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ドゥイーノ=アウリジーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドゥイーノ=アウリジーナ
Duino-Aurisina
ドゥイーノ=アウリジーナの風景
ドゥイーノ城
ドゥイーノ=アウリジーナの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の旗 フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア
県/大都市 トリエステ
CAP(郵便番号) 34011
市外局番 040
ISTATコード 032001
識別コード D383
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 8266 人 (2023-01-01 [1])
人口密度 183 人/km2
文化
住民の呼称 aurisiniani-nabrežinci, duinati, duinesi-devinčani
守護聖人 聖ロッコ
(San Rocco)
祝祭日 8月16日
地理
座標 北緯45度45分 東経13度40分 / 北緯45.750度 東経13.667度 / 45.750; 13.667座標: 北緯45度45分 東経13度40分 / 北緯45.750度 東経13.667度 / 45.750; 13.667
標高 144 (0 - 343)[2] m
面積 45.17 [3] km2
ドゥイーノ=アウリジーナの位置(イタリア内)
ドゥイーノ=アウリジーナ
ドゥイーノ=アウリジーナの位置
トリエステ県におけるコムーネの領域
トリエステ県におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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ドゥイーノ=アウリジーナ: Duino-Aurisina ; スロベニア語: Devin-Nabrežina)は、 イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州トリエステ県にある、人口約8,300人の基礎自治体コムーネ)。

名称

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イタリア語およびスロベニア語以外では以下のように呼ばれる。

地理

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位置・広がり

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トリエステ県の西北部にあるコムーネで、モンファルコーネから東南へ約13km、トリエステから西北へ約14km、セジャーナから西北西へ16km、ゴリツィアから東南東へ約21kmに位置する。西のアドリア海、東にスロベニア国境に挟まれ、町域は北西から南東へ伸びた細長く伸びており、北西にゴリツィア県と接する。

隣接コムーネ

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隣接するコムーネ(およびスロベニアの基礎自治体)は以下の通り。括弧内のSLOはスロベニア領、GOはゴリツィア県所属を示す。

地勢

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北端のゴリツィア県との県境にティマーヴォ川英語版が流れる。ティマーヴォ川は約40kmにわたってカルスト台地の地下を流れ、サン・ジョヴァンニ・ディ・ドゥイーノで湧出する。

町域の大部分はカルソ台地上にあり、海側は100mほどの崖となって落ち込んでいる。町域の最高地点は Colle di Ternova の343m。

気候分類・地震分類

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ドゥイーノ=アウリジーナにおけるイタリアの気候分類 (itおよび度日は、zona E, 2411 GGである[4]。 また、イタリアの地震リスク階級 (itでは、zona 3 (sismicità bassa) に分類される[5]

主要な集落

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コムーネの名は、コムーネの北西部に位置するドゥイーノイタリア語: Duino / スロベニア語: Devin)と、南東部に位置するアウリジーナAurisina / Nabrežina ナブレジナ)という、2つの主要な集落の名を合わせたものである。コムーネの行政機関が置かれているのはアウリジーナである。ドゥイーノは、アドリア海に面した保養地・観光地として知られる。

このほか、主要な集落としては、コムーネ中部に入江を抱えるシスティアーナSistiana / Sesljan)、北西端にサン・ジョヴァンニ・ディ・ドゥイーノSan Giovanni di Duino / Štivan)がある。

歴史

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この地には古代から人が暮らしており、丘にはヴェネト人やイストリア人の遺跡が残っている。ローマ時代にはアクイレイアの勢力下に入り、石材の産地として重要な位置を占めた。

中世には、アクイレイア総大司教領・ゴリツィア伯領を経て、1366年にハプスブルク家がドゥイーノの領主となった。

社会

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民族

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1971年の調査によると、住民の37.5%はスロベニア系であった[6]。スロベニア系住民はアウリジーナ(スロバキア名:Nabrežina)とその周辺に暮らしている。また、人口の60%が民族的なイタリア人であり、ドゥイーノやシスティアーナとその周辺に暮らしている。

人口

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人口推移

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人口推移
人口±%
19213,913—    
19314,710+20.4%
19364,382−7.0%
19515,149+17.5%
19616,151+19.5%
19717,542+22.6%
19818,255+9.5%
19918,501+3.0%
20018,765+3.1%
20118,586−2.0%

居住地区別人口

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国立統計研究所(ISTAT)は居住地区(Località abitata)別の人口として以下を掲げている[2]。統計は2001年時点。

