・カーティス |
種類 | 会員制社交クラブ |
本部 |
セントラル・パーク・サウス180 ニューヨーク市 |
所在地 | |
座標 | 北緯40度45分59秒 西経73度58分44秒 / 北緯40.76639度 西経73.97889度座標: 北緯40度45分59秒 西経73度58分44秒 / 北緯40.76639度 西経73.97889度 |
貢献地域 | ニューヨーク都市圏 |
ウェブサイト |
www |
ニューヨークアスレチッククラブ(英: New York Athletic Club、略称: NYAC)は、ニューヨーク市に本部を持つ会員制社交・スポーツクラブである。1868年に設立され[1]、現在およそ8,600人の会員を擁する。マンハッタンおよび同じニューヨーク州内ウェストチェスター郡のトラバース島の2箇所に施設がある。クラブから招待された者だけが会員になることができる[2]。
漕艇、レスリング、ボクシング、柔道、フェンシング、水泳、バスケットボール、ラグビー、サッカー、テニス、ハンドボール、スカッシュ、スヌーカー、ラクロス、水球を含む多種のスポーツを提供している。
施設
[編集]「シティーハウス (The City House)」はマンハッタンのセントラルパークサウス180番地に位置し、セントラルパークが一望できる20世紀初期の大型キャバナス建築物である。チャールズ・W・クリントンが設計した24階建てのこの建物は、2つのレストラン、カクテルラウンジ、図書館、ダンスホール、ビリヤード室、会議室、屋上サンルーム、8フロアにわたるメンバーおよびそのゲスト用の宿泊施設を持つ。トレーニング階にはプール、バスケットコート、ボクシングリング、フェンシングおよびレスリング室、柔道階、スカッシュコートがある。
ウォールストリートのビジネスマンであったウィリアム・R・トラバースの仲介でNYACが1886年に購入したトラバース島はロングアイランド湾にあり、夏季用施設となっている。メインハウスとその周辺の付帯施設・建物が、30エーカー(およそ120,000平方メートル)の土地に建てられている。メインハウスを中心にオリンピックサイズの塩水プールと更衣室、手漕ぎボート、ヨット、海水浴やダイビング、子供用キャンプ施設、ラグビー、サッカー、クロケット、ラクロスの施設もある[3]。
トラバース島はニューヨーク州ウェストチェスター郡に属し、ニューロシェルとぺラムマナーの二つの町の境界を跨ぎ、ネプチューン島、グレン島、ハンター島に囲まれるように位置している[3]。
歴史
[編集]1866年にウィリアム・バッキンガム・カーチス、ハリー・バーメイヤー、ジョン・C・バブコックの3人がニューヨーク市14丁目と六番街の角にあった彼らの所有するアパートメントに室内競技施設(ジム)を開いた。英国における組織化された陸上競技の急成長に刺激されてのことだった[4]。このジムは繁盛し、1868年9月8日、3人はニューヨークアスレチッククラブを設立することを決めた[5]。ロンドンアスレチッククラブに倣い[6]、目標はニューヨーク地域でスポーツの大会を主催・後援すること、および他の様々なスポーツの公式記録を保持・管理することにあった。1868年12月にはクラブ憲章と規約が採択された。当初は入会金なしで、6か月分の会費として10ドルを支払えば入会することができた[7]。
1875年、(ブロンクスの)モットヘイブンにあったアンツーカートラックの競技場を買収取得した。このモットヘイブンでは何度かの陸上国内選手権が開催された[1]。
1879年には会員数が170名になり、フェンシングやグレコローマンレスリングといった様々なアマチュアスポーツのルールを制定して公開した[5]。NYACは米国におけるアマチュアスポーツの基盤を築いたと考えてよい。各種競技大会のルールを初めて取りまとめ、またアマチュアのオープン大会に初めて景品を提供したのも、さらにアマチュア選手権を初めて開催したのもNYACだった[8]。
NYACの会員はオリンピックにおいてこれまで119個の金メダル、53個の銀メダル、59個の銅メダルを獲得している[9]。現在でもレスリング、柔道、手漕ぎボート、フェンシング、ウォーターポロ、陸上トラックやフィールド競技に選手を出場させており、2008年の北京オリンピックでは合計16個のメダルを獲得した。
その他の注目すべき大会
[編集]2003年11月、ガルリ・カスパロフとコンピュータプログラム "X3DFritz" によるチェス 4 番勝負の会場となった。2004年6月には全米スヌーカー選手権のプレーオフ会場になり、2017年5月には同選手権の本会場になった[10]。
スポーツチーム
[編集]NYACは現在、下記スポーツに22のチームを擁している [11]:
- バスケットボール
- ボクシング
- サイクリング
- フェンシング
- 体操
- ハンドボール
- 柔道
- ラクロス
- プラットフォームテニス
- 手漕ぎボート
- ラグビー
- ランニング
- サッカー(男・女)
- スカッシュ
- 水泳
- 卓球
- チームハンドボール
- テニス
- 陸上(トラック・フィールド)
- トライアスロン
- 水球
- レスリング
入会資格をめぐる論争
