ニクシャ・ブラトシュ
ニクシャ・ブラトシュ (Nikša Bratoš / Никша Братош) | |
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生誕 | 1959年8月17日(65歳) |
出身地 |
ユーゴスラビア ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国 トラヴニク |
ジャンル | ポップ・ミュージック |
職業 | 音楽プロデューサー、ギタリスト |
担当楽器 | ギター、サックスなど多数 |
ニクシャ・ブラトシュ(セルビア・クロアチア語: Nikša Bratoš / Никша Братош、1959年8月17日 -)は、ユーゴスラビアで有名になったボスニア出身のミュージシャン。また、ヴァレンティノ(Valentino)、ツルヴェナ・ヤブカ(Crvena jabuka)等のバンドで演奏に参加していることでも知られている。
若き日のブラトシュ
[編集]ブラトシュは1959年に生まれ、1985年にサラエヴォの電子工学大学を卒業している。ツルヴェナ・ヤブカに活動を移す前は、ヴァレンティノというバンドでギター演奏とバックボーカルを務めていた。
ツルヴェナ・ヤブカでの音楽活動
[編集]ブラトシュが最初にツルヴェナ・ヤブカで活動したのは、プロデューサーとしてであった。1988年のアルバム「サニャティ」(Sanjati)をプロデュースするよう誘われたのを皮切りに、以後は毎回アルバムを出す度にプロデューサーを務めた。後にブラトシュは、メンバーとしても参加を請われる。ありとあらゆる楽器を演奏できることで知られていたからだ。主にリズムギターを弾くが、他にハーモニカ、サックス、マンドリン、鍵盤ハーモニカ、クラリネット、木管楽器なども定期的に演奏し、時にはキーボード、シンセサイザー、バックボーカルを担当することもある。ブラトシュは、1990年代にツルヴェナ・ヤブカを有名にした弦楽器の編曲と同様に、ホルンの編曲もお手の物であった。
ユーゴスラビア紛争後
[編集]1990年、ブラトシュはザグレブに拠点を移し、そこでギタリスト、プロデューサー、キーボード奏者などとしての音楽活動を続けた。1994年にはツルヴェナ・ヤブカの正式メンバーとなり、以降は全てのコンサートとアルバムに携わる。また、各アルバムの制作とプログラミングについての責任も負っている。