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ナッサウ・ライン鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナッサウ・ライン鉄道
基本情報
ドイツの旗 ドイツ
所在地 ヘッセン州ラインラント・プファルツ州
起点 ヴィースバーデン東駅
終点 ニーダーラーンシュタイン駅
路線記号 3505, 3507
路線番号 466
開業 1856年8月11日
全通 1864年6月3日
所有者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 84 km
軌間 1435 mm(標準軌
線路数 複線
複線区間 全区間
電化区間 全区間
電化方式 15 kV / 16.7 Hz(交流
架空電車線方式
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ナッサウ・ライン鉄道ドイツ語: Nassauische Rheinbahn)はドイツ連邦共和国ヘッセン州の州都ヴィースバーデンラインラント=プファルツ州ラーンシュタインを結ぶ鉄道路線である。この路線はライン川右岸線の南側部分に当たる。

歴史

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ライン・ウント・ラーン鉄道会社および国有化

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タウヌス線が1840年開通された後で、ケルン起業家の主導でライン川右岸の鉄道建設計画が1844年から1846年まで模索された[2]。1852年ヴィースバーデン鉄道会社が設立されて[2]、後にナッサウ・ライン・ウント・ラーン鉄道会社(Nassauische Rhein- und Lahn Eisenbahn-Gesellschaft)と改称された。1853年6月23日に鉄道会社は敷設許可ナッサウ公国から獲得した[2][3]。ヴィースバーデン - リューデスハイム区間は1854年2月17日に着工され[2]、1856年8月11日に開通された。ヴィースバーデンの終点は当初、ビーブリヒ=モースバッハ駅(現在ヴィースバーデン・ビーブリヒ駅)で、1857年2月11日にこの路線はヴィースバーデン・ライン駅まで延長された。

1855年頃以来ナッサウ・ライン・ウント・ラーン鉄道会社は財政難に陥った。1858年10月14日にナッサウ公国政府は建設免許を無効化して、ナッサウ国有鉄道を設立した[4]。国家による鉄道建設は1858年11月3日の法律に基づいていた。1861年5月2日[3]あるいは6月13日[2]に、公国政府は既存のヴィースバーデン - リューデスハイム区間を引き受けた。1860年にプロイセンはこの路線を北部のプロイセン鉄道網に接続し、ナッサウは自国領土のケルン - ギーセン間鉄道建設を許可するのを認定した[5]

1862年2月22日にナッサウ邦有鉄道線はリューデスハイム - オーバーラーンシュタイン間を開通して、1864年6月3日にこの区間をニーダーラーンシュタイン経由でコブレンツ駅まで延長した。1864年6月3日にホルヒハイム鉄道橋が開通されるまで、1862年下半期より2年間、鉄道連絡船がオーバーラーンシュタイン駅からライン川左岸のケーニッヒスバッハ駅まで運営された。この船は主にラーン流域から鉱石を輸送し、ルール地方の石炭を産業団地に供給する役割りを果たした。ライン=ナーエ鉄道会社(Rhein-Nahe Eisenbahn-Gesellschaft)の路線は、1861年11月以来鉄道連絡船でリューデスハイムとビンゲンの間に接続された。その結果、ライン=マイン地方とザール地方の間で商品が交換され、とりわけザール石炭の新しい販売区域が生成された。1866年普墺戦争でナッサウ公国が独立国家としてプロイセンに合併されたことで、プロイセンとナッサウの長期間の鉄道紛争はついに終結した。

1900年以来プロイセン国有鉄道によって旅客フェリーのみが運航されて、その後ドイツ国営鉄道により1932年まで運営された。1906年11月15日にヴィースバーデン・ライン駅はヴィースバーデン新駅舎の開業で移転された。1915年9月1日ヒンデンブルク鉄道橋が完工された[6]

1919年の占領地域の状況

第一次世界大戦の終戦直後、この路線の南側はフランス軍が、北側はアメリカ軍が占領することとなって、中間のおよそ15 km区間はボトルネック自由国に属した。その区間では列車が走行できなくなったが、1919年1月9日に無停車通過の条件で列車の通行が再開された[7]

ドイツ連邦鉄道

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1959年から1961年までローレライおよびロースシュタイントンネルの複線化のための拡張工事が実行された。新しい単線トンネルは既存のトンネルと別として建設された[8]

ドイツ鉄道

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ローレライ及びロースシュタイントンネルの改築工事が2003年12月に開始されて、2005年6月6日に完了した[8]。2007年12月に電子式信号扱い所「右のライン」(Rechter Rhein)の運営が開始された[9]。2009年の年末年始の3週間と2010年夏季休暇の6週間、包括的な大工事がコブレンツ-ヴィースバーデン間で行われた。そのため旅客及び貨物運送が封鎖された[10]