[編集]NYACはその歴史の大部分において、「男らしいスポーツを促進する」ことを目的に掲げた、男性だけをメンバーとする会員制クラブだった。1984年に可決されたユーヨーク市の政令は、「ビジネスや職業生活で重要な役割を果たす大規模な会員制クラブへの女性の入会」を要請するものだった[12]。これに対し、この政令は結社の自由の権利を保証した合衆国憲法修正第1条違反であるとして多くのクラブが集団で訴訟を起こし、連邦最高裁判所にまで持ち込まれ、NYACもその訴訟団に名を連ねた[13]。1988年6月に連邦最高裁判所が、個々のクラブにおける事情に類似性がないため集団訴訟に適さないという理由で連邦地方裁判所に差し戻しを行った(このことが女性入会の拒否が支持されたかのように誤って報道されることがある)。個別に訴訟を再開するには相当高額な費用が必要になることから、NYACは1989年に自発的に規約を変更して女性会員を認めることとなった[14][15][16]。
また、NYACが黒人とユダヤ人を長年にわたり差別してきたという根拠のない批判もあった。1936年、オリンピック選手であるマーティー・グリックマンはクラブの選手と一緒に練習するために来場したが、ロビーまで来たところでNYAC陸上競技担当役員によって退出させられた。グリックマンは自分がユダヤ人であることがその理由であると考えた[17][18][19]。1950年代半ば、民主党マンハッタン地区のニューヨーク市議会議員アール・D・ブラウンは、「トラックチームでは黒人およびユダヤ人を差別している」という事実に抗議してNYAC施設外での会合に出席することを拒否した。"The Race Relations Reporter" 誌によれば、クラブのスポークスマンであるアルフレッド・フォスターは「当クラブのチームには黒人とユダヤ人の選手はいない」ことを認めたと報じた。だが同誌は、クラブ幹部役員が「かつては何人かのユダヤ人メンバーが在籍していた」、と語っていたとも報じている[20][21][22]。
1962年2月、ニューヨーク市長のロバート・F・ワグナー Jr. は、クラブが黒人とユダヤ人を締め出しているという疑惑を受けて、退会した[23]。ウディ・アレンは、「ヘラジカの着ぐるみを身にまとったユダヤ人カップルが猟銃で撃たれてはく製にされ、NYACの壁に架けられた。これってジョーク? だってユダヤ人は入館禁止でしょ?」と風刺した[24][25][26]。
1964年5月、クラブへの黒人とユダヤ人入会を求めるスローガンを叫んだ人種平等会議 (Congress for Racial Equality) のデモ隊がクラブを取り囲んだ[27]。1960年代後半には、人権のためのオリンピック・プロジェクト (The Olympic Project for Human Rights) という団体のメンバーは、NYACが黒人とユダヤ人をメンバーにしないことに抗議して、NYACで開催される大会をボイコットするよう黒人選手らを組織した[28]。オリンピック選手のバイロン・ダイスは、ニューヨーク大学陸上競技部とほとんどの黒人運動選手とともに、1968年2月にマジソンスクエアガーデンでのNYAC主催大会をボイコットし、クラブの差別的会員制度に抗議した。500人から600人の群衆が、会場の外でのクラブの排他的慣行に抗議した[29][30]。デモ隊は警察隊に突進し、警官隊は警棒で応戦したので何人もが地面に倒された[31][32]。同時に、ノートルダム大の卒業生50人は、クラブが白人とユダヤ人以外を排除していることを説明しない限り、同級生にクラブをやめるよう勧めた[33]。1970年6月、ニューヨーク州選出の民主党上院議員候補予備選挙に出馬したテッド・ソレンセンがNYACに一時居住していたことがあり、このことをコラムニストのナット・ヘントフが批判し、「ニューヨークシティの偏見の総本山のようなところに住むという選択をした人間だ」と書いている[34]。
1981年3月、モハメド・アリはNYACでの記者会見の前のマイクテストで、「紳士淑女の皆様、ユダヤ人とニガー、そしてNAACP(全米黒人地位向上協会)のメンバー全員がNYACにあなたを歓迎します」と述べた[35] [36]。 1989年、オリンピック金メダリストであるアントニオ・マッケイは、黒人で初めてのNYAC代表陸上競技選手となった[37]。
関連項目
[編集]- ダウンタウンアスレチッククラブ (Downtown Athletic Club)、同じニューヨークにあったライバルクラブで、ハイズマン賞を創設したことで有名。2001年に破綻。
- アメリカの紳士クラブのリスト
- デトロイトアスレチッククラブ
脚注
[編集]- ^ a b New-York-Tribune, NY, NY, Apr 6, 1884. Retrieved Jan 25, 2021
- ^ “How to Join the New York Athletic Club”. oureverydaylife.com. 8 April 2018閲覧。
- ^ a b “Travers Island”. New York Times. (June 9, 1889) December 31, 2010閲覧. "The now Summer home of the New-York Athletic Club on Travers Island, near Pelham Manor, on the Sound, was opened yesterday for inspection by the members and their friends. The building, designed by Douglas Smythe, is a handsome structure of wood in the prevailing..."