地区名 標高 人口 備考
DUINO-AURISINA 0/343 8,765
AURISINA * 144 2,190
DUINO 39 1,421
MALCHINA 181 239
SAN PELAGIO 225 242
SANTA CROCE 208 344 トリエステTrieste 地区に接続
SISTIANA-VISOGLIANO 73 3,091
SLIVIA 154 146
VILLAGGIO DEL PESCATORE 2 342
Ceroglie 147 147
Medeazza 149 87
Peschiera 18 47
Precenico Inferiore 221 56
Precenico Superiore 231 48
Prepotto 251 146
San Giovanni di Duino 18 141 ドベルド・デル・ラーゴとの境界未画定地域に連続
Ternova Piccola 250 71
Case Sparse - 7
Dosso Giulio 1/150 - ドベルド・デル・ラーゴとの境界未画定地域
San Giovanni di Duino 18 - ドベルド・デル・ラーゴとの境界未画定地区
Case Sparse - -
Lago di Doberdò 6 -

ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。

行政

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分離集落

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コムーネの憲章(Statuto)によれば、ドゥイーノ=アウリジーナは以下の分離集落frazione)及び集落(località)から構成される[7]。地名は、イタリア語名 / スロベニア語名 の順に表記している。

  • Aurisina / Nabrežina
  • Aurisina Santa Croce / Nabrežina Križ
  • Aurisina Cave / Nabrežina Kamnolomi
  • Aurisina Stazione / Nabrežina Postaja
  • Borgo San Mauro / Naselje Sveti Mavra
  • Ceroglie / Cerovlje
  • Duino / Devin
  • Malchina / Mavhinje
  • Medeazza / Medjevas

文化・観光

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観光地

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ドゥイーノは保養地としても知られ、詩人リルケや、物理学者ボルツマンが足跡を残している。リルケの代表作「ドゥイーノの悲歌」はこの地での滞在に想を得てつくられたものであり、ボルツマンは学界での自説に対する攻撃に悩んだ末この地での静養中に自殺している。

ドゥイーノ城の東南側にあたる海岸一帯は、1995年に自然保護区 (it:Riserva naturale delle Falesie di Duinoに指定されている。

ドゥイーノ城
ドゥイーノ城英語版イタリア語版は、ドゥイーノにある、海に突き出した絶壁上の城。13世紀初頭に存在が確認され、この一帯を治めた領主の居城であった。ドゥイーノ城は1366年にハプスブルク家の所有となり、1587年にミラノの貴族デッラ・トッレ家 (it:Della Torreの分家であるヴァルサッシーナ家 (Valsassina) が城主となった。19世紀後半、トゥルン・ウント・タクシス家ドイツ語版のボヘミア分家 (Czech branch of the House of Thurn and Taxisのアレクサンダー[8](1851年 - 1939年)と結婚したマリー夫人が母方から城を相続し、その息子のアレッサンドロ(1881年 - 1937年)はイタリア王国においてカステル・ドゥイーノ公爵 (Duke of Castel Duinoを創設した。城は現在も公爵家(デッラ・トッレ・エ・タッソ家)の所有であるが、美術館・公園として公開されている。
リルケの小道
詩人リルケは、マリー・フォン・トゥルン・ウント・タクシス・ホーエンローエ公爵夫人の招きを得、1910年から1914年にかけて4度にわたりドゥイーノ城に滞在した。ドゥイーノ城とシスティアーナの入江を結ぶ自然保護区内の散策路がリルケの小道 (it:Sentiero Rilkeとして整備されている。

交通

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ドゥイーノのSS14
ビーヴィオ・ダウリジーナ駅

ヴェネツィアやウディーネ、あるいはウィーンなど、北方からトリエステへ向かう交通の要衝となっている。

道路

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高速道路
国道

鉄道

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姉妹都市

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脚注

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  1. ^ Popolazione residente per sesso, età e stato civile al 1° gennaio 2023” (イタリア語). 国立統計研究所(ISTAT). 2024年2月9日閲覧。メニューでVista per singola areaを選択。Ripartizione:Nord-est, Regione:Friuli-Venezia Giulia, Provincia:Trieste, Comune:Duino-Aurisina を選択
  2. ^ a b 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Trieste (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2012年6月26日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Trieste (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年2月26日閲覧。
  4. ^ Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
  5. ^ classificazione sismica aggiornata al aprile 2023” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica/. イタリア市民保護局. 2023年12月16日閲覧。
  6. ^ IL COMUNE DI DUINO AURISINA” (イタリア語). Liceo Ginnasio Francesco Petrarca. 2013年3月7日閲覧。原出典:Da P. Stranj , La comunità sommersa, Editoriale Stampa Triestina, TS 1992.
  7. ^ Comune di Duino-Aurisina. “Statuto” (PDF) (イタリア語). 2012年6月25日閲覧。.
  8. ^ 全名 Prince Alexander Johann Vincenz Rudolf Hugo Karl Lamoral Eligius von Thurn und Taxis

関連項目

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外部リンク

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