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コンスタンツァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トミスから転送)
コンスタンツァ
Constanța
黒海に面したコンスタンツァ市街
黒海に面したコンスタンツァ市街
コンスタンツァの市旗 コンスタンツァの市章
市旗 市章
位置
コンスタンツァの位置の位置図
コンスタンツァの位置
位置
コンスタンツァの位置(ルーマニア内)
コンスタンツァ
コンスタンツァ
コンスタンツァ (ルーマニア)
コンスタンツァの位置(ヨーロッパ内)
コンスタンツァ
コンスタンツァ
コンスタンツァ (ヨーロッパ)
座標 : 北緯44度10分4秒 東経28度38分3秒 / 北緯44.16778度 東経28.63417度 / 44.16778; 28.63417
行政
 ルーマニア
  コンスタンツァ県
 市 コンスタンツァ
市長 Vergil Chițac
地理
面積  
  市域 124.89 km2
標高 28 m
人口
人口 (2021年現在)
  市域 263,688人
    人口密度   2,112人/km2
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
公式ウェブサイト : http://www.primaria-constanta.ro/

コンスタンツァルーマニア語: Constanțaギリシア語: Κωνστάντια / Constantiaトルコ語: Köstenceブルガリア語: Кюстенджа)は、ルーマニアの都市でコンスタンツァ県の県都である。2002年における人口は約31万人。

歴史

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紀元前7世紀ギリシア人によって建てられた植民市であるトミスが、コンスタンツァの起源となった。古代ローマ帝国の時代に、アウグストゥスの怒りをかった詩人オウィディウスが、この地に追放された。4世紀コンスタンティヌス1世が妹の名にちなんでコンスタンツァと改称し、大規模な街の改築を推進した。1413年オスマン帝国の支配下に入ると、街は衰退へとむかった。1878年露土戦争をめぐり国際関係が紛糾することを懸念したドイツのオットー・フォン・ビスマルクによって開催されたベルリン会議において、ドブロジャ地方北部(コンスタンツァを含む)がルーマニアに帰属することが認められた。その後はルーマニアの統治下で港湾都市として繁栄を取り戻していった。

1940年6月26日、ソ連政府はルーマニアに対して領土の割譲などを要求する最後通牒を発出。この中にはコンスタンツァ港の支配権も含まれていた[1]

人口

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2022年調査によれば、コンスタンツァ市人口は310,471人であった。2006年の調査では、国内第4位の都市とされている[2]。2007年には国内第5位の人口である。コンスタンツァと周辺町村の定住人口は487,000人であり、県人口の65%を占めている。また、観光期の最盛期には、観光客や季節労働者の出入が激しく、一日平均120,000人の人口が動く。

民族 1853[3] 1895[4] 1913[5] 2002[6]
合計 5,204 10,419 27,201 310,471
ルーマニア人 279 (5.4%) 2,519 (24.1%) 15,663 (57.6%) 286,332 (92.2%)
タタール人 1,853 (35.6%) 2,202 (21.1%) 277 (1%) 8,724 (2.8%)
トルコ人 104 (2.0%) 2,451 (9%) 9,018 (2.9%)
ギリシャ人 1,542 (29.6%) 2,460 (23.6%) 3,170 (11.6%) 546 (0.17%)
ブルガリア人 342 (6.5%) 1,060 (10.1%) 940 (3.4%) 48 (0.01%)
ユダヤ人 344 (6.6%) 855 (8.2%) 1,266 (4.6%) 44 (0.01%)
ロマ人 127 (2.4%) n/a n/a 2,962 (0.95%)

地勢・産業

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ルーマニア東南部、黒海沿岸に位置するルーマニア最大の港湾都市。都のブカレストは約200キロメートル西。ブルガリアとの国境が約50キロメートル南、ウクライナとの国境が約50キロメートルほど北に位置している。

コンスタンツァと首都ブカレスト間の約225キロメートルにわたる鉄道は、2009年現在、欧州連合日本の国際援助による改良工事が進められており、大幅な輸送力の増強が見込まれている。コンスタンツァは、港湾の再開発と合わせ、貨物の中継基地として位置づけが強化されるものと考えられている。

コンスタンツァ出身の人物

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姉妹都市

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脚注

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  1. ^ ルーマニア、ソ連にベッサラビア割譲(『東京朝日新聞』昭和15年6月28日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p385-p386 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  2. ^ http://www.insse.ro/cms/files/pdf/en/cp2.pdf
  3. ^ Robert Stănciugel and Liliana Monica Bălaşa, Dobrogea în Secolele VII-XIX. Evoluţie istorică, Bucharest, 2005; pg. 202
  4. ^ Lucian Boia, History and Myth in Romanian Consciousness, Central European University Press, 2001, p. 182
  5. ^ Ioan N Roman, La population de la Dobrogea d'après le recensement du 1er janvier 1913 in La Dobrogea Roumaine, Bucharest, 1919
  6. ^ 2002 census results

関連項目

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外部リンク

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