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ドブリン・ペトコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドブリン・フリストフ・ペトコフ
基本情報
生誕 (1927-11-09) 1927年11月9日
出身地 ドイツの旗 ドイツ ドレスデン
死没 (1987-02-10) 1987年2月10日(63歳没)
学歴 ロンドン王立音楽大学
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト指揮者
担当楽器 ヴァイオリン

ドブリン・フリストフ・ペトコフブルガリア語: Добрин Христов Петков, ラテン文字転写例: Dobrin Khristov Petkov, 1923年8月24日 - 1987年2月10日)は、ドイツ出身でブルガリアを中心に活躍した指揮者ヴァイオリニスト[1]

略歴

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ドレスデンでブルガリア人の両親のもとに生まれるが、生後ほどなくして一家はブルガリアに戻った。ヴァイオリン教師だった父に4歳の頃からヴァイオリンの手ほどきを受け、9歳にしてヴァイオリニストとして初舞台を踏むに至る。12歳の時には、子供のためのオペラ公演で指揮を担当したり、パンチョ・ヴラディゲロフと演奏旅行に出かるなど活動の場を広げ、1937年には在勃英国大使の口添えでロンドン王立音楽大学に留学した。その後、第二次世界大戦がはじまったため、1939年にブルガリアに戻って兵役に就くが、脚を負傷する。その後ソフィア国立音楽院で指揮法と作曲を学び、1946年に卒業した後はソフィア・フィルハーモニー管弦楽団にヴァイオリン奏者として入団し、当団の指揮研修生として指揮の経験を積む。

1950年にルセ市歌劇場及び同市の交響楽団の常任指揮者に就任、1956年にはプロヴディフ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に転出した。さらに1962年からはソフィア国立歌劇場の首席指揮者に異動し、1969年まで務めた。その後は1974年よりプロヴディフ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に返り咲き、亡くなるまでその任に当たった[2]

1987年、ソフィアにて死去。

脚注

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  1. ^ 公式サイト
  2. ^ [1]