ナーダイ・イシュトヴァーン
表示
ナーダイ・イシュトヴァーン(Náday István;1888年6月20日 - 1954年6月30日)は、オーストリア=ハンガリー帝国陸軍(en)、ハンガリー王国の軍人。第二次世界大戦間における陸軍第一軍(en)司令官。最終階級は中将。現在のスロヴァキア西部ミハロブツェ(en)出身。
経歴
[編集]1908年、ルドヴィカ士官学校(en)を卒業し、第一次世界大戦に従軍。オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後、ハンガリー評議会共和国軍に転属し、ハンガリー・ルーマニア戦争に参加。1926年の士官学校教官を経て、1930年~1931年、国防省第6局第4班長。1931年から第一旅団長。1938年、国防省第2(人事)局長に任命。1939年~1940年、参謀次長。
1940年~1941年、参謀本部作戦局長となり、対ユーゴスラビア・対ソ戦の作戦計画立案に参加した。1941年~1942年、国防省軍事連絡局長。親英的な立場を取り、ドイツとの接近に反対していた。1942年8月、第1軍司令官に任命。1944年3月、第1軍(第16、第20、第24、第25歩兵師団、第27軽歩兵師団、第2機械化師団、2個山岳歩兵旅団)は、戦闘に投入された。同年4月、ラカトシュ・ゲーザ将軍と交代。ハンガリーの戦線離脱の可能性について、西側連合国との交渉に参加したが、決裂した。 1954年、ハンガリー北部のノーグラード県バラッサジャズマト(en) にて死去。65歳没。
外部リンク
[編集]軍職 | ||
---|---|---|
先代 シュヴァイツァー・イシュトヴァーン |
ハンガリー王国陸軍第1軍(en) 第3代:1942年8月1日 - 1944年4月1日 |
次代 ラカトシュ・ゲーザ |