ドーハ合意
アフガニスタンにおける平和回復に関する合意 | |
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調印式に臨むターリバーンのアブドゥル・ガニ・バラダルと、米アフガン和平担当特別代表ザルメイ・ハリルザド。 | |
通称・略称 | ドーハ合意 |
署名 | 2020年2月29日 |
署名場所 | カタール・ドーハ |
締約国 |
アメリカ合衆国 ターリバーン |
言語 | パシュトー語及びダリー語、英語 |
主な内容 | 駐アフガニスタン米軍の条件付き段階的撤収及びアフガニスタン人同士の交渉開始等 |
ドーハ合意(ドーハごうい、英: Doha Agreement)は、2020年2月29日、ドーハでターリバーンとアメリカ合衆国の間で調印された、アフガニスタンにおける和平を約した合意[1][2]。正式名称はアフガニスタンにおける平和回復に関する合意(Agreement for Bringing Peace to Afghanistan)。
アフガニスタン駐留米軍の条件付き段階的撤収及びアフガニスタン人同士の交渉開始等を内容とするこの合意は履行され、約20年間にわたるアフガニスタン紛争は終結した。しかし、アフガニスタン政府の関与なしに結んだこの合意は、専門家に「史上最も不名誉な外交交渉の一つ 」と呼ばれ、ターリバーンの本格復権を促すことに繋がったという批判も多い[3][4]。
内容と履行
[編集]合意内容
[編集]アメリカ合衆国は135日以内に駐留軍を縮小し(5つの軍事基地を閉鎖、1万2000人→8600人)、14ヶ月後の2021年4月末までにNATO軍と共に完全撤退すること、ターリバーンはアルカーイダなどを取り締まりアフガニスタンをテロの拠点にしないことが決まった[5]。また、合意にはアフガニスタン政府が5000人、ターリバーンが1000人の捕虜を解放することも盛り込まれた。
履行
[編集]2020年
[編集]合意はドナルド・トランプ米政権とターリバーンの直接交渉によるもの、つまりアフガニスタン政府の頭越しに決められたもので、アフガン政府は約束をしていなかった[6]。アフガン政府はターリバーンの反撃が本格化してきていたため[7]、脅威度が高いターリバーンの上級指揮官の釈放に難色を示し、1500人の条件付き釈放を提案した[8]。2転3転した後、ターリバーンは提案を拒絶し、交渉を打ち切った[8]。5月、アシュラフ・ガニー大統領は、政敵であるアブドラ・アブドラと権力分担協定を結び、彼を交渉責任者とした[9]。ラマダーン明けのイド・アル=フィトル間の停戦が実現した為、アフガン政府はターリバーンを最大で2000人釈放すると発表した[10]。その後、8月までにアフガン政府は5100人を、ターリバーンは1000人を釈放した[11][12]。
9月、アフガン政府とターリバーンの初の和平交渉がドーハで開催された[13]。アフガン政府側はアブドラらが、ターリバーン側は共同創設者で副指導者のムラー・アブドゥル・ガニ・バラダルら、さらに米国からマイク・ポンペオ国務長官などが出席した[14]。停戦や民主主義の維持を求めるアフガン政府と、イスラム政体を求めるターリバーンの溝は深く、年内停戦合意には至らなかった[15]。一方で、トランプ政権が急ぐ米軍撤収はアフガン国内状況に関係なく進められ、6月に8600人[16]、11月に4500人まで縮小され、さらに1月15日までに2500人にすると発表された[17]。この急ペースの撤収は、与党共和党内からも批判された[17]。
2021年
[編集]2021年1月にジョー・バイデンが米国大統領に就任すると、ターリバーンが合意を履行しない中での性急な米軍撤退について見直しが言及された[18]。アフガン内交渉は年明け後も停滞し、連立政権案や多国間交渉も実らなかった[19]。その状況の中で、4月14日、バイデン米大統領は、アフガニスタン駐留米軍を延期した2021年9月11日までに完全撤退させることを発表した[20][21]。
2021年5月からターリバーンは大攻勢を開始し、共和国軍は3か月ほどで各州都に点となって散らばるまで弱体化した。また、ターリバーンが地方から首都に向かって攻め込む中、政府側はほとんど抵抗しなかったと報じられている[22]。8月に入ると続々と各州の州都にターリバーンが入城し、15日までにパンジシール州を除き、首都カーブルを含むすべての州が陥落した。同日、ターリバーンはアフガニスタン全土を支配下においたと宣言し、内務相代行が平和裏に権力の移行を進めると表明した[23][24]。
バイデンは側近や各方面からの在留延期提言を退けてまで撤退を推し進め[25][26]、8月30日に米軍は撤退を完了し[27]、31日にバイデンは戦争終結を宣言した[28]。また、NATOの他国軍も順次撤収し、遅いイギリス軍でも8月28日に撤収完了した[29]。
脚注
