ドック・リバース
フィラデルフィア・76ersコーチ時代のリバース (2022年) | |||||||||
ミルウォーキー・バックス HC | |||||||||
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役職 | ヘッドコーチ | ||||||||
所属リーグ | NBA | ||||||||
基本情報 | |||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||
生年月日 | 1961年10月13日(63歳) | ||||||||
出身地 | イリノイ州シカゴ | ||||||||
身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) | ||||||||
体重(現役時) | 95kg (209 lb) | ||||||||
キャリア情報 | |||||||||
高校 | プロビソ・イースト高等学校 | ||||||||
大学 | マーケット大学 | ||||||||
NBAドラフト | 1983年 / 2巡目 / 全体31位[1] | ||||||||
アトランタ・ホークスから指名 | |||||||||
プロ選手期間 | 1983年–1996年 | ||||||||
ポジション | PG | ||||||||
背番号歴 | 25 | ||||||||
指導者期間 | 1999年–現在 | ||||||||
経歴 | |||||||||
選手時代: | |||||||||
1983–1991 | アトランタ・ホークス | ||||||||
1991–1992 | ロサンゼルス・クリッパーズ | ||||||||
1992–1994 | ニューヨーク・ニックス | ||||||||
1994–1996 | サンアントニオ・スパーズ | ||||||||
コーチ時代: | |||||||||
1999–2003 | オーランド・マジック | ||||||||
2004–2013 | ボストン・セルティックス | ||||||||
2013–2020 | ロサンゼルス・クリッパーズ | ||||||||
2020–2023 | フィラデルフィア・76ers | ||||||||
2024– | ミルウォーキー・バックス | ||||||||
受賞歴 | |||||||||
選手時代
コーチ時代
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NBA通算成績 | |||||||||
得点 | 9,377 (10.9 ppg) | ||||||||
アシスト | 4,889 (5.7 apg) | ||||||||
スティール | 1,563 (1.8 spg) | ||||||||
Stats Basketball-Reference.com | |||||||||
代表歴 | |||||||||
キャップ | アメリカ合衆国 | ||||||||
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ドック・リバース(Doc Rivers)ことグレン・アントン・リバース(Glenn Anton Rivers,1961年10月13日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロバスケットボール選手であり、現在は指導者。NBAのミルウォーキー・バックスでヘッドコーチを務めている。
「ドック」は愛称であり、現役時代に「ドクターJ」ことジュリアス・アービングのTシャツを着てプレーしていたことに由来する。息子のオースティン・リバースもNBA選手。
経歴
[編集]プレーヤー
[編集]1982年、バスケットボール世界選手権のアメリカ代表として出場して大会、マーケット大学を卒業し、1983年のNBAドラフトでアトランタ・ホークスから2巡目31位で指名されてNBA入り。ルーキーシーズンから先発を任され、その後の7年間、怪我による離脱を除いてアトランタの先発ポイントガードの座を守り抜いた。リバースとドミニク・ウィルキンスのコンビは上手く機能してチームは好調を維持し、1986-87シーズンにはリバース個人としても平均12.4得点10.0アシストの好成績を残した。その後、ロサンゼルス・クリッパーズ、ニューヨーク・ニックス、サンアントニオ・スパーズなどを転々とし、現役を引退した。
ヘッドコーチ
[編集]オーランド・マジック
[編集]1999年、リバースの監督としてのキャリアはオーランド・マジックで始まった。最初の年の好成績を受けて2000年のNBA最優秀コーチ賞を受賞する。その後3シーズンをオーランドのヘッドコーチとして過ごしたが、2003年、シーズン序盤の19連敗のうち10連敗の責任を取る形で解任された。
ボストン・セルティックス
[編集]NBAのコメンテーターを務めた後、2004年からボストン・セルティックスにヘッドコーチとして招聘された。2008年、セルティックスはエースのポール・ピアースにケビン・ガーネット、レイ・アレンを加えて強力なビッグスリーを結成し、チームは大躍進を遂げる。シーズンを終わってみれば66勝16敗の好成績で勝率.805はチーム歴代最高勝率となり、ファイナルでは宿敵ロサンゼルス・レイカーズを下し、リバースは選手時代も含めて初めてNBAチャンピオンとなった[1]。また、黒人ヘッドコーチとしては、同じくセルティックスを率いていたK・C・ジョーンズ以来22年ぶりの優勝コーチとなった。
ロサンゼルス・クリッパーズ
[編集]2013年、ドラフト指名権とのトレードでロサンゼルス・クリッパーズのヘッドコーチに転身[2]、ヘッドコーチ、球団副社長に就任した。レギュラーシーズンを57勝のフランチャイズ記録で乗り切り、第3シードでプレーオフに進み、1stラウンドを4勝3敗でゴールデンステート・ウォリアーズを倒し、オクラホマシティ・サンダーとのカンファレンスセミファイナルへと駒を進めた。第5戦で逆転負けを決定づける判定に関わり、審判を批判するコメントを発表し、リーグから25000ドルの制裁金を課され、チームは第6戦で力尽きた。 2015年1月15日、リバースは副社長として戦力補強に乗り出し、フェニックス・サンズ、ボストン・セルティックスを相手に三角トレードを敢行。ニューオーリンズ・ペリカンズからセルティックスに放出されていた実の息子オースティン・リバースを獲得し、周囲を驚かせた。因みにNBA初の親子鷹になる。
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
ミルウォーキー・バックス
[編集]2024年1月24日、ミルウォーキー・バックスと2027年までの契約でペットコーチに就任したことが発表された[3]。2024-25シーズンのNBAカップではオクラホマシティー・サンダを破って優勝、2007-08シーズン以来のタイトルを獲得した。
脚註
[編集]- ^ Ring it up Celtics crush Lakers for 17th title--Boston.com
- ^ Rivers head coach to L.A.-- NBA.com/Clippers
- ^ “バックスが2026-27シーズンまでドック・リバースHCと契約…総額は約59億円前後か”. バスケットボールキング (2024年1月26日). 2024年2月22日閲覧。
外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、RealGM
- HC通算成績と情報 NBA Head Coaches、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM
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