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ドミトリー・キタエンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドミトリー・キタエンコ
Dmitri Kitaenko
基本情報
生誕 (1940-08-18) 1940年8月18日(84歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
出身地 ロシアの旗 ロシア
ジャンル クラシック
担当楽器 指揮

ドミトリ・ゲオルギェヴィチ・キタエンコロシア語: Дми́трий Гео́ргиевич Китае́нко英語: Dmitri Georgievich Kitaenko, 1940年8月18日[1] - )は、ロシア指揮者モスクワ音楽院教授。

経歴

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1940年レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)生まれ[1]レニングラード音楽院モスクワ音楽院で学んだ後、ウィーン音楽アカデミーハンス・スワロフスキーに師事[2]。1969年第1回カラヤン国際指揮者コンクールで入賞[3][4]

1970年スタニスラフスキー=ネミローヴィチ-ダンチェンコ音楽劇場モスクワ)の芸術監督に就任[3]。日本との関係では、1972年にソビエト国立交響楽団と共に初来日した。
1976年から1990年までの間、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督、首席指揮者の地位にあった[1]

1990年ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督・首席指揮者、フランクフルト放送交響楽団[3]ベルン交響楽団の首席指揮者に就任[1]
1999年から2004年までKBS交響楽団の首席指揮者を務めた[5]
また、30年以上に亘って協働し、ショスタコーヴィチの交響曲全集のレコーディングなどにおいて栄誉ある賞を受賞したケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団より名誉指揮者の銘を贈られている[1][6]

来日公演

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1972年に初来日。その後もNHK交響楽団等のオーケストラで客演した[7]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e 世界の指揮者名鑑866 2010, p. 134 キタエンコ, ドミトリー.
  2. ^ Dmitri Kitayenko” (英語). allmusic. Biography. 2024年12月4日閲覧。
  3. ^ a b c Dmitrij Kitajenko” (ドイツ語). hr symphonie orchester. Chefdirigent 1990–1996. 2024年12月4日閲覧。
  4. ^ Dimitri Kitaenko” (英語). Wayback Machine. Biography. 2024年12月4日閲覧。
  5. ^ 世界のオーケストラ(3) ~日本、オセアニア、中東、アフリカ、アジア全域 編~ 2022, p. 88「韓国1.KBS交響楽団」.
  6. ^ Dmitrij Kitajenko” (ドイツ語). Guerzenich Orchester. Honorary conductors. 2024年12月4日閲覧。
  7. ^ サントリーホール定期演奏会・NHK交響楽団シリーズ1994

参考文献

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  • ONTOMO MOOK『世界の指揮者名鑑866』音楽之友社、2010年。 
  • 上地 隆裕著『世界のオーケストラ(3) ~日本、オセアニア、中東、アフリカ、アジア全域 編~』株式会社 芸術現代社、2022年。ISBN 978-4-87463-221-5 
先代
キリル・コンドラシン
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
芸術監督・首席指揮者

1976–1990
次代
ヴァシリー・シナイスキー
先代
エリアフ・インバル
フランクフルト放送交響楽団
首席指揮者

1990–1997
次代
ヒュー・ウルフ
先代
アルド・チェッカート
ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団
音楽監督・首席指揮者

1990–1998
次代
シモーネ・ヤング
先代
ペーター・マーク
ベルン交響楽団首席指揮者
1990–2004
次代
アンドレイ・ボレイコ
先代
チョン・ミョンフン
KBS交響楽団首席指揮者
1999–2004
次代
ハム・シンイク