ドハティ島
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ドハティ島(Dougherty Island)は、太平洋の南部、ホーン岬とニュージーランドの中間あたりにあるとされた疑存島。
イギリスの捕鯨船「ジェームズ・スチュアート(James Stewart)」の船長ドハティ(Dougherty)が1841年に南緯59度20分 西経120度20分 / 南緯59.333度 西経120.333度で発見。島の名前は彼に由来する。ドハティは島について長さ5から6マイルで雪に覆われ、北東には断崖があったとしている。その後、同じような位置で同じような島がたびたび目撃されている。1860年には「ルイーズ(Louise)」のキーテス(Keates)船長が南緯59度20分 西経120度18分 / 南緯59.333度 西経120.300度で、1886年には「Cingalese」のStannard船長が南緯59度21分 西経119度7分 / 南緯59.350度 西経119.117度で島を目撃している[1]。
しかし、19世紀後半から20世紀前半にかけての探検で島の存在は否定された[2]。1904年のロバート・スコットや1909年の「ニムロド(Nimrod)」のジョン・キング・デイビス(John King Davis)船長の探索などでも島は発見されなかった。デイビスは、ドハティなどは霧か氷山を誤認したのだろうとするのが最も考えられる可能性ではないかとしている[3]。
島は少なくとも1934年までは地図に載り続けた[4]。
出典
[編集]- ^ Stommel, Henry (1984). Lost Islands: The Story of Islands That Have Vanished from Nautical Charts. Vancouver: University of British Columbia Press. ISBN 0-7748-0210-3
- ^ Davis, J.K. (Dec 1910). “Voyage of the S. Y. "Nimrod.": Sydney to Monte Video Viâ Macquarie Island, May 8-July 7, 1909”. The Geographical Journal (Blackwell Publishing) 36 (6): 696–703. doi:10.2307/1776845. JSTOR 1776845 .
- ^ Davis, J. K. (1909). “The Nimrod's homeward voyage in search of doubtful islands”. The Heart of the Antarctic. II. Philadelphia: J. B. Lippincott Company
- ^ Rand McNally World Atlas Pictorial Edition. Chicago: Rand McNally & Company. (1934). p. 61
参考文献
[編集]- Hamilton-Paterson, James. The Great deep: the sea and its thresholds. New York: Holt, 1993. ISBN 0-8050-2776-9
- Ramsay, Raymond H. No Longer on the Map: discovering places that never were. New York: Viking Press, 1972. ISBN 0-670-51433-0
- エドワード・ブルック=ヒッチング『世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語』関谷冬華 訳、日経ナショナルジオグラフィック社、2017年、ISBN 978-4-86313-391-4 88~89頁