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ドゥゼ (装甲巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドゥゼ (Desaix) はフランス海軍装甲巡洋艦デュプレクス級

艦名はフランス革命期の将軍ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼーから命名された[1]

艦歴

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1897年12月28日、ロワール造船所に発注。起工後になされた兵装配置の変更により、工事には相当の遅れが生じた。ナントの造船所で1899年初頭に起工。[2]1901年3月21日に進水し、1904年4月5日に就役した。建造費は19,068,975フランであった。[3]

「ドゥゼ」は同型艦の「クレベール」とともに地中海艦隊の軽快戦隊に編入された。1905年9月、「ドゥゼ」は「デュプレクス」に代わって大西洋戦隊旗艦となった。1906年11月、地中海に戻り軽快戦隊の「クレベール」と交代した。1908年に「ドゥゼ」は再び大西洋戦隊に編入されたが、1909年には予備役となった。[4]

第一次世界大戦

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1914年の7月危機で緊張が高まると、「ドゥゼ」は「クレベール」などとともに予備役から復帰。デュプレクス級は第2軽快戦隊第3軽快隊に編入された。同隊の任務はイギリスと共同でイギリス海峡を防備することであった。8月4日までに海峡西端で配置に着き、ドイツ船舶の捕獲やイギリス遠征軍をフランスへ運ぶ輸送船の遠距離護衛といった任務にあたった。[5]

1915年初頭には海峡の防備改善や前線の安定により巡洋艦を他の任務に割り当てることが可能となり、「ドゥゼ」は2月16日に地中海東部に着くと第3戦隊に編入された。その任務はポートサイドアレクサンドレッタ間の哨戒であった。5月、「ドゥゼ」は地中海中央部の1re Armée Navale支援に派遣され、イタリアの港付近でのドイツ船捜索に当たった。6月6日以降その任務をイタリアが引き継ぐと、「ドゥゼ」は第2軽快隊に増援として加えられ、イタリア南部のコロンナ岬クレタ島東端の間を哨戒した。同月終わりごろには第3戦隊に再び編入され、防護巡洋艦「ギシャン」や水上機母艦「フードル」とともにシリアのラタキアからメルスィンの間の封鎖に従事した。これらの艦艇は9月12-13日にはシリアのアンティオキア付近でオスマン帝国側に追われていたアルメニア人避難民の救出を支援した。[6]

1916年、「メーヴェ」といったドイツ仮装巡洋艦が成果を上げたことにより連合国側は船舶護衛のために巡洋艦を大西洋へまわす必要が生じた。同年4月、「ドゥゼ」は同型艦と共にフランス領西アフリカダカールを拠点とする新編の第6軽快隊に編入された。1917年5月18日、人員をより優先度の高い哨戒艇へとまわすため第6軽快隊は2隻編制とされ、Division navale de la côte d'Afriqueと改名された。同部隊は9月14日に解隊され、「デュプレクス」は本国に戻って予備役となったが「ドゥゼ」はその後も戦争の残りの期間ダカールにとどまり南大西洋での船団護衛にあたった。[7]

戦後「ドゥゼ」はフランスに戻ったが、1919年には極東戦隊に編入された。11月に任地に出発したが、特に何事もなく1921年3月31日にフランスに帰還した。その後退役し、7月27日に除籍された。1927年、スクラップとして売却。[8]

脚注

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  1. ^ Silverstone, p. 95
  2. ^ Jordan & Caresse, pp. 81–82
  3. ^ Jordan & Caresse, pp. 81–82, 213
  4. ^ Jordan & Caresse, pp. 95, 210
  5. ^ Jordan & Caresse, pp. 223–224
  6. ^ Jordan & Caresse, pp. 232–235
  7. ^ Jordan & Caresse, pp. 242, 245, 247
  8. ^ Jordan & Caresse, pp. 254, 256

参考文献

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  • Jordan, John & Caresse, Philippe (2019). French Armoured Cruisers 1887–1932. Barnsley, UK: Seaforth Publishing. ISBN 978-1-5267-4118-9 
  • Silverstone, Paul H. (1984). Directory of the World's Capital Ships. New York: Hippocrene Books. ISBN 0-88254-979-0