ドミニク・ディ・ピアッツァ
ドミニク・ディ・ピアッツァ Dominique Di Piazza | |
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ドミニク・ディ・ピアッツァ | |
基本情報 | |
生誕 | 1959年 |
出身地 | フランス リヨン |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン、作曲家 |
担当楽器 | ベース、ギター |
公式サイト |
www |
ドミニク・ディ・ピアッツァ(Dominique Di Piazza、1959年 - )は、フランス・リヨン生まれのエレクトリックベース奏者である。
ディ・ピアッツァは、1979年にベースと出会った。すでに独学で覚えたギタリストであったディ・ピアッツァは、右手の親指、人差し指、中指でピッキングする独特でありながら非正統的な「クローズド・パーム」テクニックを開発した。それはエレクトリックベース奏者としてあまり聴かれることのないほどのスピードを彼に与えてくれるものだった[1]。
1991年から1992年までジョン・マクラフリン・トリオのメンバーを務め、トリロク・グルトゥとともに300回に及ぶコンサートと、アルバム『ケ・アレグリア』のワールド・ツアーを行い、マシュー・ギャリソン、アダム・ニッティ、ルーカス・ピックフォードなど、ヨーロッパやアメリカの多くのベーシストに影響を与えた。
2000年、ディ・ピアッツァは、ギターのビレリ・ラグレーンとドラムのデニス・チェンバースからなるフロント・ページというグループで、同名アルバム『Front Page』(サニーサイド)をリリースした[2]。2001年、このアルバムはその年のベスト・ジャズCDとしてヴィクトリー・ミュージック・アウォードを受賞した。
2005年と2006年に、ディ・ピアッツァはレユニオン、モーリシャス、マダガスカルなどアフリカ10か国をツアーし、レユニオン出身のピアニストであるMeddy Gerville、ギターのJean-Marie Ecay、ドラマーのHoracio Hernandezが同行した。このツアーは、インディペンデント・レーベルからリリースされた『Jazz Amwin』(Meddy Gerville名義)と呼ばれる新しいCDへとつながった。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- Front Page (2000年、Universal Music France) ※Front Page名義
- Dominique Di Piazza Plays Spiritual Hymns (2002年)
- Princesss Sita (2008年、Sunnyside)
- Face To Face / Yüzyüze (2011年、Lir Prodüksiyon Müzik & Film) ※with Zeki Çağlar Namlı
- 4 essential (2011年、Plus Loin Music) ※4 essential名義。with Debora Seffer
- Living Hope (2015年、Lan Note Bleue Production)
脚注
[編集]- ^ “Pick’s Transcription Workshop: Dominique Di Piazza Bass Solo on Que Alegria”. bass musician magazine (11 November 2010). 5 June 2015閲覧。
- ^ Stuart Nicholson (March 2004). “Dennis Chambers/Bireli Lagrene/Dominique Di Piazza Front Page Sunnyside”. JazzTimes. 5 June 2015閲覧。