- ^ "A history of American amateur athletics and aquatics" by Frederick W. Janssen (1888), page 124
- ^ a b Club, New York Athletic (1905). Constitution, By-laws, Rules and Alphabetical Lists of Members – New York Athletic Club April 29, 2014閲覧。
- ^ Wiggins, David K. (2009). Sport in America, Volume II: From Colonial Leisure to Celebrity Figures and Globalization. Human Kinetics, Inc.. p. 51. ISBN 978-0-7360-7886-3
- ^ LA84Foundation.org Outing Volume IV Issue September 6, 1884
- ^ New York Athletic Club Journal, February 1905, Page 18
- ^ “CLUB HISTORY – The New York Athletic Club”. Nyac.org. April 29, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。April 29, 2014閲覧。
- ^ “United States National Snooker Championship – Roll Of Honor”. SnookerUSA.com. June 18, 2012閲覧。
- ^ “The New York Athletic Club – SPORTS TEAMS”. Nyac.org. October 27, 2011閲覧。
- ^ Taylor (June 21, 1988). “Justices Back New York Law Ending Sex Bias by Big Clubs”. New York Times. February 8, 2016閲覧。
- ^ New York State Club Ass’n v. City of New York, 487 U.S. 1 (1988).
- ^ Lee. “121 Years Of Men Only Ends at Club”. nytimes.com. 8 April 2018閲覧。
- ^ “In Supreme Court Ruling-Ban on Exclusive Clubs Upheld”. The Victoria Advocate. (June 21, 1988) February 8, 2016閲覧。
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- ^ Race Relations Law Reporter. (1957) April 28, 2014閲覧。
- ^ Newsletter. Indiana Fair Employment Practices Commission. (1955) April 28, 2014閲覧。.
- ^ “Negro Councilman Takes Fiery Blast at Athletic Club”. Times Daily. (July 11, 1956) April 29, 2014閲覧。
- ^ Hunt, Richard P. (February 10, 1962). “MAYOR QUITS CLUB OVER BIAS CHARGE – He Notes Allegations That the New York A.C. Bars Negroes and Jews Accused by 2 Groups Wagner Quits New York A.C. After Hearing Charge of Bias Rules on Entry Attorney General Quit – Front Page”. The New York Times October 27, 2011閲覧。
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- ^ “Ali Says Clothes Are 'Greatest'”. Star-News. (March 22, 1981) April 29, 2014閲覧。
- ^ “Point Pleasant Register - Google News Archive Search”. news.google.com. 8 April 2018閲覧。
外部リンク
[編集]- ニューヨークアスレチックスクラブ(公式サイト)
- ニューヨークアスレチックスクラブ:憲章、1917年2月3日改正:規約、1917年5月15日改正:ハウスルール、1917年5月22日改正、ニューヨークアスレチックスクラブ(1918年)