ドゥアルテ (ギマランイス公)
表示
ドゥアルテ・デ・ポルトゥガル Duarte de Portugal | |
---|---|
ギマランイス公 | |
在位 | 1537年 - 1540年 |
出生 |
1515年10月7日 ポルトガル王国 リスボン |
死去 |
1540年9月20日(24歳没) ポルトガル王国 リスボン |
埋葬 |
ポルトガル王国 ジェロニモス修道院 |
配偶者 | イザベル・デ・ブラガンサ |
子女 |
マリア カタリナ ドゥアルテ2世 |
家名 | アヴィス=ベージャ家 |
父親 | ポルトガル王マヌエル1世 |
母親 | マリア・デ・アラゴン |
ドゥアルテ・デ・ポルトゥガル(Duarte de Portugal, 1515年10月7日 - 1540年9月20日)は、ポルトガルの王族、ギマランイス公爵(duque de Guimarães)。マヌエル1世の息子の一人。
生涯
[編集]マヌエル1世とその2番目の妻でカトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世)の娘であるマリア・デ・アラゴンの間の第9子、六男として生まれた。父にとっては7番目の息子である。ドミニコ会修道士で人文主義者のアンドレ・デ・ヘゼンデ(André de Resende)に教育を受け、狩猟を好み、音楽家としての才能も持っていた。
1537年にブラガンサ公ジャイメ1世の娘で又従姉にあたるイザベルと結婚した。イザベルは結婚に際し、婚資としてギマランイス公爵領を持参したため、ドゥアルテは第4代ギマランイス公爵となった。1540年に24歳で没し、リスボンのジェロニモス修道院に葬られた。
子女
[編集]妻イザベルとの間に1男2女をもうけた。
- マリア(1538年 - 1577年) - 1565年、パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼと結婚
- カタリナ(1540年 - 1614年) - 1543年、ブラガンサ公ジョアン1世と結婚
- ドゥアルテ2世(1541年 - 1576年) - ギマランイス公
参考文献
[編集]- Nobreza de Portugal e do Brasil – Vol. I, page 387. Published by Zairol Lda., Lisbon 1989.
|
|
|