ナタリウス・ピガイ
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ナタリウス・ピガイ Natalius Pigai | |
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生年月日 | 1975年12月25日(48歳) |
出生地 | インドネシア、パプア州、パニアイ県 |
現職 | 政治家 |
所属政党 | 無所属 |
在任期間 | 2024年10月21日 - |
大統領 | プラボウォ・スビアント |
ナタリウス・ピガイ(インドネシア語: Natalius Pigai, 1975年12月25日 - )は、インドネシアの政治家。同国初代人権大臣。
経歴
[編集]1975年12月25日にインドネシア、パプア州、パニアイ県にて誕生する。1999年、ジョグジャカルタ市の大学で行政学士号を取得。1999年から2004年までアル・ヒラル・ハムディ、ジェイコブ・ヌワ・ウェア政権下でインドネシア労働移住省特別参謀として勤務。また国家公務員でもあり、同省で15年間様々な機能的・構造的役職を歴任した。2006年から2008年まで、TVRIの双方向対話モデレーターとして内務省に協力[1]。
2008年から2009年にかけては、BRRアチェ・ニアスの監督次席顧問を務め、1995年から1999年の改革闘争時代の学生活動家として知られる[2]。ピガイは、人民民主党、インドネシア共和国カトリック学生協会、インドネシア環境フォーラム、行方不明者と被害者のための委員会、Rumah Perubahan、Petisi 28など、他のいくつかの組織でも活動している。ピガイは、2012年から2017年の国家人権委員会委員で、唯一のパプア州出身者である。
現在は人道活動家であり、専門家、私立探偵、外国企業や国内企業のビジネスと人権に関するコンサルタントとして活動している[3]。2024年10月20日、スプラトマン・アンディ・アグタスの務めていた法務人権大臣が調整大臣となり、ピガイは初代人権大臣に就任した。
脚注
[編集]- ^ "Anggota Komnas HAM Periode 2012-2017" Situs Komnas HAM.
- ^ "Profil Natalius Pigai di Situs Komnas HAM RI" Situs Komnas HAM.
- ^ "DPR Tetapkan 13 Nama Komisioner Komnas HAM" VIVAnews, 22/10/2012. Diakses 14/4/2014.