運行形態

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現在ライン川右岸線の一部であるナッサウ・ライン鉄道は、鉄道貨物輸送の主な経路である。旅客輸送の場合、Vias鉄道所属の中距離列車が走行している。また、この路線はライン川左岸線が通行止めとなる場合、迂回経路としても機能する。

地域輸送の場合、ニーダーザクセン - カウプ間はライン=モゼル運輸連合(Verkehrsverbund Rhein-Mosel, VRM)の管轄下にある[11]。ローヒハウゼン - ヴィースバーデン間の運賃システムはライン=マイン運輸連合(Rhein-Main-Verkehrsverbund, RMV)に属しており[12]、特にニーダーヴァルーフ - ヴィースバーデン間はライン=ナーエ運輸連合(Rhein-Nahe Nahverkehrsverbund, RNN)との共通区域である[13]

  • 快速列車(RE 9); フランクフルト中央駅 - マインツ・カステル - ビーブリヒ - エルトヴィレ。通勤時間帯運行。
  • 普通列車(RB 10); フランクフルト中央駅 - マインツ・カステル - ヴィースバーデン中央駅 - ビーブリヒ - エルトヴィレ - リューデスハイム - ローヒ - カウプ - 聖ゴアースハウゼン - ニーダーラーンシュタイン - コブレンツ中央駅 - ノイヴィート。60分間隔(通勤時間には部分的に30分間隔)。私設鉄道のVIAS所属。使用車両はFLIRT

参考文献

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  • Konrad Fuchs (1956). “Eisenbahnprojekte und Eisenbahnbau am Mittelrhein 1836-1903” (ドイツ語). Nassuische Annalen (67): pp. 158–202. 
  • Bernhard Hager (2006). “Im Gesegnetesten Theil des reizendschönen Landes” (ドイツ語). Eisenbahn Geschichte (17): pp. 24–37. ISSN 1611-6283. 
  • Udo Kandler (1992). “Die rechte Rheinbahnstrecke” (ドイツ語). Eisenbahn-Journal (Sonderausgabe III/92). ISSN 0720-051X. 
  • (ドイツ語) Die Rechte Rheinstrecke. SCHIENE-Photo. Band 4. Eigenverlag 自費出版. (1995). ISBN 3-926669-04-7 
  • Heinz Schomann (2005) (ドイツ語). Eisenbahn in Hessen: Eisenbahnbauten und -strecken 1839–1939. Kulturdenkmäler in Hessen. Denkmaltopographie Bundesrepublik Deutschland. Band 2.1. Stuttgart: Theis Verlag. pp. pp. 204 ff. (Strecke 012). ISBN 3-8062-1917-6 

外部リンク

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脚注

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  1. ^ (ドイツ語) Eisenbahnatlas Deutschland (9th ed.). Aachen: Schweers+Wall. (2014). ISBN 978-3-89494-145-1 
  2. ^ a b c d e Fuchs, p. 176.
  3. ^ a b Die deutschen Eisenbahnstrecken in ihrer Entwicklung 1835–1935. Berlin 1935. (= Handbuch der deutschen Eisenbahnstrecken.) ND, Mainz 1984, S. 38 f. (Nr. 17)
  4. ^ Nass. VO-Blatt 1858 Nr. 22
  5. ^ Fuchs, S. 182.
  6. ^ “Bekanntmachung Nr. 569” (ドイツ語). Amtblatt der Königlich Prußischen und Großherzoglich Hessischen Eisenbahndirektion in Mainz: p. 275. (1915年8月21日) 
  7. ^ “Nr. 5. Bekanntmachung Nr, 38” (ドイツ語). Amtblatt der Preußischen und Hessischen Eisenbahndirektion in Mainz: p. S. 19. (1919年1月18日) 
  8. ^ a b “Loreley- und Rosstein-Tunnel erneuert.” (ドイツ語). Eisenbahn-Revue International (7): p. 306. (2005). ISSN 1421-2811. 
  9. ^ ESTW Rechter Rhein geht in Betrieb” (ドイツ語). eurailpress.de. DVV Media Group GmbH. 2012年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月5日閲覧。
  10. ^ Rechtsrheinische Bahnstrecke Koblenz-Wiesbaden gesperrt” (ドイツ語). rhein-zeitung.de. Rhein-Zeitung (Mittelrhein-Verlag GmbH) (2010年7月4日). 2022年6月12日閲覧。
  11. ^ VRM-Schienennetzplan” (ドイツ語). vrminfo.de. Verkehrsverbund Rhein-Mosel GmbH. 2021年5月31日閲覧。
  12. ^ Netzpläne helfen bei der Orientierung: RMV-Schienennetzplan zum Herunterladen” (ドイツ語). rmv.de. Rhein-Mein Verkehrsverbund. 2021年5月31日閲覧。
  13. ^ Wabenplan” (ドイツ語). rnn.info. Rhein-Nahe Nahverkehrsverbund. 2021年5月31日閲覧。