[編集]- ^ “Agreement-For-Bringing-Peace-to-Afghanistan-02.29.20”. U.S. Department of State. 2020年8月13日閲覧。
- ^ “米国とタリバーンによる合意の署名等について(外務大臣談話)”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2022年8月13日閲覧。
- ^ “トランプ・タリバン合意から始まった「アフガン崩壊」”. NewSphere. 2022年8月13日閲覧。
- ^ “米軍撤退合意がアフガン崩壊を加速=米軍トップが証言”. BBCニュース (2021年9月30日). 2022年8月13日閲覧。
- ^ “米とタリバンが和平合意 駐留米軍、14カ月以内完全撤収―アフガン戦争終結へ前進”. 時事通信社. (2020年2月29日) 2020年3月1日閲覧。
- ^ 「米とタリバンが撤退で合意 アフガン大統領「捕虜交換の約束ない」」『BBCニュース』。2020年10月11日閲覧。
- ^ “タリバン、アフガン政府軍への攻撃再開を宣言”. AFP (2020年3月2日). 2020年12月22日閲覧。
- ^ a b “タリバン、アフガン政府との交渉打ち切り 捕虜交換めぐり決裂”. BBCニュース (2020年4月8日). 2020年10月11日閲覧。
- ^ “アフガニスタンのガニ大統領と政敵アブドラ氏、権力分割合意に署名”. www.afpbb.com. 2022年8月13日閲覧。
- ^ “タリバン捕虜2千人解放へ アフガニスタン政府、祝祭の停戦で”. BBCニュース (2020年5月25日). 2020年10月11日閲覧。
- ^ “Loya Jirga Approves Release of 400 Taliban Prisoners”. TOLOnews. 2022年8月13日閲覧。
- ^ “Afghan council to decide fate of 400 Taliban prisoners”. www.aljazeera.com. 2022年8月13日閲覧。
- ^ “アフガン和平協議が開幕、ポンペオ氏も出席 政府・タリバンの歩み寄りなるか”. www.afpbb.com. 2020年10月11日閲覧。
- ^ “Taliban Negotiating Team Holds First Meeting” (英語). TOLOnews. 2021年4月28日閲覧。
- ^ “アフガニスタン:ターリバーンとの和平交渉が一時休止”. 公益財団法人 中東調査会. 2022年8月13日閲覧。
- ^ “アフガニスタン:駐留米軍の撤退が一段と加速”. 公益財団法人 中東調査会. 2022年8月13日閲覧。
- ^ a b 「トランプ氏、アフガン駐留米軍一部削減へ 完全撤退せず」『Reuters』2020年11月17日。2022年8月13日閲覧。
- ^ 「外国軍のアフガン駐留延長へ、4月末の撤退期限以降も=NATO筋」『Reuters』2021年2月1日。2022年8月13日閲覧。
- ^ 「アフガン和平協議、米ロなどが即時停戦呼び掛け」『Reuters』2021年3月19日。2022年8月13日閲覧。
- ^ “アフガニスタン:バイデン米政権が9月11日までの米軍撤退延期を決定”. 公益財団法人 中東調査会. 2022年8月13日閲覧。
- ^ “アフガン駐留米軍、9月11日までに完全撤退へ”. BBCニュース. 2022年8月13日閲覧。
- ^ “タリバンのアフガニスタン速攻制圧なぜ? 7年前から「寸止め」、農村支配で都市包囲”. 朝日新聞GLOBE+. 2022年8月6日閲覧。
- ^ “「全土を支配下に置いた」とタリバン”. 47NEWS. 共同通信社. (2021年8月15日) 2021年8月15日閲覧。
- ^ “タリバーンへの「権力移行」 アフガン政府が認める声明”. 朝日新聞. (2021年8月15日) 2021年8月15日閲覧。
- ^ “バイデン米政権のアフガニスタン撤退に批判が噴出、大統領は撤退判断を堅持”. ジェトロ. 2022年8月13日閲覧。
- ^ 「バイデン氏に米兵2500人のアフガン残留を提言した=米軍トップが議会証言」『BBCニュース』。2022年8月13日閲覧。
- ^ “なぜバイデンは撤退に「失敗」したのか”. Wedge ONLINE (2021年9月14日). 2022年8月13日閲覧。
- ^ “アフガン戦争終結を正式宣言 駐留軍撤収「類いまれな成功」―米大統領”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2021年9月1日) 2021年9月1日閲覧。
- ^ “アフガンからイギリス軍撤収 20年の軍事的関与に幕”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年8月13日閲覧。