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ドミトリー・プリゴフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドミトリー・プリゴフ[1]
2005年
誕生 Дми́трий Алекса́ндрович При́гов
1940年11月5日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
死没 (2007-07-16) 2007年7月16日(66歳没)
ロシアの旗 ロシア、モスクワ
職業 詩人
コンセプチュアル・アーティスト
パフォーマンス・アーティスト
公式サイト http://www.prigov.com/
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ドミトリー・アレクサンドロヴィチ・プリゴフロシア語: Дми́трий Алекса́ндрович При́гов1940年11月5日 - 2007年7月16日)は、ロシア詩人芸術家である[1]

モスクワ生まれ。モスクワ芸術産業高等学校彫刻科で学んだ[2]1975年ソビエト連邦芸術家同盟ロシア語版に加盟、パブリックアート制作などに従事[2]。かたわらで地下芸術サークルに参加、非公式に前衛的な作品の制作を続けた[2]1986年、路上で自作の朗読したことから、逮捕され精神病院に強制収容された[1][2]ペレストロイカ進展で自由な表現活動が可能となり、西側諸国からも注目されるようになった[1][2]1999年から2000年にかけて講演や制作のため数次にわたり日本を訪問[1][2]2001年長編小説Только моя Япония(『私だけの日本』)を書いた[2][3]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 柴田尚 (2004年). “土曜「聞く・語る」【北の文化】世界の芸術家を札幌に招く 柴田尚”. 朝日新聞. 朝日新聞社. 2018年7月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 鴻野わか菜 (2013年11月28日). “【研究ノート】現代ロシア詩人の肖像-ドミートリー・プリゴフ”. 『千葉大学比較文化研究』1巻. 千葉大学. p. 150-155. 2018年7月17日閲覧。
  3. ^ Только моя Япония (непридуманное)” (ロシア語). ozon.ru. 2018年7月17日閲覧。