ドラガン・トラヴィツァ
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基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イタリア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1986年8月28日(38歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ザグレブ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Dragan Travica | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 200cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 94kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | オリンピアコス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | S | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
利き手 | 右 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
スパイク | 335cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ブロック | 320cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ドラガン・トラヴィツァ(Dragan Travica, 1986年8月28日 - )は、クロアチア・ザグレブ出身[1][2][3][4]のイタリアに帰化した男子バレーボール選手[5][6]。ポジションはセッター。元イタリア代表。日本ではドラガン・トラビカの表記がある[7][8]。
来歴
[編集]イタリアで育ち、2000年にシスレー・トレヴィーゾのユースチームでバレーボールを始め、キャリアをスタートさせた[5]。
セリエB1パッラヴォーロ・ファルコナーラでの1シーズン終了後、2003-04シーズンにセリエA1パッラヴォーロ・モデナと契約し、プロバレーボールでデビュー[5]。ここで2年間を過ごす。
2005-06シーズンのセリエA2パッラヴォーロ・レイマ・クレーマを経て[注 1]、次シーズンはスパークリング・バレー・ミラノで下位リーグが続くも、コッパ・イタリアA2優勝とセリエA1昇格を果たし、翌シーズンも同じチームで競技を続ける。2007年11月11日、フォルリで行われたオールスターゲームのイタリア-オールスターA2戦(2-0)でイタリア代表デビューを飾った[3]。
2008年のミラノチームの廃部後、2008-09シーズンはモデナに戻り、次シーズンからモンツァのガベカ・パッラヴォーロに2シーズン在籍。イタリア代表として2011年欧州選手権で銀メダルを獲得し[3]、ベストセッター賞を受賞した[11]。
2011-12シーズンはマチェラータのASバレー・ルーベと契約し、スクデット獲得とスーペルコッパ・イタリアーナ優勝。イタリア代表では2012年ロンドンオリンピック、2013年ワールドリーグでそれぞれ銅メダル獲得[3]、2014年ワールドリーグ、2013年ワールドグランドチャンピオンズカップにおいて再び銅メダル獲得。2013年欧州選手権で銀メダルを獲得した[3]。
2013-14シーズンにロシア・スーパーリーグのベロゴリエ・ベルゴロドへ移籍し、2度のスーパーカップ優勝、2013年ロシア・カップ優勝、2013-14年欧州チャンピオンズリーグ優勝を飾った。
2015-16シーズン、トルコ1部リーグのハルクバンク・アンカラへ移籍[12]。
人物
[編集]- 父親はセルビア・モンテネグロ男子代表監督を務めたセルビアのバレーボール指導者リュボミール・トラヴィツァ[5][6]。
- 妹はクリスチャン・サバーニと結婚した。
球歴
[編集]- オリンピック - 2012年(銅メダル)
- 世界選手権 - 2014年
- ワールドカップ - 2011年
- ワールドリーグ - 2013年(3位)、2014年(3位)
- 欧州選手権 - 2011年(準優勝)、2013年(準優勝)
受賞歴
[編集]- 2011年欧州選手権 - ベストセッター賞
所属クラブ
[編集]- パッラヴォーロ・ファルコナーラ(2002-2003年)
- パッラヴォーロ・モデナ(2003-2005年)
- パッラヴォーロ・レイマ・クレーマ(2005-2006年)
- スパークリング・ミラノ(2006-2008年)
- パッラヴォーロ・モデナ(2008-2009年)
- ガベカ・モンツァ(2009-2011年)
- ルーベ・マチェラータ(2011-2013年)
- ベロゴリエ・ベルゴロド(2013-2015年)
- ハルクバンク・アンカラ(2015-2016年)
- Urmia Municipality VC(2016年)
- パッラヴォーロ・モデナ(2016-2017年)
- パッラヴォーロ・パドヴァ(2017-2020年)
- シル・サフェーティ・ペルージャ(2020-2022年)
- オリンピアコス(2022-)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Dragan Travica”. FIVB. 2015年7月7日閲覧。
- ^ “Dragan TRAVICA”. CEV. 2015年7月7日閲覧。
- ^ a b c d e “Dragan TRAVICA”. FIPAV. 2015年2月27日閲覧。
- ^ “Dragan Travica”. Legavolley. 2015年7月7日閲覧。
- ^ a b c d “Dragan Travica - "Belogorie has a perfect organization"”. WorldofVolley (2014年2月11日). 2015年2月27日閲覧。
- ^ a b “You can grow up every day - Dragan Travica”. FIVB (2014年9月5日). 2015年2月27日閲覧。
- ^ “ワールドカップバレーボール2011 出場チーム紹介 イタリア -ITA-”. JVA. 2015年2月27日閲覧。
- ^ “ロンドン五輪競技日程 バレーボール男子3位決定戦”. SANSPO.com. 2015年2月27日閲覧。
- ^ “Crema è nell'olimpo del volley”. Legavolley (2006年5月23日). 2015年2月27日閲覧。
- ^ “Cessioni dei diritti sportivi in Serie A”. Legavolley (2006年6月9日). 2015年2月27日閲覧。
- ^ “Competition Final Standing - Individual Awards”. 2011 CEV Volleyball European Championship. 2015年2月27日閲覧。
- ^ “Dragan Travica for WoV: "I am going to HalkBank!"”. WorldofVolley (2015年6月29日). 2015年7月4日閲覧。