トーマス・スケールズ
第7代スケールズ男爵トーマス・ド・スケールズ(Thomas de Scales, 7th Baron Scales, KG, 1400年 - 1460年7月25日)は、イングランドの貴族、軍人。第5代スケールズ男爵ロバート・ド・スケールズの子で第6代スケールズ男爵ロバート・スケールズの弟。百年戦争末期のイングランド軍の主要な指揮官の1人として知られる。
百年戦争ではロワール川流域でジャンヌ・ダルク率いるフランス軍との戦いに参加し、ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの副官を務めオルレアン包囲戦で戦死したソールズベリー伯トマス・モンタキュートの後任に任じられ(他にサフォーク伯ウィリアム・ド・ラ・ポール、シュルーズベリー伯ジョン・タルボット)、モン=シュル=ロワールの戦い、パテーの戦い等で活躍したが、パテーの戦いでジョン・ファストルフの援軍と合流したもののフランス軍に敗北、シュルーズベリー伯ら他のイングランド将官共々捕虜となった[1]。
釈放後はシュルーズベリー伯らと共にフランス軍と交戦、1434年にモン・サン=ミシェルの包囲の指揮を執り落とせなかったが、1435年にルーアン近郊でフランスの部将ラ・イルに勝利、1437年にラ・イルとザントライユの部隊を破りザントライユを捕らえた。しかし対モン・サン=ミシェルの前線基地に整備したグランヴィルをフランス軍に奪われ、フランス軍総司令官のアルテュール・ド・リッシュモン大元帥が遂行したイングランド領都市の征服を防げず、1439年に包囲されたモー救援に失敗して奪取され、1441年に籠城したポントワーズを包囲され降伏している[2]。
薔薇戦争ではランカスター派に属してヨーク派と戦い、1460年にヨーク派が軍勢を引き連れて7月2日にロンドンに入城するとロンドン塔へ籠り砲兵隊を指揮して抵抗したが、10日のノーサンプトンの戦いでランカスター派が敗れヘンリー6世は捕虜となり、孤立無援となったスケールズはヨーク派に降伏、逃げようとして25日に群集の手で殺された。爵位は娘エリザベスと結婚したリヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルが継承した[3]。
ウィリアム・シェイクスピアの史劇『ヘンリー六世 第2部』に登場する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- ジャン=ポール・エチュヴェリー著、大谷暢順訳『百年戦争とリッシュモン大元帥』河出書房新社、1991年。
- レジーヌ=ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著、福本直之訳『ジャンヌ・ダルク』東京書籍、1992年。
- トレヴァー・ロイル著、陶山昇平訳『薔薇戦争新史』彩流社、2014年。
イングランドの爵位 | ||
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先代 ロバート・スケールズ |
第7代スケールズ男爵 1419年–1460年 |
次代 エリザベス・スケールズ |