トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)
初代クラレンドン伯爵 トマス・ヴィリアーズ Thomas Villiers 1st Earl of Clarendon | |
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生年月日 | 1709年 |
没年月日 | 1786年12月11日 |
死没地 | グレートブリテン王国・イングランド・ハートフォードシャー・ワトフォード |
出身校 | ケンブリッジ大学クイーンズ・カレッジ |
前職 | 外交官 |
所属政党 | ホイッグ党 |
称号 | 初代クラレンドン伯爵、枢密顧問官(PC) |
配偶者 | シャーロッテ(旧姓カペル) |
親族 |
初代ジャージー伯爵(祖父) 第4代クラレンドン伯爵(孫) |
内閣 |
グレンヴィル内閣 小ピット内閣 |
在任期間 |
1763年 - 1765年 1786年9月 - 1786年12月11日 |
内閣 |
ノース卿内閣 小ピット内閣 |
在任期間 |
1771年 - 1782年 1783年 - 1786年 |
庶民院議員 | |
選挙区 | タムワース選挙区 |
在任期間 | 1747年 - 1756年 |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1756年6月3日 - 1786年12月11日 |
初代クラレンドン伯爵トマス・ヴィリアーズ(英語:Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon, PC、1709年 - 1786年12月11日)は、イギリスの政治家、外交官、貴族。
経歴
[編集]1709年に第2代ジャージー伯爵ウィリアム・ヴィリアーズとその妻ジュディスの間の次男として生まれる[1][2]。
イートン校を経てケンブリッジ大学クイーンズ・カレッジへ進学したが、学位をえずに退学し、外交官となった。1737年にはポーランド王・ザクセン選帝侯アウグスト3世の宮廷に特命使節(envoy extraordinary)として派遣され、1740年には全権公使(minister-plenipotentiary)となる[1]。1742年から1743年にはウィーン公使となり、その後、オーストリア継承戦争の進展を報告するためにポーランドへ送られた[1]。1745年から1746年にかけてはプロイセン王国ベルリンに弁理公使 (minister resident)として駐在[1]。
1748年にはプロイセン王国から男爵位を贈られた[2]。1748年2月に外交官職を退任し、以降は本国政界に専念。1747年から1756年までタムワース選挙区から選出されてホイッグ党の庶民院議員を勤める[1][2]。1756年6月3日にはグレートブリテン貴族「ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵(Baron Hyde of Hindon in the County of Wiltshire)」に叙され、貴族院議員に列した[1][2]。
1763年9月9日には枢密顧問官(PC)に列した。1763年から1765年までグレンヴィル内閣で郵政長官を務め、ついで1771年から1782年までノース卿内閣でランカスター公領大臣を務めた[2]。
1776年6月14日にグレートブリテン貴族「クラレンドン伯爵」に叙せられた。1773年から1786年まで小ピット内閣でランカスター公領担当大臣を務める。1786年9月からは郵政長官に転じるが、同年12月11日にハートフォードシャー・ワトフォードで死去し、同地に埋葬された[1][2]。
爵位
[編集]1756年6月3日に以下の爵位を新規に叙される[2][3]。
- ウィルトシャー州におけるヒンドンの第4代ハイド男爵 (4th Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)
- (勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
1776年6月14日に以下の爵位を新規に叙される[2][3]。
- 第4代クラレンドン伯爵 (4th Earl of Clarendon)
- (勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
家族
[編集]1752年3月30日に第3代エセックス伯爵ウィリアム・カペルの娘シャーロッテと結婚し、以下の4人の子を儲けた[2]。
- 第1子(長男)トマス・ヴィリアーズ (1753–1824):第2代クラレンドン伯位を継承
- 第2子(次男)ジョン・ヴィリアーズ (1757–1838):第3代クラレンドン伯位を継承
- 第3子(三男)ジョージ・ヴィリアーズ (1759–1827):第4代クラレンドン伯爵ジョージ・ヴィリアーズの父
- 第4子(長女)シャーロッテ・バーバラ・ヴィリアーズ (1761–1810)
脚注
[編集]註釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
- ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. “Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2015年3月31日閲覧。
- ^ a b Heraldic Media Limited. “Clarendon, Earl of (GB, 1776)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月3日閲覧。
公職 | ||
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先代 第2代エグモント伯爵 第4代トレヴァー男爵 |
郵政長官 1763年 – 1765年 同職:トレヴァー男爵 |
次代 第2代ベスボロー伯爵 第4代トレヴァー男爵 |
先代 ストレンジ卿 |
ランカスター公領大臣 1771年 – 1782年 |
次代 初代アシュバートン男爵 |
先代 第12代ダービー伯爵 |
ランカスター公領大臣 1783年–1786年 |
次代 初代ハークスベリー男爵 |
先代 第4代タンカーヴィル伯爵 初代カータレット男爵 |
郵政長官 1786年 同職:初代カータレット男爵 |
次代 第2代ウォルシンガム男爵 初代カータレット男爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
新設 | 初代クラレンドン伯爵 1776年–1786年 |
次代 トマス・ヴィリアーズ |
初代ハイド男爵 1756年–1786年 |